「他人は逆らうなよ」——次期社長の発表の場で、池田社長は私にそう言い放った。7年間、休日も私費も使って会社を救ったシステムを作ったのは私だ。それなのに、功績は全て社長のものになり、ボーナスは減らされ、挙句には「予算を半分にカットする」と脅された。もう我慢の限界だった。私は静かに退職を決意した。だが、有給消化中の朝、突然会社から電話がかかってきた。「今すぐ来い」と。そして、そこで私は全てを明か…

「他人は逆らうなよ」——次期社長の発表の場で、池田社長は私にそう言い放った。7年間、休日も私費も使って会社を救ったシステムを作ったのは私だ。それなのに、功績は全て社長のものになり、ボーナスは減らされ、挙句には「予算を半分にカットする」と脅された。もう我慢の限界だった。私は静かに退職を決意した。だが、有給消化中の朝、突然会社から電話がかかってきた。「今すぐ来い」と。そして、そこで私は全てを明か...

大手銀行を退職した息子が次期社長だ。他人は逆らうなよ。

その言葉が放たれた瞬間、会議室の空気が凍りついた。7年間、この会社のために身を削って働いてきた俺に向けられた言葉が、これだった。

俺の名前は川野、49歳。都心の大学を卒業後、システム開発を手掛ける大手企業に就職し、開発部で必死に働いてきた。そんな日々に別れを告げたのは7年前のことだ。

大学の後輩である北口から、一本の電話がかかってきた。

「川野先輩、助けてください」

電話の向こうの声は、明らかに追い詰められていた。慌てて事情を聞くと、驚くべき答えが返ってきた。

「うちの会社、廃業寸前なんです」

北口の会社は、新しいが勢いのある企業だったはずだ。しかし、社長が交代してから経営が傾き、銀行からの融資も打ち切られ、社員が次々と辞めているという。

「先輩なら大手でシステム開発をされていましたよね。うちの業務を立て直せるかもしれないと思って」

北口は経営企画を担当しており、現場にほとんど関与しない現社長に代わって、採用や業務改革をほぼ自分の一存で動かせる立場にあった。情報システム部門のトップとして入ってくれれば、現場レベルの改革は自由にできると言う。

「俺、仕事を失うわけにはいかないんです。娘の入院費用を稼がなきゃいけないし」

北口の娘は生まれつき重い病気を抱え、多額の治療費が必要だった。その事情を聞いた俺は、思い切った決断をした。

「分かった。俺がお前の会社に転職して、なんとかする」

「え、いいんですか? 川野先輩が来てくれたら助かりますけど、こんな大変な事態に巻き込むわけには」

「俺はお前と違って一人身で、気軽に動ける。それに、お前の娘には何度も会ってて、他人には思えないんだよ。ちょうど会社を辞めようかと思ってたところだ」

実はこの時、俺は出世争いに負けて打ちのめされていた。ライバルの同僚に根も葉もない悪評を流され、職場での居場所を失っていたのだ。

そして俺は北口の会社に転職し、大手企業で培った経験と知識を存分に振るった。私費と休日を使い、業務効率化システムを独力で開発・実装したのだ。その結果、会社の業績は見る見るうちに回復。北口は大喜びで、俺も会社のピンチを救った充実感に満たされていた。

ところが、思わぬ人物がケチをつける。

「あのシステムは俺が指示して作らせたんだよ。細かい部分は俺が考えたんだ」

社員に自慢げに話しているのは、会社のトップである池田社長だった。この人は最初から俺に対してあまりいい顔をしていなかった。転職が社員である北口の紹介だった上、俺が大手企業でそこそこの役職だったこともあり、簡単な面接だけという形になった。採用担当者は俺の雇用に前向きだったが、同席した池田社長はいい顔をしなかった。

「もっと若い人材が欲しいんだけどな」

ブツブツ文句を言っていたが、社長以外は全員納得していて、そのまま採用となった。北口に採用試験の様子をそれとなく聞くと、こんな答えが返ってきた。

「社長は若い頃、川野先輩がいた会社の採用試験を受けたんです。でも不採用だったんですって。それが悔しくて必死に働いて起業したんですよ。多分ですけど、劣等感があるんじゃないですか」

そういう事情があったのかと納得した。俺もあの会社を追われた立場だ。社長は俺が入社してから業績が回復した事実を頭では理解していたはずだ。だからこそ、余計に認めたくなかったのだろう。自分の会社を中途採用の部下に救われたという事実を。

それでも、いずれ社長とは分かり合えるはずだと俺は思っていた。しかし、社長は一向に俺を認めようとせず、結局システムは社長の功績という認識となり、俺の名前は一切表に出なかった。

