「596円。」機械代だ。ボロ工場の社長でも、この数字の意味は分かるか?」取引先の営業部長が、ニヤニヤしながら硬貨をテーブルに叩きつけた。俺が2週間必死で作り上げた特注機械に対して、この男は「ご苦労」と「ゴミ」をかけた金額で侮辱してきたんだ。」しかも彼は言い放ったんだ。「オタクみたいなボロ工場の人間が、工場に関わってると知られては、うちの会社の評判に関わるんだよ」ってね。俺は若さと経験不足を嘲…

「596円。」機械代だ。ボロ工場の社長でも、この数字の意味は分かるか?」取引先の営業部長が、ニヤニヤしながら硬貨をテーブルに叩きつけた。俺が2週間必死で作り上げた特注機械に対して、この男は「ご苦労」と「ゴミ」をかけた金額で侮辱してきたんだ。」しかも彼は言い放ったんだ。「オタクみたいなボロ工場の人間が、工場に関わってると知られては、うちの会社の評判に関わるんだよ」ってね。俺は若さと経験不足を嘲...

風社長、どうかもう一度特許ベアリングを納品してください。再契約を結びましょう。お金なら今までの倍払いますから。

取引先の社長が、青ざめた有村部長を引きずるようにして俺の前に連れてきた。2週間前まで、あれほど傲慢に俺を見下していた男が、今は今にも倒れそうなほど震えている。

俺はその光景を、どこか冷めた目で眺めていた。

俺の名前は風堂。43歳。3年前に父から継いだ町工場を経営している。従業員は約40名。決して大きな規模ではないが、俺たちは自分たちの技術に誇りを持っていた。

その誇りを、目の前の男は「ゴミ」と呼んだのだ。

事の発端は、約2週間前の一本の電話だった。

取引先の機械メーカーの担当であり、勾配部長を務める有村からだった。食品系の工場で使う機械を製造するその会社の、主要ベアリングを俺たちは製造している。6年前、俺がまだ父の元で技術者として働いていた頃に開発した特許ベアリングだ。

独自の表面処理技術と密閉構造を持ち、食品製造環境で求められる異物混入を実現するため潤滑剤も食品安全基準をクリアした特殊なものを使用している。回転精度は従来品の3倍。開発には2年を要したが、この技術で取引先は品質問題から脱却し、業界トップシェアを奪還したのだ。

「社長、部品単価なんですけど、あと20%カットできませんか。特に例の特許ベアリングが高すぎるんですよね」

有村は、電話の向こうでいつもの低卑で妙に澄ました口調で言ってきた。

「これ以上は出来かねます。申し訳ございません」

俺が端的に無理だと告げると、有村は「なら納期を短縮できます。それくらいならできるでしょ」と畳みかける。

「無理なコストカットや納期で品質が下がるようなことになってはいけませんから、難しいですね」

俺がそう答えると、有村は突然こう言い放ったのだ。

「風社長、いっつもそんな感じで買い渋ろうとしますけど、中国製なら半額で済むんですよ。納期も柔軟に対応してくれる。こっちがそんな態度ばかりですと、取引を見直さないといけませんねえ」

ここまで露骨な、それも脅しめいた言い方をされたのは初めてだった。

「とにかく1度直接会いませんか? あ、こちらへ来てください。重要な話はちゃんと顔を合わせないとですよね」

嫌な言い方を最後に、電話は一方的に切られた

翌日の午後、俺は有村に言われた通り取引先を訪れた。

案内された部屋で待っていると、有村がノックもなしに入ってくる。

「どうも風社長。いやいや、来てもらってすみませんね」

有村はほんのわずかに頭を下げた。

「それで昨日の件なのですが」

俺が早速話を切り出すと、有村は足を組み、ふんぞり返った。

「まあ、それなんですけど、電話の後も考えたんですが、やっぱり単価20%減、もしくは納期短縮は譲れませんね」

「そうおっしゃられましても、無理なものは無理です。普通の部品でも厳しいのに、特許ベアリングは特に品質管理が」

俺が資料も交えて説明しようとすると、有村は露骨に下を打つ。

「あのですね、特許だとか品質だとか、いちいちうるさいんですよ。こっちがこうしてくれって直接頼んでるんですから。タクみたいな町工場は言われた通りにしていればいいんです。そっちの方が風社長としても楽なんじゃありませんか」

「待ち交場だからこそ作れるものがある。れどもはそう自負しています。オタクのようなという言い方は侮辱ですね。その私どもが作る部品、特許ベアリングが必要だからお求めになっているのでは」

俺がそう言うと、有村の表情が引きつった。

「うちの御仁を気(おもんぱか)っているんですか? やれやれ。これだから弱小会社は」

「そうですか。では安い中国製に変えたとしても問題ないですよね。だって言う通りにできないんですもん。仕方ないですよね」

俺は冷静に首を横に振った。

「中国製が安価なのは事実です。製品のジャンルによっては中国製を選ぶ方が合理的な場合もあるでしょう。それ自体は否定しませんよ。ただし」

俺は付け加えた。

「音社に納品している特許ベアリングは話が別です。食品機械に求められる精度、耐久性、そして衛生性は、価格競争の土俵とは次元が違う話です」

俺たちの間に沈黙が流れる。やがて、あきれたと言わんばかりに有村は大げさに肩をすくめた。

「もういいです。どこまで行っても平行線のようですから。全く、特許特許って、町工場の特許なんてゴミだろ」

その言葉に、俺は思わず耳を疑った。

の前の男は今、何と言った? 父が、俺が、社員たちが、心血を注いだ技術を「ゴミ」と言ったのか

「中国製の方がオタクのベアリングなんかよりも安くて優秀だ。待ち交場なんて仕事があればあるだけありがたいでしょ。言われるまま安くしていれば、切り捨てられることもなかったのに、バカな選択をしましたね」

有村は、こちらが素の喋り方なのだろうかというほど乱暴な口調で吐き出すように言った。

の間、俺は拳を握りしめていた。

の考えで言うなら、うちは有村の会社を助けた御仁だ。しかし俺はそんな発言はしない。

恩を着せるつもりはないし、着せられる言われもない。本来俺たちは対等な立場なのだ。

「有村部長」

まだまだ喋り続けそうな有村を静止し、俺は立ち上がった。の時ようやく、俺は有村と視線を合わせた

「正直に申し上げて、有村部長の発言は不愉快極まりない。」話し合いにならないというのは、まさにこちらのセリフです。「あ、いや、今日、あなたの心からの言葉を聞けて、ちょうど良かったと思っているんですよ」

俺は有村に反論の余地を許さなかった。

「何を強がりを言うのは見苦しいですよ。風社長。こちらは部品を使ってあげている立場です」

「私どもは音社と支え合っているという気持ちで仕事をしてまいりました。」他の取引先に対しても同様です。「どちらが上、どちらが下かなんて、あなたの考えはまるで当たらないんだよ」それに、あなたのような方に勾配部長を任せるやり方にも、不審感が募っていました。

端的に言えば、お前は部長にふさわしくないと思う。

そう言ったに等しかった。有村でもその意味くらいは分かるのだろう。見る見るうちに、怒りで顔が赤くなっていく

「ふん。今度は私と弊社への批判ですか?

Thumbnail

負け惜しみもいいところですね」まあ、そういうわけですから、今後は中国製品に変えますよ。「とは契約終了。」ぜ我が者に切られたことを後悔すればいいんです」

有村は乱暴に立ち上がると、高笑いしながら部屋を出ていく。

その場に残された俺は、スマホを取り出し、昨日かけた番号に電話をかけるのだった。

あれから2週間後、有村と、有村の叔父、つまり取引先の社長が、俺の元を訪れた。

「いきなり何のご要件でしょうか? 電話では謝罪したいとの話でしたが、何についての謝罪でしょう」

俺はあえて知らぬふりをした。社長が有村を引きずり出した。

いつもはニヤニヤとして人を馬鹿にしたような表情をしている有村だが、今日はすっかり青ざめて、今にも倒れそうなほど震えている。

その有村が俺と視線を合わせた途端、いきなり声を張り上げた。

「ふざけるな。誰がそんなことを言えと言った? ひとまず謝罪が先だろうが」

社長の手のひらが有村の背を打つ。「パシン」という乾いた音がすると同時に、有村の情けない声が事務所に響いた。

社長の話を聞くと、こういうことだ。

社長は、有村のやったことを細部まで確認していなかったそうだ。有村は俺と話した後、速攻で契約終了の書類の用意をするなどして、中国の企業と契約の話を進めたらしい。元々声をかけていたらしく、トントン拍子に話が進み、契約したところで社長に報告した ◆

「事後報告になりますが、風社長の町とは契約終了にしてやりました」

有村の報告を聞き、社長は驚愕したそうだ。

「な、なんだと? まさかこちらから契約を切ったというのか」

「おじさんの部品が、特許ベアリングがないと機械は成り立たないんだぞ」

「またまたおじさんは心配性ですね。」ご心配なく。中国の代替品を手配済みです。これでコストは半分になりますよ」

有村の呑気な発言に、社長は頭を抱えた。

そして、中国から届いた部品、特にベアリングを用いた機械は、検査の段階でことごとく不合格となった。うちの特許の仕組みに触れず高品質を約束できるという発言を鵜呑みにした結果、精度が甘く、回転時に微細なブレが発生していたそうだ。潤滑油も適正なものではなく、食品製造時の混入リスクさえあった。

見ろ、これでは出荷などできん。

納品予定だった食品メーカーへの納品遅れの謝罪の対応に追われつつ、社長は有村を叱咤した。ここへ来てようやく、うちに頭を下げての再納品を考えるのだから、有村だけではなく社長自身もかなり考えが甘い。現状、製造ラインも停止しており、事態はかなり悪いそうだ。

「はあ。」それはそれは

社長の説明を聞き終わり、俺は何とも呆れ果てていた「ま、まさかこんなに品質が悪いなんて思いますよ。」僕はただ会社のことを考えて

有村の言い訳じみた発言を社長が睨んで静止する。社長は深く頭を下げて俺に謝罪した。

「おいが有村があなたに言った数々は、ひとえとして。社長として謝罪いたします。誠に手前な話ではありますが、どうかもう一度チャンスをいただけませんか?

社長が床に膝をつこうとしたタイミングで、俺は静止した。

「どうか土下座なんて見苦しい真似はおやめください。」どちらにしても、再契約は不可能ですので」

「え」

社長と有村の声が重なった。「不可能」という言い方に引っかかったらしい。

俺は2人に教えてやることにした

「私どもは現在、音社の競合会社と3年間の独占契約を結んでいるのです。」ですから、音社に対して再納品することはできません」

俺は有村と電話のやり取りをした後、その翌日に有村の元を訪ねた後、それぞれ同じ人物に電話をしている。それが竹山という人物だった。村の会社にとって競合にあたる会社の営業社員であり、ずっと前からうちにアプローチしてくれていた人物だ。

「有村の会社が特占状態になっているベアリングを、是非2と言ってくれていたんだろう」秋ができたらいえ、わずかな可能性でも構いません。「その時はどうかご連絡ください」

うちの技術を、ベアリングの品質に惚れ込んでいる竹山に、俺は素直に好感を持っていた。にしていて、私は有村部長に呼び出しを受けた時点で、竹山さんに連絡しておいたんです」もしかしたら、窓ができるかもしれませんとねって

案の定、当日は泥沼の末に契約が終了することとなったので、俺は有村が退出したその場で竹山に連絡を取ったのだ。山は前日の電話の時点で色々と準備していたらしく、話はトントン拍子に進んだ。そして3年の独占契約を結んだというわけである

俺が説明し終わると、有村も社長も声も出ない様子で震えていた。

「そんなまさかよりにもよってあの会社とか」

「風社長、いくらなんでもあんまりじゃありませんか。」今までの恩を

有村の発言を聞き捨てることはできなかった。

「恩を、あ、だと言うなら、それはあなた方の勝手でしょ。」私は今まで一切恩を着せる言い方はしませんでしたが、私の開発したベアリングに救われていたのはどなたでしょう? ああ、うちの特許なんてゴミなんでしたっけ? 音社は今までも今も、そのゴミを必要としているんですね。んだか妙な話です」

俺がそう言って笑って見せると、社長が俯いた。に返すこともできないらしい

「どうぞ。」そんなゴミなどお忘れになって、中国の安くて優秀な部品にどうぞ頼ればいい」

有村がまだ諦め悪く何か言おうとしていたが、俺は切り捨てた。

を言おうとも、現実は変わりません。「私どもを切り捨てると先に口にしたのは有村部長、あなたです。」そして有村部長に大切な勾配部部長というポジションを任せたのも社長、あなたですよ

