「ねえ、これってゴミでしょ?捨てるね。」
教室に入った瞬間、クラスのボスである社長令嬢・山下さんが、俺の筆箱やファイルを鼻で笑いながらゴミ箱に放り込んだ。中学から使っていた、くたびれた文房具たち。それを「雰囲気に合わないから」と言って、ゴミを重ねるように捨てていった。
「貧乏だから新しいの買えないんだよね。かわいそうに」
周りではクスクスと笑い声が起きる。俺は何も言えなかった。私立の名門校に、成績優秀で学費免除になる特待生として入学したのはいいが、そこは金持ちの子ばかり。母子家庭で育った俺は、毎日片身が狭い思いをしていた。
どうしてこんな学校に来てしまったのか。中学の担任に「お前の成績なら特待生になれる」と熱心に勧められ、将来のためだと自分に言い聞かせて決めた道だった。俺を一人で育てた母は、正社員の仕事に加えて夜もパートに出ていた。母を困らせてはいけない。そう思って必死に勉強してきた。それが報われると思ったのに。
「大竹君、使う?」
泣きそうになるのをこらえて立ち上がった時、前田さんという女子生徒がシャーペン数本と消しゴムを差し出してきた。地元のお嬢様らしいが、流行に流されず、いつも一人で静かに本を読んでいる大人びた雰囲気の子だった。
「ありがとう。でも、今度買うから…」
「時間もないし、いいから使って」
お礼を言っても、彼女は軽く微笑むだけ。そんな態度に、なぜか感心してしまった。だが、その日から状況が変わった。
「前田さんさ、なんで大竹君に同調なんかするの?気持ち悪い」
山下さんが前田さんに噛みついた。そして、嫌がらせの標的は俺から前田さんに移ってしまった。「偽お嬢様」「ダサい」「古臭い」と、毎日のように陰口を叩かれ、笑いものにされた。
「前田さん、ごめん。俺のせいで」
「あ、別に誰のせいでもないっていうか。こういう時もあるんじゃない?」
彼女は、動じることなくそう言った。かっこよかった。それまでの人生で初めて、胸のすく思いをした気がした。俺は彼女に憧れ、物事に固く構えず穏やかに受け止められる人間になろうと、残りの高校生活を過ごした。
時は流れ、俺は特待生として大学に進学し、返済不要の奨学金を得て勉強に励んだ。卒業後はIT企業に就職。地道に働き、目標を一つずつ達成していくうちに、10年の月日が経っていた。
その年の初秋、高校の同級生から結婚式の招待状が届いた。同じ部活で汗を流した仲間だ。俺は軽い足取りで式場へ向かう。
「大竹君、お久しぶりです」
最初に声をかけてきたのは、前田さんだった。その後、次々と懐かしい顔と再会する。そして、あの山下さんもいた。キラびやかなドレスに、美容院でセットした髪型。彼女は俺を見つけると、すぐに近づいてきた。
「何?ちゃんと社会人になれるようになったの?貧乏人から脱出したとか」
昔と変わらない見下した笑顔。俺は刺激しないよう、そっけなく答えた。彼女の周りには仲の良かった連中が集まり、自慢話や近況報告が始まる。SNSの運用をしているとか、親の財産で遊んで暮らしているとか。仕事をせず自由に生きている彼女には、いつも余裕があった。
「ねえ、大竹君は何してるの?仕事は何?」
彼女が俺に話を振った。どうせ大したことないと思っているのが、その表情から分かる。あ、一応会社を経営してる。退職して独立したからね。
周囲から軽くどよめきが起きた。しかし、山下さんだけは見下した笑みを浮かべて続けた。
「どんな貧乏会社してるの?社長ですって言っても、大竹君だけしかいない会社とか?」
いや、そういうわけでもないかな。俺は何の気なしに、会社名を告げた。
「株式会社、大竹テック、です」
その瞬間、山下さんは固まった。
「は?嘘でしょ?」
本当だよ。まあ、自分でも会社が大きくなったのは運が良かったと思ってる。俺が3年前に起こした会社は、IT業界で大手と肩を並べるまでになっていた。そして、それは彼女の父親の会社の一番の顧客であり、大株主でもある会社だった。
「世の中は狭いよね」
引きつった顔で、山下さんはそれ以上何も言わなかった。彼女も、俺が言っていることの意味を十分に理解していたのだろう。
結婚式が始まり、招待客は席につく。俺は山下さんのグループと近いテーブルに案内された。それぞれが近況報告を始める。私は今、少人数でマーケティング会社をやってる。私は公務員になったよ。来年から別の役所に異動するんだ。私は大学病院を退職して、知り合いとクリニックを経営してる。
華やかだった山下さんのテーブルは、山下さん以外が今でも華やかだった。高校時代は彼女が仲間を引き連れている感じがあったが、今は完全に逆転している。仕事の話に熱中している仲間たちに引け目を感じるのか、彼女は俯いて携帯をいじるばかりだった。
