父の誕生日を祝うために、家族全員で予約した高級バーで、まさかあの増田電池の若社長に鉢合わせするなんて思ってもみなかった。酔った彼は妹の腕を掴んで無理やり酌をさせようとし、止めに入った父の頭にワイングラスを逆さまにして「悔しかったら全契約を切ってみろよ」と挑発してきた。しかし父は、その一言で「全取引を解消しよう」と言い放った。なぜ父がそんなに落ち着いていられるのか、そして彼が増田家とどんな関係…

父の誕生日を祝うために、家族全員で予約した高級バーで、まさかあの増田電池の若社長に鉢合わせするなんて思ってもみなかった。酔った彼は妹の腕を掴んで無理やり酌をさせようとし、止めに入った父の頭にワイングラスを逆さまにして「悔しかったら全契約を切ってみろよ」と挑発してきた。しかし父は、その一言で「全取引を解消しよう」と言い放った。なぜ父がそんなに落ち着いていられるのか、そして彼が増田家とどんな関係...

父の頭に向かってワイングラスが逆さに傾けられ、中身の赤ワインがスーツを濡らした。酸っぱい匂いが立ち込め、店内が一瞬で静まり返った。その中心に立っているのは、取引先の新社長だった。彼は余裕の笑みを浮かべ、挑発するように言い放った。

「悔しかったら、うちとの全契約を切ってみろよ。お前らみたいな底辺にできるはずがないだろう。」

その傲慢な言葉に、俺の中で押し殺していた怒りが一気に湧き上がった。しかし、父は冷静だった。タオルでスーツを拭きながら新社長を見据え、穏やかな声で言い放った。

「そう言われてしまったのなら、仕方ないな。」

その瞬間、凍りついた空気が場を支配した。父のその一言が、この後起きる波乱の始まりになるとは、俺もまだ気づいていなかった。

俺の名前は川崎ケト。父が営む小さな精密機器工場で働いている。父の工場は大手メーカーの下請けとして様々な部品を作っており、その技術力は業界内でも高く評価されていた。

また、父は研究熱心なため、新しい製品を開発するために日々探求している。元々凝り性ということもあり、一度集中してしまうと休憩時間を忘れるだけでなく、休日も返上して工場にこもるため、俺や母、さらには妹までも心配になるほどだった。

特に小さい頃は、あまり遊んでもらえなかったため寂しい思いをした記憶もある。家族で遊園地に行こうと約束していたのに、急な発注が入ったからとドタキャンされた時は、朝から大泣きしてしまい、母を困らせたこともあった。

また、思春期になると反発心から父の仕事を馬鹿にするようになり、父のような仕事にはつきたくないと思い、勉学に励んだ。

しかし、俺が高校生の頃、ある光景を目の当たりにしたことで、父への印象は大きく変わった。

夏休みに入り、俺が家でのんびりくつろいでいると、そこに20代後半くらいの男性が数名、父を訪ねてきた。そしてその人たちは「是非弟子にして欲しい」と懇願していたのだ。

父の開発した製品に感動し、こんな素晴らしいものを自分も作りたいと思い、弟子入りを志願したというのが理由だったらしい。そこで俺は、父がどれだけ多くの人の役に立つものを作ってきたのかを知った。そして、そんな父の作った製品に感動し、多くの人たちを引きつけることのできる魅力的な人物だったのかも知った。

そして夏休みの間、俺は工場で短期バイトとして雇ってもらい、父の仕事を観察することにした。

すると、家では見たことのない表情で真剣に製品を作る父の姿を見て、俺は初めて父を尊敬し、また誇らしいとさえ思えるようになっていき、そこから本格的に父と一緒に働きたいという感情が芽生えた。

ただ、俺はどちらかといえば文系タイプの人間で、父は真逆の理系タイプだった。さらに俺は不器用な性格だったことから、工場でバイトさせてもらっている間ミスを連発してしまい、かなり迷惑もかけてしまう。

