「無職なんかと結婚するわけないでしょ。あんたならちょうどいいじゃない」――姉はそう言い放って、スマホから目も上げずに私の部屋を出て行った。縁談は姉宛てだった。相手は34歳、無職の男。私は26歳、地味なOL。顔合わせ3日前に姉は家出をし、両親は泣きながら私に「代わりに行きなさい」と頼んだ。断れない私は、そのまま見ず知らずの男と結婚した。無職の夫、嘲笑う同僚、そして10日目、会社の前に黒塗りの高…

「無職なんかと結婚するわけないでしょ。あんたならちょうどいいじゃない」――姉はそう言い放って、スマホから目も上げずに私の部屋を出て行った。縁談は姉宛てだった。相手は34歳、無職の男。私は26歳、地味なOL。顔合わせ3日前に姉は家出をし、両親は泣きながら私に「代わりに行きなさい」と頼んだ。断れない私は、そのまま見ず知らずの男と結婚した。無職の夫、嘲笑う同僚、そして10日目、会社の前に黒塗りの高...

「無職なんかと結婚するわけないでしょ。あんたならちょうどいいじゃない」

1つ違いの姉が、私の部屋の入り口に寄りかかってそう言った。スマートフォンから目を上げようともしなかった。

「ちょうどいいって、どういう意味?」

「そのままの意味。死野は地味だし贅沢もしないし、相手が働いてなくたって困らないでしょ」

その縁談は、元々姉に来た話だった。相手は34歳の男性で、仕事はしていないと聞かされていた。姉はお見合い写真を1枚も見なかった。そして、顔合わせの3日前、姉は家からいなくなった。

残されたのは、石橋を叩いて渡るような慎重な両親と、断ることを覚えないまま大きくなった私だった。

「死野、あんたが代わりに行きなさい」

母は私の顔を見ずにそう言った。私も何も言い返さなかった。子供の頃からずっとそうだった。姉がこぼしたものを、私が拾って歩く。それがこの家の決まり事のようになっていた。

けれど、あの家を出た日が、私の人生を丸ごとひっくり返すことになるなんて、その時の私はまだ知らなかった。

私の名前は、当の死野、26歳。吉見商事という中堅の商社で営業事務をしている。仕事は伝票と請求書の付き合わせが中心だ。数字が1円でも合わないと気持ちが悪くて、合うまで帰れない。そういう地味な仕事が、私には合っていた。

家族は父の竜一と母の勢子。それに1つ上の姉のまゆ。姉は昔から人目を引く人だった。私は人の後ろに立っている方が楽な子供だった。そして26年生きてきて、私は自分のために何かを選んだことが1度もなかった。それが当たり前だと思っていたし、不幸だとも思っていなかった。

うちは裕福ではなかったけれど、姉のためなら両親はいつもお金を出した。姉が高校に入る時、母は制服とバッグとコートを新品で揃えた。私の時は、近所の人から回してもらったお下がりだった。胸のところに小さなシミがあって、私はそれをいつも手で隠して歩いていた。姉がピアノを習いたいと言えば教室に通わせた。私が同じことを言った時、母は笑って首を振った。

「死野はそういうの向いてないでしょ」

向いてないと決めたのは母だった。私はそれを確かめる機会をもらえなかっただけなのに、その頃の私は母の言う通りなのだろうと思っていた。

大学は奨学金を借りていった。姉の学費は両親が出した。私が入学手続きの書類を見せた時、父は少しだけ困った顔をした。

「死野は頭がいいから、自分で何とかできるだろう」

頭がいいからではない。頼れないと分かっていたから、頼らない方法を先に覚えただけだ。

そんな家の中で、たった1人だけ私を私として見てくれた人がいる。父方の祖母の初だ。祖母は駅から歩いて20分ほどの古い平屋に1人で住んでいた。畑を少しやっていて、玄関の土間にはいつも土のついた長靴が置いてあった。

行くと必ず何か食べさせられた。ふかした芋だったり、煮すぎた大根だったり、その日の畑で取れたものばかりだった。味は正直あまり上手ではなかった。それでも祖母は、私が食べ終わるまで向かいに座ってじっと見ていた。

「死野はよう食べるね」

「うん」

「よう食う子は丈夫に育つよ」

根拠のない話だと思うけれど、私はその言葉を言われるのが好きだった。

3年生の冬だったと思う。その日は雨で、私は傘を持たずに祖母の家を出た。祖母の家から少し行ったところにバスの停留所がある。それを通り過ぎようとした時、後ろから声がした。

「死野」

振り返ると、祖母が傘を差して立っていた。随分急いできたようで、肩で息をしていた。

「あんた、いつもここを歩いて帰ってるんかい?」

「近いから平気だよ」

「近くないよ。50分だろ」

祖母は私の手を取って、何かを握らせるように渡した。使い込んだ茶色のがま口の小銭入れだった。止め金のところが少しすり減っていて、金色がはげていた。

「この中にはな、歩いて帰らなくていいためのお金が入ってる」

「もらえないよ。そんなの」

「持っとくんだ」

祖母は私の手をパチンと閉じさせた。

「いいか死野。うちのばあちゃんはな、あんたのことを姉ちゃんの妹だと思ったことは1度もないよ。あんたはあんただ」

雨の音の中で、その言葉だけがはっきり聞こえた。私はその日、生まれて初めてバスに乗って家に帰った。窓の外を流れる景色が、歩いている時と全く違って見えたのを覚えている。

祖母は8年前に亡くなった。79歳だった。最後にあったのは亡くなる2週間ほど前だった。大学の帰りに寄ると、祖母は縁側で豆をむいていた。私が隣に座ると、ざるを半分こちらに寄せてよこした。

「死野。大学は面白いかい?」

「うん。まあ、ぼちぼち。奨学金のこと考えると、たまに怖くなる」

祖母は豆をむく手を止めなかった。

「借りた金は返せばいい。返せる仕事につけばいい」

「そんなに簡単かな?」

「簡単じゃないよ。でもね、死野。自分の食いを自分で稼ぐ人間を、みっともないなんて言うやつがいたら、そいつの方がよっぽどみっともない」

私はその時、意味がよくわからないまま「うん」と頷いた。その言葉の意味を私が本当に分かるのは、それから随分先のことになる。

葬儀の日、姉は来なかった。予定があるからと言っていたらしい。私の手元に残ったのは、小学生の時に握らされたあのがま口だけだった。それが祖母の唯一の形見になった。今も私はそれをバッグに入れて持ち歩いている。中にはあの日に残った100円玉と10円玉が、そのまま入っている。

社会に出て4年になる。給料は手取りで19万円ほど。そこから奨学金の返済が毎月1万4000円出ていく。家には3万円入れる。そして、姉のために作った借金の返済が月3万円乗る。食費と日用品を引くと、自由に使えるのは5万円ほどだった。

だから私はよく歩いた。会社から駅までバスで10分かかるところを、歩けば40分だ。元気のいい日は歩いて、雨の日だけバスに乗る。バス代は片道230円。1ヶ月にすればおよそ1万円になる。その1万円が、私にはどうしても惜しかった。

それでもやっていけるはずだった。実際にはそうならなかったのは、姉が時々私の部屋に来るからだ。

「死野、5万円貸して。今月だけだから」

その「今月だけ」を、私は何度聞いたか分からない。断ると、母が出てくる。

「姉妹なんだから助け合いなさい」

前の年の秋には、姉が作った32万円の借金を私が肩代わりした。分割で返している最中だった。姉は1度も返すとは言わなかった。ありがとうとも言わなかった。

1度だけ、我慢の限界が来たことがある。その冬、姉が私のクレジットカードを勝手に使って4万円ほど買い物をした時だ。

「勝手に使わないで」

「え、そんなに怒ること?」

姉は本当に不思議そうな顔をしていた。悪いと思っていないのではなく、そもそも悪いことをしたと理解していない顔だった。母が間に入ってきて言った。

「死野、あんたが騒ぐと家の中が暗くなるでしょう」

私はそれで黙った。黙ったというより、言う相手がいないことに気づいたのだ。

その縁談が家に持ち込まれたのは、前の年の暮れのことだった。話を持ってきたのは、父の会社が長く世話になっている大島会長だ。父より20歳ほど年上で、父にとっては頭の上がらない相手らしかった。大島会長は、父の会社にとって仕事の半分以上を出してくれる元受けだった。そこの会長が持ってきた話を、父が断れるはずもなかった。