そこまで言ってようやく有村は口を閉じた 2人揃って何も言えなくなったところで、俺は手のひらで事務所の玄関を差し示した

「どうぞお引き取りください」

とぼとぼと力なく歩く2人の後ろ姿を、俺は最後まで見送らなかった。

その後有村は長海になり、今も有村の会社は混乱が続いているらしい。国さんの部品を使った機械を納品するわけにもいかず、信頼の失墜はもちろん、損失も測り知れないという。教えてくれたのは社長だった。電話ではあったが、改めての謝罪と今までの感謝を言っていた。

ちなみに有村からの理不尽な契約終了であったことから、違約金が支払われることになった。お金の問題ではないと言ったのだが、そうさせて欲しいと強くお願いされたのだろう」このお金は、社員たちのために有効的に使わせてもらおう。

あとは、俺が引き継ぐ昨日だ。

をよ済と決めつけたのは、直属の上司である部長だ。の人は、俺が開発した技術を独占し、自分の功績にしようとしている。けれど世の中、そう甘くはない。

1週間後、俺の元に大パニックの部長がやってきて、部長は光輝く昇進コースから脱落するはめとなった。

俺の名前は田中。39歳。高校1年生の時に、父親が病気で倒れ働けなくなってしまった。,俺は父の治療費と生活費を稼ぐために高校を中退。中卒で採用してくれた町工場で働きながら、専門技術を学んでいった。

町工場は電子部品を作っているところで、職場の人に教わり電子工学について学んでいった。幸い勉強は好きだったので、どんどん知識を吸収し、仕事に生かしていく。そして26歳の時に、今の会社の技術部に中途採用された。

転職先は業界でもそこそこの大手だ。普通は中卒を採用していないが、町の西村社長が転職先の人と知り合いで、俺のことを紹介してくれたのだ。

「家庭の事情で学歴はないが、頭がいいし、何より努力できる子だ。」うちで実務経験も積んだし、独学ながら知識もある。「優秀な技術者だと思うぞ」

西村社長が俺のことを紹介してくれた際、そう言って褒めてくれたのを今でも覚えている。

転職先では学歴のことで俺を馬鹿にしてくる連中もいたが、気にせず目の前の仕事に没頭。だんだん俺を馬鹿にする人も少なくなり、充実した技術者人生を送っていた。そして今から6年前、俺は画期的なエネルギーのアイデアを思いつく。実現すれば、従来よりも消費電力を大幅に削減できるという。全国の家庭で使われるエアコンや冷蔵庫の電気代が大幅に削減できる。これは単なる技術じゃない。「社会に貢献できる仕事だ」

当時の部長に開発を申請し、早速取りかかる。しかし2年前の冬のある日、え、部長が病気で入院したと、出社直後、同じ技術部の社員から驚きの話を聞いた。

部長は長年の不摂生が祟り、長期入院となってしまったのだそうだ。復帰は難しく、そのまま退職が決定。そして外部から招へいされた人が新しい部長となった。

鈴原だ。「よろしく」

メガネをクイっとあげて挨拶をした、頭の良さそうな男性。まさかこの人が豹変して、とんでもないことになるとは、当時の俺は想像していなかったのだ

鈴原部長が本性を表したのは、部長になり1週間経った頃だ。出勤してきた部長は、何やらいらだった様子で俺を自分のデスクに呼び出すと、こんなことを言ってきた。「この仕事を、俺の代わりにやっておけ」

「え、こ、こんなにですか? 」

押し付けられた大量の仕事を前に、思わず困惑の声をあげる。すると部長は突然大声で俺を怒鳴りつけたのだ

「命令に逆らうつもりか?

え、いえ、じゃあ黙って仕事しろ」

困惑しつつ自分のデスクに戻り、仕事に取りかかる。クタクタになって昼休憩に入ると、部署の情報通の女性社員があることを教えてくれた。

「前の部長から引き継いだ取引先があったんですって。」職人機質の取引先で、部長はだいぶ揉まれたらしいわ。「だからあんなにいらついていたのか」と納得しつつ、それが部下に八つ当たりしていい理由にはならないとも思った娘原部長は偏差値の高い大学を出ているが、文系出身で、技術のことは表面上しか理解できていない。そんな人物がなぜ技術部の部長に就任したのか疑問だが、会社は事業拡大のため外部から優秀な人材を積極的に集めていて、ちょうど鈴原部長の招へいが決まったタイミングで技術部の部長の椅子が開いたからではと言われている。車内の人事決定に不満はあるが、上の決めたことに正面から文句を言うことはできない

倉しているうちに、鈴原部長の態度がだんだんと傲慢なものになっていった。どうやらこれが部長の本性らしい

「おい、中卒。弁当買ってこい」

部長は俺を「中卒」と呼び、仕事以外の雑用も命令してくる。」技術部の社員は大卒や専門学校卒で、1番学歴が低いのは俺。どうやら部長の中では、俺はいくらでも馬鹿にしてもいい相手という認識になっているようだ

部長のストレス発散のため、嫌みを言われる日々が続く。ある日、俺がずっと開発を続けている省電力回路が、「ただの中卒の思いつきだろう。こんなの部署の経費を使うなんてもったいない」と、開発をストップさせられそうになった。

その危機を救ってくれたのは、営業本部長の藤岡さんだ。

「田中君、例の開発ってどのくらい進んでる? 君がメインでやってたよね」

ある日突然技術部にやってきた藤岡さんに尋ねられた。

「えっと、最近はちょっと開発が止まってまして」

そう言いながら、部長の方をちらりと見る。開発をやめさせようと部長が働きかけているため、進んでいるどころか計画そのものが消えそうになっているのだ

すると藤岡さんは残念そうにこう続けた

「大手の取引先に田中君の開発の件を伝えたら、ものすごく興味を示してくれたんだ。」是非とも成功させてくれよ

力強く俺の肩を叩く藤岡さん。藤岡さんが去った後、部長は、自分がしたことを忘れてしまったのか、早く開発を進めろよと俺に命令してきた。藤岡さんは本部長で会社の上層部の人間だ。いつも俺に対して傲慢な鈴原部長でも、藤岡さんの意向には逆らえないらしい

そして今から1年ほど前、5年かけて開発した省電力回路がようやく完成した。上層部に話を持っていったところ、この技術は特許を取得できるかもしれないという話になり、手続きを開始。

時は現在に戻り、鈴原部長が突然俺を会議室に呼び出した

「例の技術だが、特許が取得できたらしい。」今朝、上から話が来たんだ」

「そうですか。」安心しました

ようやく俺の技術が認められたかと、胸を撫で下ろす。すぐにはっとして鈴原部長の方を見た。」部長は、ずっと見下している俺がうまいこと仕事をこなすといつも、気に入らないと言いたげな顔を見せるのだ。」時には真正面から「調子に乗るな」と罵倒されることもある。

今回も嫌味を言われるのかと構えていたが、予想に反して部長は満面の笑みを浮かべていた

「ご苦労だったな。」よくやった」

はあ、初めて部長から褒められ、喜びより先に困惑の感情が湧いてくる。そしてこの直後、鈴原部長の衝撃の発言に、俺はしばらく固まってしまった

「じゃあ後は俺が引き継ぐから、中卒はよう済みだ」

「え? 」

気抜けた声をあげた俺を、部長は嫌な笑みを浮かべて見ている

「この技術を商品化するためには、頭のいい人間の高度な判断が必要なんだ。」お前はまあ技術面ではそこそこのレベルみたいだが、所詮中卒だろ。「こんな人間に大切な特許技術は任せられないからな」

最もらしいことを言っている風を装ってはいるが、内容はめちゃくちゃだ。」要するに、この人は俺の鉱石を横取りしようとしているらしい。

「特許もうちの会社名義で申請したし、別にお前のものじゃないしな。」お前がいなくても、この特許技術は問題なく利用できる」

特許申請の際、名義は会社にしていた。」会社の設備を使って開発したもので、俺がメインで進めていたとはいえ、他の社員の手も借りている。「完全に俺の名義にすることは難しかったのだ

「お前が作った設計図も手元にあるし、これがあれば誰でも再現は可能だ。」現実を理解したか? これが頭のいい人間のやり方だよ

設計図はパソコンの中に保存していたものだ。」部長は社員のパソコンに自由にログインできる権限を持っている。」その権限を悪用して、俺が所有している情報を盗んだのだろう。自信満々に胸を張っているが、こんな卑怯な方法が高学歴のやり方なら、俺は中卒であることを誇りに思う。

そんなことを思いながら、頭の中では別のことも考えていた。

ここで部長に抵抗して会社に残り続けても、今までと同じように嫌がらせを受け続けるだけだ。」抵抗したことでもっとひどくなるかもしれない。「完全に部長に目をつけられている今の状況では、下手な手を打つのは得策ではない」と判断した。

「わかりました。」じゃあ退職の手続きをします

俺の返答に、鈴原部長の顔がパッと明るくなる。

「低学歴にしては引き際を弁えているな。」じゃあ今中に退職願を作って提出しろよ

「はい。」では失礼します

頭を下げ、会議室を出ながら、俺は心の中でつぶやいた。もし俺が本当に退職したら、この会社はもう終わりだな口にしなかったつぶやきは、誰にも届かず

会議室の扉を閉める音だけが部屋に響いた

それから1週間後、俺は即日で退職願を部長に提出し、1ヶ月後に退職が決まった。当の本人は、邪魔者の俺がいなくなるのが確定し、この1週間は上機嫌で仕事をしていた。部長は、俺が退職する前にプロジェクトは自分が引き継ぐと工場側に通達していたらしい。俺のいない間に勝手に施策を進めていたのだ

「部長、工場の研究室から電話です」

電話を取った女性社員に、部長が身を乗り出す。

ああ、何のようだ?

電話を受け取った部長は、険しい顔になり、慌ただしくどこかへ出かけていった。

そして2時間後

「おい、田中。」これは一体どういうことだ? 技術部に戻ってきた部長は、試作品を片手に大パニックに陥っている様子だ。」部署の社員はみんな驚いた顔で部長を見ている。」その視線を気にする余裕もないのか、部長は大股で俺の元に歩み寄り、試作品を目の前に突きつけた。

「お前の特許技術は、欠陥品だったのか? この試作品、思ったような動きをしないぞ。」目玉の省電力機能が一切働かないどころか、従来品より20%も消費電力が高くなった。「一体どういうことだ? 説明しろ」

ようやくか、と思いながら、俺は試作品を受け取る。

そしてある事実を部長に告げた

「そりゃ、設計図通りに作っても同じものはできませんからね」

「なんだと?

「特許申請した設計図自体は完璧ですよ。」回路の基本構成も理論値も、全部正しい。「でもね、部長、この技術を実用化するには、製造時の微調整が必要なんです。」これらのノウハウは設計図には書けない。「俺の頭の中にしかないんですよ。」試作品は一応動くでしょ。「でも肝心の省電力性能が、全く出ない。」俺が5年間で積み重ねた経験を元にした最終調整がなければ、この技術は絵に書いた餅です

明かされた衝撃的な事実に、部長は目を丸くする。」

「ば、バカな。」じゃあ申請した特許も嘘だったのか? 」

「いや、申請内容に不備はありませんよ。」部長が俺のパソコンから設計図を盗んだのは知っていました。「でもそれは基本設計図だけ。」俺が実際の開発で使っていた調整ノウハウや製造マニュアルは、別の場所に保管していたんです。「部長はこれさえあれば誰でも作れると思い込んだんでしょうね」

次の瞬間、部長が俺の胸ぐらを乱暴に掴む。」いつも見下していた俺にしてやられて、無駄に高いプライドをズタズタに傷つけられたようだ。」怒りで顔を真っ赤にして、俺に迫ってきた

「じゃあ今すぐ完璧な設計図を作って俺によこせ」

「お断りします」

即座に断った俺に、部長はかなり驚いたようだ。」常に部長の言いなりになって素直に従ってきた俺が、この時初めてまともに反抗したのだ。」部長が驚くのも無理はないだろう

「なぜ俺が部長のためにそんなことを。」自分のしたことをお忘れですか? 俺のことを散々いびって、利用してきたくせに。「まあそれに、聞きましたよ、部長。」この技術をうまいこと自分の功績にして昇進を狙ってるんですって。「卑怯なことしますね。」そんな最低な人の手助けなんかしたくありません」

覚めた目を向ける俺に、部長は少しの間ポカンとしていた。」しかしすぐに怒りの感情が戻ってくる。

「き、貴様」

ぶち切れた部長が、思いきり手を上げる。

「やめてください、部長」

今まで見守ることしかできなかった社員たちが、これはさすがにまずいと止めようとする。」その時、技術部のドアが勢いよく開いた。」現れたのは藤岡さんだ

「鈴原君、これは一体どういうことだ? 」

「藤岡さん,なぜここに?

