「おい、クソ。会計300万だ。こら。断ったら事務所に直行だぞ。もしそうなったら、てめぇは海の底か山の中に引っ越しすることになるかもしれないぜ。」
ある日、私は高校時代からの友人・リノとバーでお酒を楽しんでいた。仕事終わりに久しぶりに会ったリノは相変わらず明るくて、楽しい時間を過ごしていた。
「やっぱりマユと一緒にいるの、すごく楽しい。」
「もう飲みすぎじゃない?」
「そんなことないよ。」
私は笑いながら自分のグラスを傾けた。するとリノが首をかしげて私の頭を指さす。
「そういえばマユって、帽子とか眼鏡とかしてること多いよね。」
「ああ、姉に顔が似ててさ。街でもよく間違われるのが嫌で。」
「もしかして似合ってない?」
「ううん、似合ってるよ。それも可愛いと思うけど、マユの綺麗な顔がちゃんと見えないのはもったいないなって思う。」
そんな話をしながら、そろそろ帰ろうと立ち上がったその時だった。
「あれ、お姉さんたち、もう帰っちゃうの?」
男性の声と共に、20人ほどの男たちが近づいてきた。いかにもヤクザですと言わんばかりの柄の悪い連中だった。
「なあ、俺たちと飲もうぜ。俺は岡本豊かって言うんだ。これから夜を共にするわけだし、気軽に岡本って呼んでいいぜ。」
リーダー格の男・岡本が私たちに近づいてくる。リノは不快そうに顔を背けた。
「私たちはもう帰るところだから、他を当たってください。」
私がリノの手を取って離れようとすると、岡本が両腕を広げて道を塞いだ。
「まあまあ待てって。夜はまだまだこれからだろ。遠巻きに見た時から可愛い子だなって思ってたけど、近くで見てもすげぇ可愛いじゃん。俺のタイプだわ。」
「名前教えてくれよ。」
「嫌です。」
「名前ぐらい言えるだろ。俺は女には優しいんだぜ。それにさ、俺はあの田組のヤクザなんだよ。田組って知ってるか? ここら辺じゃ大きな組織だもんな。そんなでかい組のヤクザの女になれんだぜ。金も権力もあって嬉しいだろう。」
そう言って岡本はリノの顎を掴んで強引に自分の方へ向かせた。
「やめてください。店の人呼びますよ。」
私が間に割って入ると、岡本は不機嫌そうに顔を歪めた。
「ああ、今俺はこの子と話してんだよ。てか、お前、帽子かぶってるセンスゼロの不細工女なんて興味ねぇんだよ。おい、誰かこの女が好みのやついるか?」
男たちは私をバカにしたようにゲラゲラと笑った。
「勘違いしてるようだけど、俺はこの子が気になって声かけたんだよ。お前にはお情けで声をかけてやっただけなんだよ。なんなら帰ってくれてもいいぜ。」
私は店員を呼ぼうとしたが、店員たちはまるで私たちの騒動が見えていないかのように振る舞っていた。
「どうして?」
「当たり前だろ。一般人がヤクザに手を出すのは怖いからだよ。何をされるか分からないからな。これで分かっただろ。お前らに拒否権は最初からないんだよ。」
岡本が私の肩を押しのけてリノの手首を掴んだ。私は岡本の腕を掴んでリノから引き離そうとした瞬間、頬に鋭い痛みが走り、床に倒れ込んだ。
「マユ、いい加減にしろよ。てめぇ、優しくしていれば付け上がりやがって。何が女には優しいだよ。気に入らないからって手をあげるなんて最低な男じゃない。」
岡本は私の腹を強い力で蹴り飛ばした。痛みに悶える私に、岡本は続けざまに蹴りを入れてくる。
「もうやめてください! 私が一緒に行きますから!」
リノが飛びつくように岡本の体にすがった。
「やっとその気になってくれたか。でもまずはこの女に俺の恐ろしさを伝えないとな。だからもう少し待っててくれよ。後でたっぷり可愛がってやるからよ。」
「彼女から離れなさい。」
私が止めようとすると、岡本は私を殴り、最後に体を蹴り飛ばした。
「本当にむかつく女だな。殴るだけじゃ足りねぇな。そうだ。ついでにこの店の代金も払ってもらうとするか。おい、店員! 伝票持ってこい!」
怯えた店員が伝票を渡すと、岡本はにやりと笑った。
「おい、クソ。合計300万だ。こら。断ったら事務所に直行だぞ。もしそうなったら、てめぇは海の底か山の中に引っ越しすることになるかもしれないぜ。」
