病室のドアを開けた瞬間、まゆかの鋭い声が私を貫きました。
「今すぐ出て行ってください。」
手に持っていた出産祝いの花束が、震える指の中で揺れていました。私は園田文江、65歳。今日は人生で最も幸せな日になるはずでした。初孫の誕生を祝うために、早朝から準備をして病院へ駆けつけたのですから。
「何しに来たんですか? 」
まゆかの顔は怒りで真っ赤に染まり、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたまま、私を睨みつけています。
「お祝いなんていりません。あなたみたいな人間に、我が子を触らせるわけにはいきませんから。」
私は息子の教一郎に助けを求めるように視線を向けました。しかし、彼は目をそらすばかりで、何も言ってくれません。
病室には重い沈黙が流れていました。35年間、息子のために尽くしてきた母親が、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか。私は自分がここにいてはいけない存在なのだと、はっきりと感じ取りました。
教一郎とまゆかが結婚した時、私は心から祝福しました。結婚式の費用として300万円を援助し、新居の頭金も用意しました。3年間なかなか子どもに恵まれず、まゆかが不妊治療を始めた時も、高額な治療費に困っていると聞いて、迷わず500万円を用意しました。治療が辛くてまゆかが泣き崩れるたび、私は彼女を抱きしめて励ましました。
「大丈夫よ。私がついているから。」
そして、ようやく授かった赤ちゃん。私は誰よりも喜び、朝一番に病院へ向かったのです。
「お母さんはお金だけ出していればいいんです。顔は見せないでください。」
その冷たい言葉に、私の心臓は凍りつきました。お金だけ。私が注いできた愛情は、彼女にとってお金と同じ価値しかなかったのでしょうか。
「どうしてそんなことを? 」
「どうしてって? お母さん、自分の行動を振り返ってみてください。私たちの生活に口出ししすぎなんです。」
口出しなどした覚えはありません。ただ心配で時々様子を聞いたり、手料理を持って行ったりしただけです。
「料理の味付けも古臭いし、インテリアのセンスもない。はっきり言って時代遅れですよ。」
私は隣で黙って下を向いている息子を見ました。
「私が作ったものを、美味しいって食べてくれていたじゃない。」
「社交辞令ですよ。本当は味が濃すぎて、教一郎も嫌がってましたね。」
教一郎は小さく頷きました。その瞬間、私の中で何かが崩れる音がしました。息子まで私の料理を嫌がっていたなんて。
「それにお母さんの服装も恥ずかしいんです。この前ママ友に会った時、『お母さん、昭和で時が止まってる』って笑われました。教一郎の出世にも影響するんです。上司の奥様方は皆さんエレガントなのに、お母さんだけ違って。」
「……でも、そんなこと、今まで一度も言われなかったわ。」
「言い訳はいいです。とにかく、これからは私たちに関わらないでください。正直に言います。お母さんなんて、私たちにとって家族だと思っていません。」
その言葉に、私は息を飲みました。8年間、実の娘のように接してきたまゆかから、そんな言葉を聞くなんて。
「じゃあ、私は何なの?

」
「ATMですよ。ATM。お金を出してくれる便利な機械。」
私は混乱しながらも、今までの出来事が走馬灯のように頭を巡りました。結婚祝い、新居の頭金、不妊治療費、生活費の援助、車の購入資金。私が差し出したすべてのお金は、ATMからの出金だったのでしょうか。
「教一郎、あなたもそう思っているの? 」
息子に最後の希望を託して尋ねました。教一郎は顔を上げることなく、小さな声で答えました。
「母さん、まゆかの言う通りだよ。もう僕たちに干渉しないでくれ。」
干渉。私の愛情は、そんな言葉で片付けられてしまいました。
「赤ちゃんの面倒も、お母さんには頼みません。信用できませんから。」
「信用できないだなんて……どうして? 」
「認知症の兆候があるじゃないですか。この前も、同じ話を2回もして。」
あの時はまゆかが聞いていないようだったので、もう一度話しただけなのに。
「もう十分でしょう。今までありがとうございました。でも、もうお母さんの助けは必要ありません。むしろ迷惑なんです。教一郎の会社の人に見られたら恥ずかしいし。」
迷惑。私は震える声で繰り返しました。
「あ、でも、まゆかさんが思い出したように付け加えました。孫の教育費は援助してくださいね。それくらいはお母さんの義務ですから。」
愛情からではなく、義務として金銭を要求される。私は自分がどれほど惨めな存在になってしまったのか、痛いほど理解しました。
「わかりました。」
私は静かに言いました。もう、これ以上ここにいる意味はありません。愛情を注いだ8年間は、すべて無駄だったのです。
私は深く息を吸い込んで、最後にもう一度だけ息子に問いかけました。
「教一郎、本当にそれでいいの? 母さんはあなたにとって、ATMでしかないの?
