「おい、森本。そのジャージ、いくらだよ?」
西島亮太が、見下すような笑みを浮かべて俺のジャージを指さした。高級ホテルの同窓会会場。周りはみんなスーツやドレス姿なのに、俺だけジャージ。やっぱり来るんじゃなかった。
「スーツの一着くらい貸してやったのに。高卒の貧乏人は服の値段も分かんないのか?」
昔とまったく変わらない嫌味に、胃のあたりが重くなる。俺が高校時代に毎日のように浴びせられた言葉が蘇ってきた。
「貧乏くせえ」「弁当、また質素だな」「お前、卒業式どうすんだよ」
3年間、ずっとこんな調子だった。
俺の名前は森本雄。父は病気がちで定職につけず、家計は母が支えていた。朝から晩まで働き、父が入院する時も付き添いながら、俺の弁当だけは必ず作ってくれた。
「学生は勉強しなさい」
手を貸そうとすると、母はいつもそう言って俺を勉強机に向かわせた。高校に進学するのもギリギリだったが、母が「高校だけでも卒業してほしい」と懇願したため、学費の安い公立高校を選んだ。面談で担任に大学進学を勧められたが、金銭的に無理だった。卒業後はそのまま就職した。
就職が決まった時、心に決めた。
――母のために働く。この生活から絶対に抜け出す。
家にはゲームもおもちゃもなかったが、母の仕事用のパソコンがあった。暇さえあればそれで遊び、自然とプログラミングを覚えていった。おかげでIT企業への就職が決まり、任されたプログラミングの仕事に没頭した。新しい技術を覚えるために必死に働き、目標金額を貯めて独立した。会社の社長も快く送り出してくれた。
「困った時はお互い助け合おう」
独立後は慣れないことの連続で疲れ果てたが、好きなことを仕事にできる喜びがあった。人脈もなく、何社も営業に回ったが、今ではそれなりの収入を得られるようになっている。
そんなある日、高校時代に唯一の友達と言えた川島大樹から電話がかかってきた。
「久しぶりだな。元気にしてるか?」
「ああ、どうしたんだ?」
「今度同窓会やるんだ。来てくれよ」
「やめとこうかな。今まで一度も行ったことないし」
「俺も行くから。頼むよ」
「……分かった。出席にしておいてくれ」
「ありがとう。楽しみにしてるからな」
電話を切ってから、高校時代の記憶がよみがえった。リーダー格の西島亮太に「貧乏くせえ」と言われ、弁当を笑われた。周りは見て見ぬふりをしていたが、西島がいない時は話しかけてくれる奴もいた。だから全部が嫌な思い出というわけではない。
だが、同窓会には行きたくなかった。また西島に会うかと思うと気が重かった。顔を出してすぐに帰ろう。そう決めて、普段着の中で一番綺麗めなジャージを選んだ。スーツは持っていない。俺の仕事はプログラミングなので人と会わないし、窮屈な格好が好きじゃないからだ。
当日の昼、俺は不安になって大樹に電話をしていた。
「西島、来るのか?」
「ああ、それは気になるよな。あいつも参加だって」
「やっぱりな……大丈夫かな」
「大丈夫だよ。俺もいるし、さすがに大人になってるはずだ。何か言われたら無視しよう」
「そうだな。ありがとう」
そうは言っても、不安は消えなかった。
同窓会当日、契約先のパソコントラブルで仕事が長引き、高級ホテルの会場には遅れて到着した。すでにみんな集まっていて、スーツ姿やドレス姿の同級生たちが歓談していた。
「ああ、やっぱりジャージは失敗だったかな……」
諦めて会場の端っこの席に座った。
「おお、待ってたぞ。ちゃんと来てくれてよかったじゃないか」
「お前の頼みを断れるわけないだろ。仕事で少しトラブって遅くなった」
大樹と再会して、飲み物を持ってこいと言われ、アルコールは飲まないのでオレンジジュースを手にして席へ戻った。
「お前、本当にオレンジジュース好きだな」
「別にいいだろ」