そこで俺は大学に進学後、経営学を学び、卒業してからは営業として取引先と交渉をしたり納品の手伝いをするなどして、今は技術者とは別の方面から父の仕事を支えている。

そんなある日、俺は一番の取引先である増田電池に部品を下ろしに行くため、車を走らせた。

会社に到着し、エントランスに入ると早速一人の男性に声をかけられる。

「やっと来たか。」

そう、ぼそりと言うと、男性は苛つきながら軽いため息をついた。彼の名前は増田明。最近父親から社長を引き継ぎ、増田電池の二代目社長に就任したばかりの若社長だ。

「お待たせしてしまい、申し訳ございません。」

予定時刻より15分早く到着したものの、得意先の社長が不機嫌である以上、謝罪はすべきだと俺は判断し、深く頭を下げる。

そんな俺の姿を見て彼は「まあいいけど」と、何か言いたげな様子で返事をした。

彼は社長に就任する前からうちの取引の担当をしており、何度か仕事の関係で顔を合わせたことはあったが、正直どれも印象が悪く、人間としてはあまり好きにはなれないタイプだった。

元受けと下請けという立場を彼は極端に意識しているようで、こちらを見下す態度が露骨に表に出ていたため、こちらとしてはどうも気分が悪いと思えてしまうからだ。

さらに増田電池は業界内では割と儲かっている会社なので、彼はそれもひけらかすように常に自慢してくる。

「それはお前の父親の功績だろ」と突っ込みたくなることも多々あるが、変に揉め事を起こしてはうちの工場にとって不利な状況になりかねないため、毎度我慢している。

儲けが確かに大事というのは分かるのだが、俺の工場では儲けよりもどんな製品を作れば人々の生活が豊かになるのかというのに重点を置いていたため、彼の極端な考え方には納得がいかなかった。

うちの工場は研究開発にお金をかなりかけているため、正直裕福な生活は送れていない。ただそのおかげでうちにしか作れない部品もあり、それを俺は誇りに思っているし、そんな製品を生み出した父のこともリスペクトしている。

しかしこの若社長は、父親である先代社長を尊敬していないどころか、父親の功績を我が者顔で自慢するので、その様子に毎回腹が立ち、余計にストレスになっている。

「しかし、お前も大変だな。」

突然若社長は哀れむような目で俺を見つめながら口を開いた。

「新製品の開発の研究費用にまたとんでもない額を注ぎ込んでるって噂を聞いたぜ。親父がぼんくらって、完全に親ガチャ失敗だな。」

そう言って彼はケタケタと厭味ったらしく笑う。

「そんなことはありません。研究熱心な父を私は誇りに思っています。」

父のことを貶され、頭に血が登るほど腹が立った。しかしここで怒鳴り散らしても何もいいことはない。そう思った俺はぐっと怒りをこらえ、できる限り冷静にそう言い返した。

「カエルの子はカエルか。」

そう言ってふっと鼻で笑う彼の表情にさらにイラっと来たものの、俺はなんとか耐え、その場をやり過ごした。

それから数週間が経ち、父の58歳の誕生日まであと1週間に迫った頃、俺はある計画を実行するため密かに動いていた。

元々父はお酒好きではあったものの、外で飲むのは落ち着かないという理由から、毎日家でちびちび焼酎や日本酒を楽しんでいた。

ただバーや居酒屋などには興味があるらしく、時々テレビで特集されているのを見ると「洒落た店だなあ。美味しそうな酒だな」と言って妙に食いついていたのだ。

そこで俺は高級バーに父を招待し、誕生日を祝おうと計画する。バーには俺だけでなく、妻や母、また遠方に嫁いだ妹も呼び、家族揃ってお祝いをすることになった。

そして当日を迎え、何も知らない父を連れ出し、高級バーへと家族で向かう。お店の扉を開けると、落ち着いた雰囲気の店内にカウンターにずらりと並ぶお酒を見て、父は目をキラキラと輝かせた。

