深夜1時を回ったオフィスビルの非常階段の踊り場。私はまだ乾いた段に座り込み、膝を抱えて泣いていた。
「足元、まだ濡れてますよ。転びますよ。」
声の下方を見ると、灰色の作業着を着た男性が立っていた。手にはモップ。足元には黄色い縦札に「足元注意」の文字。
男性は私を見下すでもなく、せかすでもなかった。ただポケットから缶を一つ取り出した。自動販売機のおしるこだった。
「これ、当たったやつなんで。よかったら。」
そう言って、私の隣の段にそっと置くと、その人はカートと縦札を持って下の階へ降りていった。
私はその缶を両手で包んだまま、しばらく動けなかった。知らない人に泣いているところを見られたのに、なぜか恥ずかしくなかった。
後で分かったことだけど、おしるこに当たりなんて出ない。あの缶は、あの人が自分のために買ったものだった。
この夜に出会った人が、私の人生を丸ごと返すことになるなんて。この時の私は、まだ知らなかった。
私の名前は綾瀬しおり。31歳。豊瀬文具で経理をしている。
月末になると伝票の山に埋れて、合わない1円を探して夜中まで残っている。
給料は手取りで20万円。家賃6万8000円のアパートに住み、洋服はセールでしか買わない。
それでも自分の給料で暮らしが回っていることを、少しだけ誇りに思っていた。
父は私が15歳の時に亡くなった。46歳だった。路線バスの運転手で、真金高速だった。
母は今も私に「結婚するなら安定した人にしなさい」と言う。
父は出勤前の時間に、必ず玄関で制服の靴を磨いていた。
「その靴、誰も見ないよ」と私が言うと、父は笑って言った。
「お客さんは運転手の顔なんか覚えちゃいないよ。それでいいんだ。無事に降りてくれればそれでいい。」
その時の私には、その言葉の意味がよく分からなかった。
父が亡くなった後、母はスーパーのパートを増やし、夜は内職をした。
大学へ行かせてやれなくてごめんね、と母は言った。私は行きたくないと言った。本当は行きたかった。
専門学校で簿記を取って私は今の会社に入った。数字は嘘をつかないから楽だった。
父の残したもので、私が今も持っているものが一つだけある。腕時計だ。灰色の文字盤の安い時計で、ガラスには小さな傷がある。
父が22年間ずっと左手にはめていたものだ。母が「これはあんたが持ちなさい」と言った。
私はそれを箱に入れて引き出しの奥にしまっている。つけては歩けない。男物で大きいし、もう随分前に止まっている。それでも捨てられない。
27歳の時、一度だけ結婚を考えたことがある。取引先の営業の人だった。
その人は私の給料を聞いて、「それでよく生きていけるね」と笑った。悪気はなかったのだと思う。ただ笑ったのだ。
私はその日からその人と話すのが辛くなった。半年で終わった。
それから私は、誰かと一緒になるということをあまり考えなくなった。
あの夜、非常階段で泣いていた理由は、実は大したことではなかった。
仕入れの伝票が一枚二重に起票されていて、残高が3万2000円合わなかった。それだけだ。
ただその前の日に課長から言われた一言が、ずっと胸に残っていた。
「綾瀬さんはさ、真面目なんだけど、もう少し容量よくやれないの?」
悪気のない人だ。それは分かっていた。分かっていても、深夜のビルで一人きりで電卓を叩いていると、自分のやっている仕事に何の意味があるのか分からなくなる。
誰も見ていない。誰も褒めない。合って当たり前で、合わなければ責められるだけの仕事。
そう思って泣いていた私に、あの人は声をかけた。
私はそれまで、そのビルの床が毎晩誰かの手で拭かれていることを、一度も考えたことがなかった。
当たり前になっているということは、誰かが完璧にやっているということなのに。
その次の週から、私はその人を意識するようになった。
うちの会社の清掃が入るのは平日の夜の10時過ぎ。私が残業していると、廊下の方からカートを押す音が聞こえてくる。
ある晩、給湯室でお茶を入れていると、その人が入ってきた。作業着の胸に名札がついていた。こはビルメンテナンス、柏木。苗字だけだった。
「あ、すいません。後にします。」
「いえ、私が邪魔ですよね。どうぞ。」
その人はシンクの中に落ちていた茶葉を拾って水を流し、蛇口をくるりと拭いた。物の20秒だった。それなのにステンレスの曇りが消えた。すごいほど光った。
「水垢は乾く前に取ると楽なんですよ。乾いてから落とそうとすると10倍かかります。」
その人は少し笑った。笑うと目尻に細かい皺が寄って、この人が思っていたより年上なのだと気づいた。
それからは廊下ですれ違うと挨拶をするようになった。
数日して、私はおしるこの礼を言った。
「この前のおしるこ、ありがとうございました。おいしかったです。」
「あ、あれ当たったやつなんで。」
「おしるこ、当たりませんよね。調べました。」
その人は困った顔をして頭を掻いた。
「すいません。嘘つきました。」
「なんで嘘ついたんですか?」
「もらってくれないと思ったんで。」
そう言って、その人はカートを押していった。
柏木尚弥さんという名前を知ったのは、あの夜から1ヶ月ほど後だ。
夏の終わりの雨の強い日、駅前の横断歩道でお年寄りが足を滑らせて転んだ。買い物袋が倒れて、みかんが2つ車道の方へ転がっていった。
みんな傘を傾けて、そのお年寄りを避けて渡っていった。一人だけ役に走っていった人がいた。灰色の作業着だった。
その人はすぐに立たせようとはしなかった。しゃがんでまず足首と膝を見て、それから何か話しかけて、ゆっくりと歩道の内側へ移した。
私もやっと駆け寄った。
「あの、私、救急車を呼びましょうか?」
「あ、綾瀬さん。」
その人は私の名前を知っていた。給湯室で名札を見ていたのだと思う。
お年寄りは息子さんに電話をして迎えに来てもらうことになった。その人は自分の傘をお年寄りに渡し、バス停の屋根の下まで一緒に歩いて「そこで待っていてください」と言った。
そして自分は傘も差さずに走っていった。私はその背中を見ていた。
翌日、私は自分の傘を一本持って出社した。ビニール傘ではない。ちゃんとした折りたたみの方だ。
廊下でカートの音がした時、私はそれを渡した。
「これ、使ってください。」
「いや、そんな、返さなくていいので。」
「私、傘を2本持ってるんです。」
その人は両手で受け取って頭を下げた。その時初めて、その人の手を近くで見た。
指の関節が太くて、爪が短く切り揃えてある。手の甲が所々白く粉を吹いて、親指の付け根には割れた跡があった。洗剤とゴム手袋で荒れた手だった。
「柏木です。柏木尚弥。今更ですけど。」
「綾瀬し織です。」
「知ってましたけど。」
私たちはそこで初めて、ちゃんと名乗り合った。
柏木さんは、自分の仕事のことを聞かれると意外なほどよく喋る人だった。
床にはワックスを塗る。塗る前に古いワックスを薬品で剥がす。剥がさずに塗り重ねると、だんだん黄色く濁っていく。
「積み重なったものを取る方が、新しく塗るより難しいんです。」
逆に自分のことになると、彼は急に口数が減った。
どこの出身か。家族はいるのか。休みの日は何をしているのか。どれを聞いても短い答えが帰ってくるだけだった。
あの頃の私は、この人はきっと苦労してきたのだろうと思っていた。親を早くに亡くして、頼れる人もいなくて、それでも人に優しい。そういう人なのだと。半分は当たっていた。残りの半分は、まるで違っていた。
その秋、再検査で病院に行った時、私は柏木さんを見かけた。私服だった。
3歳くらいの男の子が紙パックのジュースを落として、床にオレンジ色の水溜まりが大きく広がっていた。
柏木さんは紙袋を床に置いて近づくと、ポケットから折りたたんだ布を出して、まず外側から内側へ、ジュースを一箇所に集めていった。
それから受付へ行ってモップとバケツを借りてきて、拭き終わってから黄色い縦札を借りてその場所に置いた。
それから男の子の目の高さまでしゃがんだ。
「転ばなくてよかったな。」
男の子は泣きながら何度も「ごめんなさい」と言った。
「謝らなくていいよ。服が濡れただけなら大丈夫。乾くから。怒られないよ。お母さん、下の子抱っこしてて、手が塞がってたんだ。しょうがないよ。」
彼が最初にしたのは、母親を気遣うことでも子供を慰めることでもなかった。床を拭くことだった。誰かが滑って転ぶ前に、まずそれを消したのだ。
それから私たちは、月に2度か3度、休みの日に会うようになった。
デートと呼べるようなものではなかった。川沿いを歩いて、商店街を歩いて、パン屋でパンを買って公園のベンチで食べる。それだけだ。
それでも私は、その時間がとても好きだった。
柏木さんは歩きながら、よく立ち止まる人だった。歩道に落ちている割れた瓶の破片を拾って、コンビニのゴミ箱まで持っていく。浮いていた側溝の鉄の蓋を足で踏んで直す。倒れている自転車を起こして橋に寄せる。どれも一瞬で終わる。本人は何も言わない。
「いつも、そんなことしてるんですか?」
「そんなことっていうほどのことじゃないですよ。1秒ですし。」
「でも、みんなやらないですよね。」
「気づかないだけだと思いますよ。俺は仕事柄、目につくだけで。」
そういう言い方をする人だった。
商店街のお弁当屋さんで、私たちの前に並んでいたおじいさんが財布を忘れたことに気づいた。後ろの列が伸びていた。
柏木さんは自分の財布を出して、520円をカウンターに置いた。
「すいません。これで。」
