「お母さん、この家を出て行ってくれませんか」
晴れた朝のことでした。味噌汁を作りながら、まさか我が子からそんな言葉を聞く日が来るとは、夢にも思っていませんでした。
65歳になり、私は息子とその妻ミカと一緒に暮らしています。毎朝5時半に起きて、家族の朝食を作るのが日課でした。主人を35年前に亡くしてから、必死に働いて一人で息子・ケンジを育て上げたのに……。
その日も、だしの香りが漂う台所で、得意なだし巻き卵を丁寧に焼いていました。しかし、食卓に着いた二人の様子は明らかにいつもと違いました。「おはよう」と声をかけても、二人とも目も合わせようとしません。ミカはスマホをいじり続け、ケンジは新聞に夢中で、まるで私など存在しないかのようでした。
重い沈黙の中、箸の音だけが響きます。いつも「おいしい」と言ってくれるケンジが、今日は一言も話しませんでした。食事が終わりかけのときでした。
「母さん、話がある」
ケンジが顔を上げ、私をじっと見つめました。その目には、今まで見たことのない冷たい光が宿っていました。
私は箸を置き、背筋を伸ばしました。胸の奥に、どす黒い痛みが広がります。まさか、この後に続く言葉が私の人生を一変させることになるとは、その時の私には知る由もありませんでした。
ケンジが7歳のとき、主人が亡くなりました。「パパはいつ帰ってくるの?」その日、私は幼い息子を抱きしめながら、涙を堪えました。それからというもの、私は銀行で働きながら、朝早く出て夜遅く帰る毎日。それでも「ケンジを立派な人間に育てる」と心に誓って頑張ってきました。
大学受験の予備校代に年間100万円。4年間の学費と生活費を合わせると600万円以上。そんな犠牲も、ケンジが就職先で輝く笑顔を見た瞬間、報われたと思いました。そして8年前にミカと結婚したときには、家の頭金800万円を援助しました。「母さんのおかげで、夢のマイホームが持てるよ」というあの日の言葉を、今でも鮮明に覚えています。孫が生まれてから5年間は、保育園の送り迎えから病気の世話まで、すべて私が引き受けてきました。ミカが仕事を続けられたのは、私の支えがあってこそのはずでした。
退職した後も、私は家族のために尽くし続けました。それが家族の幸せにつながり、私自身の喜びでもありました。
しかし、息子の口から出た言葉は、そんな私の献身を容赦なく踏みにじるものでした。
「母さん、俺たちもそろそろ自立したいんだ」
信じられない言葉に、耳を疑いました。
「何を言ってるの? 自立ってどういうこと?」
私が尋ねると、ようやくミカが顔を上げました。その表情は、まるで汚いものを見るような軽蔑に満ちていました。
「お義母さん、私たちももう40過ぎなんですよ。いつまでも親に頼ってはいられません」
混乱しながらも、私は冷静に尋ねました。
「じゃあ、具体的にどうしたいの?」
二人は顔を見合わせました。そして、ケンジが決心したように口を開きました。
「実は、ミカの両親をこの家に呼びたいんだ。向こうも年を取ってきて、一緒に暮らした方がいいと思って」
私は言葉を失いました。
「あなたのご両親はこの家に住んでるけど、もう三人だけで手一杯なんだ。それなのに、どうして二人も増やせるわけがないだろう? だから、母さんには別の場所に移ってもらえないかと思って」
ケンジは、それが当然のことのように淡々と話しました。
「別の場所って?」
「近くのアパートを借りて、そこで暮らしてほしい。もちろん、完全に縁を切るわけじゃない。週に一回か二回、会うこともできるから」
週に一回か二回。私はまるで他人扱いされるかのようでした。膝の上で震える手を、必死に握りしめました。
「でも、生活費はどうするの? 私の年金で足りるの?」
「うん、毎月10万円は援助するから。それで足りるだろう」
10万円。これまで費やしてきた労力とお金を考えれば、実に哀れな提案でした。しかし、ミカはさらに事態を悪化させました。
「ただし、条件があります。お義母さんには、週に数回ここに来て、掃除と洗濯を続けてもらいます。もちろん、お友達の世話もお願いしますね」
耳を疑いました。家から追い出しておいて、都合のいい時だけ家政婦のようにこき使うつもりなのでしょうか。
「何か問題でも? 今までと同じことを続けてもらうだけですよ。ただ、寝泊まりする場所が変わるだけです」
ミカの話し方は、私が理不尽なことを言っているかのようでした。ケンジもそれに同意します。
「母さん、これは家族全体のための決断なんだ」
「ミカのご両親も、私と同じくらい大切なんだ」
そう言う二人の態度は、私への扱いとはあまりにもかけ離れていました。
ミカが続けました。
「それに、お義母さんも年でしょ? 私たちの生活に干渉しすぎなんですよ。料理の味付けから掃除の仕方まで、いちいち口出しされて、正直うっとうしいんです」
うっとうしい。5年間、家族の健康を考えて毎日作ってきた食事が、迷惑だったと言うのでしょうか?
