膝が震えた。体が動かない。その時だった。
「現場を見ろ。」
低い声が横から飛んできた。真のある声だった。鈴木がいつの間にか俺の隣に立っていた。
「先生、あんたは医者だ。患者を見ろ。日は俺たちが見る。」
この一言で視界の商店がぐっと戻った。煙の方を見ると黒先がすに動いていた。
俺の名前は佐藤たる。44歳。肩書きは内花ということになっているが、本当は救命だ。正確には救命だった男と言うべきかもしれない。
各位のポケットから古い長心機を取り出す。これは最後に立った現場で使っていたものだ。あの夜からもう7年になる。冬の住宅街でガス爆発があった。俺は現場式の意思として最初に飛び込んだ救急救名士に奥まで行けと告げた。判断は一瞬だった。その一瞬で20代半ばの若い隊員が2度目の爆発に巻き込まれた。焦げた匂いと彼の母親が病院の廊下で崩れ落ちた姿は今も夢に出てくる。
葬儀の後、俺は前線を知り添えた。誰にも責められなかったことが帰って俺を縛った。看護師の声で俺は我に帰る。
「おお願いしますね。お疲れ様でした。」
「ああ、ご苦労さん。気をつけて帰ってくれ。」
新療所の外に出ると商店街に夏祭りの調鎮が並び始めていた。
その翌習の日曜、俺は河線式にいた。鈴木という男性に強引に連れ出されたのだ。っかけは2週間の診察室だった。鈴木は診察が終わるなり、机に分厚い名簿を置いた。
「先生、町のサポーター隊ってのに顔だけ出してくれませんか?」
「サポーター隊ですか?」
「ええ、地域防災の自主組織です。年寄りばっかりで医者がいないんですよ。」
俺はやん割り断ったつもりだった。
「先生、ご経験があるって聞いてますんでね。見学でも結構ですから。」
元消防師だという鈴木の目は鋭かった。若い頃の俺が現場で見てきた班長たちの目だ。俺は結局首を縦に振っていた。気休めの活動だろうと思いながら。
河川式のテントの下に10数人が集まっていた。ほとんどが60を過ぎている。正直、訓練というより町内会の異老会のような光景だ。俺はパイプイスの橋に腰下ろし、腕を組んだ。
ところが笛が鳴った瞬間、空気が変わった。倒れた人形に最初に駆け寄ったのは小柄な女性だった。志村子、70歳、元看護師。彼女は人形の首筋に2本の指を当て、顎を上げ、同秒で声を出した。
「黒タグ1名、赤タグ2名。緑は自力で歩けます。赤の1名から処置に入ってください。」
迷いがない。俺が現役だった頃に組んでいたベテラン看護師と同じ呼吸だった。その横で痩せた男が低い声を出す。黒崎涼、60歳、元自衛官。
「同線。こちらに変更。矢馬を20m下げる。単価の同線を確保しろ。」
科目な男だと聞いていたが、現場では別だった。無駄のない指示が人の流れを綺麗に作っていく。俺は組んでいた腕をいつの間にかほいていた。
訓練が終わると鈴木が水筒を差し出した。
「どうでした、先生? じじバの遊びに見えますかね?」
「いえ、正直驚きました。志村さんの鳥味は現役と装飾がありません。」
「あの人は40年やってきましたから、手は覚えてるんですよ。」
「黒崎さんも現場の空気の作り方が違いますね。」
鈴木は笑って河川式の草を踏んだ。
「年を取るってのはね、先生、衰えるばっかりじゃないんですよ。」
その言葉がなぜか胸の奥に残った。俺はずっと自分のことをもう使えなくなった人間だと思って生きてきた。7年で錆びついたと決めつけていた。
訓練の後、サポーター隊の集まりは商店街の和菓屋の2階で行われた。畳の部屋にお茶とモナカが並ぶ。奥から若い女性が本を運んできた。高梨、35歳。和菓や高梨屋の1人でサポーター隊のまとめ役だと紹介された。
「先生、今日は来てくださって本当にありがとうございます。」
「いえ、見学のつもりだったんですが、勉強になりました。」
「鈴木さんがずっと先生をお誘いしたいと言っていたんです。」
声が穏やかで押し付けがましさがない。俺は湯のみを置いて軽く頭を下げた。
会議の議題は来月の夏祭りのことだった。町内会長の山根浩司が屋台の配地図を広げて額体の汗を脱ぐ。
「今年は人手が戻りそうですし、屋台も去年より10件増えます。」
「ガス使う店はどこに集まりますか?」
「南側の一角に5件ほど。」
「9ブースは北寄りに置きましょう。風と逃げる方向を考えて。同線は2本確保したい。神社側と駅側。」
俺は黙って聞いていた。聞きながら頭の中では無意識に最悪のシナリオを組み立てていた。ガス漏れ、店頭、熱中症、雑頭事故。昔の癖だ。やめようと思っても止まらない。ふと視線を感じて顔をあげる。マリがこちらを見ていた。目が合うと彼女は少しだけ笑った。
「先生、何か気になることがあれば、遠慮なく言ってくださいね。」
「いや、皆さんがしっかり考えていらっしゃるので、私の方こそ勉強させてもらっています。」