やがて彼女は席を立ち、化粧直しに行った。携帯をテーブルに置いたまま。
「おい、なんだよこれ」
その時、グループの中にいた男の一人が笑い声をあげた。酔っているようだ。
「みかちゃん、来週はスイートを予約してあるよ。ディナーは君のお気に入りのお店にしよう。だって」
男は、山下さんの携帯を周囲に見せて回った。どうやら、席を立った直後にメッセージが届いたらしい。間違えて彼女の携帯を触ってしまったのだ。
「アイコンが、おっさんの自撮りだよ。これってさ、彼氏とかじゃなくてパパとか…本物のパパじゃない方のパパだろ、これ」
男は笑いが止まらないようだった。そして、そこへ山下さんが戻ってくる。
「おい、山下。今ってパパ活が仕事なの?スマホ間違えて、パパからのメッセージ見ちゃったんだよね」
血の気が引いていくのが分かった。男はもう一度、周囲にメッセージを見せて読み上げて回る。
「パパと週末はホテルのスイートで楽しむんだって。笑えるな」
「やめて」
山下さんはとんでもない勢いで男から携帯を取り返すと、そのまま友人たちの制止も聞かずに会場を飛び出していった。結局、彼女が戻ってくることはなかった。ちょっとした騒動は、新郎新婦の登場前に収まった。
2次会の会場で、俺は前田さんを探した。結婚式では席が離れていて、昔のお礼を言うことができなかったのだ。
「前田さん」
後ろ姿に声をかけ、そのまま近くの椅子に腰かけて話す。
「さっきは、慌ただしかったね」
「ね、ちょっとびっくりした」
「あのさ、前田さんにお礼しようと思ってたんだ。昔、俺を助けてくれたでしょ。シャーペン貸してくれて、その後も俺を…かばってくれた」
「ああ、そういうこと。いいんだよ。別に、もう昔のことでしょ」
昔話と今のことを話しながら、俺たちは2次会の後に飲みに行った。特別な話題がなくても、彼女との会話は心地よく続いた。最後に連絡先を交換し、気持ちよく別れた。
それからしばらく、俺は前田さんと連絡を取り合い、時には飲みにも行った。そして彼女の誕生日が近いと知り、遊園地のチケットを手配した。彼女が話のなかで行きたいと言っていた場所だ。
「あのさ、俺からの誕生日プレゼントだと思って。それで、できたら、彼女として一緒に行ってもらえるかな?」
前田さんは驚くと、小さく頷いた。そして、ゆっくりと話し始めた。
「私、本当は高校卒業する時に思いを伝えようとしてたんだ」
俺への告白が返された。彼女は丁寧に教えてくれた。あの学校に行くつもりはなかった。でも、両親に周りに勧められて行ったけど、最初は本当は自分の行きたいところへ行くべきだったと後悔してた。お金持ちの学校のイメージそのままに、独特の息苦しさが漂っていた。でも、大竹君のように真っ直ぐで、自分を貫ける人もいるって分かって、それが自分の励みになったと。
山下さんからの嫌がらせに屈せず、自分の道を全うしようとする俺が、彼女の支えになっていたらしい。そんな思いを伝えられないまま、卒業して離れてしまった。そして、今度こそ何も言えなかったら後悔すると。
「うん。ずっと好きでした。今でも。お付き合い、私からもお願いします」
彼女から差し伸べられた手を、俺は取った。どちらともなく微笑んで、俺たちは遊園地に行く日を待ちわびた。
あれから、俺は前田さんと彼氏彼女になり、遊園地での最初のデートを楽しんだ。再会のきっかけは同級生の結婚式で、そこにはあまり嬉しくない騒動もセットだった。しかし、結果的に最高の幸せを手に入れたのだから、あの結婚式はご縁の場所だった。
一方、その騒動の主人公・山下さんはどうなったか。個人的な好奇心で、知り合いに事情を聞いてみた。
「ああ、今は本当のパパに知られて、家を追い出されたそうだよ。どこかで初めて働いて、貧しく暮らしてるらしい」
知り合いは苦笑いしながら教えてくれた。山下さんは元々、親から呆れられていたらしい。大学卒業後は就職もせず、花嫁修業と称して親の財産を食いつぶし、そのうちインフルエンサーを気取って本当に好き勝手していた。挙句の果てにパパ活が実の父親の知るところとなり、激怒した父に勘当されたという。
「り子、これでどう?」
「うーん。やっぱり濃い色の方が似合うかな」
俺は今、彼女との結婚式に向けて準備をしている。会場を選び、衣装を選び、披露宴では何をするか考える。入籍は済ませていて、彼女とはすでに夫婦として生活している。派手なことは何もしていないが、二人の家庭は幸せで、毎日が楽しい。これからも何も変わらず、周囲に感謝しながら、温かい家族を築いていきたい。