「いや、そんな、悪いよ。」
「後で店に返してあげてください。俺は今日ここ通りかかっただけなんで。」
帰り道に私が聞いた。
「あの520円、戻ってこないですよね。」
「戻ってこないでしょうね。」
「そんなことしてたら、自分が損しませんか?」
「損かどうかより、見て見ぬふりした自分の方が嫌なんですよ。あのじいさん、あそこで恥をかいたまま帰ってたら、多分もうあの店に行かないでしょう。年取ってからだと、結構でかいんですよ。」
そこまで考えて520円を出したのかと思って、私は少し驚いた。
また別の日には、夜の9時頃、駅から歩いていると暗い路地に子供がしゃがんでいた。小学校の低学年くらいの女の子だ。
柏木さんはその子の3メートルほど手前で足を止めた。そしてしゃがんだ。近づきもせずに、そのまま。
「お家の人、待ってる?」
「わかんない。」
「そうか。おじさんたち、そこの交番まで一緒に行こうか。お姉さんもいるから。」
彼は私を指した。私が前に出て手を差し出すと、その子はやっと立ち上がった。
交番までは3分もかからなかった。
「なんで、あんな離れたところでしゃがんだんですか? 男が近づくと怖いでしょう。あの距離が限界です。」
「よく知ってますね。」
「うちの現場に子育て終わった人がいっぱいいるんで、教わったんです。」
そういう知恵を、彼はたくさん持っていた。
柏木さんの部屋は、駅から歩いて15分の古いアパートだった。木造の2階建てで、階段が外にある。
部屋は6畳と台所だけだった。テレビはない。本棚に文庫本と清掃の技能検定の教本が並んでいた。
台所は驚くほど綺麗だった。シンクにも蛇口にも水垢一つない。冷蔵庫を開けたら、卵と納豆と味噌と作り置きの煮物が入っていた。
玄関には靴が2足あった。一足は滑り止めの効いた作業靴で、もう一足は黒い革靴だ。革靴の方はかかとが片減りしていて、色が薄くなっていた。その2足とも、綺麗に磨いてあった。
私はそこで父のことを思い出した。
柏木さんは夜勤の休憩に、コンビニのおにぎりを一つしか食べない。しかも一番安いやつだ。
「それだけですか?」
「動いてる仕事だから、腹に入れすぎると眠くなるんですよ。」
「本当ですか?」
「本当ですよ。」
少し間を置いたその返事が、私はずっと気になっていた。
私はその頃、この人はお金がないのだと思っていた。それは間違っていなかった。彼は本当に、自分に使うお金を持っていなかった。
10月の終わりに、私の方から言った。夜勤明けの彼と、朝の公園にいた。
「柏木さん、私、柏さんのことが好きです。」
彼は本気で慌てていた。作業着のポケットを意味もなく何度も触っていた。
「あの、金、ないですよ。」
「知ってます。」
「車もないし、休みも平日だし。」
「知ってます。」
「いいんですか?」
「良くなかったら、言いません。」
彼はしばらく黙って、それから新聞紙のもう半分を自分で敷いて、私の隣に座った。
「俺の方が先に思ってました。言えなかっただけで。」
「じゃあ、なんで言わなかったんですか?」
「しおりさんに、損させると思ったから。」
付き合い始めてからも、彼は自分のことをほとんど話さなかった。
一度だけ、彼の携帯が鳴るところを見た。公園のベンチで、彼は画面を見てそのまま切った。
「出なくていいの?」
「仕事の日の休みは、出ないことにしてるから。」
その時の彼の指の動きが、少し早すぎた。私は気づいていたのに、気づかないふりをした。
好きな人の隠し事を探るのは怖い。探って出てきたものが、自分の手に負えなかったらどうしようと思う。だから私はその糸を掴まなかった。
私たちが付き合っていると母に言ったのは、冬の初めだった。
「お母さん、私、付き合ってる人がいるの。」
「そう、良かったじゃない。どういう人?」
「37歳で、ビルの清掃の仕事をしてる人。」
母の顔から、ゆっくりと表情が消えた。
「清掃って、掃除の?」
「うん。コアビルメンテナンスって言う会社の現場の人。」
「お給料は?」
母がそれを聞いた時、私は少しだけ母を嫌いになりそうだった。
「お母さんはね、意地悪で言ってるんじゃないの。お父さんが死んだ時、うちにいくらあったか、あんた知ってる? お母さんはあの時、あんたを高校に行かせられるかどうか、電卓を叩いて数えたのよ。」
母の声は怒っていなかった。それが余計に辛かった。
「優しい人はね、いくらでもいるの。優しいだけじゃ、あんたを守れないの。」
「守ってもらうために結婚するの?」
「そうよ。お互いを守るために結婚するの。」
その日は、それ以上話にならなかった。
正月に親戚が集まった時は、もっとひどかった。
「しおりちゃん、清掃の人と付き合ってるんですって。本気なの? あんた31でしょ。焦る気持ちは分かるけどね。清掃っていくらもらえるの? 優しいだけの男が一番危ないの。しおりちゃん、利用されてるんじゃない?」
「利用されてるんじゃない?」という言葉が、一番刺さった。
会社でも、霞が心配してくれた。心配の形をしていたけれど、中身は同じだった。
「しおり、それ大丈夫? 悪い人じゃないのは分かるよ。でもさ、子供できたらどうするの? 病気したら? 家買えないよ。」
どれも的外れな質問ではなかった。全部、私も考えていたことだった。
夜、アパートで一人になると、私はノートを開いた。私の手取りが20万円。彼の給料が多分同じくらい。家賃、光熱費、食費、保険。子供が一人できたとして、何歳の時にいくらかかるのか。
書けば書くほど数字は厳しかった。数字は嘘をつかない。私はずっとそれを信じてきた。
それなのに、その時私はノートを閉じてしまった。
2月の寒い夜、私はそれを彼に話した。話すつもりはなかった。ただ公園のベンチで缶のおしるこを飲んでいたら、涙が出てきてしまった。
私は全部言った。母のこと、叔母のこと、霞のこと、それから自分でも同じことを考えてノートに数字を書いて怖くなったこと。
柏木さんは黙って聞いていた。それからゆっくり言った。
「しおりさんのお母さんも、おばさんも、間違ってないと思います。俺はしおりさんに、豪華な暮らしはさせられないかもしれない。旅行もそんなに行けないと思う。いい家にも住めないと思う。それはちゃんと言っておかないと、フェアじゃない。」
私は何も言えなかった。その後、彼は顔を上げた。
「でも、一つだけ約束できます。しおりさんを粗末にすることだけは、絶対にしない。」
「粗末にしない」という言葉を、私はそれまで人から言われたことがなかった。
「大事にする」でも「幸せにする」でもなかった。「粗末にしない」。それは器を扱うみたいな言い方だった。落とさない。欠けさせない。使ったら洗って乾かして棚に戻す。毎日やらないとできないことだった。
私はその時、決めた。この人となら、裕福でなくても歩いていける。
その翌週、私はもう一度実家へ行った。今度は米も洗剤も持っていかなかった。代わりに、二人で撮った写真を一枚持っていった。
「お母さん、私、この人と結婚します。」
母は写真を手に取って、長いこと見ていた。
「この人、いい顔してるのね。」
「うん。」
「でもね、しおり。反対されても、するから。」
母はそれきり、何も言わなかった。
帰り際に、玄関で母がぽつりと言った。
「お母さんはね、あんたに苦労してほしくないだけなの。」
「知ってる。」
「知ってるなら、どうして?」
「苦労するかどうかは、お金だけじゃ決まらないと思うから。」
母は困ったような顔をして、俯いた。その顔を見て、私はやっと母も怖いのだと分かった。反対しているのではなくて、怖いのだ。
父が急にいなくなった後、電卓を叩いて数えた夜のことを、母はまだ終わらせられていない。
私は靴を履きながら言った。
「お母さん、私、あの人の靴を見たの。作業靴と古い革靴の2足だけど、どっちもピカピカに磨いてあった。お父さんと同じだった。」
母の顔が、その瞬間だけ動いた。何か言いかけて、結局言わなかった。私はそのまま家を出た。
私たちが籍を入れたのは、その翌月の3月だった。出会ってから8ヶ月、付き合い始めてからは5ヶ月しか経っていなかった。
母は最後まで賛成しなかった。式はあげなかった。写真だけ、駅前の写真館で撮った。
夫の側からは誰も来なかった。「親戚はいない」と彼は言った。私はそれをそのまま信じた。
今から思えば、あの時の彼は随分苦しかったと思う。言えば済むのに、言えないことがあった。
新居は、彼のアパートでも私のアパートでもなかった。二人で探して、駅から歩いて12分の2階建ての賃貸の1階を借りた。家賃は8万2000円。畳の部屋が一つとフローリングが一つ。ベランダが南向きで、洗濯物がよく乾いた。
引っ越しの日、彼は業者を頼まずに会社の同僚に軽トラックを借りてきた。彼の荷物は、ダンボール6箱と布団と本棚だけだった。
その日の夜、まだ何も片付いていない部屋で、私たちは床に座ってカップ麺を食べた。
「これから、よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
「なんで敬語なんですか?」
「なんででしょうね。」
彼は照れると、必ず頭の後ろを掻いた。それが私の夫になった人の癖だった。
「これから、何て呼べばいいですか? 柏木さんだと、私も柏木だし。」
「尚弥で。」
「はい。」
その頬が少し赤くなっていた。その日から、私はこの人を尚弥さんと呼ぶようになった。
