「母さん、今年も年末は嫁の両親も一緒に実家に行くから、よろしく頼むよ」
スーパーの買い物カートを押す手が止まった。年末の賑わいの中で、携帯から聞こえたのは息子・順からの一方的な通告だった。
「今年も…? 去年と同じように?」
震える声で聞き返すと、順は当然のように言った。「そうだよ。去年と同じ。母さん、どうせ保険の仕事も年末は休みでしょ。暇なんだから大丈夫だよね」
暇。その一言が胸に突き刺さった。39年間、雨の日も風の日も顧客のために走り続けてきた人生を、たった一言で否定された気がした。
去年の悪夢が鮮明に蘇る。朝早くから8人分の朝食準備。休む間もない家事と掃除。深夜1時まで続く後片付け。まるで無給の家政婦のように扱われた5日間。
電話を切った後、私はスーパーのベンチに座り込んだ。68歳の私が、なぜこんな扱いを受けなければならないのか。
思い返せば、順のために私は全てを捧げてきた。夫が病気で働けなくなってからは、保険外交員として必死に働き、順を大学まで行かせた。教育費だけで800万円。さらに結婚の時には、マイホームの頭金として500万円を援助した。
「お母さんのおかげで今の僕がある」
あの時は涙を流しながらそう言ってくれた。その言葉を信じて、私は老後の蓄えまで削って援助したのだ。
しかし、去年の記憶が全てを否定していた。
「お母さん、おせち料理まだできないの?」「洗濯物また溜まってるよ」「この味噌汁、薄くない?」
朝から晩まで、雇われ家政婦のような扱い。特に嫁の雪は、自分の両親には「お母様」と丁寧に接するのに、私には「ちょっとこれやっといて」と命令口調だった。
最も辛かったのは、雪の母親が言った言葉だった。
「藤子さんって、本当に働き者ね。うちにもこんな人がいたら助かるわ」
まるで使用人を褒めるような口調だった。39年間地域の人々の生活を支えてきた保険外交員としての誇りも、母としての尊厳も、あの5日間で完全に踏みにじられた。そして、今年もまた同じ屈辱が待っているのか。
12月19日の朝、約束通り息子一家が到着した。玄関のチャイムが鳴り、私が迎えると、大量の荷物を抱えた8人が立っていた。
「お母さん、荷物運んで」
順は挨拶もそこそこに、重いスーツケースを私に押し付けた。68歳の私には堪える重さだったが、誰も手伝おうとはしない。
「藤子さん、今年もよろしくね」
雪の両親、田中夫妻が上品な笑顔で言った。しかし、その笑顔の裏には明らかに私を見下すような冷たさがあった。
リビングに案内すると、雪の母親がソファに座るなり言い放った。
「藤子さん、コーヒーはブルーマウンテンでお願いね。インスタントなんて飲めないから」
私の家にブルーマウンテンなどあるはずもない。慌てて近所のコーヒー専門店まで走ったが、年末で品切れ。結局別の高級豆を買って戻ると、今度は雪の父親が不満げに言った。
「この家、随分狭いね。東京じゃこんなもんか」
我が家は決して豪邸ではないが、夫と2人で築いてきた大切な家だ。その思い出の詰まった家を、初対面の人間にけなされる屈辱。
夕食の準備を始めると、雪が台所にやってきた。
「お母さん、今日は8人分だから品数も多めにお願いしますね。あ、でも父は糖尿病だから薄味で、母が胃が弱いから油物は控えめに」
まるでレストランに注文するような口調だった。私は黙々と調理を続けた。
食卓に料理を並べ終えると、信じられない光景が広がった。雪の両親が上座に座り、順と雪がその隣。孫たちも中央の席。そして私の席は、一番端の補助椅子だった。
「いただきます」と食べ始めた時、順が急に言い出した。
「母さんの料理より、雪の実家の方が美味しいよね」
「そうね。やっぱりお母様は料理上手だから」
雪が母親を見ながら微笑んだ。田中夫人は得意げに頷いた。
「藤子さんも頑張ってるけど、やっぱり育ちの違いかしらね。うちは代々料理にはこだわってきたから」
