「縁を切れ。今すぐこの家から出て行け」
リビングに響いたのは、愛する息子の怒号でした。あまりの剣幕に、私は手に持っていたティーカップを取り落としそうになりました。目の前で仁王立ちしているのは、私が手をかけて育て上げた一人息子の健二です。その傍らでは、嫁のリナさんが氷のように冷たい視線を私に投げかけていました。
「一体何を言っているの?」
私の震える声は、興奮した息子には届きません。
「もうお母さんは用済みなんだよ。今日限りで絶縁だ」
リナさんが勝ち誇ったように追い打ちをかけます。
「そうですよ。もう義母さんとは関わりたくないんです。生理的に無理なんですよ」
私の手の中には、今月分の生活援助費として用意した30万円の入った封筒が握りしめられていました。いつものように息子夫婦を訪ねるため、私はここへ来たのです。しかし、その封筒を握りしめたまま、私はただ呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。62歳になった私に向けられた、あまりにも残酷な仕打ちでした。
3年前に夫を亡くしてからというもの、息子家族だけが私の生きる希望だったのです。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。
私は元銀行員として35年間勤め上げました。夫が亡くなってからは、退職金と夫の残した財産で経済的には不自由ない暮らしを送っています。息子の健二は、私たち夫婦の愛情を一心に受けて育ちました。結婚してからも、私は惜しみない援助を続けてきたのです。
毎月の生活費として30万円。孫である友人の私立小学校の学費は年間200万円。そして2年前には、新車購入の資金として300万円を援助しました。
「お義母様のおかげで、こんなに豊かな生活ができています」
リナさんはいつもそう言って、感謝の言葉を口にしていました。孫の友人は私に懐いていて、週末には必ず遊びに来てくれました。
「おばあちゃん、大好き」
その言葉だけが私の生きがいでした。
健二は情報技術系の企業で順調に出世し、最近では課長に昇進したと聞いていました。リナさんは専業主婦として家事と育児に専念し、高級マンションに住み、高級車を乗り回す優雅な生活。それも、全て私の援助があってこそ成り立っていたはずです。親として、息子家族の幸せを願うのは当然のことだと思っていました。
しかし、その親心は今、完全に踏みにじられようとしているのです。
思い返せば、健二の態度が変わり始めたのは課長に昇進した頃からでした。
「母さん、もう大丈夫だから。援助なんていらないよ」
最初は、そんな言葉から始まりました。息子が自立しようとしているのかと、少し寂しくも誇らしく思っていました。しかし、事実は違っていたのです。
ある日、いつものように援助を渡そうとすると、リナさんが困惑したような顔を見せました。
「お義母さん、正直に言いますね。夫婦でまだ親から援助を受けていることが知られて、恥ずかしい思いをしたんです」
「恥ずかしい?」
「はい。まだ親のすねをかじってるのって、影口を叩かれて健二さんも会社で肩身が狭いみたいで」
私は胸が締め付けられる思いでした。よかれと思って続けてきた援助が、かえって息子夫婦を苦しめていたなんて。
「でも、生活は大丈夫なの?」
「ええ、健二さんの収入でお給料も上がりましたし、それに私の実家からも何かと援助があるので」
リナさんの実家からの援助なんて、初めて聞く話でした。
その後、徐々に息子夫婦との距離は開いていきました。
「母さん、友人の教育方針について口を出さないでくれ」
健二の言葉は、日に日に冷たさを増していきました。でも、友人の成績が心配で、つい口を出してしまった時のことです。
「だから、それが余計なお世話だって言ってるんだ」
息子に怒鳴られたのは、生まれて初めてでした。リナさんも同調するように言いました。
「お義母さんの時代とは違うんです。今は子供の自主性を大切にする教育が主流なんですよ」
「そうね……ごめんなさい」
謝ることしかできない自分が、情けなくなりました。
