部長が突然、俺の目の前に立ちはだかって言った。「君は今日で最後だ。会社から解雇された。理由は言わなくても分かるだろう。」
その言葉を聞いた瞬間、体中の血が沸騰するような怒りが込み上げてきた。長い間、この会社に尽くしてきたのに、結局この上司とは馬が合わなかったのだ。様々な思いが頭を巡り、もうこの上司の下で働き続ける気にはなれなかった。
「わかりました。私は今日で退職します。」
俺はそう言って会社を後にした。しかし、後日、部長から電話がかかってきた。何度もかかってくるため、仕方なく電話に出ると、後ろから社長の声が聞こえる。「彼はどこにいるんだ?早く彼が戻ってきてくれないと会社が潰れるぞ。」
この会社は思い知っただろう。俺が会社にとってどれほど重要な人間だったのかを。
俺の名前は最木涼介。ある建設会社の営業課長として働いている。俺の仕事は部下の営業管理はもちろん、自分自身が担当の取引先を持ち、直接営業を行っている。大手の建設会社と比べると俺の会社は小さな規模なので、その他にも会社の処務的なことも一部引き受けており、毎日が目の回るような忙しさだ。
高校を卒業後、今の会社に入社して25年になるが、俺はこの仕事が好きだ。自分のやり方を確立し、納得のいく仕事をしているつもりだ。
俺の上司に営業部長の村木がいる。村木部長は大口の取引先を任されており、常に成績はトップだ。俺も一目置いているのだが、俺の仕事のやり方が部長とは全く違うからなのか、俺のことを嫌っているようで、よくバカにされていた。
俺は契約を結んだ後も取引先によく出向き、自分の目で工場の進捗などを確認するようにしていた。納期は計画通りに進むのか、実際の工事内容が注文通りになっているか、突発的なトラブルは起こらないかなど、気になる点がたくさんあるからだ。それらをチェックすることで次の仕事にも繋がるという思いで、俺にとってこのスタイルは欠かせないものだ。
しかし部長は、契約がまとまるとあとはメールでのやり取りか部下からの進捗を聞くくらいだった。部長は俺に対して「効率が悪い」とよく言ってくる。
「お前は営業に無駄な時間を使っているんだ。もっと効率的に仕事をしろよ。お前みたいな奴はこの会社のお荷物なんだよ。」
俺は俺自身の考えを伝えた。
「そんなことはありません。私は現場の状況を把握することが大切だと思っています。お客様との信頼関係も築けますし、品質管理もできます。」
そんな調子で、部長と意見が合うことはなかった。
ある日、社長の長男が入社してきた。社長は俺に「最木君、教育として息子の剣に営業のノウハウを教えてくれないだろうか」と指名してきた。
「承知いたしました。社長、私も責任を持って教育させていただきます。」
俺は心よく社長に答えた。そして社長の息子の剣に挨拶をした。
「初めまして。私は営業課長の最木です。あなたの教育係になりました。これから一緒に仕事をしていきますが、社長の息子だからと言って甘えることは許しません。しっかりついてきてください。」
「わかりました。最木課長ですね。私はまだ何も分かりませんが、どうぞよろしくお願いします。私も一生懸命頑張りますから、ご指導ください。」
剣は素直に答えた。その様子を横で見ていた部長は、すぐに剣に話しかけてきた。
「お疲れ様です。社長の息子さんですか?何か仕事ができるオーラを感じますね。きっと才能のある方なんでしょうね。私は部長の村木と申します。よろしくお願いします。」
部長は剣に媚びへつらっていた。
「あなたが部長ですか?父から聞いていますよ。この会社の中心的存在だそうですね。私もあなたから色々教えてもらいたいです。」
剣は丁寧な挨拶で答えていた。
俺は営業先に剣を連れて行き、自分の仕事のノウハウを教えていった。「ここは私が担当しているお客様です。今日はあなたにも挨拶してもらいますよ。」