藤岡さんは俺の方をちらりと見ると、眉を寄せ事情を説明した。

試作品失敗の報告を受けて、急いで駆けつけたらしい。」エレベーターホールで女性社員から「部長が田中さんに手をあげそう」と聞き、結走を変えて走ってきたのだという

「実は、田中君と俺は少々繋がりがあってね」

会社では今まで直接関わりはなかったが、俺は技術部、藤岡さんは営業部で、普通に仕事をしていて接する機会は多くない。」しかも相手は本部長として毎日忙しく飛び回っている。」そんな人と俺になぜ関わりがあるのか。」それは、俺が前にいた町工場のトップ、西村社長のおかげだ。

今の会社に転職する際、西村社長は知り合いに連絡をした。」それが藤岡さんだったのだ。

藤岡さんは西村社長の高校時代の後輩で、西村社長は色々面倒を見ていたそうだ。

「藤岡さんと初めて会ったのは、町工場の社長室だ。」人事の同期にそれとなく口添えしてやるよ。」西村先輩の頼みでな。」あとは自分の実力で頑張ってくれ

すごくありがたいです

藤岡さんの手助けもあり、俺は採用試験を突破。」しかし入社後、藤岡さんと深く関わりを持つことはなかった。」他でもない俺が望んだからだ。」実力で勝負したかった俺にとって、後ろ盾はむしろ邪魔なものだったのだ。」それに俺と藤岡さんは別部署で顔を合わせる機会が少ない。」こういった背景もあり、今まで密接に関わることがなかった

「けれど今回は別です。」鈴原部長の応望をこのまま放置していたら、会社にとって悪影響を及ぼしかねない。「この会社には、中卒の俺を採用してくれた恩がある。」だから西村社長に頼んで、藤岡さんにつないでもらったんです

「田中君から連絡をもらった時は、驚いたし混乱したよ。」鈴原君が田中君に嫌がらせをして追い出し、鉱石を横取りしようとしている。「1週間後の試作品の完成時にそれが事実だと分かるから、その結果を踏まえて今後について判断してほしい」と言われたんだ。」田中君に詳しく話を聞くためにここに来たんだが、まさかこんな状況になっているとは思わなかったよ

藤岡さんは鈴原部長の腕を引っ張り、俺から遠ざける。

顔面蒼白の部長は、大人しく従っていた。

素直に事情を説明したところで、藤岡さんが信じてくれるかわからない。」だから俺は、会社の目玉商品となり得る特許技術を人質に取ったのだろう」少々卑怯なやり方だが、部長よりはマシだろう

「さて、俺はまだ状況を完全に把握していない。」田中君、俺にも理解できるように説明してくれるか? 」

「わかりました」

藤岡さんに頼まれ、全ての事情を明かす。」話を聞いた後、藤岡さんは少々呆れた目を俺に向けた。

「やることが汚いんだな、君。」13年前に初めて会った時は、純粋な青年だと思ってたのに

「13年の間に社会の荒波に揉まれまして。」まあ、保険をかけるという意味では正解だな

「さてどうするか。」このまま田中君の退職を認めたら、我が社は大損だ。」特許技術を使った新商品の開発には、かなり費用がかかっている。」それを取り戻すために、商品化して売上で取り返さなければならない

すると、今まで黙っていた技術部の社員たちが突然声をあげたノ

「田中さんが部長から嫌がらせを受けていたのは事実です。」私たち、部長が怖くて何も言えませんでした。」田中さんだけじゃありません。」部長のせいで、私たちの仕事にも支障が出ています

「退職にするなら、ずから部長を追い出してください」

頭はいいけれど技術のことを理解していない部長は、知ったかぶりで他の社員の仕事に口出しすることも多かった。」被害を被っていたのは俺だけじゃなかったのだ。」それに部長は他の社員に対しても高圧的だった。」どうやら部長はみんなから嫌われていたらしい

「お前ら」

部長が震えながらみんなを睨みつけるが、全員から非難の視線で返されるノ

「なるほど。」鈴原君は部長にふさわしくないようだな

「い、違います。」こいつら俺をはめようとしてるんです

「だとしても、部署の社員全員から嫌われるって、相当だぞ。」何か問題があると判断せざるを得ない

部長はパクパクと口を動かしているが、うまい言い訳が思いつかないようだ

「この件は上層部に報告する。」異動か、最悪の場合は退職も覚悟しておくように

「そ、そんな待ってください。」俺の話を聞いてくださいよ

藤岡さんにすがりつこうとする部長を眺めつつ、俺はポケットの中から、ダメ押しの一手を取り出した

「部長から受けた罵倒の数々は、ここに記録されています。」必要でしたら、提出しますよ

証拠は万全に揃えておいた方がいいと思い、小型の録音機器を常にポケットに潜ませ、この1年ほど部長との会話をほぼ全て記録していたのだ

部長が俺から録音機を取り上げようとしたので、さっと避ける

「た、田中、俺が悪かった。」今までのことは謝るから、全部水に流してくれよ

「嫌ですよ。」俺はあなたを排除すると決めました。」いくら謝ったところで、俺の決意は揺ぎません。」諦めてバツを受け入れてください

鈴原部長の目から光が消える。」そして力なく、その場に膝をついた。

藤岡さんの行動は早かった。」その日のうちに上層部に報告し、翌日、鈴原部長は早速呼び出される。」退職にはならなかったものの、技術部から総務部へ異動となり、役職も降格となった。

後日、藤岡さんから詳しい事情を教えてもらった。

「処分で給料カットになっただろう。」あいつ、高級住宅のローンが元々ギリギリだったんだ。」で、今回の件で支払いできなくなって、奥さんはカンカンらしい。」離婚も噂されてるって

「それは大変ですね」

口ではそう言いつつも、内心では一切同情していない。」真面目に仕事をしていれば、こんなことにはならなかったのだ。」部長は選択を誤った。」ただそれだけのことだ。

一方、俺は鈴原部長がいなくなった技術部でのびのび働いている。」特許技術を使った試作品も無事に完成し、量産に向けて準備が進められていた。」最近になり、別の新技術の開発が始まったため、これからはさらに忙しくなるだろう。

「中卒に給与を払う価値なんてない。」来週,好きで首だ

裏神専務が履歴書を叩きつけながら、冷たい声を響かせる。

18年間働き続けてきた俺の経歴は、学歴の欄だけで切り捨てられたのだ。」しかし俺は、飲み込むように息を整えた。

専務はまだ知らない。」1週間後の記者会見で、自分の運命が終わることを。

俺の名前は岩森直。55歳だ 精密機械の制御装置を作る生コントロール工業という中堅メーカーで、技術部の主任として働いている。

中学を卒業した後、すぐに父の会社が倒産し、父は借金を残して姿を消した。残されたのは、疲れきった顔をした母と、まだ小学生だった妹だけ。高校進学を諦めた俺は、町工場で昼夜問わず働きながら、独学で機械制御や電気回路を学んでいった。」本を買う金もなかったから、図書館で古い専門書を借り、油と鉄粉にまみれた手でページをめくる日々。

そして20代半ばで、振動制御を得意とする小さなベンチャーから声がかかった。」社員数名のその会社で、俺は初めて自分が中心となって制御アルゴリズムを作り上げる。」しかしそのベンチャーは数年後に事業整理となり、解散することになった。

片付け作業の最中、創業者が分厚い封筒を差し出してくる

「岩森の開発したアルゴリズムは、この会社の看板だった。」事業は畳むが、技術まで捨てるつもりはない。「これはお前の発明だ。」個人としていけ

封筒の中には、特許権を俺個人に無償で譲渡する正式な契約書が入っていた。

その後入社したのが、現在の生コントロール工業である。

俺はベンチャー時代に開発した振動制御アルゴリズムを基礎として、新しい制御ユニットの開発を提案する。」当時まだ現役だった霧島相談役が、じっと図面と計算書を見つめた後で、ゆっくりと頷いた

「数字は嘘をつかん。」君の覚悟も本物だ。」やってみろ

その一言でプロジェクトは動き出し、数年後、俺たちの制御ユニットは生コントロール工業の主力製品となった。」して俺の特許,会社が使えるよう,俺と会社の間で契約を結んだ。」これを実施許諾契約という

契約には条件があった」俺が技術監修を続けること。」もしこの条件が守られなければ、会社は特許を使用できなくなる。

さらに、特許に関わる製品を公式発表する際には、発明者である俺に技術的な説明を行う機会を与えることも契約に含まれていた。

これは俺の要求ではなく、霧島相談役が「技術者の権利は守らねばならん」と強く主張して盛り込んだ条項である。」霧島相談役はよく言った。

「技術の前では学歴は飾りに過ぎん。」機械を動かすのは、君の腕だけだ

その言葉に支えられ、俺は生コントロール工業で18年、現場に立ち続けてきた。

空気が変わったのは、裏神専務が本社にやってきた日のことだ。

生コントロール工業はここ数年、競争環境の変化もあって業績が頭打ちになっていた。」銀行からは業績改善計画の提出を求められており、鬼塚社長は頭を抱えている。」そこへ改革派の切札として招かれたのが、新人の裏神専務だった

初めて見た裏神専務の印象は、正直言っていいものではなかった。」高そうなスーツに派手な腕時計,白い歯を見せて笑うが,その笑顔に温かさはない。」全職は外資系コンサルティング会社,短期的に目覚ましい利益改善を達成したという実績が買われたらしい。」鬼塚社長はその華やかな経歴だけを見て,詳しい経緯を調べることなく採用を決めたようだ

裏神専務は着任早々,会議室に幹部と各部署の代表を集めてこう言った。」銀行からの改善要求は待ったなしだ。」この会社はぬるま湯に浸かりすぎている。」俺が来たからには,徹底的に変えてやる

会議室の空気が凍る。」数字のグラフを次々と映し出しながら,裏神専務は人件費比率や生産性不要皇帝といった言葉を連発した。」その中に,俺の監修工程を示す項目がはっきりと赤い印で囲まれている

「ここ,技術部の監修工程。」これは完全に無駄だ。」しかも担当者は中卒の中年技術者。」こんなものは,老いの自己満足でしかない

俺は言葉を失った。」しかし隣に座っていた風が小さく咳払いをしてから,口を開いたノ

「専務,岩森さんの監修工程は振動制御の微調整に必要不可欠です。」これを抜くと,機械によっては仕様通りの精度が出ません

裏神は鼻で笑った

「そんなのはお前たちがそう思い込んでいるだけだ。」今時,安くて便利な解析システムが山ほどある。」人に頼る時代は終わりなんだよ

情報システム部の指導も,静かな声で言葉を添えた。

「専務が候補に上げている代替システムを試験的に動かしてみました。」しかし振動の解析精度が既存のシステムに及ばず,安全認証試験の基準を満たせない可能性があります

裏神専務は指導を見下ろすようにして,冷たく言い放った

「専門用語を並べて抵抗しても無駄だ。」現場は黙って結果だけ出せ。」方針は決まった。」コスト最優先,以上だ

会議が終わった後,風が俺のデスクに近づいてきたノ

「岩森さん,専務は特許のこと理解してるんでしょうか? 」

「引き継ぎ資料には書いてある。」指導が静かに言ったノ

「昨日,専務に確認したんです。」特許が個人だって。」ああ,知ってる。」実施許諾契約があるから,会社は使える。」問題ないだろと言われました

契約書の中身は読んでいないようです。」契約があれば使える。」それだけだろうと

風が不安そうに続けた

「専務,技術監修が契約の条件になってること,分かってないんじゃ」

俺は小さく息をついた}かかっていないだろうな。」あの男にとって契約書は,使えるか使えないかだけだ。」監修が使用条件だなんて,読み飛ばしているはずだ

その予感は的中していた。」裏神専務は,技術監修が条件だということを全く理解しないまま,俺の排除を進めていくノそれからの日々は,じわじわとした圧迫の連続だった。」俺の監修工程は「試験的削減」と称して一部の案件から外され,重要な技術会議からも除外される。」裏神専務は銀行への改善計画書の叩き台を作り始めていた

ある日,風が顔をしかめながら俺のデスクに資料を置いたノ

「岩森さん,これ見ましたか? 」

渡された資料をめくると,人件費削減計画という項目に,50代以上の技術者を対象とした早期退職と配置転換案が書かれている。」そして技術監修という項目には,俺の名前が記載されているはずだが,不自然に空になっていたノ

「ここ,最初にパソコンで見た時は岩森さんの名前が入っていました。」でも印刷したら空になっていて,さっきもう1度データを確認したら消されていたんです

風の言葉に,背筋が冷たくなる。」その日の夕方,情報システム部のフロアで,指導がパソコンの画面を指差しながら淡々と説明したノ

「改善計画書のファイル編集履歴を追いました。」名前を削除したのは裏神専務です。」深夜に専務室の端末からアクセスした記録があります

無機質なログの画面に,裏神の名前とはっきりと表示されていたノそれから数日後のことだった。」内部監査と称して,裏神専務が技術部に乗り込んでくる。」俺は会議室に呼び出された。」机の上には俺の履歴書と人事ファイルが並べられている。」裏神専務は書類を指先でかじきながら,薄く笑ったノ

「18年,長く務めたもんだな。」だが残念だが,時代が変わった

裏神専務は履歴書の学歴の欄を,わざとらしく指で叩くノ

「中卒に給与払う価値なんてない。」来週好きで首だ。」岩森

喉の奥が熱くなる。」母の顔,必死に働いていた若い頃の自分,妹の学費のために夜勤を続けた日々が頭の中を駆け巡った。」理解したい言葉はいくつもある。」しかし俺はそれらを全て飲み込み,静かに口を開いたノ

「そうですか。」では,来週の記者会見楽しみにしています

裏神専務が軽蔑そうに眉を潜めるノ

「何を楽しみにする?