さらに追い打ちをかけるように、孫の面会も制限されるようになりました。
「友人、今週末はおばあちゃんの家に行かないの?」
「だめです。友人には習い事があるので」
リナさんの返事は、そっけないものでした。
「でも、たまには顔を見せてもらえると嬉しいのだけど」
「お義母さん、はっきり言いますけど、お義母さんと会うのは友人の教育に悪影響なんです」
「悪影響?」
私は自分の耳を疑いました。
「甘やかしすぎるんですよ。お小遣いをあげたり、欲しいものを何でも買ってあげたり。それじゃあ、友人がわがままになってしまいます」
確かに、孫が可愛くて、つい財布の紐が緩んでしまうことはありました。でも、それも愛情からです。
「わかりました。気をつけます」
「いいえ。もう合わない方がいいと思います。月に1度、30分程度なら考えますが」
月に1度30分。まるで面会制限のある囚人のような扱いです。
そして、最後は家への立ち入り禁止でした。
「母さん、悪いんだけど、これからは事前に連絡してから来てくれるかな?」
「今までもそうしていたじゃない」
「いや、急に来ることもあっただろう。それがプライバシーの侵害になるんだよ」
「侵害?」
息子の口から出た言葉とは信じられませんでした。
「でも、鍵を持っているのは何かあった時のためで……」
「その合鍵も返してもらえるかな」
健二は無情に手を差し出しました。震える手で、大切にしていた合鍵を渡しました。
「これで満足?」
「母さん、そんな言い方しないでよ。俺たちだって自分たちの生活があるんだから」
リナさんも横から口を挟みました。
「そうですよ。お義母さんも、もっと自分の生活を楽しんだらどうですか? 老人会とか趣味のサークルとかに入って」
「老人会……」
その言葉が、まるで私を厄介払いするかのように聞こえました。
日に日にエスカレートしていく息子夫婦の態度。私はただ耐えることしかできませんでした。それでも、月々の援助だけは続けていました。せめてそれだけでも、親としての役目を果たしたいと思っていたのです。
でも、その思いさえも、今日完全に踏みにじられたのです。絶縁という言葉を突きつけられた私は、震える声で理由を尋ねました。
「どうして急にそんなことを? 何か、私が悪いことをしたの?」
健二は深いため息をつきました。
「母さん、はっきり言うよ。実はリナの実家から1000万円の援助をもらえることになったんだ」
「1000万円?」
私は言葉を失いました。
「リナの父親が会社を売却して、その一部を俺たちに譲ってくれるって。だから、もう母さんの援助なんていらないんだよ」
リナさんが得意げに付け加えました。
「私の実家は一括で大きな金額を援助してくれるんです。毎月ちまちまと30万円なんて、もらう方も面倒ですし」
ちまちま。私が必死に工面してきた援助金を、そんな風に表現されるなんて。
「それに、お義母さんからお金をもらい続けるのって、恰好悪いじゃないですか。いつまでも親離れできないマザコン息子みたいで」
「でも、今まで援助してきた分は……」
私がそう言いかけると、健二が遮りました。
「それは感謝してるよ。でも、よく考えたら、それって親の義務だろう。子供を育てて援助するのは当たり前のことだ」
「親の義務……」
その言葉に、私の中で何かが音を立てて崩れていきました。
「義務って……あなたたちが困らないようにと思って」
「だから、もう困らないから大丈夫だって言ってるんだよ」
健二の声がまた大きくなりました。リナさんも畳みかけるように言いました。
「正直に言いますけど、お義母さんの援助って、紐つきじゃないですか? お金をもらっているから、色々口出しされるし、会わなきゃいけないし」
「紐つき?」
「そうですよ。私たちの生活に干渉する権利を買っているようなものです」
私は呆然としました。愛情からの援助が、こんな風に歪んで受け取られていたなんて。
「それは違います。私はただ、あなたたちの幸せを願って……」
「母さんの幸せの定義を、俺たちに押し付けないでくれ」
健二の言葉は、まるで刃物のように私の心を切り裂きました。
