黒田銀次は67歳。深夜のビル清掃で警備員として働いている。妻の千恵子は清掃員として働きながら肺を悪くしている。家には40歳になる無職の息子、直人がいる。銀次は工場を辞めてから10年以上、警備の仕事で暮らしを支えてきた。そしてある日、知らない番号から電話がかかってくる。妻の体調が急変したという知らせだった。その後の出来事は、銀次の人生を少しずつ壊していく。
銀次は携帯電話を切った。千恵子が倒れたと聞いてから、何も考えられなかった。スーパーのバックヤードで千恵子は顔色を青くして椅子に座っていた。息が浅い。胸が重い。医者に連れて行くことを店長が勧めた。銀次は千恵子の肩を支えてタクシーを呼ぼうとした。
しかし財布には小銭が180円しか残っていなかった。電車賃を考えると、タクシーは無理だった。徒歩でクリニックに向かうと、受付時間を過ぎていた。それでも受付の女性は話を聞いてくれ、診てもらうことができた。検査の結果、肺の状態が悪化していると言われ、入院が必要だ。初期費用として10万円かかる。銀次は顔の表情を変えずに「わかりました」と答えた。だが、千恵子は袖を引いて「帰ろう」と言った。「入院なんていい」と。諦めの色が混じった言葉だった。
銀次は千恵子を家に連れ帰った。入院は明日に延期し、病院には「都合をつけてから」と伝えた。だが、10万円のあてはなかった。通帳の残高は2万3000円程度。千恵子の薬代でさらに減っている。翌朝、銀次は警備会社の事務所に向かった。所長の小関に24時間シフトを組んでもらえないか頼んだ。小関は「67で24時間は無理だろ」と笑った。「もし倒れられたら会社が責任を負う。保険も出ない」と。銀次は頭を下げ続けた。「割り増しはいりません」と言った。小関は少し黙ってから「まあ、やり方はある」と条件を出した。正規の記録に残せない。時間外の割り増しは半額。保険なし。それでいいなら入れてやる、と。
銀次は即答した。それでいいです、と。その言葉を言った瞬間、胸の奥で何かが砕けたが、顔には出さなかった。翌日の夜から、銀次は24時間シフトに入った。廊下の巡回。鍵の確認。非常口の点検。明け方の数時間だけ椅子で目を閉じる。帰宅すると、息子の直人がいた。ソファに横になってスマートフォンを見ている。40歳で無職。部屋には酒の匂いが漂っていた。銀次は声をかけようと思った。だが何を言えばいいのか分からなかった。黙って台所で水を飲み、布団を敷いた。
週末、職場に電話がかかってきた。男の声だった。「黒田銀次さんの息子さんが、あなたの名前で借用書を作成し300万円を借り入れています。今は遅延利息を含めて500万円になっています」銀次は受話器を握ったまま、しばらく動けなかった。借用書には自分の署名と印鑑が押してあるという。銀次には心当たりがなかった。だが、家にある印鑑の置き場所は直人が知っている。銀事自身が税金の書類に使うたびに同じ引き出しにしまっていた。
翌週、銀次が夜勤から帰ると、スーツ姿の男が2人テーブルを挟んで座っていた。貸金業者の男たちだった。彼らは丁寧な言葉遣いで言った。借用書に記載された署名と印影は本物だ。保証人として連帯責任が生じる。500万円の返済計画を提示してほしい、と。銀次は直人を見た。直人は目を合わせようとしなかった。銀次が「署名に覚えはない」と言うと、男の1人が書類を広げた。確かに自分の名前だった。筆跡は少し違っていたが、印影だけは見慣れた色だった。
男たちは返済期限を来月末に設定し、連絡先を置いて帰った。銀次はテーブルに残された書類を見た。そして直人を見た。「何があったのか説明してくれ」と静かに言った。直人はしばらく黙っていた。やがて口を開いた。
「俺が就職できなかったのは、ちゃんとした教育を受けさせてもらえなかったからだ。あんたが工場の工員で終わったから、俺には何のコネも後ろ盾もなかった。だから自分で何とかするしかなかった。借りた金は事業に使おうとした。うまくいかなかったが、それはそういうものだ」
銀次は直人の顔を見ながら聞いていた。怒りは来なかった。代わりに静かな重い感覚が胸の奥に広がっていった。直人は最後にこう言った。
「親が子供を育てる責任があるように、子供が困っている時に助けるのも親の務めだろう」
