「役に立たないお前のことは、これからいないものとして扱う」――優しかった夫が、理由も分からず突然そう言い放った。専業主婦の私には逃げ場も収入もない。それから一年間、夫はもちろん、義母までもが私を無視し続けた。会話もなければ、生活費すらもらえない。孤独と屈辱の日々の中、私はある「嘘」がこの仕打ちの原因だと知ってしまう。そして、誰も私を助けてくれないと悟った時、私は静かに決意した。「出ていきます…

「役に立たないお前のことは、これからいないものとして扱う」――優しかった夫が、理由も分からず突然そう言い放った。専業主婦の私には逃げ場も収入もない。それから一年間、夫はもちろん、義母までもが私を無視し続けた。会話もなければ、生活費すらもらえない。孤独と屈辱の日々の中、私はある「嘘」がこの仕打ちの原因だと知ってしまう。そして、誰も私を助けてくれないと悟った時、私は静かに決意した。「出ていきます...

「役に立たないお前のことは、これからいないものとして扱う」

夫の大輔は、宣言通り私を無視し始めた。おはようと声をかけても無視。言ってらっしゃいと見送っても無視。夕飯を出しても「いただきます」も言わず、黙って食べる。

私はこの家に存在しないかのように扱われた。同居している義母も同じだった。同じ空間にいるのに、私のことなど見えていないかのような態度。話しかけても何も答えてくれない。

義母と夫が楽しそうに話しながら夕飯を食べている間、私は一人、台所に立ったままご飯を食べる生活。リビングから響いてくる笑い声が、まるで私を嘲笑っているかのようで、涙が出るほど惨めだった。

そんな生活が一年続いたある日、夫は言った。

「一年前にも言ったよな。文句があるなら出ていけって。まあ、専業主婦のお前が出ていっても、どうにもならないだろうけどな」

勝ち誇ったような笑い声をあげる夫。

私はこの瞬間を待っていた。この一年、ずっと。

私の名前は半田直子。今年で三十四歳になる専業主婦だ。夫の大輔とは三年ほど前、友人の紹介で出会った。

大学を卒業してから、私はずっと仕事一筋だった。かっこいいなと思う男性もいないではなかったが、交際には至らず、とにかく職場と自宅を往復するだけの生活を何年も送っていた。私は仕事が好きだったので、その生活が苦ではなかった。

しかし、そんな状況を哀れに思ったのか、友人が「気分転換に一度だけでも会ってみない?」と引き合わせてくれたのが大輔だった。

実際に会ってみると、彼は有名大学の出身で、勤めているところも名の知れた大企業。普通のOLだった私とは住む世界が違うなと思わされることが何度もあった。友人から聞いた話では人望も厚く、多くの女性から言い寄られていたらしい。

しかし、なぜか大輔の方が私を気に入ってくれたようで、何度目かのデートの時に交際を申し込まれた。私も大輔に惹かれるところがあったので、その申し出を了承した。

それからはあれよあれよという間に結婚の話が進み、交際を始めてから一年後には両家の顔合わせまで済んでいた。

大輔には父親がいない。彼が幼い頃に両親が離婚し、父親は出ていったらしい。だから大輔は自分の母親をとても大事に思っているようで、結婚後は義実家で同居することを強く望んでいた。

正直言うと、義実家での同居には抵抗があった。お母さんは悪い人ではなさそうだが、やはり赤の他人と暮らすのは気を遣う。それに義実家は私の勤務先から遠く、通勤には二時間以上かかってしまう。結婚しても仕事は続けたかったが、同居するとなると退職せざるを得ない。

私が決めかねていると、大輔は「絶対に直子を幸せにするから」と何度も強く宣言してくれた。

その言葉を信じてみよう。ようやく私は義実家での同居を決心したのだった。

入籍後、私は仕事をやめて義実家へ引っ越した。義母は笑顔で迎えてくれ、「直子さんを嫁にもらえて嬉しい。ありがとう」と何度も感謝の言葉を述べてくれた。

これならうまくやっていけるかもしれない。その時の私はすっかり安心していた。

仕事をやめ、私は家事やご近所付き合いに精を出す生活を送っていた。義母から家庭の味を習ったり、ご近所さんとお買い得なスーパーの話をしたりするのは、なんだか新鮮で楽しかった。

そんなある日、大輔がとても疲れた顔をして帰ってきた。いつも笑顔の大輔がそんな顔をしているのは珍しいことだったので、私は少し心配になった。

「おかえりなさい。どうかした? 今日は忙しかったの?」

大輔は「そうなんだよ」と大きなため息をついた。そして私の目をじっと見てこう言った。

「直子にお願いがあるんだ。こんなことを言うのはとても申し訳ないんだけど」

大輔は深刻そうな顔をしている。

「やだ、夫婦なんだから何でも言ってよ。私にできることなら何でもするわ」

私がそう答えると、大輔は少し笑顔になった。

「実は仕事を手伝ってほしいんだよ。新しいプロジェクトの責任者になったんだけど、細かい資料整理に手が回らなくて。インターネットで調べたことをまとめてくれたらそれでいいんだ。どうかな?」