」
教一郎は一瞬顔を上げましたが、私の鋭い視線を感じ取ると、すぐに目をそらしました。
「母さん、もういいよ。まゆかの言う通りだ。」
その言葉を聞いて、私の中で何かが完全に切れました。35年前、この子を産んだ時の喜び。初めて「ママ」と呼んでくれた時の感動。熱を出して看病した夜。受験で一緒に頑張った日々。すべてが音を立てて崩れていきました。
私は花束を静かにテーブルに置きました。まゆかはその花を一瞥もせず、赤ちゃんをあやし続けています。
「わかりました。もうお邪魔しません。」
病室のドアに手をかけた時、まゆかの声が追いかけてきました。
「あ、そうそう。来月の生活費の振り込み、忘れないでくださいね。それと、赤ちゃんのための貯金も初めてください。月10万円くらいで。」
私は振り返りませんでした。ただ静かにドアを開けて、廊下に出ました。
病院の長い廊下を歩きながら、私は不思議なほど冷静でした。もう涙も出ません。ただ、心の中に冷たい決意が固まっていくのを感じていました。
エレベーターに乗り、1階に降りると、病院の外はすっかり日が落ちてあたりは暗くなっていました。私は携帯電話を取り出し、登録されている番号を探しました。
「もしもし、前沢さん? 私、園田です。」
電話の向こうで、私の会社の顧問弁護士である前沢の声が聞こえました。
「会長、お久しぶりです。何かございましたか? 」
「ええ、例の件を進めてください。予定通りに。」
「例の件と申しますと……息子さんの会社との取引見直しの件でしょうか? 」
「はい。それと、個人的な援助もすべて整理します。詳細は後日お伝えしますが、準備を始めてください。」
前沢弁護士は少し驚いたような声で答えました。
「承知いたしました。ただ、息子さんとの関係に影響が……」
「もう関係などありません。私は家族ではなく、ATMだそうですから。」
電話を切ると、私は深呼吸をしました。園田物産の会長として、私は多くの決断をしてきました。時には情に流されず、冷静な判断も必要でした。でも、まさか実の息子に対してこのような決断をする日が来るとは思いませんでした。
タクシーを拾い、自宅へ向かいました。車窓から見える景色はいつもと変わらないのに、まるで別世界のように感じられます。
私が園田物産の会長であることは、息子夫婦には一度も話していません。夫が亡くなった後、会社を継いだことも、小さな会社を年商300億円の企業に成長させたことも。ただ、「お父さんの残した会社で少し手伝っている」とだけ伝えていました。
それは、息子には自分の力で生きて欲しかったから。そして、お金目当てで近づく人から守りたかったから。でも結果的に、息子は母親の本当の姿を知らないまま、ただのATMとして扱うようになってしまいました。
自宅に着くと、私はリビングに飾ってある家族写真を手に取りました。教一郎が小学生の頃、3人で遊園地に行った時の写真です。無邪気に笑う教一郎と、若かった頃の私たち夫婦。
「あなた、私は間違っていたのかしら。」
写真の夫に語りかけました。答えは帰ってきません。でも、もし夫が生きていたら、きっとこう言ってくれたでしょう。「文江らしく行きなさい」と。
私は決意を新たにしました。もう、理不尽な扱いに耐える必要はありません。自分の人生を、自分らしく生きる時が来たのです。
翌日、私は前沢弁護士と会社の王設で面会していました。
「会長、本当によろしいのですか?