父はその日、珍しく機嫌が良かった。

「大島会長がな、うちの娘にどうかという話をくださった」

「どういう方なの?」

「倉本さんという人だ。34歳。会長の古い知り合いの息子さんだそうだ」

「お仕事は?」

父はそこで少しだけ口ごもった。

「今はしていないらしい」

台所が静かになった。

「していないって。それは無職ということでしょ」

「会長が言うには、悪い人ではないと」

「悪くなくたって、お金がなければ話にならないじゃないの」

そう言いながらも、母は断るとは言わなかった。父にとってこの縁談は、大島会長の顔を立てるという意味を持っていたからだ。

その夜、母は姉の部屋に入っていった。しばらくして、姉の笑い声が廊下まで聞こえてきた。

「無職? 冗談でしょ」

「1度会うだけでいいのよ」

「会わないよ。写真も見ない」

それから2週間ほど、家の中は妙な空気だった。姉はお見合いの書類を、封筒に入れたまま机の上に放っていた。母は毎日それを片付けては、また同じ場所に戻していた。その間に1度だけ、姉が私の部屋に来た。入り口に寄りかかって、スマートフォンから目もあげずに言った。

「あんたが行けばちょうどいいじゃない」

どういう意味かと聞くと、姉は「死野は地味だし贅沢もしないから困らないでしょ」とだけ返して、部屋を出ていった。その時は、姉らしい冗談だと思っていた。

そして顔合わせの3日前の朝、姉の部屋のドアが開けっぱなしになっていた。クローゼットからいくつかの服がなくなっていて、机の上にメモが1枚置いてあった。

「しばらく友達のところにいます。無理だから」

それだけだった。

その日の夜、私が会社から帰ると、両親は居間で待っていた。テーブルの上に、姉当てのお見合いの書類が置いてあった。

「死野、あんたが代わりに行きなさい」

「代わりって…大島会長にどんな顔をすればいいの?」

「うちはあの会社に食べさせてもらってるのよ」

父は黙って湯飲みを見ていた。ただ1度だけ顔を上げて言った。

「死野なら分かってくれると思う」

分かってくれる? この家で私に向けられる言葉は、いつもその形をしていた。

私は自分の部屋に戻って、電気もつけずに座っていた。正直に言えば腹が立たなかったわけではない。けれどそれ以上に私の頭に浮かんだのは、別のことだった。

――この家を出られる。

それは逃げだったのかもしれない。それでも、姉の借金の督促の電話が鳴るこの家から、私は一度離れてみたかった。

翌朝、私は母に一言だけ言った。

「わかった。行くよ」

顔合わせは1月の終わりの日曜日だった。場所は駅前のホテルの喫茶室で、大島会長が席を取ってくれた。私は大学の卒業式に買った紺のワンピースを着ていった。

倉本宗介さんは私たちより先に来て座っていた。濃いグレーのジャケットに白いシャツ。派手なところが1つもない人だった。腕時計はしていなかった。靴はよく磨いてあったけれど、新しいものではなかった。

話は主に大島会長が進めた。倉本さんの受け答えは短くて、けれどぶっきらぼうではなかった。相手の言葉を最後まで聞いてから、少し考えて答える人だった。

「死野さんは運転は?」

「免許はありますけど、ほとんど乗っていません」

「じゃあペーパードライバーですね」

「はい。恥ずかしながら」

「恥ずかしいことじゃないですよ。乗らない人が乗らないでいるのが1番安全です」

その言い方が少しおかしくて、私は思わず笑ってしまった。この日自分が初めて笑ったことに、後から気がついた。

途中で、母が1番聞きたかったことを聞いた。

「あの、失礼ですけれど、お仕事の方は…」

倉本さんは表情を変えなかった。

「今は会社に勤めてはいません」

「そうですか」

「暮らしていく分には困っていません。ご心配をおかけします」

帰り際、倉本さんは私だけを見て言った。

「今日はありがとうございました。1つだけ言っておきます。嫌なら断ってください。断って困る人は、俺の方にはいません」

私はその時、うまく返事ができなかった。断っていい。そんなことを言われたのは初めてだった。結局、断らなかった。断ったところで、私の帰る場所はあの家しかなかったからだ。

婚姻届けを出したのは、2月の第1週だった。式はあげなかった。ホテルの個室で両家の食事会をしただけだ。姉は最後まで戻ってこなかった。

新しい住まいは、電車で30分ほど行った町の3階建てのマンションだった。部屋は3つあって、その他に広めの居間と台所が付いていた。それなのに家具は少なかった。テレビは古い方で、ソファーもない。人の使う部屋はどこも掃除が行き届いていた。

1つだけ、他と様子の違う部屋があった。北向きの6畳の部屋で、そこには古い仏壇と机が置いてある。仏壇には、背表紙のない黒い表紙のノートが何十冊も並んでいた。

「これ、何ですか?」

「父のです」

「お父様の?」

「12年前に亡くなりました。捨てられなくて、そのままにしてあります」

それ以上は聞かなかった。聞いてはいけない気がした。

荷物を置いたその日の夜、私は台所で頭を下げた。

「あの、すみませんでした」

「何がですか?」

「本当は姉に来た話でした。姉が逃げて、それで私が代わりに来ました。ご迷惑だったと思います」

言いながら、自分で惨めになった。代わりの品物を渡しに来たみたいだと思った。倉本さんはしばらく黙っていた。それから湯飲みを2つ出して、片方を私の前に置いた。

「君が謝ることじゃない」

「え?」

「逃げたのはお姉さんでしょ? 頼んだのはご両親でしょ。君はどっちもやってない」

私は顔を上げられなかった。この家に来るまで、私は自分の身に起きたことをずっと自分のせいのように感じていた。

それから倉本さんは、家の中のことを一通り説明してくれた。

「部屋は好きな方を使ってください。俺は奥にいます」

「あの」

「はい」

「私たち、これから…どういう関係でいれば」

言いかけて、言葉に詰まった。

「急がなくていいです。籍を入れたのは事実だけど、今はそれだけです。君が嫌なことは何もしません」

「はい」

「おやすみなさい」

その夜、私は暗い部屋の中でなかなか眠れなかった。物心ついてから、私はいつも誰かの都合で動いてきた。それなのに、その日会ったばかりの人が、私の都合を先に聞いた。

新しい暮らしは、思っていたより静かに始まった。倉本さんは朝が早い人だった。私が6時に起きると、台所にはもう明かりがついている。初めての朝、私が台所を覗くと、彼は味噌汁を作っていた。出汁を引く匂いがしていた。

食卓に並んだのは、味噌汁と焼き魚と漬け物と白いご飯だけだった。派手なものは何もない。それなのに、私は最初の一口で箸が止まった。出汁がきちんと引いてあった。魚は皮までパリッと焼けていた。私が誰かの作った朝ご飯を食べるのは、何年ぶりだろうと思った。

その日は雨の木曜日だった。自転車は使えない。私は駅まで歩くつもりで家を出た。財布の中の小銭を見て、結局そのまま歩き出したのだ。この年になっても、私は高がバス代の前で立ち止まる人間だった。会社に着いた時、パンプスの中はぐっしょり濡れていた。

その夜、倉本さんは私の濡れた靴を黙って見ていた。しかし、何も言わなかった。風呂に入っていると、彼が誰かと電話をしている声が聞こえた。

「その条件は受けなくていい。深夜の待機を無償でというのは通らない話です。人が壊れます」

働いていないと聞かされた人の口から出るには、あまりにも重い言葉だった。

その頃の私にとって、あの人はただ味噌汁を作って静かに人の話を聞く人だった。

結婚して9日目の夜、私は北向きの部屋の掃除をした。断りもなく人の部屋に入るのは良くないと分かっていた。それでも、あの部屋だけが埃をかぶっているのが気になっていたのだ。床を拭き、仏壇のガラス戸を開けて飾りに布を当てた。正面には触らないようにしていたのだけれど、拭いているうちに1冊のノートが棚から滑り落ちた。

開いたまま床に落ちたそれを拾い上げる時、私は見てしまった。日付、時刻、行き先、名前。それが細かい字でびっしり並んでいた。

「3丁目の花屋のご主人。奥様の見舞い。帰りはいつも黙っておられる。声はかけないこと」

次のページにはこうあった。

「北町の坂本さん。息子さんの受験。気遣いだけ窓を少し開ける。緊張されてるとのこと」

これは業務の記録のように見えたけれど、書いてあるのはどれも人のことだった。私はノートを閉じて棚に戻した。見てはいけないものを見た気がして、その日は落ち着かなかった。