「そんな風に言わないでください。」
声が少しだけ強くなった。
「先生がいてくださると安心できるんです。商店街のみんなも多分同じです。」
真っすぐな言葉だった。俺はとっさに何と返せばいいかわからなかった。
「買いかぶりですよ。私はただの町医者ですから。」
「いえ、先生は立派なお医者様です。」
短くはっきり言い切られた。7年前、あの母親の前で俺は安心を提供できなかった。それなのに目の前の女性は何の疑いもなく俺をお医者様と呼ぶ。
帰り道、商店街のアーケードはもう暗くなっていた。俺は立ち止まって1つの超沈を見上げた。7年止めてきた時計が針の先で小さく震えた気がした。
夏祭りの当日は朝から雲1つなかった。競合を過ぎる頃には商店街のアーケードは人手で埋まり、太鼓の音と笑い声が混じり合って空に抜けていく。俺は急ゴブースのテントの下で白の代わりに薄いポロシャツを着て立っていた。腕にはサポーター帯の証笑が巻かれている。机の上にはAED、止血パッド、点敵セット、簡易の起動確保キット。志村が前日に並べ直してくれたものだ。
ボランティアの長谷川蒼太が麦茶のペットボトルを差し出してきた。
「先生、こまめに水分取ってくださいって志村さんが。」
「ああ、すまんな。君も無理はするな。倒れる側に回るなよ。」
「はい、今日勉強させてもらいます。」
19歳の大学生は医者を心志しているという。俺が現場に立っていた頃の同僚の顔がふっと重なる。焦げた匂いと一緒に思い出しかけて、俺は首を小さく振った。ブースの前を浴衣の親子連れが通りすぎていく。南側の屋体以外からはソースとガスの匂いが流れてきた。鼻の奥でそれが妙に強く感じられる。
俺はもう一度配置地図を確認した。ガスを使う屋台は南に5件。消化器の位置は12箇所。避難は神社側と駅側の2本。頭の中で何度も半数したはずの数字だ。それなのに心拍がつもより少しだけ早い。
マリがブースの脇からひょいと顔を出した。菓し屋の葉を羽織って髪を1つにまとめている。
「先生、おはどうですか? 暑さ大丈夫ですか?」
「ええ、こちらは問題ありません。高さんこそ走り回っているでしょう。」
「平気です。先生がいてくださるので私たちも落ち着いて動けます。」
短く笑って彼女はまた人混みに戻っていった。
午後3時を過ぎた頃だった。南側の方角で空気を殴るような音が響いた。ドンと腹に来る低い音。一瞬世界が止まる。次の瞬間、悲鳴がなだれのように押し寄せてきた。人の波がこちらに向かって走ってくる。誰かが転び、誰かが子供を抱え、誰かが叫んでいた。俺の足はその場で固まっていた。
南の空に黒い煙が立ち上がっている。匂いだ。焦げた油とガスと髪の毛が焼ける匂い。7年前のあの夜と同じ匂い。若い救名士が最後に「行きます」と言った時のあの匂いだ。
膝が震えた。机に手をついていなければ多分崩れていた。頭では走り出さなければと分かっている。体が動かない。俺は救命だった男。ここで動けなければもう一度誰かを失う。分かっていて足が地面に縫いつけられていた。
その時だった。
「現場を見ろ。」
低い声が横から飛んできた。真のある声だった。鈴木がいつしか俺の隣に立っていた。鈴木の目はまっすぐ煙の方を見ている。
「先生、あんたは医者だ。患者を見ろ。日は俺たちが見る。」
その一言で視界の商店がぐっと戻った。煙の方を見ると黒先がすに動いていた。人の流れに両手を広げ、低い声で同線を切り替えている。
「神社側へ抜けろ。走るな。押すな。子供を先に通せ。」
矢馬が1人もいない。元自衛官の声に軍衆が素直に従っていた。志村はもう負傷者のそばにしゃがんでいた。
「赤、木、緑、黒。」
小さな声でつぶやきながら肩の布に色テープを貼っていく。迷いがない。河川式の訓練で見たあの手がここでも動いていた。
マリは子供を抱えた母親に肩を貸し、ブースの裏に誘導していた。反対の手で蒼太に指示を出している。
「蒼太君、単価をもう1本、志村さんの横に置いて。動かないで、指示を待って。」
「はい、分かりました。」
19歳が震えながらもちゃんと返事をしていた。
俺は深く息を吸った。の奥まで焦げた空気が入ってくる。それでもう足は震えていなかった。
「鈴木さん、勝者は南の1番奥、たこ焼きの屋台の手だ。志村さんが赤を張った。」
「分かりました。行きます。」
人をかき分けて南へ走る。アスファルトが熱を持っていた。焦げた木の破片を踏みながら屋台の残骸の脇までたどり着く。40代くらいの男が横向きに倒れていた。顔の右半分にひどい火傷。口の中からヒューヒューと嫌な音が漏れている。軌動熱勝。このままだと数分で喉が晴れて息ができなくなる。起動確保最優先だ。
「志し村さん。」
「きっと開けてあります。先生、こちらへ。」
