七つになる兄が、熱でうなされる弟を背負って、吹雪の夜に私の戸を叩いた。ずぶ濡れの二人を見て、私は戸を閉めることができなかった。だが、明け方、市場で見た高札に、私は凍りついた。そこには、御用の米を盗んだ罪人の子として、二人の人相書きが記されていたのだ。匿えば、私も牢行きは間違いない。だが、弟の口に先に粥を運ぶあの兄の姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。心を鬼にしようと決めたその夜、私は吉次郎の…

七つになる兄が、熱でうなされる弟を背負って、吹雪の夜に私の戸を叩いた。ずぶ濡れの二人を見て、私は戸を閉めることができなかった。だが、明け方、市場で見た高札に、私は凍りついた。そこには、御用の米を盗んだ罪人の子として、二人の人相書きが記されていたのだ。匿えば、私も牢行きは間違いない。だが、弟の口に先に粥を運ぶあの兄の姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。心を鬼にしようと決めたその夜、私は吉次郎の...

吹雪の夜、雪の吹きすさむ真冬の闇の中、わらじ職人の徳造の家の戸を叩いたのは、7つになる吉太郎と、火のように熱い体をした弟の吉次郎でした。二人は、父の罪を着せられて牢で果てた元役人の子だと知らずに、徳造に拾い上げられたのです。しかし、その頃すでに元締めの祝人米は取り方を放ち、二人の行方を追っていました。

頼みの綱であった隣人までもが背を向け、子供たちはついに徳造の目の前で引きずられていきました。ただ一つの証だけが残されました。果たして、貧しきわらじ職人は、この地の権力者を打ち倒すことができるのでしょうか。その最後の手がかりが、7つのこの記憶の奥に隠されていたことを、まだ誰も知りませんでした。

厳しい冬の山里の夜は、深く静まり返っていました。空からは大粒の雪が絶え間なく降りしきり、風は枯れ枝を揺らしながら長く泣き続けていました。村からも随分離れた寂しい谷合の奥に、今にも朽ち果てそうな藁葺き屋根の小屋が一軒、ひっそりと身を潜めていました。障子は風が吹く度にぶるぶると震え、その隙間から忍び込む冷気に、あんどんの火も頼りなく揺れていました。

部屋の隅に積まれた藁の傍らで、一人の男が膝を立てて座り、黙々とわらじを編んでいました。男の名は徳造と申しました。彼の手は節くれ立って、手のひらには熱いタコがいくつも張り、指先は藁の繊維に切られたのか、指の一本一本に黒いあかが入り込んでいました。彼は乾いた藁を一本一本より合わせては編み込み、夜を明かしていました。シャリシャリと藁の擦れ合う音だけが静まり返った部屋を満たし、時折、炉端の火が燃え尽きながらパチリとはじける音がしました。

年はすでに四十を数えていましたが、彼は独り身でした。妻も子もありませんでした。かつては彼にも温かい家族がいたのです。しかし、あの容赦ない疫病が村を通り過ぎていった後、彼は全てを失いました。愛しかった妻も、やっと歩き始めたばかりの幼い息子も、その黒い手から逃れることはできませんでした。徳造はその日から人を遠ざけ、心の戸を固く閉ざしてしまったのです。ただわらじを編んでは、受け取った銭を布に包んで深く隠す。それだけが彼が世間と向き合う全てでした。

その夜も、これまでと変わらぬ夜でした。徳造はわらじを編み終えると、火にあたりました。指先の凍えに、ほのかなぬくもりが染み込んできます。今日もこれと言って面白いこともない一日であったな、と独り言をつぶやきながら寝床を敷こうとした、ちょうどその時です。

トントンと、誰かが戸を叩く音がしました。最初は風が戸板を揺らす音だろうと思っていましたが、その音は次第に切迫したものへと変わっていきました。

「どなたかおいでですか? 」「どなたかおいでですか? 」

細く震える幼子の声でした。徳造はしばし迷いましたが、その声があまりに哀れで、ついに戸を開けました。ギィと戸が開くと、荒れ狂う雪風が一気に吹き込んできました。徳造はわらじを手に、外へ出ました。足元で雪がキュッキュッと踏みしめられ、首筋に入り込む雪の粒に肩をすくめました。

戸を開けると、目を覆いたくなるような光景が広がっていました。小さな子供が一人、自分の体ほどもある弟を背負って立っていたのです。背負われている子はぐったりとして息を切らせるだけ、背負っている子は寒さに真っ青になって体を震わせていました。二人の頭にも肩にも、白い雪が降り積もっていました。

「一晩だけ止めてくださいませ。弟が凍え死んでしまいます。」

震える声で子供が言いました。その頬には涙の跡が凍りつき、唇は寒さで紫色に染まっていました。徳造はしばし迷いましたが、細れるこの絞り出すような息の音に、思わず手を差し伸べました。抱き上げたその小さな体は綿のように軽うございましたが、火の玉のように熱を帯びていました。手のひらから伝わる熱に、彼は思わず驚きました。

「これはひどい。早く中へ入りなさい。」

徳造は二人を部屋へ招き入れました。熱に浮かされた子を温かい場所へ寝かせ、古い布団をかけてやりました。額には玉のような汗が浮かび、息をするたびに胸が苦しげに上下していました。もう一人の子はその傍らに膝をつき、弟の手をしっかりと握っていました。徳造はそこで初めて二人の身なりをじっくりと見て取りました。大きい方はようやく七つほど、小さい方はそれより二つ三つ下に見えました。着物は丁寧に仕立てられたものの、今は泥と涙で汚れ、あちこちがほつれていました。

「お前の名は何と言う? 」

「吉太郎と申します。弟は吉次郎と申します。」

「親はどこにおる?

