保育園の門の前で、元夫に「そいつ俺の子。認知しないよ」と笑いながら言われた。3歳の息子を指さして。5年前に浮気相手を家に連れ込んで離婚を迫った男が、今度は私の息子を「俺の子」と馬鹿にしてきた。怒りのあまり、私は5年間誰にも言わなかった秘密を口にした。「お前も種なしじゃん。そっちは誰の子かな?」一瞬で空気が凍りついた。元夫の新しい妻が悲鳴をあげる。「種なしってどういうこと?」次の瞬間、私はもっ…

保育園の門の前で、元夫に「そいつ俺の子。認知しないよ」と笑いながら言われた。3歳の息子を指さして。5年前に浮気相手を家に連れ込んで離婚を迫った男が、今度は私の息子を「俺の子」と馬鹿にしてきた。怒りのあまり、私は5年間誰にも言わなかった秘密を口にした。「お前も種なしじゃん。そっちは誰の子かな?」一瞬で空気が凍りついた。元夫の新しい妻が悲鳴をあげる。「種なしってどういうこと?」次の瞬間、私はもっ...

保育園の門の前で、あの声を聞いた瞬間、時間が止まった。
「そいつ俺の子。俺も子供いるし認知しないよ。」
冗談半分。でも私を馬鹿にした感情が半分。彼の人差し指の先には、先生と楽しそうに遊んでいるはずきがいた。
私の名前は三坂安里。40歳の専業主婦。いや、正確には現在は在宅勤務をしながら、3歳の息子・はずきを育てている。
ゆう太と別れたのは5年前。はずきは現在3歳で、明らかに彼の子供ではない。彼もそれは理解しているはずなのに、あえて口にする。どうにかして私を傷つけてやろうという根性が丸見えだった。
こんな最低な人を相手に遠慮する必要はない。
「お前も種なしじゃん。そっちも誰の子かな。」
私の言葉に、私たちの間に流れる空気が完全に止まった。

私は40歳の専業主婦。地方都市出身で、都心の大学に進学後、故郷には帰らず都会に住んでいる。両親は仲むつまじい共働き夫婦で、家事と子育てを協力して助け合っていた。子供の私から見ても、両親はお互いを尊敬し合っていた。
「私もパパとママみたいになりたい。」
幼稚園に通っている頃から、私はそんな夢を抱くようになった。勉強も運動も平均的で、習い事は長くは続かない。そんな私でも、この夢だけは大切にし続けた。中学生になると初めての彼氏ができたが、2ヶ月も続かず振られた。高校1年生の時に先輩から告白されて交際したが、彼は無理やり関係を進展させようとしてきた。家に連れ込まれ、妙な雰囲気になったのだ。
「ちょっと待ってよ。そういうのはもっと大人になってからじゃないと。」
「はあ。お前のり悪いなあ。」
なぜか私のせいにされたので言い返すと喧嘩に発展した。結局彼とはこの出来事がきっかけで破局する。最悪なことに、彼が周りの男子に変なことを吹聴したらしく、高校3年間は誰とも付き合えなかった。
大学2年生の時、この人だと思う人と交際を始めた。優しくて器の大きい、まさに理想の人だ。ところが交際開始から1年後、彼は別の女性と関係を持ち、私を捨てて浮気相手を選んだ。
「私って男運がないのかな?」
浮気を知った直後、彼に激怒しつつ、心の中ではそんなことを考えていた。
23歳の時、合コンで知り合った彼から結婚を前提に交際して欲しいと頼まれた。悪い人ではなさそうだったので、特に悩むこともなくOKを出す。しかし25歳の誕生日を迎えた直後、結婚のために貯めていたお金を彼に持ち逃げされたのだ。
「もう、夢は諦める。誰とも恋愛しないで1人で生きていくわ。」
ひどい裏切りを受け、傷ついた私は結婚という夢を捨てる決意をした。代わりに仕事に打ち込むようになる。就職先の中堅企業で、私は営業部に所属していた。仕事は恋愛と違い、努力した分だけ結果として現れる。成果が認められた私は28歳で主任に昇進した。
そして29歳の誕生日を迎えた直後、今後のために色々な仕事を経験して欲しいと会社に頼まれ、企画部へ移動する。隣のデスクに座っていたのが優太だった。
「君が噂の営業部の主任?年下なのにすごいね。」
「いえ、運が良かっただけですよ。」
「ため口でいいよ。俺、半年前にこの会社に入ってきたばかりだし。年齢は上でも君の後輩だからさ。」
驚くような優太の口ぶりに、私は思わず吹き出す。部署移動で緊張していた心が一気にほぐれた気がした。
机が隣ということもあり、優太との距離は一気に縮まる。出会って2ヶ月後には彼から告白され、交際を始めた。彼は今まで付き合ってきた人たちとは違う。優しくユーモアに溢れた人で、コミュニケーション能力も高い。結婚したらきっと楽しく暮らせるだろうと思った。
31歳の誕生日を迎えた日、彼からプロポーズされた。夜景が評判のかなり高級なレストランに連れて行かれたので、もしかしたらという予感はあった。しかし、目の前に差し出された婚約指輪を見ると、喜びのあまり泣きそうになった。
「俺と結婚してください。」
優太はキラキラと輝く瞳で私をまっすぐ見つめる。
「ええ、喜んで。」
結婚式は少々派手なものになった。どうしても賑やかな式にしたいと優太が頼んできたからだ。
「人生に一度のことだし。せっかくならみんなを呼んで楽しい時間にしたいんだよ。」
私は本当に親しい人だけを呼んだアットホームな式にしたかった。両親がそういう結婚式をあげたと聞いていたからだ。ところが彼は私の考えを頭から否定する。
「そんな地味な式にならないって。絶対に後悔するに決まってる。俺に任せておいてよ。一生の思い出に残る最高の結婚式にするからさ。」
そこまで言うなら分かったわ。交際中に判明したのだが、彼は少々頑固な面がある。私の意見を無視し、自分の好きに進めてしまうことが何度かあった。しかし、この程度で彼と別れようとは思わなかった。
そして迎えた結婚式当日。優太の希望通り賑やかで楽しい式となった。今まで男性との関係は失敗続きだった。夢を諦めたこともあるけれど、優太のおかげで悲願の願いを叶えられた。これからは彼と一緒に幸せな家庭を築いていこう。
結婚後、私と優太はファミリー向けのアパートに引っ越した。お互いすぐに子供が欲しいと思っていたからだ。結婚1年目は2人の生活リズムを作ることに集中した。
「私、掃除はちょっと苦手なのよね。料理は好きなんだけど。」
「アン里のご飯はすごく美味しいから、料理担当はお願いしたいな。代わりに掃除は俺がやるよ。片付けるのはそこそこ得意だし。」
話し合ってお互いの家事の分担を決める。週末には一緒に買い物に出かけ、夜はソファーに並んでテレビを見る。何気ない話題で笑い合い、楽しく過ごす。特別でも何でもない時間が私には嬉しかった。
「俺の嫁の飯うまいだろ。冗談抜きで店が出せるレベルだよ。」
彼の友達を家に呼んで食事をすることもあり、私はその度に得意な料理を振る舞った。テーブルを囲んで笑い声が絶えない夜を一緒に送り、これが私の望んでいた生活だと思った。両親が築いてきたような、温かく賑やかな家庭がようやく手に入った気がした。
ところが結婚2年目に入った頃に変化が訪れる。営業部の人手不足が起きたのだ。
「アン里さん、営業部に戻ってきてくれない?」