リノは青ざめた顔で警察を呼ぼうとしたが、男たちに抑え込まれてしまう。
「おいおい、何しようとしてんだ。」
「警察呼ばないと!」
「呼ばせるかよ。店にも迷惑かかっちまうだろ。」
このままでは私だけでなくリノも何をされるか分からない。私は大きく深呼吸をして腹をくくった。
「岡本豊かって言ったかしら。あなた、田組なのよね。」
「ああ、そうだぜ。さっきも言っただろ。」
「それなら、その事務所の誰か知ってる?」
私は被っていたニット帽を脱いで、岡本をまっすぐに見つめた。岡本は私の顔を見ると、目を見開いて固まった。
「あ、な、なんで……」
信じられないといった様子でブツブツと独り言をつぶやき始める岡本。
「どうしたの? 私の顔に見覚えがあったかしら?」
「あ、いいえ。あの、ご兄弟はいるんでしょうか?」
突然、先ほどまでの態度とは打って変わって丁寧な口調になる岡本。
「姉がいるわよ。」
岡本の体は分かりやすく震え、目が泳ぎ出した。
「そう、そうなんですね…… そうだ。さっき呼び出しの電話があったんだった。」
岡本が逃げようとしたので、私は彼の腕を掴んだ。
「ちょっと待ちなさいよ。まだ話は終わってないわ。請求された300万なんて支払いは私にはできないわ。だから、あなたの言う通り事務所に連れて行ってくれない?」
私がわざと微笑むと、岡本は言葉を失う。
「どうなの? 連れて行くの? 行かないの?」
私は声を低くして睨みつけた。
「分かった。連れて行ってやるが、後悔しても知らねぇからな。お前ら、行くぞ。」
こうして私たち全員は田組の事務所へと向かった。リノにはここで帰った方がいいと伝えたが、どうしても心配だからとついてきてしまった。
事務所の扉を開けると、不機嫌そうな女性がデスクに座っていた。その女性は私を見るや表情を柔らげ、微笑みを浮かべる。
「あら、マユ。珍しいじゃない。組事務所に来るなんて。顔が晴れてるけど、何かあったの?」
「久しぶり。これには事情があるのよ。」
「え、マユにそっくり! お姉さん?」
「姉さんってことは、やっぱり若頭の妹だったのか。」
リノが驚きを隠せずに言う。
「若頭? マユのお姉さんってヤクザなの?」
「その子はお友達? どうして組員と一緒にいるの? そこにいるのはうちの組の岡本よね。」
私が事情を説明しようとしたところで、岡本が大きな声で叫び、私と姉の間に飛び出して土下座した。
「若頭! 誠に申し訳ございませんでした! 若頭の妹さんとは知らず、大変失礼な態度を取ってしまいました! 本当に申し訳ございません! どうかお許しください!」
姉は困惑した様子で私を見る。
「これはどういうことなの?」
私はバーで起こった出来事を全てありのまま話した。岡本は体を床に擦りつけたまま、顔を上げずに土下座をし続けている。
全てを聞き終えた姉は、大きなため息を吐き出した。
「そういうことだったの。まずはごめんなさい。えっと…… あなたのことはマユから名前を聞いていなかったわ。」
私はリノに視線を向けると、彼女は戸惑いながらも口を開いた。
「あの、リノです。」
姉は優しい微笑みを向けた後、申し訳なさそうな表情で頭を深く下げた。
「リノさん、ごめんなさい。うちのバカな部下のせいで楽しい時間を台無しにしてしまって。」
「いえ、そんな!」
「優しいいい子ね。ちゃんと岡本には責任を取らせるから安心してちょうだい。それに、私の大事な妹にこんな怪我をさせたんだしね。」
姉は厳しい視線を岡本へ向けた。
「さて、覚悟はいいんでしょうね。」
「ええ、どうかお許しください! まさか若頭の妹さんだとは知らなかったんです!」
「私の妹じゃなければよかったって言うのか。」
姉は岡本を容赦なく蹴り飛ばした。派手な音を立てて吹っ飛び、壁にぶつかる岡本。
「そもそも、組員に手を出すんじゃないよ。」
姉は岡本の髪の毛を掴んで体を持ち上げた。
「さて、まずは妹への損害賠償。それからリノさんへの精神的負担をかけた慰謝料として、合わせて1000万を支払ってもらおうか。マユもそれでいい?」
