結婚して3年、務めていた会社の社長の娘である私と結婚した夫は、いつも優しい完璧な夫で、誰もが羨む夫婦だと思っていました。なのに、彼は私の妊娠中、親族が集まる私の退院祝いの席で、平然とこう言ったのです。「母ちゃんが飯の準備するのは当たり前だろ。誰の金で食ってると思ってるんだ」と。しかも、彼の隣に立つ見知らぬ年配の夫婦が、私の夫の浮気写真を親族全員に配り始めたとき、私の人生は大きく動き始めました…

結婚して3年、務めていた会社の社長の娘である私と結婚した夫は、いつも優しい完璧な夫で、誰もが羨む夫婦だと思っていました。なのに、彼は私の妊娠中、親族が集まる私の退院祝いの席で、平然とこう言ったのです。「母ちゃんが飯の準備するのは当たり前だろ。誰の金で食ってると思ってるんだ」と。しかも、彼の隣に立つ見知らぬ年配の夫婦が、私の夫の浮気写真を親族全員に配り始めたとき、私の人生は大きく動き始めました...

私が夫のスマートフォン越しに、にやにやとした顔でとんでもないことを言い放った時、その瞬間に私たちの偽りの結婚生活は音を立てて崩れ始めた。私は出張から戻ったばかりのリビングで、夫の悟志からかかってきたテレビ電話を受けていた。画面の向こうでは、彼が親族たちと大勢で会食をしているらしく、楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。

「夫のために尽くすのが嫁の務めだろ。だからお前のゴールドカード使わせてもらうわ。」

悟志は画面越しに私を見て、得意げにそう宣言した。彼は今、親族たちと高級な料理を楽しんでいるようで、その支払いを私のクレジットカードで行うつもりらしい。私は思わず鼻で笑ってしまった。彼は私が何も知らないと思っているのだろうか。だが、私は彼の思い通りにはさせない。

「え、もう私は独身だけど。支払いは愛人に請求しておくね。」

私がそう言い放つと、悟志の表情が一瞬で強張った。

「は?お前何言ってるんだ?」

「ちなみにそのカードは解約済みよ。あと、あなたには慰謝料300万円請求するつもり。大丈夫?そんなに豪遊して。」

「はあ?カードを解約しただと?それに慰謝料請求とかふざけんな!」

驚きのあまり大声をあげる悟志の顔は、みるみるうちに真っ赤に染まっていった。そして、その大声に反応して、義両親が彼に近づいてきたのが画面越しに見えた。

「あら、大きな声を出してどうしたの?」

「いや、なんでもない。ただの夫婦喧嘩だよ。」

義両親は画面のこちら側にいる私に気づくと、にこやかに声をかけてくれた。

「今日は里子さんも南も来てもらえなくて残念だったね。」

「ほら、南は部活も勉強も忙しいし、里子は今日も出張だったからな。2人とも忙しいんだよ。」

悟志は早く義両親を画面から遠ざけようと、慌てて取り繕おうとする。彼が親族たちとの会食を義両親に何と言って取り繕っているのかは知らないが、私は画面の義両親に直接話しかけることにした。

「悟志さん、私のカードを断りもなく持っていったんですよ。それって夫婦間だけど、盗まれたようなものじゃないですか?でも、そのカードはもう解約済みだと伝えたら、ひどく怒り出しちゃって。あと、悟志さんには慰謝料300万を請求すると伝えました。」

義両親が驚いた顔をする。私はさらに続けた。

「払えないようでしたので、愛人に請求するって言ったんですけど。」

その言葉を聞いた瞬間、義父の顔色が変わった。

「愛人だと?」

「悟志、一体どういうことなの?」

義母も驚きの声をあげる。悟志は焦ったように大声で反論し始めた。

「里子、お前何を言ってるんだ?根拠のないことを言うなよ。父さんと母さんも間に受けないでくれ。」

彼の言い分はこうだった。自分は普段からカードを使うことはない。このゴールドカードもずっとキャビネットの引き出しに入れたままだったのだ、と。

確かに、その通りだった。私は出張から戻ってキャビネットの中身を確認すると、予想通りカードがなくなっていた。夫の仕業だ。おそらく彼は、私がカードを使うことはないのでバレないと思ったのだろう。だが、私にとって夫がカードを持ち出すのは想定内のことだった。私はわざと場所を変えずに置いておき、ずっと泳がせていたのだ。そして、夫が何件かこのカードで買い物をしたことを確認してから、私は解約しに行ったのだった。

何も知らない夫は、もう使えないゴールドカードを手に、親戚一同を集めて豪遊を始めたようだ。だが、義両親は私の話を聞いて、驚きを隠せない様子だった。悟志は外面がよく、両親はもちろん、職場や友人たちにもいい夫だと評判だった。この場にいる誰もが、彼が勝手に妻のカードを持ち出したり、ましてや浮気なんてするはずがないと思っているに違いない。

なんとなく騒ぎを聞きつけたのか、画面の近くにいた親戚たちも集まり始めた。その上で、義父は改めて悟志に問いかけた。

「里子さんの言ってることは本当なのか?」

「家計から出しているカードを借りただけで、盗んだなんて言いすぎだろう。それに俺が浮気なんてするわけがない。里子、証拠あるのか?」

この場では自分の方が立場が優位だと思ったのか、悟志は苛立ちを抑え、ゆっくりとした口調で問いかけてきた。おそらく周りからは、冷静さを欠いた妻を諭す夫に見えたことだろう。

「証拠は…」

私が言いかけた時、部活から帰ってきた娘の南が顔を覗かせた。テレビ電話に気づいて、すぐに近寄ってくる。

「おじいちゃん、おばあちゃん元気?」

話題がそれてほっとした表情を浮かべる悟志。義両親も可愛い孫の登場に思わず笑顔になった。

「南、お土産を買って帰るから楽しみに待っててくれよな。」

いい父親を演じながら言う悟志。そんな彼に、南はスマホを取り出して見せた。

「私もパパにお土産があるんだ。」

そう言うと、娘はスマホに録画された映像を画面に映し始めた。テレビ電話の画面をこちらに向けてくれたので、向こうにいる人たちにもよく見えたことだろう。

動画を見て、義母が目を見開く。

「これはいつ撮ったの?」

そこには、悟志が愛人を自宅に連れ込む様子が映っていた。

「2ヶ月前、ママが出張に行ってた時だよ。」

義母は驚きで何も言えず、悟志は額から吹き出る汗を拭くこともなく、じっと映像を見つめていた。私はそこで深呼吸をし、義両親や親族たちにこれまでの悟志について話を始めた。