以前お世話になっていた営業部長からそんな依頼を受けた。自分でも驚くほど迷いがなかった。気づくと口が勝手に動いていた。
「わかりました。そういうことなら是非お願いします。」
その後はトントン拍子に話が進み、打診を受けた1ヶ月後にはフルスロットルで営業部へ戻った。意外にも優太は引き止めない。
「アン里には営業の仕事の方が合ってると思ってたから、あっちの部署でも頑張ってね。応援してるよ。」
笑顔で私の背中を押してくれた。プライベートだけでなく仕事でも優太は支えてくれる。私にとって最高の結婚相手だ。
営業部に戻って半年後、努力が結果に現れた。その年の社内表彰で私の名前が呼ばれたのだ。
表彰式で、私は優太への感謝の言葉を述べた。彼は少し驚いた後、軽く手を上げて答えた。
しかし、表彰の後から一気に忙しくなり、帰りが遅くなる日が徐々に増えていく。
「ただいま。ごめん。遅くなっちゃった。」
「お帰り。」
リビングに入りながら声をかけると優太が返事をする。しかし目線はテレビに向けられたままだ。
「あのね、今日は大口の契約を取ったのよ。」
「そう。おめでとう。」
帰ってきた言葉はそれだけ。優太の横顔を私はしばらく見つめていた。
「夕飯はどうしたの?」
「適当に食べた。」
耳に届く声は平坦で無機質だ。まるで突き放されているような感じがする。どうやら私は相当疲れているらしいな、そんな考えばかりが浮かぶ。
その日は結局何も食べず、入浴後は寝室に直行した。
翌日の昼休み、どうしても昨日の優太の態度が気になり、職場の同僚女性に相談した。彼女は営業部の事務担当で一番仲のいい人だ。
「それ、私、別部署の事務担当の人たちとも仲がいいの。企画部の事務のこともよく話すわ。その子から色々話を聞いてるんだけど、優太さんってうちの会社でうまくいってる?」
「どうかしら。前は同じ企画部にいたけど、一緒に仕事したことってないのよね。」
「優太さんって途中入社ってこともあるけど、同期より昇進が遅いじゃない?そろそろ何かしらの役職についていてもいいはずなのに、未だに平社員でしょ。企画部の事務の子には、あまり仕事ができるようには見えないんだって。ミスが目立つらしいわ。しかも失敗しても周りのせいにしてるみたいよ。」
人ずきに明かされた優太の欠点に、私は驚き言葉を失う。私には彼がうまくやっているように見えたのだ。
「自分より仕事で評価される奥さんに嫉妬してるんじゃない?だから嫌な態度を取ってるのよ。」
「まさか。そんなに気の小さい人じゃないわよ。」
「かもしれないけど、男の人ってプライドがあるからさ。アンリがどんどん評価されると、自分が情けなく見えてくることってあると思うよ。」
「深読みしすぎよ。」
そう言った直後、昼休み終了を告げる放送が流れる。会話はここで途切れ、私の中には同僚から与えられた疑惑が残った。
優太の態度は改善するどころか、少しずつ悪化していく。仕事の話をするたびに、優太は露骨に興味なさそうな顔をするようになった。私が新しい案件の話を始めると、スマホに目を落とす。
「あのさ、家で仕事の話は聞きたくないんだけど。もっと別の楽しい話をしてよ。」
「そうよね。ごめん。」
拒絶され、徐々に彼との会話が減っていく。家の中の空気が少しずつ暗くなっている気がした。
ある日、お世話になっている部長の話になった際、彼は顔をしかめていた。
「その人、評判悪いんじゃない?少なくとも企画部ではあまり人気がないよ。自分の身内にだけ優しいタイプだと思う。」
先日は、私を長年支えてくれているお得意様の担当者にとんでもないことを言っていた。
「はあ。アン里にベタ惚れしてる人。取引先との浮気とかやめてくれよな。」
笑えない冗談にはもちろん反論した。
「感情で仕事をする人じゃないし、あの人は奥さん一筋よ。何の根拠もないのに、大切なお客様を侮辱しないで。」
「いやいや、冗談だって。大げさだな。」
さらに、私が自宅に表彰を飾ろうとした際は鼻で笑っていた。
「こういう社内表彰って、社員のやる気を引き出すための会社のパフォーマンスだよな。あんまり意味ないよ。」
どれも些細な出来事だ。しかし積み重なると私を攻撃する刃になる。結局表彰は飾らず、押入れの奥にしまうはめになった。
結婚して2年と半年が過ぎた頃、優太が突然転職を告げてきた。
「もっと待遇のいいところに行くよ。あの会社だと正当に評価されないしさ。」
「そう。ちゃんと考えた上での転職なら応援するわ。」
ところが転職後、彼の給与を見たところ以前より低い数字が記載されていた。それとなく聞いてみる。
「まあ最初のうちはそんなもんだろ。徐々に上がっていくさ。多分。」
ごまかされた感じはあるが、しつこく追求したら怒られるかもしれない。胸の中に小さな不安を抱えつつ、私は口を閉ざした。
小さな亀裂はありつつ、結婚3年目を迎える。
「そろそろ子供が欲しいよな。」
「そうね。でも子供って授かり物だからね。」
ファミリー向けのアパートに住み始めたのも子供が欲しかったからだ。ところがいつまで経っても妊娠する気配がない。友達の中には第1子、第2子を産んでいる人も増えてきた。SNSに流れてくる子供の写真を見るたびに、胸の奥がちくりと痛む。
不妊治療専門クリニックへの受診を提案したのは、そういう気持ちが積み重なってきた頃だった。
「一度ちゃんと調べてみましょうよ。原因があるなら早めに知っておいた方がいいと思うの。対策もできるしね。」
ところが優太は心底嫌そうな顔でこう言い放った。
「妊娠って女性がするものだろ?子供ができないのは、お前に何か問題があるんじゃないか。調べるなら1人で行ってきなよ。」
突き放すような言葉だ。一緒に調べようと言いかけた言葉は喉の奥で固まる。不妊は片方だけの問題とは言い切れない。男性に何かしら理由がある可能性も十分考えられる。そう思いながらも口は動かなかった。
結局、私1人でクリニックを受診する。結果は異常なし。
「アン里さんの体は健康そのものですよ。旦那さんの検査も必要でしょうね。2人で一緒に来られますか?」
帰宅後、できるだけ穏やかな口調で優太に伝えた。
「先生がね、2人で検査を受けたらどうかだって。」
「はあ?なんで俺が?」
「私の検査結果は何も問題なかったわ。原因が分かれば対処できるし。」
次の瞬間、優太はテーブルを勢いよく叩く。顔には怒りの感情が滲んでいた。
「まるで俺に問題があるような言い方だな。お前、俺をバカにしてるのか?」
「バカにするつもりは微塵もない。ただ事実を述べているだけだ。」
「もういい。お前とは話したくない。」
そう言い捨て、優太はリビングを出ていく。残された私はしばらくその場に立ち尽くす。彼に寄り添おうと思うほど、2人の間の溝が深くなっている気がする。
不妊検査を境に、夫婦の会話はさらに減っていく。夕食は一緒に食べるけれど、口を開くのは必要最低限の確認事項だけだ。お互い笑顔はない。
一方、職場では以往として元気に振る舞える。仕事は順調で評価は上がり続けていた。ただ、仕事を終えて家へ帰ると体がずしりと重くなってしまう。玄関のドアを開ける前に、一度深呼吸をして心を落ち着かせるのが習慣になった。