「これはすごい。」

そう父は嬉しそうに呟いてくれ、俺は内心ガッツポーズをする。

「今日は父さんのためにこの店を予約したんだ。」

「俺のためにか。どういう風の吹き回しだ。」

なぜここに連れて来られたのか理解できないのか、父は狐につままれたような様子でこちらを見る。そんな父の様子を見て母はクスクスと静かに笑う。

「あなたったら、今日は自分の誕生日だってこと忘れたの?」

そう母に言われ、父は少し照れ臭そうに耳を赤くする。

「ああ、そうだったか。仕事のことばかり考えていて、誕生日のことは忘れていたよ。」

なんとも父らしい回答に、俺と妹は顔を見合わせてニコリと笑みを浮かべた。

予約していた席に案内され、家族水入らずでお酒を楽しんでいると、突然店の扉が勢いよく開く音が聞こえ、それと同時に聞き覚えのある声が響き渡る。

「窓際の席を用意しろ。」

扉の方を見ると、そこには増田電池の若社長が立っており、ズカズカと大きな足音を鳴らして店内に入ってくる。

そしてカウンターで飲んでいた俺と、最悪なことに目が合ってしまう。

「お前はあの下請け工場のせがれか。」

俺を指差しながら彼は大声でそう言うと、頼んでもいないのにこちらにどんどん近づいてきた。

「お世話になっております。」

今日は会いたくなかったと心の中で思ったものの、一応得意先の社長である以上挨拶をしないというのは失礼だ。そう思った俺は、精一杯の作り笑いをしながらそう挨拶をする。

「なんで底辺がこんなところにいるんだよ。お前らちゃんと金は払えるのか?ここは高級店だぞ。」

いつものように厭味ったらしい言葉を投げかけ、若社長はニヤリと不気味に口角を上げる。

「今日は父の誕生日を祝うために、特別にこのお店に来たんです。料金についてもきちんと把握していますので大丈夫ですよ。」

当たり障りのない対応を心がけながら俺はそう答えたが、若社長は一向に俺たちのそばから離れようとしない。

「もしかして借金でもして金を調達したのか。見栄を張るために金を借りるのは良くないなあ。」

そう言ってケタケタと若社長は笑うと、酒の匂いが鼻の奥をツンと刺激する。おそらく彼はすでに酔っ払っているのだろう。

ますます面倒な状況になったと思い、俺は小さなため息が漏れた。どうしたものかと悩んでいると、若社長は突然俺の隣に座る妹に目を向ける。

「お、なかなかの美人がいるじゃんか。姉ちゃん、ちょっとこっちで酌しろよ。」

そう彼が言うと、妹の腕をぐっと掴み、引っ張るようにして席を立つよう強引に促す。

「やめてください。痛いです。」

妹はそう言って腕を振るが、若社長は話すどころかより力を込めて妹の腕を掴む。

そんな様子を見て俺は慌てて間に入ろうとしたが、それよりも先に父が声をあげた。

「いい加減にしなさい。こんな醜態を、君の親父さんが見たらきっと泣くだろうな。」

父はそう吐き捨てると同時に、若社長の腕をピシャリと叩く。

「痛っ。何すんだ、てめえ。」

若社長は妹から手を離したものの、激怒した様子で声を荒げながら父を睨みつけた。しかしそんなことにも父は動じず、ゆっくりと口を開く。

「君の名前は確か、明君だったね。」

「お前、俺は社長だぞ。呼び捨てで呼ぶな。」

「それはすまない。君がまだ赤ちゃんだった頃に何度か会ったことがあったから、その感覚がどうも抜けなくてね。」

父はそう言うと、優しく微笑みながら若社長の目をじっと見つめる。俺や妹は父の言葉が理解できず、困惑したまま様子を見ていた。そして若社長自身も、わけが分からないといった様子で狐につままれたようだった。