「黙ってていいんですか?」

不満そうな北口に、俺は苦笑いで答えた。

「お前のピンチを救えたんだ。それで十分だよ」

「川野先輩、お人よしすぎますって」

呆れたように言う北口に、俺は何も答えなかった。

会社が立ち直った後も、池田社長は俺に一切感謝しなかった。むしろ、俺に対する悪い感情を徐々に募らせていく。

決定的だったのは、4年前のある取引先との会議だ。俺と社長は大手取引先と重要な相談を進めていた。相手は、我が社で使っている業務効率化システムを使いたいと持ちかけてきたのだ。嘘がバレないように、社長は俺を無理やり同席させた。

「APIの使用書をいただけますか?」

取引先の問いかけに、社長はポカンとしているだけだった。

「おい、APIって何だ?」

はっと我に返ると、慌てて俺に耳打ちする。俺が代わりに答えると、その後も社長は取引先の質問にしどろもどろで対応。相手も社長では話にならないと気づいたらしく、最終的に社長ではなく俺に質問してきた。

そして会議が終わる直前。

「このシステムは社長のご指示で開発したと認識していましたが、我々の勘違いでしたね。大変失礼いたしました」

池田社長は自分の嘘がバレたことに気づき、顔を赤くさせた。会議の後、俺に対して罵声を浴びせてきた。

「お前がうまくサポートしないから恥をかいたじゃないか」

後日、その取引先の担当者から個別に名刺を渡された。

「川野さん、もしよければ一度うちへ話を聞きに来ませんか?」

その言葉を、俺はずっと頭の片隅に置いていた。

これ以降、池田社長は俺に対する態度を悪化させていった。他の社員の前でも平然と俺を馬鹿にしてくる。社長なので誰も俺を庇えないが、北口は俺の味方でいてくれた。

「俺だけじゃありませんよ。システム開発部の社員は全員、川野先輩の味方です」

開発部の社員は俺を入れてわずか5名。苦楽を共に乗り越えてきた頼もしい味方だ。

「俺、池田社長に直談判します。川野先輩を正当に評価してくださいって」

北口の申し出に、俺は慌てて首を横に振った。

「いやいや、もう十分だよ。部長に昇進できたし」

「でも川野先輩、ボーナスをちゃんともらってないですよね」

北口の問いかけに、一瞬返事に詰まる。俺のボーナスはかなり少なかった。疑問に思って直接聞いたこともあるが、「転職してまだ日が浅いから」と言われるだけで、7年経っても一向に増えなかった。

「俺のために何かしなくていいから」

必死に北口を止めたが、本人は納得しなかったらしい。

ある日、社内通達で驚きの内容が舞い込んできた。

北口が総務に移動。

飛び上がりそうなほど驚いた俺は、出勤してきた北口に事情を尋ねた。すると、少し言いづらそうに口を開いた。

「社長に直談判したせいです。先輩の処遇をよくしてくださいって」

「そんなことをしてたのか」

「どうしても納得できなくて。俺を助けるために転職してくれた先輩が、こんなひどい目に遭い続けてるのを見て、責任を感じてたんです」

北口の目には涙が浮かんでいる。釣られて、俺も泣きそうになってしまった。

北口の移動は社長の決定事項で、俺がどうにかできることではなかった。味方を失い、俺は意気消沈する。同時にこう悟った。相手は社長で、下手に動いても悪化するだけだ。

俺は落ち込んだまま日々を送る。すると、さらに俺を追い詰める出来事が起こった。

ある日突然、池田社長が全社員を集めて集会を開催。そして衝撃の発表を行った。

「銀行を退職した息子が次期社長だ」

社員からどよめきが起こる。役員たちの方を見ると、驚いた表情をしていた。どうやら社長の独断の発表らしい。

「年齢的に俺もそろそろ引退だ。会社を任せるなら信頼できる身内がいい。俺の息子は大手銀行で働いた経験がある優秀な人材だ。タイミングよく最近退職したから、2代目社長として育てることにした」

大手銀行を退職した理由について、社長は詳しく語らなかった。あまりにも突然すぎる決定に、俺は呆然と社長を見つめていた。

すると社長がこちらへ視線を向ける。

「他人は逆らうなよ」

明らかに俺に対する発言だ。7年間貢献してきた俺を、出身企業への劣等感だけで内情者扱いにする。もう少し処遇を考えてもらえないか。そんな不満を抱きつつ、集会は終了した。

