あの夜、私は郵便受けから赤いスタンプの押された封筒を見つけた。開けると、年金が止まるという通知が入っていた。残高は四万二千円、次の生活費は二ヶ月先。それだけならまだ耐えられた。翌日、職場の店長に呼ばれ、こう言われた。「目、大丈夫ですか。来月からシフト減らしてもらえますか」それでも耐えた。だが三日後、私は公衆電話から四年間連絡を取っていない息子に電話をかけた。電話の向こうで孫の泣き声と、妻の督…

あの夜、私は郵便受けから赤いスタンプの押された封筒を見つけた。開けると、年金が止まるという通知が入っていた。残高は四万二千円、次の生活費は二ヶ月先。それだけならまだ耐えられた。翌日、職場の店長に呼ばれ、こう言われた。「目、大丈夫ですか。来月からシフト減らしてもらえますか」それでも耐えた。だが三日後、私は公衆電話から四年間連絡を取っていない息子に電話をかけた。電話の向こうで孫の泣き声と、妻の督...

鴨川市の古い海沿いの団地で、静子は六十八歳の一人暮らしを続けていた。夫を亡くして十二年が過ぎていた。十二月のある夜、駅前のスーパーで閉店前の値引きシール張りを終え、冷たい風の中を三十分歩いて帰宅した。部屋の前の郵便受けを開けると、薄茶色の封筒が一枚入っていた。赤いスタンプが押されていた。差出人は年金機構の地方窓口だった。

部屋に入り、コートを脱いで、台所で湯を沸かしながら封筒を開けた。中には一枚の通知書。先月送ったはずの現況届けの返信がなかったため、生存確認が取れない。よって遺族年金の支給を一時停止する。再開には窓口での本人確認が必要で、最短でも二ヶ月はかかるという内容だった。

静子は通帳を開いた。残高は四万二千円。来月にはアパートの更新料が四万五千円かかる。年金が入らなければ払えない。払えなければこの部屋を失う。その計算は五秒と経たずにできた。目薬も今夜で最後の一本だった。右目の奥には一週間前から鈍い圧迫感があった。

翌朝、静子は市役所へ歩いた。遺族年金の一時停止について話を聞くためだ。待合室は混み合い、四時間半も待った。窓口の若い職員は、書類の手続きをすれば二月末から三月初めには再開できると言った。静子は手続きを済ませ、市役所を出た。次に目薬を受け取りに薬局へ向かった。しかし会計で四千五百円と言われ、財布には三千円しかなかった。静子は「すみません、財布を置いてきてしまって」と嘘をついた。明日また来ると言って、処方箋を持ち帰った。

帰り道、静子はスーパーに寄り、もやし二袋と豆腐一丁を買った。合計六十七円。それで三日分の食事をまかなうつもりだった。

目薬がないまま二日が過ぎ、三日目の朝、静子は目を開けた瞬間に違和感を覚えた。光がまぶたの裏を刺すように感じた。右目の視界はぼんやりと滲んだ。仕事に出ると、値引きシールを貼る作業でミスをした。寿司パックに本来の半額ではなく三割引きのシールを貼ってしまったのだ。客がレジで気づき、店長代理の桑田に呼び出された。

バックヤードで桑田は、目を合わせずに言った。「シフトを週三日に減らすか、ご自身でお考えいただくか。来月からでお願いします」

静子は深く頭を下げた。「長い間お世話になりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」声は揺れなかった。その夜、団地の入り口で管理人に呼び止められた。ピンク色の封筒を手渡された。管理費の滞納通知だった。三階の廊下に四〇四号室の夫婦が立っていて、静子と管理人を見下ろしていた。その視線が、静子の背中に刺さったまま残った。

大晦日の夕方、電気が止まった。電力会社からの請求が一万四千円を超えていた。払えなかった。しず子はロウソクを一本立て、毛布を二枚重ねて膝にかけ、ゆたぽんを抱えて炎を見ながら年を越した。正月三日、財布の中は百三十二円だった。コンビニでカップ麺の値段を確認して、何も買わずに出た。