園田物産は息子さんの会社にとって最大の取引先です。年間売上の4割を占めています。」
「構いません。ビジネスは信頼関係が基本です。私を信頼していない人と取引を続ける理由はありません。」
前沢は書類を広げながら、慎重に言葉を選びました。
「それでは、来月末で取引を終了ということで通知を出します。また、個人保障の件ですが、すべて解除してよろしいですか? 住宅ローンの連帯保証人もおありですが。」
「はい。すべて解除してください。」
私は淡々と指示を出しました。心の中ではまだ母親としての情が残っていましたが、もう後戻りはできません。
面談を終えて会社を後にすると、車で移動中、私の携帯電話がなり続けています。画面を見ると、教一郎からでした。でも、私は出ません。昨日、「関わらないで」と言われたのですから。
夕方、私は都内のホテルにチェックインしました。近くにいると、きっと押しかけてくるでしょうから。
「園田会長、いつもありがとうございます。本日はスイートルームをご用意させていただきました。」
「ありがとう。しばらくお世話になります。」
部屋に入ると、大きな窓から東京の町が一望できました。私はソファーに腰を下ろし、改めて今日の出来事を振り返りました。
午後3時頃、教一郎の会社に通知が届いたはずです。営業部は大混乱でしょう。園田物産は20年以上の取引先でしたから。でも、これは感情を挟まないビジネスの決断です。
そして、まゆかの元にも銀行から連絡が入った頃でしょう。住宅ローンの連帯保証人を降りる手続きは、前沢が迅速に進めてくれました。
実は、まゆかの実家が園田物産の下請けをしていることも、私は知っていました。会社の資料で偶然見つけたのです。年商3000万円ほどの小さな部品工場で、園田物産との取引が売上の6割を占めています。
私は窓の外を眺めながら、複雑な気持ちになりました。まゆかの父親には申し訳ない気持ちもあります。でも、これも仕方のないことです。私は家族ではなく、ATMなのですから。
携帯電話を確認すると、教一郎から20回、まゆかから15回の着信がありました。留守番電話にもメッセージが入っているようですが、聞く気にはなれません。
私は立ち上がってワインセラーから白ワインを取り出しました。グラスに注ぎ、夜景を眺めながら一口含みます。
「あなた、私は冷たい母親でしょうか? 」
写真の夫に問いかけました。でも、もし夫が生きていたら、きっとこう言うでしょう。「文江は強い女性だ。自分の決断を信じなさい」と。
今頃、教一郎とまゆかは私のマンションを訪ねているかもしれません。管理人さんには当分帰らないと伝えてあります。荷物も必要最小限にしました。
明日の朝、私は正式に2人の前に姿を表すつもりです。ただし、今度は園田文江個人としてではなく、園田物産会長として。
私は手帳を開き、明日のスケジュールを確認しました。午後3時、帝国ホテルで息子夫婦と面会の予定です。その時、2人は初めて知ることになるでしょう。ATMだと思っていた存在が、実は自分たちの人生を左右する立場にあったということを。
夜が更けていきます。東京の夜景は相変わらず美しく、まるで宝石箱のようでした。私は静かにワインを飲みながら、明日を待ちました。
翌朝、教一郎の会社では緊急会議が開かれていたそうです。後から前沢弁護士から聞いた話ですが、私の決定は即座に大きな波紋を呼んでいたようでした。
「園田物産の会長が、我が社との取引中止を直接指示したそうだ。」
社長の怒声が会議室に響いたとのことです。
「会長って、園田文江さんですよね。でも、なぜ急に……」
営業部長の言葉に、教一郎は聞き覚えのある名前に反応したそうです。
「園田? 知らないのか?
園田物産の創業者の未亡人だ。年商300億円の大企業に成長させた、凄腕の経営者だよ。」
教一郎の顔から血の気が引いていく様子が、目に浮かびます。
「その会長の写真とかありますか? 」
「ああ、会社案内に乗っているはずだ。」
渡されたパンフレットを開いた教一郎は、そこで完全に凍りついたことでしょう。写真に写っているのは、紛れもなく母親である私だったのですから。
「……母さん? 」
「なんだって? 君のお母さんが、園田物産の会長なのか?
