「姉さん、清掃員になってまで病院にすがってるの?…

「姉さん、清掃員になってまで病院にすがってるの?...

姉さん、まさか清掃員になってまで病院にすがってるの? 見てて恥ずかしいわ。

私が手に持っていた便器ブラシを、妹のちなは指さして鼻で笑った。元気そうな彼女が、まさかあんなことになるなんて。私はこの瞬間を忘れることはないだろう。

私は高橋稽古子、33歳。以前まで海外で医者をしていて、最近転職も兼ねて日本に帰ってきた。

通っていた大学を中退して海外で勉強し直した私にとって、日本の病院で働くのはとても緊張する。

「稽古子先生、またここにいましたね」

女子トイレの扉を勢いよく開け、入ってきたのは看護師の有沙さんだ。彼女は私の姿を見ると、呆れたようにため息をついた。

「はあ、またトイレ掃除をされていたんですね」

有沙さんの視線の先には、私が握っていた便器ブラシがあった。

有沙さんの言う通り、私は日課として病院のトイレ掃除をしていた。特に家に帰ることが難しい日は、しっかりとトイレ掃除をすることが多かった。

有沙さんは私から便器ブラシを回収すると、少し微笑みながら掃除道具を片付け始めた。

「ただでさえ先生は毎日激務なんですから。トイレ掃除する時間があったら休んでくださいね。休める時にちゃんと休まないと体が持ちませんよ」

そう言いながら片付けている有沙さんを、私は見つめていた。片付けが終わった有沙さんは振り返ると、私の背中を押して女子トイレの外に押し出した。

「さて、今日も患者さんの処置に大事なおも入っていますよ。とにかく忙しいのですから」

有沙さんの発言に頭が上がらない私は、彼女の後ろについて歩く。

「私の考えで、一日をすっきりとした気分でスタートさせたい気持ちがあって、それでまずはトイレ掃除をしてリフレッシュしたかったんです」

私の言葉に有沙さんは驚いた顔をしていた。

「リフレッシュの方法なんてたくさんありますよ。屋上で深呼吸したり、準備運動をしたり、コーヒーを飲んだりとか。とにかく今のトイレ掃除じゃない方法を見つけましょうよ」

「そうですね。考えておきます」

有沙さんのはっきりとした言い方は、私がこの病院に来た時から変わらない。有沙さんは28歳にしてこの病院のリーダー的立ち位置で走り回っている。患者にも医者からも信頼が熱い、明るい性格の人だ。

「困ったことがあれば、何でも言ってくださいね。私は患者さんもお医者さんのサポートもできますから」

そう笑顔で私が入社した時に言ってくれたのは、本当に心強かった。

こういった明るい性格の看護師は海外でも多くいる。しかし日本に帰ってからは、因質な看護師が多いと感じていた。私は看護師たちの喧嘩に何度か巻き込まれることがあった。女性の医者であることも原因なのか、そういう場面を国内外でよく見てきた。看護師の仕事は忙しいから、きっとそれが原因なんだろう。

そんな中、明るい性格のままいろんな人に接している有沙さんは本当に尊敬する。

「何をぼーっとしてるんですか? 今から数日後のオペの話をさせていただきますが、大丈夫ですか?」

有沙さんの声で我に帰った私は、急いで有沙さんからカルテが記載されているタブレットを受け取った。

私は数日後に手術を任されている。今日はその患者の病情を確認する日だった。

患者の名前は鈴木ちなさん。病気は乳癌のようだった。

「病情はかなり進んでいる様子です。本人も不安そうに診察に来ていました」

有沙さんの言う通り、患者の病気はかなり進行していた。癌の場所も転移しており、胸だけでなく子宮にまで転移しているようだ。今回の手術はかなり手ごわい。

私はタブレットに書かれている画面を見て、心臓が騒いだ。私の中で、女性だけが持つ器官に癌があること自体、かなり重く感じてしまう。

できる限り患者の要望には答えて行きたいが、万が一のことがあると怖いので、なかなか判断が難しい。

かつて同じ病気の患者の手術をした時のことを、私は思い出した。その患者はできる限り摘出をしたくないと伝えられていたが、病情が次第に悪化していき、摘出せざるを得ない手術となった。手術が終わった後、患者から私は「要望に答えられなかった悪魔」と呼ばれた。周りの医者たちは私の選択は間違っていないと慰めてくれた。それでもその出来事を、私はずっと覚えている。