電話を終えた倉本さんが、部屋の入り口に立っていた。

「あの、すみません。北の部屋を掃除しました」

「ああ、ありがとうございます」

「1冊落としてしまって、少しだけ中を見ました」

彼は入り口の柱に手をついたまま、少しの間黙っていた。それから怒るでもなく、笑うでもなく言った。

「見てもらってよかったです。あれは隠すようなものじゃない。あれは父の日報です。父は車を運転する仕事をしていました。乗せた人のことを、毎日ああやって書いていた」

「運転手さんですか?」

「そうです。最初は1台だけでした」

「最初は1台だけ」――その言い方が胸に引っかかった。

「じゃあ、その後は?」

倉本さんはそこで少し黙った。

「その後の話は、いつかします。今はまだしません」

「どうしてですか?」

「今の君に、俺のことを知っていてほしくないからです」

その言葉の意味が、私にはまるで分からなかった。攻められているようにも聞こえたけれど、彼の目はそうではなかった。むしろ何かをこらえているような目だった。

遅い晩ご飯の時、彼はぽつりと言った。

「父はね、1度だけ無職と呼ばれたことがあるんです」

「え?」

「俺が中学生の頃です。父の車が事故に巻き込まれました。父のせいじゃなかった。それでも取引先が一斉に離れました。半年ほど父は仕事をしていませんでした。近所の人が母に言ったそうです。『ご主人、今は無職なんですってね』って」

彼は箸を置いた。

「母は何も言い返さなかった。父も何も言わなかった。ただあの半年の間、父は毎朝いつもの時間に起きて、いつもの服を着ていました。母が理由を聞いたら、父はこう言ったそうです。『呼ばれた時にすぐ行ける格好でいろ』と」

私は何も言えなかった。

「だから俺は、人が何をしていないかで人を図る言い方が、どうしても好きになれない」

その時、私は会社で言われた言葉を思い出した。「旦那さん、昼間何してるの?」「罰ゲームみたいなもんだよな」

その晩、私は洗い物をしながら台所の窓に映る自分の顔を見ていた。情けない顔をしていた。会社で何を言われても、私は1度も「あの人はそんな人じゃありません」と言えていない。守られてばかりで、何も返していない。

倉本さんが後ろを通りかかって、ふと足を止めた。

「死野さん」

「はい」

「無理に何かを返そうとしなくていいですよ」

「何のことですか?」

「顔に書いてあります。もらったら返さなきゃいけない。そう思って生きてきた人の顔です」

「そうかもしれません」

「うちでは、その決まりはなしにしましょう」

結婚して10日目の金曜日だった。その朝、玄関で靴を履こうとして手が止まった。前の日の雨で濡れたパンプスの中に、丸めた新聞紙がぎっしり詰めてあった。私が入れたのではない。乾かしておいてくれたのだ。中はすっかり乾いていて、履くと少しだけ温かかった。

その日は締めの前で、私は7時半まで会社に残っていた。コートを取りに行くと、同僚たちが帰り支度をしているところだった。

「死野さん、今日も遅くまでご苦労様」

「お疲れ様です」

「駅まで一緒に行く? バス乗るでしょ」

「私、歩くので」

「歩くの? 40分あるよ」

「歩くの好きなんです」

「え、この寒いのに? あ、もしかしてバス代?」

その言葉に、周りの何人かが笑った。

「偉いなあ。無職の旦那さんのために節約か」

「奥さんが稼いで、旦那さんが家にいて、すごいよね」

「本当にすごい。私には無理」

私は黙って鞄を持った。課長がエレベーターの前から声をかけてきた。

「死野さん、旦那によろしくな。たまには外に出ろって言っといて」

その一言でまた笑いが起きた。私は会釈をして、階段の方へ歩いた。

外に出ると風が冷たかった。2月の夜の空気が首筋に入ってきた。私はコートの前を掛け合わせて、鞄の中のがま口を探した。指先で止め金の形を確かめた。歩いて帰らなくていいためのお金。祖母の声が、なぜかその日はやけにはっきり聞こえた。それでも私は停留所を通り過ぎた。歩き出したのは、多分意地だった。あそこで私がバスに乗ってしまったら、さっきの笑い声を認めることになる気がしたのだ。

そこから少し行ったところで、鞄の中で携帯が鳴った。画面には倉本さんの名前が出ていた。彼から電話がかかってきたのは、これが初めてだった。

「はい」

「今、会社を出ましたか?」

「はい、ちょうど出たところです」

「迎えを向かわせました」

私は足を止めた。

「迎え? 誰をですか?」

短い間があった。それから彼は一言だけ言った。

「君を」

その短い返事が、うまく頭に入ってこなかった。

「あの、私、歩いて帰れますから」

「知っています。君が歩いて帰れることは、俺が知っています。だから今日は乗ってください」

電話はそこで切れた。私は携帯を握ったまま歩道に立っていた。次の一歩がどうしても出なかった。

その時、後ろから音のしない車が近づいてきて、私の半歩先で静かに止まった。会社の正面玄関の明かりがまだすぐそこにあった。見たことのない車だった。車体が長くて、塗装が夜の光を吸い込むように黒かった。エンジンの音がほとんど聞こえなかった。

ちょうどその時、同僚たちが玄関から出てきた。課長もいた。みんなが足を止めた。

「何? 役員の車じゃないよね。うちにあんなのないし」

運転席のドアが開いて、人が降りてきた。濃紺の制服に白い手袋。帽子を取って脇にきちんと抱えた。私はその顔を見て息が止まりそうになった。マンションの前で会った、あの初老の男の人だった。その人は歩道の縁で立ち止まると、私の方へまっすぐ向き直った。そして帽子を胸に当てて、深く腰を折った。

「奥様、お迎えに上がりました」

周りの声が一斉に消えた。

「奥様…」

「はい」

「あの、私ですか?」

運転手は顔を上げて、当たり前のことを言うように頷いた。

「はい。旦那様より、奥様をお迎えするよう申し付かっております」

彼は後部座席のドアを開けて、片手を屋根の下に添えた。

「奥様、お乗りください」

私は動けなかった。背中の方で、誰かが小さく息を呑む音がした。課長が口を開けたまま立ち尽くしているのが、目の端に見えた。

「死野さん、それ…」

私は返事ができなかった。

「奥様、お寒いです」

その一言で、私の足が動いた。私は言われるままに車へ歩いて、会釈をしてから座席に座った。ドアが静かに閉まった瞬間、外の音が全部消えた。

車の中は暖かかった。革と、何か石鹸のような匂いがした。車が動き出した。動き出した瞬間が分からないくらい滑らかだった。窓の外の人たちが、立ったまま見送っていた。誰も笑っていなかった。

やがて運転席の人が、前を向いたまま静かに口を開いた。

「申し遅れました。私、岸本と申します。旦那様のところで運転手をしております」

「死野です。あ、いえ、倉本です」

「存じております」

「あの、岸本さん。1つ聞いてもいいですか?」

「なんなりと」

「主人は、夫は、何者なんですか?」

岸本さんはすぐには答えなかった。信号で止まった時、ハンドルに軽く手を添えたまま前だけを見ていた。

「旦那様は、肩書きで人をご覧になる方をお嫌いです。ですから、ご自分のことを簡単にはお話になりません。私の口から申し上げるのも、本当はないのだと思います」

「そうですか」

「ただ、これだけは申し上げます」

彼はそこで少しだけ声を落とした。

「旦那様は、奥様のことを毎日ご心配になっておられました」

私は顔を上げた。

「心配…ですか?」

「はい。奥様が会社から駅まで毎日歩いておられることをご存知でした」

「どうして? 私、言っていません」

「靴でございます」

「靴?」

「旦那様は、玄関の靴をご覧になる方です。靴底の減り方で、その人がどれだけ歩いているかが分かるとおっしゃいます。あれは旦那様のお父上に教わったことだそうです」

「昨日は玄関の靴が濡れていたと、随分気にしておられました」

「どうして?」

「それは、私の口から申し上げて良いことではございません。ただ旦那様は、毎朝玄関で少しの間立ち止まっておられます」

胸の奥が詰まった。

「今日は、なぜ迎えを?」

「今日は風が冷たすぎます。奥様の我慢が、限界だろうと思いました」

私は窓の方へ顔を向けた。目の縁が熱かった。

「岸本さんは、いつからあの人のところに?」

「30年になります」

「30年…」

「ですから、旦那様のことは大抵のことは存じております。ただ、1番大事なことは、旦那様ご本人からお聞きになった方がよろしいかと」

車は駅の方へは向かわなかった。

「あの、家は反対では…」

「旦那様より、先によるところがあると伺っております」

15分ほど走ると、車は大きな道から折れて広い敷地の門をくぐった。そこで私は目を疑った。夜だというのに敷地の中は明るかった。黒い車が何十台も、寸分の狂いもなく並んでいた。同じ方向を向いて、同じ間隔で。奥には大きなガレージがあって、そこにも車が入っていた。洗車をしている人がいた。ボンネットを開けて何かを見ている人がいた。制服を着た運転手が何人も歩いていた。