結婚してからの暮らしは、想像していた通り質素だった。外食は月に一度あるかないか。服はセールでしか買わない。旅行は行っていない。
それでも私は、自分が不幸だと思ったことは一度もなかった。
夫の現場は夜勤だった。夜の10時に入って、朝の5時に上がる。私が寝る前に出て行って、私が起きる前に帰ってくる。
私が目を覚まして台所へ行くと、夫はもう風呂から上がっていて、茶箪笥の上に私の分のお茶が置いてあった。魔法瓶に入れて、湯呑みと一緒に置いてある。急須の茶葉は捨ててあって、流しは乾いている。
私が残業で遅くなった日には、台所に味噌汁が置いてあった。短いメモが乗っていて、「温めて食べて」と書いてある。遅くなった理由は聞かれなかった。「大変だったね」とも書いていない。ただ、その紙が毎回あった。
一度、月末の締めでどうにもならなくなって、玄関で泣いてしまったことがある。夫は何も聞かずに、しばらく黙って隣に座っていた。それから言った。
「今日は、頑張らなくていい日だ。でも、明日も締めだろ? 明日は明日の日だから、今日はもう終わり。」
その時、私はその言葉に救われたなんて口では言えなかった。ただ、涙が止まった。
結婚した年の夏、私は39度の熱を出した。夫は夜勤明けで、本当なら朝から夕方まで寝ている日だったのに、彼は寝なかった。
私が目を覚ますたびに、氷枕が冷たくなっていた。朝になって私が謝ったら、夫は言った。
「なんで謝るの?」
「寝てないでしょ。」
「寝たよ。しおりさんが寝てる間に。」
「嘘。」
「バレたか。」
その時彼が作ってくれたお粥を、私は今でも覚えている。米から炊いた塩だけのお粥。梅干が一つ、箸に置いてあった。何の変哲もない味だった。それなのに食べていたら、涙が出た。
家計のことは結婚してすぐに二人で決めた。夫の手取りは22万円。そのうち15万円を、彼は毎月そのまま私に渡した。私の手取りが20万円。合わせて35万円の中から、家賃と光熱費と食費と保険と二人分の貯金を賄う。夫の手元に残るのは7万円だ。
私はその7万円がどこへ消えているのか、だんだん気にするようになった。彼は酒も飲まない。タバコも吸わない。趣味らしい趣味もない。それなのに月末になると、財布に1000円札が2枚しか入っていないことがあった。休憩のご飯はおにぎり1つのままだった。靴も、あの黒い革靴を履き続けていた。
その頃、私は彼の7万円の行き先をいくつか知ってしまった。現場の後輩が財布を落として、帰りの電車賃がないと言った日。アパートの隣の部屋の子が給食費を持って来られずに学校で泣いたと聞いた日。どれも1000円か2000円か5000円だ。一つ一つは小さい。それが毎月、彼の7万円を削っていた。
私は怒らなかった。怒れなかった。それを辞めさせたら、この人はこの人でなくなってしまう。
一度だけ、私は聞いたことがある。
「尚弥さんって、貯金ないの?」
「ないよ。」
「本当に?」
「うん。」
嘘だった。今から思えば、あれは彼が私についた一番大きな嘘だった。彼は目を合わせずに、茶箪笥の湯呑みを指で回していた。
私はその時、この人はきっと恥ずかしいのだろうと思った。いい年をした男の人が、貯金がないと妻に言うのは確かに辛いだろう。私はそれ以上、聞かないことにした。聞かないことが優しさだ、とその時の私は思っていた。
それでも夫がご飯も靴もそのままなのは嫌だった。だから私は、お金という形にするしかなかった。
結婚して最初の給料日の夜、私は封筒を一つ用意した。中には10万円を入れた。私の20万円のうち、家計に入れる分を10万円に減らして、残りをそのまま封筒にした。その分、私は自分の貯金に回す分を止めた。
夕飯の後、私は茶箪笥の上にそれを置いた。
「これ、尚弥さんの分の生活費。毎月渡すから、ちゃんとご飯食べて、靴も買い換えて。」
夫は封筒を見て、それから私を見た。
「いや、待って。これ、しおりさんが働いて稼いだ金だろ。」
「そうだよ。」
「じゃあ、受け取れない。」
「なんで?」
「俺のじゃないから。」
「もう夫婦なんだから、私のとか尚弥さんのとか、ないでしょ。私ね、尚弥さんに元気でいてほしいの。尚弥さんが倒れたら、私が困るの。私のためだと思って、持ってて。」
しばらくして彼は封筒を両手で取り、小さく頭を下げた。
「ありがとう。」
その「ありがとう」が、なんだか妙に重かった。嬉しそうでも、照れ臭そうでもなかった。その時は、私は深く考えなかった。この人は人から物をもらうのに慣れていないのだ、と。それだけだと思った。
それから3ヶ月経っても、夫の靴は変わらなかった。半年経っても、おにぎり1つのままだった。
私はさすがに少しむっとした。
「靴、買った?」
「あ、まだ。」
「なんで?」
「今の靴、まだ履けるから。中敷き変えたら、結構いけるんだよ。」
私はその時、この人はもらった10万円を全部誰かにあげているのだと思った。言い争いにはしなかった。私は毎月の封筒に一言だけ書いてきた。「ちゃんとご飯食べてね」と。「靴買ってね」と。そうしておけば、渡す時に口で言わずに済む。夫はそれを読んで、毎回少し笑った。その笑い方が、どこか泣きそうに見えることが、たまにあった。
結婚した年の12月に、母が転んだ。大腿骨の頸部を折っていた。
入院と手術と私が仕事を休んだ分と退院してからの当分の暮らしの分まで見て、私のお守りだった貯金は、240万円まで減った。
問題はその後だった。寝ている時間が長いと、人は本当に立てなくなる。だから翌日からリハビリが始まる。母はそれを嫌がった。痛いからだ。
私は仕事を休めない日が続いた。その間、病院に通っていたのは夫だった。夜勤明けの午前中に、彼はほとんど毎日行った。
最初、母はそれを露骨に迷惑がった。
「しおりに言われて来てるんでしょう。いいから帰って。仕事あるんでしょう。」
「はい。夜からです。」
「じゃあ、寝なさいよ。」
「寝てから来てます。」
嘘だった。夜勤明けにそのまま来て、帰ってから寝て、また夜に出ていた。昼に持って帰ってきていたシフトの紙を、私は後で見て知った。
母がリハビリに行く時、夫は廊下の角まで一緒に歩く。戻ってきたら水を変える。母がテレビを見ている時は、窓のさんの埃りを指で拭っていた。
同じ部屋の人が、私にこう言った。
「あれはね、奥さんを見張ってるんじゃなくて、そばにいるだけの人ですよ。」
2週間ほど経った頃、母から私に電話がかかってきた。
「しおり、あの人、毎日来てるの知ってる?」
「知ってるよ。」
「あんたが行かせてるの?」
「行かせてない。私、頼んでない。」
電話の向こうで母が黙った。
「今日ね、私がリハビリで泣いちゃったのよ。痛くて、情けなくてね。そしたらあの人ね、私の靴を揃えてたの。私が泣いてる間、こっちを見ないで、靴の向きだけ直してたの。あの人ね、こう言ったの。『お母さん、リハビリの後は足が上がりませんから、吐きやすい方がいいです』って。私のこと、お母さんって呼んだのよ。しおりのお母さんじゃなくて、義理の母という意味のお母さんだった。」
母の声がそこで少し崩れた。
「しおり、お母さん、あの人のこと、掃除の人としか見てなかった。ごめんね。ごめんなさい。」
母が人を謝るのを、私は初めて聞いた。
母が退院したのは年が明けた1月の半ばだった。退院の前の日曜、夫は朝から実家へ行った。工具箱と大きな紙袋を2つ持って。
中身は廊下とトイレにつける手すりと、お風呂の壁に吸盤で止めるもの。それと風呂用の椅子と、床に敷く滑り止めのマット。
夫は病院で教わった高さに合わせて、一日かけて手すりを全部つけた。壁の下地を叩いて音を確かめて、「ここは入る。ここは入らない」と言いながら位置を決めていった。廊下の電球も明るいものに変えた。玄関の段差にはゴムのスロープを貼った。
後でレシートを見つけた。3万8000円だった。多分、彼が私から受け取っていた10万円ではなく、彼の7万円の方から出たお金だった。
その日、夫が作業をしている間、私は母と居間でいた。
「しおり、お母さんね、ずっと考えてたの。あんたがなんであの人を選んだのか。病院にいる間、ずっと見てたの。あの人、私に何もしてくれないのよ。『大丈夫ですか』とも言わない。『頑張ってください』とも言わない。ただ、コップの水を変えて、靴の向きを直して帰るの。『大丈夫ですか』って聞かれるとね、『大丈夫です』って答えなきゃいけないのよ。答えるのがしんどいの。あの人はね、答えなくていいことしかしないの。お父さんもね、そういう人だった。私が泣いてても、何も聞かないで、黙って洗い物してるような人だったの。」
母はそこで少し笑った。
翌日、母が退院してきて手すりを見た。母は玄関に立ったまま、しばらく動かなかった。それからお風呂場まで杖をついて歩いていって、壁の手すりを握った。
「尚弥さん。」
母が彼を名前で呼んだのは、その時が初めてだった。
「ありがとうね。」
「いえ。ネジが少し目立つので、後で白いカバー付けます。」
「そんなの、いいのよ。そんなのは、どうでもいいの?」
母は手すりを握ったまま、泣いた。
その日の帰り道、私は夫と並んで駅まで歩いた。
「ありがとう。」
「何が?」
「全部。」
「俺、何もしてないよ。」
「してるよ。」
「あれくらいのことは、誰でもやるよ。」
「誰でもやらない。」
私はそう言って、やめた。この人にとっては、本当に誰でもやることなのだ。それを私は結婚してからずっと見てきた。
私はその時、心の底から思った。この人と結婚してよかった。このまま二人で静かに年を取っていけばいい。それでいい。