」
「知りませんでした。母はただ、父の会社を少し手伝っているだけだと……」
私の携帯電話は朝からなり続けていましたが、出る気にはなれませんでした。35年間育てた息子からATM扱いされた母親の気持ちなど、誰に分かるでしょうか。
午前中、私はホテルのスイートルームでこれまでの人生を振り返っていました。夫と2人で小さな会社を立ち上げ、必死に働いてきた日々。夫が他界した後、女で1人で会社を守り発展させてきた日々。そのすべてを、息子には隠してきました。
教一郎に心配をかけたくなかった。普通の子供として、自由に生きて欲しかった。その思いが、結果として今日の事態を招いたのかもしれません。
昼前、私は教一郎にメールを送りました。
「教一郎へ。今日の午後3時、帝国ホテルのロビーで待っています。まゆかさんも一緒に来てください。母より」
もう隠し事をする必要はありません。すべてを明らかにして、きっぱりと関係を断つ時が来たのです。
午後3時、私は帝国ホテルのロビーで2人を待っていました。いつもの地味な服装ではなく、会長としてのビジネススーツに身を包んで。
教一郎とまゆかが現れた時、2人の顔は真っ青でした。特にまゆかは、昨日とは別人のように小さくなっていました。
「母さん……」
「座りなさい。」
私は静かに、しかし、否を言わせない口調で言いました。もう、優しい母親を演じる必要はないのです。
「まず、自己紹介をし直しましょうか。私は園田文江。園田物産の代表取締役会長です。従業員は1000人、年商は300億円。あなたたちがATMと呼んだ人間の、本当の姿です。」
2人の表情を見ていると、少しかわいそうにも思えました。でも、私の心はもう決まっています。
「なぜ黙っていたのかって? 息子には自分の力で生きて欲しかったからです。そして、お金目当ての人間を寄せつけたくなかったから。まゆかさん、あなたは私に言いましたね。『お金だけ出していればいい』『家族だと思っていない』『ATMだ』と。」
まゆかは顔を伏せました。昨日の傲慢な態度は、どこへ行ってしまったのでしょう。
「教一郎。あなたも同意しましたね。母親の料理が嫌いだと。私の存在が迷惑だと。」
「母さん、あれはまゆかに合わせただけで……」
「いいでしょう。あなたたちの望み通りにしてあげます。私は家族ではないのですから、ビジネスライクに行きましょう。」
私は用意してきた書類をバッグから取り出しました。
「まず、園田物産との取引は予定通り終了します。教一郎の会社への配慮は一切しません。」
「母さん、それじゃ会社が……」
「次に、住宅ローンの保証人も下りました。新しい保証人を探すか、家を手放すか。お好きにどうぞ。」
まゆかが涙を流し始めました。昨日の傲慢な態度とは大違いです。
「お母さん、お願いします。子供が生まれたばかりなんです。」
「子供? ああ、私に触らせたくないという、あの子ですね。」
私の言葉に、まゆかは土下座しようとしました。
「見苦しい真似はやめなさい。ここは公共の場です。」
「では、どうすれば……」
「どうもこうもありません。あなたたちが決めたことです。私は家族ではなく、ATMなのでしょう。ATMに感情はありませんし、家族への配慮もしません。」
私は立ち上がりました。もう十分でしょう。
「あ、そうそう。まゆかさんのご実家の工場との取引も終了します。ビジネスは信頼関係が大切ですから。」
「そんな……父の会社が潰れてしまいます。」
「それは私の知ったことではありません。あなたが私を家族として扱わなかったように、私もあなたの家族に配慮する理由はありません。」
教一郎が必死に引き止めようとしました。
「母さん、お願いだ。考え直してくれ。僕が悪かった。」
「今更ですね。昨日、私があなたに最後の確認をした時、あなたは何と答えましたか? 」
私は最後に、名刺を取り出しました。
「これが私の本当の姿です。これが、あなたたちがATMと呼んだ人間の本当の姿です。従業員の生活を預かり、取引先の運命を左右する立場にある人間を、あなたたちは『お荷物』『邪魔物』と呼びました。」
2人は名刺を見つめたまま、言葉を失っていました。
「さようなら。もう2度と会うことはないでしょう。」
私はヒールを返して歩き始めました。背後から教一郎の声が聞こえましたが、もう振り返ることはありませんでした。35年間の母親は、昨日終わったのです。
帝国ホテルを後にした私は、そのまま会社へ向かいました。園田物産の本社ビルに入ると、社員たちが挨拶をしてくれます。
「会長、おはようございます。」
「おはよう。今日もよろしくお願いします。」
私は会長室に入り、大きな窓から都心の景色を眺めました。この会社を夫と2人で小さな事務所から始めて40年。夫が亡くなってからの15年は、女で1人で必死に守ってきました。
秘書の金子さんがコーヒーを運んできてくれました。
「会長、午後からの資料です。……どうしました?