「それに最近、物忘れも増えてきたでしょ? この前なんて、焼き魚に醤油の代わりにみりんをかけちゃったじゃないですか」
そんなこと、一度もありません。明らかな作り話でした。しかし、ケンジは妻の言葉を真に受けたようでした。
「母さんも確かに変わったよ。同じ話を何度もするし……もしかしたら認知症の始まりかもしれない。病院で検査してもらった方がいいんじゃないかな」
息子の言葉は、明らかに私を貶めるためのものでした。元銀行員の私は、数字や細かいことに関しては誰よりも正確だと自負していました。今でも「メモリーマン」と言われるほどです。
「私は大丈夫よ。心配しないで」
「でも、お義母さん、私たち心配してるんですよ。もし何かあったら、私たちが責任を取らなきゃいけないですからね」
あらゆる責任を背負ってきた私が、今度は厄介者扱いされるなんて。二人はまるで最後通告のように言い放ちました。
「できれば来月中には出て行ってほしい。アパートは自分で探してください。保証人にはなりますから」
まるで私に恩を着せるような空々しい言葉に、心が凍りつきました。
「あ、そうだ」ミカが思い出したように付け加えました。「外出は週に2回までにしてください。私たちがいない間に、勝手に人を家に入れられたくないので。鍵も返してもらいますから。老人会みたいな時代遅れの集まりは、もう必要ないですしね。正直、お義母さんの友達が家に来ると迷惑なんです。この前なんて、私がお茶を出さなきゃいけなかったし」
今まで客人が来たら、私がいつもお茶を出していたのに。ミカが奪っただけでした。
「お義母さん、買ってきてくれますよね?」
「これは私たちにとっても大変な決断だったんです」
大変な決断。私を追い出すことが? それに、最近のミカは私のことを「お義母さん」とも呼ばず、まるで邪魔者扱いしています。
「あ、そうそう。正直、お義母さんの部屋の匂いも気になってたんです」
「匂い? そんなことないでしょ?」
「私の友達も嫌がってますから。……あの子、昨日も『おばあちゃん、いい匂いするね』って抱きついてきたのに」
嘘でした。それでもミカは続けます。
「だから、離れて暮らした方がお互いのためなんですよ。適度な距離を保てば、関係も良好に保てますからね」
表面上は私を気遣う言葉でも、その目は冷たく、早く出て行けと言っているのがわかりました。ミカはテーブルの上にパンフレットを並べました。
「あと、介護施設の資料も集めておきました。まだ入居できる年齢じゃないけど、長い目で見ればお義母さんのためにもなると思いますから」
そこには、月30万円以上もする高級介護施設ばかりが並んでいました。
「でも、費用は……」
「あ、費用はお義母さんの貯金と退職金で何とかなりますよ。元銀行員ですから、かなり貯蓄があるでしょう?」
驚きました。彼らは私の退職金を当てにしているのです。
そして、ついに決定的な言葉が放たれました。
「じゃあ、はっきり言いますね」
ミカが立ち上がり、私を見下ろしました。その目には、もう隠そうともしない嫌悪の色が浮かんでいました。
「今すぐ、出て行ってください」
その言葉は、鋭い刃物のように私の心を切り裂きました。今すぐ。来月ではなく。
「ミカ、それはあんまりだわ。私たち、長い間やってきたじゃない。これまでお義母さんのペースに合わせて好きにやらせてきたけど、もう限界なんです」
ミカの声はヒステリックに甲高く響きました。ケンジは黙ったまま下を向いています。
「ケンジ、あなたからも何か言ってよ」
私がすがるように言うと、ケンジはゆっくりと顔を上げました。その表情は、まるで赤の他人を見るかのように冷たかったのです。
「母さん、もう正直うんざりなんだ」
その言葉で、私は凍りつきました。
「俺たちはもう別々の人生を歩んでるんだ。母さんには母さんの人生がある。俺たちには俺たちの人生がある。無理に一つにする必要はないんだよ」
「でも、私たちは家族でしょ?」
私の問いに、ケンジは首を振りました。
「家族って何? 血が繋がってるだけで、家族になれるわけじゃない。価値観も生活スタイルも違う。一緒にいても意味がないんだ」
「あなたを育てるために、どれだけのことをしてきたと思ってるの?」
「それは母さんが勝手にやったことだろ。俺は頼んでない」
その言葉は、私の35年間の努力を完全に否定するものでした。頼んでない。私はただ、母親として当然のことをしただけなのに。