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何ゆえこの夜更けに山道を彷徨っておったのだ。」

吉太郎は口を固く閉ざし、その小さな頬をかかに震わせるばかりで、それ以上答えませんでした。徳造もそれ以上は尋ねませんでした。どうせ知りたくもなかったからです。徳造は台所で粥を炊き、椀に持って運びました。植えた吉太郎の目がその椀に釘付けになりました。しかし、子供はそれを自分の口へ運ばず、まず粥を救って冷まし、呻る弟の口へ先に運んでやったのです。全て食べさせてから、ようやく残りを自分の口へ。それさえも惜しむように少しずつすすりました。その様子に徳造の胸の奥が、何とも言えず痛みました。しかし彼はすぐに顔を背け、苦々しく一言だけ投げかけました。

「この厳しい世の中、己の血筋一つ養うのも精一杯というものを。血のつながらぬ他人を拾ったところで、何の役にも立たぬ。」

それは子供たちにというより、己への戒めでした。情けをかければ、失った時の痛みが増すことを彼は誰よりも知っていたのです。

外では吹雪が荒れ狂い、その夜徳造はなかなか寝つけませんでした。傍らの息遣いに心を乱され、天井を見つめておりますと、忘れようとしていた昔の記憶が蘇ってきました。病で我が子を見送ったあの日、冷たく冷えた小さな手の感触が、今もなお生々しく残っていました。徳造はぎゅっと目を閉じました。枕がじっとりと濡れました。

夜が明けました。雪は止み、辺りは真っ白でした。木の先には長い氷柱が垂れ下がり、朝日を受けてキラキラと輝いていました。徳造は気を引き締め、子供たちを送り出すつもりでいました。

「坊やたち、起きなさい。夜が明けたのだから、そろそろ道を行かねばならん。」

ところが、吉次郎の熱は夜のうちにさらに上がり、額は火照りそうなほど熱かったのです。

「これは一大事だ。」

徳造が看病をしておりますと、目覚めた吉太郎が徳造の袖にすがりつきました。

「おじ様、どうかお願いいたします。弟が治るまでだけでも、ここに置いてくださいませ。何でもいたします。ご恩は必ずお返しいたします。」

こう言うと吉太郎はすぐさま駆け出し、片隅に積まれた薪の山へ走りより、自分の背丈ほどもある斧を両手で持ち上げました。子供の細い腕でその重い斧を振るうのは危なっかしく見え、斧はしきりに薪を外して雪の上に突き刺さりましたが、それでも吉太郎は諦めず、歯を食いしばってまた斧を振り上げました。やがて、ついに薪木が一つ、二つに割れました。楽には寒い日にも関わらず、汗が浮かび、息をあえぎながらも手を止めませんでした。

「もう良い、もう良い。そんなことをしていては、足を怪我するぞ。」

徳造はため息をつきながら斧を取り上げました。

「今日一日だけだぞ。分かったか? 弟の熱が下がり次第、すぐに旅立たねばならぬのだからな。」

吉太郎は何度も頷き、その目から涙がぽろりとこぼれ落ちました。

「ありがとうございます。おじ様。」

徳造は聞こえぬふりをして顔を背け、売りに出す品を包んだわらじの束を担ぎました。今日は市の立つ日でした。彼は子供たちを家に残し、山道を下ってまいりました。雪の積もった山道は滑りやすく、徳造はわらじが雪にずぶずぶと沈み込むのを確かめながら、慎重に足を運びました。

しばらく歩いて村里の入口に差しかかりますと、広場には人々がざわざわと群れ集まり、その真ん中で鐘の音が騒がしく響いておりました。大きな欅の木には黄ばんだ高札が掲げられ、その前にはいかめしい顔をした役人が杖をつき、目を光らせていました。

「何事でございますか? 」

老人に尋ねますと、老人は押し殺した声で答えました。

「ああ、聞くところによると、罪人を捕まえるそうな。御用の米を横領して咎められた罪人の子二人を、元締め様が自ら役人を放って、この地を隅から隅まで探しておられるそうだ。」

徳造は胸がどきりとしました。震える目で高札の内容をじっくりと読み進めますと、そこには七つと五つほどの子供の人相書きが記されておりました。兄は利発、弟は体が弱いとあります。それは吉太郎と吉次郎の姿と寸分変わらぬものでした。徳造の背筋を冷たいものが伝いました。彼は慌てて顔を覆い、その場を離れました。担いでいたわらじは、一足も売れぬままでした。

あの子供たちが、罪人の子であったというのか。御用の米を盗んだ盗人の子。この私が家に入れてしまったというのか。もし匿っていることが露見すれば、自分の命さえ危ういことは明らかでした。匿った罪で共に引かれて鞭打ちを受けるか、牢に入れられるやもしれません。一刻も早く役所に突き出すか、さもなくば遠くへ追い払わねば、と考えつつも、足を運ぶその心は先憂き後憂きに満ちていました。弟の口へ粥を先に運んでやった吉太郎の姿が、斧を持って薪を割っていたあの小さな背中が、しきりに目の前にちらつくのです。

「いや、いや、情に流されてはならぬ。己の血筋さえ養えぬこの厳しい世に、罪人の子まで拾ったところで、どのような災いを招くか知れたものではない。」

徳造は頭を激しく振りながら山道を登って行きました。心を鬼にすると決めました。家に帰ったら子供たちを問い詰め、本当の事情を聞き出し、その上で冷たく送り出そうと心に決めたのです。

日が終点を過ぎる頃、小屋にたどり着いた徳造の目に、奇妙な光景が飛び込んできました。戸は大きく開け放たれておりますのに、部屋の中に吉太郎の姿が見当たらないのです。

「吉太郎、吉太郎、どこにおる? 」

彼は荒り出し、慌てて探して駆け回りますと、小屋の裏手から人の気配が感じられました。たどり着いた徳造は、その場に立ち尽くしました。薄暗い沢のほとりに、吉太郎が倒れていたのです。傍らには弟の汚れた着物が、水に濡れたまま散らばっておりました。吉太郎は弟の着物を洗ってやろうとして、その冷たい水に何度も手を浸しているうちに、とうとう気を失って倒れてしまったようでした。子供の小さな手は、寒さで真っ赤に凍りついておりました。

「この愚か者め。誰がこんな寒い日に洗濯をしろと申した。」

徳造は急いで吉太郎を抱き上げました。子供の体は冷たく冷え切っておりました。彼は吉太郎を背負って部屋へ戻り、炉の火をさらに起こし、その手を己の両手で包み込み、はあはあと息を吹きかけて温めてやりました。しばらくして目を開けた吉太郎は、正気に戻るなりまず弟のことを尋ねました。

「弟の吉次郎は大丈夫でございますか?