共働きの私たち夫婦は、結婚する時に家事の分担と生活費の折半を約束していた。私は娘の出産前後のみ産休を取得し、早めに保育所を探して復職した。おかげで仕事へのブランクは最小限に抑えられ、スムーズな仕事復帰ができたと思う。でも、悟志に変化が現れたのは半年前だった。残業や出張と言って、家に帰らない日がだんだんと増えてきた。分担していた家事は一切やらなくなり、とうとう生活費も入れなくなった。さらに、この頃から夫婦の共有の口座から勝手にお金を引き出すようにもなった。

私は何度も頼んだ。生活費を入れてほしい。勝手にお金を引き出さないでほしい、と。でも、悟志は「夫のために尽くすのが嫁の務めだ」と聞く耳を持たなかった。

私の話に、親族たちは戸惑いの表情を浮かべた。まだ信じられないといった様子だ。私はもう一度深呼吸をして、浮気のことについても話を続けた。

私が悩んでいた時、娘から動画を見せてもらうことになった。悟志が若い女性と腕を組み、鼻の下を伸ばしながら自宅に入っていく。そこに映る夫の姿は、おぞましさすら感じた。

私が言葉を濁すと、代わりに娘が口を開いてくれた。

「部活がなくなって早めに家に帰ったら、パパと知らない女の人が一緒に帰ってきたの。だから私、ママに伝えなきゃと思って。」

私と娘の言葉に、親族たちのざわめきがさらに大きくなっていく。そこに割り込んだのは義両親だった。

「浮気相手を家に連れ込むなんて。お前は里子さんの留守中に何をしているんだ。」

「しかも実の娘の目の前で、堂々とこんな姿をさらすなんて。」

娘が撮った浮気の証拠動画を見せられ、義両親は激怒した。だが、悟志は簡単に浮気を認めようとはしない。

「浮気相手だなんて言いがかりだ。会社の新入社員が相談に乗って欲しいって言ったから、仕方なく。」

「お前は部下の相談に乗るのに自宅に呼ぶのか。」

「う、うるさい。大体子供が撮った動画なんて証拠にならないだろ。今の中学生なら、いたずらでこのくらいの動画いくらでも作れるじゃないか。」

悟志は苦しい言い訳を続け、だんだんと声が小さくなっていく。仮に彼の言っていることが本当だとしても、若い女性を自宅に招く時点で下心が見え見えだ。それは義両親も分かっているので、2人の怒りは収まらない。

「南ちゃんがこんなものを作って、一体何の得があるというのよ。」

「父親のこんな姿を見て傷つかないとでも思ってるのか?」

どうしても義両親の怒りが収まらないので、悟志は矛先を私に向けた。

「お前の教育が悪いからこんなことになるんだ。ちゃんとした証拠を出してから文句を言え。」

「分かったわ。」

そう言われて、私は画面越しに1枚の書類を見せた。その書類を見た途端、強気だった悟志の表情はみるみる青ざめていった。私だって、娘の動画だけで法的な証拠になるとは思っていない。だが、浮気を確定するには十分だ。確実に浮気していることが分かれば、証拠集めはプロに任せればいい。娘から動画を見せられた後、私はすぐに探偵事務所に調査を依頼していた。さすがプロの仕事。集まった証拠の数々は、目を覆いたくなるようなものもあった。決定的だった。

「お望みのちゃんとした証拠よ。あなたは今日私が出張に行ってると思っていたでしょうけど、実際は探偵事務所に調査報告書をもらいに行っていたのよ。」

私はその調査書と一緒に、数枚の写真をビデオ電話に映してやった。それを物証とし、義両親はますます激怒した。

「なんて節度がないんだ。」

「いつからこんなことをしていたんだ。」

そこには、娘が撮ったものとは比較にならないほど決定的な場面が映っていた。言い逃れできない状況で、悟志は青ざめた顔のまま、少し震えている。

「これでも浮気はしていないと言える。南が嘘つきだと。」

そこでようやく認めた悟志が、娘に謝罪をした。

「南の動画をいたずらなんて言って悪かった。本当に反省しているし、これからはいい父親になるから許してほしい。」

悟志は深々と頭を下げるが、その謝罪は全く娘には響かない。娘は彼が心から謝罪をしていないことを見抜いているようだった。

「ママが許すなら仕方ないけど、私はもうパパのことは気持ち悪くて、同じ空気を吸うのも嫌だから。」

冷たく言われて、さすがの悟志も落ち込んでいたが、自業自得だと思った。年頃の娘からしたら、愛人を招き入れる父親の姿なんてトラウマだろう。拒絶されて当然だ。娘はそのまま自分の部屋に行ってしまった。

私は忘れているかもしれない彼に、冷静に告げた。

「そういえば忘れているかもしれないけど、あのゴールドカードは解約済みだからね。あれで支払おうとしないでよ。」

私に言われて、悟志はポケットからカードを取り出した。

「使われたくないからって嘘をついているんだろ。昨日も試しに使ってみたが、何ともなかったからな。」

私が嘘をついてると思っている夫に、ついでにカード解約の書類も見せてやった。

「それも今日解約してきたのよ。」

「くそっ!余計なこと。」

最近は家に入れるお金も全て愛人に貢いでいるはずだ。今の悟志に現金の持ち合わせがあるとは思えない。当てにしていたカードが本当に解約されていると分かり、悟志は慌てて義両親に泣きついた。

「どうか、ここの支払いをお願いします。」

義両親に土下座をする悟志の後ろ姿が画面に映し出される。親族一同も、彼のただならぬ様子に相当ざわついているようだ。義父と義母は何やら2人で相談すると、分かったと悟志に告げた。喜んで立ち上がる悟志を制するようにして、義父の声が続く。

「借用書を書いてもらう。」

「借用書?」

「そうだ。返済期限を決めて、公的に通用する借用書を書いてもらう。そうしたら、ここの支払いは立て替えてやる。」

「他人でもあるまいし。なんでそんなもん書かなきゃならないんだよ。ちゃんと返せばいいんだろ。俺たち家族じゃないか。」

「その家族感で盗みを働いたのはどっちだろうな。」

「人聞きの悪い。ちょっと借りただけだって。」

悟志はカードを持ち出したことに関して、全く悪いとは思っていないらしい。まだ戸籍上は夫婦なので、私が窃盗罪だと訴えても彼は罪にはならない。

「あなたには、それだけ信用がないってことよ。」

悟志は渋々、借用書を書くことを承諾した。そうするしか、今この場を切り抜ける方法もない。電話をかけてきた時の威勢の良さが嘘のように、すっかり大人しくなった悟志は、帰ったら話がしたいと言ってきた。私も話し合いたいことがあると伝え、テレビ電話を終了する。この時の悟志は、ひとまずこの場を切り抜けられたことに少しだけ安堵した様子だった。でも、私の反撃はまだ終わりではない。この後すぐ、彼はそれを思い知ることになる。