その言葉が、鋭い刃物のように私の心を切り裂いた。
翌日、朝5時に起きて朝食の準備をしていると、雪の母親が起きてきた。
「あら、もう起きてるの? 年寄りは早起きね」
よりによって68歳の私と65歳の彼女。たった3歳の差で、まるで別世代のような扱いだ。
「藤子さんって、ずっと保険の外回りしてたんでしょ。大変だったでしょうね。学歴もないのに」
学歴もない。確かに私は高卒だ。でも保険外交員として39年間、誰よりも勉強し、信頼されてきた。その努力を、たった一言で否定された。
昼食の時、雪の父親が言った。
「藤子さん、息子さんは出世してるみたいだけど、お母さんの苦労があったからでしょうね。でもこれからは雪の実家の人脈も使えるから、もっと出世できるよ」
まるで私の存在は過去のもので、もう用済みだと言わんばかりだった。
3日目の夜、私は疲れ果てて台所の椅子に座り込んでいた。すると、リビングから雪の声が聞こえてきた。
「お母さんって本当に便利よね。文句も言わないし、何でもやってくれる」
「そうね。藤子さんみたいな人がいると助かるわ。うちにも欲しいくらい」
田中夫人の声に、皆が笑った。
「でも、ちょっと容儀悪いよな。もっとテキパキできないのかな?」
順の声だった。息子にまで、そんな風に思われていたのか。
「ま、しょうがないよ。お母さんも年だし」
「そうそう。認知症とかじゃないといいけどね」
雪の軽い口調で放たれた「認知症」という言葉に、私は凍りついた。
4日目の朝、とうとう限界が来た。朝食の準備中、めまいがして倒れそうになった。必死で踏ん張ったが、雪の母親に見つかってしまった。
「あら、大丈夫? 無理しないでいいわよ。でも、朝ごはんは8時までに用意してね」
心配するふりをしながら、結局は要求を続ける。私はただの道具でしかないのだ。
その夜、私は布団の中で泣いた。こんな屈辱を受けるために息子を育てたのではない。人として最低限の尊厳すら認めてもらえない。私は一体、何のために生きているのだろうか。
大晦日の朝、私は39度の高熱で目を覚ました。4日間の過労が限界に達し、とうとう体が悲鳴を上げたのだ。震える手で体温計を見つめながら、それでも起き上がろうとした。朝食を作らなければ。
ふらつきながら廊下を歩いていると、階段で足がもつれた。手すりに必死でしがみつき、なんとか転倒は免れたが、その音を聞きつけた順が顔を出した。
「母さん、うるさいよ。まだ7時前だぞ」
「…ごめん。熱が出てしまって」
「え? 熱? 困るな。今日は大晦日で、特別な料理作ってもらう予定だったのに」
息子の口から出たのは、心配の言葉ではなく不満だけだった。私の体調など、彼にとっては「料理を作る機能が停止した」という程度の認識でしかないのだ。
「母さん、とりあえず朝食だけでも作ってよ。簡単なものでいいからさ」
高熱でふらつく私を支えることもなく、順は寝室に戻っていった。
なんとか台所にたどり着き、震える手で包丁を握った。涙が勝手に溢れてくる。これは悔しさの涙なのか、それとも熱のせいなのか、もう分からなかった。
朝食を食卓に並べ終えると、雪の両親がリビングに入ってきた。
「藤子さん、顔色が悪いわね」
田中夫人が眉をひそめた。
「実は熱がありまして…」
「まあ大変。でも、うつったら困るから、あなたは離れて食事してもらえる?」
まるで病原菌扱いだ。私は黙って頷き、台所の片隅で立ったまま味噌汁を飲んだ。
食事中、リビングから雪の声が聞こえてきた。
「お母さん、本当に使えないわね。大事な大晦日に熱出すなんて、計画性がないのよ」
「まあ、年も年だしな。来年からは別の方法を考えた方がいいかも」
順の声に、私は凍りついた。別の方法。まさか。
午後になり、少し熱が下がったのでリビングの掃除をしていた。雪たちは買い出しに出かけており、家には私と部屋にこもっている孫たちだけだった。掃除機をかけていると、2階から孫の声が聞こえてきた。電話で友達と話しているようだった。