「弟の心配は良いから、自分の心配をせよ。この愚か者め。」

徳造は怒ったように言いましたが、その声にはいつしか怒りよりも哀れみの方が色濃く滲んでおりました。吉太郎は安心したように、また目を閉じました。兄弟は互いの手をしっかりと握り合ったまま、並んで眠りにつきました。その姿があまりにも哀れで、徳造は本当の事情を問いただす気になれませんでした。彼は長いため息をつきました。

その時、徳造の目に、吉次郎の和服の袖なしの片方の裾が、やけに留まって折れているのが止まりました。何気なく触れてみますと、その裏地が他の場所より一段と厚く、硬いのです。綿を入れたにしては、あまりにも硬すぎる。これは何であろうか。徳造は不思議に思い、眠っている子が目を覚まさぬよう、そっと袖なしを脱がせて手に取りました。火の近くへ持っていき裏地を調べますと、指先で押した感触から、中に固く固い物が入っているのは間違いありませんでした。他人の着物を勝手に解くのは気が引けることでしたが、好奇心と不吉な予感が彼の手を動かしました。彼は袖なしの縫い目をそっとほどきました。一針一針、誰かが心を込めて縫い止めた糸がゆっくりとほどけていきます。裏地の間に指を差し入れますと、冷たく重たい何かが手に触れました。あんどんの下に姿を現したのは、手のひらほどの真鍮の印鑑でした。鈍く光るそれはずっしりと重く、手垢がうっすらと染み込んでおりました。ただの百姓が持てるような品ではありません。このような印鑑は、御用に携わる役人が用いるものでした。

徳造はその印鑑を手のひらに乗せ、しばらくじっと見つめておりました。ただの罪人の子が、どうしてこのような貴重な品を着物の裏に縫い込んで隠し持っておったのだろうか。高札の内容によれば、この頃らの父は御用の米を盗んだただの罪人だったはずです。それをわざわざ幼い弟の着物の奥深くに縫い込んで隠す理由は、一体何なのでしょう。もしや、この子らの父は盗人ではないのかもしれぬ。徳造は真鍮の印鑑をぎゅっと握りしめました。冷たい感触が手のひらを伝って胸の奥まで冷ややかに染みていきました。何か深く暗い事情が、この小さな兄弟の背中に隠されているに違いありません。固く閉ざしていた徳造の心の片隅で、何かがそっと動き始めたのです。この哀れな子供たちを、何の罪もなく追われる幼い兄弟を、無情に突き放すことなどできぬ、という思いが込み上げてきたのでした。彼は印鑑を布に大切に包み、深くしまい込みました。

やがて、兄弟が目を覚ましました。徳造は二人を静かに座らせ、しばらくためらった後、震える声で切り出しました。

「吉太郎、吉次郎。よく聞きなさい。」

兄弟はわけもわからぬまま、徳造を見上げていました。

「今日からお前たちは、私の子じゃ。良いか。誰かに問われたら、遠くに住む姉の子だと申しなさい。もうしばらくは帰らねばなるまい。そうすればお前たちを守ってやれるのだから。」

吉太郎の目が大きく見開かれました。

「おじ様、本当でございますか? 私たちを拾ってくださるのでございますか? 」

「おじ様ではない。これからは、叔父と呼びなさい。」

徳造のその言葉に、吉太郎の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちました。子供は我慢に我慢を重ねてきた涙を、堰を切ったように流し、徳造の懐へとすがりついてきました。吉次郎もその小さな腕を伸ばし、徳造の着物の裾をぎゅっと握りしめました。徳造は二人の子を一つの胸に抱き寄せました。長らく空っぽであったその胸が、その小さなぬくもりで一杯に満たされていくのを感じたのです。

その夜、三人は初めて一つの膳を囲んで食事をしました。麦の混じった粗末な飯に漬け物が一鉢あるばかりでしたが、その味はこの上なく温かいものでした。炉の上では味噌汁がぐつぐつと煮え、部屋の中には久方ぶりに楽しげな話し声が漂っておりました。吉次郎の熱もいつしかいく分か引き、子供は随分とはっきりとした目で飯を口に運んでおりました。もしやこれこそが、失ったとばかり思っていた家族というもののぬくもりであったのかもしれぬ、と心の中でそっと考えました。

しかし、その頃、小屋からそう遠くない斜面の下、竹やぶの陰に一人の男の影がゆらりと動いておりました。村の元締め、祝人米でした。彼は厚手の羽織りの襟を立てて顔を隠しながら、徳造の小屋をじっと見上げておりました。しばらくそこに立ち尽くしたまま、部屋から漏れ聞こえてくる子供たちの笑い声に耳を澄ましておりました。確か徳造は独り身の男だったはず。何ゆえ、あの家から幼子の笑い声が漏れてくるのでしょうか。人米の口元に、得たいの知れぬ笑みがよぎりました。冷たい夜風が松の枝を揺らして過ぎていきました。彼はもう一度小屋を振り返ってから、やがて闇の中へと踵を返したのです。

冬に凍りついていた大地が、次第に緩んでまいりました。木の先の氷柱は日中の陽気に溶けてはぽたぽたと庭を濡らし、日当たりの良い軒の下には黄色いたんぽぽが頭をもたげておりました。春が訪れたのです。徳造の小屋にも春は温かく染み渡り、軒に巣を作った燕が忙しく泥を運びながらちーちーと鳴いておりました。徳造は縁側に腰かけ、膝の上の藁をより分けておりました。