「なんでお前がここにいるんだ?」

帰宅した悟志は、私が招いておいた客人を見て、これまで見たことがないくらい動揺していた。

「あなたが自宅に招いて相談に乗ってあげた、新入社員の方よね。」

実は、私は先に悟志の浮気相手と接触していたのだ。彼が帰ってくる前に、家に呼んでいた。あの時言っていたように、相手は今年入社したばかりの新入社員で、レミという名前だった。

「慰謝料の件もあるし、3人で話をする方が早いと思って。」

俯いて座っていたレミが、慰謝料という言葉に反応する。

「私、そんなお金ありません。」

「これはあなたがしたことの代償なの。お金がないから払えないじゃなくて、法律で決められた義務なのよ。」

レミは再び俯く。悟志の顔も青ざめていたが、私は容赦なく言葉を続けた。

「私はこの人と離婚するので、その後あなたたちが付き合っても結婚しても関係ないけど、それ以前に受けた精神的苦痛に関しては、あなたから慰謝料をもらう権利があるわ。不倫も相手がいないとできないわよね。当事者の自覚ある?」

「違うんです。私もあなたのご主人に騙された被害者です。」

どうしても慰謝料を払いたくないのか、レミは事実と違うことを言い始めた。

「適当なこと言うな。元々はお前から誘ってきたんだろうが。責任逃れできると思うなよ。」

「レミの分も悟志君が払ってよ。私は悪くないんだから。奥さん、聞いてください。私はあなたのご主人から、仕事のミスをばらされたくなかったら付き合えって脅されて。」

「正直、あなたたちの痴話喧嘩なんて私には興味ありませんから。あなたたちは何度も私を裏切る行為を重ねてきた。その事実だけで十分なの。」

「でも、脅されてたんですよ。同じ女性として、かわいそうとか思ってくれないんですか?」

嘘か本当か分からない。レミの発言に悟志も反論を始めた。

「奥さんと別れて結婚してくれないと会社にばらすと脅してきたのは、そっちの方だろうが。」

「そんなこと言ってないもん。奥さんは同性だから、レミの気持ちが分かるはずよ。悟志君はいつも嘘ばっかりなんだもん。」

2人の言い争いはなかなか収まりそうにないどころか、こちらにも飛び火してくる。

「最初は適当に付き合ってやったらやめるつもりだったんだ。だけど、こいつがしつこく言い寄ってくるから仕方なかったんだよ。俺だって迷惑してたんだ。許してくれ。」

「自分だけ助かろうなんてずるい。」

お互いに責任をなすりつけ合いながら、悟志はまだ諦めずに復縁を望んでくる。もう今更遅いというのに。悟志がどうしようもない人間なのは、今回の件でよく分かったわ。でも、レミさん。あなたにしたっていい思いをしたでしょ。自分じゃ買えないような高級ブランド品買ってもらったの?」

私がそう言うと、レミは唇を噛みしめて黙り込んだ。悟志は最後の抵抗と言わんばかりに、私に泣きつく。

「俺は里子と離婚するつもりはないから。頼む。考え直してくれ。」

「私はあなたとやり直すつもりなんてないから。悟志、以前あなたは私に『夫のために尽くすのが嫁の務め』と言ったわよね。」

「言ったかもしれない。よく覚えていないが。」

「結局、あなたにとって妻は便利な家政婦じゃない。しかも南の父親としては、もう終わってる。」

「反省したから。これから俺が変わるから。」

「何度言われても無理なものは無理。私は南と2人で生きていきますから。後のことは弁護士さんを通してお願いしますね。」

私には絶対に許すことなんてできない。とにかく、もう私が話すことは何もない。そう告げて、まだ後悔が続く2人を家から追い出した。

その後も悟志は散々ごねていたが、なんとか離婚が成立した。弁護士を通して、慰謝料と養育費についても話はまとまった。悟志は義両親から言われた通り借用書を書き、しばらくは毎月の返済などもそれに沿って行っていたようだ。これに関しては、かなり厳密に義両親にも管理されていたらしい。だが、あの時の会食で義両親に立て替えてもらったお金以外にも、浮気相手に貢いでいたことで借金まみれになっていたのだ。さらに、車内で不倫していたことが会社にバレたので、仕事も首になった。そんな状況で借金だけが膨らみ、収入のなくなった悟志は、危ないところからお金を借りて、今は追われる身らしい。浮気相手のレミも、元夫と一緒に会社を首になっていた。自分の両親にも浮気をしていたことがバレて家を追い出されたレミは、お金目当てに元夫を付け狙っている。他所からも追われている元夫が今どうしているかは知らない。

私はと言うと、無事に新居への引っ越しも済ませ、娘と新しい生活をスタートさせている。元夫のことで、多感な年頃の娘にたくさん嫌な思いをさせてしまった。

「結果的に南を巻き込んでしまってごめんね。」

「どうして謝るの?ママは悪くないじゃん。私はいつでもママの味方だよ。」

「ありがとう。」

「こっちこそ、いつもありがとう。」

私が言うと、照れくさそうに娘もそうしてくれる。私たちはお互いの存在に感謝し合い、大切に日々を過ごしている。

両親と一緒に出かけた1泊2日の旅行の帰り道のこと。私たちは立ち寄ったスーパーで絶句してしまった。目の前を歩く1人の男性。あの服、あの髪型、あの身長。絶対にそこにいるはずのない人物なのに、間違いない。私の夫の拓斗だ。なぜそこにいるはずがないのか。実は今回の旅行は、元々は夫と一緒に行く予定だった。だが、急に出張が入ったということで旅行をキャンセル。代わりに友人を誘うも、彼氏との予定があると断られた。そこで私は両親を誘って旅行に出かけたのだ。なのに、どうして夫がこんなところに?私の両親も夫の姿に気がつき、驚いている。

「ちょっと、拓斗君がどうしてここに?出張だったんじゃないのか?」

「それに横にいる女性は誰なんだ?」

そう、夫は1人でいたわけではなく、ベビーカーを押す女性と並んで歩いていたのだ。それも女性の腰に手を当てながら。端から見れば、幸せな家族そのものだ。夫が浮気をしていることは、誰が見ても明白だった。今までそんな夫の浮気の気配に気づいたこともなく、目の前の光景が信じられずに私は呆然としてしまった。だが、ふと我に返ると、怒りがふつふつと湧いてきた。

