私の名前は白田洋介。職業は農家だ。今日は中学の同窓会のため、畑を離れて都内の高級レストラン「ラ・メゾン・ドール」に来ている。手に持ったダンボール箱には、今朝収穫したばかりのミニトマトとベビーリーフが詰まっていた。実家の畑で丹精込めて育てた野菜だ。
受付で待っていると、顔なじみのシェフが現れた。いつも野菜を届けてくれている取引先の一つだ。シェフが箱を受け取ろうとしたその時、後ろから聞き覚えのある声が響いた。
「おや、白田じゃないか。相変わらず野菜の匂いがするな」
振り返ると、中学時代の同級生である小岩直樹が立っていた。今では大手レストラングループの営業部長だ。高価なスーツを身にまとい、見下すような目をしている。
「さあ、お前の席はそこだ」
小岩が指さした先には、シャンデリアの輝く高級レストランの隅に、古びたみかん箱が置かれていた。
「どうだ?農家にはぴったりだろう」
周りの同級生たちは気まずそうに目をそらす。シェフが何か言おうとしたが、小岩は手を挙げて静止した。
「悪いな。お前の高級レストランを、泥臭い農家の匂いで汚しちまって」
俺は静かに、しかし芯の通った声で返した。小岩の表情が一瞬こわばった。
「でもな、小岩。土の匂いは俺の誇りだ。野菜を育てる時の苦労も、収穫の喜びも、全部がな」
俺は堂々とみかん箱に座り、まっすぐに小岩を見つめた。
その時、レストランのエントランスから一人の女性が現れた。艶やかな黒のスーツ姿。この場にいる誰よりも華やかな存在感を放っている。
「あら、面白そうなことしてるわね」
その瞬間、小岩の顔が青ざめた。
「社、社長…。なぜここに?」
震える声。今までの傲慢な態度が嘘のように消えていた。現れたのは天野宮子。この高級レストラングループの社長であり、小岩にとってはボスだ。
「ねえ、洋介さん。この人、首にしちゃいましょうか?」
宮子さんは俺に向かって微笑みかけた。その柔らかな微笑みとは裏腹に、言葉の重みが会場全体を支配していく。
「だって、婚約者の同窓会が自社のレストランで行われるって聞いたから様子を見に来たら、こんなことになっているんだもの」
婚約。その言葉に会場がざわめく。小岩の顔から血の気が引いていく。
「それに、あなた知らないの?うちの会社がどれだけ農家の方々に支えられているか。特に彼の農園は、うちの看板メニューを支える重要なパートナーよ。安全で美味しい野菜を届けてくださっているの。営業なら、取引先をもっと尊重すべきではないの?」
彼女の言葉一つ一つが小岩を追い詰めていく。
その時、ウェイターが美しく盛り付けられた料理を運んできた。シェフが説明を始める。
「まずは白田農園のアサツキ、ルッコラとフリルレタスのサラダです」
同級生たちの目が輝く。宮子さんが野菜へのこだわりを語り始めた。土づくり、害虫対策、収穫のタイミング。どれもすべて、命を育てる真剣な仕事だ。
「白田農園の野菜は特別なんですよ」
完成が上がるたびに小岩の表情が曇っていく。やがて、彼は耐えられなくなったように立ち上がった。
「申し訳ありません。私は、私の方法で会社に貢献して見せますので」
小岩は深くお辞儀をすると、そのまま去っていった。重たい扉が閉まる音が響く。
同窓会が終わり、俺は宮子さんと連れ立って夜道を歩いた。
「ごめんね。まさかあんなにひどい人だなんて」
「気にすることないよ。それより…、昔のことを思い出すんだ」
小岩は昔、全然違う奴だった。中学1年生の時、都会から転校してきた小岩は、最初は誰とも話さない子だった。でも、俺が声をかけて畑に誘った。スイカの収穫を一緒にした。土まみれになりながら、二人で野菜を育てた。
「将来俺も農家になりたいかも」
「一緒に野菜育てようぜ」
小岩は本気だった。でも、ある日を境に急に変わった。小岩の母親が畑に現れて「2度と息子に近づかないで」と怒鳴ったのだ。翌日から、小岩は別人のような態度になった。
「農家なんてダサいじゃん。土いじりなんかして将来どうすんの?」
それから小岩は俺から距離を置くようになった。
「お前も似たような経験があったんだな」
宮子さんが静かに言う。彼女が言うには、3年前、研修で俺の畑に来た時、最初は効率ばかりを気にしていたという。でも、畑仕事を覚えていくうちに、少しずつ変わっていった。