「吉太郎、こちらへ行きなさい。」

庭で土いじりをしていた吉太郎が、手を払いながら駆け寄ってきました。七つになる子の頬は日に焼けて色づき、眸の目は黒い葡萄のように輝いておりました。

「今日はわらじの編み方を教えてやろう。男たるもの、履き物くらいは自分で編めねばならぬものだ。」

徳造は藁を一本手に取り、手のひらに唾をつけながらより始めました。シャリシャリとこすれ合う音が春風に乗って流れ、吉太郎は小さな口をきゅっと結んでその手先を見つめると、不器用に藁を擦り始めましたが、藁はしきりに指の間から滑り抜け、結び目も緩く解けてしまいました。

「ああ、また解けてしまいました。おじよ。」

唇を尖らせて不満をこぼす吉太郎に、徳造は思わず口元に笑みを浮かべておりました。それは実に久しぶりに彼の顔に現れた笑みでした。

「誰も初めから上手にできるものなどおらぬわ。」

徳造は吉太郎の小さな手を自分の手で包み込み、一緒に藁をひねってやりました。そのぬくもりに、遠い昔に見送った幼い我が子の姿が脳裏をよぎりましたが、今度ばかりはその痛みが以前のように彼を打ちのめすことはありませんでした。むしろ、その開いた場所に新しい温かな肉が芽生えるような心地でした。

「おじよ。できました。見てください。ほら。」

吉太郎が短いより紐を誇らしげに掲げますと、その顔は世界を手に入れたかのように明るく輝いておりました。

「お、よくできた。吉太郎は手先が器用じゃな。」

徳造が頭を撫でてやりますと、傍で見ていた吉次郎もきゃっきゃと笑いながら駆け寄り、「私もやりたい」と、もう片方の膝にすがりつきました。冬の間のように熱を出して苦しんでいた吉次郎でしたが、徳造が夜を徹して粥を炊き、額の手拭いを取り替えてやった甲斐があってか、春が来る頃にはもう赤みが差し、今では庭を駆け回るほどに元気を取り戻しておりました。三人は縁側に寄り合って座り、日が傾くまでは編み続けました。「血のつながらぬ他人を拾ったところで、何の役にも立たぬ。」あの夜、言い放った己の言葉がいかに虚しいものであったかを、徳造は日々思い知らされておりました。

端午の節句が近づき、市場には柏餅を売る店が並び、子供たちは晴れ着に身を包んで通りを駆け回っておりました。その日の朝、徳造は手垢のついた銭の包みを取り出し、何度も数え直しておりました。普段の彼であれば、一文たりとも無駄にすることなどありませんでしたが、庭先で仲睦まじく遊ぶ二人の姿を見ておりますと、なぜか胸が締めつけられたのです。

「ええ、まあ、年に一度の節句であるのだから。」

徳造は思い切って銭を懐に忍ばせ、子供たちの手を引いて市場へと向かいました。市場はまさに人だかりでした。吉次郎は初めて見る光景に目を丸くして、きょろきょろと見回しておりました。

「おじよ、あちらのお餅を見てください。」

吉次郎が真っ先に一番大きな柏餅を指さす一方、吉太郎は弟とは違い、一番安く見える方をちらりと見合っておりました。幼いながらも叔父の懐具合を気にかける子供だったのです。その心遣いのあまりにいじらしく、徳造の鼻の奥がつんとして参りました。

「今日はお前たちの好きなものを、好きなだけ買ってやるから、心ゆくまで選ぶが良い。」

徳造はわざと精一杯いい放ち、柏餅と千巻きを両手に余るほど買い求めました。三人は市場の隅の平らな岩に腰を下ろし、餅を分け合って食べました。吉次郎は口の周りに粉をつけたまま、頬をいっぱいに膨らませて笑っておりました。

ちょうどその時、餅を頬張りながら岩にもたれかかっていた吉太郎が、何気なく低い歌を口ずさみ始めたのです。

「月は東の山に出て、日は西の山に沈む。星が一つ落ちてきて、花の中に隠れんぼ。」

実に不思議な歌でした。世の子供たちが歌うわらべ歌とはどこか違う響きを持った歌詞で、節回しは物悲しく、意味も半ば抽象的に測り知れぬものでした。

「吉太郎、その歌はどこで習ったのだ? 初めて聞く歌だが。」

吉太郎の顔に陰りがよぎりました。

「父上が教えてくださいました。父上が生きておられた頃、私を膝に乗せてこの歌を歌ってくださったのです。忘れずに覚えておきなさい。いつか使う時が来るから。そう仰せになりました。」

徳造の胸が締めつけられました。亡き父を思い出す幼子のまなざしが、あまりにも痛々しかったのです。しかし、その歌の意味までは徳造には見当もつきませんでした。

「そうか。良い歌ではないか。父上がくれた大切な歌だ。忘れずに大事にしまっておきなさい。」

徳造は吉太郎の頭をそっと撫でてやりました。

その夜、すうすうと眠る二人の寝顔をしばらく見つめていた徳造は、洗ってやろうと取り分けた吉次郎の袖なしを手に取り、台所へ出て静かに裏地を確かめてみました。あの真鍮の印鑑は、相変わらずそこにありました。火の下でしげしげと眺めますと、そこには文字らしきものが刻まれておりましたが、暗くてよくは見えませんでした。

「何の事情かは分からぬが、お前たちが大きくなるまで、この叔父が大事に預かっておいてやろう。」

彼はそれを丁寧に縫い直し、他の衣類の下に隠すようにして、箪笥の奥深くにしまい込みました。窓の外には端午の丸い月が高く登り、その平穏な夜が嵐の前の最後の静けさであったことを、その時の徳造は知る由もありませんでした。

その翌日も、また翌日も、徳造はいつものように市場へ出かけておりました。しかし、彼が気づかぬことが一つありました。市場の片隅で、行商人のような身なりをした男が、吉太郎の様子をじっと見つめていたのです。祝人米の手先でした。吉太郎が何気なく父から教わったあの歌を口ずさみ始めますと、通りすがりのその男が足を止めました。その歌は男が以前にどこかで耳にしたことのある歌。まさしく、死んだ役人の徳三が常々口ずさんでいたあの歌でした。

「良い歌だな。どこで覚えたのだ?

