俺はこの先もう二度と彼女に会えないかもしれないと思った瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。
あの日、俺は新しい穴場のキャンプ場を探していた。人気のない、大自然に囲まれた場所でソロキャンプをするのが、俺の何よりの楽しみだった。平日は保険会社の営業マンとして働き、休日になると車を走らせて誰もいないスポットを探す。この日も山奥を走り回って、ようやく見つけたのは管理人のいない小さなキャンプ場だった。
「これ、めちゃくちゃいいかも。しかも人もいなさそうだし」
看板の近くの小屋には、キャンプ場のルールが書かれた説明書があったが、管理人の姿はなかった。よく見ると「当キャンプ場は管理人がおりません」と書かれている。俺は最高の場所を見つけたと喜び、早速テントを張って周辺の散策に出かけた。
すると、俺のテントから少し離れた場所に、もう一つテントがあることに気づいた。
「あれ? ひょっとして、俺以外にもキャンプしてる人がいるのか?」
近づいてみると、確かに人のテントだった。サイズから察するに相手もソロキャンパーらしい。せっかく貸し切りだと思ったのに、と少し残念に思っていると、目の前のテントがガサガサと動き始めた。中の人が出てくるらしい。俺は物陰に身を潜めて、どんな人物なのかを見てみることにした。
テントから出てきたのは、一人の女性だった。しかも、服を一枚も着ていない。俺は驚きのあまり、声を漏らしてしまった。
「えっ」
その声に気づいた女性がビクッと反応し、俺の方を見た。ばっちり目が合ってしまった。俺は動けず、その場に立ち尽くすしかなかった。
すると、その女性はこちらに近づいてくる。見た感じ30代前半くらいだろうか。年齢を感じさせないほどスタイルが抜群で、俺よりずっと大人の雰囲気があった。そして、目の前までやってくると、こう言った。
「ここで何をしているの? 覗き?」
「ち、違います! 僕はここから少し先でキャンプしてたんです。それで周辺を散策してたらテントを見つけたので、誰かいるのかなって見てただけなんです。本当に偶然なんです。信じてください」
「へえ、偶然ね。まあ、言い訳なんていくらでもできるわよね」
「いやいや、言い訳じゃなくて本当なんですって。っていうか、どうしてそんな格好をしているんですか?」
「え、どうしてって? これだけ自然の中でキャンプするなら、こっちも自然体でいるのが一番かなって」
「それはそうかもしれませんけど、もしかしたら自分以外にも人がいるかもとか思わないんですか?」
「私は何度かここに来てるけど、このキャンプ場って穴場でね、人がいるのを見たことがないの」
「だとしても、毎回そうとは限らないでしょう。僕みたいに穴場を探してくる利用者もいるんですから」
「まあ、確かにそうかもね。それでもこんな深山の中に人がいるなんて思わないでしょ。それにここはすぐそこに川があるから、水浴びするのにも最適なの。だからこの場所は私のお気に入りなのよ」
「確かに、ここはすごくいい場所だとは思いますけど」
「でしょ。自然体になるともっと最高よ。マイナスイオンも直に吸収できるしね」
「ああ、だからそんなにスタイル抜群なんですね」
俺はついつい本音をこぼしてしまった。知らない男性に突然そんなことを言われて、変態だと思われるかもしれない。慌てて謝ると、彼女はなぜか嬉しそうに笑った。
「あら、スタイル抜群? 若い子にそう言ってもらえるとなんか嬉しいわね。ありがとう」
「あ、いえ、正直にそう思ってました」
「私、あなたのこと気に入っちゃったわ。あなたはどこにテントを立てたの?」
「え、僕ですか? すぐそこですけど」
俺が自分のテントを指さすと、彼女は「ああ、あれね」と納得した顔をした。それから、俺のキャンプギアを見たいと言い出した。
「じゃあギアとか見せてくれない? 私もソロキャンプが趣味なんだけど、他のキャンパーのギアとかを見るのも好きなの」
「ああ、それ僕も分かります。僕のでよければ見に来てください。ああ、でも、その前に服は着てもらえますか?」
「ああ、ごめん、ごめん。私、キャンプする時はいつもこの恰好だからすっかり忘れてた。服着てくるから待ってて」
彼女はテントに戻って服を着ると、俺のテントまで一緒に来た。そこで初めてお互いの名前を交換した。
「私はまゆかっていうの。あなたは?」
「僕はシ太って言います」
「シ太君ね。お仕事は何してるの?」
