「バーバ、助けて…」浴室から聞こえた孫のか細い声に、私は凍りついた。ドアを開けると、5歳のレンが裸のまま両手を縛られ、凍えた体で震えていた。青あざだらけの体を抱きしめた時、テーブルに置かれたメモが目に入った。「家族で海外旅行中。レンは留守番」。息子夫婦は、この子を縛って放置し、ハワイで笑顔の写真をSNSに投稿していた。医師の診断、隣人の証言、傷だらけの体…私は全ての証拠を集め、ある決断をした…

「バーバ、助けて…」浴室から聞こえた孫のか細い声に、私は凍りついた。ドアを開けると、5歳のレンが裸のまま両手を縛られ、凍えた体で震えていた。青あざだらけの体を抱きしめた時、テーブルに置かれたメモが目に入った。「家族で海外旅行中。レンは留守番」。息子夫婦は、この子を縛って放置し、ハワイで笑顔の写真をSNSに投稿していた。医師の診断、隣人の証言、傷だらけの体…私は全ての証拠を集め、ある決断をした...

「バーバ、助けて…」

浴室から聞こえてきた、か細く震える声に、私の心臓は凍りついた。今日は久しぶりに、5歳の孫のレンに会うため、息子夫婦の家を訪ねてきたのだ。玄関のドアが開きっぱなしになっていることには、嫌な予感がした。

「レンちゃん、バーバだよ」

返事はない。リビングにも、子供部屋にも、誰の姿もない。不安が胸を締め付ける中、微かに聞こえてくるすすり泣き。私は浴室のドアを開けた。

その瞬間、私は目を疑った。レンが裸のまま、両手を縛られ、浴槽の中で震えていたのだ。痩せ細った体には、青あざがいくつも浮かんでいる。

「レンちゃん!」

慌てて駆け寄り、震える小さな体を抱きしめた。体は氷のように冷たい。いったい、どれくらいの間、こんな状態だったのだろうか。

「バーバ…怖かった…」

涙でぐしゃぐしゃになった顔で、レンは私にすがりついてきた。

怒りで手が震えた。一体、誰がこんな恐ろしいことを。

いや、分かっている。この家に、息子夫婦以外にいるはずがない。

「大丈夫よ。もう大丈夫。バーバが守るから」

レンを抱きしめながら、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。同時に、激しい怒りが込み上げてくる。絶対に許さない。この子にこんなことをした者を、私は絶対に許さない。

レンを浴槽から抱き上げ、バスタオルで優しく体を包んだ。泣き止まない小さな体を拭きながら、私は涙をこらえるのに必死だった。

「レンちゃん、パパとママはどこにいるの?」

「2日前から、いない」

レンの言葉に、私は耳を疑った。2日前から、この5歳の子を一人で放置していたのか。

リビングに戻ると、テーブルの上に一枚の紙が置いてあった。あの乱暴な字は、息子のものだ。

「家族で海外旅行中です。レンは家で留守番。冷蔵庫に食べ物あります」

家族で海外旅行。旅行?

怒りで手が震え、頭に血が上った。冷蔵庫を開けると、中はほとんど空っぽ。賞味期限切れの牛乳と、しなびた野菜が少しあるだけだった。

「ご飯、食べてないの?」

「食べてないよ」

「食べていない」というレンの言葉に、私の理性が完全に切れた。息子夫婦はこの子を縛って放置し、自分たちだけで海外旅行を楽しんでいるというのか。

「もう大丈夫。バーバがご飯を作ってあげる」

レンを抱きしめながら、私は決意した。この子は私が守る。そして、息子夫婦には必ず報いを受けさせる。親として、人として、絶対に許されない行為だ。こんな残酷なことをする人間を、もう息子とは呼べない。

