母が倒れたという電話は午前3時15分にかかってきた。青森県立中央病院の夜間受付の看護師からだった。松原博典は65歳。埼玉県内の古びた複合商業施設で警備監督として働き、この11年間、毎晩同じ夜勤に就いていた。
彼は独身だった。結婚もしたことがなければ、ほとんど交際もしたことがなかった。20代の頃から続けている習慣があった。毎朝3時きっかりに、インスタントではないドリップした黒コーヒーを一杯飲むこと。世界が完全に沈黙する時間帯に、コーヒーの湯気を見ながら独りでいることが、彼にとっての「整う」という感覚だった。
電話を受けた後、松原は3秒間、受話器を持ったまま動かなかった。それからスマートフォンを取り出し、新幹線の始発を確認した。次に、入院費用を頭の中で計算し始めた。銀行アプリを開くと、画面が表示されるまで1秒か2秒の間があった。
松原の目が止まった。残高が0だった。画面を見間違えたと思った。もう一度開いた。0だった。画面の下に小さな文字で通知が出ていた。口座差し押さえの通知だった。債権者の名称には、知っている名前があった。いや、知っているというより、忘れようとしていた名前だった。
15年前のことだった。弟の俊助が事業を始めるというので、保証人として署名したことがある。店は3年で潰れ、弟は自己破産を申請した。松原はその時、弁護士に相談し、「資産ゼロ者が破産すれば保証債務も整理される場合がある」という説明を受け、それ以上追わなかった。だが整理されていなかった。残った債務は別の債権回収会社に売却され、15年分の遅延損害金が積み上がっていた。法的な手続きを経て、今夜、松原の口座が差し押さえられたのだ。
800万円がない。松原は防災センターの椅子に座ったまま、スマートフォンを膝の上に置いた。隣では同僚の塚本大治がいびきをかいて眠っていた。塚本は64歳。毎週同じ夜勤に入る男で、2人きりになると必ず妻の愚痴を話す。ローンがまだ15年残っている。子供が金を無心してくる。妻の収入は家計に入ってこない。松原は内心、こういう時間が少し苦手だった。塚本の話を聞くたびに、自分の選択が正しかったという感覚が静かに強まっていくのを感じるのが、どこか居心地が悪かった。
松原ひろのりは、65年間で初めて、自分がどれほど何も持っていないかを理解した。貯金はない。家族はいない。友人と呼べる人間もいない。そして今、森の病院に88歳の母が1人で運ばれた。3時のコーヒーを飲む余裕はなかった。
青森に向かう始発の新幹線は午前5時40分に大宮を出た。松原は一睡もしていなかった。財布の中には現金で6万2000円。キャッシュカードはもう使えない。新幹線の中は7割方空いていた。窓際の席に座り、松原は背筋を伸ばしたまま外を見ていた。窓には自分の顔が薄く映っていた。65年間で積み上げたものが一夜にして崩れた。そういう顔をしているかと思ったが、そうでもなかった。ただ静かな顔だった。それが余計に自分でも気持ち悪かった。
青森に着いたのは午前9時を少し過ぎた頃だった。担当医の説明は丁寧で正確だった。脳幹部近くの出血による脳卒中で、左半身の麻痺が残っている。言語機能への影響も確認されており、会話は難しい状態だが意識はある。長期の療養が必要になる可能性が高い。費用の目安を聞くと、医療相談窓口に回された。ソーシャルワーカーの計算では、月の費用は15万から、施設によっては20万を超えることもあるという。自分の手取りは月14万。すでに足が出ている。数字を並べていくと、頭が整理されている間は感情が静かになる。それを松原はずっと知っていた。だから計算し続けた。
廊下に出て、松原は壁に背をつけて立ち止まり、スマートフォンを出した。弟・俊助の番号を出した。6回目で繋がった。背後から低い音楽が流れ込んできた。昼前だというのに、バーかクラブか、とにかく室内の人工的な低音だった。俊助の声は少し眠そうだった。松原は淡々と話した。母が脳卒中で倒れた。左半身に麻痺が出ている。長期の療養になる。費用がかかる。そして、口座が差し押さえられた。電話越しに1度、短い沈黙があった。それから俊助は言った。自分は自己破産の手続きを新しい制度で済ませたから、法的な責任はもうないと。声は平坦だった。謝罪ではなく、事実の通知のような言い方だった。