休日の夜、シャワーを終えた私がリビングに戻ると、優太がソファーに座りスマホを眺めていた。画面を見つめる彼はとても楽しそうだ。久しぶりに見る表情だった。
「優太、楽しそうね。何を見てるの?」
私が近づくと、彼はさっと画面を消して手元に伏せる。
「別に何も。」
一瞬でいつもの不機嫌な彼になった。楽しいことでも、私と共有したくないのか。ため息が出るのをこらえながら、キッチンへ向かい夕食の準備を始めた。
日々を消耗して過ごしているうちに、優太との結婚生活は4年目に突入する。記念日のお祝いはしない。きっかけは私の昇格試験の合格通知だった。
「係長に昇進が決まったよ。」
帰宅後、私は優太に昇進の話をした。できるだけさらりと報告程度のつもりで切り出す。
「昇格試験に受かったわ。2ヶ月後には係長よ。仕事が忙しくなるかもしれないからよろしくね。」
すると優太の顔が一瞬で変わる。目と眉が釣り上がり、顔が一気に赤くなった。
「お前はいつも自分のことばかりだな。そうやって仕事にかまけてばかりだから子供ができないんだ。分かってるのか?」
「何を言ってるの?」
「家のことも子供のことも全部後回しにして、仕事だけ頑張ればいいと思ってるんだろう。」
混乱する頭で、私は返す言葉を必死に探した。しかし口が動かない。家事を後回しにしたことは一度もないし、子供ができないのは優太に問題があるからだ。胸の奥ではそんな反論が浮かぶが言えなかった。
優太の説教はしばらく続く。私はずっと黙っていた。少しでも言い返したら、取り返しのつかないことになる気がしたからだ。
その日の夜は寝室ではなくリビングで寝る。そして半月後には実際に開いていた別の部屋で寝起きするようになった。
心の亀裂がきっかけとなり、優太の攻撃は日常の一部になっていく。いつも通り夕食を作って出したところ、優太は一口食べてから眉をひそめる。
「これ味が薄いな。まずくて食えたもんじゃないぞ。」
翌日、昨日より濃い味付けにするが、今度は別の方法で攻撃してくる。
「1週間くらい前も同じメニューだったよな。レパートリーが少ないな。もう少し工夫しろよ。」
何をしても無駄だということはすぐに分かった。優太が求めているのは美味しい料理ではない。私のやることに難癖をつけるのが目的なのだ。次第に夕食を作る時間が憂鬱になる。
優太の攻撃は料理だけにとまらない。私の人間関係に対して干渉し始めた。
ある日、仲のいい職場の同僚と食事に行く約束をした。帰宅後、優太に話したところ、思いがけない言葉が返る。
「あいつとはあまり付き合うな。会社にいた頃、男好きだって噂を聞いたことがあるぞ。」
「何を言ってるの?あの子は入社当時からの付き合いよ。そんなことする子じゃないわ。」
「お前が知らないだけだろ。女ってのは隠し事がうまいからな。まさか、ランチの口実でそいつに男を紹介してもらうつもりじゃないだろうな。」
「なんですって。そんなこと冗談でも言わないで。」
語気のある声で返すと、さすがに言いすぎだと気づいたらしい。優太ははっとした表情になり、気まずそうに視線をそらした。
「ともかく、あいつとの付き合いは考えろ。いいな。」
一方的に命令して寝室へ向かう。理不尽な要求に従う必要はないけれど、無視して出かけたら優太の機嫌はさらに悪くなってしまう。同僚に事情を話し、ランチは延期してもらった。
その後も、優太は私が身の回りの誰かの名前を出すたび否定的なことを口にする。信用できない、利用されている、といった思い込みの発言ばかりだ。ある考えに行きつく。彼は私を孤立させようとしているのではないか。配偶者に対する強い独占欲から、こういう関係をコントロールする人はいる。優太もそういうタイプなのかもしれない。
優太の理不尽さは時間の経過と共に激しさを増していく。ある日、大口案件の最終確認が長引き、午後10時を過ぎた頃に帰宅した。
「あー、疲れた。ただいま。」
事前にメッセージで連絡も入れていたが、玄関を開けた瞬間、優太がリビングの扉を勢いよく開け、私を睨みつけてきた。
「今までどこにいた?どこ?」
「会社よ。残業で遅くなるって連絡を入れたじゃない。」
すると彼は鼻で笑いながらとんでもないことを口にする。
「本当に残業なのか?どうせ男と会ってたんだろ。」
「はあ?そんなわけないでしょ。仕事で疲れてるんだから変なこと言わないでよ。」
「じゃあ証明してみろよ。お前のスマホを見せろ。」
私はスマホを差し出さなかった。見せたところで、彼は私の言うことを信じないと分かっていたからだ。しかし差し出さなかったことで、優太の疑念はますます募った。
その夜は長い時間責められた。浮気だと決めつけられ、なぜか自分を馬鹿にしているという被害妄想まで聞かされる。
「ちょっと仕事ができると思って調子に乗るんじゃないぞ。」
優太の一方的な説教は1時間ほど続く。最終的には言い疲れた彼が「もういい」と言い捨て、足音荒くリビングから出ていった。1人きりになったリビングで、喉の奥に詰まっていた息を吐く。この家では仕事で遅く帰るのも許されないのか。
翌朝、何事もなかったように朝食を食べる優太の顔を見ながら、私は静かに恐怖を感じる。少しでも気に入らないことがあれば、責めればいい。そんな考えは優太にとって当たり前になっているらしい。朝食を食べ終わり、彼は小言の一言もなく席を立つ。もちろん食器は置いたままだった。
彼は私の給料にも口を出すようになる。ある日突然、家計の管理を担当すると言い出したのだ。
「これから毎月の収支は俺が確認する。アン里の給料は全部家に入れろ。いいな。」
「いきなりどうしたのよ。」
「別に何でもいいだろう。持ってる通帳全部出せよ。」
「いやよ。納得できる理由があれば出してもいいけど、今まで私の管理で何も問題はなかったじゃない。どうしてあなたが管理するの?」
一方的すぎる要求を、私は断固として拒否した。もし優太に家計を管理させたら、あるだけ使ってしまうだろう。彼は交際当初から散財癖があった。
「いいから出せって。俺の言うことに逆らうつもりか?」
「夫の命令に従わなければならないって法律があるのかしら。」
彼の目をまっすぐ睨みつける。堂々とした私の態度に、優太は押されたようだ。彼は不満な顔をしたけれど、こちらへ伸ばしかけていた右手を引っ込め、ブツブツと文句を言いながらソファーへ向かう。結局家計は今まで通り私が担当を続けるが、疑問が残る。なぜ急に優太はあんなことを言い出したのか。私の預金を握っておけば、自分の言うことに何でも従うと思ったのかもしれない。
ゆう太に理不尽なことを言われると、彼を哀れだと思う瞬間もあった。転職してうまくいかず、妻には昇進で先を越される。自分だけが取り残されているように感じているのかもしれない。しかし、だからと言って私に怒鳴っていい理由にはならない。他人に八当たりする暇があるなら、自分を磨いて結果を出すことに専念した方がいいのにと思う。しかし、優太に何か言ったところで改善されないのは容易に想像できた。
