「お前、何ボケたの?」——高卒だからという理由だけで、必死に掴み取った大手企業の契約を上司に横取りされた。毎日のように浴びせられる暴言、「部下の手柄は上司の手柄なわけ。そんなことも分からないのか。ああ、高卒だもんな」という言葉。どんなに頑張っても報われないと絶望していたその夜、酔った帰り道に偶然出会った一人の女性を助けた。まさかその行動が、すべてをひっくり返す引き金になるとは、その時の僕は知…

「お前、何ボケたの?」——高卒だからという理由だけで、必死に掴み取った大手企業の契約を上司に横取りされた。毎日のように浴びせられる暴言、「部下の手柄は上司の手柄なわけ。そんなことも分からないのか。ああ、高卒だもんな」という言葉。どんなに頑張っても報われないと絶望していたその夜、酔った帰り道に偶然出会った一人の女性を助けた。まさかその行動が、すべてをひっくり返す引き金になるとは、その時の僕は知...

「契約を取ってきました……!」
電話を切った瞬間、思わず声が上ずった。大手企業との契約成立。これまで中小企業ばかりを相手にしてきた俺にとって、これは間違いなく大きな一歩だった。周りの社員たちも、電話の内容を察したのか、温かい目でこちらを見てくれていた。

「新井係長、大手企業の契約取れました」
報告すると、係長は面倒くさそうな表情を浮かべた。
「あ、そう」
それだけだった。

俺は母子家庭で育った。記憶が定かになる頃にはすでに父はおらず、母が一人で俺を育ててくれた。母は夜勤明けで帰ってくると、すぐに俺を起こしてくれて、数時間の仮眠を取った後、またレジのパートに出かけていった。俺が帰ってくる頃には、またパートから戻ってきて、その合間に夕飯を作ってくれていた。

「今日テストあったんだけど、満点だったよ」
「満点? 裕介、すごいじゃないの。その調子で勉強もスポーツも、もちろん遊びも、全部楽しみなね」

母はいつも俺の好きなように生きろと言ってくれた。お金のことはなんとかするから、何も気にしなくていいと。どれだけ疲れていても温かいご飯を用意してくれて、文房具が切れていれば気づいて買ってきてくれた。

高校生になった頃、さすがにこのままでいいわけがないと思うようになった。
「僕、就職するから」

進路希望用紙を記入するタイミングで母に報告すると、母は珍しく慌てた様子だった。
「え、そうなの? あれだけ勉強も頑張っていたのに、就職しちゃうの? もっと勉強をしたいんじゃない?」

少しでも早く自立して、母に楽になってほしい。それが本音だった。でも、この本音を話すと確実に反対されると思って、最後の本音は隠すことにした。

先生にも何度も職員室に呼び出されたが、俺の決意は変わらなかった。最終的には母も先生も応援してくれるようになり、就職活動の時には先生がいくつかの企業の求人表を持ってきてくれた。その中に今の会社があった。

入社後は事務作業に割り振られ、その後営業か経理に分かれるという。どこに配属されるかわからないが、いろんな部署に挑戦できるというのは俺の挑戦心を掻き立てた。面接では感情のままに話し、面接官にも好印象だったらしい。こうして今の会社に入社することになった。

最初は事務から始まり、数年後には経理部、そして3年前から営業部に配属された。周りの多くが大卒で入社していた中で、実力で評価される風だったため、俺は人一倍努力した。

仕事帰りに近くのカフェで勉強していると、同じく勉強しに来ていたのだろう先輩に声をかけられた。
「高柳君、あんまり頑張りすぎなくていいんだからな」

その先輩はいつも営業成績が良く、人柄までいい、俺にとって憧れの先輩だった。そのおかげでモチベーションになり、成績はどんどん上がっていった。大卒の社員にも引けを取らないような営業成績を残せるようになった。

ただし、やたらと風当たりの強い人物がいる。
「お前、自分の成績が実力だと思うなよ」

新規の案件を契約するたびに、こう詰め寄ってくるのは新井係長だ。名門大学の出身者で、自分よりも学歴の低い部下たちを徹底的に侮辱するような上司だった。

今回勝ち取った契約は、かなりの期間をかけて現地に通い、信頼関係を築いたからこそ取れたものだ。先に担当していた先輩が移動することがきっかけで、俺に担当が回ってきたのだ。その先輩からは「お前の努力の賜物だ」と褒めてもらえたのに、新井係長は変わらず否定してくる。

