同窓会で15年ぶりに会った元親友は、今や大病院の医者だった。彼は俺の胸に一万円札を押し当て、こう言い放った。「工場勤務なら、上からの指示に従うの慣れてるでしょ。コンビニで買い物してこいよ。お釣りはチップだ」…

同窓会で15年ぶりに会った元親友は、今や大病院の医者だった。彼は俺の胸に一万円札を押し当て、こう言い放った。「工場勤務なら、上からの指示に従うの慣れてるでしょ。コンビニで買い物してこいよ。お釣りはチップだ」...

同窓会の会場で、医者になった同級生・火山が俺に一万円札を突き出した。「お前レベルの仕事ならこれくらいの金で動くだろ。向かいのコンビニでウーロン茶とポテチ買ってこいよ。喉カラカラなんだよ。俺の分のビールも頼むわ。お釣りはくれてやるからさ。嬉しいだろ」

工場勤務の俺を見下すような言葉と態度。他の同級生が「使い走りにすんなよ」と止めるが、火山はさらに続ける。「工場勤務なら上からの指示に従うの慣れてるでしょ。俺とは違って。それにしても工場勤務か。まあお前らしいよな。部品作りとか単純作業って頭使わねえし誰でもできるじゃん」

その時、会場の入り口から鋭い足音が響いた。「あなた、まさかそんな態度で普段から人に接しているの?」透明感のある涼やかな声に、場の空気が一瞬で凍りついた。

そこに立っていたのは、桜井病院の事務局長である桜井さんだった。彼女は俺の手を取ると、火山に向かって静かに言った。「私がここにいる理由は、彼よ」

俺の名前は小野シュート。32歳。地元の中堅メーカー・松本工業で医療機器の精密部品の開発を担当している。人の命を救える部品を作る。それが俺の仕事のやりがいだ。

火山とは高校時代、親友と呼べる仲だった。放課後の教室で将来の夢を語り合ったものだ。「俺さ、絶対大病院の医者になるんだ。親父みたいな町医者じゃなくてさ」と火山は言っていた。だが、高校3年生の進路希望調査の時、俺が高卒で働くと知ると、火山の態度が変わった。「へえ。今時高卒で働くの?」と周りに聞こえるように言ったのだ。

俺には複雑な家庭の事情があった。父は10年前に病気で亡くなり、母がパートを掛け持ちして俺と妹を育ててくれた。妹はまだ中学生で、これから高校受験。母の疲れた背中を見るたびに、一日でも早く働いて家計を助けたいと思っていた。大学へ行きたい気持ちがなかったわけじゃない。でも、母の目の下のクマが濃くなるたびに胸が締め付けられた。

図書館で見つけた工業系の本をこっそり読み漁り、独学で知識を詰め込んだ。松本工業は創業60年の歴史ある会社で、独自の金属加工技術が医療機器メーカーからも注目されている。そんな説明を火山にしたところで、意味はなかっただろう。彼には、家族のために一生懸命生きる者の気持ちなんて分からないから。

そして、15年の時を経て、火山の態度は変わっていなかった。一万円札を床に落とし、靴先で弾くように蹴る。「ほら拾えよ。それくらいできるでしょ。工場の雑用なんて物拾って運ぶだけなんだろ」

その時、現れた桜井さん。彼女は火山に言った。「私がなぜここにいるか。うちの病院に勤めながら、そんなことも知らないんですね。私たちの病院で使っている最新の人工心臓。その重要な部品を開発したのが小野さんだって知らなかったんですか?」

火山の顔から血の気が引いていく。「小野が人工心臓を?」「5年近く前から、心臓病の患者さんを救うための研究開発に携わってもらっているんです。小野さんの開発した部品のおかげで、多くの命が救われている。それを同じ医者のあなたが知らないなんて」

桜井さんはさらに続けた。「松本工業は売上50億を超える医療機器の精密部品メーカー。特に人工心臓装置の部品においては世界でもトップクラスの技術力を持っているの。日本中の大病院が彼の開発した部品を使っているのよ。私たちの病院だって、彼がいなければ多くの手術ができない。そんな大切な取引先の担当者を、あなたは使い走りにしようとした。これがどれだけ重大なことか、分かる?」

俺はとっさに会話に割って入り、桜井さんを外のカフェに誘った。打ち合わせの時間を1時間間違えていたのだ。カフェで、桜井さんは「本当は松本工業さんの技術には助けられています。特にあなたが開発した人工心臓の部品は、私たちの病院の誇りなんです」と言ってくれた。

次の打ち合わせの日、病院の廊下で看護師たちの噂話が耳に入った。「桜井さん、また怒鳴ってたみたいね。昔はあんなじゃなかったのに。結婚を考えてた人に振られてから随分怒りっぽくなったって」

