「お前の営業成績が悪いから指導してるんだよ。なんなら、ここの車、俺が買ってやろうか?その代わり半額にしてくれればな」
部長は、さも自分が正しいかのように得意げにそう言った。俺は呆れて、そんなことができるわけがないと断った。すると今度は、とんでもないことを提案し始めた。
「売上を上げるために、修理に来た車をわざと傷つけて、保険金を多く請求するんだ。客に気づかれないようにな」
あまりの非常識さに俺が抗議しても、部長はまったく聞く耳を持たない。そして、椅子から立ち上がると、店内を見回し、棚の上を指さした。
「うむ。ここに誇りが溜まってるな。ああ、ここの店長は仕事もできないクズだな。清掃がなってない。お前は首だ。店の中を全部綺麗にして出て行け」
俺は、この人の言う通りに綺麗にして出て行こうと、静かに決意を固めた。
俺の名前は山岸、45歳。子供の頃から車が好きで、大学卒業後、大手中古車店に就職した。整備士免許など取れる資格は片っ端から取り、営業や整備士として経験を積んだ。前任の店長が移動する際、「お前に店を任せたい」と言ってくれて、今は支店長として働いている。部下を思いやり、分からないことがあれば丁寧に教え、楽しく仕事をしてきた。
家族は妻と息子と娘の4人。家ではいつも車の話ばかりしている。妻は呆れつつも話を聞いてくれ、息子は同じように車好きに育ってくれた。休みの日には一緒に車を見に行くこともある。娘も興味がある車の話になると、一緒に盛り上がってくれる。そんな充実した日々。俺はこの仕事が天職だと思っていた。
お客様第一で働くことは、ずっと心がけてきた。無理に売ろうとはせず、お客様の話を聞いて、希望に添えないと思えば、無理に売りつけることはしない。だからお客様からの評判はいいが、売上だけ見れば系列店の中では下の方だった。だが、俺はそれが悪いことだとは思っていない。無理に売れば、お客様の信頼を損ね、店を利用してくれなくなるからだ。そうやって誠実にやってきたのに、あんなことが起こるとは、この時の俺はまだ知るよしもなかった。
ある日、本社から一本の電話が入った。平野という部長が視察に来るらしい。年に数回、本社の人間が視察に来ることはあるので不思議ではないが、時期がずれているので、たぶん業績が悪いからだろう。部下たちは、その知らせに落ち着かない様子で、ソワソワしていた。
「みんな、いつも通りでいいからな。大丈夫だ」
そう言うと、部下たちは「はい」と返事を返す。だが、一つだけ気がかりなことがあった。最近、どうにも本社の評判が良くないという噂を聞くのだ。しかも、今までの視察で「平野」という部長が来たことは一度もない。その疑問を抱えつつ、俺は気を引き締めて彼を迎えることにした。
数日後、視察に来た平野部長を出迎える。
「おはようございます」
俺が挨拶すると、接客していない部下たちも続いて挨拶した。すると平野部長は、いきなり怒鳴った。
「なんだ、その小さい声は!挨拶がなってないぞ!」
いつもより気を引き締めて挨拶したのに、叱責されてしまい、俺は代表して謝った。平野部長は俺を無視してズカズカと店内に入り、隅々まで見て回る。来店していたお客様がいるのもお構いなしに、大声で言い放った。
「はっ、営業成績が低い店は客の入りも少ないな。店を盛り上げようという姿勢も見えない。店長が脳なしなら、従業員もみんな脳なししかおらんのだろうな」
これはとても視察の態度ではないと思いつつも、俺は何も言い返せなかった。反論しようと思えばできたが、本社の人間を怒らせるのは得策ではないと思った。だが、そんな尊大な態度を目の当たりにしたお客様は、「また後日来ます」と言って全員帰ってしまった。それを見た平野部長は、逆ギレした。
「おい!お前たちの対応が悪いせいで客が帰ったんだろうが!」
さすがに俺もカチンと来て、言い返した。
「いえ、それは平野部長が店内で大声を出されたからであって、我々の責任ではないと思うのですが」
「なんだと!お前、高が支店長のくせに俺に盾突く気か!支店長のお前と、本社から来た部長の俺。どっちが偉いかは一目瞭然だろうが!」
「別に盾突くつもりはありません。ただ、お客様は部長の態度を見て、気を遣って日を改めるとおっしゃったんだと思います」
「はっ!そんなもの、お前たちが必死に引き止めたらいいだけの話だろう!そんなこともできないのか!」
まるで自分に非がないかのように、俺たちを怒鳴りつける。部下たちはオロオロしながら俺を見てくる。もしかして、本社の評判が悪いのは、この部長のせいなのか?そう考えていると、平野部長が言った。