車が止まると、その人たちが手を止めて一斉にこちらを向いた。そして頭を下げた。1人ではない。10人でもない。その場にいた全員が、同じ角度で腰を折っていた。

私は震える足で外に出た。車の列の向こうに白い建物が立っていた。壁に大きく社名が入っている。「倉本」と読めた。

正面のガレージの前に、1人の男の人が立っていた。紺色の作業着だった。袖をまくって、手にウエスを持っていた。

倉本さんだった。

彼は私を建物の2階の小さな部屋へ通した。古い応接室のような部屋だった。ソファーは革が少し避けていて、テーブルには湯飲みの輪の跡がついていた。壁には白黒の写真が1枚だけ、額に入ってかかっていた。写真には1台の黒い車と、その横に立つ若い男の人が映っていた。

「父です。この写真を撮った時、まだ23歳でした。この車が最初の1台です」

彼は私の向かいに座って、湯飲みを2つ置いた。中身は麦茶だった。真冬に冷たい麦茶を出す人なんだと、私はぼんやりと思った。

「順番に話します。長くなります」

「はい」

「まず、俺は無職ではありません」

分かっていた。それでもそう言葉にされると、胸の辺りが冷たくなった。

「ただ、嘘もついていません」

「どういうことですか?」

「俺はどこの会社にも雇われていません。給料をもらっていません。会社員ではない。だから、無職と言われても間違いではないと思っていました」

「屁理屈です」

「そうですね。屁理屈です。それは認めます」

「じゃあ、ここは…」

「倉本モビリティと言います。父が1台の車から始めた会社です。今はハイヤーの会社と、車両を預かって管理する会社を合わせて全国に27社。俺はその全部を束ねる立場にいます」

数字が頭の中を素通りしていった。27という数を聞いても、それが何を意味するのか私には見当もつかなかった。

「社長さんということですか?」

「代表です。まあ、同じことです」

「どうして? どうして黙っていたんですか?」

彼は湯飲みを見たまま答えた。

「29の時、父の代からの会社をまとめる立場になりました。それからです、周りにいる人間の顔つきがはっきり変わったのは。俺の話を聞く人が急に増えました。俺の言うことは急に面白くなりました。俺の周りに集まる人は、みんな親切になりました」

彼は少し笑った。冷たい笑い方ではなかった。むしろ、疲れた人の笑い方だった。

「縁談も何十件と来ました。会う前から向こうは俺の会社の規模を調べていました。何を話しても、最後は同じところに戻る。『年収はいくらですか? 家はどちらですか? 車は何台お持ちですか?』」

私は何と言えばいいのか分からなかった。

「だからある時から、こう伝えるようにしたんです。『今は勤めていない』と。それで9割は消えました」

「試していたんですか?」

「試していたつもりはありません。ただ、結果としてそうなっていました。それは認めます」

彼は初めて顔を上げて、私をまっすぐ見た。

「すみませんでした」

私は何も言えなかった。腹が立っているのか悲しいのか、自分でも整理がつかなかった。ただ、心の真ん中が冷えていくような感じがあった。私が思い出したのは、この10日間のことだった。味噌汁を作ってくれた朝、生活費の封筒、崩れた肉じゃがをご飯3杯で食べてくれたこと、新聞紙を詰めて乾かしてあった靴。あれは全部、本当のことだったのだろうか。それとも、私を試すための時間だったのだろうか。

「1つだけ教えてください」

「はい」

「私は合格したんですか?」

言ってから、自分の声の冷たさに驚いた。彼の顔が、はっきり歪んだ。

「そういう言い方をさせたのは俺です」

「答えてください」

「合格も不合格もありません。君を採点した覚えはない」

「じゃあ、どうして今日、迎えを出したんですか?」

その質問に、彼はすぐには答えなかった。長い沈黙の後、彼は言った。

「それは今日は言いません」

「またそれですか?」

「はい、またそれです」

私は立ち上がった。

「少し考えさせてください」

「わかりました」

「家まで送らせます」

「歩いて帰ります」

言ってしまってから、自分でも子供じみていると思った。ここから家までどれだけあるのかも知らないのに。彼は止めなかった。

「岸本に送らせます。あの人は、なしでは今夜眠れない人なので」

結局、私は車で帰った。岸本さんは何も聞かなかった。私も何も言わなかった。家に着いて降りる時、岸本さんが帽子を取って言った。

「奥様、差し出がましいことを申しますが」

「はい」

「旦那様は、ご自分のことを話すのが本当に苦手な方です。それは、話して得をしたことが1度もないからだと思います」

「はい、わかりました」

「おやすみなさいませ」

その夜、私は自分の部屋で天井を見ていた。眠れなかった。腹立たしさと惨めさと、それからどうしても消えない別の感情が混ざっていた。あの人は私が歩いていることを、靴で知っていた。黙って濡れた靴に新聞紙を詰めていた。バスに乗れとは言わなかった。そういう人が、私を試すためだけに10日間をやり過ごしていたとは、どうしても思えなかった。

月曜の朝、私は普通に起きて普通に会社へ行った。行かない理由が思いつかなかったのと、行かなければ何かを認めてしまう気がしたからだ。

会社について驚いた。空気が丸きり変わっていた。

「死野さん、おはよう。あのさ、金曜のあの車」

「旦那さん、何やってる人なの? もしかしてすごい人なんじゃないの?」

先週まで笑っていた人たちが、私の机の周りに立っていた。課長までやってきた。

「死野さん、ちょっといいかな? いや、大したことじゃないんだが。あの車のナンバーを見た社員がいてね、うちの車両管理を頼んでる会社と同じ系列じゃないかって話が出てるんだ。旦那さん、そちらの関係の方?」

「詳しいことは、私も分かりません」

「そうか。まあ、いいんだ。うん」

彼は笑いながら言ってしまった。その笑い方が、金曜の夕方の笑い方と全く違っていた。先週まで、私は無職の夫を持つ気の毒な女だった。その日は、何か大きなものを後ろに持っているらしい女になっていた。私自身は何1つ変わっていない。変わったのは、人が私に貼る札の方だけだった。

その日の午後、私は月の支払い一覧を作っていた。役員と役員送迎の委託費の欄に、いつもと違う数字が並んでいた。深夜増し、待機量。先月まではほとんど計上されていなかった項目が、今月は毎週のように載っていた。金額にすれば、月で40万円ほど増えていた。

私は伝票の束をめくった。送迎を受け負っている会社の名前を見て、指が止まった。

株式会社倉本ハイヤー。

金曜の夜に私が乗った車の会社だった。私はしばらくその伝票を持ったまま動けなかった。偶然にしてはできすぎている。けれどそれ以上に気になったのは数字の方だった。うちの役員が急に深夜まで働くようになったという話は聞かない。休日に車両を出すような案件も、この時期には入っていないはずだった。

私は伝票の裏の押印欄を見た。ハンコは1つだけ押されていた。

戸田安行。

その時の私はまだ何も分かっていなかった。ただ、数字が合っていないという感覚だけが、いつものように背中の辺りを冷たくしていた。

その週の日曜日、私は自分から言った。

「もう一度、あの会社を見せてもらえませんか?」

倉本さんは少し驚いた顔をした。

「見て、どうしますか?」

「分かりません。ただ、見ないまま考えるのは多分間違うと思うので」

彼は少し笑って、頷いた。

その日、私は初めて昼間の倉本の車庫に立った。夜に見た時はただ黒い車がずらりと並んでいるだけの場所だった。昼間はまるで違った。人が動いていた。声があった。水の音と金属を叩く音がしていた。

1番手前で、若い男の子がホースを持ってしゃがんでいた。まだ20歳そこそこに見えた。倉本さんが声をかけた。

「三宅、ちょっと来い」

「はい!」

駆けてきて、私を見て慌てて帽子を取った。

「あ、えっと、おはようございます!」

「妻の死野だ」

「宮宅洋太です。22歳です!」

声が大きすぎて、私は思わず笑ってしまった。

「三宅は整備の見習いです。去年からうちにいます」

「はい。まだ全然使い物にならないんですけど」

「使い物にならない奴を、うちは置かない」

「はい!」

彼は真っ赤になって俯いた。後で聞いたところによると、三宅君は高校を2年で辞めていた。父親がいなくて、母親が体を壊して働かないといけなくなったからだ。面接に来たのは、うちが12社目だったらしい。11社は、履歴書を見た時点で断られたという。