「実は君のお父様とは、独立する前、同じ会社でエンジニアをしていたんだよ。それで仲良くさせてもらっていてね。今でも連絡を取り合うほどなんだ。」

「何?」

「彼は昔から他人に迷惑をかけるのを極度に嫌がる性格だったことも、よく知っている。だから君の行動を見て、ああやって声をかけさせてもらったんだ。」

まさか父と取引先の先代社長が友人関係にあったとは知らず、俺も驚いた。若社長も驚愕した様子だったが、突然何を思ったか、近くに置いてあったワイングラスを掴んだ。

「親父と仲がいいからって。そんなの俺には関係ない。」

そう言うと彼は、持っていたワイングラスを父の頭の上に持っていき、そのまま逆さにする。当然グラスに入っていた赤ワインはこぼれ落ち、父のスーツは真っ赤に汚れてしまった。

「何をしているんですか?」

あまりのことに俺は声を上げてしまう。当然この騒ぎには周囲も驚愕し、店のスタッフが慌ててタオルを持って駆けつけてくれた。

父はスタッフからタオルを受け取ると顔を拭くが、白いシャツにはワインがしっかり染み込んでおり、おそらくクリーニングをしても完全に染みを取るのは難しいだろう。

俺や妹、そして母は慌てた様子で父に声をかけるが、その様子を見て若社長はケタケタと大声で笑う。

「うちに依存する底辺ゴミが偉そうにしているから、天罰が下ったんだ。悔しかったら、うちと結んでいる全契約を切ってみろ。どうせできっこないだろうがな。」

「いい加減にしろ。父さんに何てことをしたんだ。今すぐ謝罪しろ。」

今まで心の奥底に貯めてきた怒りが、今回の一件で溢れてしまい、俺は周囲のことなどお構いなしに大声で若社長を怒鳴りつけてしまった。

しかし当の本人は「うざ」と呟きながら、面倒くさそうに頭をボリボリとかきながらその場を離れようとする。

そんな彼の様子にまた声をあげようとしたが、それに気づいた父が咄嗟に俺を静止する。

「ケト、お前は下がっていなさい。」

そう俺に言うと、父はすぐさま若社長に顔を向ける。

「明君にそう言われてしまったのなら、仕方ない。全取引を解消しよう。」

「それはさすがにやりすぎだって。」

父の言葉に俺は思わず反論するが、父は顔色一つ変えず、「大丈夫だ。問題ない」と言って微笑む。あまりの落ち着きっぷりに、若社長も動揺しているのか「は?マジで言ってんの?」と呟きながら目を泳がせている。