部署へ戻ろうとした俺の肩を、いきなり誰かが乱暴に掴んだ。

「社長、何でしょう?」

俺を呼び止めたのは池田社長だ。にやにやした笑みを浮かべながら、とんでもないことを口にした。

「次期社長の決定に伴い、社内の人事も大幅に変更予定だ。いつまでも部長の椅子に座っていられると思うなよ」

社長は俺を降格させるつもりなのか? 私情で他人を振り回すなんて、社長失格だ。怒りのあまり、俺は思わず言い返してしまった。

「社長ともあろう方が、自分の権力を振りかざすのですか?」

すると社長は怒りで顔を真っ赤にしながら、さらに信じられないことを言い放った。

「誰に向かって生意気な口を聞いている? 情報システム部の予算を半分にカットするぞ」

この人には何を言っても無駄だ。7年間歯を食いしばって耐えた日々が、音を立てて崩れていった。同時に俺は自覚する。俺が消えれば、これ以上の問題は起こらないだろう。

「失礼しました」

深々と頭を下げ、踵を返す。

「おい」

池田社長が何か叫んでいたが、聞こえないふりをして部署へ戻った。

情報システム部に戻った後、俺は総務に移動になった北口を呼び出し、部署の社員も集め、社長との間に何があったか詳しい事情を話した。

「これ以上俺がここにいたら、みんなに迷惑がかかる。だから俺は会社を去ろうと思う。今まで色々迷惑をかけてしまったな。あとは頼みます」

頭を下げながら、悲しい気持ちで決意を口にする。北口と社員たちも、うつむきながら辛そうな顔をしていた。

ゆっくり頭を上げると、北口が俺の肩をポンと叩いた。

「北口…」

北口の顔に、先ほどまで浮かんでいた悲壮感はない。代わりに、強い決意がみなぎった目を俺に向けていた。

それから1ヶ月後、俺が会社を去る日が訪れた。正確には、あと1週間会社に席を置くことになっている。この1週間は残った有給の消化期間で、会社に出勤する必要はない。

荷物をまとめ、7年間勤めた会社を後にする。

「明日は久々にのんびりするか」

いい終わり方とは言えなかったが、俺の顔には笑顔が浮かんでいた。

翌日、ゆっくり起きて朝食を済ませ、散歩にでも出ようかと考えていると、スマホの着信音が鳴り響いた。表示されているのは、会社の名前だ。

「もしもし」

「今すぐ会社に来い」

聞こえてきたのは、池田社長の怒声だ。

「有給消化中ですが」

「来ないなら、お前の家に行くからな」

返事をする暇もなく、電話が切れてしまう。家に押しかけられるのは嫌だったので、仕方なく会社へ向かった。

エントランスに入ると、待機していた池田社長がすっ飛んでくる。社長の顔には怒りが滲んでいたが、顔色は青く、脂汗も滲んでいた。

「こっちに来い」

説明もなく連れて来られたのは、会社で一番大きな会議室。入ると役員たちが全員揃っていた。

「川野君、休暇中に申し訳ない。実は君が開発した業務効率化システムが突然停止したんだ。君にはその対応に当たってもらいたい」

「ああ、そのことですか」

このシステムは請求書の発行や管理、顧客情報、在庫管理など、会社の様々な業務を担っている。重大な問題発生に対してあっけらかんと返した俺に、役員たちと池田社長は目を丸くしていた。

「お前、どういう事態か理解してないのか? 会社の業務がほぼ全停止してるんだぞ」

「そのシステムの利用権の即時消滅に伴い、停止させたのは俺です」

7年間ずっと黙ってきた。功績を奪われても、給与を抑えられても、部下の前で馬鹿にされても。だが、今日は違う。

「ど、どういうことだ?」

静寂を破ったのは、池田社長の叫び声だった。

俺は鞄の中から、ある書類を取り出す。会社に呼び出された理由は、電話に出た時から分かっていた。だから、必要なものを事前に準備できたのだ。

「なんだこれは?」

「業務効率化システムの利用契約書です。あのシステムが特許を取得しているのはご存知ですね」

問いかけると、池田社長が頷いて答える。

「もちろん。あれは会社の特許だからな」

「いや、分かってないじゃないですか。あれは俺個人の特許システムですよ。名義は会社ではなく、俺のものです」

今度は役員たちが騒ぎ始めた。

「何を言ってるんだ?」

「あのシステムは俺が自力で開発し、実装したものです。開発の際、休日と私費を使いました。会社からの支援は望めなかったので。業務改善システムの作成を申し出た時から、池田社長の俺に対する一方的な敵視が始まっていました」

「勝手にしろ。会社は関与しない」

そう言い捨てられ、何も支援をもらえなかったのだ。それならばと、俺は当時の担当役員に「会社は本件の開発に一切関与しない」という一文を含む覚え書きにサインしてもらった。そして、仕方なく自分の時間とお金を使って開発したのだ。