「客がいなくなったならちょうどいい。おい、お前たち、挨拶からやり直しだ。さっさと外に出ろ!」
俺を含む部下全員を店の外に連れ出し、ひたすら挨拶の練習をさせ始めた。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を繰り返す。今日は特に暑く、炎天下の中、部下たちはみんな疲れ果てていた。俺はたまらず、平野部長に休憩をお願いした。
「平野部長、すみません。少し休憩を挟んでいただけませんか?これでは従業員が熱中症で倒れてしまいます」
「そんなもの、俺の知ったことではない!いらん気を使うくらいなら、真面目に挨拶の練習をしろ!」
そう言って、店内から見張っている。しかも、中まで聞こえるように大きな声を出すように指示してきた。30分ほどすると、部下の一人である女性社員がその場に座り込んだ。
「住吉、大丈夫か!」
「すみません……」
顔を覗き込むと、真っ赤になっている。明らかに熱中症の症状だった。俺は慌てて彼女を支え、店内に連れて行った。申し訳なさそうに住吉が謝ってくるが、そんな場合じゃない。すると、平野部長は笑いながら言った。
「なんだなんだ、気合が入っていないからこうなるんだ。もっと気合を入れろ!」
本当にしんどい思いをしているのに、笑っている。俺は大声で言った。
「笑い事じゃありません!早く救急車を呼んでください!」
「甘えるな!」
「そんなこと言ってる場合じゃないです!今でも熱中症で亡くなっている人はたくさんいるんです!いいから早く救急車を呼んでください!」
「ああ?何言ってるんだ、お前。今ここで救急車を呼んだら、俺の責任になってしまうだろうが!」
不祥事を起こしかねない人間が、人命救助より自分の責任を恐れて救急車を呼ばない。そんな人間が本社にいることに、俺は怒りを覚えた。やはり本社の悪い噂の根源は、この男なのかもしれない。俺は住吉を椅子に座らせ、部下たち全員を店内に入るように促した。住吉は「大丈夫です」と言いはるが、顔を真っ赤にさせては説得力がない。心配なので、別の女性社員に頼んで病院へ連れて行ってもらうことにした。そして、俺は平野部長に向き直って言った。
「こんなやり方、あんまりですよ」
「お前たちの営業成績が悪いから指導してるんだよ。なんなら、ここの車、俺が買ってやろうか?その代わり半額にしてくれればな」
「はあ?何を言ってるんですか?そんなことできるわけないでしょう」
「だったら、今度は売上を上げるために、修理に来た車を逆にわざと傷つけて、保険金を多く請求するんだ」
「そんなことできるわけないでしょう!」
とんでもないことを言い出す部長に必死に抗議したが、聞く耳を持たない。そして、平野部長は椅子から立ち上がり、店内を見回した後、棚の上を見て言った。
「うむ。ここに誇りが溜まってるな。ああ、ここの店長は仕事もできないクズだな。清掃がなってない。お前は首だ。店の中を全部綺麗にして出て行け」
誇りなんてあるわけがない。なぜなら、昨日、部下全員で店内を掃除したばかりなのだから。どう見ても溜まっているはずがない。だが、俺はその一言で怒りの頂点に達してしまった。
「わかりました。綺麗にして出ていきます。最終的に浄化しますね」
そう言って、営業スマイルを浮かべた。少し気圧され気味だった平野部長は、言いたいことを言えて満足したのか、店を出て帰っていった。
その直後、住吉を病院に連れて行ってくれた部下から電話があり、対応が早かったおかげで軽い熱中症だという。俺は部下に礼を言い、「仕事のことはもういいから」と二人を家に帰らせた。そして、俺は決意を固めた。翌日、本社に退職届を提出した。俺が退職することを報告すると、部下たちは引き止めてくれる。もちろん、俺だってこの仕事を辞めたくはない。だが、他にやらなければいけないことがある。俺はそう言って、新しい店長が来るまで頑張れと応援し、そのまま退職した。
そして、その足でとある友人に連絡をした。家に帰ると妻が驚いていたので、事情を説明した。すると、俺以上に怒ってくれる妻を見て、俺は自分が間違ったことをしていないと実感した。
支店を退職してから数日後、久しぶりに妻と家で過ごしていると、スマホに本社から電話がかかってきた。何かあったのかと思いながら電話に出ると、焦ったような、怒っているような部長の声が聞こえてきた。
「おお、あの週刊誌の記事は一体何だ!あれ、お前がやったんだろ!なんてことをしてくれるんだ!」