そう言って立ち上がり、財布だけ持って部屋を出て行った。銀次は1人残された。テーブルの上には貸金業者の書類と名刺が置かれていた。窓の外はもう暗くなっていた。翌朝、銀次は区役所の生活保護相談窓口に足を運んだ。担当者は30代の男性で、銀事の話を聞くと少し間を置いて言った。「息子さんが40歳で健康であれば、まず息子さんに収労と生活費の負担を求めることが前提になります。行政としては同居の不要義務者がいる場合、すぐに生活保護の受給対象とは判断しにくいです」銀次は「息子は家を出て行きました」と言った。担当者は「住民票の移動はありますか」と聞いた。ない。息子の住民票はまだこの住所にある。担当者は「申し訳ありませんが、書類上は不要関係が継続していると見なされます」と言った。
銀次は窓口を離れ、駅への道を歩いた。靴の縁が剥がれかけているのに気づいた。家に帰ると直人がいた。テレビを見ている。銀次はテーブルの向こう側に座り、話をした。直人はまた同じことを言った。「俺のせいにするのか。俺だって苦しかった。仕事がないのは景気のせいだ。社会のせいだ。あんたが俺にちゃんとした環境を用意できなかったのが根本にある」直人は立ち上がり、テーブルに置いてあった銀次の小銭入れを掴んだ。中には数百円が入っていた。直人はそれをポケットに入れ、そのまま出て行った。
その夜、銀次は夜勤のシフトに入った。深夜2時頃、椅子で目を閉じた。5分だけのつもりだった。目を覚ますと4時を過ぎていた。2時間近く眠ってしまっていた。慌てて廊下に出ると、ビルの裏口のドアが開いていた。駐輪場にあった自転車が1台無くなっていた。301号室の住人のものだ。銀事は胃の中が冷たくなるのを感じた。翌朝、所長の小関に報告した。小関は静かに聞いていた。それから言った。
「住人への弁償は会社がやる。だが、その費用は今月の給料から引かせてもらう。それから、こういう事態が起きた以上、次のシフトからは通常の時間に戻ってもらう。24時間はなしだ。あと、来月の契約更新については、その時点で判断する。今すぐ切るわけじゃないが、覚悟しておいてほしい」
銀次は頭を下げた。申し訳ありませんでした、と言った。小関はそれ以上何も言わなかった。11月の末、千恵子が病院から戻ってきた。入院できなかった。費用の見込みが立たないまま1週間が過ぎ、病院側から「在宅療養に切り替えることを進められた」という形だった。銀次は薬の処方箋だけ受け取り、千恵子を連れて帰った。帰りの電車の中で千恵子は一度も口を開かなかった。窓の外を見ていた。その横顔は何かを諦めた人間の顔だった。
翌朝、銀次は千恵子の朝食を作った。冷蔵庫に卵が1つ、豆腐の残り、昨日の味噌汁の残りがあった。卵を解いて味噌汁に加え、豆腐を小さく切って醤油を少し垂らした。千恵子は体を起こして食べた。途中で咳が出てしばらく止まらなかった。銀次は千恵子の背中に手を当ててさすった。昼すぎ、薬局で薬を受け取った。3種類の薬で2800円。財布には3000円しかなかった。薬を買えば残りは200円だった。夕方、銀次は夜勤のため家を出た。玄関を出る前、千恵子の部屋を覗いた。千恵子は天井を見ていた。銀次と目が合うと「行ってらっしゃい」と言った。声は細かったが、はっきりしていた。
夜勤が明けて帰宅したのは朝7時過ぎだった。玄関を開けると家の中が静かだった。直人の靴はなかった。千恵子の部屋のドアは閉まっていた。銀次はコートを脱ぎ、台所でお湯を沸かした。インスタントの味噌汁を一袋お湯で解いた。それを飲みながら千恵子の部屋のドアをそっとノックした。返事がなかった。ドアを開けた。千恵子は布団の中で横になっていた。目を閉じていた。銀次は眠っているのだと思い、そっとドアを閉めようとした。その時、何かが違うと感じた。部屋の空気が違った。銀次は部屋の中に踏み込んだ。千恵子の顔を見た。顔色が蒼白だった。胸が動いていなかった。布団の上から肩に手を当てると、冷たさが伝わった。体温がなかった。