「この状況で冗談を言うわけがないだろう。」

「本当にいいんだな。後で泣きついてきても知らねえからな。」

そう若社長は大声で叫ぶと、そのまま勢いよく店を出ていった。

「本当に大丈夫なのか?いくらなんでも契約を全て打ち切るのは。」

俺は心配のあまり父にそう声をかけるが、父は変わらず落ち着いた状態で口を開く。

「問題があったら、さすがにこんなことを言わないさ。大丈夫。ケトは何も心配しなくていい。」

そう言って父は余裕の笑みを浮かべるが、この時の俺は、まさかあんな展開になるなんて想像すらしていなかった。

翌日、朝から父は工場で作業しており、俺は事務所でデスクワークに励んでいた。すると突然事務所の戸が開く音が聞こえ、俺は入り口に目を向ける。

「え、増田会長…」

そこには増田電池の先代社長で、現在は会長に就任した増田会長の姿があった。そしてその隣には若社長の姿があり、どことなく暗い表情をしているように見えた。

「突然訪ねてきてしまって申し訳ない。息子の件で、どうしても謝罪がしたくて。」

増田会長はそう言うと深々と頭を下げる。

「頭をあげてください。父を呼んできますので、少々お待ちください。」

増田会長から直接謝罪されるとは思っておらず、俺は大慌てで工場で作業中の父を呼びに向かった。

「待たせてしまって申し訳ない。」

父は事務所に入ると同時に、穏やかな表情で増田会長に向かって軽く挨拶をする。

「いや、謝りたいのはこっちの方だ。本当に昨日は申し訳なかった。ほら、お前も謝罪しろ。」

増田会長はそう言うと、若社長の頭をガシッと鷲掴みにする。

「痛ってて。やめろよ。」

若社長は抵抗するが、増田会長は力を弱めることなく、グッと彼の頭を下に押し付ける形で強引に頭を下げさせた。

「まあまあ、落ち着いてください。一旦座って話をしようじゃないか。」

父は提案し、俺と父、そして増田会長と若社長の4人で向き合う形で事務所のソファーに腰かけた。

「昨日酔っ払って帰ってきたうちのバカ息子が、突然川崎の工場との契約を打ち切るなんて言い始めてな。詳しく話を聞いたら、バーでの一件を知ったんだ。家族の時間を邪魔しただけでなく、ワインまでぶっかけたとは。」

増田会長はここに来るまでの成り行きを説明すると、深いため息をつく。

「しかも何も考えずに契約を打ち切るなんて。こんなアホを社長に指名したことを恥ずかしく思う。」

「それはねえだろ、親父。これはあくまでも上下関係をしっかり理解させるためにやったことであって…」

若社長は言い訳をするが、増田会長はそんな彼の太ももを思いっきり叩いた。

「痛っ。」

「いい加減にしろ。我が社が自動車メーカーに向けて販売しているバッテリーは、この工場で製造されているんだぞ。」

「そんなこと言われなくても知ってるさ。でも、ここでわざわざ取引しなくても、今後はよその工場に頼めば問題ないだろ。」

「バカ。川崎が開発したリチウムイオン技術は、ここでしか製造ができないものなんだぞ。」

「え、それマジ?」

ハイブリッドカーや燃料電池車が主流となっている現在、この工場で製造されているバッテリーは自動車を作る上でなくてはならない存在だというのに。

「お前は…!」

そう増田会長は叫ぶと、今にも若社長に飛びかかりそうな勢いで立ち上がる。

「増田、落ち着け。」

父が増田会長を制すと、少しだけ冷静になったのか、軽く呼吸を整え、ゆっくりソファーに腰を下ろした。

「明は、ずっとこの工場の取引を担当していて、今まで問題なく円滑に仕事ができていたものだから、社長を任せても問題ないと思っていたが、過信しすぎていたようだ。」

増田会長はそう言って、だらりと頭を抱える。

「ケト、彼と仕事のやり取りをしている中で、今まで問題はなかったのか。」

父に突然話を振られ、俺はビクッと体を震わせた。

「いや、仕事上で問題はなかったけど。でも、うちの工場を下請けだからって見下す言動は、よくあったかな。」

そう俺が話すと、増田会長は若社長を鬼の形相で睨みつける。

「具体的に、どんな風に見下されたんだ?」

父からさらに問いかけられ、俺は少し躊躇しながらも口を開く。

「えっと…利益が好調な会社の後継に慣れたことを自慢されて、逆に俺のことは親ガチャ失敗だのと言われたこともあったかな。」

「なんだと。お前、そんなことまで言っていたのか。」

増田会長は若社長に詰め寄るが、彼は「いや、そうじゃなくて、その誤解というか…」と言葉を詰まらせながら焦るだけだった。

「なるほどな。それをケトはずっと我慢していたのか。」

「だって、増田会長のご子息だって知っている以上、下手に反論はできないだろう。だから言動に関しては我慢して、できる限り円滑に仕事が進むように努力するよう徹底していたよ。」