「うん。うちにもばあちゃんいるけど、まじうぜえよ。朝から晩まで働かされてるけど、容儀悪いし」
15歳の孫の言葉に、胸が締め付けられた。
「でもさ、親が言ってたけど、ばあちゃん結構金持ってるらしいんだ。保険の仕事でかなり貯めたらしくて」
私は掃除を止めて、聞き耳を立てた。
「父さんと母さんが話してたの聞いちゃったんだけど、ばあちゃんが死んだらその金全部うちのものになるんだって。だから今は我慢して面倒見てるふりしてるらしい」
その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。面倒を見ているふり。全ては芝居だったのか。
「施設に入れる話も出てるみたい。ばあちゃんの貯金で施設代払えば、残りは全部もらえるからって」
膝から力が抜け、私は廊下の壁にもたれかかった。施設。まだ68歳で、自分の生活は自分でできる私を、施設に入れようとしている。
孫の電話はまだ続いていた。
「正月明けにばあちゃんの通帳とか、べるって言ってた。認知症のふりして成年後見人になれば、金の管理できるからって」
認知症のふり。昨日の雪の「認知症じゃないといいけどね」という言葉は、すでに計画の一部だったのだ。
夕方、皆が帰ってきた。私は何も知らないふりをして夕食の準備を始めた。しかし手が震えて、包丁が握れない。これは熱のせいではない。裏切りのショックで、体が拒否反応を起こしているのだ。
「お母さん、大丈夫?」
雪が心配そうな顔を作って近づいてきた。今となっては、その全てが演技に見える。
「…少し休ませてもらえますか?」
「あら、でも年越しそばの準備が…」
結局、最後まで労働力としてしか見ていない。
夜10時、私は寝室で一人、荷物をまとめ始めた。もう限界だった。熱は38度を超えていたが、もうこの家にはいられない。
すると、廊下から順と雪の声が聞こえてきた。
「母さんの部屋、探った?」
「まだよ。でも明日の朝、寝込んでる隙に通帳探すわ」
「保険の書類も忘れるなよ。受取人が俺になってるか確認しないと」
「大丈夫よ。あと数年の辛抱よ。あの年なら、そう長くないでしょう」
そう長くない。息子夫婦は私の死を待っているのだ。
「施設の資料、もう取り寄せた。えーと、月に10万のところよ。ばあさんの年金と貯金で十分払える。残りは全部もらえるな。ざっと3000万は残るはずよ」
3000万。私が39年間、雨の日も風の日も働いて貯めた老後の資金。それを簡単に計算する息子夫婦の声に、私は怒りで震えた。
「でも、本当に認知症って診断してもらえるかな?」
「大丈夫よ。最近物忘れが激しいって医者に言えばいいの。それに今日みたいに熱出して倒れそうになったりしてるし。一人暮らしは危険だって言えば」
「そうだな。正月明けには動こう」
私は震える手でスマートフォンを取り出した。録音機能を起動させ、この会話を証拠として残した。そして、私の中で決意が固まった。もう我慢はしない。息子であろうと、私の尊厳を踏みにじるものには、それ相応の報いを受けてもらう。
私は静かに立ち上がった。これが私の反撃の始まりだった。
深夜、私は寝室で静かに行動を開始した。熱は依然として38度を超えていたが、怒りが私を突き動かしていた。
まず、スマートフォンで録音した息子夫婦の会話をクラウドストレージに保存した。次に、信頼できる顧客でもあり顧問弁護士でもある山田先生にメールを送信した。
「山田先生、深夜に申し訳ございません。加藤藤子です。至急ご相談したいことがあります。正月明けにお時間をいただけないでしょうか? 家族間の財産問題です」
送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。山田先生は仕事熱心で、深夜でもメールをチェックしているのだ。