松原は一泊置いてから言った。法律の話をしているんじゃない。お前が起こしたことで俺の金が消えた。母親が病院にいる。それだけのことを言っているんだと。俊助は少し間を置いて、うちも余裕ないから、と言った。それだけだった。ツーという音が耳に届いた。切られたという事実を、松原は廊下の端で受け止めた。怒りがないわけではなかった。だが、その怒りは今すぐ吹き出すようなものではなかった。長い年月をかけて積み重なったものが、今日また一層積み上がったという感覚だった。
母の病室は4人部屋だった。母の千代は横向きに寝て目を閉じていた。松原は椅子を引いてベッドの横に座った。子供の頃の記憶の中の母とは全く違う顔になっていた。松原は何も言わなかった。言うべき言葉を考えたわけではなく、言葉という形式が今ここには合わないと感じていた。ただ椅子に座って母の呼吸を聞いていた。規則的ではあった。30分ほどいた。最後に右手をそっと伸ばして、母の右手の甲に置いた。3秒か4秒そのままにした。それから手を引いた。立ち上がって、振り返らずに部屋を出た。
翌日から、松原は夜勤に加えて日中の補助業務も引き受けることにした。実質的に1日16時間、施設にいることになった。食費を削ることにした。昼は水だけにした。夕食は深夜のコンビニで値引きシールの貼られたおにぎりを1個買った。洗濯は手洗いに変えた。ただし、シャツのアイロンだけはやめなかった。翌日着るシャツを就寝前に必ずアイロンがけした。それは節約とは関係のない習慣だった。それをやめることは、何かの一線を超えるような気がした。
ある夜、塚本が珍しく松原の顔を見て言った。お前の親父さんが残した土地、長野の方にあるやつ、まだ持ってるか。父が亡くなって12年になる。長野県の山間部に、小さな山林の土地があった。面積は300坪ほどで、農業にも林業にも使えない代物だった。固定資産税が年に数万円かかるだけで、売れるとも思っていなかった。塚本は続けた。実は義理の弟が不動産関係の仕事をしていて、長野の山の方で土地を探している相手がいるらしい。場所によっては200万くらいなら話がつくかもしれない。興味があれば話をつないでもいいが、どうか。
松原はすぐには返事をしなかった。200万という数字が、今の松原に何を意味するか、頭の中で自動的に計算が動いた。入院費の10ヶ月分以上になる。少し考えさせてくれと松原は言った。塚本は、もちろん急かすつもりはないから、と言った。その言い方は穏やかだった。松原が知っている塚本の声と全く同じだった。翌日、松原は固定資産税の納付書を引っ張り出した。土地の評価額は路線価ベースで300万弱程度だった。しかし山林の場合、評価額と実際の売買価格は大きく違うことがある。売れない土地は評価額にしかならない。200万という数字が絶対に安いとは言い切れなかった。数日後、松原は塚本に話を進めてもらっていいと言った。
2日後には契約書の草案が出てきた。売買金額は200万円。支払いは現金で、翌日以降に現金書留で送付するとあった。弁護士に頼めば費用が発生する。今の状況でそれを捻出する余裕はなかった。契約書の文面は標準的なもので、特に問題のある条項は見当たらなかった。松原は署名した。その翌日の夕方、現金書留が届いた。200万円が封筒の中で束になっていた。松原は確認して、翌朝すぐに病院に振り込んだ。手持ちの現金が少し増えた。それだけだった。問題が解決したわけではなく、少し先送りしただけだという認識があった。
3日後の深夜だった。松原はいつも通り巡回ルートを歩いていた。地下の機械室に近い通路を通った時、床にゴミが散らかっているのに気づいた。1枚の紙を拾った時、手が止まった。A4の紙が三つ折りになっていた。印刷の端が少し滲んでいた。コピーミスか、不要になって捨てたものらしかった。ゴミ袋に入れようとした瞬間、折り目の端に印字された文字が目に入った。地番だった。見覚えのある文字列だった。長野県のあの土地の住所だった。紙を広げた。契約書の写しだった。売主の欄に自分の名前があった。買主の欄に塚本大治の名前があった。そこまでは知っていた。しかしその下に、もう1つの欄があった。転売先として、別の会社名が記載されていた。太陽光発電の関連会社で、社名に見覚えはなかったが、規模の大きな企業らしいことは文面から読み取れた。金額の欄があった。2500万円と書いてあった。