噂を聞いてしまったことを詫びると、桜井さんは「気にしてないわ」と淡々と言い、「最近、忘れっぽくて約束の時間を間違えたり、書類の置き場所が分からなくなったりするの。もしかして若年性認知症なんて考えることもあるわ」と不安を打ち明けた。「今までの記憶が全部消えてしまったら…でも、私なんかが忘れちゃっても誰も困らないでしょうけど」

「そんなことないです」と俺は言った。「桜井さんが厳しいのは、みんなのことを考えてのことでしょう。患者さんの命がかかってるんだから。皆さん、桜井さんのことを信頼してますよ」

桜井さんの目に涙が浮かぶ。「ありがとう。励ましてもらったのなんて久しぶり。私、小野さんの前だと妙に素直になっちゃうのよね」

打ち合わせが終わる頃、桜井さんが言った。「ところで小野さん、今度プライベートでご飯でもどうかしら」予想外の言葉に一瞬時間が止まった。「小野さんの差し入れ、いつも美味しいから食の趣味が合うんじゃないかと思ったんです。気になるカフェがあるんですけど」

俺は「是非ご一緒させてください」と答えた。耳の根元が熱くなるのを感じた。

そんな中、火山が現れた。「お前さ、相変わらずだな。高校の時から道場買うのうまいもんな。親父さん亡くなって家計大変でとか、お涙ちょうだいな話で先生たちの同情を引いて。ま、今も同じ手使ってるんだ。工場勤務のかわいそうな人って」

桜井さんが怒りを込めた声で遮った。「先生、これ以上失礼な発言をされるなら、即刻懲戒委員会にかけさせていただきますよ」

それから1週間後、工場で事件が起きた。品質管理の社員が息を切らして駆け込んできた。「昨日の夜勤で検査した部品の記録が全部消えてるんです」

パソコンを確認すると、何百という設計データが消えていた。しかも、桜井病院に納品予定の人工心臓の部品の検査データだけが。バックアップも破損していた。システムログを調べると、外部からの不正アクセスが確認できた。しかもそのIPアドレスは桜井病院のもの。さらに病院のセキュリティログを確認すると、その時間にフロアに入室記録があったのは火山だけだった。

そして、データを消去した手法が高校時代に見たものと酷似していた。「火山、俺このプログラムを覚えてるぞ。高校の文化祭でお前が作ったデータ消去プログラム。プログラミング部の展示で『完璧な証拠隠滅』って名付けてたよな」

火山は観念したように、静かに語り始めた。「お前の周りにはいつも人がいたよな。俺の周りにも人はいた。医者の家計だからって、金があるからって。でも、あいつらの目は俺を見てなかった。財布を見て、家を見て、点数を見て。なのにお前は違った。誰かが困ってたら自分の弁当も分けて、テスト前もできない子に教えて。うちの病院に来る患者の子供たちにもいつも優しく話しかけて。いつも仲間が周りにいて」

「俺の方が恵まれてるんだぞ。いい家に生まれて、医者になれて、大病院で働いて。なのに、どうして」火山は机を叩きつけた。「今だって、今だって俺の方がすごいはずなんだ。親父みたいな街医者じゃない。大病院の医者だ。それなのに…」

俺は静かに言った。「火山、人は地位で人を信頼するわけじゃない。君のお父さんは立派な医者だ。あの地域の誰もが信頼してる。それは人として、医者として、純粋に患者のことを思う心があるからだ。昔の君も同じ心を持ってたはずだ。体育館裏で足首をひねった1年生に包帯を巻いて、保険室まで背負っていったあの君が」

火山の目から涙がこぼれ落ちた。「俺は君のことを親友だと思ってた。昼休みに医学の夢を語り合って、放課後は一緒に自習室で勉強して。君が教えてくれた問題の解き方、今でも覚えてる」

「俺もだ」と俺は言った。「君の本当の心を知ってるから。高校の時、父が亡くなった日、君は一晩中俺の家にいてくれただろ。『1人にはさせない』って。翌日、君のお父さんが診察代を分割にしてくれた時も、君はそばにいて母に『お金のことは心配しないで』って言ってくれた」

火山は長い間黙っていた。そして、決意の色を浮かべた目で顔を上げた。「俺、やり直したい。本当の医者として、人のために。今から工場に謝罪に行きます。あとデータはお前の言う通り消してない。だから復元できる。すぐに戻します」

その時だった。「うぅ…」桜井さんが胸に手を当て、苦しそうな表情を浮かべていた。「胸が痛い。締め付けて」あっという間に意識を失った。

火山の表情が一変した。「心室細動の疑いだ。緊急開胸手術が必要です。今すぐに」看護師たちが次々と動き出すが、循環器の担当医は別の救急対応中だった。「俺がやる」火山の声が静かに、しかし力強く響いた。「俺しかいない。研修医の時から何度も見てきた手術だ。父の元でも実際に執刀経験がある」