「これからは俺たちは俺たちの力で生きていく。母さんも自分の人生を生きてくれ。もう、お互い関わらない方がいい」
「本気で言っているの?」
「本気だよ。だから、絶縁させてもらう。今後一切連絡も取らないし、会うこともない」
リナさんが最後にとどめを刺しました。
「今まで援助してもらった分を返せとか、言わないでくださいね。それこそ親の愛情じゃないですから」
返せなんて、一度も思ったことはありませんでした。でも、こんな形で関係を切られるなんて。
「……わかりました」
私は、やっとそれだけ言いました。
「よかった。じゃあ、もう帰ってください」
健二は玄関を指差しました。私は手に持っていた30万円の封筒を見つめました。今月分の援助。もう、渡す相手はいないのです。
よろめく足取りで玄関に向かいながら、私は静かに言いました。
「絶縁、承知しました。あなたたちの選んだ道です」
玄関のドアが、私の背後で冷たく閉じられました。その瞬間、私の中で何かが完全に切れたのです。
息子の家を出た私は、夜の町を当てもなく歩いていました。涙は不思議と出ませんでした。ただ、心の中に冷たい何かが広がっていくのを感じていました。
家に戻ると、私はリビングのソファに座り、天井を見上げました。絶縁。その言葉を口にすると、急に現実感が湧いてきました。35年間大切に育てた息子から絶縁される。これが、親の行き着く先なのでしょうか。
でも、次の瞬間、私の中で何かが変わりました。いいえ、違う。私は間違っていない。
立ち上がった私は、書斎に向かいました。そこには、銀行員時代から使っている金庫があります。中を開けると、様々な書類が整然と並んでいました。通帳、印鑑、そして息子名義の口座に関する書類。
そうでした。この口座は、息子が大学生の時に作った口座です。当時、健二はまだ未成年だったため、私が法定代理人として管理をしていました。そして、その管理権限は、今も私が持っています。
さらに、息子夫婦が使っているクレジットカードも、家族カードとして私の本カードに紐ついているものでした。高額な買い物の際の利便性を図るためでしたが、これも私の一存で停止できます。
絶縁というなら、本当に縁を切ってあげましょう。
私は時計を見ました。ほぼ10時。明日の朝一番で、行動を起こすことにしました。
その夜、私は久しぶりにぐっすりと眠りました。不思議なことに、決断してからは心が軽くなったような気がしました。
翌朝、午前8時30分。銀行の開店時間に合わせて、私は一番乗りで窓口に向かいました。35年間勤めた銀行です。知っている職員も多く、すぐに個室に案内されました。
「佐藤さん、今日はどのようなご要件で?」
「息子名義の口座を凍結したいのです」
担当者は少し驚いた表情を見せました。
「ご子息の口座をですか? 何かご事情が?」
「息子から絶縁を申し渡されました。ですから、私が管理している口座も全て凍結します」
私は淡々と事情を説明しました。法的にも、私に管理権がある以上、問題はありません。
「承知いたしました。では、手続きを進めさせていただきます」
30分後、全ての手続きが完了しました。息子名義の口座は凍結され、中にあった500万円ほどの残高も一切引き出せなくなりました。
次に向かったのは、クレジットカード会社でした。
「家族カードの利用を、即時停止してください」
「承知いたしました。停止理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「家族関係の解消です」
ここでも手続きはスムーズでした。午前中には、全ての経済的な繋がりを断ち切ることができました。さらに、自動引き落としの設定も全てキャンセルしました。マンションの管理費、孫の学費、車のローン。全て私の口座から自動で引き落とされていたものです。これで、本当に他人になりました。
銀行からの帰り道、私は清々しい気持ちでした。長年のモヤモヤが、すっきりと晴れたような感覚です。
