会議室のドアを開けた瞬間、怒鳴り声が飛んできた。
「遅いぞ、橋本。何やってたんだ。」
俺は驚いて目を見開いた。時計を見ると、まだ開始時間の9時5分前。なのに木下部長は「大事な会議に30分も遅刻するなんて何事だ」と怒り続ける。
俺は抗議したかったが、社長や役員たちが見ている。後で話せばいいと思い、頭を下げた。
俺は橋本、26歳の会社員だ。いろいろ物販という会社の商品開発部に所属している。自分が開発した商品が売れ筋ランキングの上位に入ることもあり、仕事にやりがいを感じていた。
ただ、ひとつだけ悩みがある。それは部長の木下さんのことだ。
彼は俺のことが気に入らないのか、毎日山のような仕事を任せて自分はタバコ休憩に行く。最近は「ゴキブリが出た」と言って倉庫に俺を連れて行き、大量の虫と時間を共にさせられたこともある。
自分の仕事に加えて雑用や意味のわからないいびりが追加されて、毎日ヘトヘトだった。それでもこの仕事が好きだから、我慢し続けていた。
そんなある日、木下部長に言われた。
「来週9時から始まる大事な会議に出席しろ。新しく目玉商品を作りたいと社長が言っている。お前のアイデアを発表して欲しい。」
急な話だったが、やっと部長に認められたと思い、嬉しかった。俺は徹夜で企画書を作り続けた。完成した企画書は自分でもいい出来だと思えた。
前日、帰る直前に最終チェックをして、デスクの引き出しにしまった。
そして翌日の9時、俺は企画書を手に会議室へ向かった。
あの時、部長が会議の時間をわざと嘘をついたなんて、知る由もなかった。
会議室で「企画書を盗んだ」と濡れ衣を着せられた。木下部長が言い出したのだ。
「これは俺が考えた企画と一緒だ。俺が作った企画を盗むなんて最低だな。」
「違います。これは全部僕が考えた企画です。」
「どうせ何も思いつかなくて、こっそりと俺のデスクから取り出したんだろう。」
俺は必死に訴えたが、木下部長は社長に言った。
「こんな人のものを盗むような社員がこの会社にいてはいけないと思います。解雇しましょう。」
社長も「確かにそうだが、木下君の言葉だけを信用するのはなあ」と言っていたが、結局、俺は会議室を追い出されてしまった。
数時間後、木下部長が俺の元に来て、解雇を宣告した。
「社長もお前みたいな泥棒は会社にいて欲しくないっておっしゃってたぞ。」
そう言ってニヤニヤと笑う。俺はデスクを叩いて反論した。
「部長が逆に俺の企画書を盗み、俺に罪を着せるために会議の時間も嘘を教えたんだろう。」
「そんな証拠はどこにもない。社長の決定を覆すことはできないんだよ。残念だったな。」
悔しかった。でも抗議しても意味がないと思い、そのまま会社を辞めることにした。
「今のままじゃ終われない。絶対に見返してやる。」
それから月日が流れ、5年後。
俺がタワーマンションのエレベーター前に立っていると、見覚えのある声がした。
「お前、なんでここにいるんだ?」
振り返ると、木下部長がいた。彼は俺を頭から足の先までじろじろと見た後、鼻で笑った。
「掃除か。底辺まで落ちたな。」
俺は首をかしげた。木下部長は俺が恥ずかしがっていると思ったのか、さらに続ける。
「言わなくてもいい。あれから辛いことがあったんだろう。首になってからはどこにも雇ってもらえなかったんだろうなあ。最近イライラしてたから、お前みたいな底辺を見られて嬉しいよ。」
そう言って大笑いした。
彼は俺がこのタワーマンションの清掃員をしていると思ったのだろう。確かに私服でラフな格好をしているが、作業服を着ているわけでもないのに、なぜ勘違いするのか。
しかし、彼は俺のことを全く理解していないようだった。
「あの時は俺が首にしちゃったしな。まあ、お前が俺に立てつくから悪いんだけど。」
その言葉に俺が眉を動かすと、木下部長はまたニヤリと笑う。
「お前がいつも俺の前でいいアイデアを出すから目障りだったんだよ。どうせだから恥をかかせて首にしてしまおうって思ったわけ。」
「やっぱり部長の仕業だったんですね。」
「だからなんだよ。5年も前のこととやかく言われたくねえな。」
昔と変わらない顔と性格の悪さに、苛立ちが増してきた。今すぐこの人の悪事をどうにかして、色崎社長に伝えたい。そう思った時、後ろから声がした。
「お知り合いですか?」
木下部長が振り返ると、そこには女性が立っていた。俺は彼女に「昔の会社の上司だよ」と答えた。
すると木下部長は俺に掴みかかるように迫ってきた。
「こんな美人がお前の知り合い?まさか嫁さんじゃないだろうな。」
気持ち悪く感じて、俺は彼女を紹介した。
「俺の秘書の上野さんだ。」
「お前が秘書を持てるわけないだろう。何をふざけたことを言ってるんだ。」
上野さんが少しむっとしたのか、俺たちの間に割って入った。
「この人のことを知らないんですか?結構有名なんですけど。」
「何を言っているんだ?」
「彼は、いろは商店という会社の社長です。」
その言葉に、木下部長は目と口を開いてひどく驚いた顔をした。
「ここ数年で大きくなってきた会社じゃないか!」
5年前に解雇されてから、俺は貯金を使って起業することにした。ちょうど学生時代の友人が「一緒に見返してやろう。うちの工場でお前の製品を作ってやるよ」と言ってくれたのだ。
最初はどうやって一般消費者に商品を見てもらうか、手に取ってもらうかを考えるのが大変だった。商品開発しかしてこなかったから、効率のいい宣伝方法が分からず苦労した。