「ふざけんじゃないわよ。」

もちろん、怒っているのは私だけじゃない。

「行くわよ。」

私のこの気の強さは、完全に母譲りだ。私たちは幸せそうに歩いている2人に近づいた。

「パパ、今日ご飯何食べたい?」

「うーん。ママの作る料理なら何でも美味しいよ。」

デレデレと会話する夫の背後から声をかけた。

「素敵なご家族ですね。お買い物ですか?」

「はい。よ、里子?こんなところで何してるの。」

「ねえ、出張は?あと、そっちの女は誰?」

夫を横目に、隣のベビーカーを押していた女性に目をやったところ、私自身も驚いてしまった。その女性はなんと、私の友人のレミ。彼氏と予定があると言って、旅行の誘いを断られた友人だ。レミとは学生時代からの付き合いで、元々拓斗との出会いは彼女からの紹介によるものだった。

「レミ?え、なんで?」

「違うの。これはたまたまそこで会って、たまたま家から離れたこんなところで。」

「そういえば、レミってこの辺りに住んでたよね。」

「やだ。里子、誤解しないでよ。たまたま会って、買い物手伝ってもらってただけよ。」

「声をかける前、拓斗のこと『パパ』って呼んでたの聞いたけど。」

「そ、それは…」

「拓斗、もう言い逃れできないよ。」

「レミ、どういうこと?パパって。」

「そのままの意味よ。この子の父親は拓斗君。」

「はあ?意味が分からない。拓斗、どういうこと?」

「おい、レミ。いや、これは…」

隠れて浮気してただけじゃなくて、子供まで作ってたっていうの。私の両親も大声をあげて2人に詰め寄った。ベビーカーにいたレミの息子も泣き出してしまう。だが、そう簡単に怒りを抑えることなんてできない。だって、夫が浮気だなんて。しかも、相手は私の友人。さらに、子供までいるとは。レミの出産後、夫と2人で出産祝いに行ったけど、あの時2人はどんな気持ちで私と話していたっていうの?

「ちゃんと説明してよ。2人でずっと私のことを騙していたの。」

突然のことに頭が混乱し、ショックと悲しみのあまり、涙で顔がぐちゃぐちゃだ。

「里子、落ち着きなさい。ひとまず落ち着いて話せる場所に移動しよう。」

父の言葉にはっと我に帰り、辺りを見渡すと、私たちの騒ぎにたくさんの人が集まってきていた。そこで私たちは近くのファミレスに移動し、話の続きをすることにした。行くまでの途中、これまでの夫やレミの様子を振り返り、なぜ気づかなかったのかと悔しくなった。

ファミレスで夫とレミの正面に座り、私は2人を睨みながらこれまでのことを問い詰める。もちろん、この会話はスマートフォンで録音してある。

「いつからあんたたちは浮気していたの?」

「よう、拓斗君が結婚する前からよ。」

「はあ?そもそも、拓斗を紹介してきたのはレミでしょ?」

「里子に紹介した後、私も拓斗君のこと好きになっちゃったの。だから奪っちゃった。」

信じられない。つまり、夫と結婚してからの3年間。交際期間を含めると、もっと長い期間2人に騙されていたのだ。怒りが再燃する。こんな非常識な奴とずっと友達だったなんて。結婚式ではスピーチまでしてくれていたのに。レミは誰よりも私たちの結婚を喜んでくれていると思っていた。

「レミを旅行に誘っても来れないわけよね。だって、2人で会うための口実だったんだもの。」

「はあ。それなのに、なんで拓斗は私と結婚したのよ。」

「別れられるわけないだろ。だってお前は社長の…」

「まさか、お前自分が社長になるために。」

「拓斗君は社長になった後、洋子とは離婚して私と一緒になる予定だったの。社長になるには里子と結婚しなきゃいけないって言うから。」

「はあ?社長になるためだけに私と結婚したっていうの?」

「なんだと?よくもそんなことを。こんな奴をうちの会社の社長にするわけがないだろう。お前は首だ。不倫の慰謝料もきっちり払ってもらうぞ。」

普段は温厚なお父さんも、さすがに怒りが抑えられない。

「じゃ、社長。それだけは。レミと子供を養っていかなくてはいけないんです。」

「え、嘘?里子のパパが社長なの?そんなこと聞いてなかったわよ。」

レミは私のお父さんが誰なのかを知らなかったみたい。確かに、私は自分の家族のことについてはレミに話したことなんてなかったけれど、夫もレミに家のことを詳しくは言っていなかったみたいね。実は、夫の会社は私のお父さんが代表を務める会社。私と結婚したことで、夫は次期社長候補と言われていた。お父さんは間もなく定年退職するため、来月には事実上の発表の予定だった。

「休日に出張なんて、うちの会社では珍しいと思っていたが、こういうわけだったとはな。」

結婚当初から、夫は帰宅の遅い日や休日出張がたまにあった。うちはプライベートも大事にするホワイト企業だとお父さんがよく話していたので、不思議だとは思っていたのだが、このことをお父さんに伝えていれば、2人の関係ももっと早くに分かっていたかもしれない。

「社長、首だけはご勘弁を。お願いします。ただ、小さい子供もいるんです。」

「お前みたいな奴、信用できるわけないだろう。気にかけてやっていたのに、こんな形で恩を返されるとはな。」

「拓斗君なら安心して里子を任せられると思っていたのに。失望したわ。」

「レミちゃん。あなたにも本当にがっかりよ。」

私の両親は2人のことを決して許さないだろう。もちろん、私も。

「分かりました。では、離婚して会社もやめます。」

「そうよね。拓斗君は優秀だから、他の会社でも十分やっていけるわよ。私が支える。」

夫とレミは開き直って、自分たちでどうにかすると強気な態度を見せた。

「ねえ、じゃあ最初から私のことなんて好きじゃなかったってこと?」

私はここで、ふと湧いた疑問を夫にぶつける。

「結婚前からレミと関係を持っていたのなら、プロポーズでの『君とこの先もずっと一緒に生きていきたい』という言葉は何だったの?」

「ああ、そうだよ。俺は里子と出会う前から、ずっとレミのことが好きだったんだ。やっと思いが通じて、レミを幸せにするには社長になるしかないって思って、お前と結婚したんだ。里子、ごめんね。」

「拓斗君が選んだのは私なの。」

開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。夫は私と出会う前から、ずっとレミのことが好きだった。じゃあ、私はずっと利用されていただけだったってこと?社長になるためだけに、これだけ大勢の人を巻き込むなんて。