銀次はその場に膝をついた。千恵子の手を取った。細い指だった。爪の根元が赤く荒れていた。毎日洗剤で洗い続けた手だ。この手で何十年も飯を作り、洗濯をし、弁当を詰めた。銀次は千恵子の手を両手で包んだ。温めようとしたわけではなかった。ただそうせずにはいられなかった。どのくらいそうしていたのか分からなかった。やがて銀次は立ち上がり、119番に電話をかけた。「妻が亡くなったようです」と言った。声は自分でも不思議なくらい落ち着いていた。救急隊員が来て、警察にも連絡が入ると言われた。病痔であっても確認の手続きが必要だと。銀次は頷いた。警察官が来て、死亡診断書が作られた。死因は「慢性呼吸器疾患の悪化」と書かれていた。警察官が「ご家族に連絡は」と聞いた。銀次は少し考えてから言った。「息子がいます。今どこにいるかわかりません」
千恵子の遺体は病院に搬送された。銀次は1人で部屋に残された。千恵子がいた布団はまだそのままだった。枕に千恵子の髪が数本落ちていた。銀次は布団の前に座った。泣けなかった。泣く気配すらなかった。ただ胸の中に重く暗いものが落ちていて、それが涙になって出てくることがなかった。その夜遅く、玄関の鍵が開く音がした。直人だった。銀次は言った。「今日、お前の母さんが亡くなった」直人は何も言わなかった。目を伏せ、ソファに座った。銀次は続けた。「今朝、夜勤から帰ったらもう冷たくなっていた。病院に搬送されて、今は霊安室にいる。葬儀の手続きをしなければならない」直人はしばらく黙っていた。それから言った。「そう。金はあるのか」銀次は少しの間、直人を見ていた。それから首を振った。「ない。区の葬祭扶助という制度がある。それを使えば最低限の葬儀はできる」直人は黙って聞いていた。「じゃあそれでいいんじゃないか」それだけ言って、立ち上がって自室に入った。
翌日、銀次は区役所に出向き、葬祭扶助の申請をした。葬儀は簡素に執り行われた。参列者は銀次ただ一人だった。直人は来なかった。前の夜に「来るか」と聞くと、直人は少し間を置いてから「行けない」と言った。理由は言わなかった。小さな葬儀場の一室で、銀次は棺の前に座っていた。骨上げの時間になり、銀次は箸を持ち、小さな骨を骨壺に収めた。細い骨だった。痩せていたから骨も小さかった。骨壺を両手で持ち、葬儀場を出た。外の空気は冷たかった。骨壺の中にはまだ少しの温かさが残っていた。自宅に帰ると直人がいた。テレビを見ていた。銀次が骨壺を持って入ってきても、直人はテレビから目を離さなかった。銀次は千恵子の部屋に入り、布団の横に骨壺を置いた。それから台所で手を洗いながら鏡を見た。疲れた顔だった。それだけだった。
千恵子が亡くなってから最初の1週間は、不思議なほど静かだった。銀次は毎朝決まった時間に起き、顔を洗い、台所でお湯を沸かし、インスタントの味噌汁を1人分作った。考えると手が止まった。だから考えなかった。直人は相変わらず家にいたりいなかったりした。千恵子が亡くなってから、直人が何かを変えた様子はなかった。12月の最初の週、大家から封筒が届いた。先月分の家賃が未払いになっている、という通知だった。銀次は封筒を開けて中の紙を読んだ。それから警備会社に電話をかけた。契約更新について聞くと、小関は「来月からはちょっと厳しい。別の現場に回せるかどうか調整してみる」と言った。確約はできない、と。銀次は「了解しました」と言って電話を切った。確約はできない。それはないに等しいという意味だ。
その週の木曜日、銀次は区役所に行き、生活保護の再申請をした。今度は千恵子の死亡届を出したことを伝え、直人の住民票がまだこの住所にあることを正直に話した。担当者は前回と同じ男性だった。銀次が「息子は実質的に行方不明に近い状態で、生活費を一切入れていない」と説明すると、担当者は「息子さんが住所を移すか、収労の意思がないことが確認できれば状況は変わってくると」と言った。銀次は帰り道、収労支援という言葉を反対していた。67歳に収労支援が何の役に立つのか、という気持ちがなかったわけではない。だが今は選べる立場ではなかった。その夜、銀次は直人に話をした。住民票を移してほしい、と。「どこに移すかはお前が決めていい。ただ書類上だけでも別の住所にしてほしい」直人は最初何も言わなかった。それから言った。「なんで俺がそんなことしなければならないんだ」「住民票を移すのは面倒だ」