けれど、話はここで終わらなかった。
結婚して2年半が過ぎた秋に、港第1ビルの持ち主が変わった。新しい管理会社は、申請辞書という名前だった。
まず共用部の照明が半分になった。エレベーターホールの観葉植物が撤去された。トイレのペーパーの銘柄が変わって、薄くなった。
そして年が明けた1月に、夫が朝に帰ってくる時間がだんだん遅くなった。夜の10時から朝の5時までのはずが、朝の7時になり、8時になった。
「本社の人間が朝に来るから」と後で知った。
「どうしたの? 最近。」
「打ち合わせが増えてて。尚弥さんが、現場の代表で出ろって言われて。」
夫は嘘をつくのが下手な人だった。
その頃から、毎月25日の夜に私が封筒を渡すと、彼は前より深く頭を下げるようになった。最初の頃は「ありがとう」と言って受け取った。それが「すみません」になった。
「なんで謝るの?」
「あ、ごめん。癖で。」
「私、責めてないよ。」
「うん。分かってる。」
そう言って彼は封筒を懐にしまった。その顔がどうしても引っかかった。嬉しそうではない。かと言って、嫌そうでもない。というか、後ろめたそうだった。
2月の初めの夜、私は本当のことを知った。
夫が出ていった後、選択しようと思って夫の作業ジャンパーのポケットを探った。出てきたのは、四つ折りにした紙が一枚だった。
表題に「清掃業務の内容変更のご提案」と書いてあった。申請辞書からコアビルメンテナンスへの書面だった。
内容は単純だった。港第1ビルの清掃について、次の契約の更新から作業時間と人員を見直したい。現行の日常清掃7名を4名とし、経費を2割下げたい。
7名を4名に。3人減らせ、ということだ。
私はその紙を持ったまま、朝まで眠れなかった。
夫が帰ってきたのは、その朝も7時過ぎだった。私は紙を茶箪笥に置いた。
「ポケットに入ってた。ごめん。読んだ。」
夫は靴下のまま立ち尽くして、それからゆっくり座った。
「そうか。」
「どうなるの、これ?」
「まだ決まってない。会社が受けるかどうか。話し合いをしてる。」
「受けたら、3人はどうなるの?」
「別の現場に移ってもらうことになる。」
「移れるの?」
「移れる人と、移れない人がいる。」
夫はそこで言葉を切った。私は待った。
「うちの現場、7人のうち3人は、あそこじゃないと働けない人なんだ。」
それから彼は、その3人の話をした。
戸田さん72歳。夜勤の清掃。あの現場は家から自転車で8分だから、夜中でも自分で帰れる。
浅谷さん33歳。小学5年生の息子がいる。夜勤に入れるのは、子供が寝てから出て朝に帰れるからだ。
大久保さん58歳。前の会社を辞めてから2年、この現場だけでやってきた。
「別の現場って、都心の反対側とか朝5時入りとかだ。移ってくれって言えば、はいっていう人たちだよ。文句なんか言わない。言わないから、辞めるんだ。」
夫はそう言って、握った手の甲を見ていた。その手が白くなっていた。
「尚弥さんが打ち合わせに出てるのは、それを止めるため?」
「止められてない。」
「でも、申請辞書はビルをいくつも持ってる。ここを断ったら、他もまとめて持ってかれるんだ。」
その週、私は現場責任者の前田さんという人と初めて話した。
「柏さんには、頭が上がらないんですよ。私、責任者なんですけどね。数字のことは全部本社から降りてくるんです。受けると言われたら、受けるしかない。断ったら、この現場ごとよそに取られますから。柏さんはね、ずっと本社と話してくれてるんです。私が言っても通らない話を、なぜかあの人が言うと少しだけ通る。不思議なんですよ。ただの作業員なのに。」
前田さんはその後で、少しだけ自分の話をした。高校生の娘さんが2人いて、上の子が来年受験なのだという。
「私ね、この現場を守れなかったら、責任者失格なんですよ。でも3人減らせと言われて『はい』というのも、責任者失格でしょう。どっちにしても失格なんです。それが一番きつい。柏木さんはね、この前の打ち合わせで本社の事務に行ったんですよ。『その3人の名前を、事務は言えますか』って。事務は言えませんでした。そしたら事務が『名前なんか関係ないだろう』って言って、柏さんが『関係あります』って。」
前田さんはそこで少し笑った。
「あの人、あんな顔をするんだなと思いました。」
ある朝、私は休みで布団の中で寝転んだまま、台所の様子を伺った。夫は電気をつけずに茶箪笥の前に座っていた。カーテンの隙間から入る朝の光で、手元だけがぼんやり見えた。
彼が広げていたのはコピー用紙だった。何枚もある。そこに鉛筆で何かを書き込んでいた。数字だった。何度も消して、また書いていた。それを1時間近くやって、彼は紙をまとめて鞄にしまって、それから布団に入った。
一度、夫が玄関先で電話をしているのを聞いたことがある。相手は本社の人らしかった。
「事務、数字は落とします。人は落としません。はい、分かっています。それでも順番が逆です。先に人を減らしてから物を減らすんじゃなくて、先に物から減らすんです。」
私はその時、それが人員削減の書類だと思っていた。違った。あれは人を減らさずにコストを下げるための計算だった。彼は1ヶ月半、毎朝それをやっていた。
その週の土曜、私は港第1ビルへ行った。夫が土曜も現場に出ていると聞いて、忘れ物を届けるという口実を作った。本当は、結婚してから一度も夫の仕事仲間に会いに行ったことがないと気づいたからだ。
地下1階の裏手に、清掃員の控え室があった。と言っても部屋ではない。廊下の突き当たりの凹んだところに、パイプ椅子が5脚と折りたたみのテーブルが1つ置いてあるだけだ。7人いる現場なのにロッカーは5つしかなくて、後の人は紙袋を床に置いていた。天井の蛍光灯が1本切れていて、そこだけ暗かった。
私が立っていると、白髪の小柄な女の人が絞りのついたカートを押して戻ってきた。
「あら、どちら様?」
「あの、柏木の者です。」
「え、柏木さんの?」
その人は目を丸くして、それからすごい勢いで笑った。
「あんた、柏木の奥さんかい? まあまあまあ。滝田です。滝田きぬ。ここの夜勤やってます。」
滝田さんは私をパイプ椅子に座らせて、水筒からお茶を注いでくれた。紙コップは自前だった。
「柏木さんはね、今14階。土曜は人が少ないから、まとめて拭いてくれてんの。柏さんは自分から多めに入ってるけどね。」
滝田さんは椅子に座る時、右手で膝を抑えた。
「膝、悪いんですか?」
「ああ、これ。年寄りはみんなそうよ。でもね、私、ここ好きなの。夜中に自転車で帰っても、ちっとも怖くないの。」
滝田さんは大学2年の孫がいるという。息子夫婦が亡くなった後、滝田さんが育てた。
「あの子が卒業するまでは働くって決めてんの。あと2年。柏木さんにはね、私、階段のことを教わったの。年寄りは階段の拭き方で腰をやるからって。手すり持って、こう拭けって。そんなこと、教えてくれる人いないよ。」
そこへ若い女の人が入ってきた。髪をひっつめて、化粧がなくて、目の下にクマがあった。
「浅谷ちゃん。柏木さんの奥さんだって。」
「え、すみません。私、こんな格好で。」
浅谷さんは私に何度も頭を下げた。浅谷さんは夜10時から朝5時まで働いている。息子さんが寝てから出て、起きる前に帰るのだという。
「柏木さんにはお世話になってて。去年、うちの子が熱を出した時、私、代わりがいなくて休めなくて。そしたら柏木さんが前田さんに掛け合ってくれて、うちの子が治るまで3日、私の受け持ちの箇所まで、一人で回ってくれたんです。あの人、その間、昼もほとんど寝てなかったと思います。」
浅谷さんの息子さんは、ゆうと君という小学5年生だ。
「この前、学校の作文でお母さんの仕事のことを書いたんです。『僕のお母さんはビルを綺麗にする仕事をしています。夜だから、僕が寝ている間にみんなの会社を綺麗にしています。僕はそれをかっこいいと思います』って。私、そんな風に思ってなかったんですよ。恥ずかしい仕事だと思ってた。」
そこへ背の高い男の人が入ってきた。50代の後半くらいの、背筋の真っすぐな人だった。
「おい、そこで何、油売ってんだ?」
「あ、失礼しました。大久保さん、柏木さんの奥さんよ。」
「あ、これはどうも。大久保です。」
大久保さんは私に名刺を出しかけて、途中でやめた。
「すいません。癖でもう。名刺なんか、ないのに。」
大久保さんは前の会社で28年、営業をやっていた。会社がなくなって、56歳で仕事を探したけれど、どこにも入れなかった。
「最初はね、こんな仕事、と思ってたんですよ。正直に言いますけどね。トイレ掃除なんて、俺のやる仕事じゃないと思ってた。そしたら柏木さんが、便器の縁の裏側の話を始めるんですよ。『そこは絶対誰も見ない。見ないけど、そこが匂いの元だ。それを毎日やってる人がいるから、みんな平気な顔でビルに入ってこられるんだ』って。28年、俺は物を売ってた。売れた日は褒められた。売れない日は責められた。今の仕事はね、誰にも褒められない。でも誰にも責められないんですよ、俺。この年になって、初めてぐっすり寝られるようになりました。」
その時、廊下の向こうからスーツの男の人が2人歩いてきた。控え室の前で、髪を分けた年上の方が立ち止まった。そして、ちょうどエレベーターから出てきた作業着の夫を見つけて、深く頭を下げた。
「柏木さん、お時間よろしいですか?」
その頭の下げ方を、私はずっと忘れられなかった。部下が上司に下げる下げ方ではなかった。もっと丁寧で、もっと硬い。何かを預けている人の下げ方だった。