夫とは、これまでに子供のことについてこんな話を何度かしていた。

「ねえ、そろそろ子供のこととか考えてみない?」

「ああ、だけどまだしばらくは子供はいいかな。仕事も忙しいし、2人の結婚生活をもう少し楽しみたい。」

「そっか。それなら仕方ないね。」

私は子供が欲しかったが、夫はずっと欲しがらなかった。それが、もうすでに自分の子供がいて、私とは離婚する前提だったなんて。

夫は開き直って、ペラペラと喋る。

「大変だったよ。好きでもない相手と結婚生活を続けるのは。」

「でも、やっと一緒に住めるんだね。」

「ああ、長かった。」

完全に2人の世界に入ってしまっている、バカな2人。これからの生活のことなんて、何も考えていないのだろう。結婚した相手がこんな人だったなんて、呆気にとられて物が言えない。今まで浮気に気づきもしなかった私も私だけど、それだけ夫のことを信頼していたからだ。だが、数週間前までの夫への愛情は、もうとっくに消え去っていた。学生時代から仲の良かったレミにも、こんな形で裏切られるなんて。

「レミ、何の恨みがあったらこんなことできるの?私たち親友じゃなかったの?」

「親友?学生の時からあんたのことなんか鼻についていたのよね。地味なくせにブランドバックとか持ってるし、勉強もできて誰からもちやほやされちゃってさ。子供ができたって報告した時、『おめでとう』って言われて笑いをこらえるの必死だったんだから。」

レミが付き合っていた彼氏との子供を妊娠したと言っていた時、彼女はこう言っていた。「事情があって、すぐには籍を入れられないけど、もう少ししたら結婚するつもりなんだ」と。そんなことを言っていたが、その事情がまさかこのことだったなんて。レミの彼氏って、拓斗のことだったのね。

信じられない。私をここまでコケにしたこと、絶対に後悔させてやるわ。慰謝料もきっちり払ってもらうから、2人とも覚悟しておいて。もう悲しいという感情は全くない。ただ、2人に対する怒りだけだ。私は今日、夫と親友を同時に失った。

数ヶ月後、私は夫と離婚。夫は会社を首になった。普通の会社では不倫だけで首にすることは難しいが、今回は社長であるお父さんの力が働いたらしい。スーパーで言い合いをしていたのが近所の人にも知れ渡り、狭い地域なので、私はしばらく白い目で見られるようになってしまった。だけど、私は悪いことはしていない。だから、堂々と顔をあげて生活をしている。2人にはもちろん、慰謝料をしっかり請求した。子供がいるのにとかなんとか言っていたけど、それとこれとは別の話だ。

レミは出産時に仕事をやめており、貯金もないとのこと。両親を頼るが、絶縁をされたようだ。そのレミの両親からは謝罪をされた。両親のことは学生時代から知っていたが、とても真面目な人たちだ。その子供があんなに常識がないとは驚きだ。ちなみに、元夫の両親は全面的に息子の味方だ。元義母は過保護って感じで、息子が可愛くて仕方ないみたいなので、嫁姑関係もあまりうまくいっていなかった。今回の件を説明しに行った時には、謝られることもなく「息子の新しい人生の邪魔をしないでちょうだい」と言われた。どうやら、今回の計画について義両親は事前に知っていたらしい。近所の人たちに「うちの息子はもうすぐ社長になる。可愛い孫もできた」と言っていたらしいから、もうこの家族とは関わらないのでどうでもいいが、義両親はお金の余裕はないみたいで、金銭面での援助はできていないみたい。元夫とレミはギリギリの状態で暮らしているらしい。子供を育てなければいけないので働いているみたいだが、その仕事もうまくいっていないそうだ。その理由はおそらく、私のお父さんだ。あらゆる業界に顔が効くので、今回の件は様々な企業に回覧済み。まともな会社が拓斗やレミのことを雇うことはないだろう。

離婚をしてから、私は夫と2人で住んでいた家から実家に引っ越した。今回のことで私のメンタル面を心配した両親から、強く進められたからだ。私自身、思っていたよりダメージは少なくすっかり元気だが、両親を安心させるためにも数ヶ月は一緒に住もうと思っている。

そして、新しい生活も落ち着いてきた頃、元夫とレミが私の家に突撃をしてきた。2人とも、見た目がひどくやつれている。玄関には私1人だ。

「話をさせてくれ。」

「話すことなんてないけど。」

断るも、家の前でギャーギャーとうるさいので、仕方なく家に入れた。

「なぜだか全然就職できなくて、アルバイトだけで生活していくのもやっとなんだ。子供を育てていくにもお金がかかる。お父さんの会社に、どうにか再就職させてもらえないか。」

「うちには、まだ小さい子供がいるのよ。」

呆れた。お父さんがあなたをもう一度雇うと思う?前に話した時は、2人でやっていくって大口叩いていたのに。数ヶ月経ったら、これ惨めなものね。

「う、うるさい。あと、お前がSNSで拡散したせいで、誰も相手にしてくれなくなったじゃないか。」

「何言ってるの?全て本当のことじゃない?」

そう、私はと言うと、SNSに今回の件を全てぶちまけた。2人と共通の友達も大勢いるので、たくさんの友達から反響があった。おかげで、2人とも友達は激減し、完全に干されているみたい。もう2人には頼れる人もいないだろう。

「こんなはずじゃなかった。君なら簡単に再就職して、余裕のある生活をしていけると思っていたのに。」

そういえば、レミは学生の頃から専業主婦になりたいってずっと言っていたっけ。まあ、自業自得よね。私があなたたちにされたことは絶対に許さない。手助けも一切しない。だけど、あなたたちには子供がいるんだから、その子を守るために必死に働くのね。それなりに何とか言い訳しながらギャーギャー騒いでいたが、帰ってもらった。どの口が言っているのだろうか。そもそも、あの2人から謝罪なんてものは一切ない。もう2人とは会うこともないだろう。その後、風の噂で元夫とレミは違う地域に引っ越したと聞いた。この地域では噂が広まりすぎて、生活しづらかったのだろう。ボロボロの状態ではあるが、それぞれが必死に働き、なんとか育児をしているそうだ。唯一の救いは、2人ともきちんと子供を育てていることだ。育児放棄するとか、そこまで落ちぶれた人間じゃなくてよかった。最低な親だけど、子供だけでも幸せになってほしいと心から願う。子供に罪はないんだから。

「いいな。双子の世話、大変だったよな。」

「俺の妻として、よく頑張ってくれたよ。」

「そんな妻のために、今日は親族を集めたんだ。というわけで、いつも通り料理の準備よろしくな。」

「えっと、今日は私の出産と退院祝いじゃないの?あと、私、産後3ヶ月なんだけど。」

「3ヶ月だから何?もう出産したんだから大丈夫だろ。分かったら、さっさと準備しろよ。」

数日前に私が無事双子を出産したので、夫の秀樹はお祝いの場を設けてくれた。親族全体を集めた大規模な集まりと聞き、初めは私のためにそこまでしてくれたのかと感動したものだ。しかし、どうやら祝われる本人が準備をするらしい。私の体はボロボロであり、絶対安静が必要なのは有名な話。それなのに、夫の言動からは妻一人気遣えというものが見られない。もう一度入院しろとでも思っているのだろうか。