家に戻ると、私は手帳を開きました。そこには、今まで援助してきた金額の記録が細かく記されています。総額は3000万円を超えていました。このお金があれば、私自身のために使えるものがたくさんあったはず。でも、後悔はありません。その時は、息子のためだと信じていたのですから。
ただ、これからは違います。私は私の人生を生きる。
そう決意した瞬間、電話が鳴りました。画面を見ると、息子からでした。もう何の関係もありませんから。私は電話に出ることなく、着信音が止まるのを待ちました。
明日の朝、息子夫婦は気づくでしょう。自分たちがどれだけ私の援助に依存していたかを。でも、それはもう私の知ったことではありません。絶縁を選んだのは、彼らなのですから。
翌朝、午前7時。私がゆっくりと朝食を取っていると、携帯電話が鳴り響きました。画面には息子の名前。昨夜から5回目の着信でした。今回は、あえて電話に出ることにしました。
「もしもし」
「母さん、大変なんだ。口座が使えない」
健二の声は、明らかに動揺していました。
「何のことかしら?」
「とぼけないでよ。俺名義の口座が凍結されてるんだ」
「ああ、あの口座ね。私が管理していた口座でしょう。でしたら、当然の措置を取らせていただいただけよ」
電話の向こうで、息子が息を飲む音が聞こえました。
「当然の措置って……まさか、母さんが?」
「ええ、昨日の朝一番で手続きしました。だって、もう他人でしょう。他人の口座を管理する理由はありませんから」
「でも、あの口座には会社からの給料も振り込まれてるんだぞ」
「あら、それは大変ね。でも、私には関係ないことです」
リナさんの金切り声も聞こえてきました。
「クレジットカードも使えないのよ。買い物に行ったらレジで止められて、恥ずかしかったんだから」
「家族カードでしたからね。家族じゃなくなったら、使えなくなるのは当然でしょう」
「そんな生活できないじゃないか」
健二が怒鳴りました。
「母さん、すぐに元に戻してくれ」
「できません」
「できないって……」
「絶縁したんでしょう。もう親子じゃないんだから。あなたたちの生活に関わる理由はありません」
私は冷静に、しかしきっぱりと言いました。
「それに、リナさんの実家から1000万円もらえるんでしょう。それで何とかなるんじゃないですか」
電話の向こうが、急に静かになりました。しばらくして、健二が小さな声で言いました。
「……実は、それ嘘だったんだ」
「嘘?」
「リナの実家は、そんな余裕ないんだ。見栄を張っちゃって」
私は驚きませんでした。なんとなく、そんな気はしていたのです。
「そう。でも、もう関係ありませんね」
「母さん、頼む。話し合おう」
「話し合い? 昨日、絶縁だって言ったのはそちらでしょう」
リナさんが電話を奪い取ったようでした。
「お義母さん、お願いします。友人の学費が、今月末に20万円の引き落としがあるんです」
「知りません」
「マンションのローンも管理費も、全部お義母さんの口座から……」
「ええ、全て停止しました。だって、もう家族じゃないんですから」
「そんな……どうやって生活すればいいんですか?」
健二が再び電話を取りました。
「母さん、昨日のは言いすぎた。謝るから」
「何を謝るんですか? 絶縁なんて、本気じゃなかった?」
「本気じゃなかった。頼む」
私は思わず笑ってしまいました。
「あなたは私に向かって、縁を切れ、今すぐ出て行けと言ったんですよ。リナさんは、もう関わりたくないとはっきり言いました。それが本気じゃなかったなんて、都合が良すぎませんか?」
「でも……」
「それに、私の援助は親の義務だと言いましたね。ちまちまと30万円とも。そんな風に思われていたなんて、本当にショックでした」
電話の向こうで、リナさんが健二に何か言っているのが聞こえました。
「母さん、とにかく一度会って話そう。今から母さんの家に行くから」
「来ても無駄です。私は出かける予定がありますから」
「出かけるって、どこに?」
「他人に、行き先を告げる必要はありません」
実際、私は今日から旅行に出かける予定でした。援助に使うはずだったお金で、豪華なホテルを予約したのです。
「母さん、本当に困ってるんだ」
健二の声は、もはや懇願するようでした。