「バーバ、ママたち、いつ帰ってくるの?」

その問いに、私は答えられなかった。いつ帰ってくるかなど、もうどうでもいい。帰ってきた時が、地獄の始まりだ。

まず、レンに温かいお粥を作って食べさせた。小さな口で少しずつ食べる姿が痛々しく、その間にも私は近所のコンビニで子供用の服と下着を買ってきた。

「バーバ、美味しい」

涙を浮かべながらお粥を食べるレンを見て、私の怒りはさらに深まった。

翌朝、私はレンを連れて病院へ向かった。診察の結果に、医師の顔が曇る。

「脱水症状と栄養失調です。それに、この青あざは…」

私が事情を説明すると、医師は診断書を作成してくれた。虐待の可能性があるため、児童相談所への連絡も進められた。

病院から帰宅後、私は息子のSNSを確認することにした。ハルキもアンナも、普段から写真を投稿するのが好きだったからだ。

そこで見たものに、私は言葉を失った。

「ハワイ最高!」「家族水入らずの時間」

昨日投稿された写真には、ビーチで笑顔を見せるハルキとアンナが映っていた。高級レストランでの食事、ブランドショップでの買い物、プールサイドでのカクテル。家族水入らず? レンは、あなたたちの家族じゃないの?

怒りで手が震えた。コメント欄を見ると、友人たちからの「いいね」や「素敵な家族旅行」といった言葉が並んでいた。誰も、レンがいないことに疑問を持っていない。

「バーバ、痛い」

レンが急に泣き出した。着替えを手伝っていると、背中に新しい傷を見つけた。

「これ、どうしたの?」

「パパが、悪い子だからって。旅行の前の日、ママも、邪魔だからって」

私の中で、息子への最後の情が消えた。レンの小さな体には、よく見ると古い傷跡もいくつかあった。これは今回が初めてではない。日常的に虐待していたのだ。

すぐにレンの体の傷を全て写真に収めた。証拠として必要になる。そして、レンにこれまでのことを優しく聞いていった。

「パパとママに叩かれたこと、前にもあった?」

「うん。悪い子だからって」

「レンちゃんは悪い子じゃないよ。絶対に」

「でも、ママが言ってた。レンがいなければ、もっと楽しく暮らせるって」

5歳の子供が言うには、あまりにも悲しい言葉だった。どれだけこの子の心が傷ついているのか。

過去の写真を遡って確認していくと、ある時期からレンが写真に映らなくなっていることに気づいた。1年前までは家族3人の写真があったのに、ここ最近は夫婦2人だけ。まるで、最初からレンなど存在しなかったかのように。