お前はもう関係ない人間だ

俺はそれ以上何も言わず,会議室を後にしたノ風と指導が廊下で待っている。」風が慌てたように問いかけたノ

「岩森さん,本当に首なんですか? 」

「来週,好きで首だそうだ」

「ふざけています。」何か打つ手は

俺は小さく笑ったノ

「打つ手は,もうだいぶ前から準備してある。」ただ,1週間で証拠を固める必要がある

指導が,いつもの無表情にほんの少しだけ安堵の色を浮かべたノ

「ログも編集履歴も,すでに揃えています。」ただ,これを正式な証拠として使うには,適切な手続きが必要です

「俺が霧島相談役に話してみる」

翌日,俺は霧島相談役の自宅を尋ねたノ大妻に通されると,霧島相談役は静かに湯吞みを置くノ

「裏神に裏切られたそうだな」

「ご存知でしたか? 」

「車内のことは大体耳に入る。」あの男は技術を軽んじ,人を数字としてしか見ない。」あのままでは,会社は壊れる

霧島相談役は静かに続けたノ

「来週,銀行への改善計画の会見がある。」あそこが最後のチャンスだ

「最後のチャンスですか? 」

「ああ,君には会見で技術を説明する契約上の権利がある。」その権利を使え

俺は頷いたノ

「指導が集めた証拠を,正式なものにする必要があります」

「分かっている。」私が正式な内部調査を指示したという形にする。」報告管理上の不審なアクセスがあったという報告を受け,相談役として調査を命じた。」これなら証拠として使える

その日から,俺たちは1週間,静かに準備を進めたノ指導は霧島相談役の正式な指示書を受け取り,改めてシステムログと編集履歴を調査する。」風は代替システムの試験データを整理し,振動解析の問題点を分かりやすくまとめた。」俺自身は特許権の契約書とこれまでの技術資料を丁寧に準備していくノそして運命の日が来たノ

生コントロール工業の会議室は,記者で埋め尽くされている。」銀行からの要請を受けた,業績改善計画の正式発表会見。」メインバンクの担当者も最前列に座り,厳しい表情で資料を見つめていたノ控室で,裏神専務が進行表を確認しながら満足に言ったノ

「今日は俺の晴れ舞台だ。」この改善計画で,銀行も納得するでしょう

隣では鬼塚社長も,自信ありげな表情を浮かべている。」会見が始まり,鬼塚社長が無難な挨拶を済ませると,裏神専務がマイクの前に進んだノ

「今回の改善計画は,私が主導して進めてまいりました。」人件費の最適化と工程の簡素化により,当社の利益率は今期中に5ポイント改善する見込みです。」すでに新しい解析システムの導入も決定しており,効果は確実です

メインバンクの担当者が頷きながらメモを取る。」自信満々の声がスピーカーから響く。」次に製品の技術詳細については

裏神専務が次のスライドに進もうとした瞬間,霧島相談役が立ち上がったノ

「技術説明は,特許権者である岩森から行わせていただく。」契約第7条,技術発表における発明者の権利に基づく」

会場が沸く。」裏神専務が慌てて声を上げるノ

「ちょ,ちょっと待て。」岩森はもう,もう何,でしょうか?

俺はゆっくりと壇上に上がったノ

「先日,私は解雇を通告されました。」しかし契約上の権利は消えません。」では,この改善計画の技術的な真実をお話しさせていただきます

マイクを握った俺の手は,不思議なほど震えていなかった。」スクリーンに1枚の資料が映し出される。」それは,俺が若い頃に所属していたベンチャー企業からの特許譲渡契約書だったノ

「この制御ユニットの心臓部である振動アルゴリズム。」その特許権は,私個人に既属しています。」会社は実施許諾契約に基づき使用してきました

ざわめきが会場を走るノ

「契約書には,私が技術監修を続けることが特許の使用条件として明記されています。」この条件が満たされなければ,会社は特許を使用できません。」つまり製品の認証や保守が停止せざるを得ないのです

裏神専務の顔から,みるみる血の気が引いていくノ

「か,監修が条件。」そんな実施許諾契約が,あれば会社は使えるはずだ

俺は静かに答えたノ

「使えます。」ただし契約条件を守ればの話です。」私が技術監修を続けられる状態であればです

「そ,そんな条件聞いていない」

「引き継ぎ資料の8ページ目に要約があります。」契約書の原本も法務部に保管されていますよ。」裏神専務が読んでいればですが

裏神専務は言葉に詰まるノ

「だ,だが実施許諾契約なんだから,会社が自由に」

霧島相談役が重々しく言ったノ

「実施許諾契約は,使わせてもらっている契約だ。」権利者の条件を守らねば,使えなくなる。」契約の基本中の基本だぞ,専務

会場がざわめく。」裏神専務は汗を吹きながら,さらに反論しようとしたノ

「だが契約さえあれば,会社は自由に使えるだろう。」細かい条件なんて

俺は静かに言ったノ

「専務は,最も重要な契約条件を確認せずに私を排除しようとした。」これは単なる人事の問題ではなく,経営判断の根本的なミスです

さらにスクリーンには,代替システムの試験結果が映し出された。」風が前に出て,緊張した面持ちでマイクを握るノ

「専務が導入を決定した,安価な解析システムを使った場合の振動波形です。」書通りの負荷をかけると,このようにピークが乱れます。」この状態で出荷すれば,現場の設備は半年と持たずに故障するでしょう

裏神専務が必死に反論するノ

「ま,まだ試験段階だ。」本格導入前に改善できる

風が首を振ったノ

「いえ,改善計画書には,新しい解析システム導入によるコスト削減効果が確定事項として数値が入っています。」すでに決定しており効果は確実と,先ほど専務ご自身がおっしゃいました

続いて指導が,落ち着いた声で説明を引き継ぐノ

「ログの解析精度が十分でないため,異常を判断する基準が曖昧です。」安全認証試験に提出すれば,一発で不合格です。」なお,これらのデータは霧島相談役の正式な指示による内部調査で収集されたものです

記者たちの視線が,一斉に裏神に向く。」裏神は汗を吹きながら,今度は俺を指さしたノ

「これは個人的な恨みだろう。」首にされたからって,会社を人質に取るつもりか

俺は静かに答えたノ

「私は契約通りに監修を続けたかっただけです。」首にしたのはあなたです。」そして技術的な問題を指摘するのは,技術者として当然の責任ですノ「だが,会社は俺の計画で生まれ変わる。」古い技術者に縛られる必要はない

「古いのは技術者ではなく,あなたの考え方です」

俺は別の資料を映し出したノ

「改善計画書の下書きには,私の名前が記載されていました。」しかしその後,意図的に私の名前が削除されています

指導が編集履歴の画面を表示したノ

「新サーバーと計画書ファイルへのアクセスログです。」深夜に専務室の端末から,岩森の名前を削除する操作が行われています。」こちらも霧島相談役の指示による,正式な内部調査の結果です

スクリーンに映る日時と端末,操作内容。」数字と文字の列は,裏神専務の行動を示していたノ霧島相談役が,最後の資料を映し出したノ会場が静まり,霧島相談役はゆっくりと口を開いたノ

「私は会社のメンツではなく,会社の技術と社員の生活を守るためにここに立っている。」隠して済む段階は,もう過ぎた

スクリーンに並んだのは,メールの画面だったノ送信者は鬼塚社長,宛先は裏神専務。」本文にはっきりとこう記されているノ「学歴フィルターで現場を入れ替えたい。」「中卒,高卒は人員整理しろ。」「会見は君の手柄として発表しよう」

一瞬,時間が止まったように感じたノ次の瞬間,会場は大きなどよめきに包まれる。」記者たちが一斉にペンを走らせ,フラッシュが光ったノ裏神専務は椅子から立ち上がり,鬼塚社長を指差したノ

「社長がやれと言ったんだ。」私は指示に従っただけだ

鬼塚社長も慌てて立ち上がり,声を荒げるノ

「ば,バカな。」そのメールは,一部の表現が行きすぎただけで,具体的な指示では

「行きすぎ,人員整理しろは指示じゃないんですか? 」

責任をなすりけ合う2人の姿を見ながら,俺は胸の奥にあった長年のわだかまりが,少しずつ溶けていくのを感じていた。」俺はゆっくりとマイクを手に取った。」会場は自然と静まり返ったノ

「技術を軽んじ,学歴だけで人を切り捨てようとした結果が,今のこの状態です。」中卒に価値はないと言われました。」しかし価値がなかったのは私ではなく,あなたたちの考え方だったようですね

自分の声が不思議なほど落ち着いていることに気づきながら,俺は2人を見据えたノ霧島相談役がゆっくりと立ち上がり,最後の言葉を告げるノ

「この件は,臨時取締役会で厳正に審議する。」現場を踏みにじり,技術を軽んじ,社員を数字としてしか見なかった者に,生コントロール工業の看板を名乗る資格はない

その宣言が終わると同時に,会場のあちこちから記者の質問が飛び交い始めた。」フラッシュの光の中で,裏神専務も鬼塚社長も,次第に小さな存在に見えていくノ

数週間後,車内には正式な通達が回ったノ裏神専務は解任。」鬼塚社長は責任を取って辞任。」霧島相談役が暫定的に会社の家事を取ることになったノ指導は情報管理とコンプライアンス強化の中心メンバーに,風は品質管理部の主任に昇格したのだノその後,裏神は業界で「記者会見のあの人」として知られるようになった。」外資系コンサル出身という肩書きは,口だけの無能の証明となり,まともな企業からは相手にされなくなった。」が業界の知人から聞いた話では,派手だった腕時計を質に入れ,安いアパートで1人暮らしをしているという。」鬼塚もまた地方に引っ込んだが,事態はさらに悪化した。」会社での不祥事が報道されると,家族からも愛想を尽かされ,離婚を言い渡される。」元社長という肩書きは重荷となり,地元でも後ろ指を刺される日々が続いているそうだ

一方,俺は技術監修の責任者という肩書きを正式に与えられ,制御ユニットの次世代モデルの開発に取り組んでいた。」隣の部屋から聞こえてくる,若い技術者たちの「岩森さんみたいになりたい」という声に,照れ臭さと責任の重さを感じるノ機械のカバーに手を置きながら,俺は微笑む。」技術は,次の世代へと受け継がれていく

「ちなみに,ボロ工場の社長でも,この数字の意味は分かるか? 」

チリっと音を立てて,目の前の男が俺に何かを差し出した。」男は取引先の営業部長だ。」テーブルには596円分の硬貨が置かれているノ「ご苦労。」そう,ゴミ合わせで言いたいのだろう。」ひどい侮辱だ。」俺は頭に血が登るのが自分でも分かったが,あるものを見て一瞬で冷静になるノここで俺が感情的になる必要はない。」俺は反撃の意思を固め,静かに口を開いたノ

俺の名前は豊島。37歳の,新米経営者だ。」なぜ新米がつくかと言うと,父の経営していた町工場の社長を継いだばかりだからだノうちは機械部品や製品を製造する工場で,近年では企業相手にオーダーメイドの特注機械も受注しているノ本来はもう数年してから継ぐ予定でいたのだが,父の体調が優れなくなり,予定より早く俺が引き継ぐことになったノ俺は元々町工場で職人として働きながら経営について学んでいたこともあり,両親としても問題ないと考えたらしいノ