松原は数秒、その数字を見た。2500万。自分が受け取ったのは200万だった。もう一度紙を最初から読み直した。日付を確認した。塚本から太陽光発電会社への転売契約の締結日は、松原が署名した翌日だった。つまり塚本は、松原から土地を買い取る前の段階で、すでに転売先を決めていた。あの土地が太陽光発電の事業用地として、大型企業に高値で売れることをあらかじめ知っていた。その情報を持ったまま松原に近づき、200万で買い取り、翌日に2500万で売り抜けた。差額は2300万円だった。あのいつも疲れた顔。妻の愚痴を話す時の沈んだ声。急かすつもりはないと言った時の穏やかな声音。何年もの間、同じ夜勤に入って隣で愚痴を聞いてきた。ローンが辛い。子供に金を取られる。妻に頭が上がらない。こういう話を聞きながら、松原は内心で自分の生き方を肯定してきた。その男が、自分が一番追い詰められた瞬間に動いていた。偶然ではなかった。母の入院を知っていた。松原が金銭的に困っていることは、態度や食事の変化から見て取れたはずだった。そのタイミングを図って、土地の話を持ち出した。悪意と打算の区別は、結果から見れば意味がなかった。どちらにせよ、踏み台にされた事実は変わらない。
翌朝、松原は塚本が1人でいる時間を見計らって声をかけた。2人で地下の駐車場に降りた。人が来ない場所だった。松原は紙を広げて塚本の目の前に持った。2500万円の数字が、薄暗い光の中でもはっきり読み取れた。塚本の表情が動いた。驚いたというよりは、見つかったという顔だった。一瞬だけそういう顔をして、それからすぐに別の表情に切り替わった。口元が緩んだ。笑いだった。長ではなく、負傷に近かった。罰が悪そうな笑いだった。なんだ、見つけたのか、と塚本は言った。声に悪びれた様子はなかった。こういう話はどこにでもある。情報を持っている人間が得をする。それだけのことだ。お前が知らなかっただけで、俺が悪いわけじゃない。契約は正当にやった。200万は払った。合法だ。
松原の中で何かが引き絞られていくような感覚があった。横に並んだコンクリートの柱の1本に、左手の甲が触れた。塚本の体格は松原より一回り小さかった。この距離なら1秒以内に動ける。だが松原は動かなかった。頭の中で計算が走った。この場で手を出せば、職場での暴力として即解雇になる。場合によっては傷害罪で警察に引き渡される。そうなれば今夜の夜勤の給料が消える。来月の給料が消える。母の入院費を払う手段が消える。体が止まった。松原はゆっくりと腕を下ろした。紙を折り直してポケットに入れた。何も言わずに背を向けた。背後で塚本が何か言った気がしたが、聞き取らなかった。聞き取るつもりもなかった。エレベーターに乗って防災センターに戻った。記録簿を開いた。時刻を書いた。ペンを持つ手が少しだけ震えていた。その震えが収まるまで、松原は書くのをやめて待った。
それから1週間が過ぎた。松原の生活は見た目には変わらなかった。ある夜の巡回中、2階の通路を歩いていると、おもちゃ屋の裏側の作業室から光が漏れていた。この時間に明かりがつくことはなかった。小窓を覗くと、店主の織田桐親也がいた。在庫整理をしていた。店を閉めるなら在庫を処分しなければならない。経営が厳しく、来月更新のタイミングで契約を続けるかどうか判断しなければならないと言った。息子のレンはどうしているのかと松原は聞いた。自分でもなぜその名前を出したのかわからなかった。今夜は近くの知り合いに預けていると織田桐は言った。それから、あの子、松原さんのこと覚えてますよ。車の話をよくします、と言った。松原は何も言わなかった。その代わりに、手伝おうかと言った。1時間ほど、2人で在庫のダンボールを積んだ。会話はほとんどなかった。作業が一段落した時、織田桐がペットボトルのお茶を差し出した。知り合いに運送会社をやっている人がいて、そこで警備の責任者を探しているという話を聞いた。年齢不問、優遇だと。松原さんみたいな人が向いてると思う。もし興味があれば話をつないでもいいか、と。今の給与より上がるのかと松原は聞いた。詳しくは分からないけど、今より条件はいいと思う。正社員での雇用で、給与は交渉次第だが、現場責任者なら月20万以上は出るはずだと聞いている、と。松原の頭の中で計算が動いた。月20万あれば、母の入院費を払いながら自分の生活費も賄える。赤字にならずに済む。わかったと松原は言った。話を聞かせてもらえるなら、聞かせてほしい。