「あれ、コアの本社の杉浦さんだよ。本社の部長が、現場によく来るのよ。柏木さんに用があるみたいでね。おかしな話なんですよ。柏木さんって、うちの現場のただの作業員でしょ。なのに、本社の人がやたら来る。」
帰り際に、私は14階まで上がってみた。夫はそこにいた。私に気づかずに、非常階段の手すりを拭いていた。上面からではなく、手すりの裏側から先に拭いていた。後で聞いたら、上を先にやると裏の埃を上に引きずってしまうのだそうだ。1段ずつかがんで拭いて、また1段。14階から下まで、彼はそれを一人でやっていた。
土曜だからそのビルには人がほとんどいない。誰も見ていない。それでも彼は同じ速さで拭き続けていた。
あの夜、私が座り込んで泣いていたのも、このビルの非常階段だった。あの時、彼は私が座っていた段だけを後回しにした。私が帰ってから、戻ってきて拭いたはずだ。そういう人なのだと、その時初めて分かった。
控え室に戻って私が帰ろうとすると、滝田さんが廊下まで送ってくれた。そして、少し声を落としていった。
「奥さん、ちょっとだけいい? 柏木さんね、うちらのこと、なんとかしようとしてるの。私らはね、もうこの年だから、どうにでもなるのよ。浅谷ちゃんと大久保さんが残ればいいの。でもね、柏木さんはそう思ってないの。3人とも残したいの。あの人ね、無理してるよ。」
私は返す言葉がなかった。
「奥さん、あの人、家でご飯食べてる?」
「食べてます。」
「そう。ならいい。」
滝田さんはそれだけ言って、また控え室へ戻っていった。
その週の日曜に、霞から連絡が来た。久しぶりにランチをしようという誘いだった。
「しおり、まだあの清掃員の旦那さんと暮らしてるの?」
「暮らしてるよ。夫だもん。」
「毎月10万円渡してるって、前に言ってたじゃん。まだやってんの?」
「やってる。」
「それ、完全に搾取されてるじゃん。だめだよ、そういうの。悪いこと言わないから、貯金だけは別にしときな。」
その次の週には、越後子叔母から電話が来た。母の様子を聞くという名目だったけれど、話は5分で私の生活のことになった。
「しおりちゃん、正直に言うけどね、あんた、人生失敗したね。旦那に食い潰されるわよ。今のうちよ。」
私は傷ついた。傷ついたし、少し不安にもなった。不安になった自分が一番嫌だった。
その夜、私は布団の中でこの3年のことを一つずつ思い出した。雨の日に傘を渡して走っていった背中。病院の廊下で子供の目の高さまでしゃがんだ横顔。母の上履きの向きを直していた手。私が熱を出した時、氷枕を変えるために夜中に3回起きた足音。9階の奥の、誰の担当でもない場所。
私はこの人の人柄を選んだ。それだけは間違っていない。そう自分に言い聞かせながら、心のどこかで別の声もした。それでも、この先20年、30年とこの暮らしが続くのだろうか。夫が体を壊したら。私が働けなくなったら。
私はその晩、久しぶりに家計のノートを開いた。そしてまた閉じた。
数字は嘘をつかない。けれど数字は、この3年で私が受け取ったものを一行も書けない。毎朝の魔法瓶のお茶、夜中の氷枕、母の上履きの向き。そういうものを載せる欄が、私のノートにはなかった。
3月の終わりが、私たちの結婚記念日だった。3年目のその日、私は仕事から帰ると、茶箪笥の上に刺身と鳥の煮物と菜の花のおひたしが並んでいた。全部、夫が用意したものだ。
「どうしたの、これ?」
「記念日だから。」
私たちは向かい合って食べた。夫はほとんど箸を動かさなかった。食べ終わって私がお茶を入れて戻ってくると、夫は正座をしていた。
「何その座り方?」
「しおりさん、大事な話がある。」
その時の彼の顔で、私の笑いは止まった。
夫は紙袋から何かを取り出した。通帳だった。まだ新しい、薄い青の通帳だ。彼はそれを両手で私の方へ差し出した。
「このお金、1円も使えなかった。」
私は意味が分からなかった。通帳を受け取って、表紙をめくると、口座名義に「柏木尚弥」と印字されていた。解説した日は3年前の4月26日になっている。私が最初の封筒を渡した日の翌日だ。
この人は、私が渡すお金を入れるためだけに、わざわざ口座を一つ作ったのだ。
そしてページの中身を見た。私はその場で息が止まった。
日付が並んでいた。3年前の4月26日から始まって、5月26日、6月26日と1ヶ月ずつ。金額の欄は全部同じだった。10万円。その下も、その下も、10万円。それがずっと続いていた。私が毎月渡してきた10万円だった。
そして出金の欄が、からだった。一桁もなかった。表紙をめくってもめくっても、そこには何も記されていない。残高の欄は最後の行で360万円になっていた。一度も引き出されていなかった。
「尚弥さん、これ。」
「うん。」
「使ってないの?」
「使えなかった。」
「どうして?」
夫は俯いたまま言った。
「しおりさんが俺を信じて渡してくれた金だったから。生活費として使うには、あまりにも大事すぎた。」
私は言葉が出なかった。毎月毎月、私は封筒を渡してきた。ちゃんと食べてと言って。靴を買い換えてと言って。彼はその全部を、1円も使わずにここに入れていた。休憩のご飯はおにぎり1つのまま、靴は3年前と同じまま。
その時、彼は紙袋からもう1つ、ゴムで束ねたものを出した。封筒だった。茶色い給料袋みたいな、どこの家にもある封筒。それが、分厚く束ねられていた。私が使っていた封筒だった。
「これも、全部取ってある。」
私は震える手でゴムを外した。1枚目の裏に、私の字があった。「ちゃんとご飯食べてね」。2枚目、「靴買ってね」。3枚目、「今月お疲れ様」。
私はそんなことを書いたのを、すっかり忘れていた。書いたそばから忘れていた。彼は全部取っていた。1枚も捨てていなかった。
私は封筒を数えた。数えなくても分かるのに、数えずにいられなかった。36枚あった。3年分だった。
涙が落ちて、封筒の紙に小さな染みを作った。
私が泣き止むのを待って、夫は紙袋からもう1冊、通帳を出した。今度は古いものだった。表紙が擦り切れていて、角が丸くなっている。
「もう1つ、話がある。」
私はそれを開いた。右のページの列だ。数字が長かった。私は最初、桁を読み違えたのだと思った。指でその位置をなぞった。1、10、100、1000、1万、10万、100万、1000万、1億、10億。
12億円あった。
「え、待って。尚弥さん、これ。うん。12億って書いてあるんだけど。」
「うん。」
「何、これ? 尚弥さん、何かに巻き込まれてない?」
「巻き込まれてない。」
「じゃあ、何?」
「俺の金だ。」
夫は座ったまま、私に向かって深く頭を下げた。額が畳につくくらい深く。
「黙っていて、ごめん。」
それから夫は全部話した。
夫の祖父、柏木という人が60年前に小さな清掃の会社を作った。従業員3人のビル掃除屋だった。それが今、全国でビルの清掃と管理をやっているコアグループになっている。働いている人は8000人を超えるのだという。
夫の父、柏木はその2代目だった。そして夫は、その創業家の3代目だ。10年前に夫の父親が急に亡くなって、夫はその会社の株の7割を相続した。
「相続税は原則現金で10ヶ月以内に収めるんだ。でもうちの株は上場してないから、売って現金にできない。だから親父が個人で持って会社に貸してた土地を売った。都心の一等地で、まとめてしか売れない土地だった。株の一部も会社に買い取ってもらった。それで今は6割だ。税金を払っても、大きく余った。それがこの金だ。10年、1円も引き出してない。銀行の人にも、税理士にも、杉浦さんにも、『負けろ』とか『運用しろ』とか何度も言われた。断ってきた。なんで触りたくなかった。これ、親父の金だから。じいちゃんと、うちの現場の人たちが60年かけて作った会社の金だから。俺が何かして稼いだ金じゃない。相続しただけの金だ。だから俺は、これで飯を食っちゃいけないと思ってた。」
「使い道は考えなかったの?」
「考えたよ。何度も現場のみんなに配ろうかとも思った。でも、俺が一人で決めて配ったら、それはただの施しになる。配られた方は断れないだろう。だから決められなかったんだ。一人じゃ決められなかった。」
「じゃあ、今のあの3人は。あの3人の給料なら、そのお金で出せるんじゃないの?」
「出せる。1年でも5年でも出せる。でも俺が出したら、来年も再来年も俺が出すことになる。俺が死んだら、あの3人は切られる。金で守ったものは、金がなくなったら消えるんだ。」
夫はそこで、少しだけ子供の頃の話をした。夫が小学生の時、父親は帰りが遅かった。顔を合わせるのは月に一度あるかないかだった。その代わり、祖父によく連れ回されたという。祖父は現場が好きな人で、孫を助手席に乗せて、あちこちのビルを回った。
「じいちゃんがいつも同じことを言うんだ。『人が見る場所は誰でも磨く。人が見ない場所を磨くのがうちの仕事だ』って。コアって社名も、それが由来なんだよ。光らせる、磨く。」
私はその時初めて、彼が子供の頃の話をするのを聞いた。3年一緒に暮らして、初めてだった。
「会社の社長は、夫の父の代からいる人が務めている。夫は名前だけの役員だ。もらっているのは現場に出た分の給料だけで、それ以外は受け取っていない。配当も一円も出していない。全部会社に残してある。ただし、株の半分は夫が持っている。だから実際には、会社のことを最後に決めるのは夫だった。杉浦部長が現場に来ていたのも、その了承をもらうためだった。」