「俺が引退するとはいえ,相談役ぐらいはできる。」だからそこまで心配するな。」とはいえ頼りきるなよ。」お前はもう社長なんだから,責任ある言動を心がけろ

不安がよぎるといつも,父のこの言葉を思い出すようにしている。」父の工場は,父と祖父の力もあり,業界の中では比較的大きい部類だ。」父たちが築き上げたものを守り,さらに俺が発展させていかないとなノそんな気持ちを胸に,仕事に望んでいたノ特に今は,大きな仕事を受け負っている最中だ。」社長になって初めての大きな仕事に,なしに俺の緊張感は増しているノ取引先の一社が,今度大きな工場を新設するという。」その工場に設置する機械を,うちに依頼してくれたのだノ「加工程の最適化ユニット」と言える代物で,主な役割としては研磨や接合,穴開けなどの複数の加工工程を一括で制御し,最適化する。」機械は限りなくコンパクトなスペース設計であり,AIによって加工精度や速度をリアルタイムで調整するのだ。」俺は大学生時代,機械に関する分野を専攻していた。」将来的にAIを取り入れていきたいと考えていたのだノAIを取り入れた機械は,もう今時珍しいほどでもない。」そう言われてしまうかもしれないが,うちの技術にAIの力が合わされば,有名な会社にも負けず劣らない素晴らしいものになると信じているのだノ今回の特注機械は,俺自身が設計を取り開発を進めた。」それだけ今回の仕事には力を注いできたのだノ取引先の新工場解説が目前に迫った頃,俺は取引先に足を運んでいた。」工場の解説式には俺も招かれているので,その段取り確認とのことだノ

2週間後に解説式が行われる。」俺が時間通りに取引先に到着すると,取引先の営業部長である柴崎が出迎えたノ俺は正直,この柴崎のことが苦手である。」柴崎はまだ若い部類の社長の俺を見くびっているのか,あからさまに小バカにした態度を取ってくるのだノ仮にも仕事先の社長の俺に対して「とや君」などと君付けしてくるあたり,俺の気のせいではないだろうノ今時,俺よりも若い社長だってたくさんいると思うのだが

今でこそ契約もまとまり,あとは進行時解説を待つばかりだが,それまでに右よ曲あったノ取りがないので端的に説明すると,見積もりの最低を繰り返させる,他社との比較をちらつかせる,などがある。」その中でも精神的に応えたのは,期限ギリギリで使用変更を求められたことだノ

「工場のレイアウトが変わったから,機械のサイズ変更できますよね。」それとも経営ギリギリのボロ工場では,対応しきれませんか

当たり前のように言ってきた時は耳を疑ったノ柴崎の口ぶりから察するに,どうやらうちの経営状態にも偏見があるようだノ俺の若さを攻撃する他,こうしてボロ工場と言ってくるのが何よりの証拠だ。」工場なら自分勝手な要求を押し付けてもいいとでも思っているのだろうか。」俺1人で作っている機械ならいくらでも対応するが,実際に変更するのは職人たちだノ俺は抗議したが,柴崎は俺の社長としての経験の少なさなどを指摘し,のらりくらりとかわすのみノ

「ああ,そういう反応をするのも若さだね。」いいかい? とや君。」現場ってのは,常に変化するものなんだよ。」柔軟に対応できないと,社長としてやっていけないよ。」これが他の社長なら,何の問題もなく対応してくれるんだろうけどな

俺の若さと未熟さ,そして他の立派な社長たちと比較され,悔しいのをよく覚えている。」今回も何かおかしなことを言われないといいけど,俺は一抹の不安を抱えつつ,柴崎の案内のまま車内を歩いていく。」大雪室に通されると,柴崎は部屋の奥側,俺は出入り口側の席に腰を下ろしたノ

「担当直入に言いますが,2週間後に開かれる新工場の解説式,出席を辞退していただけませんかねえ」

あまりにも突然すぎる発言に,俺は目を丸くしたノ

「何をいきなり?

どういうことでしょうか? 」

「そういうのがやっとだ

柴崎はめんどくさそうにため息をつくと,目を細めた。」いつもは慇懃に敬語だったのが,尊大な言葉遣いに変わるノ

「オタクみたいなボロ工場の人間が,工場に関わってると知られては,うちの会社の評判に関わるんだよ」

俺が驚愕のあまり言葉を失うと,柴崎はニヤリと笑うノ

「仕事をもらえるだけでも,ありがたい話だろう。」言う通りにしてくれよ

こんな屈辱は許せないと,俺は膝の上で拳を握りしめる。」そもそも新工場の解説式は,取引先社長からじきじきに誘われたのだ。」柴崎に何を言われても,俺が屈する理由はない。」俺はまっすぐ柴崎を見据え,

「お断りいたします」

誘われたことも理由に添えて,きっぱりと断ったノ俺が断ることも想定していたのか,柴崎は「やれやれ」と大げさに肩をすくめて見せるノ

「いいのかな? とや君は知らないかもしれないけど,俺ってこの会社の次期社長って言われてるのおいなんだよね

一瞬,俺の頭に疑問が大量に浮かぶ。」その情報は初耳だが,だから何だというのだろうか,というのが正直な感想だノ

「え,えっと」

俺が困惑していると,柴崎は乱暴に机を叩いたノ

「だから俺は,将来次期社長になるかもしれない男のおいなんだよ。」その俺の言うことは,素直に聞いておいた方がいいぞ

「あくまでかもしれないというだけじゃないか。」仮に本当に専務が次期社長になったとしても,柴崎は何も関係ない話だ

「仕事はこれからもたまには振ってやるから,さ,大人しくこっちの言うことを聞いておけよ。」さっきも言ったが,オタクみたいなボロ工場の社長が参加してると,専務である叔父の恥になる

完全に理解はできないが,柴崎は叔父のために余計な気を回しての発言だったようだ。」めちゃくちゃだな。」ずっとこらえていたが,顔に出てしまったのだろう。」俺の表情を見た柴崎が眉を潜めるノ

「なんだその顔は。」そういう態度を取るのか。」やっぱりとや君は若いだけあって実に感情的だな

俺が内心うんざりしていると,柴崎はごそごそと何かを懐から取り出したノ

「はい,596円。」これは機械代だ。」ちなみにボロ工場の社長でも,この数字の意味は分かるか? この私にそんな言動を取ったんだ。」この金額で文句はあるまい

チリっと硬い音を立てて置かれた硬貨を見て,俺は頭に血が登るのを感じた。」自分では分からないが,怒りで顔が赤くなっているに違いない。」596円。」つまり「ご苦労。」ゴミ合わせでそんな意味だろう。」柴崎を見ると,ニタニタと下卑た笑みを浮かべている。」文句しかないに決まっているだろう。」どれほど俺が気に入らないのか知らないが,こんなことが許されるわけがないノ俺は感情的に言葉を発しそうになるが,あることに気がついてぐっとこらえるノこれはあと瞬時に考え直したのだノ

「これは何かの冗談でしょうか?

私どもは柴崎部長のおっしゃる要望に随時答えてまいりました。」期限ギリギリの使用変更であろうとも,今後も有効的な関係を結んでいきたい。」その思いから,社員共々協力してきたんです

俺はあえて,自分たちがどれほど力を尽くしてきたかを強調する言い方をする。」それに対し柴崎は,あしらうように鼻を鳴らしたノ

「ボロい町工場の社長が,恩着がましい言い方をする。」有効的に接するかどうかは,こちらが判断することだ。」とや君は社長としてはひよっこすぎて,まだまだ分かってないんでちかね

まるで赤ん坊に言うような露骨な表現に,俺は眉を潜めるノ

「なるほど。」どうやら立ちの悪い冗談ということはなさそうですね

俺は呆きれたように,やれやれと首を横に振ったノ

「俺は先ほど柴崎が置いた596円を,後悔するなよと言いながら突き返すノ

「後悔? それはこちらのセリフだ。」素直に欠席しますと一言言っていれば,こんなことにはならなかったのにな

「全く,今後オタクに仕事を頼むことはきっとないな」

俺は返答もせず,帰り支度をして席を立つ。」退出する間,ちらりと柴崎の座る方向へ視線を向け,

「ええ,きっともう2度とあなたと仕事をすることはないでしょうね」

と告げ,扉を閉めたノ

それから2週間ほどが経った。」今,俺の目の前には3人の人物が座っているノ取引先社長と専務。」そして柴崎だノ

「新工場の解説式は明日だというのに,お忙しい中どうされました? 」

俺があえて明るい表情で尋ねると,社長と専務が揃って柴崎を睨むノ

「この度は,弊社の柴崎がとんだ粗相を,大変申し訳ございません」

「私も専務としてそして叔父として,恥ずかしく思っております。」本当に申し訳ございません

社長と専務が俺に対して平身低頭する様子に,柴崎は青ざめた状態だ。」顔から血の気は失せ,視線だけがあちこちを彷徨っているノ

「柴崎部長は,何か言うことはないのでしょうか? 」

俺が指摘すると,柴崎は言葉を絞り出したノ

「お前,よくも大それた真似をしてくれたな。」工場から特注機械を全部撤収してしまうなんて,解説式は明日なんだぞ。」どうしてくれるんだ?

出てくる言葉が謝罪ではなく詰問とはね。」俺はやれやれとため息をつくノ俺は柴崎の発言通り,取引先の新工場からうちの特注機械だけ全て撤収したのだノ俺は目を細め,口を開いた。」まだ何も分かってなさそうな柴崎に教えてやるノ

「いやあ,先日596円を差し出された時はさすがに怒りが込み上げましたが,あなたの頭でっかちな様子を見て,冷静になれましたよ。」柴崎部長ご自身が気づかずに証拠を固めてくれているのだから,私が感情的になる必要は,これっぽっちもないとね

実を言うと,柴崎に暴言を吐かれた時,俺の堪忍袋の緒はとっくに切れていた。」柴崎の挑発に乗り,感情的に言葉を吐き出しそうになったその瞬間,部屋の奥側に座った柴崎の方向。」正確には天井に設置されたカメラに気がついたのだノセキュリティ強化の一環だろうか。」何にしても,録画されていると悟った俺は,一気に冷静になり対応することができたのだノ

「弊社は,セキュリティ強化を目的に,オフィスや応接室など様々な場所にカメラを設置し始めていました」

専務の言葉に,社長も頷くノ証拠保全や情報漏洩対策,来客管理のためらしい。」他にも「万が一,言った言わない問題が起こらないとも限らない。」そういう時のための対策だというノ

「ご指摘の通り確認しましたところ,柴崎部長のその実に不適切な言動を確認できました。」音社とは末永く良好な関係を築いていきたいと考えていたというのに,もう何と言えばいいのか? 」

俺は柴崎の元を去った後,速攻で柴崎のことでクレームを入れた。」その際に,カメラを確認してもらえれば分かるはずだと伝えたのだノ柴崎の叔父である専務はもちろん社長も,柴崎の考え行動は全く知らずに驚愕したというノ「か,専務に関しては知っていたけど,応接室はまだ設置してないはずだと思ってたんだ。」前日確認した時はなかったのに

柴崎曰く,オフィスなどにはすでに設置されているのは知っていたが,応接室はまだのはずだと思い込んでいたらしい。」恐ろしくいいタイミングで応接室にカメラが設置されたのだろう。」直前にカメラの有無を確認していれば気づけたかもしれないが,柴崎は「カメラはまだない」という思い込みから,俺を応接室に招き入れた。」その行動が柴崎の破滅につながるとも知らずにノ説明を終えると,柴崎は感情的にまくし立てたノ

「だからって,特注機械を全部撤去する必要はないだろう。」解説式は明日なんだぞ。」工場の中を見られた時,あるはずの機械がなければ

「そんなもの,知ったことではありません。」柴崎部長,あなたは私に機械代と言い,596円を差し出しました。」契約金にほど遠い金額を,渡そうとしたんですよ

俺の言葉を補足するように,専務が言うノ

「柴崎部長,君の軽はずみな行動によって,取引先の信頼を失ってしまったんだ。」契約書にも,代金の支払いがなされない場合は撤去が可能だと明記されている。」お前の596円という馬鹿げた金額の提示で,そう取られてしまっても仕方あるまい

ちなみに契約では,研修合格後に全額支払いとなっており,柴崎が596円を提示してきた時点で機械代は未集だったのだノ

「柴崎さんが自らの過ちに気がついて謝罪してくださるようなら,機械を元に戻すことも考えておりました。」ですから社長や専務には,ギリギリまで黙っていただいていたんですノ結果,今日まで柴崎は何もしなかった。」それで社長と専務がわざわざ柴崎を伴って,謝罪に来たという流れだノ