「子育ては親の義務だ。そんなことで恩を着せられたくない」
「私は誰かに恩を着せようなんて思ったことはないわ」
「じゃあ、なんで今さらそんな話を持ち出すんだ? いつまでも昔のことをくどくどと……正直、うんざりしてるんだよ」
ケンジの口調は、ますます激しくなっていきました。溜め込んでいた鬱憤を、今になって全て吐き出しているかのようでした。
「私たちはモダンな家族を目指してるんです。お義母さんみたいな古臭い価値観の人に、いてもらっては困ります」
ミカが追い打ちをかけます。
「そうだよ。新しい形の家族を築きたいんだ。お義母さんがいる限り、それは無理なんだよ。それに、友達の教育にも悪いし」
「そうよ。あなた、子供を甘やかしすぎなのよ。許可もなくお菓子を与えたり、私たちの教育方針を無視したり……正直、邪魔なだけです」
邪魔。私は厄介者なのです。
「だから、縁を切りましょう」
ミカの言葉に、私は息を呑みました。縁を切る。それは完全な絶縁を意味していました。
「法的にも、親子関係なんて必要ないでしょ? 相続とか複雑なことは考えたくないし。もう、完全な他人になりましょうよ」
「ミカさん……」
「お義母さんって呼ばないでください。私たち、もう家族じゃないんですから」
「そうだよ。もうお母さんって呼ばない。今日から俺たちは他人だ」
この42年間、愛情を注いで育ててきた息子が、私のことを名前で呼びました。そして、距離を置いたような、ほとんど他人行儀な態度で言いました。
「荷物をまとめて、明日の朝までに出て行ってくれ。必要なものだけでいい。残りは処分するから」
処分。形見だって……。
「思い出の品なんて、ただの思い出だろ? 持ってたって意味がない。昔に囚われてるから、前に進めないんだよ」
その言葉は、私の思い出のすべてを、価値のないゴミのように扱うものでした。
「写真も手紙も全部処分してください」
「私たちは新しく始めたいんです」
ミカが最後の一撃をくれました。
「もう二度と連絡してこないでください。私たちの友達に紹介することもありません。あなたはもう、私たちの家族の一員ではないんです」
私は黙って、二人を見つめることしかできませんでした。親子の絆は、こんなにも簡単に断ち切られるものなのでしょうか。
その瞬間、私の中で何かが変わりました。悲しみでもなく、怒りでもなく。もっと静かで、澄んだ何かが生まれました。
私は静かに微笑みました。
「わかったわ」
私の返事は、驚くほど穏やかでした。ケンジたちは、私の反応に戸惑っているようでした。おそらく、私が泣いてすがりつくと思っていたのでしょう。
「本当にわかったの?」
疑わしそうにミカが尋ねました。私は静かにうなずきました。
「ええ、よくわかりました。明日の朝には出て行きます」
それだけでした。何の抗議もありません。ケンジも不安そうにしていました。
私は微笑んだまま立ち上がりました。
「文句を言ったところで、何も変わらないでしょう? あなたたちの決意は固いようですし、私も無理強いはしませんから」
そう言って、私は部屋に戻りました。背中に感じる二人の困惑した視線を背に、まずは深呼吸を一つ。この家で過ごした42年間の記憶が、走馬灯のように蘇ってきます。
でも、感傷に浸っている暇はありません。私は静かに、着実に準備を始めました。
まず、クローゼットから無地のバッグを取り出し、最低限の服と洗面用具を詰めました。しかし、本当に大切なものは別にあります。私は机の引き出しを開け、重要な書類を確認しました。
通帳、秘密の書類、そして息子たちさえ知らない数々の書類。最も重要なのは、この家の所有権証明書でした。
実は、この家が建つ土地は、亡き主人が私に残してくれたものなのです。建物は私の名義ですが、土地もやはり私の名義です。そして、私は住宅ローンの連帯保証人でもありました。長年銀行で働いてきた私は、契約や法律上の権利について人並み以上に詳しかったのです。ケンジは、その重要性をまったく理解していませんでした。
次に、もう一つの封筒を取り出しました。中身は、ある会社の株式証明書です。実は、主人の生命保険金と自分の退職金を元手に、長年コツコツと投資をしてきたのです。その結果、現在ではかなりの資産を築いていました。