ゆう太が残業で帰りが遅くなる日が増え始めたのはこの頃からだ。最初は週に1度。やがて週に2、3回と増えていく。私は優太と違って仕事に忙しいのだ。そんな考えも私の口を閉ざしていた。
優太の残業が増え始めて半月後の夜、彼がリビングのテーブルにスマホを置いたままにした。意外な出来事に、何気なくテーブルに視線を向ける。するとスマホの画面が光った。メッセージが届いたらしい。
「かなえ」という見かけない名前だ。画面にはメッセージの冒頭が表示されている。
「昨日は楽しかったです。」って。
今日は日曜日だ。昨日の優太は休日出勤だと言って朝から出かけていた。休日に一緒に仕事をしていた職場の同僚にしては、親しげな文章ね。
その時、優太がトイレから戻ってくる足音がした。反射的にテーブルから離れ、キッチンへ向かう。優太はキョロキョロとリビングを見渡すと、テーブルの上にあったスマホを見つけて慌てて手を伸ばした。そして素早く画面を伏せる。
一連の彼の動きを、私は見ないふりをする。メッセージについても何も聞かなかった。彼に直接問い詰めたいという気持ちはある。しかし、もし最悪の答えが出た時に、私はそれと向き合う準備ができているだろうか。今の私には無理だ。愚かな私は、この時見ないふりをするという選択を取った。
そして迎えた結婚5年目。もはやこの時点で、私と優太の結婚生活はほぼ壊れていた。
決定的な事件が起こったのは、梅雨が明けたばかりの朝のことだ。優太が出勤したのを見送った後、私も少し遅れて会社へ向かおうとする。玄関で靴を履いた瞬間、忘れ物に気づきリビングへ戻った。ソファーの上に、優太のスマホが放置されていた。会社に届けようかと一瞬迷ったが、諦める。そんなことをしていたら遅刻確定だ。
仕方ないとドアを閉めようとした次の瞬間、スマホの画面が光った。「かなえ」という名前が画面に表示されていたのだ。その名前を見た私は、思わずスマホを凝視した。10秒、20秒と着信は鳴り続け、やがて切れる。しかしすぐにまた鳴り始めた。ようやく着信が終わったと思ったら、今度はメッセージの通知だ。冒頭の文章が表示される。
「来月の連休の旅行どこに行く?」って書かれてるけど。
連休の日って、私たちの結婚記念日よね。優太が、結婚記念日に妻以外の女性と旅行へ行く。放置していた胸の中の疑惑が一気に爆発した。優太は浮気をしている。目の前に突きつけられた現実に、私はしばらく動けなかった。
なんとか気力を振り絞り会社へ行くけれど、ろくに仕事も手につかない。珍しくミスを連発し、みんなに心配をかけてしまった。
「どうしたの?アン里さんらしくないよ。」
「すみません。ご迷惑をおかけして。」
「何かあったの?」
夫が浮気しているかもしれないとは言えない。仕事とプライベートは別物だ。そう自分に言い聞かせ、ごまかすしかできなかった。
仕事を終え帰宅し、アパートの玄関の前に立って息を吐く。勇気を出して優太に聞く必要がある。
「ただいま。」
リビングに行くと、先に帰宅していた優太がソファーに座りくつろいでいる。荷物を置いて、小さく息を吸い、できるだけ落ち着いた声で優太に問いかけた。
「今日、スマホ忘れてたでしょ?着信と通知が来てたわ。『かなえ』って人からよ。単刀直入に聞くけど、その人と浮気してるの?」
曖昧な言い方をしてもごまかされるだけだろう。そう判断した私は直球勝負に出た。私の問いかけに優太は固まる。すると、彼の表情が徐々に険しくなり、予想外のセリフを口にした。
「お前が俺を苛つかせるからだろう。俺は悪くない。浮気はお前のせいだ。」
「は?」
「お前は仕事を優先してばかりで、俺との時間を大切にしなかっただろう。それに俺のことを下に見てるじゃないか。」
彼は本気で自分の主張が浮気の免罪符になるとでも思っているのだろうか。呆然としている私をよそに、彼は身勝手な主張を続ける。
「カナといる方が楽しいし、自分らしくいられるんだ。お前みたいに仕事ばかりじゃない。俺のことをちゃんと見てくれるんだよ。」
「だから浮気したの?」
そう尋ねると、優太は一瞬うろたえる。彼は自分のしたことが責められる行為だと分かっているけれど、謝らない。頭を下げたら自分の非を認めることになる。責任を私に擦り付けることで、現実から目を背けようとしているのだ。
「信じられない。何を考えてるの?私に対する裏切りよ。」
「うるさい。お前はいつもそうだよな。自分の方が正しいって顔しやがって。」
「そんなつもりはないけど、これに関してはあなたが間違ってるでしょ。私が責められる理由はないわ。」
非常識な言い分に呆然としていたが、だんだんと冷静さが戻ってきた。語気を強め反論すると、彼は勢いよく立ち上がる。
「話にならないな。」
「それはこちらのセリフだ。」
言い返そうとした瞬間、優太はドスドスとわざとらしい足音を立て、リビングから出ていく。
「どこに行くのよ。話はまだ終わってないわよ。」
「寝る。」
乱暴にリビングの扉が閉じられた。優太は開き直り、私とまともに対話するつもりはないようだ。結婚して、彼のことを心底理解できないと初めて思った日だった。
翌日から、優太は私をいないものとして扱う。話しかけても無視。視線すら合わせようとしなかった。まともに話し合いもできず、苛立ちが募っていく。
そして週末、さらに信じられないことが起きた。優太がカナを家に連れてきたのだ。
インターホンが鳴り、優太が玄関に向かったと思ったら、見知らぬ女性と一緒にリビングに入ってくる。
「誰?」
驚き構える私を見て、優太が笑った。
「そんなにビビるなよ。初めまして。カナって言います。」
私より少し年下だろうか。30代前半くらいの女性だ。派手な服装で、明るい色に染めた髪を肩まで下ろしている。大ぶりのアクセサリーをつけ、濃い目のメイクをしていた。自分の容姿に相当の自信があることは、彼女の態度から伝わってくる。
「カナさん。あなた、あれ、私のこと知ってたんですか?」
「アン里さん、めっちゃ仕事できるんですって。だから聞いてますよ。でも、女としては大したことなさそうね。地味なお手本って感じの見た目。」
「おいおい、かわいそうだろ?」
「本当のことだけどさ。」
2人揃って楽しそうな声をあげる。そしてリビングの椅子に並んで座った。
「お前も座れよ。話があるんだ。」
言われた通り、2人に向かい合って腰かける。
「単刀直入に言うけど、離婚して欲しいんだ。」
「なんですって?」
「あれ?アン里さんって耳が遠いの?優太さんは別れてって言ったのよ。耳にゴミでも詰まってんじゃない?」
思いきり私を馬鹿にするカナは無視し、優太をまっすぐ見つめる。浮気を認めた時点で、離婚する未来は想像していた。しかし、まさかこんな形だとは思わなかった。
「俺さ、お前にはもう飽きたんだよ。一緒にいると息が詰まる。口を開けば仕事のことばっかり。お前は仕事と再婚した方がいいんじゃないか。」
「ナイスアイデアね。こんな地味女、現実の男は誰も相手にしてくれないだろうし。」