「三宅は手がいいんです。ホイールの汚れの落とし方を教えたら、次の日には俺よりうまくなっていました」

「そんなことないです!」

「ある。俺は嘘は言わない」

私はしゃがんで、彼が磨いていたホイールを見た。内側の細かい溝まで、汚れが1つも残っていなかった。

「これ、全部手でやったんですか?」

「はい。ブラシで。奥の方は指に布巻いて、時間かかりますけど」

「1個30分くらいすか? でも、お客さんが乗る時最初に目に入るのって足元だから」

「下? 社長がそう言ってました。人は自分が乗るものの下の方を見てるって」

私はその言葉に、なぜか胸を突かれた。下の方。靴底の減り方を見る人の、言いそうなことだった。

事務所の中では、40代半ばくらいの女の人が電話をしていた。受話器を肩と耳に挟んで、片手で表に書き込みながら、もう片方の手で別の電話を取っていた。こちらが挨拶をすると、彼女は電話を切ってから振り返って頭を下げた。

「西野くみ子です。奥様、初めまして」

「倉本死野です。よろしくお願いします」

「あら、噂通りお若い」

「噂って、何だ?」

「社長が急に結婚したって噂です。うち、そういうの回るの早いので」

彼女はからからと笑った。西野さんは、中学生の男の子を1人で育てていると後で岸本さんから聞いた。前の職場では、子供の熱で早退するたびに嫌な顔をされたそうだ。

「大変じゃないですか? 夜のお仕事もあるでしょう」

「うちは夜勤に入った分、ちゃんと代わりの休みが来るから。それが当たり前だと思ってたら、よその会社の子に驚かれてね」

そう言って、彼女は少し声を落とした。

「うちの社長はね、そこだけは絶対に譲らないの。人を安く使ったら、必ずどこかで人が壊れるって」

「運転手なんてね、待たされてもお金にならない仕事だと思われがちなの。待ってる時間はただの時間だって。でも、待っているのも仕事ですよね」

その言い方を、私は前にも聞いていた。あの夜、倉本さんが電話で言っていた声だ。

車庫の奥に、岸本さんがいた。黒い車のボンネットを開けて、中を覗き込んでいた。私に気づくと、帽子を取って頭を下げた。

近くで見て、私は少し気になった。目の下が黒かった。顔の色も良くなかった。

「岸本さん、お疲れですか?」

「いいえ。年ですから」

彼は笑ってごまかした。その笑い方が、あの人にどこか似ていると思った。

「岸本さんは、亡くなったお父様の代からいるんです。もう30年になります」

「そんなに前から」

「はい。旦那様のお父上に拾っていただきました」

「拾って、というのは…」

岸本さんは少しためらってから、静かに話し始めた。

「私は昔、長距離の運転手をしておりました。28の時、事故を起こしました。幸い人はなくなりませんでしたが、それきり、どこも雇ってくれなくなりまして。面接を受けても、事故歴を見た瞬間に話が終わります。当たり前のことです。私は人の命を預かる仕事で、それをやったのですから」

彼はボンネットを閉じた。

「その時に、旦那様のお父上だけがこうおっしゃいました。『事故をやった人間ほど慎重になる。うちに来い。ただし、2度とやるな』と」

彼は布で手を拭いた。

「あれから30年。私は無事故です。あの一言のために、私はハンドルを握っております」

その日、私は事務所の隅で1時間ほど、倉本さんが家から持ってきた古い日報を読ませてもらった。北向きの部屋にあったあの黒い表紙のノートだ。あの夜に読んだ花屋のご主人のことも、北町の坂本さんのことも、同じ字でそのまま書いてあった。同じような書き込みが、何百件も続いていた。

その中に、こんな一文があった。

「雨。8丁目の橋のところで学生さんが濡れて歩いていた。乗せてやりたかったが空車ではなかった。次からタオルを積んでおくこと」

私はそのページから目が離せなくなった。

「あの、これ…」

「父は、載せられなかった人のことも書いていました」

「どうしてですか?」

「聞いたことがあります。子供の頃に。そうしたら父はこう言いました」――彼はノートを閉じた。「『乗せた人のことは仕事の記録だ。載せられなかった人のことは、俺の宿題だ』と」

私はその言葉を、しばらく口の中で繰り返していた。

ノートをめくっていくと、最後の方に字が随分乱れているページがあった。

「そこは、父の体が悪くなってからです。字が汚くて、握力が落ちていました。それでも書いていました」

私はそのページの一行を読んだ。

「雨。傘のない人が2人。1人は乗せられた。もう1人は間に合わなかった」

「間に合わなかった。そう書いてあります」

「お父様は、どんな方だったんですか?」

「損ばかりしている人でした」

彼は笑ってそう言ったけれど、その笑い方は誇らしそうだった。

帰りの車の中で、家に着く少し前に私は口を開いた。

「倉本さん」

「はい」

「会社のことで、1つ気になっていることがあります」

「何でしょう?」

「うちの会社がそちらに払っている委託費のことです。今月に入ってから、深夜増しと待機量が急に増えています」

彼の表情が変わった。

「増えている?」

「はい。月で40万円ほど。理由が分かりません」

彼は前を見たまま、しばらく黙っていた。それから静かに言った。

「調べます」

「あの、私が勝手に見た数字なので、間違っているかもしれません」

「間違っていたなら、それでいい。ただ君が気づいたなら、多分間違っていません」

「どうしてそう思うんですか?」

「数字が1円合わないと帰れない人が言っているからです」

私はその時、初めて自分の仕事が誰かの役に立つかもしれないと思った。

その次の火曜日の朝、私が家を出ようとした時、倉本さんの携帯が鳴った。彼は一言二言話して、すぐに切った。顔から色が消えていた。

「死野さん、今日、会社を休めますか?」

「何かあったんですか?」

「岸本さんが倒れました」

私の手から鞄が落ちた。

病院に着いたのは9時前だった。処置室の前の長椅子に、西野さんと三宅君が座っていた。三宅君は作業着のまま来ていて、肩が小さく震えていた。

「社長、心室頻拍だそうです。処置をして、今は落ち着いてるって。命は大丈夫だと先生が」

彼はそこで初めて、大きく息を吐いた。

「社長、俺、昨日岸本さんに『夜の洗車だけでも変わりますか』って言ったんです。でも岸本さんが『お前はまだ夜は無理だ』って。俺が食い下がればよかった」

「それはお前の責任じゃない」

私は西野さんに聞いた。

「昨日、岸本さんは何時までお仕事だったんですか?」

「朝の2時過ぎです。2時過ぎ? 取引先の役員さんの送りで、10時に着いてから、そこからずっと待機で」

「待機って、車の中でですか?」

「はい。車の中で、4時間近く」

背中が冷たくなった。

「その先方って、どこですか?」

西野さんが言いにくそうに私を見た。答えは聞かなくても分かっていた。

吉見商事だった。

昼前に岸本さんの意識が戻ったと、看護師さんが知らせに来た。面会は1人ずつ短い時間だけ許された。私も少しだけ病室に入れてもらった。岸本さんはベッドの上で天井を見ていた。私に気づくと、体を起こそうとした。

「そのままでお願いします」

「奥様、申し訳ございません」

「謝らないでください」

「明日の朝、旦那様をお送りする予定でした。それができなくなりました」

私は言葉に詰まった。この人は倒れて運ばれたその日に、翌日の送迎のことを気にしていた。

「岸本さん、昨日は何時までお仕事だったんですか?」

岸本さんは目を閉じた。

「お客様のことは申しません」

「そうですか」

「ただ、車の中は温かくしておりましたから、ご心配には及びません」

その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれた。この人には、自分が4時間近く待たされた側なのだという意識が、まるでなかった。

廊下に出ると、倉本さんが窓のところに立っていた。

「岸本さんは、待たされたことを一言も言いません」

「その人は、言わない人です」

「言わない人が、損をするのはおかしいです」

彼は私を見た。何か言いかけて、結局小さく頷いただけだった。

その日の午後、私は会社に出た。休んでも良かったのだと思う。それでも私は行った。行かなければ確かめられないものがあったからだ。

私は過去1年分の委託費の伝票を全部出した。請求書と、社内の支払い記録と、月の一覧を並べた。夕方までかかって、私はそれを見つけた。

先月から、倉本ハイヤーへの支払いが直接ではなくなっていた。間に1社挟まっていた。東亜サポート株式会社。東亜サポートが吉見商事に請求し、受け取ったお金の中から倉本へ支払う形になっていた。