もちろん、ケンジにもミカにも一切話していません。質素な生活をしてきたので、私がそんな資産を持っているとは夢にも思っていないでしょう。私はすべての重要書類をバッグに詰めました。
そして、パソコンを開き、いくつか手続きを始めました。
まず、銀行口座の変更手続きです。この家の光熱費と住宅ローンの支払いは、すべて私の口座から自動引き落としされていました。私はそれをすべて停止しました。
次に、保険会社に連絡です。火災保険と地震保険の受取人を変更しました。もちろん、ケンジの名前は外しました。これが最も重要な手続きでした。
そして、大手企業の役員を務める親友・佐藤さんにメールを送りました。実は、この佐藤さんは、ケンジが勤める会社との取引において重要な役割を担っている人物なのです。
「お久しぶりです。実は、息子のことについてお話ししたいことがありまして。近いうちにお会いできませんか?」
返事はすぐに来ました。
「もちろん、いつでも時間を調整しますよ。何かあったんですか?」
私は状況を正確に説明しました。佐藤さんからの返信を読んで、少し安心しましたが、作業は続けます。
部屋を丁寧に片付けながら、一つの写真を見つけました。ケンジの幼い頃の写真です。運動会で一等賞になったときの誇らしげな笑顔、大学の入学式での凛々しい姿、結婚式での幸せそうな表情。
しかし、それらはもう過去のもの。私はその写真を机の上に置きました。
「処分したければ、処分すればいい。でも、私の心の中の思い出は、誰にも消せない」
準備がすべて整ったのは、午前2時を少し過ぎた頃でした。私は小さなバッグ一つだけを持ちます。しかし、そこには今後の人生に必要なものがすべて詰まっています。
最後に、一枚の紙を取り出しました。そこには、綺麗な字でこう書きました。
「今までお世話になりました。お元気でお過ごしください」
恨み言も、未練も書きませんでした。ただ、儀礼的な挨拶だけ。
翌朝、いつも通り5時に目が覚めました。でも、今日は朝食を作りません。私は静かに身支度を整え、バッグを持って玄関へ向かいました。途中、リビングを通りました。42年間、家族の団欒の場だった空間。しかし、ここはもう私の場所ではありません。
玄関で靴を履きながら、最後にもう一度だけ振り返りました。そして、静かにドアを閉めました。不思議と、清々しい気持ちでした。
後日、私が家を出た後の3日間、息子夫婦が置かれた状況を、人づてに聞きました。
初日は、どうやら平穏だったようです。ケンジもミカも、私がいなくなったことにただ取って代わられたという顔で、普段通りの生活を送っていたのでしょう。
しかし、それは長くは続きませんでした。最初の異変は、2日目の朝に起きたと聞いています。
「なんで引き落とされていないんだ?」
ケンジの慌てた声が響きました。銀行からの通知で、住宅ローンの引き落としがされていないことを知ったのです。ケンジが銀行に問い合わせると、衝撃の事実を知らされました。
「申し訳ございません。口座引き落としの変更手続きがされておりまして、新しい口座が登録されていない状態です」
「誰が変更したんですか?」
「恵子さまです。2日前に、オンラインで手続きが完了されています」
ケンジは言葉を失ったようです。私が口座の自動引き落としを停止するなんて、想像もしていなかったのでしょう。
「でも、なぜ母が……」
さらに、ケンジは驚くべき事実を知ることになります。
「あの、恐れ入りますが、このローンの連帯保証人は恵子さまですよね?」
連帯保証人。私が当然のように引き受け、ケンジも当然のように頼んできた、その意味を彼は考えたことがなかったのでしょう。
「はい」
「ですから、もし引き落としができない場合、連帯保証人である恵子さまにご連絡することになりますが……あの、ちょっと待ってください。母に連絡が取れないんです」
銀行員の声が、ふと冷たくなりました。
「ご連絡が取れないのですか? それは問題ですね。もし支払いが滞れば、延滞扱いになりますが」
ケンジはその場で必死に振り込みをしました。しかし、これは始まりに過ぎませんでした。
家に帰ると、さらなる問題がケンジを待っていました。
「電気が止まるって!」
ミカが青ざめた顔で通知書を見せたと聞きました。電気代の未払いの通知でした。
「なんで自動引き落としになってないの?」
調べてみると、電気・ガス・水道の自動支払いがすべて停止されていました。そして、それらの契約はすべて私の名前だったのです。