「私、ずっと競争の世界で生きてきたんです。でも、農業って誰かと戦うものじゃない。土と生き物と天気と、みんなと協力して何かを育てていくものだって」
そう言って、彼女は俺の婚約者になった。
それから数日後、宮子さんのグループ本社に納品に行くと、異常な雰囲気だった。小岩が進めていた新規仕入れ先の件で、大変なことになっていたのだ。彼が選んだ業者は、市場に出せない不良品や規格外品を大量に扱う、業界で最悪の評判の業者だった。品質の低い野菜が届き、各店舗から大量のクレームが来ているという。
「同窓会で白田の野菜なんか食ってられない。もっといい仕入れ先を見つけて見せます。効率的で低コストで」
小岩の言葉を思い出す。その結果がこれだ。
俺はすぐに電話をかけ始めた。近所の農家たちに協力を仰ぎ、なんとか翌朝までに一定量の野菜を揃えることができた。
「小岩さん。この件について詳しく説明してもらえるかしら?」
宮子さんの声が冷たく響く。小岩は必死に言い訳を始めた。
「ある業者と取引を始めたんです。従来の仕入れ価格の半分以下。利益率は確実に3倍以上になります」
「その業者、グリーンバリューですか?」
俺は思わず声をあげていた。
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、業界で最悪の評判の業者だよ。市場に出せない不良品や規格外品を買いたたいて、食品工場に流す時には賞味期限切れの野菜まで混ぜて納品する。そんな詐欺紛いな商売をしているところだ」
「でも、野菜なんて同じだろう。結局は植物じゃないか」
「本気で言ってるのか?」
俺の声が震えた。怒りのせいだ。
「このトマトが、うちのトマトと同じだと?」
机の上に置かれた納品サンプルを手に取る。しなびて、所々黒ずんでいる。俺は自分のダンボールから今朝収穫したミニトマトを取り出した。真っ赤に完熟し、艶のある皮が光を反射していた。
「うちは品種から考えてる。レストランのサラダ用、加工用、煮込み用、用途に合わせて最適な品種を選んでる。収穫のタイミングだって、お客様の使用時間に合わせて調整してる。毎朝3時に起きて、その日の分を収穫する。なぜだと思う?朝採れの野菜が一番美味しいからだ。鮮度が命のサラダ用トマトは、お客様の手元に届くまでの時間まで計算して、収穫時間を決めてる」
「そこまで…」
「当たり前だ。農業を舐めないでくれ。こっちだって必死に戦ってるんだ。品質を上げるために、選ばれるために。毎日土と向き合って、天候と戦って、試行錯誤の繰り返しなんだよ」
会議室が静まり返った。
「あなたには、長期解雇を言い渡す」
宮子さんの声が冷たく響いた。
「待ってくれ。いい考えがある」
俺は彼女の言葉を遮った。
「小岩。明日からしばらく、うちの農園で働いてもらえないか。野菜の育て方、収穫の仕方、選別の基準。全部見てもらえ。そして、農家がどれだけの思いで野菜を作っているのか、その目で確かめてくれ」
小岩は俯いたまま、しばらく考え込んでいた。やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「…わかりました」
翌日早朝。まだ日の出前の畑に、小岩が立っていた。高級スーツを避けるように、貸した作業着に着替えている。その表情には、明らかな不快感が浮かんでいた。
「じゃあまずは、キュウリの収穫からだ」
俺は小岩に軍手を投げ渡した。彼は不満そうな顔をしながらも、言われた通りに作業を始めた。最初はおぼつかなかった手つきが、次第に丁寧になっていく。
「あ、これ…」
小岩が突然声を上げた。彼が手にしていたのは、完璧な大きさと形のキュウリだった。
「その調子だ。よく見つけたな」
褒められて、少し照れ臭そうな表情を見せる小岩。その姿は、かつて一緒に遊んでいた頃の彼を思い出させた。
「昔みたいだな」
思わずついた俺の言葉に、小岩の動きが止まる。
「…そうだな」
その声には、懐かしさと後悔が混ざっていた。
2時間ほど作業を続けた後、休憩に採れたてのトマトを渡すと、小岩はためらいながらも口にした。そして、その表情が一変する。
「甘い…」