なんだか拍子抜けしてしまった。深刻そうな顔をしていたので、もっととんでもないことを言われるかと思っていた。

「なんだ、そんなことでいいなら、もちろん手伝うわよ。この生活にも慣れてきて、そろそろ違うこともしてみたいと思ってたところなの」

その日から、私は時々家事の合間を縫って資料整理などの雑用を引き受けることにした。愛する夫の役に立てるのは純粋に嬉しいことだ。私が手を貸すことによって大輔が楽できていると思えば、何も苦にはならなかった。

そんな日々が続いて二ヶ月が経った頃、私は体の疲れを感じるようになってきた。家事の合間に大輔の仕事を手伝っていたのだが、その手伝いが負担になってきたのだ。

初めはインターネットを使って軽い調べ物をするくらいだったのに、今ではすべてのプレゼン資料を私が作るようになっていた。いくら何でも負担が大きい。手伝いの範囲をとっくに超えてしまっている。これでは家事をする時間もない。

そこで私は大輔にもう手伝うのをやめたいと申し出ることにした。

「ねえ、大輔。もう仕事を手伝うのはやめにしていい? さすがに家事をしながらプレゼン資料を用意するのは難しいわ。どうしてもってことなら、以前みたいに調べ物くらいは手伝うけど」

夫婦の寝室で、もう眠りにつくかという時、私は隣で寝転がる大輔にそう伝えた。

すると大輔はガバッと勢いよく上半身を起こした。それに驚いた私も体を起こす。大輔はじっと私を見つめたかと思うと、その顔は見る見るうちに険しくなっていった。

「今更そんなこと言うなよ。直子の手伝いありきでプロジェクトを進めているんだぞ。まあ、専業主婦の直子には分からないか」

嫌味にそう言う大輔に、私は呆気に取られた。今までニコニコと優しかった大輔がそんなことを言うなんて信じられなかった。

私が何も言えないでいると、大輔は大きなため息をついて続けた。

「わかった。それじゃあ、役に立たないお前のことはこれからいないものとして扱わせてもらう。文句があるなら出ていってくれていいからな」

大輔の言葉に、私は「え?」と声を漏らした。

「どういうこと? なんでそんな発想になるのよ」

やっとのことで反論したが、大輔は私を無視して布団の中に潜ってしまった。それからも体を揺らしたり、耳元で声をかけたりしたが、大輔は身じろぎ一つせずに眠ってしまった。

それから大輔は宣言通り私を無視し始めた。

そしてそれは義母も同じだった。そのうち大輔は義母とだけ食卓を囲むようになった。

二人が楽しそうに話しながら夕飯を食べている間、私は一人台所で立ちながらご飯を食べる生活。リビングから響いてくる笑い声が、まるで私を嘲笑っているかのようで、涙が出るほど惨めだった。

でも、これは私のせいでもあるのかもしれない。私がもう少し器用に家事と仕事の手伝いをこなしていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。それに、怒っているのは今だけで、時間が経てば大輔の態度も軟化するだろう。