「そうそう。お前は女としても魅力がなさすぎる。カナを見てみろよ。よくそんな格好で平気だな。ちょっとはカナを見習ったらどうだ?」
私が着ているのは普段着で、汚れているわけではない。毎日きちんと洗濯もアイロンもかけている。顔はすっぴんで、髪の毛は縛ってある。手抜きの格好だが、自宅にいる時は別に普通だろうという見た目だ。お客様がいらっしゃるって分かってたら、少しは整えたわよ。
「お客様」と言いながらカナを見る。彼女はあくまで部外者だ、と言葉と態度で示した。やられっぱなしでは気に食わない。この程度の仕返しは可愛いものだろう。
ところが、優太とカナは気に食わなかったらしい。私への攻撃を強めた。
「口だけは達者ね。アン里さんみたいなタイプって、男の人を疲れさせるのよ。結婚相手には向かないわ。」
「カナの言う通りだな。お前と結婚したことは、俺の人生において唯一の汚点だよ。なんでこんな相手を選んだんだろうな。過去に戻れたら、絶対に結婚なんかしないね。」
「仕事しか取り柄のないかわいそうな人なのね。さっさと優太と別れて、彼を自由にしてあげてよ。」
私は黙って2人を交互に見る。先ほど少しだけ抱いた怒りが消えていくのを感じた。代わりに胸に湧いたのは冷めた感覚だ。2人はレベルの低い罵倒で私を傷つけようとしている。こちらが真面目に対応したところで無駄だと悟った。
「俺はカナと再婚する。お前とは今日でおしまいだ。俺と別れたくない気持ちは分かるよ。でも、俺の心はすでに彼女のものだ。」
「分かった。はい。」
即答した私に、優太が気の抜けた声をあげる。
「だから私と離婚したいんでしょ?いいわよ。別れてあげる。話はこれでおしまいね。」
平坦な声で言い放った。顔も無表情だ。優太にすがりついたり、カナに怒鳴ったりもしなかった。
「ところで、離婚届は用意してあるの?」
「え?いや、まだだけど。」
「じゃあ2人で役所に行ってもらってきてよ。私はその間に荷作りをしてるから。」
椅子から立ち上がると、カナが若干焦った様子で尋ねる。
「ちょっと、分かってんの?離婚よ。あんた、優太に捨てられるのよ。」
「もちろんちゃんと理解してるわよ。私は別に構わないわ。早々にこの家を出ていくから、あとは2人で好きにやってちょうだい。」
あっさりと返した私に、カナはなぜか不満げな様子を見せた。私が珍しく取り乱す姿を期待したのだろうか。残念ながら、そんな気はない。この結婚はもうとっくに終わっていたのだ。終わり方が予想外の形だっただけで、特に驚きはない。
2人が役所から戻ってきて、離婚届を手にした。私は素早く記入を済ませる。書き終わった書類を優太に渡しながら、今後についての話をした。
「慰謝料はちゃんともらうからね。」
「はあ?当然でしょ。」
「もし拒否するなら、弁護士に依頼して徹底的にやり合ってもいいわよ。」
優太は正社員だが、私より稼ぎは少ない。裁判沙汰にでもなれば、彼は苦しい状況に立たされるだろう。
「ちっ、分かったよ。」
「アン里さんって金の亡者なのね。男に捨てられて、頼るものがお金しかないなんて、惨めな人生だわ。」
カナの口汚い言葉にいちいち反応していたら、私の品位まで落ちてしまう。意味のある内容以外は徹底的にスルーした。
それから1週間後、アパートのリビングで、私が提示した慰謝料を優太から受け取った。金額は100万円。ネットで調べた相場より低い価格だが、優太にとっては大金だろう。とはいえ、すぐに離婚届は提出済みなので、これで手続きは全て終わりだ。
「たったの100万かよ。なんで俺がこんなに払わなきゃいけないんだ。」
ブツブツと文句を言う彼を無視し、お金が入った封筒を受け取る。
「じゃ、私は行くから。」
準備していたスーツケースを手に持ち、玄関へ向かった。
「おい、何か言うことはないのか?」
「別に何もないわ。」
優太を見もせず言い放つ。背中に彼の視線を感じながら、5年間住んだアパートを後にした。
その後は普段通り会社へ行き、住まいを探す。仕事は繁忙期を過ぎていたので、そこまで大変な目に合わずに済んだ。職場の近くに広さと家賃がちょうどいいアパートを見つけ、すぐに引っ越す。そして1人の生活が始まった。故郷の両親には、引っ越しを終えてから報告した。すでに高齢の2人に、余計な心配をかけさせたくなかったのだ。両親は残念そうにしていたが、私の幸せが1番だと言ってくれた。
「大変だったわね。お疲れ様。落ち着いたらこっちに顔を出してちょうだい。何か美味しいものでも食べに行こう。」
「父さんが奢ってやるよ。」
「本当?じゃあ私、高級ステーキが食べたいな。」
両親との電話で冗談を言い合いながら、久々に笑う。2人の子供で良かったと心の底から思った。
ゆう太との離婚が何もショックではない、そう言えたらいいけれど、私は確実に傷ついていた。出会って6年、結婚して5年だ。短くない時間を優太のために費やした。その最後には、浮気相手を家に連れてくるという手ひどい裏切りを受けた。怒りと悲しみは心の中にしっかり存在している。しかし、腐るつもりはなかった。もう誰かに削られながら生きるのはやめる。これからは私の幸せだけを考えるわ。
ゆう太と離婚した後の生活は、想像以上に穏やかで充実している。誰かの機嫌を気にしながら夕食を作らなくていい。自分の家でのびのび過ごせる。他の人にとって当たり前の自由が、私に幸せを感じさせた。
時はいつの間にか流れていく。ゆう太と離婚してから5年の月日が経った。朝、慌ただしく準備をしながらリビングに向かい、声をあげる。
「あ、忘れてた。」
3歳になったばかりの息子のはずきが、慌てて部屋へ戻っていく。まだ小さな背中を見送りつつ、思わず笑みがこぼれた。毎日見ているはずの我が子なのに、その様子が何とも愛おしい。
「ママ、あったよ。」
「よし、行きましょう。」
帽子を頭に乗せて戻ってきたはずきの手を取り、一緒に玄関を出る。初夏の朝の空気を全身で浴びると、爽やかな気持ちになった。ゆう太と別れて1年後、私はある男性と再婚した。ほどなくしてはずきを授かり、こうして幸せな日々を送っている。保育園までの道は、自宅から歩いて10分ほどだ。
「はずき、昨日の夢でパパとママと遊園地に行ったんだ。すっごく楽しかったよ。」
「あら、いいわね。この前行った遊園地と同じだった?」
「うん。また行きたいな。」
最近、はずきはものすごい勢いで言葉を覚えている。保育園の入り口が見えると、はずきが握っていた手を話した。
「ママ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。先生の言うことをよく聞くのよ。」
「うん。」
元気のいい返事に笑顔を向ける。はずきは勢いよく保育園の中に入っていった。さて、家に帰って仕事しないと。現在、私は週の半分は在宅勤務をしている。はずきの子育てのためだ。職場で一生懸命働いて信頼を得たおかげで、こうした働き方も理解してもらえている。
保育園の門をくぐろうとした時、前方に見覚えのある背中が見えた。男性と、その隣に立つ派手な服装の女性。2人の間には幼い子供がいた。