「当たり前だ。熟させて収穫してるからな。土づくりからこだわってるから、スーパーのやつとは全然違うだろ」
小岩は黙ってトマトを見つめていた。
「なあ、小岩。俺はずっと、どうやったら野菜が美味しくなるのか、環境に配慮できるのかを研究し続けてきた。お前はこの数年、何やってたんだ?」
「…会社の利益を、何よりも考えてました」
小岩は自分の手についた土を見つめながら、小さな声で言った。
「でも、それじゃダメだって分かってくれたよな。確かに農業は泥臭い。でも、この土があるからこそ、俺たちは生きていけるんだ。だから土を大切にする。それが農家の誇りなんだ」
小岩は黙って頷いた。
夕暮れ時。1日の作業を終え、畑のあぜ道で休んでいた時、小岩が突然静かな声で話し始めた。
「なあ…、昔のことを覚えてるか?俺たちが畑にいて、母親が怒った日のこと」
「ああ、覚えてるよ」
「実は…、俺の親父の実家、農家だったんだ」
意外な告白に、俺は驚いて小岩の方を見た。
「でも、うまくいかなくて借金まみれで、最後は土地も売って。親父はそんな実家に呆れて都会に出たんだ。そこで必死に働いて起業して、今みたいに裕福になった。だから親父は、俺に農業の話題を出すことすら許さなかった。『お前には2度とあんな苦労はさせたくない』ってな」
小岩の声が震える。
「でも、俺は農業に興味があった。そんな時にこの町に引っ越してきて、お前と出会った。最初はすげえ楽しかった。畑で遊んで、野菜を収穫して…。でも、あの日泥だらけで母に連れられて帰った俺を見て、親父が言ったんだ。『お前はもう、あんな泥臭い世界とは関係ないんだ』って」
涙が小岩の頬を伝い落ちる。
「それから毎日塾に通わされて、勉強漬けの日々だった。『お前は絶対に成功者にならないといけない』って。ここで楽しかった思い出を、書き消すように。でも、本当は…。本当は、農業が好きだった。お前との日々が忘れられなかった。土の匂いが好きで、作物が育つのを見るのが楽しくて。でも、それを口に出すことすらできなくて」
小岩の告白を聞いて、ようやくすべてが分かった。
「なあ、小岩。見えるか?あそこに新しい区画を作ろうと思ってるんだ。これからの時期に植えれば、秋には収穫できる。お前も一緒にやらないか?」
小岩が驚いた顔を上げる。
「でも、俺はお前をあんなにバカにしたのに…」
「過去は過去だ。それより、これからどうするかの方が大事だろう。好きなことから逃げるな。誰かの期待に答えようとするんじゃなくて、自分の心に正直になれよ」
小岩の目が大きく見開かれる。
「農業は誰にでも門戸が開いてる。土さえあれば、誰でも始められる。それが農業の、いや、大地の懐の広さなんだ」
「俺…。俺も、農業やりたいです」
震える声。けれど、その言葉には強い意思が込められていた。
「それが本当の気持ちなんだな」
「ああ、やっと言えた。自分に正直になれた」
そう言って、小岩の顔に解放されたような笑顔が浮かんだ。それはかつて一緒に畑で遊んでいた頃の、あの無邪気な笑顔そのものだった。
それから1ヶ月が経った。朝霧の立ち込める畑で、小岩が黙々と作業をしている。会社に復帰した今も、時間を見つけては畑を手伝いに来ている。もう以前のようなぎこちなさはなく、手際よくテキパキと野菜を収穫していく姿は、まるで生まれながらの農家のようだった。
「なあ、白田。社長と話し合って、新しい企画を考えてるんだ。レストランのお客様に、産地であるここを畑を見学してもらおうと思うんだ。収穫体験もできるようにして。都会の人たちに、野菜がどうやって育つのか、農家がどんな思いで作っているのかを直接感じてもらう。そうすれば、もっと分かってもらえると思うんだ」
「面白そうじゃないか。やってみようぜ」
その日から俺たちの農場は少しずつ変わり始めた。週末には都会から家族連れが訪れ、収穫体験を楽しむようになった。子供たちが土まみれになって野菜を掘り出す姿に、小岩は優しい笑顔を向けている。SNSでの発信も好評で、若い農家志望の人たちから質問が届くようになった。
「お前、随分と変わったな」
「ああ」
小岩は穏やかな表情で答えた。