だが翌朝、施設の所長から緊急の全体招集がかかった。施設の運営会社が先週、外資系のファンドに買収されたこと。新しい運営方針として、施設を閉鎖して土地を再開発することが決まったこと。閉鎖は3日後であること。松原は静かに座っていた。次の給料日まで2週間ある。3日後から収入がなくなる。貯金は今ほとんどない。母の来月の入院費をどこから払うか。会議が終わって、松原はスマートフォンを出して織田桐に連絡した。既読がついた。しばらくして返信が来た。実は自分にも大家さん側から連絡があって、3日後に退去しなければならないことが分かった。運送会社の知り合いには連絡を取ろうとしたが、番号が変わっていて繋がらない。少し時間をくれと書いてあった。翌日、織田桐からメッセージが来た。知り合いと連絡が取れた。ただ状況が変わっていて、その会社自体が資金繰りに詰まっていて、採用を一時凍結したという話だった。申し訳ないと書いてあった。
3日後、施設は予告通りに閉まった。松原はバスに乗って駅に向かった。駅のベンチに座って、スマートフォンで求人サイトを開いた。警備員、埼玉、年齢不問、と入力した。件数はあった。だが内容を読んでいくと、深夜の単発派遣、日払い、交通誘導員といったものが多かった。正社員での募集は少なく、あっても60歳以下という条件がついていた。その日の夕方、織田桐から電話が来た。声が低かった。実は今夜、店の撤去作業の後、レンを連れて一度青森の実家に戻ることにした、と言った。レンが、松原さんによろしくって言ってます、とも言った。松原は、分かったと答えた。気をつけろと言った。電話が切れた。
失業してから最初の1週間は、求人票を読むことで終わった。65歳という数字は、松原が思っていた以上に重かった。応募できそうなものには片端からエントリーした。返事が来たのは3件だった。1件は書類選考で不採用の通知。もう1件は、電話をしたら担当者が出て、年齢をもう一度確認させてくださいと言った後、少し間があって、今回の募集は少し若い方を想定しておりまして、と言って電話が終わった。3件目は面接に呼ばれた。担当者が言った。ご経験は申し分ないんですが、弊社の保険の関係で、66歳以上の方の正社員採用が少し難しい状況でして。ただ、単発の日雇いであれば、随時お仕事をご紹介できる可能性があります。日払いで、交通誘導が中心になりますが。松原は、分かりましたと言って立ち上がった。翌日から、松原は日雇いの登録をした会社に連絡を取り、仕事が入るたびに出かけた。月に換算すると12万円前後になる計算だった。母の入院費に毎月振り込んでいる金額と、ネットカフェの滞在費と食費を合わせると、ほぼ収支がトントンだった。貯金はできない。余裕はない。だが、今月は何とか回った。
2週間後、アパートの更新の時期が来た。更新料を払えば、手元に残るのはわずかだった。母の入院費に当てるつもりだった分が消える。翌日、松原は不動産会社に電話した。契約を更新しない旨を伝えた。退去まで1ヶ月だった。新しい部屋を探したが、家賃3万円台の物件は見つからなかった。さらに問題があった。今、定職がない。家賃保証会社の審査が通らない可能性が高いと、不動産屋に正直に言われた。新しい部屋が見つかるまでの一時的な住まいとして、ネットカフェという選択肢があった。退去の日、松原は荷物をダンボール3箱にまとめた。衣類、工具、書類、母の写真が1枚。それだけだった。トランクルームにダンボールを預けて、その日の夕方からネットカフェに入った。ブースの棚の上に骨壺を置いた。置く場所がそこしかなかった。その夜は眠れなかった。ただ横になっていた。翌朝、顔を洗い、コンビニでパンを1個買い、ネットカフェのドリンクバーでコーヒーを一杯飲んだ。コーヒーはドリップではなく機械で出てくるものだったが、飲んだ。