「ねえ、それなら子供の世話をあなたがしてくれるの?」

「は?そんなのやり方分かんねえよ。母親なんだから、お前がやって当然だろ。」

「あなたも父親なのよ。子育ては夫婦で取り組むべきだわ。だから何度も両親学級に一緒に行こうって言ったじゃない。」

「知るかよ。母親が出ればそれでいいだろ。俺は父親だから、働くことこそが最重要な役割なんだよ。誰の金でメシ食ってると思ってんだ。」

子供のことすら考えないような夫に、私は呆れ果てた。ここまで図々しい態度だと、逆に笑えてくる。私はスマホを取り出し、夫に告げた。

「じゃあ、ご両親に手伝ってもらうわね。」

「は?何言ってんだ?父さんと母さんは仕事で海外だろ?」

夫の言う通り、義両親は海外に拠点を置いて仕事をしている。夫は首をかしげているが、何も知らないのは彼だけだ。私は、夫がでっち上げたことを全て知っている。そのために、出産という一大イベントを抱えながらも、今日まで必死に準備を重ねてきたのだ。今からそれを1つ1つ明かしていこう。泣き濡れる日々は、もうおしまいだ。

「それじゃあ、ご両親を迎えに行ってくるわね。」

私は一旦席を外した後、年配の男女2人と戻ってきた。

「だ、なんだよ、その2人。今日は親族の集まる日なんだぞ。そんなどこの誰も分からない奴らを連れてくるなんて、何考えてるんだ。」

「心配しなくても、身元は確かよ。こちら、山田洋二さんと奥様の里子さん。彼らが今日の準備を手伝ってくれるわ。」

「初めまして。お会いできて光栄です。」

「今日は、是非ともよろしくお願いしますね。」

「いや、身元は確かって、誰だよ。」

夫は困惑を隠すことすらしない。一方で、山田さんも里子さんも表面上は丁寧な態度を装っていたが、夫を見る目はとても冷たい。

「ちょ、ちょっとこっちに来い。おい。」

夫は一旦私を連れて、人目につかない場所へ来た。

「一体何を考えてるんだ。勝手に他人を家に呼ぶなんて、非常識にもほどがあるだろう。親族にもどう説明するつもりだ?もう時間に余裕もない。さっさとあいつらを追い出して、食事の準備を始めろ。」

誰もいなくなると途端に、夫は声を荒げて高圧的な態度を取った。いつもこうだ。でも、今日は押し切られるつもりはない。

「こっちは準備万端よ。あなたを訴えるためのね。あの2人、あなたの浮気相手の両親なの。」

「は?なんだって?お前、自分が何言ってるか分かってんのか?」

「言葉の通りだけど。何も難しいこと言ってないでしょ。」

「ふざけるな。何が浮気相手だ。ありもしないものをでっち上げるな。」

ヒートアップした夫は腕を振り上げたが、人の気配を感じてぴたりと動きを止めた。

「何か大きな声が聞こえたようだが、大丈夫かね?ひょっとして、何か問題でもあったかい?」

「え?ああ、いや、すみません。ちょっと妻と喧嘩になってしまって。」

「さっきから、随分と気が立ってるようですね。」

騒ぎを聞いて、にわかに色めきだった親族たちに、夫は笑顔を張り付けてごまかそうとする。

「私も初めての育児。それも双子なんで、少し神経質になっていたようです。」

親族たちには愛想よく対応しながら、夫は背中に手を回して人差し指を立て、早く行けとジェスチャーで指示を出してきた。なんて情けない人だろう。こんな奴に今まで従っていたなんて。改めて、復讐したいという気持ちが強くなる。

私は夫が意図した台所ではなく、親族たちが集まる部屋へ赴き、その場に仁王立ちした。

「親族の皆様、本日は私のお祝いのためにお集まりくださり、誠にありがとうございます。おかげさまを持ちまして、無事双子を出産いたしました。」

親族たちが大きな拍手で祝ってくれる。いい人たちだ。なぜ夫だけがあのような人間性になってしまったのか分からない。私は飛び切りの笑顔を張り付け、後ろの人にもよく聞こえるよう声を張り上げた。

「初めての妊娠。それも双子ということで、苦労もひとしおでした。でも、多くの方が私を支えてくれたのです。お父さん、お母さんは海外からいつも温かいエールを送ってくださいました。体にいいものをたくさんいただき、栄養面を気遣ってくださったことは忘れません。もちろん、夫にも感謝しております。彼がしてくれたのは、言葉をかけることだけでしたけれど。」

和やかに拍手していた親族の動きが止まった。みんな笑顔のまま固まっている。私は構わず、笑顔で話を続けた。

「妊娠中は、それはそれは辛いものでした。悪阻がひどく、起き上がることさえ困難だったのです。そんな私を夫は労るどころか、全ての家事を押し付けておりました。トイレで吐き続けている私に向かって『飯はまだか』と言い、水一滴飲むことができず倒れている私に『服にアイロンがかかってない』と言い。点滴を受けるため病院に連れて行ってと懇願する私を、『仕事があるから』と見放しました。」

親族の中でも、女性たちが顔を歪め始めた。出産経験者にとっては、いかにひどい話か身にしみるのだろう。

「そんな私に、夫は繰り返し聞かせました。『妻が妊娠して出産するのは当たり前だ。俺は仕事をして妻を養ってやっている』と。それらの言葉を盾に、夫は何ひとつ妻である私を労わることなく過ごしました。そして、なんとか出産を終えた今。今度は私のお祝いの準備を私にしろと言ってきております。ええ、私が安静にしなきゃいけないのに。」

その一言で、親族たちは互いに顔を見合わせた。夫は慌てて私の隣に立つと、軽く深呼吸をしてから得意の笑顔を張り付けた。

「少し誤解があるようです。確かに、私もまだまだ未熟ゆえ、妻に誠実な対応を1度もしなかったとは言い切れません。しかし、同じくらい。いや、それ以上に妻を労わってきました。残念ながら、妻の中には不快な出来事ばかりが強く印象に残ってしまったようですが。彼女は妊娠出産という命がけの出来事を乗り越えてきたのです。私のことに気を配る余裕がないのは、致し方ないことでしょう。」