私の足が止まる。こちらに向かっている男女も、私に気づいて驚いた顔になった。
「ゆう太… なのか。」
「え、嘘でしょ?なんでここにいるのよ?」
「それはこちらのセリフだ。」
優太とカナの子供が保育園に通っているとは聞いていない。園の親はほとんど顔見知りだ。だが、その中に2人は含まれていなかった。
「最近、この近くに越してきたんだよ。」
自分たちの子供を先生に預けた後、優太が気まずそうに視線をそらしながら呟く。5年ぶりの彼は、以前より少し痩せて見えた。一方のカナは、あまり変わらない。私を上から下まで眺め回し、鼻で笑った。
「久しぶりね。こんなところで会うなんて。同じ保育園なんだ。縁があるわね。」
値踏みするような視線だ。私の反応を試しているのだろうか。だが、私は気づいていないふりをして穏やかに返す。
「そうね。びっくりしたわ。ていうか、あんたも子供いるんだ。再婚したの?」
「ええ、いい人と出会えたの。」
まるで友人のような親しげな口調だ。旗から見たら、仲がいい間柄だと思われるだろう。しかし彼女の目は冷めきっている。
「へえ。まあ、優太よりランクは下でしょ。離婚したての女と子好き好んで再婚するような男だし。どうせ年上のじじいで、あんたに指図してくるような男でしょ。」
私の再婚相手を知らないはずなのに、それが真実だと決めつけていた。カナの目には優越感が浮かんでいる。勝者として私の前に立っているつもりなのだ。5年前と何も変わっていないどころか、性格の悪さが進行しているように感じる。
「最悪だ、マジかよ。」
一方の優太は、どこか悔しそうだ。離婚しても私がまだ優太を愛している、そんな幻想を抱いていたのか。すると優太は保育園の方を向いて、人差し指を向けた。
「そいつ俺の子。俺も子供いるし認知しないよ。」
冗談半分。私を馬鹿にした感情が半分の声だ。彼の人差し指の先にいるのは、保育園の園庭で先生と遊んでいるはずきだった。優太と別れたのは5年前。はずきは現在3歳で、明らかに彼の子供ではない。優太もそのことを理解しているだろうに、あえて口にする。どうにかして私を傷つけてやろうという根性が丸見えだった。こんな最低な人を相手に遠慮する必要はない。
「お前も種なしじゃん。そっちも誰の子かな。」
「え?」
私たちの間に流れる空気が完全に止まった。次の瞬間、カナの叫び声が静寂を破った。
「何それ?種なしってどういうこと?」
高い声が響き渡る。私たちがいるのは保育園の門のすぐ近くで、周りには登園途中の親子がいた。周囲の視線が一斉に私たちへと集まる。私はそれを気にしつつ、カナと優太からは視線を外さなかった。目をそらしたら、反論する隙を与えてしまう。そんなことを考えながら、私は口を開いた。
「ごめんなさい。種なしだなんて下品なことを言って。腹が立って、思わず口が滑ったのよ。でも、嘘じゃないわ。根拠があって言ったのよ。」
「こ、根拠って何だよ。」
困惑した様子で優太が問い返す。その声に余裕はない。彼の目には動揺の色が滲んでいる。取り乱す2人とは対称的に、私は落ち着いた態度で続けた。
「優太と一緒にいた頃、不妊治療専門のクリニックで検査を受けたでしょ。結果は何も問題なし。私の体は妊娠するのに何の支障もなかったわ。ここまでは、あなたも知ってることよね。」
「だからって、優太に問題があるとは限らないでしょ。たまたまあんたが妊娠できなかっただけよ。」
カナが声を荒げる。優太ならともかく、なぜか彼女も追い詰められている様子だ。その理由を考え、もしかして、と思い当たる。尋ねたい気持ちをぐっと抑え、まず先に伝えるべき事実を明らかにした。
「そうね。私の検査結果だけなら、そう言えるかもしれないわ。でも、優太はどうかしら?」
「お、俺は関係ない。問題があったのはお前だ。」
「いいえ、違うわ。優太は強がっているけれど、顔色が悪いわよ。あなた、私に黙ってこっそり不妊検査を受けていたわよね。検査の結果、あなたは妊娠能力に明らかな問題があった。治療なしでは子供を授かれない体なのよ。」
空気が一瞬で凍りつく。優太の顔が青を通り越して白くなった。
「なんでお前がそれを知ってるんだ?」
唇が震えている。優太は今まで見たことがないくらい動揺していた。彼の隣にいたカナも、ヒュッと短く息を飲む。もはや冷静を保っているのはこの場で私だけだ。
「あなたは片付けは得意だけど、たまに大切なものを出しっぱなしにしてたわよね。病院の検査結果もそうよ。不妊検査の結果を記した書面には、『妊娠能力に問題あり』と書かれていたわ。離婚する3ヶ月ほど前に、検査結果の紙を見つけたの。内容を確認して思ったのは、『やっぱりそうだったのか』ということだけ。」
「それは偶然そういう結果が出ただけで、俺が種なしと決まったわけでは… 」
何を言うかと思えば、言い訳にもなっていないセリフだ。確かに世の中には偶然というものがある。しかし、レベルの高い日本の医療において、間違った結果が出ることは考えにくい。彼が検査を受けたのは私と同じクリニックで、検査結果の正確性と治療効果の高さで評判がいい。そして、子供ができなかった5年間の結婚生活は、彼の検査結果が正しいと証明していた。
「え、医者が嘘をついてるかもしれないでしょ。」
「何のために医者が嘘をつくのよ。それに、私が妊娠できない体なら、今こうしてはずきが生まれていることの説明がつかないでしょ。今の夫と再婚してすぐにはずきが生まれたのよ。しかも、今2人目を妊娠中だし。」
さりげなくお腹の辺りに手を添える。外からはほとんど目立たないが、やや膨らみがあった。優太は私が2人目を授かっていると知り、ショックを受けた顔になる。離婚しても、私に執着しているのだろう。正直、かなり不快だ。
「もう1度聞くわね。さっき一緒にいたのは誰の子なの?本当に優太の子かしら。」
保育園の園庭を見る。はずきとは少し離れた場所にある砂場で、カナの子供が遊んでいた。彼女の整った外見を受け継いだ、可愛らしい顔の女の子だ。子供に罪はない。親を選べなかったカナの子供がかわいそうだと、心の底から思った。
優太の目がゆっくりと隣に立つカナへと向けられる。彼の瞳に渦巻いているのは、怒りの炎だ。
「お前… 」
低く絞り出すような声だった。
「な、何よ?そんな目で見ないで。こいつの言ってることなんて全部嘘なんだから。」
「あの子、本当に俺の子か?」
「当たり前でしょ。なんてこと言うのよ。あの子がかわいそうじゃない。」
必死になって疑惑を否定しているが、カナの顔には脂汗が浮かんでいる。厚塗りのファンデーションのせいではなく、明らかに顔色が悪かった。
「じゃあなんで子供ができたんだよ。俺は種なしだぞ。」
優太が叫ぶ。周りにいた人たちがじろじろと見てきたが、今は構っている余裕はないようだ。
「アンリと別れた後、お前と再婚してほどなくしてあの子が生まれた。やっぱり俺じゃなくてアン里に問題があると思ったんだ。でも、アン里は離婚してすぐに子供が生まれて、今は2人目を妊娠中で…