そう思うと強く抗議することもはばかられ、結局は我慢するしかなかった。

あんな辛い日々が続き、ふと気がつくと、もうすぐ一年が経過するところだった。相変わらず大輔も義母も私を無視し続けていた。

大輔は私に生活費を渡してくれなくなったので、ここ最近は独身時代の貯金を切り崩して暮らしていた。それでは何のために結婚したのか分からない。

私は三人分の洗濯物を取り込みながら、今日何度目かのため息をついた。

そろそろ昼食でも食べようか。そう思った私は、ベランダのある二階から一階のリビングへ向かうため階段を降りた。

その時だった。私はうっかり階段を踏み外し、転げ落ちてしまった。

バターンと家中に大きな音が響いた。

「痛った」

私は強く打ったお尻をさすった。軽く確認した限りでは、骨折や大きな怪我はなさそうだ。しかし、お尻にはアザができそうだ。

私がなんとなく座り込んだままでいると、リビングの方からバタバタと慌てたような足音が聞こえてきた。

「直子さん、どうしたの? 大丈夫? 階段から落ちたのね。怪我はしてない?」

義母はそう言って私を助けてくれた。

約一年ぶりに義母と会話をしたことに感動してしまい、私はつい「お母さんの声、久しぶりに聞いた」とこぼしてしまった。

すると義母はポカンと口を開けて静止してしまった。

しまった。変なことを言ってしまった。そう思った私は取り繕うように明るい声で答えた。

「あ、えっと、怪我はしてないです。大丈夫です。ご心配おかけしてすみません。それにしてもお母さんと久しぶりに話せて嬉しいです。んちゃって」

暗い雰囲気にしたくなかったので、冗談めかした感じでそう言うと、義母はなぜか眉を寄せて泣きそうな表情を浮かべた。そしてこう言った。

「私のことが嫌いなんじゃなかったの?」

言われていることの意味が分からなかった。

「え? 私がお母さんのこと嫌いになるわけないじゃないですか。どうしてそんなことを言うんです? もしかして今まで私のことを無視してたのは、それが理由ですか?」

義母は首を横に振ると、衝撃的な事実を話し始めた。

話は一年ほど前に遡る。大輔が私を無視し始めた頃、大輔は義母に「直子は本当は母さんのことが嫌いだから、これからは話さない方がいい」と吹き込んでいたらしい。

どうやら私が大輔の言う通りにしなかったことが、よっぽど気に入らなかったようだ。私をこらしめるため、あるいは私を支配するために、家庭内で孤立させようとしたのだろう。

まさか、あんなに優しくてみんなから慕われている大輔が、こんなひどいことをするなんて考えても見なかった。義母も優しい自分の息子が嘘をつくとは思っていなかったようで、私が義母を嫌っているということをすっかり信じてしまっていた。

「私はお母さんのこと好きですよ。お料理のレシピを惜しげもなく教えてくれたり、嫁である私を心よく受け入れてくれたりしたお母さんが好きです」

私がそう言うと、義母は口元を押さえ何度も頷いた。どうやら信じてくれたようだ。

「ごめんなさいね、直子さん。あなたにちゃんと確認しておけばよかった。今日、大輔が仕事から帰ってきたら問い詰めてやるわ」

義母は私に涙ながらに謝罪をし、大輔と話し合う場を作ると約束してくれた。その後、私と義母はそれまでの時間を埋めるようにたくさん話をした。ここ最近で一番楽しい時間だった。

そうしているうちに、大輔が仕事から帰ってきた。私と義母が仲良く話しているのを見て、一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに何事もなかったかのように冷蔵庫からビールを取り出した。

「大輔、ちょっとここに座りなさい。何の話をするか、もう分かってるわよね」

義母は静かにそう言った。大輔はビールを手にしたまま、無言でテーブルについた。

「大輔、もう直子さんに嫌がらせをするのはやめなさい。今ここで直子さんに謝りなさい」

義母がそう言うと、大輔はフンと鼻を鳴らした。

「はあ? 嫌がらせなんてしてねえよ。なんだ、証拠でもあるのか。ほら、早く証拠を出せよ」

大輔は勝ち誇ったようにまくし立てた。確かに客観的な証拠はない。無視されている様子を撮影していたわけでも、大輔が義母に嘘をついているところを録音したわけでもない。

私も義母もどう答えたものか考えていると、大輔はさらに続けた。

「直子がそんなに気に入らないのか? 一年前にも言ったよな。文句があるなら出ていけって。まあ、専業主婦のお前が出ていっても、どうにもならないだろうけどな」

大輔の言う通り、収入源のない私が出ていったところで、早々に生活できるようにはならないだろう。両親は健在だが、実家では妹夫婦が同居しているので私の居場所はない。

でも、もう限界だ。

「お世話になりました。一緒にいられない。分かりました。出ていきます」

「え、ちょっと直子さん、待って」

私は義母の制止を振り切って荷作りを始めた。当面必要になる洋服や洗面用具だけを集め、キャリーバッグに詰める。

「今までお世話になりました」

「勝手にしろよ。どうせすぐ戻ってくるだろうけどな」

私は大輔の捨て台詞を背中に受け、義実家を後にしたのだった。

それから一週間、私はターミナルの近くにあるビジネスホテルに宿泊していた。今後の生活のために色々とやることがあったので、忙しい日々を送っていた。

それも一段落し、ようやくゆっくりできるかと思った時、大輔からとてつもない勢いで電話がかかってきた。私はしばらくの間無視していたが、十回目くらいの着信が入った時にようやく応答することにした。