夫が少し寂しそうに笑って見せると、途端に親族たちの顔に同情の色が浮かぶ。この、すぐ人を信頼させるスキルには感心する。外向きの顔がいいわね。私に対する時とは大違い。みんなに信頼されているのね。さすが、お父さんに会社を任され、若き社長として成果をあげているだけあるわ。これじゃあ、私がいくら訴えたところで、あなたが私にひどいことをしているとは思えないでしょうね。

「みなさん、産後で気が立っているのは分かる。でも、あまりみんなを混乱させるようなことを言うものではないよ。後でゆっくり話は聞くから、一度別室で落ち着こうか。」

夫は優しく私の手を取り、さりげなく話を終わらせようとしている。すると、そこに山田夫妻が部屋の中へと入ってきた。

「その必要はありません。皆様、こちらをご覧ください。」

「な、あんた、こんなところまで入り込んできて、しかもうちの親戚に何を配ってるんだ。いい加減にしないと訴えますよ。」

義父が叫ぶ中、親族たちは困惑した表情を浮かべつつ、山田夫妻が配ったものを見た。

「これは写真…写ってるの、秀樹君じゃないか。」

「隣にいるのは…見ない顔だな。でも、これ後ろに写ってるの、ホテルじゃないか?」

「え、ちょ、ちょっと見せてください。…な、なんだよこれ。なんでこんな写真があるんだ。」

「皆さんご覧の通り、この写真は夫の秀樹の浮気現場です。私は入院前から夫の浮気に気づいており、証拠を集めていました。しかし、私は妊婦の身。1人で頑張るにも限界があります。そこで、浮気相手…すみれさんというのですが、彼女の両親と接触し、協力を仰ぎました。」

「すみれの父の山田洋二と申します。隣にいるのは妻の里子です。このような場にお邪魔してしまい、申し訳ありません。しかし、どうしても娘の無念を晴らしたく、皆さんに協力することにいたしました。」

「すみれは秀樹さんの会社で、社員として働いておりました。苦労しながらやっと入った会社です。それはそれは熱意を持って、毎日仕事に行っておりました。しかし、ある時、すみれはボロボロになって私たちの元へ帰ってきたのです。この男に弄ばれて。」

山田洋二さんは興奮し、言葉を詰まらせた。里子さんが彼の肩を支える。

「すみれは、ある時私たちに素敵なご縁があったと嬉しそうに報告しました。すみれは私たちが年を取ってからできた子です。その報告に、私たちがどれだけ喜んだか。しかし、相手の男…秀樹さんにとって、すみれはただの遊びでした。秀樹さんは、あろうことか自身を独身と偽り、若いすみれを自分のものにしたのです。秀樹さんにのめり込んでいた娘は、彼が既婚者で自分が遊ばれただけだと気づくと、すっかり塞ぎ込んで、精神を病んでしまいました。私どもは、秀樹さんを絶対に許しません。」

と、その場が静まり返った。親族たちはもう一度写真に目をやってから、黙って夫に視線を移す。そこにはもう、先ほどの信頼感は微塵も感じられなかった。

「皆さん、騙されないでください。私は皆さんと血を分けた身内ですよ。これまで一緒に苦楽を分かち合ってきた仲ではないですか?このような大切な局面で、他人の言うことを信じるのですか?」

「聞き捨てならないわね。山田夫妻だけでなく、妻である私まで他人呼ばわりする気?それなら、ここの親族の半分は他人ね。」

親族たちも私の言葉に耳を傾けてくれ、夫に冷たい視線を浴びせる。

「ほう。それが君の本音かね?」

「ち、違います。今のは言葉の綴りで…」

慌てる夫の肩を、誰かが叩いた。その人物の顔を見て、みんな目を丸くする。

「ただならぬ雰囲気の中、失礼するよ。皆様、ご無沙汰しております。」

「え、父さん、母さん、なんでこんなところにいるんだ?」

「大事な用ができてね。緊急で帰国してきたんだ。」

「そうだったのか。それならいいところに帰ってきてくれたよ。助けてくれ。みんなが変なことを言い出したんだ。みんな、みなの口車に乗せられて、俺を悪者にしようと畳みかけてくる。俺は何も悪いことなんてしてないのに。皆は、きっとおかしくなってしまったんだ。」

義両親は合いの手を打つこともなく、無表情で夫の顔を眺めている。夫はさらに話を続けた。

「ほら、産後とかよく言うだろ。一度病院に行った方がいいかもしれない。専門家に見てもらって、ゆっくりと休ませるんだ。そしたら、きっと前みたいに俺の言うことに耳を傾けてくれるはずなんだ。」

夫は一気にまくし立てると、乱れた呼吸を整えた。義両親は一貫して無反応を決め込んでいるが、夫はその沈黙を好機と捉えたようだ。

「親父たちも分かってくれたみたいで嬉しいよ。これで俺も一安心だ。なんだか喉が乾いたな。おい、みな。お茶。」

夫が私に向けて差し出した手に、義母が無言でペットボトルを乗せる。少し驚いたようだが、夫は何も言わず、蓋を開けて水を飲み始めた。その最中に、義父が爆弾を投下した。

「秀樹、お前には会社をやめてもらう。首だ。」

漫画みたいに、夫が勢いよく水を吹き出した。近くに座っていた親族が、顔をしかめながら服を拭いている。

「お、親父、一体何を言い出すんだ?その年になって、そんなジョークなんて似合わないぞ。」

「冗談かどうかは、これを見て判断するように。」

義父が掲げたのは、スマートフォン。しかも、通話状態だ。そして、スピーカー状態になっている。

「まさか…通話相手は私よ。義両親に電話をかけて、最初から全部スピーカーにして聞いてもらっていたの。」

「は?なんだって?どうして、そんなこと?」

「あなたの本性に気づいた段階で、両親には連絡を入れていたの。1番に相談するべき相手だからね。それに、私は妊娠中にあなたから浴びせかけられた数々の暴言を、しっかりスマートフォンで録音していたのよ。その全てを、義両親に聞いてもらったの。」

「そこで、私たちは秀樹に内緒で帰国して、今日のあなたの発言をスピーカー越しに聞いて、その腐った本性を再確認したというわけよ。みなちゃんを疑うわけじゃなかったけど、まさかと思ったわ。だって、自分の息子よ。よく知った声で、次々と醜い言葉が繰り返されるの。この地獄、分かる?」

「さて、ここからは私たちがお前に問いかける番だ。どうして、浮気なんかしたんだ。みなさんは、立派にお前を支えてくれていただろう。」

「その結婚は形だけだったんだ。前々から俺の将来を気にしてるのは分かってたから、とりあえずみなみたいな地味な女と結婚すれば安心すると思って。」

夫は突如、義両親に縋り出した。

「頼む。首にはしないでくれ。会社にとっても、優秀な社長は必要だろ。なんたって俺は社長なんだ。トップがいきなり首になったら、みんな混乱するじゃないか。埋め合わせは必ずするから。だから、今一度考え直してください。」