「普通のサラリーマンです。保険会社で営業をしていて」
「営業マンか。なんかそんな感じがしたわ。私は美容関係の仕事をしているの」
「美容関係ですか? 通りで肌とかもすごく綺麗ですもんね。僕より年上で大人っぽい感じがしますけど、同世代と変わらないくらい肌が綺麗です」
「え、シ太君っていくつなの?」
「僕は今年で26歳です」
「26歳?」
「そうですけど、どうしてそんなに驚くんですか? まゆかさんもそんなに変わらないでしょう」
「ちょっと、あなた本気で言ってる?」
「ええ、本気ですけど」
「私は今年で36歳よ」
「36歳? 本当ですか?」
「本当よ。もうおばさんなの」
「全然見えなかったです。なんかすみません。別に失礼で言ったつもりではなかったんですけどね」
「分かってる、分かってる。むしろ謝られる方が嫌だから。年齢とか気にせず、普通に接してくれていいからね」
「はい、分かりました」
俺のテントに着くと、まゆかさんは中を見て回った。
「ああ、このランタン私も持ってる。おしゃれなのに意外と安いのよね。ああ、このグリルも私使ってる。軽くて使い勝手がいいわよね。シ太君、私と気が合うかもね」
「本当ですか? ありがとうございます。グリルもランタンもいいんですけど、特に僕がおすすめなのがこのシュラフなんです」
「え、その寝袋、もしかして」
「そうなんですよ。あの人気メーカーとのコラボ商品なんです。保温性も抜群だし寝心地が最高なんですよ。まあ、夏にはあまり使わないんですけどね。ここは一応山奥なので朝方は冷えるかなと思って、念のために持ってきました」
「これ私も欲しいと思ってたんだよね。でもこれ結構高いでしょ」
「よくご存知ですね。僕はこれを買うために節約してましたから」
「へえ。シ太君センスいいね。テントの中もシンプルだし、使い手いいものばっかりだし。本当に日頃からソロキャンプを楽しんでるって感じ」
「はい。僕にはこれくらいしか趣味がないので」
「じゃあ彼女もいないの?」
「まあ、これだけキャンプにお金を使っていたら、彼女には尽くせないか。あ、はい、その通りで彼女はいません。趣味を理解してくれる人がいたらいいんですけど、そんな人ってなかなかいないですよね。僕ってギア一つ買うにしても口出しして欲しくないタイプなので」
「分かる、分かる。その気持ちよく分かるよ」
「え、じゃあまゆかさんも彼氏いないんですか?」
「うん、いないよ。っていうか、これだけ気が合うキャンパーに出会ったのは初めてかもしれない。これも何かの縁だし、よかったら一緒に飲もうよ。私、キャンプしながらお酒を飲むのがすごく好きなの。だから今日も色々持ってきてるから」
「え、僕もご一緒していいんですか?」
「もちろんよ。お互いにソロキャンパー同士なんだから、いろんな話をして語り合おうよ」
「いいですね。じゃあ僕はおつまみを用意しますね。って言っても、そんな大したものはできないんですけど」
「ありがとう。じゃあお願いするわ。私はお酒を持ってくるからちょっと待ってて」
こうしてお互いに準備に入り、しばらくするとまゆかさんがクーラーボックスを持って俺のテントにやってきた。
「じゃーん。いっぱいあるでしょう」
「クーラーボックスごと持ってきたんですか? 重たかったんじゃないですか?」
「まあ重たいは重たいけど、このくらいは余裕かな。いつも車まで一人で運んでるからね」
「そりゃそうか。でも、ここ山道だから足元大丈夫でしたか?」
「大丈夫大丈夫。私そんなひ弱じゃないしね。そんなことより、この料理シ太君が作ったの? 全然大したことあるんだけど」
「まあ、僕が作りましたけど、いつも一人だから誰かに食べてもらったこととかないんですよね。だからお口に合わないかもしれませんけど」
「いやいや、見るからに絶対美味しいから大丈夫。私ってお酒とかは結構ちゃんと用意するんだけど、おつまみは適当なのよね。なんか作るのがめんどくさくなっちゃって。だから今日はこんな立派なおつまみがあって最高よ」
嬉しそうなまゆかさんを見ていると、こっちまで嬉しくなる。料理が完成し、俺たちはまゆかさんの持ってきたワインで乾杯した。まゆかさんは俺の作った料理を何度も「美味しい」と言って食べてくれた。その後はお互いにキャンプの話や仕事の話をして、話題は尽きなかった。初めて会ったとは思えないほど楽しい時間を過ごし、お酒も進んでほろ酔いになった頃、まゆかさんが言った。
「やっぱりこっちの方が楽よね」