「藤子さん、大丈夫ですか? 正月2日の午前中はいかがでしょう? 緊急のようですね」
ありがたかった。39年間誠実に仕事をしてきたことで築いた人脈が、今私を支えてくれている。
次に、私は重要な事実を思い出した。この家、私が今いる実家は、実は私の単独名義なのだ。10年前に夫が亡くなった時、相続で私が全て引き継いだ。順はそのことを知らない。夫の死後、悲しみに暮れる私を気遣って、詳しい話をしていなかったからだ。
土地と建物を合わせれば、資産価値は4000万円を超える。さらに夫の生命保険金と、私が39年貯めた貯金を合わせれば、総資産は1億2000万円になる。順たちが知っているのは、私の貯金3000万円のことだけ。後の9000万円の存在は、誰も知らない。
私は金庫から不動産の権利書を取り出し、写真を撮ってクラウドに保存した。次に、全ての通帳と保険証券も同様に記録した。そして、最も重要な書類を作成し始めた。退去明渡し通知書だ。この家の所有者として、居住者に対して退去を求める正式な書類。もちろん、すぐに使うつもりはない。しかし、切り札は用意しておく必要がある。
午前3時、私は親友の田村泰子に電話した。彼女は隣町で一人暮らしをしている。夫を5年前になくし、息子夫婦との同居を断って自由に生きている女性だ。
「泰子、夜分遅くにごめんなさい」
「藤子、どうしたの? こんな時間に」
「実は…息子の家から逃げ出したいの」
事情を話すと、泰子は即座に言った。
「すぐうちに来なさい。正月でも構わないわ。部屋はいくらでもあるから」
真の友人とは、こういう人のことを言うのだろう。
明け方、私は重要な発見をした。リビングの本棚に、見覚えのない書類が挟まっていた。それは介護施設のパンフレットと、成年後見制度の申請書類だった。申請書類には、すでに順の名前と印鑑が押されていた。申立の理由の欄には「母が最近物忘れが激しく、金銭管理ができなくなっている」と記載されていた。添付書類として、私の預金通帳のコピーもあった。どうやら私が買い物に行っている間に、部屋を物色していたらしい。
しかし、彼らは重大なミスを犯していた。コピーされていたのは地方銀行の通帳だけ。メインバンクの都市銀行とネット銀行の存在には気づいていない。私はこれらの証拠も全て写真に納めた。息子が母親の認知症を偽装し、財産を奪おうとしている動かぬ証拠だ。
朝7時、私は熱が少し下がったのを確認し、朝食の準備を始めた。今日が最後の朝食になる。丁寧に、しかし必要最低限のものだけを作った。
「おはようございます。お母さん、熱は下がりましたか?」
雪が起きてきた。
「ええ、おかげ様で」
私は微笑を返した。
「今日で今年も終わりですね」
「そうですね。来年もよろしくお願いしますね」
来年はない。私の中で、その確信があった。
朝食の席で、順が言った。
「母さん、正月明けに一度病院に行こうか。最近疲れやすいみたいだし」
「そうですね。お母さんの健康は大切ですから」
雪が心配そうな顔を作る。全ては芝居。認知症の診断を受けさせるための布石だ。
「ありがとう。でも、私には主治医がいますから」
「え? 主治医?」
順が驚いた。
「ええ、月に一度、定期検診を受けているの。とても優秀な先生よ」
これは本当のことだ。私の主治医である佐藤医師は、私の健康状態を完璧に把握している。認知症などといういい加減な診断書は、絶対に書かない。
「でも、別の病院でセカンドオピニオンを…」
「必要ありませんわ」
私はきっぱりと断った。その後、私は少し気分が悪いと言って寝室に戻り、最後の準備を始めた。
まず、家中の貴重品を金庫に移動させた。次に、重要書類は全て泰子に預けるための封筒に入れた。そして、順への手紙を書き始めた。
「順へ。あなたが私をどう思っているか、全て知りました。施設に入れ、財産を奪う計画も。でも、私はあなたの思い通りにはなりません。この家は私の名義です。今すぐ出ていきなさい。母より」