声をかけるより早く彼女の手が器具を差し出していた。チューブ、頭鏡、固定用のテープ。頭で考える前に目の前に並んでいる。俺の手が動くより半呼吸だけ早い。
黒崎が俺たちの周りに半径3mの空間を作っていた。両腕を広げ、低い声で人を下げさせている。
「ここから先、入るな。意思の処置中だ。」
余計な言葉を一切使わない。それで誰もが従う。俺は片膝をついて男の顎を持ち上げた。航空内すすで黒い。ためらえば間に合わない。そう思ったその時だった。
ふと、右の腕を強く握られた。振り返るとマリがいた。息を切らしてしゃがみ込み、俺の袖を両手で握っている。化粧が崩れて方にがついていた。それでも目は真っすぐだった。
「先生、お願いします。」
それだけだった。泣いてもいいない、叫んでもいいない。「お願いします」とだけ言って彼女は俺の腕をもう一度握り直した。握られた腕が温かかった。人の手の温かさを感じたのは久しぶりだった。
俺は小さく頷いた。
「お預かりします。下がっていてください。」
マリの手がゆっくり離れる。俺は陰頭教を構え、男の口の中に明りを入れた。晴れ始めているが、まだ通る。
「部7. 5です。固定する。」
「はい、了解です。」
声が自分でも驚くほど落ち着いていた。7年錆びついていたはずの手がちゃんと動いている。指の先が覚えていた。横にいる志村の手、後ろにいる黒崎の声。遠くで人を逃し鈴木の背中。全部が俺の手を後ろから支えていた。
数十秒後、男の胸がゆっくり上下し始めた。ヒューヒューという音が止まる。喉の奥に空気の通り道ができた。蒼太が横で小さく息を飲むのが分かった。
「入りましたね。」
「あ、入った。」
「よく見ていろ。これが現場だ。」
遠くでサイレンの音が近づいてきていた。俺は男の脈をもう一度確かめてようやく顔をあげる。煙の向こうにマリが立っていた。目が合うと彼女はほんの少しだけ笑った。
救急車のサイレンが商店街の南口で止まった。救急隊員が2人、単価を抱えて駆け寄ってきた。俺は完潔に状況を伝える。
「40代男性、起動熱勝、チューブ7. 5、固定済み。バイタル、脈110。血圧は食進で取れています。お預かりします。」
「先生、ありがとうございました。」
俺は隊員に頷き返してようやく腰を上げた。南側の屋台以外は消化が終わっていた。焦げた骨組が2、3本、黒い影のように残っている。炎は思ったより早く収まったらしい。鈴木が消防団の若い男と話しているのが見えた。消化線の場所とガスの元線の位置を指で示しながら説明している。
志村は継承者の列の前にいた。蒼太が横で包帯を切り、消毒液を渡している。
「蒼太君、その方は次。先にこちらの奥様、足首を見てちょうだい。」
「はい、すぐにやります。」
俺はその様子をしばらく黙ってみていた。黒崎はまだ同線を守っていた。人の流れがすっかり落ち着いても彼は持ち場を離れない。俺は近づいて声をかけた。
「黒崎さん、もう大丈夫です。少し休んでください。」
「で、現場は最後の1人が下がるまでが現場です。」
「そうでしたね。失礼しました。」
「気にしないでください。あなたの処置見ていました。いい手でした。」
短くそれだけ言って彼はまた前を向いた。胸の奥がわずかに熱くなった。
幸い犠牲者は1人も出なかった。重傷はたこ焼き屋の天手1人。中東が3人。継承が10数人。
山根町内会長が汗だでこちらへかけてきた。
「先生、本当に本当にありがとうございました。祭りは中止にします。皆さんに頭を下げて回ります。」
「会長、頭を下げるのは私たちの方かもしれません。来年またやりましょう。」
「来年。え、来年、必ず。」
声を詰まらせて彼は何度も頷いた。
中止のアナウンスが商店街のスピーカーから流れ始める。お林しのテープが止まり、代わりに子供を呼ぶ親の声があちこちで聞こえた。
夕方、サポーター隊の綿々が和菓屋の店先に集まった。マリが人数分の冷たい麦茶を盆に乗せて運んでくる。シャッターを半分下ろした店の前で、それぞれが椅子や踏み台に腰を下ろし、ぐったりと息を吐いた。
鈴木が麦茶を一気に飲み干して口をぐった。
「先生、いい仕事でしたな。」
「いえ、私は皆さんに動かしてもらっただけです。あの時声をかけてもらわなければ、私は立っていただけでした。」
正直に言った。ごまかす気にはなれなかった。鈴木はゆっくり笑った。
「先生ね、現場ってのは1人で背負うもんじゃないんですよ。俺たちはね、何十年もそれをやってきたんです。誰かが固まれば誰かが声をかける。誰かが倒れば誰かが変わる。それだけのことをずっとずっと繰り返してきただけです。」
低い穏やかな声だった。深く胸に届いた。俺はコップを握ったまましばらく言葉が出なかった。
志村が隣で静かに頷く。
「先生のお手、綺麗でしたよ。7.