「患者さんは4日後にこの病院に来られます。それまでの間に手術の方法とか考えておいてください」

有沙さんがそう説明してくれると、私はお礼を言って部屋を後にした。

手術はどのようにするのが適切だろうか。一歩間違えば、患者を深く傷つけてしまうかもしれない。癌の患者は病気の不安もあるが、手術に対しても大きな不安があるはずだ。その不安を取り除くことができるように丁寧に説明することが、医者にとって重要なことである。

まずは患者との信頼関係を築いていこう。問題は手術をどのようにするかだ。

私は病院内を歩き回りながら考えていた。

数日後、私は業務をこなしながら乳癌の手術方法についてまだ考えていた。海外で経験したようなことにはならないようにと考えると、慎重になってしまう。

「なかなか難しいわね」

考えに詰まってしまった私が到着した場所は、女子トイレだった。

「リフレッシュでもしようかしら」

私は白衣と名札を部屋に置いてラフな格好になると、周辺を確認した。有沙さんがいないことを確認すると、私は掃除用道具入れから便器ブラシを取り出した。

なぜ私がここまでトイレ掃除に執着しているのかと言うと、祖父母からの教えがあるからだ。トイレには神様が宿っている。だからしっかりと掃除すると、神様が力を貸してくれるよ。そう言って私と妹にトイレ掃除をするように伝えていた。

なぜトイレに神様がいるなんて、当時の自分は考えもしなかった。しかしそれでも、祖父母から「トイレに神様がいる」という教えが体に染みついているようで、一番綺麗にしなければならないという習慣が今でも残ったままだ。

祖父母との思い出を考えていると力が入っていたのか、便器ブラシがぽっきりと折れてしまっていた。

神様の居場所を綺麗にする道具を壊してしまったのでは、きっと神様もお怒りになるに違いない。焦りを感じた私は、真っ先に有沙さんの顔が思い浮かんだ。

「有沙さんに怒られちゃうわね」

また有沙さんにトイレ掃除をしていたのを怒られてしまう。私は便器ブラシを壊してしまったことを伝えるため、ブラシを持ったまま女子トイレから出た。

絶対に怒られてしまう。そう考えると気まずい気持ちになって、肩を落としてしまう。私はまだこの病院に来て日が浅い。どんな新人が備品を壊してしまうなんて、きっと呆れてしまうだろう。そう考えていると、自然と背中が丸まってしまう。

その状態で病院の廊下を私は歩いていた。

私の視線の先で、ハイヒールの軽快な足音が聞こえる。そのハイヒールの音が私の目の前で止まった。

「姉さん」

そこに立っていたのは懐かしい人だった。彼女はちなと言って、私の4歳下の妹だ。看護師をしている。そして彼女が主席で卒業した大学は、私が中退した看護大学だった。

「何年ぶりかしら? 随分と元気そうね。でもちょっと太った」

妹のちなは小さい頃から気が強く、いつも私のことを馬鹿にしていた。きっと大学を中退したことで余計見下しているのだろう。久々に私を見かけたちなは、早速私に嫌味を言ってきた。

「久しぶりね。元気そうでよかった」

ちなの嫌味にはもう慣れてしまった。今まで何度も反論してきたが、ちなの気が強いからか、反論しても倍返しで仕返しをしてきた。姉でもある私は、そういうコミュニケーションなんだろうと若干諦めていた。