いや、これではまだ甘い。書き直した。
「家政婦はやめました。弁護士を通じて連絡してください。1月3日までに退去してください。加藤藤子」
シンプルで、冷たい文面。息子ではなく、ただの大家からの通知書。私は封筒に入れ、机の上に置いた。
そして、最後にもう一通手紙を書いた。雪の両親、田中夫妻宛てだ。
「保険のおばさんには、用はありません。どうぞお引き取りください」
全ての準備が整った。私は深呼吸をして、決意を新たにした。明日の朝、私はこの家を出る。そして、二度と戻らない。
元旦の朝、私はいつものように起床した。しかし、今朝は朝食を作らなかった。代わりに身なりを整え、すでに準備しておいたキャリーバッグを玄関に運んだ。
6時、予約しておいたタクシーが到着した。運転手に荷物を積んでもらっている時、2階から足音が聞こえてきた。
「母さん、どこ行くの?」
寝ぼけまなこの順が、階段の上から見下ろしていた。
「出ていきます」
「はあ? 元旦の朝に朝食も作らずに?」
「家政婦はやめました」
私は冷たく言い放った。
「家政婦って…母さん、冗談でしょ?」
「冗談? あなたたちが私の死を待っていることも、冗談ですか?」
順の顔が真っ青になった。
「な、何を言って…」
「昨夜の会話は全て録音してあります。『そう長くない』『あと数年の辛抱』『3000万は残るはず』」
私がスマートフォンを取り出すと、順は慌てて階段を駆け降りてきた。
「母さん、それは間違いだ!」
「間違い? 成年後見制度の申請書に、あなたの印鑑が押してあったのも?」
騒ぎを聞きつけて、雪が飛び出してきた。
「お母さん、何してるんですか?」
「ああ、雪さん。実はこの家、私の単独名義なんです。ご存知でしたか?」
雪の顔から血の気が引いた。
「え…」
「土地と建物で4000万円。さらに私の総資産は1億2000万円。あなたたちが知っている3000万は、氷山の一角です」
「1億2000万…」
雪が絶句した。
「これから弁護士事務所に行きます。退去の手続きをするためです。刑事告訴も検討しています」
「刑事告訴?」
順が叫んだ。
「成年後見制度の悪用は詐欺です。最高で懲役10年。知らなかったんですか?」
「母さん、待って! 話を聞いて!」
「聞くことはありません。ただし、一つだけ条件があります」
私は封筒を取り出した。
「これは退去明渡し同意書です。今すぐサインして今朝出ていくなら、告訴は見送ります。拒否するなら、警察に行きます。証拠は全て揃っています。録音、書類、全て」
田中夫妻も起きてきて、事態を把握すると顔面蒼白になった。
「ちょっと、どういうこと!」
田中夫人が娘に詰め寄った。
「お母様、実は…」
「まさか、犯罪に加担させられたの?」
雪が泣き出した。
「違うの。お金が必要で…」
「恥さらし!」
田中夫人が雪を平手打ちした。
私は冷静に続けた。
「田中さん、あなたも共犯です。『藤子さんみたいな人がいると助かる』『学歴もない』と侮辱したことも、録音してあります。名誉毀損で民事訴訟も可能です」
田中夫妻は言葉を失った。
「さあ、どうしますか? サインしますか? それとも、全員で裁判所に行きますか?」
順が震える手でペンを取った。
「わ、分かった。サインする」
「懸命な判断です」
私は山田弁護士に電話した。
「先生、予定通りです。これから向かいます」
電話を切ると、順が土下座した。
「母さん、本当にごめんなさい!」
「謝罪はいりません。ただ、二度と私の前に現れないでください」
「でも、母さん…」
「あなたは私を母と呼ぶ資格はありません」
タクシーに乗り込む前、私は振り返った。
「ああ、言い忘れました。私の遺産は、全額児童養護施設と、長年お世話になった顧客の皆様への恩返しの寄付として、寄付します。遺言書はすでに作成済みです」
「全額…」
雪が叫んだ。
