昨日、35年かけて完済した住宅ローン。その証書を手にした翌朝、郵便受けに赤い封筒が届いた。差出人はマンション管理組合理事長・塚本茂。建物の老朽化に伴い、各世帯に300万円の特別徴収、そして月々の管理費と修繕積立金を4倍にするという臨時総会の案内だった。
夫の次郎は「おかしい」とだけ言った。私も同じ思いだった。老後の蓄えは400万円。これを払えば残りは100万円。それでも支払わなければ、という空気が総会には充満していた。
総会で次郎は理事長に食い下がった。診断会社の利害関係、300万円という金額の根拠。しかし理事長は丁寧に、しかし巧みにかわした。最後は「安全のために心を鬼にしている」という言葉で、会場の空気は賛成に傾いた。挙手による採決の結果、特別徴収と管理費改定は可決された。
払うしかない。私は息子のり太に電話をした。300万円を貸してほしい、必ず返すから。しかし電話の向こうで、り太は泣いていた。彼も事業の資金繰りに窮していて、もう後がないと言う。私の方が借りるはずだったのに、気づけば私は息子に300万円を振り込んでいた。私は次郎に黙って、老後の蓄えの全額に近い金額を。
次郎は激怒した。40年連れ添った夫婦の間に、初めて冷たい溝ができた。私は夜、リビングのソファで眠り、次郎は寝室にこもった。その後、次郎は毎日出かけるようになった。何の相談かと聞いても、はぐらかされる。胸ポケットから落ちた名刺には「ライフサポート フィナンシャル」とあった。
ある日、次郎の部屋を掃除していると、ノートの間に挟まった書類を見つけた。それは不動産担保ローン契約書。契約者は次郎。担保はこのマンションの私たちの部屋。貸付人は、あの名刺の会社。金利は表面低くても、諸経費を合わせると実質負担は重い。そして、3ヶ月滞納すれば一括返済、それが無理なら任意売却か競売。契約書の仲介担当者の欄に、管理組合理事長・塚本茂の名前があった。すべては繋がっていた。理事長が推薦する工事、その資金調達、そして手数料。私たちは外から追い詰められ、内側からは息子に金を抜かれ、最後に夫が担保に入っていた。
次郎に問い詰めると、「黙って動いたことは悪かった。だが他に方法がなかった」と。私も黙って息子に金を渡したことを指摘され、言葉に詰まった。その時、私の手が動いていた。次郎の頬に、乾いた音が響いた。二人とも言葉を失った。次郎はゆっくりと寝室へ歩いていった。その背中は、いつものようにピンとしていたが、どこか小さく見えた。
それから次郎の体は静かに蝕まれていった。紅茶すら飲まなくなり、肉は落ち、目の下には隈ができた。私は深夜の内職を増やし、食費を切り詰めた。しかし、そんな生活を続けても、ライフサポート社への返済は滞りそうになった。そして4月、ついに「期限の利益喪失通知」が届いた。担保価値が下落したから、残債全額を30日以内に一括返済しろと。できるはずがない。争うために弁護士に相談しても、形式的には合法と言われた。勝ち目はない。
5月、任意売却を求められた。業者が付けた査定額は、借金を差し引けば何も残らない額だった。6月、家を売ることになった。買い手は、リフォーム会社。その会社の名前の中に、私は「塚本」の二文字を見つけた。すべては初めから、このためにあったのだ。私はただ「ああ、そうですか」と言った。
退去の日、エレベーターは工事のため停止していた。まさに、あの特別徴収の対象となった工事。私たちはキャリーケースとボストンバッグを抱え、12階から階段を降りた。初めて歩く非常階段。2階の踊り場で、次郎のキャリーケースが倒れた。数独のノートが散らばる。次郎が胸を押さえ、壁に手をつき、そのまま崩れるように座り込んだ。私は大声で叫んだが、誰も来なかった。エレベーターが止まっている日、階段を使う人は誰もいなかった。次郎は、私の腕の中で動かなくなった。しばらくして、上の階から降りてきた誰かが悲鳴を上げた。
葬儀は小さなものだった。息子には連絡が取れなかった。私は泣けなかった。葬儀の後、私は一人で、バスで30分以上かかる古いアパートに荷物を運び込んだ。次郎の数独ノートと、あの住宅ローン完済証明書を、低い机の上に並べた。どちらも、何かの途中で止まっている。私はシワのついたままのシャツを着て、窓のない方の壁を背に座っていた。明日も、この明かりの下で目を覚ます。それだけは分かっていた。