「お邪魔します」

私は隣の奥さんに、最近の息子夫婦の様子を聞いてみることにした。

「ああ、有村さんのお宅。最近、お子さんの鳴き声がよく聞こえてましたよ。それに、奥さんの怒鳴り声も。うるさいとか、邪魔とか、気になってたんです」

隣人の証言も得られた。これで十分だ。

私はレンを抱きしめた。この子の人生を、息子夫婦は破壊しようとしていた。でも、もう大丈夫。私が必ずこの子を守り抜く。そして、あの2人には必ず償わせる。

「バーバ、ずっと一緒にいて」

「もちろんよ。もう誰にも、レンちゃんを傷つけさせない」

私はスマートフォンを手に取った。まずすべきことがある。私はまず、警察に電話をかけた。

「5歳の孫が、両親に放置されて2日間一人でいました。虐待の痕跡もあります」

「すぐに伺います。現在、お孫さんは安全ですか?」

「はい、私が保護しています」

30分後、警察官が2名到着した。レンの体の傷、医師の診断書、そして縛られていた状況を説明すると、警察官の表情が厳しくなった。

「これは明らかな虐待案件です。児童相談所とも連携して対応します」

「両親は今、海外旅行中なんです。帰国は明後日の予定です」

警察官は驚いた顔を見せた。

「5歳児を放置して海外旅行とは…。全く以て言語道断です。帰国次第、事情聴取を行います。場合によっては逮捕もありえます」

「逮捕ですか?」

「はい。保護責任者遺棄罪。場合によっては殺人未遂も視野に入ります」

警察官の言葉に、私は複雑な気持ちになった。息子が逮捕される。でも、レンにしたことを考えれば、当然の報いだ。

次に、私は児童相談所へ連絡を取った。担当者が自宅まで来てくれることになった。

「こんにちは、レン君。お話聞かせてもらえるかな?」

優しい女性職員に、レンは少しずつ心を開いていった。両親からの暴力、食事を与えられないこと、長時間の放置。職員は丁寧にメモを取っていく。

「お風呂に入れてもらえなかったの?」

「うん。ママが、汚い子は嫌いって。ご飯も、昨日の残り物でもない時もあった」

職員の顔が青ざめていく。私も聞いていて辛かった。

「有村さん、これは深刻な案件です。一時保護も検討すべきですが…」

「私が面倒を見ます。この子は私が守ります」

「分かりました。では、祖母である有村さんを一時的な保護者として、手続きを進めます」

その後、私は知り合いの弁護士に連絡を取った。中山弁護士は、私の亡くなった夫の友人で、信頼できる人物だ。

「トミ子さん、これは酷い。親権剥奪は十分可能です。刑事告訴も視野に入れましょう」

「お願いします。あの2人を、許すわけにはできません」

「まず証拠を全て整理しましょう。写真、診断書、隣人の証言、全て法廷で使えます」

中山弁護士はすぐに動いてくれた。警察との連携、児童相談所との調整、そして家庭裁判所への申し立て準備。慰謝料請求も行う。

「レン君の今後の養育費も含めて、最低でも1000万円は請求します」

「金額はお任せします。とにかく、レンをあの2人から守ってください」

「養育権はトミ子さんに移すよう申請します。今の状況なら、間違いなく認められるでしょう」

私はハルキの会社にも連絡を入れた。上司だという人が電話に出た。

「ハルキ君のお母様ですか? どうされました?」

「実は、息子が大変なことをしまして…」

事情を説明すると、電話の向こうで沈黙が続いた。

「そんなことが…。ハルキ君が信じられません」

「帰国後、警察の事情聴取が入ると思います。会社にもご迷惑をおかけするかもしれません」

「これは会社としても看過できません。児童虐待は重大な問題です。人事とも相談します」

アンナの実家にも電話をした。アンナの母親は、最初信じようとしなかった。

「うちの娘がそんなこと…。嘘でしょう?」

「申し訳ありませんが、これが現実です。レンの傷の写真を送ります」

写真を見た途端、電話の向こうで嗚咽が聞こえた。

「まさか、うちの娘が…。信じたくない」

「でも、これが現実なんです。レンは今、私が保護しています」

「申し訳ありません。本当に申し訳ありません」

「謝罪はレンにしてください。そして、アンナさんをきちんと叱ってください」

「はい。必ず」

アンナの父親も電話に出てきた。

「有村さん、娘が大変なことを…。今すぐハワイに飛んで連れ戻したいくらいです」

「いえ、帰国を待ちます。警察も動いていますから」

「警察? そうですね。当然です。娘には責任を取らせます」

次に、私は息子夫婦の帰国便を確認した。明日の午後、成田空港着。中山弁護士と警察に、その情報を伝える。

「空港で確保します。一目につく場所での逮捕になるかもしれません」

「構いません。むしろ、多くの人に見てもらいたいくらいです」

「逮捕の瞬間は、相当な騒ぎになるでしょう。覚悟はよろしいですか?」

「はい。息子とはいえ、許すわけにはいきません」

SNSの投稿も全てスクリーンショットで保存した。時系列で並べると、その異常さがよく分かる。レンを縛って放置した日の夜に、「最高のディナー」という投稿をしている。

「バーバ、パパとママ、怒られる?」

レンが不安そうに聞いてきた。この子は虐待されていたのに、まだ両親を心配している。

「レンちゃんは何も心配しなくていいの。バーバが全部、何とかするから」

「でも、パパとママ、レンのこと嫌い」

その言葉が、胸に刺さった。

「レンちゃんは何も悪くない。パパとママが間違っていたの」

私はレンを、心理カウンセラーのところへも連れて行った。専門家の意見も聞いておく必要がある。

「深刻な心理的虐待の痕跡があります。時間はかかりますが、必ず回復します」

「どのくらいかかりますか?」

「個人差はありますが、最低でも1年は継続的なケアが必要でしょう」

カウンセラーは、裁判で使える意見書も書いてくれることになった。

夜、レンが寝た後、私は一人で考えた。ハルキをここまで育てたのは私だ。何が間違っていたのか。甘やかしすぎたのか。でも、今はそんなことを考えている場合ではない。

ハルキの部屋を調べると、通帳が見つかった。中を見て驚いた。毎月、高額の金が引き出されている。ゴルフ、飲み代、ブランド品。一方で、レンのための支出はほとんどない。この子の教育費も、服も、おもちゃも、何も買っていない。