そう言って、また服を脱ぎ始めた。
「自然体が一番よ」
まゆかさんは近くの川ではしゃぎ出した。
「よし。じゃあ僕も付き合います」
普段ならこんな大胆なことはできない俺だが、酔っていたせいか俺も服を脱いで川に入った。しばらく一緒にはしゃいでいると、突然まゆかさんの動きが止まった。
「まゆかさん、どうしたんですか?」
「シ太君、それ」
まゆかさんは俺の股間を指さした。なぜか興奮してしまったのか、俺の大事な部分がかなり元気になっていた。俺も驚いてすぐに隠した。
「え、なんでだろう? すみません」
すると、まゆかさんは俺に向かってゆっくりと近づいてきた。
「シ太君のテントで一緒に寝てもいい?」
「それって、もしかして…」
「もっと、シ太君のこと教えて欲しいの」
至近距離でそんなことを言われて、俺が断れるはずもなかった。静かに頷くと、彼女はそのまま俺のテントに誘導し、俺たちは激しく愛し合った。10歳も年上の女性を抱くのは初めてだったけど、そんな年の差を感じさせないくらい、まゆかさんは色っぽくて綺麗だった。あまりの激しさに、行為が終わった俺たちはすぐに眠りについていた。
翌朝、ガチャガチャと物音が聞こえて目が覚めた。昨夜のことを思い出す。俺は勢いでまゆかさんを抱いたんだ。服を着て外に出ると、まゆかさんが宴会の後片付けをしてくれていた。
「シ太君、おはよう」
「おはようございます。片付けてもらっちゃってすみません」
「いいのよ。シ太君が料理を作ってくれたんだから、片付けるのは私がやって当然でしょ。ありがとう。ああ、あと昨日は…ついやっちゃったね。私も酔っててテンション高かったからごめんね」
「いえ、まゆかさんが謝らないでください。僕もまゆかさんがすごく魅力的に見えたので」
「そう。ありがとう。じゃあ私はクーラーボックスを戻してくるから、片付けを任せてもいい?」
「はい、もちろんです」
そう言ってまゆかさんはクーラーボックスを持って自分のテントに戻っていった。まゆかさんは大人の女性だから、昨日のことは別に何とも思っていなさそうだ。こういうことをよくしてるのかな? 俺はなんだかモヤモヤしていたが、まゆかさんはすぐに戻ってきて片付けを手伝ってくれた。
「じゃあ、後片付けも済んだことだし、私はそろそろ帰らなきゃいけないからテントに戻るね。昨日はとっても楽しかったよ。ありがとう」
「分かりました。こちらこそありがとうございました」
結局、俺は勇気を出せず、まゆかさんに連絡先を聞くことができなかった。そのまままゆかさんは自分のテントに戻り、俺も自分のテントを片付けながら、とても後悔していた。
「はあ。どうして連絡先を聞かなかったんだろう。この先、もう二度と会えないかもしれないのに」
俺はやっぱりまたまゆかさんに会いたい。そう思った俺は、まゆかさんのテントへと向かった。だが、時すでに遅し。そこにまゆかさんの姿はなかった。
「ああ、もう帰っちゃったのか」
俺は肩を落として自分のテントに戻り、残りの片付けを再開した。そして家に帰った俺は、ふとあることを思った。まゆかさんはあのキャンプ場によく行くと言っていたし、またあそこに行けば会えるかもしれない。しかし人生はそんなにうまくはいかず、その後仕事が忙しくなり、しばらくの間キャンプに行けなくなってしまった。
ようやくキャンプに行けたのは、まゆかさんと会ってから3ヶ月が経った頃だった。季節はもう10月の半ばになっていて、山奥はかなり寒くなっていた。これだけ寒かったらまゆかさんはいないかもしれない。ただ、彼女に出会えるとすればそこしかないし、ほんの少しでも望みがあるなら、と俺は淡い期待を胸にキャンプ場に向かった。
やっとのことで到着したが、やはりそこにまゆかさんの姿はなかった。
「いや、まだ諦めるのは早い。もう少ししたら来るかもしれないよな」
俺はそう自分に言い聞かせていたが、結局その日はまゆかさんが現れることはなかった。俺はその後も諦めきれず、そのキャンプ場に足しげく通ったのだが、どこを探してもまゆかさんは現れなかった。
たった一度しか会っていないのに、どうしてこんなにも彼女に会いたいのだろう。そうか、俺はまゆかさんに出会ったあの日から、彼女のことが好きになっていたんだ。もしまゆかさんにもう一度会えたら、俺は気持ちを伝えるつもりでいた。断られたって構わない。それでも自分の気持ちを伝えたかった。だからこそ、俺は諦めることなくキャンプ場に通い続けた。