「父上が教えてくださいました。」

吉太郎は無邪気に答えました。男の口元に冷たい笑みが広がりました。徳造はその男をただの客であろうとしか思わず、疑いも持たずに子供たちの手を引いてその場を離れたのです。

その夜、元締めの祝人米は屋敷の縁側で燭台にもたれかかりながら、手先の報告を聞いておりました。

「間違いございません。あの子が歌っていたのは、死んだ役人が口ずさんでいた歌でございました。」

手先の言葉に、人米の目が細く釣り上げられました。彼はゆっくりと煙管を吸い、長く煙を吐き出しました。

「奴のガキどもが、まだこの地で生きておったとはな。放ってはおけぬ。あのガキどもを生かしておくわけにはいかぬ。」

彼はずっと気がかりであった。未だ見つからぬあの印鑑のことを思い出しました。それが己の首を締めかねぬ危うい代物であることだけは、はっきりと分かっておりました。

「子供たちの在所は突き止めたか。」

「わらじ職人、徳造と申す者の小屋に、共に住んでおる様子でございます。」

「よし。むやみに踏み込んで事を構えるな。まずは静かに様子を見よう。」

人米は手先に変装をしてあの小屋の周りを探れと命じたのです。

数日後、徳造が庭でわらじを編んでおりますと、見慣れぬ男が二人、小屋へ入ってまいりました。二人は平凡な行商人のようでしたが、その足取りやまなざしはどこか尋常ならざるものでした。藁を選ぶふりをしながらもしきりにあたりを見回し、「この家に子供がおるのか」と尋ねてまいります。徳造は務めて平然を装い、独り身の年寄りだと言いはりましたが、縁側にかけられた吉次郎の着物に男の視線が向けられた瞬間、背筋にひやりと冷汗が流れました。

「あれは、市で安値で買った古着で、雑巾に使うものだ。」

彼は何食わぬ顔で言い放ちました。男たちは疑わしげな目つきでしばらく睨みつけておりましたが、やがて藁を一束買い求め、しぶしぶながら踵を返しました。彼らが去り、徳造はへなへなと座り込み、急いで台所の奥へ駆け込みました。男たちが入ってくる気配を感じた途端、とっさに子供たちを米櫃の中へ隠しておったのです。

「もう出てきて良いぞ。」

櫃をめくりますと、真っ青な顔をした二人が這い出してきました。

「おじよ。あの人たち、私たちを捕まえに来たのでございますか? 」

「怖がることはない。」

届きましたが、その胸は不安で激しく高鳴っておりました。次はどうすれば良いのか、彼には見当もつきませんでした。しかし、本当の危機は、遠くから踏み込んできたあの見知らぬ男たちではありませんでした。

その夜、村里の茶屋の奥座敷では、人米が徳造の隣人であり村の名主でもある久兵衛を密かに呼び寄せておりました。ずっしりと重い銭の包みを卓の上にどんと投げ出し、

「ここに二十両ある。お前はただ一つ、徳造の家に子供が二人引き取られておるかどうか。それを確かめてくれれば良い。」

と迫りました。

「ふむ。聞くところによれば、お前の末の子はどうも病がちだそうだな。この二十両あれば、薬の借金も綺麗に返せて、医者を招くこともできようぞ。」

久兵衛には生まれつき体の弱い娘がおり、その薬のために身を粉にして働きながらも、満足に薬を買ってやれず、いつも胸を痛めておりました。人米はその弱みを正確についてきました。

「己のことか、よそのことか。どちらが大事か、よく考えてみるが良い。」

久兵衛は唇を噛みしめ、うなだれるほかなりませんでした。その夜、久兵衛は膝立ちのまま玄関を出て、暗闇の中で何度も徳造の小屋の明かりを振り返りながら、「すまぬ、すまぬ」とつぶやき、涙を流しながら人米の方へ足を運んでいったのです。こうして、一人の男の良心が、二十両の重さの下に崩れ落ちていった夜でした。

翌朝、徳造が粥を炊いておりますと、戸の外から荒々しい足音が押し寄せてきました。一人や二人ではありません。

「わらじ職人、徳造はおるか。」

怒鳴り声が庭先を切り裂き、青い衣をまとった役人たちがどっと庭に雪崩れ込んできました。その背後から、油ぎった顔に悪い笑みを浮かべた人米が、ゆったりとした足取りで入ってきました。

「ほう。ここが罪人の子供らを匿った家であったか。」

徳造は口の中がからからに乾きながらも、必死に平静を装いました。

「何を仰せでございましょうか。私はただわらじを編んで暮らす者にございます。」

「とんでもない。」

人米は高札を突き出し、この村でその歌声が聞こえたとの訴えがあったのだと告げました。徳造の心臓がどんと沈み込みました。

「歌など、子供が聞き覚えて口ずさむものではございませんか。」

と言いかけたところ、「べらべらとよくもまあ。」と人米が声を荒げ、役人たちがどっと部屋の中へと雪崩れ込みました。徳造が押しとめようといたしましたが、屈強な役人の力に叶うはずもなく、突き飛ばされて庭の土の上へ転がりました。泣き叫ぶ吉次郎、悲鳴のように弟の名を呼びながら駆け込もうとする吉太郎を、役人たちが乱暴に抑えつけました。その修羅場の中、人米の両目が、泣きじゃくる吉次郎の和服の袖なしに鋭く光りました。

