朝のフロアに、新任の社長の声が響き渡った。
「中卒と仕事は無理だから首だ。」
突然の宣告に、周りの社員たちが息を呑む。目をキラキラと輝かせた二代目社長は嘲笑うように続けた。
「そもそもお前みたいな中卒がこの会社にいること自体が間違いなんだよ。中卒が一人いるだけで、うちの会社のレベルが下がる。簡単な話だろ?お前でも理解できるよな。」
「それが、私を突然首にする理由ですか?」
「そうだ。俺が社長になったからには、メンバーは高学歴で実力のある社員だけで固めるつもりだ。お前のような人間は、この会社に不要なんだよ。」
もう、我慢の限界だった。ここまで言われて、この会社にしがみつく意味もない。
「わかりました。私は辞めさせていただきます。」
満足そうに笑う二代目社長。だが、彼は翌日、取引先からの一本の電話で驚愕することになる。
俺の名前は中川翔太、35歳。中堅の広告代理店「株式会社フラワービレッジ」で映像クリエイターとして働いている。気の良い仲間に囲まれ、仕事も順調。平穏な毎日を送っているが、俺の歩んできた人生は決して平坦な道のりではなかった。
俺が生まれたばかりの頃、両親は離婚した。原因は母の浮気。母は俺を産んですぐに別の男を作り、ある日突然、幼い俺を置いて家を出て行ったのだ。父は気が弱いけど優しい人で、会社員をしながら必死に俺を育ててくれた。料理は苦手で、決して美味しくはなかったけど、俺のために努力してくれる姿を今でも鮮明に覚えている。
父の趣味は映画鑑賞だった。レンタルショップで映像作品を借りてきては、俺に見せてくれた。俺もいつしか映画が大好きになり、父と感想を語り合いながら映画を見る時間は、俺にとって何よりも大切なものだった。
しかし、父は俺が中学二年生の頃、交通事故でこの世を去ってしまった。悲しみに暮れ、これからどうなるのかと呆然とするしかなかった。
結局、俺は唯一の身内である父方の祖母に引き取られることになった。だが、祖母は高齢で年金暮らし。とても余裕のある生活はできない。それで俺は高校に行かずに働くことを決意した。
就職先に選んだのは、小さな町工場だった。俺の事情を知った社長は、とても親切にしてくれた。そこで数年、工員として働くことになった。
18歳になる頃には一人暮らしを始め、少しは生活に余裕も出てきた。そこで俺は自分のパソコンを購入した。最初は映画を見るだけに使っていたが、ふとした瞬間に「自分でも美しい映像を作ってみたい」と思うようになった。
そして、ボーナスで思い切って映像制作ソフトを購入し、自分で撮った動画などを編集し始めたのだ。初めての映像制作は楽しかった。幼い頃から見ていた映画のような美しい映像を自分の手で作れるのが面白くて、夢中になって作品を作り続けた。
最初は完全な趣味だったが、ある日、町工場の社長に「最近楽しそうな顔をしているな。何かいいことでもあったのか?」と聞かれた。映像制作をしていることを正直に話すと、作った作品を見せてくれと言う。俺の作品を見た社長は感心して、「もっと大勢の人に見てもらった方がいい」とアドバイスをくれた。
それをきっかけに、俺は動画投稿サイトに自分の作品をアップするようになった。映像コンテストにも応募するようになり、ある時、大きなコンテストで賞を獲得。そのおかげでチャンネルの再生数も伸びていった。
そんな俺に声をかけてきたのが、フラワービレッジの社長・花村一郎だった。
「君のような才能のある人材を探していたんだ。うちに来てくれないかね?」
その誘いは嬉しかったが、町工場の社長にも恩があった。しかし、その社長は「お前の才能が認められて嬉しい。頑張ってこい」と俺を送り出してくれたのだ。
こうして俺はフラワービレッジに中卒で入社し、13年間、映像クリエイターとして働いてきた。一郎社長は学歴などにこだわらず、実績を評価してくれるタイプで、それも俺にとっては幸いだった。
これからもフラワービレッジに尽くしていきたいと思っていた矢先に、あの宣告があったのだ。
事の始まりは数週間前だった。
「お前が中川か?」
ある日突然、デスクで作業をしていると、見知らぬ40代くらいの男性に声をかけられた。高そうなスーツに身を包んでいる。
「はい。私が中川翔太ですが…。」
俺が誰だか分からないという顔をしていると、男は鼻を鳴らした。
「俺は花村健二。この会社の社長の息子で、急遽、二代目社長になることが決まった。」