じろじろと私を見つめるちなは、便器ブラシに気づいたのか、指をさして鼻で笑った。

「トイレの清掃員にでもなったの? その仕事の方が姉さんらしいわ」

どうやら彼女は私が病院の清掃員を務めていると勘違いしているようだ。私は彼女に説明をしようとしたが、彼女は私の話を聞こうとしなかった。

「ということは、姉さんは大学を中退して逃げたのに、まだ病院にいるの? 清掃員になってまで病院にすがってるの、見てて恥ずかしいわ」

ちなは自分の発言に納得したのか、哀れむような目で私を見ていた。

「そんなに病院で働きたかったのなら、程度でも大学に食らいつけばよかったじゃない」

ちなの嫌味は止まることはなかった。

「ちな、ちゃんと私の話を聞いて」

私が冷静に彼女を見つめると、ちなはようやく落ち着いたのか、私を馬鹿にするように眺めていた。

「私は今、ここで医者をしてるの」

私の言葉に驚いたちなは、吹き出して大きな声で笑い出した。

「そんなの嘘よ。だってあんたは大学を中退した情けない人じゃない。私が優秀な看護師だからって、無理に張り合わなくていいのよ」

実の姉からの言葉を信じることができないのか、ちなは冗談だと思い、涙を流すほどに笑っていた。

ちなに本当だと証明するために、私は首にかけていたはずの名札を見せようとした。

しまった。名札と白衣を置いてきたんだった。

名札と白衣を探している様子を見ていたちなは、耳に残るような笑い声を廊下に響かせていた。

「証明なんてしなくて大丈夫よ、この嘘つきが」

あまりにも止まらない嫌味に、私は呆れてちなを見ていると、遠くから声が聞こえた。

「ちょっと、誰ですか? 廊下で大きな声で会話しているのは、他の患者さんにも迷惑なのでやめてください」

私とちなの間の気まずいムードを切り裂いたのは、有沙さんだった。

有沙さんは私の白衣と名札を持って走ってきた。廊下にいたのが私だと分かった有沙さんは、驚いた顔をしていた。

「稽古子先生、こんなところにいたんですね。白衣も置いていくし、全くどこに行っていたのですか?」

有沙さんの言葉に、私は動揺してしまった。私の手に持っている便器ブラシを見た有沙さんは、怒ったような顔をしていた。

「今、手に持っているものは何ですか?」

そう言われたら素直に渡すしかない。思った私は、壊れた便器ブラシを有沙さんに見せた。

「すいません。掃除をしていたら便器ブラシが壊れてしまって」

呆れたように折れた便器ブラシを見せると、有沙さんはため息をついた。

「はあ…またトイレ掃除をしていたんですね。これは私が清掃員さんに説明しておきます。備品を壊してまでするトイレ掃除は、もうこれからしないでくださいね。白衣とどこかに行く時は、スケジュールを持っていくかメモを残しておいてください」

有沙さんにそう注意された私は、便器ブラシを回収されると白衣と名札を受け取った。後ろから視線を感じていたため振り返ると、理解をしていない表情をしたちなが立っていた。

「あの方はお知り合いですか?」

有沙さんも気づいたのか、私にそう問いかけた。私は有沙さんにちなのことを紹介することにした。

「彼女は私の4歳下の妹で、ちなと言います。とても優秀な看護師なんですよ」

そう私が伝えると、ちなが訂正するように間に入ってきた。

「今はもう結婚して苗字も鈴木に変わってるわ。それに看護師なんてもうやめたわ」

鈴木ちなという言葉を聞いた私は、頭の中に先日読んだカルテが鮮明に浮かんだ。

だって、ということは…あなたが。

私の気づきに、有沙さんも気づいたのだろう。2人で顔を見合わせた。

「何よ? 2人してこっち見て」

軽蔑するような目で私と有沙さんを見つめるちなに、私はもう一度説明をすることにした。

「私はこの病院で医者をしているの。もう少ししたら手術をするんだけど、その患者があなた、ちなのよ」

白衣と名札を身につけた私の姿を見たちなは、信じられないような顔をしていた。

「そんなの嘘よ。さっきまであんたはトイレ掃除をしていた、情けない姿だったじゃない」

そう起こるちなに、私は少し同情してしまった。確かに先ほどまで便器ブラシを持って落ち込んだ様子だった姉が、自分の手術をする人だとは思いもしないだろう。それに彼女の記憶では、私は看護大学を中退した記憶で止まっているのだから。