「おい、その袖なしを、こちらへ寄越せ。」

人米が大股で近づき、乱暴に引き剥がし、裏地を無理やり引き裂きますと、中から真鍮の印鑑がぽとりと落ちました。人米はそれを素早く拾い上げ、

「これがあの印鑑か。」

と邪悪な笑みを浮かべながら、己の懐にしまい込んだのです。徳造は土の上から這い寄り、

「この子を離してくだされ、この子には何の罪もございません。」

と役人の足にすがりつきました。しかし、返ってきたのは容赦のない蹴りでした。蹴り上げられ、口の中に生臭い味が広がりましたが、それでも徳造は再び這いずり、「どうかお助けください」と嘆願を続けました。

「連れて行け。」

人米が命じました。幼い子供たちの細い手首に荒縄が食い込み、吉次郎は泣き叫び、吉太郎は歯を食いしばって涙をこらえておりました。

「おじよ、おじよ。」

吉太郎が引きずられながら絶叫に呼ぶ声に、徳造は全身の力で立ち上がろうといたしましたが、供の者の刀の峰で肩を打たれ、再び崩れ落ちました。

「吉太郎、吉次郎、叔父が必ず迎えに行くぞ。それまで、どうか辛抱をしてくれ。」

徳造は喉が張り裂けんばかりに叫びましたが、その叫びは虚しく空に吸い込まれていくばかりでした。人米は最後に徳造を振り返り、

「お前も罪人を匿った罪で、いずれ裁きを受ける。」

と嘲るように言い残し、悠然と小屋を後にいたしました。壊された戸や道具、散らばった藁、ひっくり返った粥の鍋だけが、先ほどまでの惨状を物語っていました。小屋には重苦しい静寂だけが残りました。日が傾き、空には黒い雲が垂れ込め、やがてぽつりぽつりと冷たい春の雨が降り始めました。徳造はその雨に打たれながら、庭にただ立ち尽くしておりました。雨なのか涙なのか分からぬものが、彼の頬を伝って流れ落ちました。

しばらくして部屋へ入り、散らかった隅を手探りしていると、その手に何か小さなものが触れました。それは、吉太郎が編みかけのまま残していった小さなわらじの片方でした。数日前、吉太郎は弟のわらじを作ってやると言い、その小さな手で藁を編んでおったのです。まだ片方しか出来上がっておらぬそのわらじを、徳造は両手でしっかりと握りしめました。

「吉太郎。」

低い呻き声が彼の口から漏れました。彼はその場に崩れるように座り込み、小さなわらじを胸に抱いて肩を震わせながら、声を殺して泣きました。遠い昔、疫病で見送った妻と我が子の顔が蘇ってきました。あの時も彼はこのように無力でした。ようやく心を開き、我が子のように慈しむようになった二人の子を、こうしてまた奪われてしまったのです。

「私が、私が…。罪人だ。私がお前たちを守ってやれなかった。」

徳造は胸を搔きむしりながら号泣いたしました。火の灯りもいつしか消え、部屋の中には骨身にしみる寒さと、男の切ない慟哭だけが満ちておりました。

どれほど泣いたことでございましょうか。雨の勢いが弱まる頃、戸の方から遠慮がちな足音が聞こえてまいりました。雨にずぶ濡れになった一人の男が、そっと入ってまいりました。他でもない、久兵衛でした。彼の顔は蝋のように青白く、徳造の顔をまともに見ることができぬまま、うつむいてそろそろと歩み寄り、冷たい雨水の溜まった土の上に、がっくりと膝をつきました。

「徳造。」

久兵衛は激しく震えておりました。

「前か。お前が密告したのか。」

徳造の声は、意外にも静かでした。怒りが込み上げて叱るべきところ、あまりに深い悲しみの前では、怒りさえも力を失ってしまうもののようでした。久兵衛は額を土に擦りつけ、

「すまぬ。本当にすまぬ。私が、私が…。」

と、罪人のように泣きじゃくりました。病んだ我が子を持つ父の心を、我が子を失った経験のある徳造こそが、誰よりもよくわかっておりました。

「我が子の薬代とはな、お前もよほど辛かったのであろう。」

徳造のその労わりの一言が、かえって久兵衛の両目を歯の奥深く突き刺したのでした。しばらく泣き崩れていた久兵衛が、やがて顔を上げました。そのまなざしには、先ほどまでとは違う、何かが決意に満ちた確かな光が宿っておりました。

「徳造。お前にどうしても言わねばならぬことがある。ずっと前に言うべきであったことじゃ。あの子らの父は、御用の米を盗んだ盗人ではないのじゃ。」

久兵衛は声を落とし、長らく胸に押し込めてきた真実を語り始めました。真の犯人は元締めの祝人米であり、飢えた民に配るべき米を横流ししていたこと。その不正を役人の徳三が見抜き、証を掴んでいたこと。しかし、それを先に知った人米が大官まで抱き込んで罪に濡れ衣を着せ、厳しい取調べの末に牢で死に至らしめたこと。

「私はそれを全て知りながら、恐ろしさのあまり口を閉ざしておった。天罰を受けて当然の男じゃ。」

徳造は言葉を失いました。ならば、あの印鑑はおそらく、徳三が残した最後の証であろう。しかし、それが人米の手に渡った今、真実を明らかにする道は塞がれたも同然でした。貧しいわらじ職人と力なき名主が、奸計高い元締めと買収された大官を相手に、どう立ち向かいましょうか。

「明日の朝になれば、あの子らはどうなるのだ。」

徳造が震える声で訪ねますと、久兵衛は思い沈んで口を開きました。

「最悪の結果じゃ。明日、夜が明け次第、遠国へ送られ、劣悪な環境へと売られてしまうであろう。」

徳造の顔が真っ白になりました。

「ならぬ。それだけはならぬ。」

「しかし、私たちのような者に、一体何ができようか。」

久兵衛の言葉が力なく沈んでいったのです。

その頃、夜の冷たい牢の中では、吉太郎と吉次郎がじめじめとした暗い床にうずくまっておりました。五つの吉次郎は泣き疲れ、兄の膝を枕に眠りに落ち、幼い額は再び熱でほてっておりました。吉太郎は自分の着物を脱いでうつ伏せの弟にかけてやり、冷たい壁に背を預けて、じっと闇を見つめておりました。逃げ出したい気持ちで胸が張り裂けそうになりましたが、吉太郎は泣きませんでした。ただ歯を食いしばって、どうにかして弟を守らねばという思いだけを抱いておりました。