けれど、PRが得意な人や企画力がある人を採用して、会社は数年で少しずつ大きくなることに成功した。今では自社サイトでのネット通販もしており、いろいろ物販の類似商品よりも売上が高い。海外にも手を広げ始め、来年には海外拠点を設立することが決まっている。
うちの製品がいいという噂は結構広まっていて、いろいろ物販から購入する人は少なくなっているという話だった。
木下部長は俺に文句を言ってきた。
「お前があの会社の社長だったのか。てめえのところのせいでうちは大変なことになってんだぞ。」
どうやらうちの会社も他の企業が作った製品をネットでコラボ商品として売ったりしていることもあり、だんだんと契約を中止する会社も出てきているらしい。
「それを僕に言われても困ります。僕は自分の会社を大きくするために頑張ってきたんですから。」
「これがダメだって言ってんだよ。お前が会社なんて作るからこんなことに。」
「でも、そんなことになったのは全て木下部長の行いのせいですよね。あなたが僕を首にしたことがきっかけで会社を設立したんですから。」
俺がそう言うと、彼は「そんなことない。俺が悪いわけないだろう」と騒ぎ出す。
「橋本が俺の前にいたから、あの時解雇するしかなかったんだ。」
上野さんが質問した。
「どうして橋本社長をそんな仕方ない理由があったんですか?」
「俺が目立たないから邪魔だったんだ。」
木下部長は言い続ける。
「俺が部長で部署で一番偉いっていうのに、橋本がいい商品の企画ばかり出すから俺の価値が落ちるだろう。だからいびってたのに全くへこたれねえし、むかついたんだよ。だからお前の企画を奪って、ついでに首にしてやろうって思ったんだ。まさかあそこまでうまくいくとは思わなかったよ。あの場にいた社長や他の社員も俺に騙されてバカだよなあ。」
「こんな人が部長をしているなんて、いろいろ物販の社員や社長さんはかわいそうです。」
「部長まで登り詰めた俺に文句を言うやつなんていないさ。信頼度もあって、大抵のことは部下にやりつけることができる。」
本当に腐りすぎている。しかし、その直後だった。
「今の話はどういうことだ?」
俺たちが話していると、木下部長の後ろから一人の男性が話しかけてきた。俺はその顔を見て固まってしまった。
木下部長も俺の表情を見て嬉しそうに振り返る。しかし、すぐに顔色を悪くして固まった。
「い、色崎社長、どうしてここに?」
色崎社長は「妻に足りない食材を買ってこいと言われたんだよ」と言いながら、手に持っていた袋を俺たちに見せた。
「今の話は本当か。」
「いや、あの、えっと…」
木下部長は口ごもって何も言えない様子。そのため上野さんが彼の代わりに、今あったことを嘘偽りなく説明した。
すると色崎社長は怒り出す。
「どういうことだ、木下君。大事な社員を自分の都合で解雇するために私たちを騙すなんて信じられん。」
「申し訳ございません…」
「謝るのは私だけでなく橋本君にもだろう。」
色崎社長が怒鳴ると、木下部長はさらに頭を下げ続ける。
「君は帰れ。君の処遇は週明けに伝える。」
木下部長は膝から崩れ落ち、この世の終わりだというような顔をして絶望していた。
それを見ながら、色崎社長は俺に向かって頭を下げた。
「橋本君、すまなかった。木下君の言葉を鵜呑みにして解雇してしまった私を許してくれ。」
社長にとって信頼できる社員の言葉を信用するのは当たり前だろう。何も知らなかった社長にはそこまで苛立ちはない。だが、解雇された時の悲しみは今でも覚えている。
俺はこう答えた。
「別に何とも思っていませんよ。ただ、これからは同じ社長として切磋琢磨しましょう。もちろんこちらはいろいろ物販さんを潰す気でいきますから、よろしくお願いします。」
その言葉に色崎社長は顔を引きつらせる。
「僕たちの会社は同じ系統の商品を売っていますし、ライバル会社と言ってもいいと思うんです。お互い手を取り合って頑張ろうなんて生優しいことは言えませんよね。」
「いや、でも5年前までは私の会社にいたんだし、少しぐらいは製品を開発したりとか…」
「確かにそちらにはたくさんお世話になりました。しかし、僕の会社をもっと大きくするために全力を尽くすつもりです。なので、そちらと取引などは一切いたしません。」
俺の言葉に顔色を悪くする色崎社長を置いて、俺は言った。
「それではこれで失礼します。僕も実はここでホームパーティーをすることになっていて、友人たちを待たせているんです。」
そう言ってエレベーターのボタンを押し、上野さんとそのまま中に乗り込んだ。
その後、木下部長は解雇されたそうだ。さらに、5年前に首になったことで奥さんには逃げられてしまい、離婚の危機だとかいう話も聞いた。今は深夜の道路工事などいろんなところでアルバイトをして家計を支えているらしい。一度俺が見た時はコンビニの店員をしていて、若い先輩らしき人に怒られていた。木下部長は疲れきった表情をしていて、目がうつろだった気がする。
一方、いろいろ物販は俺の会社の評判が良すぎて、売上がさらに落ちているらしい。新しい商品を作っても、それ以上に俺の会社がいいものを出すため意味がなさそうだ。今のままではうち倒産するかもしれないという噂もある。
色崎社長は、タワマンのエレベーター前で騒いでいたこともあり、周りから影でこそこそと噂されたりしていたらしい。そのことで住みにくくなったのか引っ越したと聞いた。
俺はと言うと、今は順風満帆ではあるものの、少し気を抜けば同業他社に足をすくわれるのではと思って、毎日新しい商品開発に忙しい。
世界中でうちの商品を使ってもらうために、これからも邁進するつもりだ。