このシステムが特許を取得できると気づいたので、権利保護のために情報漏洩の防止と社内利用に限るという契約書を作成していた。特許申請前に一般公開すると、特許取得に必要な新規性が失われてしまう。それを防止するために、俺は契約書を作成していたのだ。

「契約書の条文には、こんなものがあります。『両者の信頼関係が損なわれた場合、システム及び特許の利用権は即時消滅する』と」

意味を理解した池田社長の目が、大きく見開かれた。

「信頼関係の喪失…」

役員の一人が「どういうことだ」と声をあげる。

「ご存知の方もいるでしょうが、俺は社長からあまりいい扱いを受けていませんでした。1ヶ月前の集会後に社長から将来的な降格を宣言され、さらに部署の予算を半分カットすると脅されたのです」

役員たちからざわめきが起こる。

「俺がその気になれば訴えることもできますが、時間と労力がもったいない。黙って会社を去る方を選んだのですよ。ただし、契約書の内容に従った上でですが。いずれ信頼関係は崩れる。そう考えて、俺はあの条文を契約書に記載したのです。契約書は社長にも提出して、サインをもらっています。知らなかったとは言わせませんよ」

社長は滝のような脂汗を流している。最初に契約書を提出した際も、1年更新で再提出した際も、社長はパラパラとページをめくるだけで中身を確認していなかった。

全ての事実が明らかとなり、会議室は再び静まり返った。

「我が社には情報システム部の社員がいます。全員優秀な社員です。新しいシステムの開発を依頼してみては」

すると、役員の一人が首を横に振って答えた。人事部の部長だ。

「今朝、情報システム部の社員が一斉に退職願を提出してきたんだ。システム開発は無理だよ」

会議室で役員の言葉を聞きながら、俺は1ヶ月前のことを思い出していた。

「先輩、俺も会社をやめます」

俺の肩をポンと叩いた北口が、衝撃的な言葉を言い放った。

「じゃあ俺もやめます」

「私も」

続けて、情報システム部の社員が全員退職を決意する。

「みんな、どうして…」

「川野先輩を内情者扱いした会社に、これ以上いたくありません」

北口の言葉に、全員が頷いて同意した。

そこで俺は、ある人に相談する。実は以前から、取引先の大手企業に転職しないかと誘われていたのだ。担当者に連絡した際、北口と情報システム部の社員の転職先も紹介してくれないかと頼んだ。かなり無理なお願いだったが、転職先の人は「俺の頼みなら」と答えてくれたのだ。

「実はうちの会社、情報システム部の人手が足りなかったんですよ。大人数を採用しようとしていたところだったので、むしろ助かりました」

俺はとことん運が良かったようだ。北口と情報システム部の社員にこのことを伝えると、みんな大喜びで転職すると決めた。そして、今に至るというわけだ。

「契約書の内容に問題はありません。今回の問題は、社長が原因と言って間違いないでしょう」

役員の一人が契約書を確認した後、ため息混じりで言い放つ。池田社長に向けられた、たくさんの冷たい視線。ここに来てようやく、社長は自分が何をしたのか理解したようだ。

「じ、システムを消すなんて…そこまでするか」

絞り出すような声を、俺に向ける。

「そこまでさせたのは、あなたです。自分勝手なくだらない理由で俺を敵視して。社長としてあるまじき行為です。あなたは社長の器ではない」

役員たちは俺の言葉に同意する。

「川野君の言う通りだ。社長、責任を取ってもらえますよ」

「そ、そんな…」

池田社長の足が、ブルブルと激しく震える。立っていられなくなったのか、その場にがっくりと膝をついた。

「これ以上申し上げることはありません」

そう言い残し、俺は静かに会議室を後にした。

その後、株主総会が開かれ、池田社長の解任が決定。表向きは自主退職という形で、会社から去ることになった。業務改善システムは俺個人と会社が改めて契約し、継続利用が決まった。

池田社長は現在、貧乏暮らしをしているらしい。大手銀行に務めていた息子の退職理由が、実は銀行の金を横領したことを隠蔽するためだったのだ。銀行に悪事がバレてしまい、横領分を返済することで刑は免れたが、池田社長は資産を売却して返済に当てた。それでも足りず、ろくな仕事にもつけない暮らしとのことだ。

会社に残っている別部署の同僚から聞いた話を北口に伝えると、

「自業自得ですね」

と冷めた顔でそう答えた。

北口から聞いた話では、娘さんの治療も順調に進んでいるらしい。給与が上がったことも大きかったようだ。

俺たちは現在、転職先で充実した毎日を送っている。池田社長のように私情で振り回す人もいない。この先ずっと、この会社で働きたいなと思っている。

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