「ええ、そうね。それぐらいは払ってもらわないと気が済まないわ。」
「支払いは2週間以内に私の口座に振り込んでもらうわ。」
「そんな大金、あるわけない!」
「それなら他の方法で清算する? 海か山か。あんたもヤクザならどういう意味か分かるわよね。」
「いえ! 払います! 払わせてください! 妹さんの口座に振り込みます!」
岡本は左右に大きく首を振って叫んだ。姉は岡本の頭を叩きつけるように手を離した。
「マユ、リノさん。これで話もついたことだし、もう夜も遅いからあとは私たちに任せて帰りなさい。」
「うん、分かった。ありがとう。」
「可愛い妹のためだもの。これぐらいなんてことないわ。」
私たちは田組事務所を出て帰宅した。そして、いつも通りの日常が再び私の元へ戻ってきた。
しかし、約束の2週間を過ぎても、岡本から私の口座への振り込みは一向にされなかった。
私は仕事を終えて帰宅しながらため息をつく。
「姉さんに言わないとな。というか、リノは大丈夫だったかな?」
あの日以来リノからは連絡がなかった。私からメッセージを送っても返事は帰ってこなかった。もしかしたら、私がヤクザの姉を持っていることを知って、距離を置こうとしているのかもしれない。
憂鬱な気分で会社の外へ出ると、携帯電話が鳴り響いた。画面に映った名前を見て、私は驚いた。リノからだ。
「リノ?」
「ま、マユ、お願い、助けて!」
「どうしたの? 今どこ?」
「私の家の近くの公園……」
「今すぐ行くわ!」
怯えた声を聞いて、私はすぐに駆け出した。
リノの家の近くの公園に到着すると、隅で小さくなっている彼女の姿を見つけた。
「リノ! よかった、無事で。どうしたの?」
「私の家の前に、この間のヤクザがいて、怖くて……」
私たちはバレないように隠れながらリノの家の様子を伺った。そこには岡本と、その部下らしき男たち6人が家の前で待ち伏せをしていた。
「間違いない。岡本だわ。」
私はすぐに携帯電話を取り出した。
「姉さんに知らせないと。」
電話をかけようとした瞬間、リノの短い悲鳴が上がり、私の手が誰かに叩かれた。携帯電話は地面に落ちる。
振り返ると、そこにはニヤニヤと笑う岡本が立っていた。
「2週間ぶりだな。どこに電話かけようってんだ?」
「岡本……!」
「いや、話して。その釣れない態度も悪くねぇな。」
岡本は笑った顔を崩さないままリノの肩を抱き寄せた。
「ちょっと、この間姉さんに言われたこと、もう忘れたの? それに約束の期間だって過ぎてるのに、まだ私の口座に1000万振り込まれてないんだけど。」
「忘れてるわけねぇだろ。若頭からあの後散々殴られて、俺は謹慎を言い渡されたんだよ。金もねぇし、このままじゃもっとひどい目に会うことになる。」
「だから?」
「そこで俺は考えたわけだ。支払うべき相手が偶然この世からいなくなって、この女を俺のもんにすればいいんじゃねぇかってな。」
リノは岡本の言葉を聞くと、怯えた顔で必死にもがき、彼の腕から抜け出した。
岡本はリノを追わず、私へと向き直る。
「リノちゃんは後でたっぷり可愛がってやるとして、まずはお前からだ。おい、持ってこい。」
岡本が手下に言うと、すぐに一人が斧を持ってきた。
「あなた本気?」
「冗談だと思うか?」
岡本は斧を軽く振りながら私を見てにやりと笑った。
その時、横にいたリノが震えながら一歩前に歩み出て、小さく呟いた。
「いい加減にしてよ。」
「あ?」
「そうやって暴力で何でも解決すればいいと思って。嫌がる人間を力で支配しようとするのは、最低な人間がすることだわ。私はあなたみたいに、自分の思い通りに行かないとすぐ暴力に頼る人が大嫌いなのよ。そもそも顔だって全然タイプじゃないんだから。あなたのことを好みっていう人なんて、この世の中に存在しないんじゃないかしら。」
リノがここまで怒る姿を見たことがなく、私は目を見開いて彼女を凝視した。リノは顔を真っ赤にして、肩で息を荒くしながら岡本を睨んでいる。