翌朝、直人はいなかった。荷物は残っていたが、本人の姿がなかった。昨夜のうちに出て行ったらしかった。銀次は直人の部屋を覗いた。脱いだままの服が数枚床に落ちていた。ゴミ袋が隅に置かれたままだった。それだけだった。12月の中旬、大家から再度の通知が届いた。今回は内容証明郵便だった。2ヶ月分の家賃滞納について、来月末までに支払いがなければ退去を求める、という内容だった。銀次は区役所の収労支援窓口で住居確保給付金の申請をした。ハローワークに行き、給食登録をした。警備員としての仕事が数件提示された。1件は65歳以上歓迎とあった。時給950円、週4日、1日6時間。銀次はその求人票をもらって帰った。翌日、申し込んでみた。1週間後、連絡が来た。面接に来てほしい、という内容だった。
面接は小さなビルの会議室で行われた。面接官は50代の男性だった。体に問題はないか、夜勤はできるか、長期で続けるつもりがあるか。銀次は一つずつ正直に答えた。「夜勤もできます。長く続けたいと思っています」と。面接官は「ご令の方にはなかなか厳しい現場もある。ただうちは短時間でも丁寧に働いてくれる方を求めている」と言った。1週間以内に連絡すると言われた。銀次は頭を下げて会議室を出た。廊下で靴紐が少し解けているのに気づき、立ち止まって結び直した。
それから10日ほどが過ぎた。採用の連絡は来なかった。その間に住居確保給付金の審査結果が届いた。月4万円、3ヶ月間の家賃一部補助が決定された。全額ではないが、退去の危機は少しだけ遠のいた。12月の末、大晦日が近づいたある夜、銀次はスーパーで見切り品の惣菜を2つと小さなみかんを3個買った。レジに並んでいると、後ろに若い家族が並んだ。小さな子供が2人、母親の袖を引っ張っている。銀次は前を向いたまま、司会の端でその光景を見ていた。振り返らなかった。会計を済ませ、外に出た。風が強かった。商店街は年末の明かりで賑わっていた。
角を曲がった時、銀次は向こう側の歩道に見慣れたシルエットを見た。大きな体、だらりとした歩き方。コンビニの袋を片手に下げて、ゆっくりと歩いている男。直人だった。銀次は立ち止まった。直人はこちらに気づいていなかった。隣に30代くらいの女性がいた。2人で笑いながら話していた。直人の笑い声が風に乗って聞こえてきた。銀次は動かなかった。怒りが来るかと思ったが来なかった。悲しみが来るかと思ったが、それも来なかった。ただ遠い場所で誰かが笑っているのを見ているような、静かな感覚があった。直人が角を曲がり、見えなくなった。銀次はまた歩き始めた。足元を見ながら歩いた。靴の縁が前よりさらに剥がれていた。
自宅に戻り、銀次は台所でみかんを1つ剥いた。テーブルに1人分の食事を並べた。椅子に座り、手を合わせた。「いただきます」と声に出さずに行った。食べ終えて食器を洗い、台所を片付けた。それから千恵子の部屋のドアを開けた。部屋の中に入ったのは、千恵子が亡くなってから初めてのことだった。布団はまだ畳んでいなかった。骨壺はそのまま布団の横に置いてあった。銀次は骨壺の前に座った。しばらくそこにいた。寒かった。暖房をつけていなかったからだ。だが、その寒さの中に確かに千恵子の気配があった。実際にいるわけではない。そんなことは分かっている。だが、この部屋の空気は千恵子がいた空気だった。
銀次は骨壺に向かって、いくつかのことを話した。声は出さなかった。頭の中で話しかけた。住居確保給付金が通ったこと。面接があったこと。スーパーで見切り品を買ってきたこと。直人を見かけたこと。元気そうだったこと。そこまで話して銀次は止まった。元気そうだった、という言葉をもう一度頭の中で繰り返した。元気そうだった。自分の息子が元気そうだった。それが嬉しいのか、悲しいのか、怒りなのか、銀次には判断できなかった。そのどれもが少しずつあって、混ざり合っていた。銀次は骨壺にもう一度目をやり、立ち上がって部屋を出た。電気を消した。廊下に立ち、少しの間そこにいた。
翌年の1月、銀次に採用の連絡が来た。先日面接を受けた警備会社からではなく、シルバー人材センターからだった。近くの公共施設の清掃補助、週3日、1日4時間、時給900円。警備の仕事ではなかった。だが、仕事は仕事だ。銀次はその場で了承した。初日、指定された公共施設に朝8時に出向いた。担当者に挨拶をし、道具の場所を教えてもらい、清掃の手順を説明された。モップの使い方、洗剤の希釈の仕方、廊下の拭き方。全部知っていることだったが、銀次は黙って聞いた。清掃を始めると、体が思い出したように動いた。40年間工場で機械を扱ってきた体は、単純な繰り返し作業に馴染んでいた。モップを引き、水を絞り、また引く。廊下が少しずつ綺麗になっていく。それだけのことだったが、体を動かしていると頭が静かになった。