「気の毒なことです。」社長も専務も,あなたのせいで下げなくていいはずの頭を下げるはめになった

俺が言うと,柴崎は専務に対してすがるような目を向けるノ専務は突き離すような冷たい目だノ

「お前,私が次期社長であると豪語していたようだな。」私が次期社長になり,お前はその親族として大きな顔ができるとでも思ったか? だがな,お前の目論見通りにはいかん。」次期社長の話は周りが勝手に言っているだけだし,そもそも私にそんな気持ちはない

「え」

専務の言葉の真意が分からないようで,柴崎は驚愕しているノ

「専務には,私の娘の右腕になって欲しいと思っているんだよ」

社長の言葉に,柴崎はさらに驚愕して口をパクパクさせたノ

「まだ大けにはしていないが,海外にいる私の娘とその夫がかなり頑張っているようでね。」2人に後を任せようと思っているんだ。」専務は前から,娘夫婦を支えるために準備してくれている

柴崎としては,女性である社長の娘さんは後継者として眼中になかったらしいノ

「そんなまさか,娘が次期社長なんて」

と力なくつぶやくノ俺の年齢に対する偏見と言い,柴崎はかなり視野が狭い価値観で生きているようだノ俺はすっかり脱力している柴崎に,声をかけるノ

「明日の工場の解説式,特注機械がない点に関して,社長さんと専務さんはあなたに説明を任せるようですよ。」参加される皆さんに何と説明するのか分かりませんが,明日が楽しみですね

俺の言葉がとどめになったのだろう。」柴崎は真っ青な顔からさらに真っ白になり,

「こ,この度は大変申し訳ございません」

と消え入りそうな声で頭を下げたノ

その後,柴崎は懲戒解雇になった。」柴崎の叔父である専務は責任を感じ,自ら辞任を宣言したそうだ。」とはいえ,今まで社長を支えてきた立場であり,専務は周りの信頼も厚い人物だった。」社長が話していた娘さん夫婦の件もある。」そのため身内として柴崎の振る舞いの責任を負うが,専務自体は辞めることはないらしい。」うちが撤去した特注機械も最終的には再び取引先の工場に戻って稼働中だ。」取引先社長と専務が誠心誠意謝罪してくれたこともあり,引退した父と相談して決めた。」その代わり本来の契約金に加え,慰謝料の意味も込めてかなりの額が支払われることに。」特注機械は問題なく,むしろ想定以上の働きを見せかなりの評判だ。」噂を聞いた他社からも,是非うちと仕事がしたいと声をかけられているノ柴崎のその後に興味はないが,どうやら懲戒解雇は家族にも見放され,1人虚しくどこかへ引っ越していったようだと噂で聞いたノ人を見下し,嘲笑う傲慢さは,簡単に正すことはできないだろう。」これから社長としてもっと経験を積んでいく上で,柴崎のような人間にはならないよう,心に刻もうノ

「このシステム高いんだよね」

そう言ってため息をついたのは,取引先の部長だ。」今更と内心思ったが,口に出してもいいことはないので俺は聞こえないふりをしたノしかし部長はそれだけでは終わらないノ

「そんなに嫌なら,やめればいいじゃないか。」こっちがいつまでも従ってると思うなよ

俺の名前は小野。」40歳だ。」俺は7年前に起業し,今は省エネシステムの会社を営んでいるノ今うちで1番売れているのは,使用しているエネルギーを見える化し消費電力を抑えるシステムだ。」工場などでよく使われていて,他の企業と提携し,断熱材の強化や自然光の利用なども行っている。」ここ数年の温暖化もあり,どこも熱中症対策などを考えるようになったので,需要はより増しているのだノおかげで忙しい毎日を送っているノここまでうちの会社が軌道に乗ったのは,俺の右腕とも言える親友の存在があるノそいつの名前は村上。」出会ったのは高校時代だ。」俺は当時からパソコンをいじったり研究したりするのが好きで,周りから見れば暗くてつまらないやつだっただろう。」実際,人付き合いは苦手で,昨日聞いたことも言えないし,友達と呼べる人はいなかったノそんな時にたまたま隣の席になった村上が,

「お,お前勉強得意だろ? ちょっとノート見せてくれよ」

と言ってきた。」俺は一応学年でも成績は上位だったが,なんだか面倒で,

「なんで俺が」

と思わず口にしてしまうノ言ってから,そんなこと言わずに見せてやればいいじゃないかと心の中で思ったが,すでに遅いノ俺はこうやっていつも人を寄せつけずに来てしまったのだ。」こいつも俺を睨みつけて,ため息でもつくのだろう。」そう思ったのだが,村上の反応は意外で,

「そんなこと言うなよ」

と言って笑ったのだノ

「は,お前はさ,そんなこと言ってても,結局は俺がかわいそうになって貸してくれる。」そういうやつだよ

からかっているのだと思った。」でも村上は違ったノただの騒がしいやつだと思っていた村上の印象が,そこから変化していくノ村上は騒がしくてお調子者。」それでいて人懐っこくて熱いやつだノ俺とは正反対の性格なのだが,なぜかそれ以降,俺によく絡んでくるようになったノもっと一緒にいて楽しいやつといればいいのになんて,口にした俺に

「お前といると面白いよ。」ほら,俺らって性格も真逆だろ。」だから面白いんだ

村上がいなければ,高校生活なんてただの通過点だっただろう。」だが村上のおかげで,俺は他の友達もできたし,体育祭や修学旅行だって楽しかった。」そんな村上は高校を卒業しフリーターになったかと思うと,しばらくしてからいきなり海外に飛んだ。」バックパッカーというやつで,海外を旅しに行ったらしいノ俺とは違う人生を歩んでいるやつだから,てっきりそこで縁は切れると思っていた。」しかし海外から帰ってきた村上は,度々俺に連絡してくる。」その後も気がつくとどこかへ旅に出ていた村上だが,欠かさず連絡をしてきたのだノ村上は20代半ばで不動産会社に入社し,営業としてガンガン成績を上げたらしい。」その頃俺も就職先で昇進し,エネルギー開発に携わっていたノその中でだんだんと,こうしたい,これがやりたいということが明確になってきたのだが,組織にいるとなかなかそういうわけにもいかないノ会社での立場とやりたいことのギャップに,だんだん苦しむようになってきたノそんなことを村上に話すと,

「起業すれば」

という。」そんな簡単に言うなよと,俺は呆れた。」しかしその時から,俺の心のどこかに起業してみたいという思いが出てき始めたのだノそして俺が33歳の頃,村上に呼び出され,

「会社やめてきたわ」

と怒りながら報告を受けたノ何でも,自分より売上の悪い上司に自分のお客さんを横取りされた挙げ句,過去にも売上を横取りされていたことが発覚。」それを社長に訴えたが,面倒なのかまともに取り合ってくれなかったので,頭に来てやめたというノ確かに俺がその立場でも頭に来るし,社長にも訴えるかもしれない。」でも俺は先の生活のことも考えてしまうし,その場でやめるなんて選択はできないと思ったノ実際俺もその時,上司と揉めていたのだが,なかなか訴えることができず,今も心に溜め込んでいるノ俺もそろそろ限界という状態だったノ村上は自分の話を吐き出すと,

「お前,顔色悪いな」

と俺のことを聞いてくるノそこで俺は今の悩みを打ち明けると,

「じゃあやっぱり起業だな」

とケロリと笑ったノ

「簡単に言うなよ」

俺は随分前にも言ったセリフを繰り返す。」するとニヤニヤ笑った村上は,

「そんなこともあろうか」

と言ってタブレットを取り出した。」そこには企業の仕方や会社のビジョンがまとめられているノ

「これって」

驚く俺に,村上は

「お前がやりたいのって,こういうことだろ」

と会社のビジョンを指差した。」そこには,俺が村上にちょこちょこ話していた俺のやりたいことがまとめられているノ俺は大きく頷いたノ

「お前が社長で,俺は副社長な」

村上は平然と言うノ

「社員がいないのに,社長と副社長だけいるのかよ」

俺は思わずツッコミを入れたノ

「い増えるさ」

村上は笑うノ

「じゃあ,俺が起業したら,村上はそこで働く気なのか」

と恐る恐る聞いてみる。」すると村上は,

「当然だろ。」お前頭はいいけど,人付き合いとか全くじゃん。」いいものできたって,売り込む人間がいなきゃ意味ないし。」それは俺の得意分野なんだから」

と胸を張るノ村上の言葉は妙に説得力があったノそして俺は村上と共に新しい道を進む決意をするノこうしてできたのが,今の会社だノ俺は今までやりたかったシステムを作り出し,それを村上が売り込む。」村上はあれよあれよという間に,いくつかの工場と契約をしてきたノまずは小規模な工場から攻めていく。」村上って本当にすごいなと,俺が感心すると,村上は

「お前のシステムがすごいからだろ。」自分がいいと思うものを売り込めるのは当然

と得意げに言ったノこの時,村上のところには前の不動産会社から「戻ってきて欲しい」と連絡が散々あったようだ。」しかし村上はそれを断るだけではなく,その不動産会社と提携してうちのシステムを導入する契約を結んできたのだノこれには,

「お前って本当にすごいな」

と俺は目を丸くしたノ会社の規模は少しずつ大きくなり,その頃,特許申請していた省エネシステムが承認されたのだノしてある時,取引先の20拠点ある工場全てに,その特許を取った省エネシステムを投入したいという話を村上が持ってきたノトントン拍子に話は進み,全ての工場にシステムを導入する。」うちのシステムは初期費用はかかるが,確実にコスト削減ができるし,2年ほどで初期費用も回収できる。」長く使ってもらうほど得だし,規模が大きいほど回収できる年月も早いことがほとんどだノそして今度,その工場の本社を移転しビルを建てるということで,そちらにもシステムを導入する運びとなった。」だがここで問題が起こるノ本社ビル完成の前日。」俺はシステムの最終調整のために,村上と一緒に現地入りをしたのだノ俺たちを待っていたのは,本社の部長である加藤。」俺たちよりは年上なのでおそらく50代なのだが,何度か会った時,妙に態度が大きいと思った。」俺の方が年下だからということなのかもしれない。」ただ取引先なのだから,年齢は関係なくないかと思ってしまう。」俺は加藤のことは敬遠していた。」しかし今日は避けられないノ俺と村上は加藤に挨拶する。」加藤は,

「今日は社長も一緒なのか,なら話が早い。」オタクの営業は,いつも社長に聞いてみないと言って逃げるからな

とニヤリと笑ったノ俺は以前,村上が

「加藤部長がもう少し値下げしろって言うんだよ。」でもうちだってギリギリ。」それに契約書はその金額でサインもらってるし,一応社長に聞いては見るけど,無理だと思う

って答えたよと言っていたのを思い出すノ全くもってその通りだ。」これ以上の値下げは難しい。」だが加藤はそんな俺たちの思いは無視して,

「オタクの省エネシステム高すぎなんだよね。」ちょっと値下げできないの」

と言ってくるノ村上は

「ですから何度も説明した通り,このシステムでこの金額はむしろ割安ですよ。」ランニングコストも計算させてもらったじゃないですか

と言った。」しかし加藤は,

「お前には聞いてない。」どうせお前は社長の言いなりのただの営業だろ。」何も権限がないんだから,黙ってろよ

と村上に高圧的な態度を取るノ俺はその瞬間,怒りに震えたノそして加藤に向かって,

「お言葉ですが,うちの村上はただの営業なんかではありません。」何も権限がない。」あなたに何が分かるんですか

と言ってしまったのだノだが加藤は余裕そうな顔で,

「私にそんなことは関係ない。」だったらお前が何とかしろよ。」社長権限でこれ半額にしてくれる?