Thumbnail


最初は大きかった優太の声は、どんどん小さくなる。そして彼は頭を抱えた。
「そんなのおかしいだろ。俺に問題がないなら、なんで5年間も子供ができなかった?認めたくないけど、あの検査結果が本当だったってこと以外、理由は考えられない。」
このセリフに、私は少し驚く。5年前、優太は完全に冷静さを失っており、私を傷つけることばかり考えていた。けれど今の彼の目には、理性が宿っている。突きつけられた現実を飲み込もうとしている様子だ。
「なあ、あの子は誰の子なんだよ。正直に答えろ。お前、浮気してるだろう。」
一瞬の冷静さは消え、優太も感情的になりカナを怒鳴りつける。しかし彼女も黙ってはいなかった。
「あんたこそ、なんで種なしのことを黙ってたの?検査を受けたなんて聞いてないわよ。」
「検査結果を信じたくなかったんだよ。今日まで、アンリとの間に子供ができなかったのはあいつの体の問題だと思ってたし。この子が生まれたから、自分には問題ないって思い込んでたってこと。」
「何それ?ありえないんだけど。」
「前から怪しいと思ってたんだよ。再婚した直後、深夜まで帰ってこなかった日があったよな。その時どこにいたんだよ。」
「それは仕事よ。私を疑ってるの?」
「仕事?お前はスーパーのレジ打ちのパートじゃないか。夜8時に閉店するのに、夜中まで仕事なんてありえないだろ。」
2人の言い争いがどんどん激しくなる。優太によると、他にも不審に感じる行動があったらしい。再婚後、カナは子供を置いて出かけることが増え、常にスマホを持ち歩くようになった。朝帰りが日常的になり、帰宅した彼女からはシャンプーの匂いがしたとのこと。
2人の喧嘩は、静かで爽やかな朝の空気にはほど遠い。深く長いため息をついた。この場に留まっていても時間の無駄だ。家に帰って仕事をしなければ。
「じゃあ、私はこれで。あとは好きにやってちょうだい。」
2人は言い争いに夢中で、私の言葉など耳に入っていない。私は踵を返し、保育園を後にした。あの2人が一緒の保育園となれば、今後もトラブルが起きる可能性がある。今日はうまく逃げることができたが、次はそうも行かないだろう。
夫が仕事から帰宅したら、今回の件をすぐに相談しようと決めた。
夕方、はずきを迎えに行き、足早に自宅へ戻る。幸い、優太たちと再び会うことはなかった。
「ママ、今日のご飯は何?」
「はずきの好きなハンバーグよ。」
「やった。」
嬉しそうなはずきを見ていると、今朝受けたダメージがみるみる回復していく。思わず彼を抱きしめる。
「はずき、大きくなったわね。」
「僕もうお兄さんだもん。」
帰宅し、はずきの相手をテレビに任せ、夕食の支度を進める。するとスマホが振動した。
「何これ?」
見慣れない番号からのショートメールだ。文中に書かれていた送信者の名前を見て、眉をひそめる。優太からだった。離婚後、私は連絡先を一切断った。優太との関係を完全に断ちたかったからだ。ただ、この5年間で彼も連絡先を変えたらしい。メールの文面は短かった。
「優太だが、今朝の発言。名誉毀損で訴えるからな。」
「本気で言ってるの?」
書かれている内容を読み上げる。今朝のように怒りで感情が高ぶるかと思ったが、心は落ち着いている。私が述べたのは全て事実で、名誉毀損ではない。脅し文句も稚拙で、怒りを通り越して笑ってしまった。
返事をする必要もない。スマホをエプロンのポケットにしまい、夕飯の準備を再開した。ところが、スマホは何度も振動し、メッセージの受信を知らせる。一通終えた後で確認すると、全て優太からのメールだった。
「弁護士に相談済みだからな。覚悟しとけよ。」
この短時間でどうやって相談したのよ。子供でもすぐに見破れる嘘ね。
「お前みたいな女が幸せになれるわけがないだろう。再婚相手もそのうちお前に愛想を尽かすさ。」
知ったような口を聞かないでよね。あの人に限って、それはないわ。
先ほどは笑えたけれど、ここまで来ると不快感が勝る。同時に、どうにかして私に敗北を認めさせたいという優太の執着心に、恐怖心を抱いた。その時、玄関を開ける音がキッチンに届く。
「ただいま。」
「あ、パパだ。」
キッチンの隣にあるリビングでテレビを見ていたはずきが、勢いよく立ち上がった。少しすると、はずきが男性を連れてリビングに入ってくる。
「いい匂いが玄関まで漂ってたよ。今日はハンバーグか。ラッキー。俺とはずきの好物だな。」
「おかえりなさい。着替えたらすぐご飯にしましょう。」
「急いで着替えてくるよ。ハラペコなんだ。」
彼は私の再婚相手の連太郎だ。5年前、優太と別れた直後にある場所で出会った。私がバツイチだと知りながらもプロポーズしてくれた、優しい男性だ。
「アン里、どうしたの?顔色が悪いよ。」
着替えるために寝室へ向かおうとした連太郎が、足を止める。彼は周りをよく見ている人で、私やはずきの細かな変化にもすぐ気づく。隠し事はできない。
「ちょっとトラブルが起こったのよ。これ見てみて。」
スマホを差し出し、届いたメールの画面を見せた。
「はずき、そろそろ好きなアニメの放送時間じゃないか?」
「本当だ。」
「テレビからちゃんと離れて見るんだぞ。」
子供に聞かせる話題ではないと考えたらしい。連太郎はさりげなくはずきを遠ざける。こういう気遣いができるのも、彼の好きなところだ。
「こいつ、前の旦那だよね。」
「ええ、そうよ。最近こちらに越してきたらしくて、子供が同じ保育園だったの。今朝たまたま顔を合わせちゃって。」
私の話に耳を傾けながら、連太郎は一通ずつメールに目を通す。いつもは穏やかな彼の目に怒りが灯るのが見えた。彼のことはよく知っているが、初めて見る瞳だ。
「売り言葉に買い言葉で、下手な挑発に乗っちゃった。私も悪かったわ。でも、あの人ははずきをネタにして私をからかってきたの。どうしても黙っていられなくて。」
「なるほど。穏やかな話題じゃないな。黙っていられなかったのは仕方ないよ。俺だって同じことをしたさ。このメールを見る限り、逆恨みされたみたいね。同じ保育園だし、避けるのは難しいわ。これからどうしよう。」
連太郎は心配そうな表情を私に向ける。
「アン里、大丈夫?怖い思いはしてない?」
「私は大丈夫よ。ただ、はずきに何かあったらと思うと不安で。」
「安全を考えて、転園するべきかしら。」
「メールを見る限り、話が通じる相手ではなさそうだしな。転園も方法の1つだけど、また偶然あったら同じことの繰り返しになるだろうし。」
腕を組み、連太郎がうーんと唸る。何か考えている様子だ。
「よし、決めた。明日からしばらくの間、俺がはずきを保育園に送っていくよ。」
「え?でも、あなたは仕事が。」
「大丈夫。会社には無理やりにでもOKを出してもらうさ。普段頑張ってるし、ちょっとくらいわがまま言っても問題ないよ。それに、このまま放置はできないだろう。俺が直接話をつけるよ。」
連太郎との再婚を決めたのは、彼の強さも理由の1つだ。困難に対し、逃げるという選択は絶対に取らない。彼はいつも真正面からぶつかりに行くのだ。