私はそこまで聞いて、やっと一つのことを聞けた。
「なんで、清掃員をやってるの?」
夫は少し黙ってから答えた。
「大学出た時に、親父に言われたんだ。『現場をやってから本社に来い』って。それで現場に入った。3年経った時、俺は行かなかった。」
「どうして?」
「その話は、もう少し後でいいかな。」
私は畳の一点を見たまま、頭の中で一つずつこの3年をつなぎ直していた。私が更新料で悲鳴を上げていた時、夫が「そうか」とだけ言ったこと。私が半額の食材を選んでいる間、夫が横で黙って買い物かごを持っていたこと。私がこの人は貯金がないのだと思ったこと。全部、違っていた。違っていたのに、この人は一度も私の家計のやり方に口を出さなかった。
「尚弥さん。」
「うん。」
「うちの家賃、8万2000円だよね。」
「うん。」
「私、2年目に更新料で悲鳴上げてたよね。」
「言ってた。」
「12億あったのに。」
「あった。」
「尚弥さん、付き合ってた時、言ったよね。『いい家にも住めないと思う。それをちゃんと言っておかないと、フェアじゃない』って。あれが一番フェアじゃなかったよ。」
「うん。」
「お母さんの手術の時も、うん。あの時、私、毎晩貯金の残高を見てたよ。」
夫はしばらく畳を見ていた。それから顔を上げずに言った。
「金のことは謝らない。俺の金の話だから。でも、お母さんの手術の時だけは、俺が間違えた。ごめん。」
「なんで、隠してたの?」
「使ったら、この暮らしじゃなくなるから。」
夫はそう言って、少し笑った。
「しおりさんが半額の食材を買って、川で食べようって言うのが、俺は好きだったんだ。あれ、金があったら、思いつかないだろう。」
私はそれを聞いて泣きそうになって、こらえた。
そして夫は、なぜ私に黙っていたのかを話した。
20代の終わりに、結婚も考えた人がいたという。その人は夫の家のことを知った日から、変わった。話す内容が、家のことと会社のことと、将来もらえるものの話ばかりになった。夫が現場を続けると言ったら、その人は本気で怒ったそうだ。
もう一つ、大学の親友だった男が、夫の家を知って金を借りに来た。断ったら「金持ちのくせに」と言われて、それきり連絡が途えた。
そして10年前の父の葬式で、集まった親族が話していたのは、株のことだけだった。
「俺はしおりさんを試してたんじゃない。ただ怖かったんだ。本当のことを言ったら、今の暮らしが壊れる気がして。」
会社や税理士からの郵便も、株主総会の通知も、全部本社の総務部宛にしてもらっていたのだと後で知った。3年の間、あの家に届いた夫の郵便は、水道局と年金の葉書と選挙のはがきくらいだった。
私はしばらく何も言えなかった。頭の中で色々な感情が順番を争っていた。驚き、混乱、それから、うっすらとした光。
3年だ。3年もの間、この人は私に嘘をついていた。そう思った瞬間に、別の思いがそれを追い越した。3年もの間、この人は一人でこれを抱えていた。毎朝私のお茶を入れながら、毎晩私の分の味噌汁を置いていきながら、私が渡した封筒を「すみません」と言って受け取りながら、ずっと一人で。
気がついたら、私は泣いていた。夫が慌てた。
「ごめん。怒っていいよ。俺が全部悪い。」
「怒ってない。」
「いや、怒っていいって。」
「怒ってないの?」
私は自分でも驚くくらい大きな声を出した。
「お金持ちだったことなんて、どうでもいいの。そんな大事なことを、尚弥さんが3年間ずっと一人で抱えてたのが、悲しいの。」
夫は何も言わなかった。ただ畳を見ていた。
「ごめん。」
私は青い通帳を握りしめた。表紙が手の中でぐにゃりと曲がった。
「でも、分かった。私が渡したお金を、尚弥さんが1円も使わなかった理由は分かった。尚弥さんにとっては、お金じゃなかったんだね。」
夫の方が、そこで初めて動いた。顔を上げた彼の目が赤かった。
「うん。俺にはさ。」
そこで声が途切れた。夫は何度か息を吸って、それから言った。
「俺には、これがあの家に生まれてから初めて、肩書きじゃなくて俺自身に向けられた優しさだったんだ。柏木の家の人間じゃなくて。株を持ってる人間でもなくて。おにぎり1つで済ませてる痩せた清掃員の男に、『ちゃんと食べて』って言ってくれた人がいたんだ。」
彼は手の甲で目を拭った。その手は、あのひび割れたままの手だった。
「使えるわけないだろう、もん。」
私はその時、この人が3年間毎月25日にどんな気持ちで頭を下げていたのかが、やっと分かった。「すみません」ではなかった。「ありがとう」でもなかった。あれは、「お預かりします」だったのだ。
私は封筒の束をもう一度手に取った。1枚ずつ順番に見ていった。最初の封筒の字は少し硬かった。真面目な字だ。それが10枚目くらいから、崩れてくる。急いで書いたのが分かる。
まだ字が硬かった頃の一枚に、私が書いた覚えのない一言があった。
「おかゆ、おいしかったです。」
私が熱を出した夏の、翌月の封筒だった。その1枚だけ、封筒の角が丸くなっていた。書いた本人は忘れて、受け取った人が3年取っておく。そういうことが、この世にはあるのだ。
私はその後、寝室の引き出しの奥から小さな箱を出してきた。
「私にも、1つ使えなかったものがあるの。」
中身は、私の父の腕時計だった。灰色の文字盤で、ガラスに小さな傷があって、針はもう何年も動いていない。
「父がバスの運転手だったことは、結婚の時に話したよね。」
「聞いた。」
「でも、この時計のことだけは、一度も見せてなかった。父はね、毎朝、誰にも見えない制服の靴を磨いてから出ていく人だった。『お客さんは運転手の顔なんか覚えちゃいない。それでいい。無事に降りてくれれば、それでいい』って。」
夫は時計を両手で受け取って、長いこと見ていた。
「いい人だな。」
「うん。」
「これ、電池が切れてるだけだと思う。」
「知ってる。知ってて、置いてあるの。」
その夜、私たちは眠らなかった。夜中の2時に、夫が押入れから小さなダンボール箱を出してきた。中に入っていたのは、黒い手帳だった。表紙が硬くなって、ゴムのバンドが伸び切っている。
「親父のだ。死んだ後、会社の机の引き出しから出てきた。」
手帳の中で、親父が「じいさん」と書いているのは、夫の祖父のことだ。
夫はそれを開いて、後ろの方のページを私に見せた。細かい字がびっしり並んでいた。数字と、現場の名前と、日付。
その一つを、夫が指した。
「3月14日。北浦の現場、9人を6人にした。決定を下したのは俺だ。やめた3人のうち2人は、他に行くところのない人だった。爺さんが生きていたら、俺を殴っただろう。」
そこで、その日の記録は終わっていた。
「俺が現場に残った理由が、これ。」
夫は静かに言った。
「本社に来いと言われた。その3年目に、親父は北浦の現場を切ったんだ。俺はその現場にいた。現場を外れた人のロッカーを、俺が片付けた。その時、決めた。俺は本社に行かない。」
それから夫は、最後のページを開いた。夫の父が亡くなる2週間前の日付だった。
「尚弥は本社に来ない。来なくていい。あれは俺が捨てたものを拾って歩いている。じいさんの言った通りだ。現場を見ない社長は、一番先に人を切る。」
私はその字を、何度も読んだ。
「親父とは、6年口を聞かなかった。これを読んだのは、葬式の1週間後だ。『遅いんだよ』って思った。」
夫はそう言って、笑おうとして失敗した。
「今度、うちの会社が7人を4人にしようとしてる。同じことなんだ。親父がやったことと。俺、あの会社の役員なんだ。名前だけ置いて、10年一度も口を開かなかった。止められる立場にいたのに、『現場の人間だから』って言い訳にしてた。しおりさんに言えなかったのは、それもある。俺は、ずるいんだよ。」
私は夫の手を取った。荒れて、割れて、爪の短い手だった。
その翌日から、夫は現場の仲間を地下の控え室に集めた。私も一度だけ、差し入れを持って顔を出した。折りたたみのテーブルの上に、清掃の使用書とコピー用紙と鉛筆が広がっていた。5人が頭を付き合わせて、どこにいくら使っているかを、一つずつ書き出していた。
「ペーパーね。前の厚いのに戻した方が安いと思うのよ。」
「なんでですか?」
「今の薄いの、みんな2回引くから、減りが早いの。」
「それ、両で出せますか?」
「出せるわよ。私、何個変えたか、毎日つけてるもの。」
夫は鉛筆を止めて、しばらく滝田さんを見ていた。それから、その数字を紙の一番上に書いた。
私はそれを見ていて、思わず口を挟んだ。
「うちに来た共益費の通知、昨年と今年で、上がり方が変です。」
「奥さん、それ、出せますか?」
「調べられます。経理なので。」
夫は長いこと私を見ていた。それから小さく息を吐いて、頷いた。
その時になって、私はやっと分かった。この人は決められなかったのではない。一人で決めるのが怖かっただけなのだ。この人には、ずっと「明日から」と言ってくれる相手がいなかった。
その4日後の夜だった。申請辞書の現地の確認は、夜の清掃が始まる時間に合わせて行われた。
私が残業を終えてエレベーターに乗ろうとしたら、エレベーターホールに人が固まっていた。スーツの人が3人と、作業着が2人。申請辞書の桑野という担当者と、コアの黒沢事務。そしてコア本社の杉浦部長。作業着の方は、現場責任者の前田さんと、私の夫だった。
私はエレベーターを見送って、柱の影に入った。