ある夜、ネットカフェのブースで横になっていると、隣の席の人間がパソコンを使っているのが、薄い仕切りの隙間から見えた。モニターの光が白く漏れていた。次の瞬間、目が止まった。仕切りの隙間から見える画面に、見覚えのある顔が映っていた。写真だった。スキー場の写真だった。雪山を背景に数人が笑顔で並んでいる写真。その中の1人の顔、松原は知っていた。俊助だった。北海道のスキーリゾートらしい場所の写真が何枚も上がっていた。俊助と女性と子供が1人映っていた。再婚したという話は聞いていなかったが、見た感じ家族3人だった。コメント欄には知らない名前が並んで、「楽しそうでいいね」「また行こう」と書いてあった。松原はその画面を1分ほど見ていた。それから横になった。15年前に保証人として署名した債務が、遅延損害金をつけて自分の口座を空にした。俊助は自己破産の手続きで法的な責任を逃れ、今は新しい生活を送っている。それも事実だった。
翌朝、松原はトランクルームに行って、以前父の遺産整理の時に使った書類の中から、俊助の住所を確認した。東京都内のマンションの住所だった。その日の午後の仕事を終えてから、電車に乗った。目的地は渋谷区の住宅地だった。新しめのマンションだった。オートロックがついていた。エントランスの横にインターフォンの一覧があった。俊助の名前を探した。あった。松原はインターフォンを押さなかった。押した。応答がなかった。もう一度押した。まだ応答がなかった。松原はその場で待つことにした。1時間ほど経った頃、タクシーが止まった。スーツ姿の男が降りてきた。俊助だった。エントランスの手前で顔を上げて、松原と目があった。1秒の間があった。俊助の表情が変わった。驚きという感情よりも先に、別の何かが顔に出た。それは、まずい、という認識に近い顔だった。
俊助がエントランスに入ろうとした瞬間、松原は横から出てその腕を掴んだ。強くだが、引き倒すような力ではなかった。エントランスには入れさせず、外の壁際に誘導した。俊助は抵抗しようとしたが、松原の握力の方が圧倒的に強かった。話せと俊助が言った。松原は壁際に俊助を止めたまま声を下げて話した。母が倒れた。入院している。費用がかかる。お前が起こした件で、俺の金が全部消えた。俺は今、仕事もない。それだけのことだと言った。知らないと俊助は言った。俺は法的に変がついてる。お前に関係することじゃない。松原は少し間を置いて、それから言った。300万、用意してくれ。母の費用に当てると。俊助が目を細めた。何言ってるんだと言った。松原は俊助の顔を見た。昔から知っている顔だった。子供の頃、同じ家に住んでいた顔だった。今、その顔は、恐怖ではなく、計算していた。お前が隠している資産の話を、義父に伝えることもできると松原は言った。声は低く、感情の揺れを全部削ぎ落とした声だった。脱税の話、表に出していない取引の話、お前が自己破産の前に動かした金の話。俺が持っている書類の話をしてもいい。実際には、松原の手元にそれを証明できる書類があるわけではなかった。断片的に知っている事実と推測があるだけだった。だがそれを俊助は知らない。俊助の顔が動いた。壁際に抑えられたまま、数秒黙っていた。目が左右に動いた。分かったと俊助は言った。声が少し低くなっていた。松原は手を離した。俊助はスマートフォンを出して操作した。送金アプリを開いているようだった。しばらくして、松原のスマートフォンが振動した。300万円の入金通知だった。エレベーターに乗り込む直前、俊助が口を開いた。声は低く、しかし明瞭に、あのばあさんを抱えて、そのまま死んでいけ、と言った。扉が閉まった。松原はエントランスの前に1人で立っていた。スマートフォンの画面に300万円の数字があった。夜風が吹いた。
300万円が口座に入った翌朝、松原は病院に電話した。翌日、松原は青森に向かった。12月に入っていた。病院に着くと、まずソーシャルワーカーと面談した。母の状態はある程度安定しているが、自宅への退院は難しい。介護施設への入居を検討する段階に来ているという話だった。母の病室に行った。千代は起きていた。目が開いていた。松原が椅子を引いて横に座ると、千代の目が動いた。松原の顔の方向を向いた。焦点が定まるまでに少し時間がかかった。お母さんと松原は言った。小さな声だった。千代の唇が少し動いた。音にはならなかった。ただ、目が松原を見ていた。それは分かった。松原は母の右手を両手で包んだ。薄くなった皮膚の感触があった。骨が浮き出ていた。体温はあった。何も言わなかった。言葉を探したが見つからなかった。それでもいいと思った。ここにいるということが伝わればいい。それだけのことだった。1時間ほどいた。帰り際に、また来ると言った。