私は両方の金額を並べた。東亜サポートがうちに請求している額と、先々月まで倉本に直接払っていた額が違った。差額はちょうど、深夜割り増しと待機量の分だった。

つまり、うちの会社は深夜料金を払っていたけれど、そのお金は運転手さんのところへ行っていなかった。

日付を並べてみて、私は指先が冷たくなった。受け皿の会社ができたのが先で、深夜増しと待機量が立ち始めたのがその後だ。先に器を用意しておいて、それから抜き始めたのだ。深夜の送りや待機そのものは、きっと前からあったのだ。ただ、これまでは誰もそれをお金にしていなかっただけだ。

私は、東亜サポートという会社を調べた。取引先の会社概要は、総務のファイルにあった。代表の氏名が、戸田だった。

私は席を立って、小柳さんを非常階段に呼んだ。

「どうしたの? 顔が真っ青」

「小柳さん、これ見てもらえますか?」

小柳さんは、私が持ってきたコピーを黙って読んだ。読み終わるのに、5分もかからなかった。

「これ、あなた1人で気づいたの?」

「はい」

「社内の誰かに話した?」

「まだです」

「そう」

彼女は階段の手すりに寄りかかって、少し天井を見た。

「死野さん、これを出したら、どうなるか分かってる?」

「戸田課長が…」

「戸田さんだけじゃないの。この規模の話が表に出たら、うちの会社は取引先の信用をなくす。何人か、仕事を失うと思う」

「はい」

「そのうちの何人かは、あなたを笑ってた人よ」

私は黙った。

「あなたが黙っていても、誰もあなたを責めない。それだけは覚えておきなさい」

その夜、私は家に帰ってから、台所の椅子に座ったまま長いこと動けなかった。倉本さんは何も聞かなかった。ただ、温かいお茶を1杯置いてくれた。

しばらくして、私はぼそりと言った。

「私、ずるいことを考えました」

「はい」

「これを出したら、私を笑った人たちが困る。それを、少しだけいい気味だと思ってしまいました」

倉本さんは黙って聞いていた。

「そう思った自分が、1番嫌です」

彼はすぐには何も言わなかった。それから席を立って、北向きの部屋へ行き、あの黒いノートを1冊持って戻ってきた。

「これは、父が仕事を失っていった年の日報です」

彼はページを開いて、私の前に置いた。そこには、短い一文だけが書いてあった。

「12月14日。今日で半年。まだ呼ばれない」

「これは…」

「父に仕事がなかった半年の間の記録です。載せる人がいないのに、父は毎日このノートを開いていました」

私はノートから目を離せなかった。ページはほとんど真っ白だ。日付と天気と、その日に自分がしたことだけ書いてある。「庭の草を抜いた」「母の買い物についていった」。それだけです。

「俺はこれを、20歳を過ぎてから初めて読みました。読んでしばらく、息ができませんでした」

「どうしてですか?」

「あの半年、父は俺の前では普通にしていました。飯を食って、笑って、テレビを見ていた。俺は父が平気なんだと思っていた」

彼の声が、少し掠れた。

「平気なわけがなかった」

台所の時計の音だけがしていた。

「だから俺は、自分のことを無職だというようになりました」

「え?」

「意地みたいなものです。無職という言葉を向けられた人間に、人がどんな顔をするのか。俺はそれを、自分の目で引き受けておきたかった。正気を疑うでしょう? 俺もそう思います。でも、そうしないと父に顔向けできない気がしていました」

彼はノートを閉じた。

「27社を任されるようになってから、俺は1度もうちの運転手を安く使わせたことはありません。それだけは絶対にやらせない」

「岸本さんが4時間近く車の中で待っていた。それを俺は知らなかった。俺が知らないところで、うちの人間が父と同じ目に会っていた」

彼はそこで、1度言葉を探すように黙った。

「岸本さんは、今年58です。父が死んだ年と同じなんです」

彼は両手を膝の上で握った。指の関節が白くなっていた。

「死野さん、君が気づいてくれなかったら、俺は次の誰かが倒れるまで気づかなかった」

私は顔を上げた。

「私、まだ何も出していません」

「分かっています。出すか出さないかは、君が決めることです」

「私が決める?」

「はい。これは君の会社の話で、君の仕事の話です。俺が代わりに決めることじゃない」

その言葉で、私の中の何かが決まった。

「明日、出します」

「わかりました」

「怖いです。すごく」

「怖くていいです。怖くない人がやることじゃない」

「もし、私のせいで会社の人が仕事を失ったら…」

「それは君のせいじゃありません。金を抜いた人がいて、それを見つけた人がいる。仕事を失うのは、抜いた人です」

彼はきっぱりとそう言った。

その夜、私は久しぶりに深く眠った。目が覚めた時、体が軽かった。

翌朝、私はいつもより1時間早く家を出た。会社について、小柳さんに一言だけ伝えた。

「出します」

「わかった。私も一緒に行く」

「小柳さんは関係ないです」

「関係あるの? 私はあなたの先輩だから」

私たちは総務部長のところへ行き、そこから経理担当の役員へ回り、その日の午後には社長室へ通された。

社長は、私の作った資料を1枚ずつ、時間をかけて見た。最後まで見終わってから言った。

「これは、君が1人で見つけたのか?」

「はい」

「なぜ、上に相談する前に全部揃えた?」

「途中で誰かに止められたら、そこで終わってしまうと思ったからです」

社長は少し黙って、それから電話を取った。その日のうちに社内調査が始まった。

2日後、私の会社の会議室に、倉本モビリティの人たちが来た。正式な申し入れがあったからだ。委託契約の内容と、現場での運用実態の食い違いについて説明を求めると、いう文面だった。

会議室にはうちの社長と役員が並び、戸田課長もいた。私は資料を作った本人だからという理由で、1番端に座らされた。先方は3人だった。弁護士と、総務の責任者と、もう1人。

そのもう1人が部屋に入ってきた時、うちの側の空気が変わった。黒いスーツだった。作業着でも、家で見る古いセーターでもなかった。

倉本宗介だった。

彼は私を一瞥も見なかった。席について、名刺を出して、静かに名乗った。

「倉本モビリティ代表の、倉本と申します」

戸田課長の顔から色が引いていくのが、はっきり見えた。話は淡々と進んだ。先方の弁護士が、この1年の請求と支払いの流れを説明した。東亜サポート株式会社が中間に入っていること。深夜増しと待機量が、倉本に支払われていないこと。東亜サポートの代表が、戸田課長の親族であること。

うちの社長が頭を下げた。

「弊社の管理不行き届きです。申し訳ありません」

「最後にお尋ねします。御社から開示いただいた、この資料はどなたが作られたものでしょうか?」

社長がこちらを見た。私は立ち上がった。

「営業事務の、死野です。私が作りました」

そこで、私はもう1つだけ付け加えることにした。ここで口に出さなければ、誰も触れないまま終わると思ったからだ。

「うちの伝票には、待機した時間そのものがどこにも残っていませんでした。金額だけが請求されて、誰が何時間待ったのかは、1行も書かれていません。何時間待っても、数字の上では誰も待っていないことになっていました」

思っていたより落ち着いた、低い声が出た。

そこで倉本さんが初めて口を開いた。

「金額のことはどうにでもなります。返していただければ済む話です。私が申し上げたいのは、そこではありません」

彼は、1枚の紙をテーブルに置いた。

「今週の火曜の朝、弊社の運転手が1人倒れました。58歳です。心室頻拍でした。命は取り止めました。その前の晩、彼は御社の役員をお送りした後、駐車場で3時間58分待機しています。本人は『車の中は温かくしておりました』と申します。ですが、運行記録ではエンジンは切られていました。暖房も入れずに待っていたんです。燃料代を気にしていたのだと思います」

私は資料の端を掴んだまま、動けなかった。

「彼は1度も『待たされた』と言いませんでした。私が聞いても、言わない。そういう人です。御社の中でうちの運転手がどういう言葉で呼ばれていたか、それもこちらで聞き取りをしました。読み上げることはしません。ただ、私はその内容を知っています」