「健二さん、あなたは課長に昇進してお給料も上がったんでしょう。それに、リナさんも働けばいいじゃないですか」
「でも、急には……」
「私も急に絶縁されました。お互い様ですね」
リナさんが泣き声で言いました。
「お義母さん、友人はどうなるんですか? お義母さんの孫でしょう」
「孫? 私には孫はいません。だって、絶縁したんですから」
「そんな……ひどい」
「ひどい? どちらがひどいんでしょうね」
私は、昨日言われた言葉を思い出しながら続けました。
「お義母さんの援助は紐つき。生活に干渉する権利を買っている。教育に悪影響。そんな風に言われた私の気持ちが分かりますか?」
電話の向こうは、沈黙でした。
「それでは、これで失礼します」
「待って、母さん!」
私は電話を切りました。すぐにまた着信がありましたが、今度は出ませんでした。
30分後、玄関のチャイムが鳴りました。モニターを見ると、息子夫婦が立っていました。私はインターホン越しに言いました。
「何のご用ですか?」
「母さん、開けてくれ」
「申し訳ありませんが、アポイントのない訪問はお断りしています」
「アポイントって……親子だろう」
「いいえ。昨日絶縁しました。もうお帰りください」
「お義母さん、お願いします!」
リナさんの必死な声が響きました。
「本当に生活できないんです。今月の支払いが……」
「それはあなたたちの問題です。課長さんのお給料と、実家からの援助で何とかなるでしょう」
「だから、それは嘘だって言ったじゃないですか」
「嘘をついたんですね。なおさら信用できません」
私は立ち上がり、玄関から離れました。チャイムは鳴り続けましたが、無視しました。1時間後、ようやく静かになりました。窓から外を見ると、息子夫婦の車が走り去っていくのが見えました。
その後も、電話やメールが続きました。「お金を貸してください」「一時的でいいから」「援助を」「せめて口座の凍結だけでも解除して」――全て無視しました。
夕方、健二から長文のメールが届きました。
『母さんへ
本当に申し訳ありませんでした。昨日の言葉は全て撤回します。実は、僕たちの生活は母さんの援助なしには成り立ちませんでした。月々の生活費の7割近く、お母さんに頼っていました。マンションのローン、友人の学費、車の維持費、全て母さんのおかげでした。それなのに、感謝するどころか、ひどい言葉を投げつけてしまいました。リナの実家からの援助は嘘でした。見栄を張りたかっただけです。これからもずっと母さんに頼るつもりでした。今、僕たちは途方に暮れています。明日にでも、もう一度会って話をさせてください。心から反省しています。健二』
私はそのメールを読んで、複雑な気持ちになりました。でも、私の決意は変わりません。返信は短く、一言だけ。
『絶縁は、あなたたちが選んだ道です。私はその選択を尊重します』
送信ボタンを押した後、私は息子の連絡先をブロックしました。これで、本当に終わりです。
あれから半年が経ちました。私の生活は、驚くほど充実したものになっていました。今日も、趣味の書道教室から帰ってきたところです。先生から「佐藤さんの作品は本当に生き生きしていますね」と褒められ、心が温かくなりました。月々の援助に使っていた30万円。それを自分のために使うようになってから、人生が輝き始めたのです。
週に一度は、銀行時代の同僚たちとランチを楽しんでいます。先週は京都へ一泊旅行に行きました。紅葉が美しく、心が洗われるようでした。
「洋子さん、最近本当に若返ったわね」
友人の言葉に、私は微笑みました。
「ええ、やっと自分の人生を生きているって感じかしら」
スポーツジムにも通い始めました。健康的に体を動かすことの喜びを、62歳にして初めて知りました。体重も3キロ減り、体調もすこぶる良好です。そして何より、心が軽いのです。誰かの期待に答えるためではなく、自分のために生きる。当たり前のことのようで、私にはできていなかったことでした。
ある日、銀行で偶然リナさんの母親と会いました。
「あら、佐藤さん……」
彼女は気まずそうに視線をそらしました。
「こんにちは」