「そ、そうなんですか。これは失礼しました。」
俺は立ち上がり、頭を下げた。しかし、すぐに疑問が浮かぶ。
「あの、花村社長はどうされたんですか?」
気になったのは、恩のある一郎社長のことだ。
「親父は体調を崩して入院することになってな。回復まで時間がかかりそうだし、もう年齢だっていうこともあって、俺が社長として就任することになったんだ。」
「そうだったんですか。社長は大丈夫なんですか?」
「おい、今の社長は俺だぞ。お前なんかに父のことは関係ない。」
睨みつけられながら言われ、俺は口をつぐんだ。どうやら彼は最近まで別の会社にいたが、父の後を継ぐために戻ってきたらしい。
「それにしても、なぜ俺のところに?」
疑問に思っていると、彼は言った。
「社員名簿を見てみたら、中卒の奴がいることが分かってな。わざわざ顔を見に来てやったというわけだ。」
社長が大声で言うものだから、部署内の注目が俺たちに集まる。俺は学歴を特に隠してはいなかったが、積極的に周りに言うこともなかったので、恥ずかしい気持ちがあった。
「その、私の学歴が何か。」
「関係あるに決まってるだろう。お前、W大って知ってるか?」
W大といえば、国内トップクラスの私立大学だ。
「存じておりますが…。」
「俺はそのW大出身なんだ。この会社も、W大出身者や有名大学を出た社員がほとんどなんだよ。それなのに、その中に中卒なんて異分子が混ざってる。社長として確認しに来るのは当然のことだろう。」
二代目社長は俺を眺め回し、鼻で笑った。
「全く、そもそもなぜお前のような中卒がいるんだ。」
「それは…先代社長に声をかけていただいて。」
「親父は全く経営というものを分かっていない。俺が是正していかなければな。」
そう言うと、彼は捨て台詞を吐いて去っていった。
「とにかく、俺は親父のように甘くないからな。自分はこの会社にいる誰よりも立場が下だってことを忘れるなよ。中卒。」
それから、社長は明らかに俺を嫌っている様子を見せた。俺が制作に使っていた高性能なパソコンを取り上げ、使い物にならない安物を使えと言い渡したり、俺だけを呼ばない飲み会を開いたりした。
それだけならまだ耐えられたかもしれない。だが、二代目社長は次第に皆の前で俺をコケにするようになった。
ある日のこと、俺の部署にやってきた彼は、コピー機の前で立っている新人社員を見て言った。
「おいおい、なんでW大卒業の君がコピーなんて取ってるんだ?」
新人が答えようとすると、二代目社長は彼の肩に手を置いて、同調するように言う。
「そんな雑用は、中卒にでもやらせておけ。ほら、この部署にちょうどいい奴がいるだろう。」
そして、俺を呼びつけたのだ。新人はオロオロしている。
「ほら、さっさとコピーを取れ。大卒にこんなことをさせるんじゃない。」
「社長、それは彼の仕事です。」
俺は短く答えたが、それが彼の癪に触ったらしい。
「何を口答えしているんだ?中卒が偉そうに。早くコピーを取れ。その後はトイレ掃除でもしてこい。」
結局、俺はその日、無理やりトイレ掃除をさせられたのだった。
そして、話は現在に戻る。俺はついに首を宣告されてしまったのだ。
「おい、聞こえてるか?頭だけでなく、耳も悪いのか?」
目の前には意地悪く笑う社長がいる。俺はもう我慢の限界だった。これまで辛く当たられても、先代社長への恩があるからと耐え忍んできた。しかし、ここまで言われてこの会社にしがみつく意味もないだろう。
「わかりました。私は辞めさせていただきます。」
俺がそう言うと、周りの社員がざわめき、悲鳴のような声も聞こえた。しかし、二代目社長は満足そうだ。
「分かればいいんだよ。もう同じ空気も吸いたくないし。さっさと荷物をまとめてくれよ、中卒君。」
高笑いすると、彼はフロアから出ていった。俺は大きくため息をついたのだった。
その日、俺は急いで簡単な引き継ぎ資料を作り、課長に辞表を提出した。次の日に片付けをして会社を去ることに決めたのだ。
「そうだ。あそこにも連絡しておかなければな。」
俺はあるところに電話をかけたのだった。
翌日、俺は最後の出社をし、部署のメンバーと引き継ぎの確認をしながらデスクの荷物をまとめていた。すると、そこに二代目社長がやってくる。
「なんだ、中卒君。まだいたのか。」
「この荷物をまとめたら退社しますので、ご心配なく。」
俺がそう言った次の瞬間、秘書が持っていた携帯電話に着信が入った。