そして、秋の収穫祭当日。俺たちの畑には大勢の人が集まっていた。カラフルなテントが立ち並び、野菜の直売所、料理の実演コーナー、子供向けの収穫体験エリア。高級レストランのシェフたちも、採れたて野菜で腕を振るっている。
その時、宮子さんが小岩に近づいてきた。後ろには、見覚えのある夫婦の姿が。
「小岩君。お父様とお母様をお招きしたの」
小岩の表情が固まる。宮子さんが両親の前に立った。
「天野グループ社長の天野宮子です。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「実は、この収穫祭の成功も小岩君の活躍があってこそなんです。彼が提案した農業体験プログラムは、私たちの会社の看板事業になりました。先日、営業企画部の責任者に抜擢されたところですよ」
父親が静かに口を開いた。
「私の実家も農家だったんです。でも、今の時代、昔と違ってうまくいかなくて、借金を重ねて結局ダメになった。だから息子には同じ思いはさせたくなかったんです。農家に関わろうとする直樹を、必死に止めた。でも、それは間違いだった。直樹の夢を潰してしまって」
「別にいいよ、お父さん」
小岩がゆっくりと、しかし力強く答えた。
「今は分かる。父さんも母さんも、俺のことを考えてくれてたって」
その時、収穫体験エリアから子供たちの歓声が響いた。
「小岩さん、見て見て!でっかいトマト取れたよ!」
「ああ、すごいじゃん」
目元を拭いながら、笑顔で手を振る小岩。
「父さん、案内してくれないか?お前の仕事ぶりを」
「もちろん。ちょうど今から収穫体験の案内するところだったんだ。父さんも母さんも、よかったら来て」
畑へと歩き出す3人を、俺と宮子さんで見送る。
「よかったわね」
宮子さんが優しく微笑んだ。俺も頷く。小岩の背中が、こんなにも誇らしく見えたことはない。
さて、宮子さんがステージに向かって歩き始めた。
「次は私の番ね。実は、サプライズは2つあると言っていたでしょう?」
ステージ上では、すでに司会者が宮子さんを紹介していた。宮子さんはマイクを手に取り、会場を見渡した。
「本日はたくさんの方々にお越しいただき、ありがとうございます。私たち天野グループは、これまでレストラン事業を中心に展開してまいりました。しかし、この農場での体験を通じて、新しい価値を見出すことができました。それは、人と土地が織りなす物語。農業を通じて育まれる絆の素晴らしさです」
会場が静まり、宮子さんの声に力が込められていく。
「そして、本日私から皆様にご報告させていただきたいことがあります。実は、この農場を守り続けてきた白田洋介さんと私は、婚約することになりました」
「え?」
思わず声が漏れた。小岩の両親のサプライズの相談には乗ったけど、まさか自分の婚約発表までするとは。会場からどよめきが起こり、プレスカメラのフラッシュが焚かれ始めた。
「今後は、私たちらしい農業の形を一緒に作っていきたいと思います。都会の幻想の中で失いかけていた、本当に大切なものを教えてくれた彼と共に」
俺は静かにステージに上がり、宮子さんの隣に立った。
「おめでとう!」
小岩が一番大きな声で叫んでいた。気がつくと、俺の両親も嬉しそうに手を叩いている。この両親は、事前に知っていたな。
会場からの祝福の声に、照れ臭くて顔が熱くなる。宮子さんは満面の笑みを浮かべていた。それを見て、俺も思わず笑みがこぼれた。
そういえば、うちの畑に研修に来た時も、いきなり現れてびっくりさせられたんだよな。真夏の畑に、高級車で乗り付けた宮子さん。最初は土を嫌がっていたのに、今では野菜を育てることが何よりの楽しみになっている。
人は変われる。小岩もそうだし、宮子さんもそう。そして、俺自身も彼女と出会って少しずつ変わってきた気がする。
俺は畑の方を見渡した。夕暮れの空の下、野菜たちが優しく揺れている。これからもこんな風にサプライズを仕掛けては、俺を驚かせ続けるんだろう。でも、それも含めて彼女らしさなんだ。そんな彼女と一緒に、この大地を、この畑を、そしてここから生まれる様々な物語を育んでいける。そう思うと、胸が温かくなった。
これからの人生も、きっといろんなサプライズが待っているんだろうな。そんなことを考えながら、夕焼けに染まる収穫祭の光景を、俺は静かに見つめていた。