最初こそ素直に学ぶ姿勢を見せていた剣だったが、慣れていくに従い、横着な態度を見せ始めた。
「またここですか?なんでこんなに時間をかけるんですか?時間の無駄だと思いますが。」
剣は部長と同じ考えなのか、何度も取引先に行くのは面倒くさいという感じを見せ始めた。そして営業スタイルが徐々に部長のそれに傾いていった。
「村木部長、今日はどこに行きますか?私も一緒に行きたいです。」
俺が仕事を教えようとすると、剣は部長に聞くと言って部長の元へ行こうとする。日に日にその態度は悪さになってきた。社長から厳しくしつけてくれと頼まれていた俺は、剣に仕事の件は自分に聞くようにと念押しした。
「ちょっと待ってください。あなたの教育係は私だから、こういうことは私が教えます。」
「いや、村木部長に聞いた方が早いでしょ。あなたはただの営業マンだし。」
俺の注意に反発し、その日以降、剣は俺の言うことを無視するようになった。その様子を部長は満足そうに見ていた。
「やっぱり俺の営業スタイルが一番なんだ。お前も俺のやり方を見習ったらどうだ。」
部長は俺に得意げに言う。剣に懐かれていると感じた部長は、俺に対してよりきつく当たるようになった。
「おい、最木君、今日の報告書はどうなっているんだ?まさかまだ終わっていないとか言わないよな。」
そんな様子を見て、剣までもが俺のことを馬鹿にするようになった。
「ほら、早くしろよ。おじさん。いつまで働けると思っているんだ?もうじじいだろ。若い俺に譲れよ。」
俺に暴言を吐くこともあった。
ある日、俺は社長から呼び止められ、剣のことを聞かれた。
「最木君、剣の様子はどうかね?頑張っているか?」
「ええ、社長。彼はとてもやる気があります。頑張っていますよ。」
俺はどうしても社長に現状を伝えることができなかった。なんとか剣をまともな営業マンに戻さなければと考えていた。
ある日出社すると、部長が突然俺の目の前に立ちはだかり、こう言った。
「最木君、君は今日で最後だ。会社から解雇されたんだ。理由は言わなくても分かるだろう。」
一瞬、何を言われているのか理解ができなかった。隣にいる剣はニヤニヤしながら俺のことを見ている。
「やったぜ。これで俺が課長になれるんだ。お前のせいで邪魔されてたんだよ。さあ、おじさんはさっさと消えろよ。」
2人のあまりにも心ない言葉に、俺が呆然と立ちすくんでいると、部長がさらに罵倒してくる。
「役立たずは出て行け。お前がいるだけで会社の空気が悪くなるんだ。こんな無能な奴は見たことがない。」
剣もますます調子に乗る。
「じじいは戦力外。もうお前に必要なのは年金だけだろ。早く引退して老人ホームでも行けよ。」
その言葉を聞いて、俺は体中の血が沸騰するほどの怒りを覚えた。なぜ横着な仕事しかできない2人にここまで言われなければならないのか。俺が25年間培ってきたものを、こんな2人に壊されなければならないのか。
しかし、ここで声を荒げて見苦しいバトルをしたくない。この2人と同等の人間になってしまう気がした。俺は震える拳をぎゅっと握りしめた。長く働いたこの会社に愛着がなくなったわけではなかったが、この環境で働き続ける意義を見い出すことができなくなっていた。
気持ちを持ち直し、なんとか声にした。
「わかりました。私は今日で退職します。でも突然やめてしまえば困ることもあるかと思いますので、残務整理をさせてください。」
俺はそう言うと、取引先への連絡や部下への引き継ぎを始めた。部長とは馬鹿にした顔をして俺の行動を見ていた。
「この度は突然のご連絡で申し訳ありません。私は本日付けで会社をやめることになりました。今までお世話になりましたことを心から感謝申し上げます。」