昼過ぎに作業が終わり、銀次は施設を出た。外の空気が冷たかった。空は白く曇っていた。駅に向かいながら、銀次は今日一日のことを振り返った。何か特別なことが起きたわけではなかった。廊下を拭いて、窓を拭いて、それで終わりだった。だが、その1日が銀次には確かなものだった。給料は月に10万円に満たないだろう。住居確保給付金が3ヶ月で終われば、また家賃が厳しくなる。500万円の借金はまだそのままだ。直人がどこで何をしているかは分からない。それでも今日は働いた。明日も来てほしいと言われた。それだけが今の銀次の手の中にあるものだった。
2月のある昼下がり、銀次は施設の休憩室で弁当を食べていた。家から持ってきたおにぎり2つと、スーパーで買った小さな惣菜だけだ。他の清掃スタッフの女性が2人、向かいのテーブルに座っていた。1人が銀次に話しかけてきた。「黒田さんはどちらからいらっしゃるんですか?」銀次は「近くです」と答えた。それだけだったが、久しぶりに誰かと言葉を交わした気がした。千恵子がいた頃は、毎日何かを話していた。大したことではない。今日の天気のことや、スーパーで何が安かったとか、そういう小さな言葉のやり取りが毎日あった。それがなくなってもう3ヶ月近くが経っていた。
3月になった。住居確保給付金の補助が終わる月だった。銀次は区役所に行き、延長の相談をした。担当者は「収入の状況によっては延長も検討できる」と言った。また書類が必要になると。銀次は必要な書類を揃えて持ってくると言った。帰り道、郵便受けに封筒が入っていた。差出人は弁護士事務所の名前だった。部屋に上がり封筒を開けると、貸金業者から委託を受けた弁護士からの債務の確認と返済計画の提示を求める通知だった。500万円と、その後に加算された遅延損害金の合計額が書いてあった。銀次は一度その数字を見て封筒を畳み、引き出しに入れた。次の週、銀次は法テラスに電話をかけた。以前区役所で教えてもらった機関だ。無料で弁護士相談を受けられると言われ、予約を入れた。
相談の日、銀次は法テラスの事務所に出向いた。廊下に椅子が並んでいて、何人かが順番を待っていた。銀次より若い男性もいた。目の周りが暗く落ちていた。どういう事情かは知らないが、その顔を見て銀次は何かを感じた。自分だけではないのだ、という感覚だった。弁護士は40代の女性だった。落ち着いた話し方をした。銀次の話を聞きながら、時々メモを取った。500万円の債務については、まず借用書の有効性を確認する必要がある。署名が偽造であれば否認を主張できる可能性がある。ただし、証明には時間がかかる、と。銀次は「可能性がある」という言葉に引っかかっていた。長い時間をかけて、それでも解決しないかもしれない。だが今は、その可能性があるというだけで十分だった。弁護士は最後に言った。「1人で抱え込まないでください。手続きを進める間も、何かあれば連絡してください」それはアドバイスとして言ったのだと思う。だが銀次には、久しぶりに人から言われた普通の言葉だった。
春になった。公共施設の桜が咲いた。清掃の仕事で施設に向かう朝、銀次はいつも同じ道を歩く。その道の途中に小さな公園がある。ベンチが1つあり、桜の木が1本植わっている。ある朝、銀次はその公園の前で少しだけ立ち止まった。桜の花が満開だった。風が吹くたび、花びらが数枚ベンチの上に落ちた。誰も座っていなかった。千恵子は桜が好きだったか、と銀次は思った。考えてみるとよく分からなかった。洗濯物が乾く晴れた日は好きだと言っていた。花についてはあまり話していなかった。長年一緒にいたのに、知らないことがまだあった。銀次はまた歩き始めた。今日も清掃がある。帰りに郵便局によって、住居確保給付金の延長書類を出さなければならない。来週、法テラスから連絡が来る予定だ。空は晴れていた。銀次は歩きながらポケットに手を入れた。財布がある。今日の弁当のおにぎりがある。施設までの定期があって、仕事がある。それだけだ。派手なものは何もない。だが、今日一日を銀次は自分の足で歩いていく。それが今の銀次にできることの全てだった。