俺が退職してすぐに電話をしたのは、週刊誌の記者をしている学生時代からの友人、加藤だ。俺は加藤に全てを話し、調べがついたら記事にしてもらえるよう約束してもらっていた。つい先日、「明日掲載する」と連絡が来たばかりだった。だから、平野部長の言葉に、俺はただただ笑いをこらえるしかない。そして、今日、週刊誌が発売されると同時にネットニュースにもなり、平野部長の悪事が世間に広まった。
「お言葉ですが、全て事実ですよね」
「だからって、こんなことをしていいと思っているのか!」
「さあ、それはどうでしょうか。俺はただ情報提供をしたに過ぎませんよ」
「お、お前、絶対に許さんぞ!」
「別に、あなたに許してもらおうとは思っていませんよ。あ、そうだ。今回の件で、今日社長に会って全てお話しすることになっていますから」
「おい、ま、待て!」
平野部長は何か言っていたが、俺はそれを無視して電話を切った。
電話を切った後、俺は本社へ向かう準備をした。家を出る前、妻が言った。
「思いっきり追い詰めてきなさい」
「ああ、頑張ってくるよ」
そう言って、俺は笑顔で家を出た。本社に着くと、事前に連絡していたおかげもあり、すんなりと社長室に通された。挨拶をして社長室に入ると、なぜか平野部長もいた。どうせまだ何か言いたくて社長室に押しかけてきたんだろうと思っていると、平野部長が叫んだ。
「なんだ、あの記事の内容は!こんな言いがかり、絶対に許さないぞ!証拠もないくせに!」
「平野君、それくらいにしなさい。それより、あの記事やニュースは本当のことなのかね」
社長は、平野部長の言葉の真偽を俺に確かめようとした。
「いえ、平野部長がおっしゃっていることは全て嘘です」
「お前、いい加減に…!」
「平野君!」
「す、すみません……」
「それなら、週刊誌やニュースで話題になっていることが真実だというのか」
「はい、そうです。それを証明するための証拠なら、ここにあります」
俺はそう言って、持ってきた鞄の中から、ボイスレコーダーとスマホを取り出した。その瞬間、平野部長の顔がみるみる青ざめていく。
「なぁ、お前、それは一体何だ!そんなものを隠し持っているなんて、卑怯だぞ!」
「さっきからうるさいぞ。お前は一旦黙っていろ」
「ひっ、すみません……」
社長の怒声に縮こまる平野部長。実は、このボイスレコーダーとスマホは、平野部長の指導を今後に生かすために、動画を撮っておこうと思って使っていたのだ。まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。もちろん、この内容は加藤にも見せている。だから週刊誌やニュースになったのだ。
俺はボイスレコーダーとスマホを社長に渡した。社長はその内容を見て、激怒した。
「平野君には失望した。この熱中症になった女性従業員は、私の孫だ」
「え、し、社長の孫ですか?」
「ええ、そうですよ。まあ、住吉が社長の孫だと知っているのは、社長ご本人と俺の2人だけしか知らないことですけどね」
「な、なんだと?」
「例え孫でなかったとしても、熱中症で人が倒れるということは人命に関わることだ。それなのに救急車も呼ばないなんて、人として最低だぞ」
「も、申し訳ありません……」
激怒する社長に対し、平野部長は土下座して謝罪する。
「今回の件、どうやら首になるのは山岸君ではなく、平野、お前だ」
社長はそう言い放った。平野部長は何度も「すみません」と謝っていたが、社長は「早く会社から出て行け」と言い渡す。結局、平野部長はそのまま解雇になった。
肩を落として社長室を後にする平野部長を見送った後、社長は俺に言った。
「山岸君には本当に申し訳ないことをしてしまった。すまないが、これから会社の信用を取り戻すために、一緒に働いてくれないか」
どうやら社長は、俺の支店がお客様からの評判が一番良いことを知っていたようだ。
「そうですね。店内の浄化も済んだことですし、全力でお手伝いします」
「そう言ってくれると助かるよ。これからも精一杯頑張ってほしい」
「はい、頑張ります。社員も、山岸君のところでは仕事がやりやすいと言っていたからな」
「そうなんですか。それはありがたい話です」
社長との話がまとまり、俺は元いた店に再び店長として戻ることになった。俺が再び支店長として戻ってきたことに、部下たちは大喜びしてくれた。俺はこんな優しい部下たちを持てて幸せだと感じた。
あれから平野部長は、解雇された後も再就職先を探しているようだが、週刊誌やニュースになったことが原因で働き口が見つからず、奥さんの収入で細々と暮らしているらしい。
俺は改めて、会社の信用を取り戻すためにも、今まで以上にお客様のために働いていこうと決意を新たにした。