「孫も同罪です。『ばあちゃんまじうぜえ。死んだら金が手に入る』と言っていましたから。そんな因果応報という言葉をご存知ですか? 人を金としか見ない人間に、金は残しません」
私がタクシーに乗ると、順が窓を叩いた。
「母さん! 1億2000万なんて嘘だろ!」
「確かめたければどうぞ。でも、もうあなたには1円も渡りません」
車が動き出した。バックミラーに、崩れ落ちる息子夫婦の姿が見えた。
山田弁護士の事務所で、正式な手続きを済ませた。
「藤子さん、告訴状の準備はできています。相手が大人しく出ていけば、告訴は保留で」
「分かりました。ただし、念のため警察には相談しておいてください」
「お願いします」
その日の夕方、私の携帯に順から連絡があった。
「出ていきました。もう二度と近づきません。確認が取れたら鍵を郵送してください」
「母さん…いや、藤子さん。本当に申し訳ありませんでした」
「あなたたちのような人間に渡すくらいなら、本当に困っている子供たちに使ってもらいます。1000万でも100万でも、1円もありません」
電話を切った。
翌日、家を確認しに行くと、本当に空っぽになっていた。慌てて出て行ったらしく、ゴミが散乱していたが、それも想定内だった。清掃業者を呼び、家を完全に綺麗にしてもらった。そして、この家も売却することにした。思い出は大切だが、新しい人生を始めるには、過去を清算する必要がある。不動産屋の査定では、5000万円の値がついた。このお金も、全て寄付に回すつもりだ。
3月、地元新聞に記事が載った。「市内在住の加藤藤子さん(68歳)が総額1億7000万円を児童施設と地域福祉に寄付」
記事を見た順から、最後のメッセージが来た。
「母さん、本当にやったんですね。俺たちが悪かった。でも、そこまでしなくても…」
私は返信した。
「あなたたちは私を家政婦扱いし、認知症にしたて上げ、金を奪おうとした。これは当然の報いです。二度と連絡してこないでください。次は本当に告訴します」
それ以来、息子夫婦からの連絡は途えた。
私は今、小さなマンションで一人暮らしをしている。家を売ったお金で購入した個人用の部屋。必要最小限の家具だけを置いたシンプルな空間。でも、この部屋には誰も私を侮辱する者はいない。誰も私を道具扱いする者はいない。誰も私の死を待つ者はいない。
窓から見える空は青く晴れていた。私は深呼吸をした。68歳にして掴んだ、本当の自由の味。それは1億2000万円よりも価値のあるものだった。
「お母さん、今年もよろしく」
私は鏡に映る自分に向かって言った。
「これからは、誰のためでもない。自分のための人生を歩んでいく」
1月3日、息子夫婦が完全に家を出ていったことを確認した私は、山田弁護士の事務所を再び訪れた。
「藤子さん、家の明渡しを確認できました。告訴の件はどうされますか?」
「保留でお願いします。ただし、今後接触してきたら、即座に告訴してください」
「承知しました。それと、寄付の手続きも進んでいます。1億7000万円。家の売却金を含めた全財産を、社会に還元することにしました。児童養護施設に1億円。残りは地域の生活困窮者支援基金へ」
「本当によろしいのですか? 老後の資金は…」
「年金と保険の仕事を続けます。68歳、まだまだ働けます」
山田先生は深く頷いた。
3月、地元新聞の記者から取材を受けた。
「加藤さん、なぜ全財産を寄付されたのですか?」
「お金に執着する醜い人間を見て、気づいたんです。お金は使い方次第で毒にも薬にもなる。ならば、本当に必要としている人に使ってもらおうと」
「ご家族は…」
「家族はいません。血は繋がっていても、心が通わない人間は他人以下です」
記事が掲載されると、大きな反響があった。
「藤子さんの勇気に感動しました」
「家族に搾取されている高齢者の希望です」
「本当の強さを見せていただきました」
その中に、一通の手紙があった。差出人は、雪だった。