納得がいかないちなは、自分がこの病院に来た理由を言ってきた。

「私は前の先生に、海外の経験をしっかりと積んだスペシャリストに手術をお願いしたのよ。ありえないわ」

有沙さんが間に入るが、ちなの嫌味は止まらない。

「前の医者もこの病院も、全部詐欺じゃない。私は騙されたんだわ。訴えてやるんだから。あんたは大学を中退して、病院にいる資格なんてないのよ」

ちなが大きな声でそう起こると、近くにいた他の看護師に注意をされてしまい、私とちなと有沙さんは別室に移動することになった。

「その話にはちゃんと続きがあるの」

私の言葉に、ちなはしぶしぶ聞いてあげようという姿勢でいた。

私とちなの母親は、私たち姉妹に厳しく、母と同じ道を歩むように言われていた。当時の自分より優秀な子が欲しかった母親の元に生まれたのが、私とちなだった。私たちがやりたいと思っていたことをするのは、意味がないと言い、家に閉じ込めることが多かった。さらにちなはそのストレスからか、母親を見て育ったからなのか、他者を見下す気の強い性格になっていた。

母はとにかく自分の分身で優秀な子供が欲しかったのだろう。母は昔看護師をしていた。私とちなを産んでからはその仕事をやめてしまったが、私たちには看護師になってもらおうとずっと考えているようだった。

私は有名な看護大学に入学することができた。看護を勉強していくうちに、医師になりたいという気持ちが大きくなっていく自分がいた。

看護師よりも医師になりたい。そう思った私は、半ば家を飛び出す勢いで看護大学を中退すると、海外の大学に編入したのだった。家族の手の届かない場所へ逃げるように。

同じ大学を目指していたちなにも、誰にもこのことは言っていないからね。もし誰かに話したら、お母さんに連絡を入れられて強制的に連れ戻される可能性があったから。

私は今までの話をちなに伝えると、首にかけていた医師の名札を見つめていた。

「改めて自己紹介するわ。あなたの主治医である、高橋稽古子よ」

私はそう伝えて手を差し出したが、彼女はその手を睨みつけて握ろうとはしなかった。

「それも全部私を騙そうとしているんでしょ? 信じないから」

そう吐き捨てたちなは、勝手に部屋から出ていってしまった。

そして彼女は、私が行う乳癌の手術を断ったようだ。中退して海外に逃げた人に自分の手術をして欲しくないと、病院にクレームを入れたらしい。

あれからちなはこの病院に入院することになったが、その気の強い性格はまたたく間に広がった。有沙さんの優しく明るい対応にも納得がいかないのか、「自分の身の周りの世話は一流の看護師にして欲しい」とわがままを言っているとのことだった。

「癌がかなり進行していることで、精神的に不安定になっている可能性がありますね」

世話をしている看護師もかなり困っている様子だった。他の患者もちなの気の強い性格に参っていると、私にも相談してきた。

このままだと病院の雰囲気もちなの命も危ない。そう思った私は、2度目の手術の提案を試みた。

「あんたみたいな出来損ないの手で、私の病気が治るわけがない。もっと優秀な医者を連れてきなさいよ」

ちなが病室で大声をあげると、お見舞いに来ていたちなの夫が呆れたようになだめていた。

「だからその医者が、この病院では私なのよ。信じてちょうだい。姉妹じゃない」

私がそう伝えても、ちなは「この病室から出ていけ」としか言わず、私は仕方なく病室を後にした。

その日の夕方、全ての診察を終えた私は病院の屋上に向かっていた。妹は私のことを信用してくれない。このままだと妹の病気が悪化してしまう。

海外の病院でも落ち込むことがあった時、いつも屋上で景色を眺めることが多かった。ベンチに座って景色を眺めていると、後ろから足音が聞こえてきた。

「休憩ですか?」

振り返ると、そこには有沙さんの姿があった。私が頷くと、何かを察したのか私の隣に座ってきた。

「ちなさん、なかなか私たちを信じてくれませんよね」

有沙さんも困っている様子なのか、少しだけため息をついていた。

「幼い頃から、私の意見なんて聞くような子じゃありませんでした。気が強くて、他人より自分の方が優秀であると思ってるんです」

ちなは確かに病気に対しての不安はもちろんあるだろう。しかしスペシャリストに自分の手術を頼んだはずなのに、それが馬鹿にしていた姉だなんて、信じたくもないのだろう。

「ちなさんの旦那さんは、是非稽古子先生に手術をお願いしたいと言っていました。病気もかなり進行しているので、早くちなさんを説得しなければならないのですが、その説得がうまくいっていないんです」