電話口では取引先の担当者が一様に「何かの冗談だろう」というような反応で、詳細を説明しなければ納得しない様子だった。なんとか全ての取引先に連絡を終え、仕事の引き継ぎ事項を後輩たちに教えた。部下は皆一様に「なんで課長がやめなきゃならないんですか?おかしいです」と言ってくれたが、俺の心はもう決まっていた。
「みんな、俺は今日で最後になるが、みんなにはこれからも頑張ってほしい。陰ながら応援しているからな。」
そうして俺は会社を後にした。
俺は新幹線の中で窓の景色を眺めていた。昨日起こった突然の出来事はショックが大きく、気分転換にでもと日帰り旅行をしようと思ったのだ。そこでマナーモードにしているスマホの画面が光った。見てみると部長からの着信だ。せっかくの旅行を台無しにしたくないと思い、しばらくそのまま画面を眺めた。新幹線の中だったので無視をしていると、なおもしつこくかけてくる。俺はスマホの電源を切った。
新幹線を降りて電源を入れると、すぐに会社に来てくれという留守電が入っていた。留守電の様子ではかなり慌てた状況が伺えた。しかし、昨日あれだけ無能呼ばわりされたことを考えると、到底自分から電話をかける気持ちにはならなかった。俺が電話をかけ直さずにいると、またスマホが鳴った。あまりにしつこいので出てみると、やはり部長だったが、かなり慌てた様子だ。
「最木君、今どこだ?すぐに会社に来てくれ。」
部長の背後から社長の怒鳴り声も聞こえてくる。「彼はどこにいるんだ?早く彼が戻ってきてくれないと会社が潰れるぞ。」
切羽詰まった状況のようだった。俺は部長に言った。
「俺はもうやめた人間ですが、何かご用でしょうか?それに今旅行に来ているので、どちらにしても会社に行くのは無理です。」
そう断って電話を切った。せっかく気分転換に来ているのに、会社のことなど考えるのはもったいない。今日は旅行を楽しもうと、旅行中はスマホの電源を入れずに過ごした。
日帰り旅行から帰り、その日の夜、家でゆっくりしていると、今度は社長から電話がかかってきた。さすがにお世話になった社長からの電話は無視することはできず、電話に出ると社長は言ってきた。
「最木君、本当に申し訳なかった。今回の件をどうしても謝りたいんだ。具体的な話もしたいから、明日会社に来てくれないか。」
そう話す社長の声は、心なしか疲れているようだった。社長は俺をここまで育ててくれた人でもあった。部長と剣のことを許すわけではないが、社長には今までの恩もある。そう考えた俺は、社長に応じるべく会社へ行くことにした。
翌日、俺は社長室へ向かった。社長室へ入ると、社長と部長、それに剣もいた。2人は仏頂面で俺のことを見てきた。社長が促す。
「ほら、お前たち、最木君に言うことがあるだろう。」
2人はふてくされたままの顔をこちらに向け、「すいませんでした。」と頭を下げた。その姿は本当に反省しているとは全く思えず、仕方なく社長にやらされているといった感じだった。
すると社長は言った。
「まあ最木君、今回のことは2人も反省しているし、またみんなで協力して会社を盛り立ててくれないだろうか。」
俺は信じられなかった。こんな低姿勢な謝罪だけで、何もなかったかのように今までのように働けということなのだろうか。俺は思わず2人の顔を睨んだが、2人とも口元に薄ら笑いを浮かべている。最初から2人に謝罪してもらおうなど思ってもいなかったので期待はしていなかった。しかし社長のことは信頼しており、今回も社長の望みならばと足を運んだのだ。それだけに、社長がこの2人をかばう態度を見せたことがショックだった。今まで俺の仕事ぶりを評価してくれていたと思っていたのに、裏切られた気持ちだった。俺の長年の社長への信頼が音を立てて崩れていくのを感じていた。
昨日会社が大騒ぎをしていたのは、今まで俺が契約している企業全てが契約打ち切りだと言ってきたからだ。いつも営業の売上成績は部長がトップなのだが、内容は1件の単価が高いだけで、長期の契約を結べている企業はなかった。俺の方はと言うと、アフターフォローにも力を入れてきたので、契約件数も部長より俺の方が多かったのだ。