高校時代と同じような会話に、思わず笑ってしまった。仕事やプライベートの近況を語り合い、すぐに帰るつもりが話が盛り上がって長居してしまった。すると、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「おお、森本じゃないか。同窓会に参加する金あったんだな」
顔を上げると、西島亮太が立っていた。
「貧乏だから欠席すると思ってたよ。何飲んでんだ?」
「オレンジジュースだ」
「ははっ、小学生かよ。で、最近お前はどうなんだ?」
「まあ、ぼちぼちやってるよ」
「そうか。まあ、高卒だと就職先もそんなにないだろうしな。俺は卒業後、有名大学に進学したんだ。それで一流企業に就職したんだよ。すごいだろ? 年収も同級生より高いし。勝ち組ってこれかって感じだよ」
西島は止まらない。高卒を馬鹿にし、貧乏だった過去を笑いものにする。俺が高いホテルで同窓会が開かれると聞いて、わざわざスーツを買ってきたのだと自慢し始めた。
「言ってくれたら、スーツの一着くらいあげたのに」
明らかに馬鹿にした話し方に、イライラが募った。
「それにしても、ジャージはないだろう。社会人としてTPOくらいわきまえろよ。これだから高卒の貧乏人は困るよな」
「いい加減にしろよ」と大樹が俺をかばってくれたが、西島は引かない。
「高卒貧乏の服はおいくらですか?」
その時だった。
カツン、カツン、とハイヒールの音が近づいてくる。振り返ると、佐々木晴香が俺の隣に立っていた。高校時代に誰もが学校一の美人だと評価していた彼女は、今もなお誰よりも目立っている。明るく正義感が強い彼女は、男女問わず人気があった。「ああ、晴香の顔が怒ってる。大変なことにならなければいいけど……」と黙って見守るしかなかった。
「このジャージ、100万でしたっけ? 社長」
明らかに不機嫌そうな、愛想笑いを浮かべて晴香は俺に向かって言った。
「はあ? どういうことだよ」
「いやいや、はっきりしろよ。どうせ嘘だろ」
「だから、このジャージは100万するって言ってるの」
西島は困惑している。
「なぜ晴香がそんなこと知ってるんだよ」
「だって、このジャージ私がプレゼントしたんだもん」
このジャージは、晴香が俺の誕生日にプレゼントしてくれた高級ブランドのものだった。俺はブランド物が好きではないので、パッと見では何のブランドか分からない。俺が自分のジャージのタグを西島に見せると、西島は驚いて言葉を失った。
「俺は高校卒業してからそのまま就職したけど、今は独立して自分の会社やってるんだ」
そう伝えて、会社の売上が順調に伸びていること、晴香が俺の秘書として働いていることを話した。
晴香とは、大学卒業後に一般企業へ就職していた。俺が仕事でその企業を訪れた時、偶然再会したんだ。単純な再会だった。俺は高校時代のトラウマからいつも下を向いて歩いていたので、晴香が車の中にいることに気づかなかったんだ。
「もしかして、森本君?」
「え、……佐々木?」
「私よ、覚えてる?」
「もちろん、覚えてるよ。人違いだったらどうしようかと思った」
「覚えててくれて、ありがとう」
晴香は笑顔で話しかけてくれた。その後、連絡先を交換し、何度か食事をするうちに、彼女の仕事に対する真摯な態度や人柄に惹かれて、秘書として自分の会社に引き抜いた。晴香は非常に優秀で、社員たちから「社長より晴香さんの方が頼りになる」と言われるほど信頼されている。実際、俺がここまで成功できたのは、晴香の力が大きい。
「それに、私たち来月結婚するの。うちの旦那様をいじめないでくれる?」
西島は完全に言葉を失っていた。
俺と晴香は付き合って2年になる。高校時代から晴香のことが気になっていたが、いつもからかわれて自信がなかった俺は、3年間一度も話せなかった。ただ憧れていただけだった。卒業後に再会し、彼女の裏表のない性格や優しさに触れて、どんどん好きになっていった。何度目かの食事の時、俺は人生で初めて告白した。