「率直に申し上げて、このビルの清掃はコストがかかりすぎです。7人は多い。4人でも、足りませんか?」
「おっしゃる通りで、うちも見直します。」
その時、廊下の奥から滝田さんが出てきた。スーツの人たちに気づくと、壁際によって深く頭を下げた。そしてそのまま、壁際を通っていった。
桑野はその背中を見て、声を潜めた。
「ああいうご年配の方は、正直こちらとしてはリスクなんですよ。転ばれても困りますし、若い人を4人入れた方が、うちとしては安心です。」
黒沢事務が曖昧に笑った。その時だった。
「桑野さん、誰をどこに置くかは、うちが決めることです。転んだ時に責任を負うのは、うちです。その上で、一つだけよろしいでしょうか?」
「え? あ、はい。何でしょう?」
「今の方は、滝田さんと言います。この現場の一番古株で、ずっと夜勤です。このビルの階段は14階まであります。手すりの裏側の埃を毎晩拭いているのは、滝田さんです。引き継ぎの時、御社の方がこのビルを一通り見て回られましたよね。あの時、『階段が綺麗だ』と言われたのを、覚えておられますか? あれは、滝田さんの手です。」
桑野は言葉に詰まった。黒沢事務が慌てて割って入ろうとした。
「柏木君、いいから君は。」
「事務。杉浦部長がそれを止めた。そして、夫の方へ向き直って、深く頭を下げた。
「柏木様、お話しになりますか?」
「様」と、部長は言った。桑野の顔がそこで止まった。黒沢事務の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
後で聞いた。黒沢事務は2年前に外から来た人だった。「名簿の柏木尚弥は、創業家の身内が名前だけ置いている」と聞かされていたのだそうだ。「柏木という苗字は、うちに何人もいる」とも言われていた。
夫は作業着のまま、少しだけ姿勢を正した。
「申し上げました。コアビルメンテナンスの柏木です。この会社の株の6割を持っています。株主総会を開けば、社長も事務も変えられます。ですから、この話は私が止めます。」
エレベーターホールが、しんと静まった。前田さんが持っていた書類を取り落とした。
「あの、失礼ですが。なぜ、その作業着で?」
「この仕事に入って、19年になります。」
夫はそう言って、書類を一枚出した。折り目のついた、手書きの表だった。
「人を4人にする案は、受けません。その代わり、金額は下げます。この表の通りです。」
桑野がそれを覗き込んだ。
「まず、床の剥離を1年に2回から1回にします。間は洗浄とワックスの重ね塗りで持たせます。痛むのは人がよく通るところだけですから、そこだけ部分で入ります。3年、光沢を測って記録を取りました。艶は落ちていません。次にゴミです。今はフロアごとに台車をいちいちエレベーターで往復させています。これを各階のゴミ置き場にまとめておいて、最後に荷物用エレベーターで地下2階のゴミ室に一度に下ろします。1日あたり50分浮きます。それから消耗品です。御社はトイレのペーパーを薄いものに変えられました。あれ、交換の回数が増えて、総額では上がっています。うちが直接仕入れれば、元の厚さに戻してなお下がります。ここは、毎月出ていく金です。最後に、今はよそに出されておられる植え込みの手入れと、建物の周りの草刈りと、玄関マットの洗濯。あれをうちでまとめてお引き受けします。今の委託費より下がります。日常清掃の回数は、事務室の拭き掃除と掃き掃除だけ一日置きでお受けします。トイレと給湯室は毎日、残します。ここは譲れません。この50分と、剥離を1回にして浮く分を、今の植え込みと草刈りに回します。人を増やさずにお引き受けできるのは、そのためです。それから、御社が払っておられるのは、うちへの委託金額だけじゃありません。この建物にかかる総額で見てください。合計しても、御社の固定額より1割だけ高いままです。その1割は、来年度の間、うちが持ちます。理由は、取締役会で私が説明します。そして、人は一人も減りません。」
桑野はしばらく黙って表を見ていた。それから顔を上げた。
「これ、どなたが作られたんですか?」
「私です。前田さんと、滝田さんと、大久保さんと、浅谷さんの5人で作りました。どこに無駄があるかは、床を拭いている人が一番知ってるので。」
桑野は深く息を吐いた。
「持ち帰らせてください。」
「お願いします。」
桑野さんが帰った後、黒沢が夫の前に立った。
「柏木さん。なぜ、今まで黙っておられたんですか?」
「事務が悪いんじゃないです。うちの会社が、そういう会社になってました。それを放っておいたのは、私です。」
夫はそこで一度、頭を下げた。
「事務、父のやり方を、私はもうしません。人を減らして数字を合わせるのは、一番簡単で、一番最後にやることです。」
黒沢は何も言わなかった。ただしばらくしてから、小さく頷いた。
私は柱の影で、それを全部見ていた。
申請辞書が夫の案を受け入れたのは、4月の半ばだった。契約は継続になり、人は一人も減らなかった。
書類を届けた夜、桑野さんは地下1階の控え室まで降りたそうだ。まだ薄暗いままの、あの突き当たりだ。
桑野さんは滝田さんの前で足を止めて、頭を下げた。
「階段、ありがとうございました。あと、この前は失礼なことを申し上げました。」
滝田さんは何のことか分からない顔をして、それでも「いいよ」と言って笑った。桑野さんはそれだけ言って、帰って行った。夫はその背中に、こう言ったそうだ。
「滝田さん、この現場で9年、無事故です。」
その頃には、夫のことがビル中に知れ渡っていた。うちの会社の総務の人が、私のところへわざわざ聞きに来たくらいだ。
「綾瀬さん、いえ、今は柏木さんですよね。9階のあの清掃の方、ご主人なんですか、と。」
私は正直に、「夫です」と答えた。
そこから先は、あっという間だった。最初に連絡してきたのは、霞だった。
「しおり、ちょっと聞いてないんだけど。なんで言わないの?」
「そういうこと、言うことでもないからね。」
「今度、旦那さん紹介してよ。うちの旦那の会社がさ、数棟のビルの管理会社を探しててさ。しおりから、一言言ってくれるだけでいいからね。」
私は返事に困った。その週末、家でその話を夫にした。言うつもりはなかったのに、顔に出ていたらしい。夫は少し考えてから、こう言った。
「しおりさん、俺が断るよ。」
「私が断る?」
「いや、俺が断った方がいい。しおりさんが断ると、しおりさんが悪者になる。」
翌日、会社のロビーであった時、夫は本社での打ち合わせの合間に来てくれた。作業着のままだった。霞は明らかに戸惑っていた。
「柏木です。妻がお世話になっています。」
「あ、いえ、こちらこそ。」
「ご主人の会社の件は、伺いました。お断りします。」
「え?」
「妻を馬鹿にしていた方に、妻を使って近づいてほしくありません。」
夫の声は少しも大きくならなかった。むしろ丁寧すぎるくらい、丁寧だった。
「うちの見積もりが欲しいだけでしたら、正規の窓口があります。そちらへどうぞ。ただし、営業に行くのはうちの社員です。その時、『清掃の会社だから』と値切るのは、やめてください。」
霞は真っ赤になって、俯いた。帰り際に、私は一つだけ言った。
「霞、私が渡してた10万円ね。あの人、3年間、1円も使ってなかったよ。全部そのまま取ってあった。搾取されてたんじゃないの。あの人が預かってくれてただけだったの。」
霞は何も言えずに、私に小さな声で「ごめん」と言った。私は「いいよ」と答えた。本当にそう思っていた。霞は悪い人ではない。ただ、私と同じように、値段で物を測る癖がついていただけだ。
帰り道、私は夫に聞いた。
「あんな風に断って、会社は困らないの?」
「困らないよ。うちは営業に困ってない。」
「そうなの?」
「困ってても、同じだよ。値段で選ばれた仕事は、値段で捨てられるから。」
私はその言葉を、しばらく考えていた。経理をやっていると、いつも安い方を選ぶのが正しいと思ってしまう。私はずっと、その基準だけで判断をしてきた。
越後子叔母からは、母に話した次の週に電話が来た。
「しおりちゃん、私ね、最初から言ってたじゃない。あんたは見る目があるって。言ってないよ。言ったわよ。人柄で選びなさいって。それでね、相談なんだけど。うちの下の子の会社がちょっと厳しくてね。旦那さんに、少し援助してもらえないかしら?」
私は受話器を持ったまま、しばらく黙っていた。横で聞いていた夫が、手を出した。「代わる」という意味だった。
「もしもし。柏木です。」
「あら、旦那さん。初めまして。私、しおりちゃんの。」
「はい、伺っています。『清掃員だからやめた方がいい』と、妻に言ってくださった方ですよね。」
その時、夫の声は少しも変わらなかった。
「その時、妻を守ってくださったのだと思っています。ありがとうございました。ですので、これで十分です。援助はしません。あの、そういう意味では。その仕事を見下す方とは、私は仕事をしません。身内でも、同じです。」
そう言って、夫は電話を置いた。それから私の方を向いて、頭の後ろを掻いた。
「言いすぎた。」
「うん。」
「うん。」
「怒ってない。全然。」
私は笑った。声を出して笑ったのは、通帳を見せられたあの夜以来だった。
母だけは、何も変わらなかった。正体を知らせた時、母は電話の向こうで少し黙って、それから言った。
「そう。すごいのね。でもね、私が手すりつけてもらったのは、社長さんじゃないから。あの人には、次に来た時、ぬか漬けを持って帰ってもらってちょうだい。」