領収書も調べた。レンの誕生日の日、ハルキたちは高級フレンチで食事をしていた。レンは、家に一人だったのだろうか。

中山弁護士から連絡が入った。

「トミ子さん、準備は整いました。空港には私も同行します」

「ありがとうございます。明日、必ず正義を貫きましょう。レン君の未来のために」

私はレンの寝顔を見つめた。穏やかな寝息を立てている。もう少しの辛抱だ。明日、全てが変わる。この子の人生を、私が必ず守り抜く。そして、あの2人には、したことの報いを必ず受けさせる。

帰国日の前日。私は最後の準備を整えていた。中山弁護士から、詳細な打ち合わせの電話が入った。

「トミ子さん、明日の段取りを確認します。警察は到着ロビーで待機。私たちは少し離れた場所から様子を見ます」

「分かりました。レンは、連れて行かない方がいいでしょうか?」

「そうですね。お孫さんには刺激が強すぎます。信頼できる方に預けられますか?」

私は隣の奥さんに頼むことにした。事情を知っている彼女は、快く引き受けてくれた。

「レン君のこと、お任せください。あんな酷いことをした親には、きちんと罰を受けてもらわないと」

「ありがとうございます。必ず迎えに来ます」

その夜、レンが不安そうに聞いてきた。

「バーバ、明日、どこか行くの?」

「ちょっと用事があるの。すぐ帰ってくるから。隣のおばさんと遊んでてね」

「パパとママに会うの?」

鋭い質問に、私は一瞬言葉に詰まった。

「大人の話をしてくるだけよ。レンちゃんは心配しなくていいの」

翌日、帰国日の朝。私は早めに起きて、全ての証拠資料を確認した。写真、診断書、録音データ、SNSの投稿記録。弁護士に渡すものと、自分で持っておくものを分けて、ファイルに整理する。

ハルキからは、一度も連絡がない。海外からでも電話やメールはできるはずなのに、レンの安否を確認することすらしていない。本当に親なのかと、胸が痛くなる。

午前11時、私は家を出た。レンを隣に預ける際、小さな手が私の服を掴んだ。

「バーバ、すぐ帰ってくる?」

「もちろんよ。夕方には迎えに来るから。約束する。いい子にしててね」

成田空港へ向かう電車の中で、私は複雑な心境だった。息子を警察に突き出す。普通の親なら、躊躇するだろう。でも、レンのあの姿を思い出すと、迷いは消えた。

空港に到着すると、中山弁護士がすでに待っていた。

「トミ子さん、警察も配置についています。あとは、到着を待つだけです」

「ハルキたちの様子は分かりますか?」

「SNSを見る限り、今朝まで普通に投稿していますね。何も気づいていないようです」

私たちは、到着ロビーの目の前で待つことにした。

午後2時45分、到着便の案内が表示される。

「もうすぐですね」

「はい」

胸が高鳴る。怒りと悲しみ、そして、固い決意が入り混じっていた。

午後3時10分、到着ゲートから乗客が出てきた。その中に、ハルキとアンナの姿があった。2人とも日焼けして、高級ブランドのバッグを持ち、楽しそうに話している。

「最高の旅行だったね」

「また行きたいわ。次は違う国もいいかも」

その会話が聞こえてきて、私の怒りが再び燃え上がった。レンを縛って放置しておいて、最高の旅行?