5を入れる時、迷いがなかった。」
「迷っていなかったのは、横に志村さんがいたからです。器具が考える前に出てきました。」
「あら、それは40年やっていれば誰でもできることですよ。」
そう言って彼女は少しだけ照れたように笑った。その笑顔がふと少女のように見えた。
黒崎は麦茶に口をつけてぽつりと言った。
「次に備えるだけです。」
「次ですか?」
「今日のことを紙に書き残します。同線、ガスの位置、人の流れ。次の誰かが同じ場面で困らないように。」
それだけ言って彼はまた黙った。俺はその横顔を見ていた。科目な男の言葉は短いほど思い。経験とは衰えではないのだと、ようやく分かった気がした。
若い頃の俺は、年を取ることが力が減っていくことだと思っていた。体力が落ち、判断が鈍り、現場から知りく日が来る。だが目の前の3人は、40年、50年と現場で見たもの、失ったもの、救えたものを全部自分の中に積み上げてきた。積み上げた厚みが今日、俺の背中を押した。
俺は自分の7年を初めて無駄ではないと思えた。止めていた7年も、多分何かの厚みになっている。そう信じたいと思った。
蒼太がおずおずと手をあげた。
「あの、僕、医者を目指しています。今日見ていて、もっとちゃんと勉強しようって思いました。」
「お、目指せ、目指せ。そんでいつかこの町に戻ってこい。」
「はい、戻ります。」
笑い声が店先に広がった。俺もようやく笑うことができた。
夜になって片付けが終わる頃には、商店街はすっかり静かになっていた。俺は最後のダンボールを軽トラの2台に積み終えて、額体の汗をぐった。マリが店の前のベンチに腰を下ろしていた。葉は脱いで白いブラウスに戻っている。俺は近づいて、少し離れて腰を下ろす。
「先生。」
「はい。」
「今日のあなたは逃げませんでしたね。」
俺はすぐには返事ができなかった。横顔が街灯の光で半分だけ照らされている。
「私、知ってたんです。先生が7年前、現場のことで何かを抱えていらっしゃるって。鈴木さんから少しだけ伺っていました。」
「そうでしたか。」
「だからお誘いするのをずっと迷っていました。無理に引っ張り出していいのかなって。」
俺はベンチの板の上で手のひらを軽く握った。
「迷ったまま、それでも声をかけてくれてよかったです。今日、私はもう一度医者でいてもいい気がしました。」
俺はゆっくり空を見上げた。雲が切れて星が2つ、3つ見えている。止まっていた時計の針が、確かに進み始めた音がした。
ヒーローという言葉がふと頭をよぎる。若い頃の俺はそれを1人で立つ人間のことだと思っていた。強い人間が孤独に背負うものだと信じていた。違っていた。支えてくれる手があって、横に並んでくれる目があって、後ろから声をかけてくれる背中がある。その時に人は何度でも立ち上がれる。今日、俺はそのことを教わった。教えてくれたのは、元消防師、元看護師、元自衛官、19の学生、そして和菓屋の娘だった。
マリが立ち上がった。
「先生、来年の夏祭りもよろしくお願いしますね。」
「ええ、来年もよろしくお願いします。」
短く頷き合って、彼女は店の中へ消えていった。俺はもう少しだけベンチに座っていた。止まっていた時間はもう動き出している。ゆっくりでいい。