俺が一通り話を終えると、増田会長は哀れみと怒りが入り混じったような表情で俯いており、覇気がないようにも感じた。

「重ね重ね、本当に申し訳ない。これは親である私の責任だ。何でもするから、どうか許してくれ。」

そう言って増田会長は立ち上がると、すぐさま床に膝をつき、深々と頭を下げて額を床に擦りつける。

「そんな、土下座なんて。増田会長、顔をあげてください。」

俺はそう言ったものの、増田会長は一向に頭をあげる気配がない。

「本当にお前は真面目な性格だな。けじめをつけたいという気持ちはわかる。だが、謝るべき人間はお前ではない。」

そう父が言うと、若社長はことの重大さにようやく気づいたのか、ドッと額から冷や汗を流し、目を泳がせ動揺する。

「ああ、君は現社長で、今回の騒動を起こした張本人だろ。なのになぜ、まだ謝ろうとしないんだ?」

「も、も、申し訳ございませんでした。」

若社長はようやく「やばい」と感じたのか、声を上擦らせながら謝罪し、増田会長の隣に座り込むと、そのまま一緒に土下座し始めた。

「やっと謝罪してくれて、少しほっとしたよ。それじゃあ2人とも、今後についてきちんと話をしたいから、席に座ってくれるかい?」

そう父に促され、増田会長と若社長はゆっくり立ち上がり、そしてソファーに腰かける。

「単刀直入に言うが、今後もうちと契約を続けたいのであれば、こちらの条件を飲んでもらいたい。」

「条件。それは何だ?」

「明君を社長から退任させ、増田がもう一度社長になることだ。」

父の発言を聞き、最初に驚きの声をあげたのは若社長だった。

「俺、首になるのか?そんなことさすがにしねえよな、親父。」

若社長はそう言って増田会長にすがりつくが、増田会長は彼の顔を一切見ず、ゆっくり口を開く。

「わかった。明は今日限りで社長を辞任してもらう。」

「嘘だろ?親父。俺は息子なんだぞ。そんな簡単に決めるなんて、あんまりじゃないか。」

若社長はそう言って喚き散らすが、増田会長はそれを聞いて大きなため息をついた。

「息子だからこそ、大きなショックを受けているんだ。お前のことは信用していたし、信頼だってしていた。なのに、こんな形で裏切られて、正直親子の縁を切りたいとすら思っている。」

「そんな、嘘だろ。親父。何かの冗談だろ?」

そう言って若社長は涙を流しながら増田会長の腕を掴みすがりつくが、増田会長はその手を振り払う。

「迷惑をかけてしまって、本当に済まなかった。」

そう増田会長は言い、深々と頭を下げると、若社長の腕を掴み、その場を去っていった。

翌日、増田会長から電話があり、「息子は解雇し、今後親としても援助も一切しない」と宣言したと説明してくれた。

その後、彼は他の精密機器メーカーに再就職したという話を噂で聞いたのだが、元々適当な仕事ばかりしていたせいで技術もあまり学んでいなかったために、すぐにお払い箱になったらしい。

そして数ヶ月が経ったある日、ニュースで「暴行の容疑で増田明容疑者を逮捕」という文言を目にし、とても驚いた。

どうやら職を失った後、彼は酒に溺れるようになり、酔った勢いで警察沙汰を起こしてしまったようだ。

当然増田会長にもこの話は耳に届いており、「いつになったら反省してくれるのか」と嘆いていた姿を見て、少し胸が苦しくなった。

それから2年が経ち、俺は父の工場を継ぐことになる。元々文系だった俺が父の工場を継ぐというのは少々不安だったものの、父から「うちには俺が育てたすご腕の技術者がたくさんいる。だから心配するな」と言われ、気持ちが落ち着いた。

そして社長就任式当日。新しいスーツに身を包み、父の前に立つと、父は笑顔で俺の肩を優しく叩く。

「かっこいいじゃないか。孫にも衣装だな。」

そう言って笑う父の姿を見て、緊張が和らいだ気がした。父なりの褒め言葉に背中を押され、俺は社長就任の挨拶をするため呼吸を整え、ゆっくりとステージに登壇した。

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