そのように震えておりました時、吉太郎の頭にふと一つの記憶がはっきりと蘇ってまいりました。それは父が牢に囚われる前、最後に二人の息子を遠くへ送り出す際、吉太郎の手をしっかりと握って語ってくれた言葉でした。あの時はまだ幼く、その意味を十分には理解できませんでしたが、父が恐ろしい顔をしながらも切実な声で語ってくれたことは、忘れずに胸に刻みつけておいたのです。それが今、この瞬間に一つ一つ、はっきりと蘇り始めたのでした。父の震える声、肩を掴んでいた手のひらの感触、耳元でそっと囁いてくれたあの秘密の言葉。吉太郎は闇の中で、両の目をかっと見開きました。その小さな胸の奥に、消えかけていた最後の灯火が再び燃え上がり始めたのです。それこそが全てを覆す、たった一つの鍵であることに、幼い吉太郎はその時気づき始めたのです。

やがて、蓑を着た久兵衛が老番の目を盗んで、牢の近くまで忍び寄ってまいりました。

「吉太郎や、眠っておるか? すまぬ。この愚かな叔父が、銭に目がくらんでしもうた。」

吉太郎は落ち着いた声で答えました。

「おじ様、私の話を聞いてくださいませ。父上が亡くなる前に教えてくださった秘密がございます。人米様が奪ったあの印鑑の底に、秘密が隠されております。父がいつも歌っていたあの歌の順に、印鑑の底の紋様を押していくと、本当の帳簿が入った箱の鍵が取り出せるのだそうです。」

久兵衛の両目が大きく見開かれました。

「それこそが、徳三殿の濡れ衣を晴らす証となりましょう。」

吉太郎は震える唇で、その歌を一つも間違えぬよう静かに口ずさんで聞かせました。久兵衛はそれを幾度も繰り返して覚え込み、吉太郎の手を固く握り返してから、雨の中へと姿を消していったのです。

久兵衛から一言一言を聞いた徳造は、両の目にこれまでとはまるで違う光を宿しました。

「久兵衛よ。お前が人米から受け取ったあの二十両と手紙は、まだ残っておるか。」

「ある。使わぬまま押し入れに仕舞っておいた。」

「ならば良い。この地に巡監者様がお忍びでお越しになっておるという噂がある。夜が明けたら、私はその御前に飛び込む所存じゃ。お前は証人となってくれ。」

久兵衛はしばしためらいましたが、壊れた小屋の片隅にある吉太郎の編みかけのわらじに目を止めた瞬間、心を決めました。例え死刑に処せられようとも、あの幼い者たちだけは生かさねばならぬ。二人は闇の中で、固く手を握り合いました。

夜が明け、村里の大通りに巡監者の行列が入ってまいりました。

「恐れながら申し上げます。どうか哀れな民の訴えをお聞き届けくださいませ。」

徳造が行列の前に踊り出て膝を突き、鐘を打ち鳴らして訴えました。

「無実の罪で死んだ役人の子二人が、役人に囚われております。元締めの祝人米が御用の米を横流しし、その罪を着せて殺めたのです。私にも証言がございます。」

巡監者は徳造をしばし見つめてから、静かに頷きました。

「よかろう。本日、この場にて、関わる者全てを集めよう。」

評定の場には、人が雲のように集まりました。傍らに座る大官の額には脂汗が浮かんでおりました。荒縄で雁字搦めにされた吉太郎と吉次郎が引き出され、徳造を見つけた吉太郎の顔に明るさが差しました。続いて、人米が偽の帳簿を携えて、堂々と入ってまいりました。

「死んだ役人めが御用の米を盗み出そうとし、その罪が露見して牢で果てたのです。証明はこの帳簿にございます。」

大官も慌てて口を添え、場の空気は急激に不利な方へと傾いてまいりました。その時、久兵衛が両膝で這いながら前に歩み出てまいりました。

「恐れながら、申し上げたきことがございます。」

彼は懐から二十両の包みと一通の手紙を差し出しました。

「これは元締め人米が、この身に手渡した金。罪なき子を売った証にございます。手紙には徳造の家を密告せよとの内容が記されておりました。」

人米は顔を真っ赤にして「そのようなものは知らぬ」と言い張り、大官もまた肩を持とうと口を挟みました。証言と一通の手紙だけでは、彼らの主張を完全には崩せぬ様子でした。まさにその時でした。

「違います。嘘でございます。」

澄んだ声が評定の庭に響き渡りました。荒縄に縛られたままの吉太郎が、一歩前に進み出てまいりました。

「あの方が持っておられる帳簿は偽りでございます。本物の帳簿は別のところにございます。私の父上が亡くなる前に教えてくださいました。あちらの真鍮の印鑑が、私の父のものにございます。」

吉太郎は印鑑を指差しました。人米の顔が再び真っ白に染まり、その手はぶるぶると震え始めたのです。

「あの印鑑の底には秘密が隠されております。私がお目にかけましょう。」

巡監者は役人に命じて、印鑑を吉太郎の手に運ばせました。父の手垢が染み込んだその印鑑を握りしめた瞬間、吉太郎の目から熱い涙がひとしずくこぼれ落ちました。しかし、彼はすぐに涙を拭い、印鑑を裏返しました。そこには、月と星と花と鳥の紋様が刻まれておりました。吉太郎は深く息を吸い込み、澄んだ声で歌い始めました。

「月は東の山に出て、日は西の山に沈む。星が一つ落ちてきて、花の中に隠れんぼ。鳥が一羽飛んできて、その花をそっと加えた。」

歌いながら、その歌詞の順に紋様を一つずつ押していきました。月、星、花、鳥。カチリ、カチリ、カチリ。最後の紋様を押し込んだ瞬間、印鑑の底が二つに割れ、小さな鉄の鍵がころりと転がり出てまいりました。評定の庭に低いどよめきが湧き起こりました。