その翌月、松原は東京の清掃会社に登録した。日雇いの交通誘導の仕事は続けていたが、安定しなかった。清掃の仕事は体力的には重労働だが、需要が安定していた。深夜の商業施設や公共施設の清掃で、夜の10時から朝の6時が中心だった。最初の現場は新宿の地下街だった。夜中の2時の地下通路は静かだった。日中に何万人が歩いても、この時間帯には誰もいない。松原はモップを動かしながら、広い通路を1人で歩いた。体が動いている間は、別のことを考えなくて済む。やった分だけ床が綺麗になる。それだけのことだったが、今の松原にはその単純さがあっていた。
2月に入った頃、病院から電話があった。担当看護師が「今日の朝方、容態が少し変わりまして」と言った。声のトーンが違った。松原はその声のトーンで、何があったかをほぼ理解した。夜明け前に容態が急変し、処置を施したが、朝の6時過ぎに千代は亡くなった。眠ったままだったと看護師は言った。苦しんだ様子はなかったとも言った。松原は電話を持ったまま路上に立っていた。清掃の仕事が終わって施設を出た直後だった。朝の7時前で、空はまだ薄暗かった。分かりましたと言った。電話が終わった。松原はスマートフォンをポケットに入れた。路上に立ったまま空を見上げた。薄曇りの空だった。どこかで鳥が鳴いた。1度だけ鳴いて止んだ。松原は動かなかった。1分か2分か、その場に立っていた。それから歩き始めた。駅に向かった。
青森には翌日の朝に着いた。病院の霊安室で千代の顔を見た。目が閉じていた。顔は穏やかだった。ただ体温がなかった。松原はしばらく椅子に座って母の顔を見ていた。声が出なかった。泣くという感覚もなかった。ただ目が乾いていることに気づいた。何度も瞬きをした。それだけだった。手続きを全て自分で行った。葬儀社に連絡したが、家族葬の最低限のプランにした。費用を最小限に抑えた。参列者がいなかったという理由もあった。俊助には連絡しなかった。連絡する理由が見つからなかった。火葬の日、松原は1人だった。棺の前に立った。千代の顔が見えていた。白い布の上に顔だけが出ていた。何かを言おうとした。言葉が来なかった。代わりに右手を伸ばして、千代の頬に触れた。冷たかった。それでも触れた。何秒ほどそのままにした。それで十分だった。
帰りの新幹線は夕方の便だった。松原は骨壺を膝の上に置いて座っていた。布に包んであった。軽かった。人間1人がこんなに軽くなる。それが事実だった。東京に着いて、ネットカフェに戻った。ブースの棚の上に骨壺を置いた。置く場所がそこしかなかった。翌週、松原は実家の整理のために再び青森に行った。千代が1人で住んでいた家は、古い木造の平屋だった。鍵を開けて入ると、生活の匂いがした。押し入れの奥に古いダンボール箱があった。写真や書類が入っていた。松原の子供の頃の写真が何枚かあった。俊助が小さい頃の写真もあった。箱の一番下に、古い木の小箱があった。蓋を開けると、手紙や書類が数枚と、小さなノートが入っていた。ノートは表紙がすり切れていた。開いた。千代の字だった。細く震えた字だった。最初の数ページは日付と短い記録だった。病院に行ったという記録。天気の記録。松原から電話があったという記録。途中から文章が長くなっていた。俊助のことが書いてあった。あの子のやったことは、分かっていたと書いてあった。博に迷惑をかけたこと、申し訳ないと思っていたと。しかし直接言えなかった。俊助も自分の子供だった。どちらかを責めることができなかった。次のページに、博のことが書いてあった。博は昔から1人でいることを選んでいた。それが自由だと思っていたのか、それとも他に理由があったのかは分からなかった。ただ、お母さんには見えていた。博が1人を選んだのは、この家の重さを背負うためだったんじゃないかと書いてあった。お父さんのこと、俊助のこと、お金のこと。博はいつも1人でそれを引き受けていた。誰にも言わず、助けを求めず、ただ黙って続けていた。最後の下りに短い一文があった。誰かと一緒にご飯を食べなさい。それだけでいいから、と書いてあった。