中山弁護士が、私の腕に手を置いた。

「落ち着いて。もう少しです」

ハルキたちが税関を通過し、ロビーに出てきた瞬間、私は前に出た。

「ハルキ。アンナさん」

2人の顔が、驚きで固まった。

「母さん、なんでここに?」

「レンはどうしたの?」

私の問いかけに、アンナが慌てたように答えた。

「家で留守番をちゃんと…。食べ物も用意して…」

「嘘はやめなさい。レンは私が保護しました」

ハルキの顔が青ざめた。

「は? 何を大げさな…」

「大げさ? あの子は縛られて、2日間、のどが渇いたままだったのよ」

言い訳をしようとするハルキを、私は手で制した。

「もういい。話は後で聞きます。その前に、会いたい人がいるそうよ」

私が合図すると、警察官が近づいてきた。周囲の人々が、ざわめき始める。

「有村ハルキさん、有村アンナさんですね。保護責任者遺棄罪の疑いで、逮捕します」

空港のロビーに、緊張が走った。ハルキとアンナは、顔面蒼白になっている。

「ちょっと待って。何かの間違いです。レンは大丈夫なはずです」

必死に抗議する2人を、警察官は冷静に制した。

「お子さんは病院で、脱水症状と栄養失調と診断されています。詳しくは署で」

周囲の視線が、痛いほど2人に注がれていた。スマートフォンを向ける人もいる。

「母さん、どうして?」

ハルキが信じられないという顔で、私を見た。

「どうしても何も。親として当然のことをしただけよ」

「でも、俺は息子だろ?」

「息子? 子供を虐待する人を、私は息子とは呼べません」

私の言葉に、ハルキは絶句した。中山弁護士が前に出た。

「私は有村トミ子さんの代理人です。親権剥奪と損害賠償請求の手続きを進めさせていただきます」

「親権剥奪…」

アンナが、小声で呟いた。

「当然です。虐待する親に、子供を任せられません」

警察官が2人を促した。

「では、行きましょう」

ハルキたちが連行されていく姿を、私は黙って見送った。涙は出なかった。これが正しいことだと、心の底から確信していたから。

空港での逮捕から3時間後、私は中山弁護士と今後の対策を話し合っていた。

「トミ子さん、先ほど警察から連絡がありました。お二人は容疑を否認しているそうです」

「否認?」

「はい。『あの状況でちゃんと準備をしていた』『大げさに騒ぎ立てている』と主張しているようです」

呆れて、言葉も出ない。証拠は山ほどあるのに、まだ認めようとしないのか。

その夜、ネットニュースに事件が載った。「5歳児を縛って放置、ハワイ旅行の両親逮捕」という見出しで、空港での逮捕の様子も写真付きで報道されていた。

翌朝、ハルキの会社から電話があった。

「有村さん、昨日のニュースを見ました。大変なことになりましたね」

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「実は、ハルキ君について相談がありまして…。このような事態になった以上、会社としても…」