「この鍵で、本当の帳簿の箱を開けることができます。屋敷の裏手の床下に、父が隠しておいたと申しておりました。」

役人たちが駆けつけ、床板を剥がしますと、案の定、その下から鉄の箱が姿を現しました。開けた中には、人米が行商人に売り渡して御用の米を横流しした日付と額が、克明に記された本物の帳簿が納められておりました。

「人米。」

巡監者の合図が評定の庭に鳴り響きました。

「己の罪がここに明白に露見いたした。これでも名を認めぬと言うか。」

人米はその場に崩れ落ち、

「恐れながら、恕しに値する罪を犯しました。」

と額を地に擦りつけたのです。裁きは厳しいものでした。人米は財産の全てを没収された上、重い刑に処されました。腐敗した大官もその場で罷免されました。久兵衛は自ら罪を悔い改め、決定的な証言をした点が考慮され、軽い咎めで済まされました。

「徳造。この愚か者を許してくれ。」

久兵衛は涙を流し続けました。徳造はその頬を静かに叩いてやりました。

「過ぎたことじゃ。我らの吉太郎と吉次郎を救ったのは、お前のその勇気であったのだからな。」

そして、死んだ役人の濡れ衣は、綺麗さっぱりと晴らされたのです。荒縄が解かれた吉太郎と吉次郎は、まっすぐに徳造の懐へと駆け寄ってまいりました。

「おじよ。」

徳造は両腕を大きく広げて子供たちを抱き止め、涙を溢れさせました。

「よくやった。我らの誇りだ。すまなかった。叔父がお前たちを守り抜けなくて。」

「いいえ。おじ様が私たちを助けてくださったのです。」

父の濡れ衣は晴らされたものの、既にこの世に亡き両親が戻ってくることはありませんでした。その悲しみを誰よりも深く汲み取ることができたのは、家族を全て失った徳造でした。

「もう大丈夫だ。お前たちには、叔父がおる。」

三人は評定の庭の真ん中で互いに抱き合いながら、長らく泣き続けました。見守っていた村の人々も、一人また一人と目を抑えておりました。

三人は再び、藁葺き屋根の小屋へと帰ってまいりました。かつて足を遠ざけていた隣人たちが、申し訳なさに一人また一人と訪れては、崩れた茅根を直し、壊れた戸を修繕してくれました。徳造は素直にその手助けを受け入れ、閉じていた心にもいつしか温かい日差しが染み込んでいたのです。徳造は子供たちに文字を教え、わらじの編み方を教え、そして何よりも、人を愛することの大切さを教えたのでした。

こうして一年が流れ、冬が巡ってまいりました。あの厳しい吹雪の吹き荒れた冬とは、まるで違う穏やかな冬でした。小屋には赤々と燃える火鉢が置かれ、その上では焼き栗が香ばしい匂いを立てておりました。

「兄様、これを見てください。私が作ったわらじでございます。」

六つになった吉次郎が、少し曲がって緩んだ小さなわらじを誇らしげに掲げて見せました。去年よりもふっくらとして、頬に赤みが差した吉次郎は、今では庭を駆け回るほどに元気になっておりました。

「よくやった、吉次郎。しかし、少し先が歪んでおるな。よし、貸してみなさい。叔父が直してやろう。」

徳造が受け取って手慣れた手つきで整えてやりますと、傍らでは八つになった吉太郎が、大人の足にちょうど合うほどの丈夫なわらじを、恥ずかしそうに差し出しました。

「母様のために作ったのでございます。」

まだ手つきこそぎこちないものでしたが、一針一針、心がこもって丁寧に編まれておりました。徳造はそのわらじを受け取ったまま、しばらく言葉を失っておりました。去年、壊された部屋の片隅で血の涙を流しながら握りしめた、あの編みかけの小さなわらじの片方が脳裏に浮かんできたからです。あれほど小さかった子が、今ではこうして立派に大人のわらじを編み、家族に捧げるまでに育ったのです。

「吉太郎。このわらじは、この父が一生大切に履かせてもらおう。」

徳造はそのわらじを胸にきつく抱きしめました。その目元がじわりと潤んでおりました。

やがて焼き栗が炊き上がり、三人は火鉢の周りに身を寄せ合ってほお張りました。部屋にはぬくもりと香ばしい匂い、絶えない笑い声が満ちておりました。食べ終えた二人は、徳造が編んでやったわらじを履いて雪の積もった庭へと駆け出していきました。吉太郎が雪を投げつけ、吉次郎が笑いながら逃げ回る声が静けさに響いておりました。徳造は縁側に腰かけ、その光景をじっと見つめておりました。真っ白な雪の上に刻まれた子供たちの足跡が、彼にとっては何物にも代えがたいものでした。

「血が繋がってこそ家族であると、ずっとそう思い込んでおったが。」

徳造は静かに独り言をつぶやきました。泣き暮らしを忍び、固く閉ざしてきたその心の扉は、いつの間にか大きく開け放たれておりました。

「我が生涯において最も大切なものは、まさにここにおったのだ。」

ちょうどその時、吉太郎と吉次郎が振り返り、明るく笑いかけてまいりました。

「おじよ、早くいらしてください。一緒に雪だるまを作りましょう。」

徳造はにっこりと笑って立ち上がり、縁側へと歩み出していったのです。三人で丸めた雪玉は、次第に大きく育ってまいりました。血の一滴も分かち合わぬ三人でありましたが、互いの痛みを慈しみ合い、命がけで守り合い、そうしてついに誰よりも固く、誰よりも温かい、真の家族となったのでした。雪に覆われた小さな小屋は、世の中で最も温かな安らぎの場となり、長い冬を優しく包み込んでいったのです。そして、その温かな物語は、いつまでも人から人へと語り継がれていったのでございます。