「まさか、母さんが全部払ってたのか……」
ケンジは、私がどれだけの経済的負担を担っていたのかを、ようやく理解したようでした。しかし、後悔はありませんでした。
その日の夕方、さらなる爆弾が投下されました。ケンジの会社から、携帯電話に連絡が入ったのです。
「ケンジ君、ちょっと来てくれないか」
上司の声は、異常に厳しかったと聞きました。会社に到着したケンジは、社長室に通され、そこに私の親友である佐藤さんがいました。佐藤さんは、ケンジの会社にとって最も重要な取引先の役員です。
「ケンジ君のお母さんから、面白い話を聞いたんだ」
佐藤さんの表情は、氷のように冷たかったと聞きました。
「君が母親を捨てたという話だ。42年間の育ての恩を忘れて、5回も」
佐藤さんは、私が送ったメールのコピーを5回も見せたそうです。
「君のお母さんは、俺の古い友人なんだ。銀行にいた頃からの付き合いだ。君を育てるために、彼女がどんな苦労をしてきたか、君には想像もできないだろう。……こんな非道な人間と、これ以上取引を続ける気はない。申し訳ないが、契約は白紙にさせてもらう」
「待ってください! それは仕事と関係ない話でしょ!」
「関係あるんだよ。親を大切にできない人間が、取引先を大切にできるはずがないだろう」
社長もそう言って、佐藤さんの意見に同意したそうです。
3日目の朝、ケンジとミカは完全にパニック状態でした。
「どうするのよ! ローンの支払いもできないし、光熱費も払えないし、あなた職も失くすんでしょ!」
「母さんに連絡しないと……」
しかし、私はもう携帯電話の契約を解約していました。ケンジは必死に私を探し始めたそうですが、もちろん見つかるはずもありませんでした。
さらに追い打ちをかけるように、ミカの両親から電話がありました。
「お前たち、お義母さんを追い出したんだって?」
ミカの母の声は、怒りで震えていたそうです。
「お母さん、そんな……」
「親を大切にできない娘に育てた覚えはないわ。そんな家に、私が行けるわけないでしょ」
結局、ミカの両親も同居を拒否しました。
3日目の午後、二人はリビングで泣き崩れて座り込んだそうです。
「どうしてこんなことになったんだ……」
その言葉は、空しく響いたことでしょう。そして、私が置いていった写真が目に入ったそうです。幼いケンジの笑顔が、今の状況を静かに見つめているかのようでした。
「お母さんはどこにいるの?」
ケンジの声は、消え入りそうだったそうです。
しかし、もう遅いのです。自分たちで断ち切った絆は、そう簡単に修復できるものではありません。私は「因果応報」という言葉の意味を、身をもって知りました。
一ヶ月後、私は湘南の海を望む高級マンションのリビングで、紅茶を楽しんでいました。大きな窓から差し込む朝日が、部屋全体を黄金色に染めます。今日もいい天気です。誰かのためでもなく、自分のために紅茶を淹れました。
ここでの生活は、想像以上に快適でした。朝はビーチを散歩し、午後は読書や音楽を楽しみます。夕方には、新しい友人とお茶を楽しみます。誰かに気を遣うこともなく、自分のペースで過ごせる毎日。これが本当の自由というものでしょうか。
そんな平和な朝、スマートフォンに一通のメールが届きました。差出人はケンジでした。
「お母さん、何とか連絡先を見つけました。お願いです。一度だけ会ってください。謝りたいことがあります」
私は感情を抑え、読み続けました。
「本当に申し訳ありませんでした。お母さんの大切さは、いなくなって初めてわかりました。ミカも反省しています。友達もおばあちゃんに会いたがっています」
友達を出してくるあたり、必死さが伝わってきます。しかし、私の心は動きません。
「実は、金銭的にも苦しくなってきまして。仕事も失いそうで、ローンの支払いもできなくなりそうです。お母さん、助けてください。お金を貸してください。いや、お願いです、家族に戻ってください」
結局、最後はお金の話でした。私は小さくため息をつきました。
「ケンジへ。メールありがとう。でも、私たちはもう家族じゃないわ。あなたが言った通り、縁を切ったのだから、お金の援助はお断りします。自分たちで何とかしてください」
送信ボタンを押すのに、一瞬の迷いもありませんでした。