「社長、S商事の部長からです。」
「何?あの100億の相談中の会社か。出てやろう。面倒だからスピーカーにして電話を持っていろ。」
プライドと100億の契約の間で揺れ動いているように見える。
「お、お前は首にするさ。でもそれは100億の契約の後だ。契約さえしてしまえば、こっちのもんだからな。」
めちゃくちゃなことを言い出す二代目社長に、俺はため息をついた。
「先方がそれで納得するとは思えませんが。それに、私は頼まれたってこの会社に戻るつもりはありませんよ。もう辞表も提出しましたしね。」
「な、何?俺の言うことが聞けないのか?」
「私はもう辞める人間なので、関係ありません。それでは、お世話になりました。」
俺がきっぱりと言い、二代目社長の横を通り抜けて帰ろうとすると、彼は俺の腕を掴んできた。
「いたっ。ちょっと、やめてくださいよ。」
「お前、さっきから生意気だぞ。中卒の分際で、W大卒の俺に逆らうな。」
次の瞬間だった。
「もうそれくらいにしないか、健二。」
フロアの出入り口を見ると、そこには先代社長の姿があった。
「げっ、父さん。なんでここに。病院にいるんじゃ…。」
「長山部長から俺にも連絡があってな。何事かと来てみれば、全て聞いていたぞ。お前はうちの会社のトップクリエイターである中川君に、なんてことを言ってるんだ。」
一郎社長は俺の元までやってきて、深く頭を下げた。
「中川君、バカ息子が本当に申し訳ない。長年会社に尽くしてくれた君に、どう詫びればいいのか分からない。」
俺は一郎社長の頭を上げさせる。
「いえ、社長。私も社長には恩があります。社長の元でなら、いくらでも頑張ることができました。」
「君の言いたいことは分かる。社長がこいつでは無理だというのだろう。」
俺は頷いた。
「はい。なので、残念ですがこの会社を去らせていただければと。」
「気持ちは硬いか?だったら、こういうのはどうだ?」
その言葉に、二代目社長はぎょっとした。
「おい、親父、いきなり何を言い出すんだよ。」
「お前は黙っていろ。今は中川君に聞いているんだ。それで、中川君、どうだろうか。」
俺は一郎社長にもう一度尋ねられ、口を開いた。
「一緒に働く皆さんは優秀な方ばかりですし、私も二代目が社長でなければ、戻る覚悟があります。」
すると、周りの社員がわっと歓声を上げた。それを見て、一郎社長は頷き、二代目社長を見た。
「健二、お前は社長を解任する。他の取締役も同じ意見だ。」
「はあ?おい、どういうことだよ!」
「中川君へのひどい態度については、他の社員からも声が上がっていた。他にも学歴で従業員の扱いに差をつけたり、秘書課の女性に言い寄ったりしていたという報告も来ている。お前は社長にはふさわしくない。」
二代目社長は呆然としてその場に立っていたが、一郎社長は続けた。
「お前はもうこの会社に近づくな。ついでに言っておくが、俺はお前のような人間を息子と思えない。親子の縁を切るから、覚悟しておけ。」
「そ、そんな…。」
一郎社長は警備員を呼び、呆然とする二代目社長を会社から叩き出してくれたのだった。
その後、一郎社長は俺たち従業員に、息子の振る舞いについて詫びた。そして、新しい社長は従業員からの信頼の厚い副社長に任せると言ってくれたのだ。二代目社長のせいで嫌な思いをしていた従業員たちは皆大喜びで、俺が会社に残ると表明すると、涙を流して喜ぶ人もいた。
S商事の長山部長には、俺と一郎社長から直接、二代目社長を解任したこと、俺が会社に残り担当することを伝えた。すると長山部長は、改めて100億の契約を結んでくれたのだ。
「こちらとしては、中川さんがいるところに頼みたいと思っているのでね。これからもよろしくお願いします。」
俺は長山部長に差し出された手を固く握ったのだった。
二代目社長はというと、会社を追い出され、父との親子の縁まで切られて一気に転落した。慌てて就職活動をしたらしいが、あの性格もあって、なかなか希望する条件の仕事には就けないらしい。奥さんと子供にも逃げられ、現在は寂しく一人暮らしをしているそうだ。
何にせよ、もう二度と彼とは関わることはないだろう。
一方の俺は、フラワービレッジで今日ものびのびと働かせてもらっている。新社長はさらに俺の待遇を上げてくれたし、S商事のために作ったCMはかなり評判がいい。これからもこんな穏やかな日々が続くようにと願うばかりだ。