2時間後、手術室のランプが静かに消えた。扉が開き、火山が姿を表す。「手術成功だ」その言葉を聞いた瞬間、これまでこらえていた感情が一気に溢れ出した。「おい、泣くなよ」火山が昔のように肩を叩いてくる。「霊なんていいんだ。これが医者の仕事だからな」

病室で、桜井さんが目を覚ました。「シュート…」その一言で、時間が止まったかのように感じた。俺のことを名前で呼んだ。「あなたのこと、思い出したの」そう、俺と彼女は恋人同士だった。出会いは10年前。彼女は生まれつきの心臓疾患で、余命5年と宣告されていた。「でも私は諦めたくない。もっと生きたい。シュートと一緒に」

その夜、俺は決意した。彼女を救うため、心臓の医療機器の研究開発に全力を注ごうと。5年後、ようやく新しい医療機器が完成した。手術は成功し、彼女の命は救われた。だが、手術の後遺症でここ数年の記憶が抜け落ちてしまった。主治医は言った。「突然記憶の断片が戻ると混乱を招く可能性があります。当面は刺激を避けた方が」

だから決めた。恋人だった事実は胸の奥に封印することにした。彼女を混乱させたくなかった。会社の担当者として彼女の病院と取引を始めることで、接点を持った。彼女が生きていてくれることが何より嬉しかった。それだけで十分だと思っていた。

なのに今、彼女が俺の名前を呼んだ。呼び方は5年前と同じように。「ごめんね。5年も待たせてしまって」ゆかりの頬を大粒の涙が伝う。「心臓の病気のこと、打ち明けた夜のことも、屋上で…その時のシュートの顔も思い出した」

「毎日毎日図面を描いて、失敗して。でも君のことを考えると立ち止まれなかった。君が記憶をなくして俺のことを忘れて、どんなにお金があっても、どんなに称えられても、君の笑顔がなければ何も意味がなかった」

「嘘つき」ゆかりが静かに遮った。「シュートのね、寂しそうだった。ちょっと前の私には分からなかったけど、今なら分かる。私のために5年もずっと待っていてくれて」

彼女の手がそっと俺の手に触れる。「思い出せて本当に良かった。シュートのこと、私たちの思い出、全部」「お帰り、ゆかり」「ただいま、シュート」

それから1ヶ月後、病院の中庭では満開の桜が咲き誇っていた。火山が声をかけてきた。「桜井さんの手術の件、本当にありがとう。お前が開発した医療機器がなければ、あの手術は成功していなかった。それに、お前は俺に大切なことを教えてくれた。人を救うってことは、地位や名誉のためじゃない。目の前の命のためにできることを精一杯やることなんだって」

その頃、松本工業にも変化が起きていた。ゆかりの手術に使用された新型の医療機器が、世界中から注目を集めるようになったのだ。しかし、俺にとって最も嬉しかったのは別のことだった。休日の午後、ゆかりと2人で過ごす時間。いつもの和菓子屋で焼き大福を買って、近所の公園のベンチに座る。「私ね、記憶をなくしてた時もなんとなく感じてたの。シュートの優しさ。一緒にいる時のあの温かな優しさ。記憶はなくしても、心は覚えていたんだね。シュートのことをずっとずっと愛していたから」

それから半年後、松本工業の新社屋の前で、ゆかりが俺の腕に白いブーケを添えていた。純白のウェディングドレス姿の彼女は、この上なく美しく輝いていた。火山を含め、大勢の人々が祝福してくれる。「ゆかり、ありがとう」「私の方こそ。シュートのおかげで私、生きていられるもの」「違うよ。君がいてくれたから、俺は強くなれた。諦めずに頑張れた」

後日、火山からメールが届いた。「小野、ゆかりさん。改めておめでとう。実はアメリカの医療機関から、君たちの開発した医療機器を使った手術の指導依頼が来ているんだ。今度は俺が世界の人々の命を救う番だと思う。本当の医者として精一杯頑張るよ。また会おう」

「シュート、何見てるの?」ゆかりが覗き込む。「火山からのメール」「へえ。彼も随分変わったわね」「うん。でも、それは当たり前よね。人は誰でも愛されることで変われるもの。シュートが私にそれを教えてくれたように」ゆかりが優しく微笑む。

確かにこの10年で多くのものが変わった。会社も、人々の関係も、そして俺たち自身も。でも、変わらないものもある。誰かのために頑張りたいという思い、大切な人を守りたいという気持ち。それはどんなに時が流れても、人の心に宿り続ける永遠の光なのかもしれない。

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