「藤子さん。もう『お母さん』とは呼べませんね。離婚しました。順さんとも、実家とも縁を切りました。あなたの生き方を見て、目が覚めました。私も自分の力で生きていきます。今まで本当にすみませんでした」
雪の選択に少し驚いたが、それは彼女の人生だ。私は返事を書かなかった。
5月、児童養護施設から招待状が届いた。
「藤子様のご寄付で、新しい図書館が完成しました。是非お越しください」
施設を訪れると、子供たちが満面の笑顔で迎えてくれた。
「藤子おばあちゃん、ありがとう! 本がいっぱい読めるようになったよ!」
子供たちの純粋な感謝の言葉に、私は涙が止まらなかった。これが本当の家族の温かさかもしれない。血の繋がりはなくても、心が通じ合える関係。
施設長が言った。
「藤子さん、よければボランティアで子供たちに本を読んであげてもらえませんか?」
「喜んで」
週に一度、施設で読み聞かせをするようになった。子供たちは私を「藤子おばあちゃん」と呼び、本当の祖母のように慕ってくれた。
6月、思いがけない人物から連絡があった。孫からだった。
「おばあちゃん…僕です」
「何の用?」
「謝りたくて。あの時、ひどいこと言って…」
「今更、謝罪はいりません」
「でも、僕気づいたんです。お金より大切なものがあるって。父さんと母さん、離婚しました。父さんは今、日雇いの仕事してます」
日雇い労働。皮肉な結末だった。
「それで、僕自分でバイトして学費稼ぎ出ます。おばあちゃんみたいに、自分の力で生きていきたいです」
「…勝手にしなさい」
電話を切った。孫の更生は喜ばしいが、もう私には関係ない。
8月、泰子と温泉旅行に行った。露天風呂に浸かりながら、泰子が言った。
「藤子、すごいわね。息子を告訴するなんて」
「告訴はしていないわ。でも、するつもりだったのは本当よ」
「1億7000万円、全部寄付なんて。後悔はないの?」
「後悔はないわ。お金で買えない自由を手に入れたから」
泰子は笑った。
「あなた、前より10歳は若返ったみたい」
確かに、鏡を見ると表情が明るくなっていた。誰かの顔色を伺うことも、理不尽な扱いに我慢することもない。ただ、自分らしく生きている。
10月、山田弁護士から連絡があった。
「藤子さん、順さんから手紙が届いています」
「受け取りません。破棄してください」
「…分かりました。ただ、内容は謝罪と、生活に困窮しているということでした」
「自業自得です。私には関係ありません」
因果応報。悪業には必ず報いがある。息子は今、かつて私に与えた苦労をしているだろう。でも、それは彼が選んだ道だ。
12月、今年も年末がやってきた。去年の悪夢のような年末とは違い、今年は施設の子供たちとクリスマスパーティーを楽しんだ。
「藤子おばあちゃん、来年もよろしくね!」
子供たちの笑顔が、私の心を温かくした。
大晦日、一人で年越しそばを食べながら、この一年を振り返った。息子夫婦を追い出し、全財産を手放し、縁を断ち切った。普通なら、孤独で惨めな老後と思われるだろう。でも、私は今、人生で一番幸せだ。尊厳を取り戻し、自由を手に入れ、本当に必要としてくれる人たちと出会えた。お金では買えない、掛け替えのないものを手に入れた。
新年を迎える瞬間、私は誓った。もう二度と、誰にも支配されない。もう二度と、理不尽に屈しない。もう二度と、自分を諦めない。
私、加藤藤子は、68歳にして本当の人生を始めた。血の繋がった家族は失った。でも、心の繋がった新しい家族を得た。1億7000万円は手放した。でも、お金では買えない幸せを手に入れた。これが私の完全勝利だ。
息子夫婦は今頃、安いアパートで後悔しているだろう。でも、もう遅い。人を道具扱いし、金に目がくらんだ愚かさは、一生かけて償ってもらう。
私は微笑んだ。復讐は成功した。しかも、ただの復讐ではない。私は新しい人生を手に入れ、彼らは全てを失った。これ以上の勝利があるだろうか。