「あ、もしもし。大輔? 元気?」

「言うな。お前の仕業だろう」

鼓膜が破れるかと思うくらいの大声で大輔はそう叫んだ。あまりに煩かったので、私は耳からスマホを少し離した。

「仕業? 一体何のことを言ってるのかしら?」

「はがきだよ。はがき。俺がお前をいびってるとか、仕事を人に押し付けてるとか書いて会社に送ってきただろう。どういうつもりなんだよ」

「え? そんなことがあったの? 私は知らないけど。大変ね」

「嘘だ」

大輔の言う通り、はがきを送ったのは私だ。義実家を出た後、私は大輔が務める会社に大輔宛てのはがきを送っていた。

「半田大輔は人に仕事を押し付けている」
「半田大輔は妻をいびっている」
「半田大輔は嘘つき人間」

他にも色々と、赤い文字で大きく書き殴った。

はがきという特性上、書かれている内容は嫌でも目に入る。きっと大輔の手元に届くまでに、多くの人の目に触れたことだろう。いや、もしかしたら途中でいたずらだと判断されて処分されてしまったかもしれない。しかし、少なくとも数人の目には触れたはずだ。事実、大輔ははがきが送られてきたことを知っているのだから、大輔以外の人が見ているのは間違いない。

「ふざけるな。お前のせいで俺は謹慎処分になったんだぞ。エリートのこの俺が。事実確認ができるまでは自宅謹慎って。俺は使えない部下に仕事を振ってやっただけなのに。使えない嫁に存在価値を与えてやっただけなのに」

もう、朗らかで優しい大輔はいなかった。きっと頭を掻きむしりながら、鬼の形相をしていることだろう。

「そんなに言うなら、証拠があるんでしょうね。ほら、早く証拠を出しなさいよ。私がはがきを送ったっていう証拠」

つい先日、大輔から言われた言葉をそっくりそのまま返してやった。すると大輔の怒りは最高潮になり、声にならない声で叫び始めた。こうなればもう話し合いはできない。

「それじゃあ、切るわね」

私は一方的に電話を切ったのだった。

そして翌日、私は義実家を訪れた。大輔と今後のことについて話し合うためだ。会う約束はしていなかったが、日曜日なのできっと家にいるはずだ。

私は鍵で家に入った。義母の靴がない。買い物にでも行っているのだろうか。

玄関には義母の靴がない代わりに、見知らぬハイヒールが置いてある。

まさか、と思っていると、夫婦の寝室がある方から何やら物音が聞こえてくる。嫌な予感がした私は荷物を廊下に放り投げ、スマホで動画を撮りながら寝室に近づいた。

ガタガタという物音に紛れて、男女の声が聞こえてくる。

私は覚悟を決め、寝室の扉をバンと勢いよく開けた。

するとそこには、一糸まとわぬ姿の大輔と、見知らぬ女性がベッドに横たわっていた。

私に気づいた女は「ぎゃあっ」と短い悲鳴をあげた。続いて大輔も「うわ、直子!」と叫んだ。

私はなんだか妙に冷静になってきたので、無言で動画を回し続けることにした。一方で女は焦った様子でベッドに落ちている服を集め、上半身を隠す。

「もしかして奥さん? 嘘でしょ? 半年前に別れたって言ってたのに。私と結婚するって言ってたのに」

あの男は私に嫌がらせをしていた上に、浮気までしていたのか。どうせ私のことは都合のいい女くらいに思っていたのだろう。

「え? いや違うんだ。違うんだよ」

大輔がごもごもと口を動かしている。すると女は「もう別れる」と言い、さっさと服を着て出て行ってしまった。

流れる沈黙。私が「大輔」と呼びかけると、彼の肩がビクッと震えた。そしてベッドから飛び降り、私の前で土下座をし始めた。

なんとも情けない格好だ。

「な、何でもするから、その動画を拡散するのだけはやめてくれ」

大輔は必死に怯えているようだ。あの葉書作戦がよほど効いたのだろう。

「それなら自分の非を認めて、離婚してくれるわよね。だって今度は証拠もあるしね」

私がそう言うと、大輔は消え入りそうなほど小さな声で「はい」と言った。

それからしばらくして、私と大輔は正式に離婚した。もちろん慰謝料も請求し、一括で支払ってもらえることになった。

大輔は部下に仕事を押し付けていたことが上層部にバレて降格処分を受けた上、いびっていると噂の妻と離婚したことにより、社内評価はガタ落ち。外面を取り繕い、人目を人一倍気にしてきた大輔には耐えられなかったようで、結局自ら仕事をやめてしまったようだ。今では義実家で引きこもり生活中らしい。

義母は「直子さんに迷惑をかけたお詫びに」と、大輔と同居を続け、生活態度を監視し再教育することにしたみたいだ。義母が悪いわけではないので少し心苦しいが、ここはお言葉に甘えておこうと思う。

そして私はと言うと、なんと以前働いていた会社に戻ることができた。急に退職者が出たようで、それが偶然にも私が以前所属していた部署だったのである。

なんだか振り出しに戻ってしまった感じは否めないが、腐らずに真摯に人生と向き合っていこう。私はそう決心した。

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