松原はノートを閉じた。押し入れの前に座ったまま、しばらくそのままでいた。木造の古い家の中は静かだった。外を車が1台通り過ぎる音がして、また静かになった。松原の目が熱くなった。こらえようとした。こらえようとして、できなかった。音が出た。自分でも聞いたことのない種類の音だった。押し込んでいたものが形を変えて出てきた。しばらくの間、松原は古い家の押し入れの前で膝を抱えて声を出した。誰も聞いていなかった。外には誰もいなかった。それでも構わなかった。それが終わるまで続いた。終わった時、部屋の中は変わっていなかった。松原は袖で顔を拭いた。ノートを、ダンボールの中の残すものの方に入れた。
東京に戻った。3月になった。ある日の夕方、仕事に向かう前に公園のベンチで食事を取ることにした。コンビニで買った弁当だった。公園は住宅地の中にある小さなものだった。ベンチが3つ、砂場が1つ、小さな滑り台があった。松原はベンチに座って弁当の蓋を開けた。その時、足元に何かが転がってきた。プラスチックのボールだった。赤いボールで、表面が少しすり切れていた。松原はボールを見た。それから顔を上げた。公園の入り口の方から子供が走ってきた。見覚えのある走り方だった。腕を大きく振って、少し前のめりになる走り方。レンだった。大きくなっていた。半年ほどで、子供というのはこれほど変わるものかと松原は思った。レンは松原の前まで来て止まった。ボールを見て、松原の顔を見た。一瞬の間があった。レンが言った。あ、と言った。それだけだった。松原も、ああ、と言った。それからレンは後ろを振り返った。公園の入り口に、織田桐親也が立っていた。宅配の仕事をしているのか、少し薄汚れた作業着を着ていた。顔に疲れがあった。松原を見つけて目を細めた。織田桐がゆっくり歩いてきた。松原さん、と言った。2人は少しの間、互いの顔を見ていた。何ヶ月ぶりかの再会だった。その間に何があったか、どちらも相手に詳しくは言わなかった。言わなくても、顔を見れば大体のことは分かった。織田桐が言った。少し、いいですか。松原はベンチの端を示した。織田桐が座った。レンは砂場に行ってボールで遊び始めた。しばらく2人で黙っていた。織田桐が言った。今、宅配の仕事を通している。前の店は完全に畳んだ。レンの学校もこっちの方に転校させた。色々あったが、何とかやっている。松原さんは。松原は少し間を置いて、清掃の仕事を通している、と言った。夜中のだと、織田桐が頷いた。何も言わなかった。レンが砂場からこちらを見た。松原と目があった。レンは少し考えるような顔をして、砂場を出て松原のそばに来た。ポケットの中を探った。何かを取り出した。折り紙で折った鶴だった。小さかった。折り目が不揃いで、首の角度が少し歪んでいた。丁寧に折ろうとした痕跡はあるが、まだ上手ではなかった。レンは松原に差し出した。松原はそれを受け取った。なんで持ってたんだと松原は聞いた。レンは、ポケットに入ってた、と言った。それだけだった。織田桐が苦笑した。最近、折り紙にはまってて、と説明するように言った。松原は鶴を手の中に持って見た。小さかった。歪んでいた。翼の左右の長さが違った。それでも鶴の形をしていた。温もりが残っていた。
ベンチの3人は、しばらくそのままでいた。レンは砂場に戻ったり、ボールを蹴ったりしていた。空が暗くなり始めた。織田桐が、そろそろ行きます、と言って立ち上がった。レンを呼んだ。レンが走ってきた。レンが松原を見た。またね、と言った。松原は、ああ、と言った。2人が公園を出ていくのを、松原は見ていた。信号で止まった。青になって渡った。曲がり角を曲がって、見えなくなった。公園には松原1人が残った。手の中に、歪んだ折り鶴があった。松原はそれをしばらく見た。翼の左右の長さが違う。首が少し傾いている。折り目の1箇所が浮いている。どこから見ても完璧ではなかった。松原は弁当を食べ終えた。蓋を閉めてゴミ袋に入れた。立ち上がって、ベンチのそばのゴミ箱に捨てた。折り鶴はポケットに入れた。公園を出て、仕事に向かった。夜の街を歩きながら、松原は何かを考えているわけではなかった。ただ歩いていた。足元を見ながら、時々顔を上げて信号を確認した。ポケットの中に、小さな折り鶴があった。それだけのことだった。それだけのことが、今夜の松原には、今持っているものの全てだった。