うち20拠点もオタクのシステム入れてるんだから,そのくらい割り引くのは当然だろ。」値下げできないなら,20拠点のシステムも撤去な

と言ってきたノ確かに今の20拠点のシステムは,点検などの保守費用はもらっている。」これがなくなったら,少なからずうちの売上には影響が出るのだ。」ただ半額になんてしたら赤字ノ村上は口を挟むべきか悩んでいるようだが,下手に口を出せないと思っているのだろう。」俺の行動を探っている。」俺が首を縦に振らずにいると,加藤は,

「半額が無理なら,キャンセルで。」

大体これ意味あんの」と笑う。」続けて,

「特許を取った省エネシステムって何だよ。」こんなの俺でも考えつくわ。」中小企業が偉そうにしてるんじゃないよ

と俺を馬鹿にしたのだノこのシステム自体が何かを生み出すわけではないが,会社や工場を丸ごと管理するので,無駄を省くことができる。」縁の下の力持ち的な存在で,価値には気づきにくい。」ただこれがあるから,電力量を抑えつつ快適に過ごすことができるのだノ村上が

「おい,あんた」

と言いかけたが,俺はそれを止めたノ俺は鞄の中からパソコンを取り出し,

「キャンセルなら,仕方ないですね」

と言い,その場で書類を作る。」加藤は俺が何を始めたのかと,不思議そうな顔で見たノ俺はすぐに書類を作成し,

「各工场のシステムの撤去費用です。」この本社ビルの撤去費用だけは,サービスしておきますよ。」ここにサインしてください

と加藤に迫るノ加藤は

「撤去費用。」そんなものまで取るのか

と悪態をついてきたので,俺は電卓を取り出し,

「これは毎月の各工場の保守費用です。」撤去費用はそれより安くしておきましたので,これだけ差額が出ます

と電卓を叩いて見せると,

「そうか」

と納得した加藤は,サインをしたノそしてその場で全ての契約を吐き,村上はあ然としていたが,俺は加藤にこれ以上村上を馬鹿にされるのが嫌だったのだノそれに,お試しで導入したいという企業などに中古の需要もあるので,こちらが損をすることはないノ会社に戻ってから,村上が,

「お前がそんな態度取るなんて珍しいな」

と言ってきたノ俺はまだ怒りが収まらず,

「当たり前だよ。」お前のことバカにするのも許せないし。」前からあいつの態度には腹立ってたんだ。」うちのシステムに意味があるのかなんて聞くやつは,存分に後悔すればいいんだよ

と口にするノ村上はちょっと照れ臭そうにしながら,自分の仕事に戻ったノそれから半月後,20拠点あるうちの最後の撤去作業にやってきたノ他の工場でも,

「これを撤去するなんて,本社は何を考えてるんだ」

という現場の声をもらったが,契約したのは本社の加藤なので,俺は撤去作業をすることしかできない。」現場からは残念がる声が上がったノそして今日,俺が工場で撤去作業をしていると,

「小野さん,ちょっといいですか? 」

と担当者から声をかけられ,会議室に案内されるノなんとそこには加藤がいたのだノ担当者はすぐに去っていくノ俺は嫌な予感がして,一瞬スマホを出してまたポケットに戻す。」すぐにでも作業に戻りたかったが,それは許されなさそうだノ気まずい空気を破ったのは,加藤ノ

「お前,うちの工場に何をしたんだ? 」

いかにも怒っていますという空気をまとっているノ

「何のことですか? システムを撤去しただけですが」

俺は本当に意味が分からなかったので,普通に答えたノすると加藤は書類を目の前のテーブルに叩きつけるノ

「高熱費が,ここ半月で上がっているんだ。」お前が撤去作業をしてからだと,工場は言っている。」作業の間に何かしたんだろう

俺はため息をついたノ

「うちのシステムに意味があったということですね。」それが全てだ

だが加藤は納得しないノ

「ふざけるな。」そのシステムを撤去しただけで,こんなに上がることないだろう

加藤の相手をするのも面倒なので,俺は鞄から電卓を取り出す。」そして,

「これが今までの高熱費。」それをうちのシステムを入れることによりここまで下がりました。」システムの導入費用はこの金額。」毎月の保守費用はこの金額。」毎月の費用を支払っても,今までより安いんですよね。」それを撤去したんだから,ここまで値段が上がるのは当然です

と電卓を叩きながら,加藤に見せつけるノようやく加藤は,

「そんなはずはない」

とトーンダウンし,顔色を変えた。」さらに俺は,

「このシステム,特許取ってるんですよ。」本来はもっと費用を上げてもいいのですが,音社の場合は初期から使っていただいていますし,20拠点という大規模な契約ですので,金額はかなり勉強したんですけどね。」まあ,意味があるのかとまで言われたので,今後の取引は一切しないつもりです。」あなたの巻いた種なので,自分でどうにかしてください

と続ける。」すると加藤は逆上したノ

「ふざけるな。」だったらどうしてあの時にそう言わなかった?

加藤はテーブルをバンと叩き,今にも掴みかかってきそうだ。」俺が1歩引くと,加藤が2歩前に出るノもしばし俺,殴られると思った瞬間,勢いよく会議室のドアが開いたノ

「加藤部長,話は全て聞かせてもらいました」

と言ってスマホを見せながら入ってくる村上。」スマホは通話画面になっている。」そう,俺はここに入った時,とっさに村上に電話をしたのだノ別のところで作業していた村上が駆けつけてくれた。」村上が,

「この音声,オタクの社長に送り付けますね」

と言うと,加藤は一気に青ざめ,

「おい,待ってくれ」

と言ったが,待つはずがないノ俺は加藤から離れ,

「どうして高熱費が上がったのか,答える手間が省けるじゃないですか。」では我々は,意味のないシステムを撤去して,すぐに退出しますので

と言い,会議室を出るノちょっと待ってくれと加藤が青い顔で会議室から出てきたが,他の社員がいることに気づき,加藤はそれ以上声を上げられなかったのか,立ち尽くしたノ後日,加藤の会社は工場の縮小を発表したノ本社ビルを建てたばかりなのに,縮小なんてしてどうするのだろう。」まあ,おそらく高熱費が上がりすぎて,どうにもならなくなったといったところだと思うノ村上が,

「この間たまたま町であった工場の担当者に聞いたんだけど,加藤は降格して,驚くことに工場で働いてるんだって。」何もできなくて周りから白い目で見られてるらしい。」最初はこんなところすぐにやめて転職すると言っていたけど,転職先が見つからなかったみたいで,今もいるんだって。」肩身は狭そうだって,笑ってたよ

と教えてくれたノ加藤の会社との取引はなくなったが,村上がまた新しい取引先を見つけてきてくれたので,うちの会社に特に影響はないノ村上さすがだよ。」そう言うと,村上は自信満々に胸を張ったノ村上は本当によく俺を支えてくれている。」これからも感謝して,力を合わせながら頑張っていこうと思うノ

「誰の案を盗んだ? お前は所詮平社員なんだから,こんな難しいことは考えられないだろう」

近藤部長は提案書で机を叩きながら,大きくため息をついたノこれは俺が試行錯誤の末まとめた提案書なのに,この男は盗作呼ばわりだ。」近藤部長の態度には腹がにえくり返るノ俺の名前は夏川。」医療コンサルタントとして働く,40歳の会社員だノ7年前まで俺は総合病院の外科医として働いていたノ学生時代,医療系のドラマに夢中になり,医者の道に進むことを決めたのだノ軽率な進路の決め方だったが,医学を学ぶ楽しさに目覚めてからは,無我夢中で勉強したノ日付けば医師国家試験に合格し,総合病院の外科医として働くことになっていたのだノ難しいと言われる手術にも果敢に挑戦し,成功を繰り返すうちに,外科医としてそこそこ名の知れた医者になることができたノ順風満帆と言える生活が一変したのは,ある手術での出来事だったノその日の手術は,俺より若い医師が経験をつけるために執刀となり,指導医と俺が助手につくことになったのだノその医師が手術中に重要な血管を誤って損傷し,患者が重篤な状態になるというトラブルが発生。」幸い命は助かったが,その後,その患者家族との訴訟問題にまで発展してしまったノしかしその若い医師は,

「夏川医師の指示通りに行った」

と嘘をついたのだノ当然,手術室には他に医師や看護師もいて,そんな嘘は簡単にバレてしまうはずだったノだが現実は違ったノ

「夏川医師は細かく指示を出していたので,夏川医師の指示に従ったというのは間違いないと思います」

若い医師の指導医がそう発言したのだノ

「違います。」そんな事実はない

俺は必死で弁解したが,なぜか俺の言い分は一切通ることがなかったノしかも手術記録まで改竄して,俺に責任をなすりつけたのだノ病院上層部は,若い医師と指導医の味方をし,俺は責任を取らされて医師を辞めることになってしまったノ病院をやめさせられた後,当時仲の良かった医師仲間の金村が教えてくれたノ

「あの事件の裏には,外科部長が絡んでいたんだ。」金村の話では,俺の鉱石を妬んでいた部長が,若い医師と指導医を脅して,俺を落とし入れる腹積もりだったようだ。」手術でのトラブルは偶然だが,これ幸いと俺に罪をすりつけることにした。」それが今回の真相だったノ

「お前がやめることになって悔しくて真相を調べたが,外科部長が絡んでいるとなると,俺にもこれ以上は動き取れない。」本当にすまない

「いや,お前が俺のために動いてくれたことには感謝する。」自分の立場を悪くする行動は,これ以上しなくていい。」別の病院に勤めるさ

金村にはそう話したが,正直俺は医師として再就職する気にはなれなかったのだノその後,人生を立て直すため必死に勉強し,公認会計士,中小企業診断士,そして社会保険労務士の資格を取得した。」3つの難関資格を手にして,現在の医療コンサルティング会社「すっきりメディカルサポート」に再就職したのだノ入社から数年もすれば,持ち前の器用さで俺は仕事の楽しさを覚え,どんどん成長していくことができた。」昇進を果たしたこともあるほどに,医療コンサルタントとしての十分な実力もついてくるノそんな頃,俺たちの部署に新しい部長がやってきた。」前部長が一身上の都合で退職することになり,急遽部長職を誰が引き継ぐかとなった時,,周囲は俺が適任だと言ってくれたが,,そうはならなかった。」社長の一存で,外から引き抜くことが決まったのだ。」名前は近藤と言って,年は30歳ノ随分と若いな。」かなり優秀な人材なのかノ社員は新しく来た若い部長に対して,大いに期待していた。」すっきりメディカルサポートでは,市場最年少での部長の誕生であるノ

「皆さん初めまして。」近藤です。」この会社初の最年少部長となりましたが,,当然実力を買われての役職だと思っています。」俺の足を引っ張らないように,,皆さんしっかりついてきてください

堂々とした態度は部長として十分な風格があり,,さらに期待を寄せられる存在になったノしかし社員全員が抱いたその期待は,,たった数時間で崩れ去ったノ

「おい,,そこなあんた? 」

近くにいた社員を指で呼んだかと思えば,

「この仕事はお前がやれ」

と分厚い資料の束を投げ渡したのだノ

「あの,,これは役職付きでなくては関われない案件ですから,,これまでも全て部長が担当されていました」

押し付けられた社員がそう説明するノ

「お前,,俺がチャンスをやろうというのに,,逃げるのか? 使えないやつ目」

近藤部長はそう怒鳴りつけて,,首を縦に振る人が出てくるまで,,1人1人に打診していくのだノこれにはみんなが呆れ返ったノ他にも,

「役員会議の資料を作れ」

だの,

「この資料の説明をしろ」

だの。」いちいち社員を捕まえては仕事を押し付けてくるノ当然,,部長から命令されて断れるものがいるはずもなく,,時間を取られて自分たちの仕事にも支障が出てくる始末なのだノあっという間に車内に不満の声が流れ始め,,近藤部長の実力は疑問視されていったノそして,,一部の社員が調べ上げてきた近藤部長の正体を聞かされたのだノ

「近藤部長は,,うちの社長のおいっ子で,,今回,,急に開いた部長のポスト,,社長がおいっこをいい職につけたくて,,押し通したことらしい」

「そんなバカな話があるか。」会社は何だと思っているんだ

社員たちは憤慨し,,社長に抗議しに行く話に発展したノ

「確かに近藤部長は経験が浅い。」そこは,,社員である君たちがフォローして,,新しい部長を盛り立ててやってくれ

社長は,,俺たちの意見に耳を貸すことなく,,面倒ごとは避けたいとばかりに,,逃げ越したノ当然,,車内の業績は徐々に下がっていったノ社員たちが日に日に部長の対応に疲弊していく中,,俺は,,部長から重要なクライアントへの提案書作成を任された。」相手は大手病院グループで,,経営改善コンサルティングの依頼だノ

「夏川,,お前こういうの得意らしいじゃないか。」俺が正談できっちり決めてやるから,,提案だけ作ればいい

相変わらず部下に丸投げの姿勢には腹が立つが,,会社のためだと思えば手は抜けないノ俺は元医師としての知識と,,3つの資格で培った専門知識を生かして,,完璧な提案書を作成したノまず,,元医師としての経験を生かし,,手術室の稼働率を上げるためのスケジュール最適化など,,現場の実情を知るものだからこそ提案できる具体的な改善案を盛り込んだノ次に,,公認会計士の知識を使って,,診療報酬の収益性分析の詳細な財務分析データを作成した。」さらに,,中小企業診断士の資格を生かして,,患者満足度向上のための経営改善案を提案。」最後に,,社会保険労務士の専門知識で,,医師看護師の労働時間管理,,人事評価制度の見直しなど,,人事制度の具体的な改善案までもり込んだノしかし部長は,,俺の提案書を一瞥しただけで,,机の上に放り投げたのだノ

「部長,,何をするんですか?