人事部長の言葉の意味は、明確だった。

「解雇ということですか?」

「懲戒解雇を検討しています。児童虐待は、企業イメージに関わる重大な問題です」

ハルキは大手商社に務めていた。それなりの地位もあったはずだ。それが、一瞬で崩れ去ろうとしている。

アンナの実家からも連絡が入った。彼女の父親の声は、怒りで震えていた。

「有村さん、娘の件で改めてお詫びします。そして、お伝えしたいことがあります」

「何でしょうか?」

「娘とは縁を切ります。もう2度と、実家の敷居をまたがせません。子供を虐待するような人間は、もう娘ではありません。アンナには一切の援助もしません」

アンナの母親も電話に出て、泣きながら話した。

「君に、本当に申し訳ないことをしました。どうか、あの子を大切にしてあげてください」

「もちろんです。レンは私が守ります」

3日後、ワイドショーでも大きく取り上げられた。コメンテーターたちが、口々に批判していた。

「信じられません。5歳の子を縛って放置なんて」

「しかもSNSで『家族水入らず』って投稿していたんですよね。最低です」

「親の資格ありません」

ハルキの会社の同僚だという人物が、SNSに投稿していた。

「まさか、ハルキがこんなことを。会社でも普通の人だったのに。子供の写真も投稿したことがなかった。今思えば、違和感があった」

アンナのママ友からの投稿もあった。

「アンナさん、いつもレン君の悪口ばかり言ってた。『子供が邪魔』だって愚痴ってた。最低」

炎上は止まらなかった。2人の個人情報まで特定されて、拡散されている。私はそれを止める気はなかった。自業自得だ。

1週間後、ハルキから面会の申し出があった。拘置所の面会室で、憔悴しきった息子と対面した。

「母さん、どうしてこんなことに?」

「どうしても何も、あなたがしたことの結果よ」

「でも、レンは無事だったでしょう?」

まだ分かっていない。この後に及んで、まだ反省していない。

「無事? あの子は心に深い傷を負わされたのよ」

「大げさな。子供なんて、すぐ忘れる」

その言葉に、私の最後の情が完全に消えた。

「ハルキ、あなたはもう私の息子ではありません。今後、一切連絡も取りません。レンにも合わせません」

「ちょっと待って。それは…」

「さようなら」

私は席を立った。後ろからハルキの叫び声が聞こえたが、振り返らなかった。

2週間後、初公判が開かれた。私はレンの代理人として、法廷に立った。検察官が証拠を提示していく。縛られたレンの写真、医師の診断書、隣人の証言、そしてSNSの投稿。

「被告人らは、5歳の実子を縛って放置し、自分たちだけで海外旅行を楽しんでいました。これは明らかな虐待であり、殺人未遂とも言える重大な犯罪です」

ハルキとアンナは、それでも「やりすぎただけ」「殺すつもりはなかった」と弁解していた。

裁判長が、私に発言を求めた。

「被害者の祖母として、何か言いたいことはありますか?」

私は立ち上がった。

「レンは今も、悪夢にうなされています。パパとママに捨てられたと、泣きながら目を覚まします。この子の心の傷は、一生消えないかもしれません。親として、許されてはならない行為です。厳罰を望みます」

法廷は、水を打ったように静まり返った。実の息子に厳罰を求める母親。でも、私に迷いはなかった。

判決の日。ハルキには懲役3年、執行猶予5年。アンナには懲役2年、執行猶予4年が言い渡された。そして、親権は剥奪され、私に養育権が認められた。さらに、慰謝料として1000万円の支払いが命じられた。

「判決を不服として、控訴しますか?」

裁判長の問いに、2人は力なく首を横に振った。

法廷を出ると、マスコミが押し寄せてきた。

「お気持ちを聞かせてください」

「息子さんへの思いは?」

私は一言だけ答えた。

「レンの未来を守れて、ほっとしています」

その後、ハルキは会社を懲戒解雇された。退職金も出ない。アンナも、していたパート先から解雇通告を受けた。2人の住んでいたマンションも、ローンが払えなくなり、手放すことになった。

ハルキは私に泣きついてきたが、私は一切援助しなかった。

「母さん、お願い。もう反省してる」

「反省? 本当に反省しているなら、レンの慰謝料をきちんと払いなさい」

「でも、金がない」

「それは自分で何とかしなさい。レンを苦しめた報いです」

アンナの実家も、約束通り一切の援助を断った。アンナの母親から聞いた話では、アンナは実家に土下座までしたらしいが、父親は許さなかったという。

「自業自得です。娘とはいえ、許せません」

ハルキとアンナは、別居することになった。お互いを攻め合い、夫婦関係も破綻した。

「全部、お前のせいだ」

「あなたこそ、レンを甘やかすから」

最後には、お互いがお互いの知り合いになったと聞いた。

3ヶ月後、ハルキから手紙が来た。

「母さん、もう1度だけチャンスをください。レンに合わせてください」

私は返事を書かなかった。もう終わったことだ。アンナも友人を通じて連絡してきたが、私は全て断った。

「レンに謝りたいんです」

「今更謝られても、傷は消えません」

ハルキは日雇いの仕事をし、アンナは実家のある地方に帰ったと聞いた。2人とも、2度と立ち直れないだろう。

ある日、ハルキの元同僚から連絡があった。

「ハルキ、ホームレスになりかけてます。何とかしてあげられませんか?」

「それは自分で巻いた種です」

「でも、息子さんでしょう?」

「息子は、レンを虐待した時点で、死んだと思っています」

冷たいと思われるかもしれない。でも、レンの受けた苦しみを考えれば、これでも軽い報いだ。

全てを失ったハルキとアンナ。金も、仕事も、家も、信用も、家族も。何もかも失った。これが、幼い子供を虐待した者への、当然の報いだ。

あれから1年が経った。レンは私と暮らし始めて、歩くように明るくなった。笑声も、元気に家中に響いている。

「バーバ、おはよう。今日も公園行く?」

「もちろんよ。お天気もいいしね」

かつての怯えた表情は消え、6歳になったレンは本来の子供らしさを取り戻していた。小学校への入学準備も順調だ。ランドセルを選びに行った時の嬉しそうな顔は、忘れられない。