会議室が静かになった。私はあの金曜日の夜を思い出していた。「ライセンスは運転手さんがいい」と笑った声。あの時、私も黙って鞄を持っただけだった。

「申し訳ありません」

「契約は、来月末を持って終了させていただきます」

「お待ちください。改善は必ず…」

「改善していただけるなら、いつでもまたお話をします。ただ、今は無理です」

彼はそこで、1度だけまっすぐ社長を見た。

「人を肩書きで見下す会社に、大切な従業員は任せられません」

その一言で、話は終わった。

帰り際、廊下ですれ違う時、倉本さんは私の前で足を止めた。そして深く頭を下げた。

「本日はありがとうございました」

周りに何人も社員がいた。みんなが見ていた。

「こちらこそ」

それだけしか言えなかった。

彼が行ってしまってから、同僚が私の横に来た。

「死野さん」

「はい」

「あの人が、旦那さん?」

「はい」

「ごめん」

「え?」

「私、あの時、旦那さんのことを笑ってた人たちと一緒になって笑ってた」

私は少し考えてから答えた。

「私も言い返しませんでした」

「それは死野さんが悪いんじゃないよ」

「はい。それは私も最近そう思うようになりました」

戸田課長は、それから一月と立たないうちに懲戒処分を受けた。会社は取引先に頭を下げて回ることになった。処分が出た日、彼は荷物をまとめて出ていった。すれ違う時、彼は私を見なかった。私も声をかけなかった。かける言葉が思いつかなかったのだ。

私はそのことで、胸がすっとしたかと言うと、正直あまりしなかった。ただ、車の中で4時間近く待っていた人のことを、ちゃんと誰かが知った。そのことだけが、私には大事なことだった。

あの会議室で自分の口から数字のことを言えた時、縁側で聞いた祖母の言葉が、やっと私の中に落ちてきた。

――自分の食いを自分で稼ぐ人間を、みっともないなんて言うやつがいたら、そいつの方がよっぽどみっともない。

あの時、私は意味も分からないまま頷いただけだった。

家族が来たのは、あの会議のあった週の日曜日だった。インターホンが鳴って私が画面を見ると、3人が映っていた。父と母と、姉だった。姉は美容室に行ったばかりのような髪をして、新しいコートを着ていた。

「死野、開けて」

私は倉本さんを見た。彼は頷いた。

「入ってもらってください。ここは君の家でもあります」

居間に通すと、姉が部屋を見回した。

「へえ。思ったより普通ね」

しばらく世間話のような時間があって、それから母が本題を出した。

「あのね、死野。倉本さんのことなんだけど。大島会長から聞いたのよ。すごい会社の社長さんなんですってね」

「そう」

「どうして黙ってたの?」

「私も知らなかったから」

姉が身を乗り出した。

「ねえ、死野。あのさ、正直に言うけど。あの縁談、本当は私に来た話だったよね。死野は代わりに行っただけでしょう?」

部屋の空気が止まった。

「じゃあさ、ちゃんと元に戻した方が、みんなのためだと思うんだけど」

「そうよ。まゆもね、反省してるの。倉本さんにもきちんと謝りたいって。筋というものがある。元々姉に来た話なんだから」

私は、父を見た。父は目を合わせなかった。

その時、台所から倉本さんが出てきた。お盆に湯飲みを5つ乗せて、1人ずつの前に置いた。それから、私の隣に座った。

「お話は聞こえていました。倉本さん。1つ確認させてください。顔合わせの3日前に家を出られたのは、あなたですね」

「それは、その、色々あって…」

「理由は聞きません。断るのは自由です。大島会長を通じて、『嫌なら断ってください』とお伝えしていたはずです。逃げたのはあなたです。そして、その後来たのが死野さんでした。ですから、そこを元に戻すことはできません」

「どうして?」

「死野さんは、俺が無職だと聞かされた状態でこの家に来ました。10日間、この人は俺を1度も見下しませんでした。会社で笑われても、この人は家で1度も仕事の愚痴を口にしませんでした。俺が後から人づてに知ったことです。今更肩書きを知って、戻ってこられる方を、妻にはできません」

「ちょっと待ってよ。死野はさ、私の代わりに来ただけなんだよ。そういう約束だったじゃない。大体、無職だって聞かされてたんだよ。誰だって逃げるでしょ」

その時、私の口が勝手に動いた。

「お姉ちゃん」

「何?」

「あの人は、そんな人じゃありません」

会社で何を言われても、言えなかった言葉だった。言えないまま、自分を情けなく思い続けてきた。

姉が何か言いかけて、口を閉じた。

「私は、私として迎えに来てもらった人間です」

自分でも驚くくらい、はっきりした声が出た。姉が黙った。母が口を開けたまま、私を見た。

「小学校の頃から、私はずっとお姉ちゃんの代わりだった。謝るのも、片付けるのも、お金を出すのも、全部私だった。1度も嫌だと言わなかったのは私です。だから、お母さんたちを責めるつもりはない」

私は膝の上で手を組んだ。手が震えていた。それでも、声は震えなかった。

「だから、もう戻りません。私がいるのは、誰かの代わりの席じゃないから」

長い沈黙の後、父が初めて顔を上げた。

「死野」

「すまなかった」

「あなた、何を言ってるの?」

「いいから」

父はそれだけ言って、立ち上がった。

帰り際、玄関で靴を履きながら、父はぼそりと言った。

「母さんはな、お前が大丈夫だと思ってたんだ」

「知ってる」

「俺もだ」

「うん」

「悪かった」

ドアが閉まった後、私はしばらく玄関に立っていた。泣くだろうと思っていたけれど、涙は出なかった。ただ、体の力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。後ろから倉本さんが黙って、私の横に座った。何も言わなかった。ただ、そこにいてくれた。

その夜、私たちは台所で向かい合って座った。もう夜中の1時を回っていた。それでも、どちらも寝ようと言わなかった。

「1つ聞いてもいいですか?」

「はい」

「どうして、あの日迎えを出したんですか?」

彼は湯飲みを両手で包んだ。

「あの日というのは…」

「10日目です。会社の前に車を」

彼は頷いた。それから、少し長い間黙っていた。

「靴です」

「え?」

「結婚した日から、俺は毎朝君の靴を見ていました。あの木曜は雨でした。夜、玄関に濡れた靴が置いてありました。バスに乗らなかったんだと分かりました」

彼は一度そこで言葉を切った。

「それでも俺は、何も言いませんでした。言えば、君から何かを取り上げることになる気がしたからです」

「取り上げる、ですか?」

「君はあの家で、自分の力で暮らそうとしていた。俺が金を出して車を回して、それで楽になったとしても、それは君が自分で立っていることにはならない。でも、あの日は違いました」

「何が違ったんですか?」

「その前の晩に、君が見せてくれたからです」

「見せた?」

「がま口です」

私は顔を上げた。

「おばあ様が『歩いて帰らなくていいために』と言って渡したものだと、君は言いました。そして、使っていないと言った。俺はあれを聞いてから、ずっと考えていました」

彼は湯飲みを置いた。

「あの子には、君が誰かに大事にされた証拠です。それを君は、使えないままずっと持ち歩いていた。君は、自分が迎えに来てもらってもいい人間だとは思っていない。ずっと迎えに行く側で生きてきたんでしょう」

返す言葉が見つからなかった。その通りだったからだ。

「だからあの日、俺は迎えを出しました。1回でいい。誰かが君のために車を回すということが、この世にあるんだと知ってほしかった」

「そんな理由で?」

「そんな理由です」

窓の外で、車が1台通り過ぎる音がした。

「もう1つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「北の部屋で言いましたよね。『今の君に俺のことを知っていてほしくない』って。あれは、どういう意味だったんですか?」

彼は少し困った顔をした。

「言葉が足りませんでした。あの時、君は会社で何か言われて帰ってきた顔をしていました」

「気づいていたんですか?」

「気づきます。毎日同じ食卓に座っていれば。あそこで俺が正体を明かせば、君はきっと楽になった。次の日から、会社で言い返せたでしょう?」

「はい。多分」

「でも、それは俺の名前で言い返すことになります。君はあの時、自分の言葉で立とうとしていた。それを俺が先回りして取り上げるのが、どうしても嫌でした」

「結局、10日目には我慢できずに車を出したんですけどね。俺も、大したものじゃない」

「大したものじゃないです」

「はい」

そこで、2人とも少しだけ笑った。

「私は、お姉ちゃんの代わりに来た人間です」

「はい」

「それは、変わりません」

「変わりません」

彼はそう言ってから、まっすぐ私を見た。

「始まりは、お姉さんの代わりだったのかもしれない。でも、あの日俺が迎えに行かせたのは、君だからです」

26年生きてきて、そんな風に名指しされたのは初めてだった。祖母のあの言葉が、その時急に蘇った。

――あんたは、あんただ。

私は両手で顔を覆った。声が出た。子供みたいな泣き方だった。彼は何も言わなかった。ただ、私が泣き止むまで、そこに座っていてくれた。

岸本さんが退院したのは、それから3週間後だった。その日は、私も一緒に迎えに行った。運転したのは、倉本さんだ。車は黒塗りのハイヤーではなく、彼が普段乗っている古い国産のワゴンだった。