私は普通に挨拶をしました。もう、何のわだかまりもありません。
「実は、うちのリナがその……」
「申し訳ありませんが、私には関係のないことです」
そう言って、私はその場を離れました。
後で風の噂に聞いたところによると、息子夫婦の生活は一変したそうです。高級マンションは手放し、郊外の古いアパートに引っ越したとか。リナさんは働きに出ることになり、友人は私立小学校から公立に転校したそうです。車も手放し、健二は毎日満員電車で通勤しているとのこと。生活レベルが急激に下がったことで、夫婦仲も悪くなっているという話も耳にしました。
正直、複雑な気持ちになりました。でも、それも彼らが選んだ道です。
3ヶ月前、一度だけ健二が私の家の前に来たことがありました。ちょうど私が外出から帰ってきたところで、鉢合わせしてしまったのです。
「母さん……」
やつれた息子の姿に、一瞬心が揺れました。でも、私は毅然とした態度を崩しませんでした。
「何のご用ですか?」
「もう一度、やり直したい。本当に反省してる」
「反省? 何を反省しているんですか?」
「全部だよ。母さんへの態度、言葉、全て間違ってた」
健二の目には、涙が浮かんでいました。
「リナとも話し合った。もう二度と、あんな失礼なことは言わない。だから……」
「健二さん」
私は静かに、しかしはっきりと言いました。
「離縁は永遠です。これは、あなたたちが選んだことです」
「でも、親子だろう」
「いいえ。あなたが絶縁を宣言した時点で、私たちは他人になりました」
「友人が、母さんに会いたがってるんだよ」
その言葉に、少しだけ心が痛みました。でも、私は首を振りました。
「友人の教育に悪影響だと言われました。だから、会わない方がいいでしょう。あれはもう、結構です。私には、私の人生があります」
そう言って、私は家に入りました。健二はしばらく玄関の前に立っていましたが、やがて諦めて帰って行きました。それ以来、息子からの接触はありません。
私は今、本当の意味で自由です。誰にも縛られず、誰の期待にも答えず、ただ自分のために生きています。銀行員時代に貯めた退職金と夫の遺産、そして援助を辞めて浮いたお金で、経済的な心配は全くありません。
来月は、ヨーロッパ旅行を計画しています。一人旅です。若い頃から憧れていた、パリの美術館巡り。今なら、心から楽しめそうです。時折、昔のアルバムを見返すことがあります。幼い頃の健二、家族三人での写真、孫の友人の笑顔。懐かしさと共に、少しの寂しさも感じます。でも、後悔はありません。私は親としての役目を、十分に果たしました。援助も惜しみなくしました。それを義務と言われ、紐つきと言われ、挙げ句の果てに絶縁を突きつけられた。ならば、その通りにしてあげただけです。
私の決断は、世間では賛否両論かもしれません。親なのに冷たいという人もいるでしょう。もう一度チャンスを上げたら、という人もいるかもしれません。でも、私は思うのです。親の愛情を当然と思い、感謝の心を失った時、それはもう愛情ではなく依存になってしまうのではないでしょうか。
私たちの世代は、子供のために自分を犠牲にすることが美徳とされてきました。でも、それが本当に子供のためになるのか。今回の件で、私は学びました。時には毅然とした態度を取ることも愛情なのだと。そして、自分自身を大切にすることの重要性も。
62歳。まだまだ人生は続きます。これからは、自分のために自分らしく生きていこうと思います。親子の縁は切れても、私の人生は続いていきます。そして今、私は心から言えるのです。私は幸せです、と。
理不尽な仕打ちに屈せず、自分の尊厳を守り通した。それが、私の選んだ道でした。もしこの物語を聞いているあなたも同じような悩みを抱えているなら、どうか勇気を持ってください。我慢することが美徳ではありません。自分を大切にすることは、決して悪いことではないのです。
親子であっても、尊重なくして良い関係は築けません。一方的に奉仕することが愛情ではないのです。私の選択が正しかったかどうか、それは分かりません。でも、少なくとも私は今、自由で幸せです。それで、十分ではないでしょうか。