「高卒のお前が、大学の先輩が勝ち取れなかった契約を結べるとは思えん。偶然だ。いや、そもそも本当は先輩が勝ち取ったものなんじゃないのか」
「そんなことするわけありません」
「口ではどうとでも言えるからな」

努力して得た成果を「高卒だから」という理由だけで認めてもらえないのは屈辱的だった。それでも、何度も頑張って成果を残せば、そのうち認めざるを得ないのではないかと思って、懸命に契約を勝ち取っていった。

そして、その努力が身を結び、ついに大手企業との契約を取ることに成功したのだ。これまで培ったリサーチ力とコミュニケーション力、足を運ぶという行動力をフルに活用して、ようやく相手方の信頼を手に入れた。

係長に報告しても反応は「あ、そう」だけだったが、俺の気持ちは高揚していた。うちの会社では1週間に1度、役員が俺たちの働くフロアにやってきて、成績の良い社員と面談を行うというものがある。今週こそは俺も声がかかるだろうと、いつも以上にその瞬間を心待ちにしていた。

「いやあ、でかしたよ。あんな大手企業の契約を取れるなんて、君はさすがだな」

ところが、そう言いながら声をかけられたのは俺ではなく、新井係長だった。
「そう言っていただけて、とても光栄です」

新井係長は満面の笑みを浮かべている。その様子を俺は呆然と見つめてしまった。面談が終わると、役員は帰っていった。

「係長、その契約って……俺が取ったものですよね?」

すぐに詰め寄ると、新井係長はうるさそうに顔を歪めた。
「何の用だ? 忙しいんだ」
「先ほどの契約は私が取ってきたものですよね?」
「お前なあ、部下の手柄は上司の手柄なわけ。そんなことも分からないのか。ああ、高卒だもんな」
「そんなはずありません」
「あるんだよ。残念ながらな。名門大学の俺が出世した方が会社にとっても都合がいいし、取引先も安心するだろう」

むちゃくちゃな理屈だった。あれだけ頑張って勝ち取ったものが、その日一瞬にして上司の手柄になってしまった。努力しても報われないもんなんだ。そう感じた。

その日はどうしても仕事のやる気が出ず、帰りに珍しく飲みに行った。お酒を飲んでも解決される話ではなかったが、いつしか辛いことを忘れられる気がした。そしていつもより遅い時間の帰り道、酔いが回り、夜道を歩いていると急に虚しい気持ちになった。星でも眺めようかと空を見上げたが、曇天だった。

「ほんと、ついてないよな」

さっさと帰ろうと目線を下ろした時、近くを歩いていた若い女性がふらついているのが視界に入った。自分と同じように仕事の憂さ晴らしに酒でも飲んでいたのだろうか。少し心配になる足取りだなと思ったその時、急にうずくまってしまった。

「大丈夫ですか? どうしましたか?」

慌てて駆け寄ると、とても苦しそうな様子だったため、すぐに救急車を呼んだ。近くに消防署があったようで、すぐに駆けつけてくれた。点滴を打ち始めてから体調もかなり回復してきたようだった。

そうしている間に、救急から連絡が入ったのだろう。年配の女性が駆けつけてきた。おそらく母親であろう。俺は状況だけを軽く説明して、「ありがとう」を何度も言う女性に見送られて病院を後にした。

それから数日間は何事もなく過ぎていった。だが、数日後のある日、普段と変わらず仕事をしていると、急に社長秘書が俺のところにやってきた。
「社長がお呼びです。ご同行ください」
「え? あ、はい」

今までこんなことはなかった。上役が自分たちのフロアに降りてくることはあったが、社長秘書がここに来ているところを見たことはない。社長室まで呼び込まれた俺は、絵に書いたように緊張していたことだろう。

「急に呼び出してしまって申し訳ない。君の話を詳しく聞きたいと思ってね」

社長がかけてくれた言葉に、俺は首をかしげた。どれくらいの時間が経ったのだろうか。業務時間中に社長と話す機会なんて、これまでなかったから、少し焦りながら自分のデスクに戻った。

「おい、高柳。どこほっつき歩いていたんだよ。業務時間中だぞ」
「少し社長とお話をしていました」
「お前が社長と? 笑わせるな。そんなことあるわけないだろう。サボってスマホでもいじってたんじゃないのか」