「社長、私が運転いたします」

「だめです。座っていてください」

「しかし…」

「岸本さん、今日は乗る側です」

岸本さんは何か言いかけて、それから黙って会釈をした。助手席で、彼はずっと背筋を伸ばして座っていた。乗り慣れていないのだと、私にも分かった。

途中の信号で止まった時、岸本さんが前を向いたまま言った。

「奥様、1つお礼を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「お礼だなんて」

「先日のことを、旦那様から伺いました。奥様があの数字にお気づきくださったと」

「私は、仕事でやっただけです」

「その仕事に、私は救われました。30年待つのは、仕事のうちだと思っておりました。待った時間を誰かが数えてくださるとは、考えたこともございませんでした」

私は返事ができなかった。ただ、その言葉を忘れないでおこうと思った。

車庫に着くと、みんなが出てきた。三宅君が真っ先に走ってきて、途中で盛大に転んだ。西野さんが「もう危ないでしょ」と笑いながら、目の縁を拭っていた。

その日、私は車庫の隅にしばらく立って、人が働いているのを見ていた。洗車をする人、ボンネットを閉じる人、無線に向かって行き先を復唱する人、ホースを片付ける人。誰の名前も、外の世界には出ない仕事だ。

「倉本さん」

「はい」

「倉本さんが、無職だと思われても怒らなかった理由が、少し分かった気がします」

「そうですか」

「この人たちの仕事は、誰かが見ていないと、なかったことになるんですね」

彼は少しの間黙っていた。それから、珍しく大きく笑った。

「君は、最初からそれを見てくれていました」

「私は何も見ていません。ただ、朝ご飯が美味しかっただけです」

「それでいいんです」

その日の帰り道、私は思い切って自分から言った。

「これからは、ちゃんと迎えに来てください」

「いいんですか?」

「はい。歩くのは、歩きたい日だけにします」

あれから2年が過ぎた。私は吉見商事をやめた。嫌になってやめたのではない。むしろあの一件の後、会社は変わった。社長が全部の取引先を見直して、現場に人を出して話を聞いて回るようになった。小柳さんは、その担当の責任者になった。

それでも私はやめた。自分がやりたい仕事が、別のところにあると分かってしまったからだ。やめると決めた時、私は倉本さんに1度だけ相談した。彼の返事は、意外なものだった。

「うちに来なくていいです」

「え?」

「社長の妻が社長の会社にいるのは、君のためになりません。何をやっても、君の手柄にならなくなる」

「じゃあ、私はどこへ行けばいいんですか?」

「どこでも。君は自分で決められる人です」

私はその夜、久しぶりに腹を立てた。翌週、私は倉本モビリティの中途採用の募集に、一般の応募者と同じ手順で応募した。履歴書を送って、書類選考を通って、面接を受けた。面接官は、その営業所の採用も見ている西野さんだった。

「奥様、これ、私が落としてもいいんですよね?」

「はい、落としてください。実力がなければ」

「じゃあ、遠慮なく聞きます」

彼女は1時間、全く容赦しなかった。

合格の連絡が来た日、家で倉本さんにそれを伝えると、彼はしばらく黙ってから言った。

「西野さんに、後で礼を言っときます」

「何のお礼ですか?」

「妻だからと通さないでくれた、お礼です」

今、私は倉本モビリティの運行管理部というところで働いている。私が最初に作った書類は、運転手さんの待機時間の一覧表だった。どのお客様のところで何時間の待機が出ているのか。それを月ごとに数字にして、全部の営業所に配る。待っている時間はただの時間ではなく仕事の時間だと、はっきり書いた。

地味な書類だ。誰かが感動するようなものではない。それでも去年、ある営業所の若い運転手さんが、わざわざ私のところへ言いに来た。

「あの表が出てから、待機の指示が減りました。ありがとうございます」

私はその日、家に帰ってから少し泣いた。嬉しかったからではない。恥ずかしかったからでもない。30年待ち続けた人の話を私が聞いたのは、退院の日のあの車の中だった。あの時、自分には何もできないと思ったことが、1年かけて1枚の紙になった。それだけのことに、こんなに時間がかかるのかと思ったのだ。

その表には、名前を書く欄を1つ増やした。誰が待ったのか。それが数字だけの一覧にならないように。私は必ず、運転手さんの名前を入れることにしている。倉本さんのお父さんの日報を読んで思いついたことだった。あの人は、乗せた人の名前も、載せられなかった人のことも、全部書いていた。書いてある名前は、いつか誰かが読む。私はそう思っている。

岸本さんは60歳になった。今は夜の仕事から外れて、昼の送迎と若い運転手の指導をしている。指導の時の岸本さんは、若い頃の話をほとんどしない。ただ、必ずこれだけは言うそうだ。

「事故をやった人間ほど慎重になる。だから、慎重な奴を笑うな」

三宅君は、その言葉を自分の工具箱の裏に書き写していた。その三宅君は、整備士の資格を取った。合格発表の日、彼は車庫で飛び跳ねて、また転んだ。西野さんは、今も事務所の主人だ。中学生だった息子さんは、高校に上がった。

私の実家のことも、少しだけ書いておく。姉は、あれから半年ほどして近くのドラッグストアで働き始めたと聞いた。長続きするかどうかは分からない。それでも、私に電話をかけてこなくなった。肩代わりした32万円は、結婚したその年の秋に払い終わった。最後の1回まで、私は自分の給料から出した。姉に返してとは、とうとう言わなかった。

1度だけ、駅で偶然すれ違ったことがある。姉は制服のエプロンを腕にかけていた。私に気づいて、一瞬だけ立ち止まった。

「あ」

「お疲れ様」

「うん」

それだけだった。姉はそのまま改札を抜けていった。昔なら、私はその後何日も引きずっていたと思う。けれど、その日は電車に乗ったらもう、別のことを考えていた。

父からは、年に2度ほど短い手紙が来る。字が下手で、いつも同じことしか書いていない。「体に気をつけろ」と。

母とは、まだうまく話せない。それでいいと思っている。急がなくていいと、倉本さんが言ってくれたからだ。去年の暮れ、私は久しぶりに実家で年越しをした。台所に立っていると、母が横に来て、何も言わずに大根を切り始めた。

「死野」

「何?」

「あんた、痩せた?」

「変わってないよ」

「そう」

それだけの会話だった。それでも、私はその年の年越しそばの味を、この先ずっと覚えていると思う。帰り際、母が玄関まで出てきて、私の靴を揃えた。母がそんなことをするのを、私は初めて見た。

先月、私は祖母の墓に行った。倉本さんも一緒だった。彼は墓石の前で、随分長いこと手を合わせていた。

「何をお願いしていたんですか?」

「お願いはしていません。報告です」

「何を?」

「『死野さんを歩かせないようにしています』と」

私はその場でまた泣きそうになって、慌てて上を向いた。

帰り道、私は鞄からあのがま口を出して、彼に見せた。止め金の金色はもうほとんどはげている。中には今も、100円玉と10円玉が入っている。

「これ、あの日の帰りに1度使った切りなんです」

「使わなくていいですよ」

「はい。使いません」

その足で、私たちは祖母の家のあった場所に寄った。平屋はもうない。数年前に取り壊されて、今は小さな駐車場になっていた。それでも、あの停留所はまだそこにあった。同じ場所に、同じ形の標識が立っていた。

「ここで、祖母に呼び止められたんです」

「そうですか」

「その時、生まれて初めてバスに乗って帰りました」

私はその停留所のベンチに座ってみた。祖母が立っていたのは、多分この辺りだ。倉本さんは何も言わずに、私の隣に座った。バスが1台通り過ぎた。私たちは乗らなかった。乗る必要がなかったからだ。

しばらくして、私は言った。

「おばあちゃんに、合わせたかったな」

「俺もです」

私は今も、天気のいい日はよく歩く。今の会社から駅までも、歩けば30分ほどある。急ぐ朝は、家から駅まで倉本さんが直してくれたあの自転車で行く。年に1度、彼が油をさしてくれる。

歩きながら、私は昔よりずっと色々なものを見るようになった。信号待ちで止まっている白い車、荷物を運ぶ人の背中、停留所で時刻表を見上げている人。その1人1人に、誰も知らない事情があるのだと、今は思う。倉本さんのお父さんがノートに書き残していたのは、多分そういうことだったのだと思う。

雨の日はバスに乗る。寒い日も乗る。迎えが来ると言われた日は、素直に待つようになった。

姉の代わりにと告げられたのだと、私はずっと思っていた。でも、あの日会社の前に止まった黒塗りの車は、私を誰かの代わりではなく、私自身として迎えに来てくれたのだった。

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