」
「いえ、何でもないわ。」
「会長が最近お元気そうで、私たちも嬉しいです。」
金子さんの言葉に、私は微笑みました。確かに、心の重りが取れたような気がします。
その週末、私は以前から支援している児童養護施設を訪れました。子供たちが駆け寄ってきます。この施設には、様々な事情で親と暮らせない子供たちが生活しています。
「今日はみんなにプレゼントを持ってきたわよ。」
「やったー! 」
無邪気に喜ぶ子供たちの笑顔を見ていると、心が温かくなります。施設長の佐藤さんが近づいてきました。
「園田会長、いつもありがとうございます。子供たちも会長が来るのを楽しみにしているんです。」
「こちらこそ。この子たちの笑顔が、私の生きがいです。」
午後は子供たちと一緒に料理を作りました。私の「古臭い料理」も、ここでは大人気です。
「おばあちゃんの肉じゃが、すっごく美味しい! 」
「本当? 嬉しいわ。」
8歳のさなちゃんが私の手を握りました。
「おばあちゃん、ずっと来てくれる?
」
「もちろんよ。約束する。」
この子たちは、私を必要としてくれます。ATMとしてではなく、一人の人間として。
夕方、施設を後にする時、佐藤さんが言いました。
「実は、来月から新しい教育プログラムを始めたいのですが、資金の件で……」
「詳細を送ってください。検討します。」
「本当ですか? ありがとうございます。」
私のお金は、本当に必要としている人たちのために使われるべきです。感謝の気持ちを忘れない人たちのために。
翌週、私は長年の友人である証子と久しぶりに会いました。
「文江、顔色がいいわね。何かあった? 」
「ええ、人生の整理をしたの。」
事情を話すと、証子は深く頷きました。
「辛かったでしょうね。でも、あなたは正しい選択をしたと思うわ。」
「本当にそうかしら。実の息子を切り捨てるなんて。」
「切り捨てたんじゃないわ。あちらが先にあなたを切り捨てたのよ。」
証子の言葉に、私は救われた気がしました。
「文江、あなたには価値がある。会社の会長としてだけじゃなく、一人の女性として、人間として。」
「ありがとう、証子。」
その後、私の生活は大きく変わりました。今まで息子夫婦のために取っていた時間を、自分のために使えるようになったのです。美術館巡りを再開し、若い頃に諦めた書道教室にも通い始めました。新しい友人もでき、充実した日々を送っています。
会社の業績も順調です。教一郎の会社との取引中止で空いた生産ラインは、より条件のいい新規顧客で埋まりました。ビジネスでも、相手を選ぶことの大切さを改めて実感しています。
ある日、会社に一本の電話がありました。
「会長、息子さんから電話です。どうしますか? 」
「繋がないでください。私に息子はいません。」
きっぱりと断りました。情に流されては、また同じことの繰り返しです。
後で聞いた話では、教一郎の会社は大幅なリストラを余儀なくされ、教一郎自身も降格処分を受けたそうです。まゆかの実家の工場も、廃業の危機に陥っているとか。でも、それは彼らが選んだ道です。私をATMとしか見なさなかった報いを、今受けているのでしょう。
私は今、本当の意味で自由です。誰かの期待に応えるためではなく、自分の意思で生きています。施設の子供たちは私を「おばあちゃん」と呼んでくれます。友人たちは、私という人間を大切にしてくれます。会社の社員たちは、私の経営手腕を心から尊敬してくれています。
「あなた、見ていますか?
」
私はスイートルームに飾った夫の写真に語りかけました。
「私、強くなりました。もう、理不尽な扱いには屈しません。」
写真の中の夫は、優しく微笑んでいるように見えました。
振り返ってみれば、私は息子夫婦に依存していたのかもしれません。息子の幸せが私の幸せだと思い込んでいました。でも、それは間違いでした。私には私の人生があります。息子に認められなくても、嫁に感謝されなくても、私の価値は変わりません。
今、私の周りには、本当の意味で私を必要としてくれる人たちがいます。利害関係ではなく、心で繋がっている人たち。それこそが、本当の家族なのかもしれません。血の繋がりだけが家族ではない。心が通い合ってこそ、家族と呼べるのです。
あの日、病室で言われた言葉を思い出します。「お金だけ出していればいい」「家族だと思っていない」「ATM」。今となっては、感謝しているくらいです。あの言葉があったからこそ、私は目覚めることができました。本当の自分の価値に気づくことができたのです。
私、園田文江は、これからも自分らしく生きていきます。誰のためでもない。自分自身のために。そして、本当に私を必要としている人たちのために、持てる力を使っていきたいと思います。
理不尽な扱いに苦しんでいる方がいたら、伝えたいです。あなたには価値があります。その価値を認めない人のために、自分を犠牲にする必要はありません。勇気を出して一歩踏み出してください。きっと、新しい世界が待っています。