「喜んで」
あんなに緊張したことは、28年の人生で初めてだった。付き合い始めた頃は裕福とは言えなかったが、晴香は文句の一つも言わずに俺を支えてくれた。プログラミング以外何もできない俺のスケジュール管理も全部晴香がやってくれた。会社が軌道に乗り、生活に余裕が出てきた頃、半年ほど前にプロポーズした。両親も晴香を一目で気に入り、話はトントン拍子に進んだ。
生活に余裕が出たおかげで、父にも十分な医療を受けさせられるようになり、今では昔より元気になっている。このことは大樹にしか話していなかった。むしろ、こういう話をできる友人は大樹しかいなかった。結婚式に同級生で招待しているのも大樹だけだ。
俺たちの話を聞いていた同級生たちが、口々に「おめでとう」と拍手で祝福してくれた。恥ずかしくて下を向いてしまう俺に代わって、晴香は満面の笑みで「ありがとう」と答えていた。
西島は驚きと動揺を隠せない表情で俺たちを見ている。
「これで分かっただろう。森本は真面目に頑張って今の成功を手にしたんだ。お前もいい加減マウント取るのをやめろよ」
大樹にズバリと言われ、西島は顔を真っ赤にしていた。
「くそ……」
「もしかしたら今後仕事でお付き合いがあるかもしれないし、その時はよろしくな」
俺は少し嫌味も込めて西島に握手を求めた。西島は明らかに嫉妬していたが、いやいや俺の手を握った。
「俺は先に失礼するよ」
そう言って会場を後にしたが、その後ろ姿からはかなり落胆しているのが伺えた。
「少し可哀想だったかな」
「お前は優しすぎるんだよ。昔のことを考えたら、まだまだ足りないくらいだよ」
「本当、本当。森本より私の方が腹立ったわ」
「ああ、すっきりした。ありがとう。本当に、あの自慢話にはうんざりしてたから」
俺はその様子を見て、つい笑ってしまった。
その後、同級生から「いつから付き合い始めたの?」「プロポーズはどこで?」と質問攻めにあった。俺は今までこんなに多くの人に話しかけられたことがなかったので、うまく話せなかったが、晴香が一つ一つの質問に答えてくれた。高校時代に多くの友人に囲まれていた晴香の姿そのものだ。俺はその様子に見とれてしまった。
「やっぱり晴香と結婚できるなんて、世界一の幸せ者だな」
心の中でそう呟いた。
「今、晴香に見とれてたろ」
「そ、そんなことないよ」
「本当に分かりやすいんだから」
大樹に少し馬鹿にされながらも、二人で笑い合った。
後になって分かったことだが、あの同窓会では誰も西島の相手をしなかったらしい。毎回同窓会に出るたびに自慢話ばかりで、みんなうんざりしていたそうだ。同窓会では同級生たちと連絡先を交換し、スケジュールが合う友人は結婚式にも参加すると言ってくれた。同じ業種に就職した同級生は「上司に紹介するから名刺をくれないか」と言ってきた。新たな人脈ができたことにも驚いたが、想像以上にみんなが優しくて感動した。中には「高校時代、助けられなくてごめん」と謝ってくれた者もいた。
「青春時代のやり直しだな」
俺は心の中で密かにそう思った。
以前、晴香に「同級生何人かで飲むから一緒に来ないか」と誘われたことがあったが、嫌われ者の俺が行っても誰も喜ばないと思って断った。俺のこういう後ろ向きなところを晴香に注意されることもあるが、まだ自分に自信が持てるまでには時間がかかりそうだ。
「しょうがないわね」
晴香も最後にはそう言って許してくれる。俺が自信を持って前向きになるまで、気長に待ってくれるそうだ。
あの時、もっと早く友達と交流を持っておけばよかったな。少し後悔したが、俺のことで本気で怒ってくれる友人がいるのは、とても幸せなことだと思った。俺はそんなことを考えながら、同窓会を最後まで楽しんだのだ。