驚いて声をあげた俺に,,近藤部長は鼻で笑うノ

「誰の案を盗んだ? お前は所詮平社員なんだから,,こんな難しいことは考えられないだろ

「盗んでいません。」部長。」この提案は医療現場の実情を

俺は必死に近藤部長に訴えたが,,近藤部長はきっと俺を睨みつけてきたノ

「これでは専門的すぎて,,誰も理解できない。」もっと簡単にしろ

「わかりました」

ぐっとこらえて,,提案書を,,近藤部長が望む通り簡潔に仕上げたノしかし,,こんな内容の提案書で,,商談がうまくいくはずはない。」修正した提案書を,,近藤部長に渡すと,,数枚の少ない資料に目を通し,,満足に頷くノ

「これだよ。」これくらい簡潔にしてくれたら,,相手にも伝わりやすいってもんだ

近藤部長の言葉に,,周囲で聞いていた社員たちが,,諦めたようにため息をついているのが見えたノズブの素人に対して説明するなら,,この簡単な提案書でもいいだろう。」しかし,,相手は大手病院グループで,,専門的な知識を元にした経営改善の提案を望んでいるのだノ当然のごとく,,商談は失敗に終わったノ商談から帰って来るなり,,近藤部長は俺を自分のデスクへ呼んだノ

「おい,,なんだあの提案書は? 全く使い物にならんと,,先方に鼻で笑われたぞ

当たり前だろうと心の中で怒鳴ったが,,口にすることはできないノ

「お前のせいで,,俺は恥をかかされた。」これはしっかり査定に組み込ませてもらう。」今度のボーナスは,,まともに出ないと思え

「お言葉ですが,,今回の提案書は,,近藤部長も目を通されて,,了承いただいたはずですが

うっかり本音がこぼれてしまった。」俺の言葉に,,近藤部長は見る見るうちに顔を真っ赤にさせたノ

「最年少で部長に昇進した俺に意見すんな。」消えろ

俺たちのやり取りを見ていた周囲の社員たちが,,ハラハラした様子で見守っているのが見えたノしかし,,これまでに溜まりに溜まった近藤部長への不審感が,,一気に爆発してしまったノ

「残念です」

俺は部長を見つめて,,一言言った後,,頭を下げたノ

「すみません。」体調が思わしくないので,,今日は相対させてくださいノ

「な,,んだ,,お前1人いなくたって仕事は回る。」とっとと帰れ

しっしと払う手ぶりで,,俺を追い払う仕草をして,,背を向けたノまるでわがままな子供のようじゃないか。」俺は,,これからずっとこの部長の下で働くのかノそう思った途端,,この会社への愛着も執着も,,綺麗に飛んでいってしまったのであるノ病院をやめた時より以上に,,虚しい気持ちになったノ

「大丈夫か? 」

オフィスから出ていく俺を追いかけてきた,,同僚たちが心配そうに声をかけてくれるノ

「悪いが,,俺はもう,,近藤部長の下ではやっていける気がしない」

「それはみんな同じだよ。」でも,,再就職先を探す難しさを知っているから,,みんな我慢しているだけさ

「すまないが,,今日は帰らせてもらうよ

同僚たちは,,それ以上俺を引き止めはしなかったノ自宅に帰り,,退職に向けて動くことを決めるノ会社には,,1週間の有給を電話で申請したノさて,,転職活動をしなくてはいけないけど,,どうするかなノ同じ医療コンサルタントの仕事ができれば,,1番ありがたいが,,転職活動をするには,,自分の年齢を考えると,,少しでも早く動かなくてはならない。」そんなことを考えていた矢先のことだったノ

「久しぶりだな。」元気だったか?

会社に有給を提出した翌日。」俺は,,元同僚の医師である金村から電話がかかってきたノ

「元気でやっているか? 」

「ああ,,昔のことはもう忘れるよ。」今は充実してる

「ああ,,そうだったな。」しかし1つ伝えておく。」お前を退職に追い込んだ2人は,,あの後,,手術に立ち合った人間から真相を暴露されて,,今は小さくなって過ごしているぞ

「そうなのか。」それはざまだな

「まあな。」それより,,こっちが本題だ。」実は,,相談があるんだ。」ある会社の社長が,,夏川のことを探している。」話を聞くと,,俺が元医師で,,現在は医療コンサルタントとして働いていることを知り,,会いたいと言っているらしいのだノ

「ライバル者の,,医療系スカウトパートナーズの社長だ。」知っているか? 社長本人が直接,,夏川と話したいと言っているんだ

スカウトパートナーズといえば,,うちの業界大手じゃないか。」名前を聞き,,驚いたノ何でも,,金村が学会に出席した時,,偶然スカウトパートナーズの社長と知り合ったらしい。」その時に,,元医師で,,難関資格を有している医療コンサルタントに転じた俺のことが話題に出たようだノ

「今の会社で充実した生活を送っているなら,,この話は忘れてくれていいぞ。」俺も,,知り合いなら是非にと言われたが,,お前の気持ちが大事だからな

金村は,,俺が病院を辞めた時も,,俺を心配して連絡をくれていた唯一の友人だ。」金村には,,俺の転職先も伝えていたし,,悩みの話もしていたノグッドタイミングとしか言いようがないな。」実は,,今転職先を探していたんだノ今回のことを金村に報告すると,,すぐにでも社長に会う段取りをつけてくれることになったノ1週間後,,医療経営スカウトパートナーズの大丸社長と会うことになったのだノ

「夏川さんの経歴を拝見した。」元医師で,,公認会計士,,中小企業診断士,,社会保険労務士の資格を持っているんだったな

目の前に現れた大丸社長は,,穏やかな口調の紳士だったノ

「はい。」現在は,,医療コンサルティングの仕事をしています

「実力も十分だと,,伝え聞いている

しっかり調査済みというわけのようだノ

「実は,,あなたのような人材をずっと探していたんだ。」医療現場の実情を知り,,かつ経営の専門知識を持つ人材は,,非常に貴重だからね

社長は続けたノ

「給与5倍で,,うちに来ないか? 」

俺は驚いた。」現在の年収は500万円。」5倍ということは,,2500万円だノ

「取締役として迎えたいと思う。」医療コンサルティング部門の責任者として,,思う存分力を発揮してくれ

破格の申し出に,,俺は迷いなく頷いたノ翌日,,有給明けに出勤して,,すぐに近藤部長のデスクに向かい,,退職届けを提出したノ

「夏川,,お前急にな,,何だ?

「転職することにしました

「どこに行くんだ? まさか,,同業他者じゃないだろうな

「医療経営スカウトパートナーズです

近藤部長の顔が青ざめるノ医療経営スカウトパートナーズは,,業界大手で,,うちの会社の最大のライバルというのは有名な話だノ

「取締役として,,迎えていただきます

さらに肩書きを明かせば,,近藤部長は真っ赤になって怒鳴ったノ

「せ,,嘘だろ? お前はただのコンサルで,,何の取り柄もない平社員だろ

「冗談はよせ」

と笑う,,近藤部長に,,俺は,

「実は,,私,,元医師で,,公認会計士,,中小企業診断士,,社会保険労務士の資格を持っています

と答えたノ近藤部長は絶句している。」大体,,俺の資格取得内容も,,会社人事部のPCの情報が保存されている。」部長の権限があれば閲覧も可能であるが,,部長はそもそも部下に興味がなかったようだノ

「3つの難関資格を持つ元医師という経歴が評価されたようです。」そんなステータスがあれば,,どこの会社だって欲しがるに決まっている

「おい,,お前,,転職なんて許さんからな

近藤部長は,,提出した退職届けを持つと,,目の前でビリビリと破り出したノ

「随分と子供じみたことをされるんですね

「う,,うるさい。」これで,,お前は転職はできないぞ

ざま見ろと言った様子で笑い出す,,近藤部長ノ

「安心しろ。」お前の代わりに,,俺がパートナーズに行ってやる

「冗談にしても,,稚拙です。」近藤部長は,,向こうの条件である資格を,,1つも取得しておられないですよね

「そんなもの,,これからいくらだって取れる? 」なんたって,,俺はお前より若く,,有能だからな

この人は,,未だ自分が有能だと勘違いしているのか。」元上司となる,,近藤部長を見ていると,,頭痛がしてきたノ

「どうせ破られるかもしれないと予測はしていたので,,退職届けは,,何枚か書いています

「それなら,,それを全部よこせ。」俺が全部破ってやる

部長は手を伸ばして,,退職届けを出せと詰め寄ってくるノ

「そんなことをしても,,無駄ですよ

ついおかしくなって,,吹き出してしまう。」その時,,扉が開いて,,人事部の人間が入ってきたノ

「夏川さん,,無事にというのは変ですが,,退職届けは受理しました。」離職票は,,近日中に郵送します

「あ,,ありがとうございます

「手続きは全部終わりですか?

「そうですね。」長い間,,お疲れ様でした

淡々と言いたいことだけ言って,,人事部の人間は出ていくノ

「どういうことだ? お前,,俺を無視して,,人事部に直接退職届けを出したのか? 」

近藤部長が詰め寄ってきたノ

「勝手なことをしやがって,,上司を無視して退職届を,,人事に出すとは何事だ? 」

「いえ,,上司に提出しましたよ。」会社のトップにね

会社のトップ,,つまりは社長のことだが,,今日,,会社に来て,,俺が最初に向かったのは社長室だったのだノ未だ,,おいっこが有能だと思っている社長は,,おいっこから聞いていたのであろう,,反抗的な態度を取る社員を常々チェックし,,社長に報告していたらしい。」俺が退職の旨を伝えた時は,,随分とあっさりしたものだったから,,「いくら,,昇進を果たしたことのある人間でも,,おいっこの出世の邪魔になる人間は,,辞めてもらった方がいい」という考えだったようだノ近藤部長は慌てた様子で,,内線をかけて,,何やら怒鳴り合っている。」電話の相手は,,おそらく社長のようだノ数分後,,ドタドタと走るような音が聞こえたかと思うと,,社長がオフィスの中に入ってきたノこれには,,正直,,驚いた。」きっとこちらが呼び出される番になると思っていたからだノ

「おじさん,,こいつは辞めさせずに,,うちでこき使うべきだ

叫ぶ,,近藤部長の近くまで歩み寄ってきた社長は,,追いの肩を掴むと,,大きな声を張り上げたノ

「このバカ物が,,お前,,散々,,この社員のことを,,能なしの役立たずだと言っていたじゃないか。」難関資格の話なんて,,知らんぞ

「いや,,それは」

しまったという顔をした,,近藤部長の顔を見ると,,どうやら俺のことを,,影でこき下ろしていたらしいノ

「な,,まさか,,お前,,自分がやったと報告に来ていた仕事は,,夏川がやっていたのか?

「いや,,だから,,それはなんとも」

はれの悪い返答をする,,近藤部長だが,,聞こえてくる内容は,,部下に仕事を丸投げして,,美味しいとこ取りしていたことが,,丸分かりのものだったノ

「正式な手続きを踏んで,,無事に受理されたので,,私はこれで失礼します

頭を下げた俺を,,慌てて呼び止め,,2人して,,「俺は許さん」と睨んでいたが,,完全に無視を決め込んだノこうして,,俺は無事に転職しての義務を果たしている。」同じ業界ということもあって,,基本的な仕事の違いはない。」ただ,,大手ということもあり,,案件も様々で,,学びが大いにある会社である。」今からどんなことができるのか,,ワクワクする毎日を送っているノ俺が転職して3ヶ月後,,前の会社に激震が走ったノ俺が担当していた,,複数のクライアントが,,相次いで契約を打ち切ったのだノ理由は,,専門性の不足だったノ近藤部長は,,責任を問われ,,部長職を解かれたノ会社の業績も落ち込む一方で,,時期に倒産か,,どこかの会社に吸収合併されるという噂も聞く。」ある意味,,やめてよかったかもしれないな。」独り言がこぼれたノさらに,,俺がスカウトパートナーズに移ったことを知ったクライアントから,,連日のように,,会社に契約の申し込みが入っていると,,大丸社長から報告が入ったノ

「夏川君は,,どんどん我が者に幸運をもたらしてくれるな

「いえ,,拾ってもらって,,感謝しているのはこちらです。」今後とも,,よろしくお願いします

会社を2度もやめることになるとは,,思わなかったが,,これからは違う。」俺は,,新たな夢に向かって,,進んでいく