すると岡本は笑みを消して、大きく息を吐き出した。
「はぁ、そうかよ。おとなしくて従順な女だと思ってたんだが。気が変わったぜ。」
そう言って、岡本はリノの顔を力いっぱい叩いた。
「うっ!」
「リノ!」
リノが悲鳴を上げてよろめいたので、私はとっさに彼女の体を支えた。叩かれた方は真っ赤になっていた。
そんなリノの痛々しい姿を見て、私はもう我慢することができなかった。
「もうお前らまとめて、ここで消してやるよ。」
「うるせぇ。消えるのはお前の方だ。」
私はリノを自分の背後へ移動させると、岡本の胸倉を掴み上げた。
力いっぱい掴み上げた勢いで、岡本の足が地面から浮く。
「な、なんだこの女! くそ、微動だにしねぇ!」
胸倉を掴まれた岡本が私の手首を掴むが、全く手が離れることはない。そのまま私は容赦なく岡本の顔を地面へと叩きつけた。
鋭い音が響き、岡本は床へと転がった。
「な、なんだよ、若頭の妹ってだけで、ただの弱い女じゃなかったのかよ……!」
「誰が弱いなんて言った? 手を出さずにいてやっただけだよ。」
私はさらに岡本の腹を力いっぱい蹴り飛ばし、彼に馬乗りになると数発顔を殴った。
するとそこに黒塗りの車が数台止まり、中から姉とその部下たち十数人が姿を表した。
「どうやら手助けはいらないようね。」
私の姿を見て腕を組む姉に、リノが驚いた顔を向けた。
「あ、マユのお姉さん、どうしてここに?」
「岡本に怪しい動きがあったって情報が部下から入ってね。部下に指示して岡本の行動を探らせていたのよ。」
「そうだったんですか。でも、マユがあんなに強かったなんて……」
「マユは今では組員になることを選んだけど、昔は私と対等にやり合えるほど喧嘩が強かったのよ。リノさんを怖がらせないために、隠していたんでしょうね。」
姉はそう言って私へ視線を向けた。
私に殴られ続けた岡本はもう虫の息となっている。
「すみません…… もう許してください……」
弱々しく命乞いをする岡本の姿を無感動に見下ろし、私は拳を振り上げた。
「これで終わりだ。」
私が拳を振り下ろそうとしたその瞬間、姉が私の手首を掴んだ。
「そこまでよ。」
「姉さん、どうして止めるの?」
「ここから先の処分は、ヤクザである私たちの仕事だよ。」
「そ、そうだよ。マユがもう手を汚す必要なんてないよ。」
姉とリノの言葉に、私は俯いて少し黙った後、小さく頷いた。
「分かった。2人ともありがとう。私のことを止めてくれて。姉さん、後のことはよろしく。」
「分かったわ。2度とマユたちの前に現れないように、しっかり躾けるわ。それじゃあ、そろそろ私は行くわね。」
姉が部下に指示すると、岡本は手早く車へと乗せられ、姉たちはそのままどこかへと走り去っていった。
その後、岡本は姉に連れて行かれ、厳しい制裁を受けたという。見るからに惨めな姿となった岡本は、この町にいられなくなり、完全に姿を消すこととなった。
この件はこれで完全に解決し、私にいつもの日常が戻ってきた。その日もいつも通り仕事を無事に終え、帰ろうとしたところで私の携帯電話にメッセージが入った。
それはしばらく連絡を取っていなかったリノからで、また改めて一緒にご飯に行こうと誘う内容だった。
あの事件以降、気まずくて私からの連絡も控えていたので、リノからの誘いには驚いたけれど、それ以上に私はとても嬉しかった。
約束した日、合流した私たちは互いになんとなく緊張した様子で店へと入った。料理を注文し、一段落したところでリノが口を開いた。
「あのね、マユのお姉さんのこととか、マユの過去とか、色々驚くことばっかりだったけど、やっぱり私はこれからもずっとマユと友達でいたい。今日はそれを伝えたくて来たの。それから、この間私を助けてくれたから、そのお礼にここのご飯をご馳走しようと思ったんだ。あの時は助けてくれて、本当にありがとう、マユ。」
リノはにっこりと屈託のない笑顔を見せた。私はリノの優しさに感動しながら、彼女の笑顔につられて微笑みを浮かべた。
そして今度こそ、私たちは夜遅くまで2人でお酒を楽しんだのだった。