しかし、まゆかさんと再会することはできず、彼女に初めて会った日から1年が経ち、また夏の季節がやってきた。俺は休日になると相変わらずあのキャンプ場に行っている。しかしこの頃には、俺の気持ちに少しずつ変化が現れていた。俺がまゆかさんに会えないのは、彼女が俺のことを避けてるからかもしれない。だから俺は、この夏の間にまゆかさんに会えなかったら、その時はきっぱりと諦めようと思った。
そして、この日も俺はキャンプ場に向かい、いつもの場所にテントを張った。すると、近くの茂みでガサッと音がして、俺はまさかと思い、その音がした方を見た。
なんと、そこにはまゆかさんがいたのだ。
「まゆかさん!」
俺はまゆかさんに会えたことが嬉しくて、彼女に話しかけようとしたのだが、彼女はなぜかその場を去ろうとした。
「ごめんね。私もう行かないと」
「ちょっと待って!」
俺は慌てて走り寄り、まゆかさんの腕を掴んだ。
「なんで逃げようとするんですか?」
「だって、シ太君はもう私に会いたくないんでしょ」
「え?」
「だから、私に会わないようにって、ここに来なくなったんでしょ。私が酔った勢いでシ太君のことを誘ったから、本当は嫌だったんだよね」
俺が仕事でキャンプに来れなくなったのを、まゆかさんは自分の責任だと感じていたらしい。
「それは違います。僕が来れなかったのは仕事が忙しかったからであって、本当は僕はまゆかさんに会いたくて仕方がなかったんです。でも仕事が落ち着いてここに来た時には、まゆかさんはいなくて。それからは休みのたびにここに来たんですけど、やっぱりまゆかさんはここに来ていなくて。今年の夏にまゆかさんに会えなかったら、諦めようと思っていました」
「どれくらいの間、仕事が忙しかったの?」
「うーん、3ヶ月くらいですかね。また来れるようになったのは10月半ばくらいでしたから」
「そうだったんだ」
「僕も、まゆかさんに避けられてるんじゃないかって思ってました。不安で寂しくてたまらなかったです。でも、やっと会えました。本当に良かったって思ってます」
俺は深呼吸をして、伝えたかった言葉を口にした。
「まゆかさんに会えたら言いたいことがあったんです」
「言いたいこと?」
「はい。僕はまゆかさんに一目惚れしたんです。もしよかったら、僕と付き合ってくれませんか?」
「え…」
「まゆかさんと一緒にいたら、きっと毎日が楽しくなると思うんです」
まゆかさんは驚いた顔をした後、ゆっくりと微笑んだ。
「嬉しい。私もね、またシ太君に会いたいなって思ってた。だから次の休みの日もここに来たのよ。でもシ太君はいなくて、その後も何度もここに来たけど、シ太君は来なかったから、やっぱり私のこと嫌だったのかなって思って。だから私はしばらく別のところでキャンプをしてたの。でも、あれから1年経ったし、そろそろいいかなと思って久しぶりにここに来たの。そうしたら、まさかシ太君がいるから驚いちゃった」
「そうだったんですね。僕たち、ずっとすれ違ってたんですね」
「本当だね」
「まゆかさん、返事を聞かせてもらえますか? もちろん、断ってもらっても大丈夫ですから」
「じゃあ、ソロキャンパーとしてこれからも仲良くしてください」
「それって、もし断っても諦めないってことじゃない?」
「まあ、そうなりますかね。振り向いてもらうまで頑張ります。あと、やっと再会できたので、今日こそは連絡先を教えて欲しいです」
「シ太君って、意外と積極的なのね」
「積極的じゃないと営業マンはできませんからね」
「それもそうか。こんな私でよければ、これからもよろしくお願いします」
「え、それってどういう…」
「彼女として、これからもよろしくって意味よ。私もあの日がすごく楽しくて、忘れられなかったから」
「よかった。嬉しいです」
俺はそう言って、思わずまゆかさんを抱きしめた。その後、俺たちは一緒にキャンプの準備をして、俺のテントで過ごすことにした。そして、この日の夜も俺たちは激しく愛し合った。
ようやく連絡先を聞くこともできて、別れた後も連絡を取り合うようになった。意外にも家が近所で、わざわざキャンプ場に行かなくても会えることが判明した。俺たちの関係は順調に進み、交際から1年後、晴れて結婚することになった。
今では息子も生まれて、しばらくキャンプには行けそうにないけど、息子が大きくなったら家族みんなでキャンプに行くと決めている。その時のことを想像するだけで、俺はワクワクして今から楽しみで仕方がない。