その直後、義父は近くのテーブルに拳を叩きつけた。

「バカ者!みなさんを妊娠させておきながら、何も知らない若い子を独身と偽って弄んでいたくせに、いざ自分に火の粉が振りかかろうとしたら、口先だけでのりきろうというのか。お前は、それでも人の子か。ふざけるな。トップがいなくなったら混乱するというが、こんな人非人がトップであり続けることの方が、よっぽど恐ろしいことだ。」

「あなたには本当に失望したわ。自分の欲望のままに行動して、人の気持ちを考えることができない。こんな自分勝手なことをする人間に育てた覚えはないわ。人の人生を狂わすことしかしたのよ。分かってるの?それに、形だけの結婚だなんて。あなたは、私たちがあなたを思いやる気持ちすらも、コケにしたのよ。家族は社会の最小単位だ。この家族すら大切にできない奴に、会社という大きな単位を任せられるはずがない。この決定は絶対だ。あと、もうお前のことは息子だとは思わん。俺からは、1人で生きていけ。」

「そ、そんな…そこをなんとか。この通り、何度でも謝るから。」

「謝る相手が違うだろう。」

夫はすぐさま、私の前に膝まづいてきた。

「みな、俺が全面的に悪かった。今この瞬間から心を入れ替える。だから、どうか俺の両親を説得してほしい。」

「ふうん。謝るのは私だけなんだ。結果的に浮気だったとはいえ、すみれさんも被害者のはずだけど。」

夫は悔しそうに唇を噛みしめると、今度はゆっくりと山田夫妻と向き合い、頭を下げた。

「この度はお嬢様を傷つけてしまい、誠に申し訳…」

「結構です。私たちが求めるのは謝罪ではありません。復讐ですから。」

その言葉に、下げていた頭を少しだけ上げ、夫はものすごい形相で山田夫妻を睨みつけていた。

「やっぱり謝罪なんて形だけなのね。私も全く気が晴れないわ。それに、あなたまだ何とか言い繕えばなんとかなると思ってるでしょう。自分のしでかしたこと、すっかり忘れてしまってるようね。お笑いだわ。」

私が不敵な笑みを浮かべると、夫はポカンとした顔で私を見上げていた。

「なんだよ、もう十分だろ。俺は浮気を認め、お前たちに頭を下げたんだぞ。これ以上、何が必要なんだよ。」

「私ね、心を病んでしまったすみれさんにも話を聞きに行ったの。最初は固く心を閉ざしていたけれど、辛抱強く何度も、いかにあなたへ復讐したいかを語っていたら、最終的に全てを話してくれたわ。」

「だから何なんだよ。もったいつけたような言い方すんな。言いたいことは言え。」

「横領、あなた会社のお金を私的に使っていたんですってね。」

夫はさっと顔色を変えた。そして、恐る恐る義両親の方を見た。義両親の視線は、氷のように冷たかった。

「もちろん、その件についても調査を進めているところだ。そう遠くないうちに、はっきりとした結論が出ることだろう。このことだけでも、十分解雇理由になる。」

「つまり、あなたはどちらにせよ、やめなければならないということよ。浮気は個人的なことだけど、横領は組織全体に関わることだから。」

「そ、そんな。ちょっと貸し借りしただけなのに。」

「どうせあなたのことだから。会社の金は社長たる自分の金みたいな感覚で、気軽に手を出したんでしょ。本当に恐れ入るわ。まさしく自業自得ね。」

私は、未だに土下座している夫の額を、コンと指先で弾いてやった。

「あなたとは当然、離婚するわ。そして、浮気の慰謝料と養育費の請求をするから。慰謝料はすみれさんには請求しない約束だから、その分あなたに支払ってもらうわね。」

「私たちも、秀樹さんに不法行為による慰謝料を請求します。すみれの失われた時間は帰ってきませんから。せめて、そのくらいのけじめはきっちり見せてください。」

「ま、待ってくれ。そんなお金、あるわけないだろう。誰か、誰か助けて。」

夫は周囲を見回したが、帰ってくるのは白い目ばかり。やがて、親戚たちは1人、2人とこの場を去っていった。中には、私や夫妻のことを気遣う言葉をかけたり、頭を下げていく人もいる。夫に声をかけた人は、誰もいなかった。

その後、私と夫は正式に離婚する運びとなった。慰謝料や養育費も、ほぼ希望通りの額が取れ、ほっと肩を撫で下ろしている。山田夫妻も宣言通り夫を訴え、会社も正式に調査を終えて、横領の賠償金を求めたと聞く。夫は借金まみれとなり、私や義両親、親族たちに助けを求めてきた。もちろん、手を差し伸べた者はいない。会社も首となり、業界中に横領の噂が立った夫を雇う企業もない。結局、お金に困った夫は消費者金融に手を出すはめになり、今は日雇い取りの仕事で、借金のための借金を返す自転車操業の日々を送っているらしい。義両親は改めて私に謝罪をしてくれ、夫が私に危害を加えることのないように、しっかりと夫の暮らしぶりを監視してくれている。

そして、私の方はと言うと、あれから数年が経ち。

「ママ、洗濯物畳んでおくね。」

「僕はお片付けするね。」

「2人ともありがとう。ママ助かっちゃうな。ご褒美に、今日はアイスがあるぞ。」

「やった!アイス大好き!」

「ママも大好き。頑張ってお片付けするぞ。」

「ママも2人のことが大好きだぞ。それじゃあ、ママは急いでご飯作っちゃうね。今日は2人の大好物の唐揚げだからね。楽しみにしてて。」

双子たちはすくすくと成長し、幼稚園に通い始めてからは、できることもぐっと増えた。今では家事のお手伝いもしてくれて、私のことを支えてくれている。実は、今私はフルタイムで働いている。義父が知り合いの会社を紹介してくれたのだ。女性の社長で、なんと女手1つで息子さんを育ててきたのだとか。私の事情に理解を示してくれて、働き方にも随分融通を利かせてもらった。本当に感謝している。この気持ちは必ずや仕事でお返しするのだと、日々意気込んでいる。疲れて帰ってくる日も多いけれど、子供の笑顔を見ると、途端に癒される。改めて、子供と過ごす時間は宝物だなと実感するし、この子たちを産んで本当に良かったと思っている。仕事しながらの育児は大変だが、双子たちの成長を見守れる人生に一片の悔いはない。この幸せを、これからも大切にしていこう。私は今日も、双子たちの寝顔を見ながら誓うのだった。

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