俺はこの25年間、どんなに小さな仕事でも笑顔で引き受けていた。俺がした仕事で喜んでくれる人がいるなら、俺は喜んで時間を遣ってきた。一軒一軒の取引先との信頼関係を作り上げていくことが俺の喜びでもあったのだ。取引先の社長は皆、そんな俺を信頼してくれて契約をしていたので、その全てが長い付き合いの企業だった。そんな俺が退職すると聞いて、今まで俺が契約している企業全てが契約打ち切りだと言ってきたということだったのだ。
俺は社長にきっぱりと言った。
「社長、この2人と一緒に仕事をしていくなんて無理な話です。俺はもうこの会社へは戻りません。」
そう言うと社長は、「君はもう一度やり直せると思っているのかもしれないが、この業界はそう甘くないぞ。」と俺を説得しようと必死だった。
「ご心配には及びません。俺はもう次の就職先が決まっていますので。」
俺はきっぱりと言い返した。それは退職を伝える連絡をした時のことだ。ある企業から思いもかけぬ提案をされた。
「そうでしたか。会社をおやめになるんですね。それならば、一つあなたにお願いしたいことがあるんです。」
電話の向こうから声がした。
「なんでしょうか。」
俺は不思議に思った。
「実はうちの会社であなたのような人材を探しているんです。あなたの経験やスキルは貴重なものです。どうかうちに来てくれませんか。」
取引先の社長が言ってきたのだ。その会社は俺が入社当時からお世話になっており、一番お世話になっていた会社でもあった。俺は突然の申し出に一瞬戸惑ったが、俺の今までの仕事ぶりを見てくれた上で声をかけてくれたのだと思うとありがたかった。
「ありがとうございます。喜んでお引き受けいたします。」
俺はそう答えた。
そのような顛末を知らない社長は、簡単に俺が戻ると思っていたのかと思うと腹立たしくもあったが、社長が事の重大さを分かっていない状況に、この会社の行末が容易に想像できた。社長に「今までお世話になりました。」と短く挨拶すると、会社を後にした。もう二度とここに来ることはないだろう。
数ヶ月後、予想通り、俺がやめた会社の売上はどんどん落ちていった。資格の更新ができなかったりして、知らないうちに失効している社員もいたらしい。俺は正直呆れ返ってしまった。俺が前の会社にいた時、建設関係に必要な資格の受験日や研修などのスケジュール管理も俺が行っていた。皆、それらの仕事は誰かがやってくれるだろうとお互いに思っていたのかもしれない。地味な仕事だが、会社を運営していく上でとても重要な仕事だ。本来なら、俺をやめさせた部長と俺を無能呼ばわりした社長の息子の剣が率先してやらなければならないのだ。俺がやめた後、そういった仕事がおろそかになり、誰も管理していなかったのだろうと容易に想像がついた。事が発覚してから慌てふためく2人の様子を想像すると、おかしくさえ感じる。
そんな様子で、結局会社の業績は振るわず、倒産寸前になっているようだ。その後の社長や部長たちは責任を取らされたとの噂を聞いたが、今はどうなっているのだろう。まあ、もう俺には関係のないことだが。
俺はと言うと、信頼できる社長の元で一生懸命働いている。今の社長は俺の以前の働きを認めてくれた社長なので、俺の営業スタイルを大いに褒めてくれた。その期待に答えたいと、俺は今まで以上に積極的に働いた。その成果もあって、今の会社の売上は徐々に伸びている。
「本当に最木君に来てもらってよかったよ。これからも皆の見本になって会社を盛り立ててくれ。」
「ありがとうございます。社長の元で働くことができて本当に良かったと思っています。これからも自分のスタイルを貫き通して仕事を頑張っていこう。」