実は、私が所有していた資産は、ケンジが想像していたよりもはるかに大きかったのです。主人は私に3000万円の生命保険を残してくれました。それを元手に、私は銀行員としての知識を活かし、リスクを最小限に抑えながら資本を着実に増やしてきました。さらに、定年時の退職金が2000万円。企業年金と合わせれば安定した収入があります。そして、株式や債券の資産は、この30年で2億円以上にまで膨らんでいました。合計すると、約3億円の資産があったのです。
もちろん、ケンジにもミカにも一切話していませんでした。私が質素な生活を続けてきたのは、お金がなかったからではありません。本当に大切なものは、お金では買えないと知っていたから。家族の絆、愛情、思いやり。私はそれを信じてきたのです。しかし、ケンジたちは与えられた贈り物を、ただ捨ててしまいました。
数日後、またケンジからメールが届きました。今度は、もっと切迫した内容でした。
「お母さん、本当にヤバいんです。家を失いそうです。ミカと離婚することになりました。お願いです。せめて連帯保証人を外してもらえないでしょうか」
連帯保証人。私はその重みを、身に染みて味わいました。今になって、その重要性に気づいたのでしょうか。
私は弁護士に相談しました。
「法的には、連帯保証人を一方的に外すことはできません。ただし、債務者である息子さんが支払いを滞らせた場合、請求はあなたに来ます」
「わかりました。その時は、きちんと対応します」
私には十分な資産があります。最悪の場合、支払ってその家を私の名義にすることもできます。しかし、それはケンジのためではありません。私自身の信用のためです。
さらに数日後、今度はミカからメッセージが届きました。
「お義母さん、本当に申し訳ありませんでした。私が間違っていました。どうか許してください」
内容は簡潔でしたが、意味はわかりました。ケンジとの関係が悪化し、頼れる人がいなくなったから、私に連絡してきたのでしょう。
「ミカさん、あなたが『家族じゃない』と言ったのは、あなた自身でしたよね。私もそれを受け入れました。今さら何を言っても遅いです」
私の返信は、すぐに既読になりましたが、それ以上の連絡はありませんでした。
ある日、久しぶりに佐藤さんとランチを楽しみました。
「お元気そうで、何よりです」
「ええ、いろいろと助けていただいて、感謝しています」
「いいえ、私はただ事実を言っただけです。しかし、あなたがそんな資産を持っていたとは驚きでした」
私は微笑みました。
「銀行員として、お金の大切さは誰よりもわかっているつもりです。でも、お金よりも大切なものがあることも、知っています」
「失うのは辛かったでしょう」
「ええ、でも後悔はしていません。これは、私が選んだ道ですから」
佐藤さんは深くうなずきました。
「あなたは強いですね」
「でも、一人で何でも抱え込まないでください。何かあれば、いつでも相談してください」
「ありがとう。でも、私は大丈夫です。むしろ、今の方が幸せかもしれません」
それは、私の正直な気持ちでした。今、私には本当の友達がいます。老人会で出会った友人たちは、血の繋がりはなくても、心から信頼できる人たちばかりです。ほぼ毎週集まって、楽しい時間を過ごしています。先日も、みんなで箱根の温泉に日帰り旅行に行きました。
「恵子さん、本当にお若いわね」
友人の言葉に、私は思わず顔がほころびました。確かに、ストレスから解放されたせいか、最近は肌の調子もいいし、体も軽く感じます。そして何より、自分の人生を自分で決められる喜び。これは、誰にも買うことのできないものです。
ケンジから最後に届いたメールには、こう書いてありました。
「お母さん、家を失いました。仕事もクビになりました。ミカとも離婚します。すべて、私の自業自得です。本当に、本当に申し訳ありませんでした」
そのメールを読んで、私は複雑な思いでした。哀れだとは思います。しかし、私たちが再び一緒に暮らすことはないでしょう。あなたたち自身が、親子の縁を断ち切ったのですから。そう心の中で思いました。
因果応報。自分の行いは、必ず自分に返ってくる。ケンジは、その教訓を身をもって学んだことでしょう。
私は窓の外を見つめました。今日も湘南の海が美しく輝いています。これが、私が選んだ人生。誰にも縛られず、誰にも頼らず、自分の力で生きていく人生。
65歳。人生は、まだまだこれからです。