実の姉妹なはずなのに、どうして信じてくれないのか。信頼関係を築けないなんて、医者失格だと落ち込んでいると、有沙さんが私の丸まった背中にそっと手を当ててくれた。

「ちなさんは稽古子先生にとって大事な家族で、もちろん心配ですよね。私は看護師なので先生の代わりにちなさんの手術をすることはできませんが、先生の複雑な気持ちや不安は、一緒に持ってあげられると考えています」

有沙さんの言葉に、私は彼女を見つめてしまった。

「気持ちを一緒に持ってもらう…素敵な言葉ですね」

そう言うと、有沙さんは嬉しそうな顔をしていた。

「私は、医者の気持ちも患者の気持ちにも寄り添える看護師なので」

そう言いながら有沙さんは拳を見せてくれた。

もう一度、今度は有沙さんと一緒にちなを説得しに行こう。私はそう決意したのだった。

次の日出勤をすると、ちなの病情が悪化していると有沙さんから連絡があった。急いで病室に向かうと、ちながベッドから起き上がれなくなっていた。

「手術をしましょう。そうすれば助かる道はあります」

有沙さんがちなにそう説得するが、ちなは首を縦に振らなかった。私が病室にいることに気づいたちなは、私のことを鋭く睨んでいた。

「早く私の病気を直せるスペシャリストを呼びなさいよ」

元気のない声で私にそう言うと、私はちなの顔に近づく。

「今から手術を行うわ。このままだとあなたの命が危ないの」

ちなはその言葉に強く首を横に振った。

「あなたがずっと求めている、海外で経験を積んだスペシャリストは、私なの。あなたが清掃員と馬鹿にしていた、私なのよ。私なら絶対に救うことができるわ」

私がそう説明すると、諦めがついたのか、ちなは手術をしてほしいと頷いたのだった。

「それともう1つ、これは手術と関係ないけれど…あなたは私のことをいつも馬鹿にして、見下してたみたいね。清掃員にも失礼な言い方で、ぶつかってきたじゃない。一言謝ってほしいわ」

こんな場面で言う私もおかしいが、今まで私を「出来損ない」と言って馬鹿にしてきたのだ。ちなには謝罪をしてほしい。

「出来損ないかもしれないけど…海外の大学を卒業した後は、アフリカの発展途上国で医者をしていた。色々な経験を使って、妹を助けてあげられる」

負けたような顔をしたちなが、小さく謝罪をすると、私は緊急手術を行うことを有沙さんに伝えた。

ちなの旦那さんから深くお礼を言われると、私はちなをベッドに乗せて手術室へと向かった。

「絶対に成功させるからね」

ちなにそう伝えたが、麻酔が効いてきたのだろう。いつもの嫌味らしい言葉が返ってこなかった。

手術が始まり、緊迫した空気が流れる。私はいつも慣れない。しかし隣には有沙さんの姿があった。先日屋上で励ましてくれたことを思い出して、目の前の命を救う手術を行った。

手術は無事に成功し、ちなの命は取り止めたのだ。

「本当にありがとうございます。彼女はあなたがいなかったら、助かっていなかったでしょう」

そう泣きながらお礼を言う旦那さんを横目に、ちなは不服そうな顔をしていた。

「あとはリハビリとかをしてね。人を見下す時間があったら、ちょっとは体を動かすこと」

私の言葉に一言言いたそうな顔をしていたが、手術で疲れているからか、睨みつけるだけだった。

ちなの病室から出ると、有沙さんが尊敬の目で私を見ていた。

「素晴らしい手術でした。あの気難しいちなさんを、手術すると決断させたのは稽古子先生のおかげですよ」

そう言うと周りにいた看護師たちも、私に感謝の気持ちを伝えてくれた。その気持ちが、私のこれからの医者生活の支えとなるだろう。

どんな命も見逃さず、絶対に助ける。そう決めた私は、今日も病院で診察を続けている。

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