「バーバ、これがいい。青いやつ」

「レンちゃんが気に入ったなら、それにしましょう」

「やった。バーバ、大好き」

純粋な笑顔を見る度、この子を守れて本当に良かったと思う。

カウンセラーの先生も、レンの回復ぶりに驚いていた。

「最初に会った時とは、別人のようです。愛情って、本当に大切なんですね」

「この子には、もう2度辛い思いをさせません」

「その気持ちが、レン君に伝わっているんでしょう」

週に1度の面談も、もう必要ないかもしれないと言われた。それほど、レンは元気になっていた。

近所の人たちも、レンを温かく見守ってくれている。

「レン君、すっかり元気になったわね。有村さんの愛情のおかげよ」

「本当の家族って、血の繋がりだけじゃないのね」

その言葉に、私は深く頷いた。そう、本当の家族とは、お互いを大切に思い合える関係のことだ。

ある日、レンが絵を見せてくれた。そこには、私とレンが手を繋いで歩いている姿が描かれていた。

「これ、バーバとレン」

「うん。いつも一緒だから」

「上手に描けたね。先生も褒めてくれた。『幸せそうな絵ね』って」

幸せ。そう、今の私たちは、確かに幸せだった。

ハルキとアンナのその後も、風の噂で聞こえてくる。ハルキは今も日雇いの仕事を続けているらしい。一度、遠くから私たちを見ていたという話も聞いた。でも、声はかけてこなかった。それでいい。

アンナは実家の近くで、ひっそりと暮らしているという。再婚の話もあったらしいが、過去が知られて破談になったそうだ。

「自業自得ね」

隣の奥さんがそう言った時、私は何も答えなかった。もう、2人のことは過去の話だ。

レンの6歳の誕生日、さやかなパーティーを開いた。

「ハッピーバースデー、レンちゃん」

ケーキのロウソクを吹き消す姿を見ながら、私は去年の誕生日のことを思い出していた。あの時、レンは一人ぼっちだった。でも、もう2度と、そんな思いはさせない。

「バーバ、お願い事した」

「何をお願いしたの?」

「バーバと、ずっと一緒にいられますようにって」

その言葉に、私の目に涙が浮かんだ。

「大丈夫よ。ずっと一緒よ。約束する」

小さな指切りをした。この約束は、必ず守る。

最近、レンは将来の夢を語るようになった。

「レンね、大きくなったら警察官になる」

「どうして警察官?」

「悪い人を捕まえて、みんなを守るの。バーバみたいに」

私は警察官ではないけれど。レンにとって、私は正義の味方なのかもしれない。

「素敵な夢ね。応援するわ」

「うん。頑張る」

夜、レンが寝た後、私は日記を書いている。

「今日も、レンは元気だった。学校の準備も楽しそうにしている。この子の笑顔が、私の生きる力になっている。あの時、息子夫婦を許さないと決めたことに、後悔はない。レンを守ることが、私の使命だったのだ」

時には、血の繋がりよりも、心の繋がりの方が強いこともある。レンと私が、それを証明している。これからも、この子の成長を見守っていきたい。私に与えられた時間で、できる限りの愛情を注ぎたい。

そして、私は同じような境遇の人たちへ伝えたい。虐待は決して見過ごしてはいけない。たとえ身内であっても、子供を守ることが最優先だ。私も最初は迷った。息子を警察に突き出すことに、ためらいもあった。でも、レンの命と心を守ることの方が、大切だった。正しいことをするのに、遠慮はいらない。

今、私たちは本当に幸せだ。血の繋がった親子よりも、深い絆で結ばれている。レンの寝顔を見ながら、私は思う。この子が大人になった時、今度は自分の子供を大切にしてくれることを。虐待の連鎖は、ここで断ち切る。愛情を受けて育った子供は、愛情を与えられる大人になる。レンはきっと、素敵な大人になってくれるだろう。

「バーバ…」

寝言で私を呼ぶレン。そっと布団をかけ直してあげる。この小さな命を守れたことが、私の人生で最も誇れることかもしれない。

ハルキとアンナへの怒りは、もうない。ただ、哀れみを感じるだけだ。人として最も大切なものを、自ら捨ててしまったのだから。でも、それも自業自得。選んだ道の結果は、自分で背負うしかない。

私とレンは、これからも2人で歩いていく。時には、3人だった頃を思い出すこともあるかもしれない。でも、振り返らない。前を向いて、幸せに生きていく。それが、私たちの選んだ道だ。

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