新井係長は俺の言葉を鼻で笑った。
「全く、身の程知らずもいいところだ。これも無能がゆえか」
俺が黙って聞いていると、ずっと話し続ける。
「これだから高卒の役立たずはダメなんだ。お前のような無能を部下に持つと苦労するよ」

そう言って締めくくると、すっきりしたのか嘲笑を俺に向けた。

そんな新井係長に、俺は1枚の書類を差し出す。
「新井係長。いや、新井さん、お言葉ですが、今日からあなたが僕の部下ですよ」
「はあ? お前、何ボケたの?」
「本当のことですよ。ほら、これ」

そこには俺が係長に昇格するという辞令が書かれていた。
「どういうことだ?」
「あ、あとこれも先ほど社長から預かってきました」

もう1枚の書類を取り出し、新井さんに差し出す。
「こ、これって……」

新井さんに差し出した書類には、新井さんの降格の辞令が書かれていた。理由欄には、俺が取った契約を自分が取ったものだと虚偽報告をしたことについて書かれていた。

「そんな……お前、何したんだ?」
「何したって……社長から呼び出されて、君の話を聞きたいと言われました。取引先の社長から、『担当者が変わるというのはどういうことだ』って連絡が入ったそうです」

新井さんが驚くのも無理はない。俺も最初聞いた時は驚いたのだが、この前の帰り道に助けた女性が、その取引先の社長の娘だったのである。翌日、偶然会う機会があった時に、お礼を言われたことで俺も知ったことだった。

「君みたいな人間が担当してくれるなんて、とても嬉しいよ」
そう言って相手方は期待してくれていたのだが、その時には担当が新井さんに変わることを俺は知っていた。

「すみません。担当が上司に変わってしまうんです」
「え、それはどういうことだ? 弊社は君だから契約しようと決めていたというのに。移動でもするのか? それとも転職か?」

こちらも驚いてしまうほど驚愕していた先方の社長に、俺は経緯を話した。この契約が上司が行ったこととして把握されていること、抗議したら「俺の方が大卒だから」という理由で断られたことなど。恥ずかしかったが、事実をそのままお話ししていた。

すると、うちの社長に抗議の連絡が入ったようだ。連絡を受けた社長は、俺が取った契約だと知らされていなかったことに引っかかり、これまでの俺の業績が正当に評価されていないのではと調査までしてくれたのだという。

「これまで辛い目に合わせてしまっていたようだ。気づかなかった私の責任だ。本当に申し訳ない」
「いえ、そんな……こうして今動いてくださっているのが、とても嬉しいです」
「これからは正当に評価されるような風通しの良いシステムを作っていくつもりだ。どうかこれからも弊社のために力を貸してほしい」
「もちろんです。これからも頑張りますので、よろしくお願いいたします」

こんな会話が先ほどの社長室で行われていたことを、目の前で呆然としている新井さんは知る由もない。これまでの言動についても調査後処分が下されると思います。

新井さんは顔面蒼白になっていた。

その後、これまで新井さんが俺に浴びせてきていた言動の数々を周りの社員も証言してくれたらしく、懲戒解雇処分となった。懲戒解雇処分という話が出回ったようで、新井さんは最終的に苦しんでいるのだという。

一方、係長に就任した俺は、昇格の報告と共に母をご飯に連れて行った。これまで行ったことのないようなお店を予約したから緊張で震えたが、母はとても嬉しそうな顔をしていた。

「まさか裕介と一緒にこんな素敵なところにご飯を食べに来られるなんて思っていなかったわ」
「時間かかっちゃったけど、やっとここまで来られたよ。ずっと働きかけてたから、恩返ししたくて。これまで本当にありがとう。俺、まだまだ頑張るから」
「そんなこと思ってたの? 裕介が頑張れたんだよ。ありがとう」

やっと過ごせた親子の時間。そのおかげで俺は仕事にもますます力が入った。自分が受けてきた理不尽な扱いを、部下たちに何としてでもさせないようにしたいと思っている。

「高柳係長、教えていただけますか?」
「分かった。今すぐ行くよ」

まだまだ未熟かもしれないが、学歴に囚われず、個人の人柄や業績をきちんと見る上司になろう。心に決めた決意を胸に、俺は後輩からかけられた期待に答えるべく走り出したのだった。

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