それだけだった。私は電話を切ってから、泣いた。母はその後も、夫のことを「社長さん」とは一度も呼ばなかった。何度か私の方が言ってしまったことがある。
「お母さん、尚弥さんね、会社の株の6割持ってて。」
「はいはい。聞いてる。聞いてるわよ。それであの人は、うちの風呂場を直してくれるんでしょう。」
母にとっては、それで全部だった。母のそういうところに、私は救われた。
5月の連休に、夫が通帳を持ってきた。
「このお金、しおりさんに返す。」
「返さなくていい。」
「いや、返す。これは、しおりさんの金だ。3年分、360万ある。」
「返さなくていいって。」
私は首を振った。
「二人で使おう。」
夫が驚いた顔をした。
「あのね、私、ずっと考えてたの。この3年、私はこのお金を尚弥さんに使ってほしくて渡してたと思ってた。でも、違った。私は尚弥さんが誰かのために自分をすり減らすのを、見ていたくなかっただけ。だったら、最初から誰かのために使えばよかったんだよ。」
夫は何も言わずに、私を見ていた。
「困ってる清掃員さんとか、その家族のために使いたい。尚弥さんがいつも助けてきた人たちのために。」
夫は口を開いて、何も言わずに閉じた。それから、両手で顔を覆った。私は夫が声を出して泣くのを、その時初めて見た。私はその間ずっと、夫の背中に手を置いていた。
落ち着いてから、私はもう一つだけ言った。
「それとね、お金より先に作ってほしいものがあるの。地下の突き当たり。パイプ椅子が5つ置いてあるところ。蛍光灯が1本切れてて、そこだけ暗いの。あの人たちが座る場所を、先に作って。」
夫は少し慌てて、それから嬉しそうに頷いた。
「尚弥さん、これからも現場にいるの? もう隠す必要ないんだよ。会社に行ってもいいんだよ。」
夫は少し考えて、それからこう言った。
「床ってさ、人が一番見ない場所だろ? でも、そこが汚れてると、誰かが転ぶんだ。誰にも気づかれない場所を綺麗にする仕事が、俺は好きなんだよ。」
私はその時、父の言葉を思い出した。
「お客さんは運転手の顔なんか覚えちゃいない。それでいい。無事に降りてくれれば、それでいい。」
20年以上前に父が言ったことと、目の前のこの人が言っていることは、同じだった。私はきっと、最初からこの人を知っていたのだ。
それから2年が過ぎた。私たちが作った制度は、「コア暮らしの備え」というあまりかっこよくない名前になった。中身は単純だ。急に医療費や学費がいる時に無利子で借りられる。資格を取る時の費用が出る。子供が高校や大学に入る時に、いくらか補助が出る。対象はコアで働く人とその家族。パートも、夜勤の人も、入って3ヶ月の人も、同じ扱いにした。
元手は、あの360万円だった。足りない分は夫が出した。会社も同じだけ出した。けれど、最初の1円は、あの封筒だった。
夫は規定の前文に、こう書かせた。
「本制度は、ある一人が3年間、毎月10万円を届け続けたことから始まった。」
杉浦部長が「これは規定に書くことではない」と言ったらしい。夫は「書いてください」と言って、譲らなかったそうだ。
港第1ビルの地下1階。あの薄暗い突き当たりが、部屋になった。壁を立てて、天井の蛍光灯を全部変えて、8人が座れるテーブルと椅子を入れた。ロッカーを人数分置いて、小さな流しと電子レンジと電気ポットも用意した。壁は白ではなく、少し黄色みのある色にした。夜勤の人が明け方に戻ってきた時、真っ白い壁は目に刺さるからだ。
名前は「明かり」と言った。夜の仕事の人が帰ってくる場所だからだ。入口に木の札が下がっている。前田さんが作った。
今はコアが清掃を受け負っている建物のうち、11箇所に同じ部屋がある。
明かりの部屋ができた日のことを、私は忘れない。夫が私を連れて行って、扉を開けた。中には、滝田さんと、浅谷さんと、大久保さんと、前田さんがいた。テーブルの上に、湯気の立った紙コップが並んでいた。
「奥さん、座って座って。」
「いえ、私は。」
「いいから、座ってください。ここ、奥さんのおかげでできたんだから。」
私は座った。滝田さんが私の手を握った。
「柏木さんね、この部屋の壁紙、自分で張ったのよ。」
「え?」
「業者に頼んだら早いのにね。休みの日にね、一人で。あの人、本当にバカよね。」
滝田さんはそう言って、涙を拭った。
滝田さんは、今年の春まで働いた。お孫さんが大学を卒業して働き始めた月に、やめた。最後の日、滝田さんは自分のロッカーを空にして、中を拭いて、それから床を拭いて、帰ったそうだ。今も月に一度くらい、明かりの部屋に顔を出しては、みんなにお茶を配っているらしい。
大久保さんは、去年から現場責任者の補佐になった。名刺を作り直したと言って、夫に一枚くれたそうだ。
前田さんの上のお嬢さんは、去年大学に入った。学費の補助を使った、最初の一人だ。前田さんは夫に何も言わなかったけれど、その月から、明かりの入口の木の札を毎朝拭くようになったらしい。
浅谷さんは、去年から昼の勤務に移った。制度でビルクリーニング技能の資格を取って、指導する側になったからだ。
浅谷さんの息子のゆうと君は、中学2年になった。去年の学校の文集に、また作文を書いたという。浅谷さんがコピーをくれた。
「僕のお母さんは、ビルを綺麗にする仕事をしています。今年からお母さんは夜じゃなくて、昼に働いています。僕は、夜のお母さんも昼のお母さんも、どっちもかっこいいと思います。お母さんの会社には、『明かり』という部屋があります。僕は1回だけ行きました。あそこには、全部の人のロッカーがありました。全部の人の名前が書いてありました。」
私はそれを読んで、電車の中で泣いてしまった。
私も、自分の仕事のやり方を一つだけ変えた。共益費の見直しの資料に、私は一行だけ書き出した。
「この金額には、このビルを毎晩拭いている人たちの手が入っています。」
課長は何も言わなかった。ただ、赤字を入れずに判を押した。
「容量よくやれないの」と言われて泣いた、あの晩の自分に。今なら、一つだけ言える。
容量のいい仕事は、大抵、誰かの夜勤の上に乗っている。
母は今も一人であの家に住んでいる。手すりは全部、そのままだ。夫が付けそびれたネジの頭は、いつの間にか母が自分でシールを張って隠していた。
月に一度、私たちは実家に行く。夫は毎回、何かしら直して帰る。蛇口だったり、玄関の電球だったり、換気扇のフィルターだったりする。帰り際に、母は必ずぬか漬けの入ったタッパーを夫に持たせる。
「尚弥さん、これね。キュウリは早めに食べてちょうだい。」
「はい。」
「しおりにはやらなくていいから。あの子、すぐ冷蔵庫で忘れるから。」
夫は毎回「はい」と言って、受け取る。
子供のことは、二人でまだ話している最中だ。答えは出ていない。ただ、前のように怖くはない。
先週の土曜、私は港第1ビルへ行った。用があったわけではない。ただ、夫が土曜出勤だったから、行ってみたくなっただけだ。
14階の廊下で、夫は床を磨いていた。ポリッシャーという丸い機械だ。夫は膝を少し曲げて腰を落として、ゆっくりと機械を左右に振っていた。機械の跡が少しずつ重なるように、後ろへ下がっていく。少し離れたところに、あの黄色い縦札が置いてあった。夫が下がるたびに、その前の床が順番に光っていった。
私が見ているのに気づくと、夫は手を上げて私を止めてから、機械を止めた。
「何? どうしたの?」
「何も。見に来ただけ。」
「暇だな。」
夫はそう言って、タオルで額を拭いた。それから、少し照れたように笑った。
「なあ。やっぱり、清掃員の旦那ってのは、嫌か?」
3年前なら、私は慌てて否定しただろう。今は、違う。私はゆっくり答えた。
「うん。」
「うん?」
「私が結婚したのは、12億円の通帳じゃないよ。その作業着を着て、人を助けてるあなたです。」
それから、私はもう一つ言った。
「あの時計ね。そろそろ、動かしてもいいかな。」
夫はしばらく何も言わなかった。それから、頭の後ろを掻いて、また機械のスイッチを入れた。機械の下から、床がまた艶を取り戻していった。私はその後ろ姿を、廊下の角でずっと見ていた。ポリッシャーの音が、静かな廊下に響いていた。
その日の夜、夫は玄関で私の父の腕時計の電池を変えた。小さなドライバーで裏蓋を開けると、古い電池が液を吹いて白く固まっていた。夫はそれを綿棒でこすって、端子を綺麗に磨いてから、新しい電池を入れた。針は、当たり前みたいに動き出した。私たちはそれを、下駄箱の上に置いた。夫の古い革靴をしまってある、下駄箱のすぐ上だ。
夫の作業着の背中に、「コアビルメンテナンス」と白い字で入っている。それだけだ。役職は、どこにも入っていない。
あの春の騒ぎを覚えている人も、もうほとんどいない。このビルで働く人も、訪れる人のうち、今も作業着の背中の話をする人は、ほんの数人だ。その数人も、本人の前では言わない。
それでいいのだと、私は思う。
この人は、一つだけ物を買った。靴だ。黒い革靴を、やっと買い換えた。古い方は捨てなかった。玄関の下駄箱に、磨いたまま入っている。
「捨てないのか」と聞いたら、夫はこう言った。
「これ履いてる俺と結婚してくれたんだから。」
父が言った通りだ。何もなくて、みんなが黙って降りていく日が、一番いい日なのだ。
私が毎月渡した10万円は、生活費ではなかった。あれは、この人を信じた3年分の証だった。そして、夫が1円も使えなかったそのお金は、私たちが一番大切にしたかったものの形だった。