その日の午後、静子は駅前の公衆電話ボックスに入った。引き出しにしまってあった息子の電話番号を思い出しながら、十円玉を十枚ばかり入れてダイヤルした。四回目のコールの後、電話が繋がった。四年ぶりに聞く息子の声だった。しかし、その向こうからは、子供の泣き声と、妻らしき女の声が聞こえた。「今月もう三枚目の督促状が来てるのよ。どうするのよ」という言葉が、受話器越しに届いた。息子は「もしもし、誰ですか」と聞いた。静子は何も言えなかった。静かに受話器を置いた。返ってきた十円玉は一枚だけだった。

静子はその夜、部屋の中で自分の状況を数えた。電気は止まっている。食料は米が少しと豆腐一丁。財布は百四十二円。仕事は今月まで。年金は二月末まで入らない。息子には頼れない。残る道は、市役所の福祉窓口に行くことだった。

一月の第二週の月曜日、しず子は市役所の福祉課を訪れた。担当者の中野は、穏やかな声で一つずつ質問した。収入、資産、住居のこと。静子は包み隠さず答えた。電気が止まっていることも、管理費を滞納していることも話した。そして最後に、中野は息子のことを尋ねた。生活保護の申請には、扶養義務者への通知が必要だという。大阪に住む息子に、母親が生活保護を申請したことを知らせる通知が送られる。

静子は少し考えてから、言った。「息子も今は余裕がないようです。先週電話で声だけ聞きました。子供がいて、借金があって、妻と一緒に苦しそうでした。それでも、私にはもう他に方法がありません」

中野は静かに聞いていた。「通知は必ず送らなければなりません。ただ、息子さんが支援できないと回答されれば、それ以上の請求はありません。神聖はしず子さんのものです」

同意書に署名する時、静子は目を閉じた。電話越しに聞いた、名前も知らない孫の泣き声を思い出した。それから目を開けて、自分の名前を書いた。字は少し乱れた。

三週間後、審査結果の通知が届いた。生活保護の受給が認められた。同週に、大阪市の福祉事務所からも封筒が届いた。息子の達也が、経済的に困窮しており、母親を扶養する能力がないという申告書を提出したという通知だった。達也はちゃんと回答していた。それだけは分かった。達也からの直接の連絡はなかった。

二月に入って最初の週、電気が復旧した。管理費の滞納も、家賃の更新料も支払った。三月の初め、遺族年金の支給も再開された。春が近づいていた。

生活保護を受け始めて二ヶ月が経った頃、郵便受けに達也からの手紙が入っていた。素っ気ない筆跡だった。「母さんへ。市役所から通知が届いた。自分のことで精一杯で連絡もしなかった。お金のことで迷惑をかけたことは謝る。元気でいてください」それだけだった。静子は手紙を三度読み返した。返事を書こうかと思ったが、書かなかった。今日ではないということだけは分かっていた。

三月のある午後、静子は郵便受けの前に立っていた。中には何も入っていなかった。閉めようとした時、下の棟から小学生くらいの子供たちの声が聞こえた。二人で自転車に乗り、ランドセルを背負ったまま、笑いながら駐輪場の方へ走っていった。静子はその姿をしばらく見ていた。

自分の部屋の前まで戻り、カバンから目薬を取り出した。上を向いて、一滴差した。目を閉じて、染み込むのを待った。医師からは、視力は少し改善したと言われていた。目を開けると、三月の夕方の光が廊下に差し込んでいた。

部屋に入り、台所で湯を沸かした。茶碗に湯呑みを注ぎ、両手で包んだ。温かさが指先に伝わってきた。窓の外では、三月の日が暮れようとしていた。十二月よりは確かに日は長くなっていた。静子はそのお茶を、ゆっくりと一口ずつ飲んだ。大きな何かが解決したわけではなかった。失ったものも戻らなかった。ただ、今日も明日もここにいる。それだけのことが、今の静子の全部だった。

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