「分かった。じゃあ、私も一緒に行く。」
「いやいや、危ないだろ。俺に任せて。アン里は。」
「これは私の問題でもあるわ。それに、あの2人にはいい加減我慢の限界なのよ。5年前に言えなかったこと、全部ぶちまけてやりたいの。」
連太郎は少し困ったように眉を寄せ、そして笑った。
「分かった。じゃあ、2人でやろう。俺たちが一緒になったら敵なしだ。」
親指を立てる彼に、私は力強く頷いて返す。この人と再婚して本当に良かったと、心の底から思った。
翌朝、連太郎はいつもより早く起きて身支度を整えていた。常に身なりはしっかり整えているが、今日はさらに念入りだ。
「こういうのは見た目も大事だからね。アン里はいつも通りで大丈夫だよ。そのままの君で十分綺麗だから。」
私の緊張を感じ取ったのだろう。連太郎が冗談混じりにウインクを飛ばしてきた。似合わないジェスチャーに、思わず吹き出す。
「お褒めの言葉、どうも。まあ、私はいつも通りで行くわ。」
ささっと化粧をして準備を整える。
「ママ、おはよう。」
寝起きのはずきがリビングに入ってきた。半開きの眠そうな顔が、連太郎を見て一気に開く。
「パパ、どうしたの?」
「今日は一緒に保育園に行こうと思ってな。ほら、着替えてご飯を食べよう。」
「本当?やった。」
よほど嬉しいのか、はずきはその場でくるくる回った。あまりの愛らしさに、私と連太郎の顔がほころぶ。
準備を終え、揃って玄関を出る。しばらくの間、3人で楽しく話しながら保育園へ向かった。
「アン里、無理はするなよ。」
私の耳元で連太郎が囁く。彼の気遣いのおかげで、はずきは今回の事態に気づいてすらいない。いつも通り楽しそうに話していた。
「ありがとう。お腹の子のことも考えて、絶対に無茶だけはしないわ。」
「あ、あそこよ。」
「運がいいな。あの2人も子供を送り届けたようだ。」
私たちもはずきを先生に預け、優太たちを見る。カナは気取った笑みを浮かべているが、優太は機嫌が悪そうだ。
「少し離れましょう。ここは人が多いし、園内から見える場所だから。」
「あら、周りの目がそんなに気になるの?アン里さんって、ビビリなのね。」
「子供たちに見せるわけにはいかないって言ってるの。あなた、母親でしょ?私と同じ考えじゃないの?」
見当外れの罵倒に、私は即座に言い返した。カナははっとした表情になる。私に指摘されて、初めて気づいたらしい。視野の狭い彼女に呆れて、ため息が出そうになる。
「あんたがアン里の再婚相手か。大したことはなさそうだな。」
「初めまして。三坂連太郎と申します。おっしゃる通り、アン里さんの再婚相手です。」
連太郎は挑発をスルーし、落ち着いた声で名乗る。余裕が感じられる振る舞いだ。
「むかつくやつだな。ポッと出の男が生意気なんだよ。」
彼のどこが生意気なのだろう。再婚相手として名乗っただけだ。
「ああ、何かお気に触るようなことをしたのなら申し訳ありません。」
「すました顔しやがって、マジでむかつくな。俺の方がアン里との付き合いは長いんだ。お前より彼女のことをよく知ってるぞ。」
「そうですか。俺はアン里と小学校からの付き合いですけどね。正確には小学2年生の時から同じクラスです。あなたより付き合いは長いですよ。もう彼これ33年になりますね。」
優太が言葉に詰まる。私は得意げに胸を張る連太郎を見ながら、懐かしい気持ちになった。彼との出会いは小学2年生の2学期。転校してきた連太郎が隣の席になった。
「あれ、三坂太郎って言うんだ。よろしくね。」
「あのさ、教科書見せてくれない?親が引っ越しで忙しくて、買うのを忘れちゃったんだ。」
「いいよ。見せてあげる。」
彼は気さくな性格で、とても話しやすい。ただ、当時は恋愛対象ではなく、友達という認識だった。学年が上がりクラスが別々になっても、彼とは顔を合わせれば楽しく会話をしていた。中学までは一緒だったが、頭のいい彼は市内で一番偏差値の高い高校へ進学する。それからは疎遠だった。
ところが、5年前、運命的な再会を果たす。優太と離婚した直後、小学校の同窓会が開催されたのだ。
「アン里ちゃんだよね。久しぶりだな。元気にしてた?」
会場で声をかけてきた連太郎に、最初は戸惑った。子供の頃の幼さが完全になくなり、大人に成長していたからだ。しかも連太郎はかなりのイケメンで、会場の女子たちから熱い視線を集めていた。
「えっと、あなたは… ?」
「俺だよ。連太郎。もしかして忘れちゃった?」
「嘘?連太郎君なの?はあ。随分とまあ立派になって。」
「そこはお世辞でも、かっこよくなったって言ってよ。」
それからしばらく、私たちは楽しく話をする。彼から連絡先を聞かれた時は、特に深く考えず了承した。お互い独身ということは事前に明かしていたので、後ろめたさもない。久しぶりに再開した友人ともう少し楽しい時間を過ごしたいという思いだけがあった。
しばらくやり取りを重ね、2人で遊びに行く。再会して2ヶ月後には、彼から告白された。
「実は、最初に会った時から好きだったんだ。」
なんと連太郎は私に一目惚れしていたのだ。そんなことは夢にも思っていなかったので、とても驚く。しかし、不快感は一切なかった。むしろ嬉しい。
「バツイチの私でよければ、喜んで。」
交際を始める前に、身の上話はしてある。私がバツイチだと知った時、彼は少し驚いていたものの、態度は変わらなかった。
「どんな境遇でも関係ないよ。俺は君だから好きなんだ。」
今まで男性に裏切られてばかりだった。連太郎ともうまくいく保証はない。もしかしたら、優太の時よりひどいことになる可能性もある。けれど、連太郎のことは信じたいと思った。彼はとても優しく、私との時間を大切にしてくれた。再会して半年後にはスピード入籍を果たし、3年前にはずきが誕生する。
「というわけで、彼との付き合いはあなたよりはるかに長いわ。」
私からも補足で説明を入れる。優太は呆然としたまま話を聞いていた。
「えっと、あなたとアン里の付き合いは6年くらいでしたか?職場で知り合ったんですよね。俺よりアン里のことを知ってると言ってましたが、本当ですか?」
連太郎は挑発するようなことを口にする。彼は昨日のメールで怒り心頭になっているらしい。表情は穏やかなのに、瞳は冷めきっていた。普段の明るい連太郎からは考えられない姿だ。
「はっ、だったらなんだよ。先に結婚したのは俺の方だぞ。」
「はあ。そうですね。そんなことより、昨日から妻に送り続けているメールについて話しましょうよ。脅迫とも取れる内容ですよね。自覚してます?」
「そんなこと… 」
優太の表情が悔しそうに歪む。しかし、続いた連太郎の言葉で、彼の顔色が一気に青くなった。
「あれは正当な抗議だ。アン里が俺を種なしとか言って名誉を毀損したんだよ。ていうか、お前、俺のメールを勝手に他人に見せたのか?」
「ええ、見せたわよ。1人じゃ抱えきれない厄介な問題だと思ったからね。」
「事実を述べることは名誉毀損に当たりませんよ。それに、俺たちは他人ではなく夫婦です。あなたと妻は他人ですけどね。メールを見せたところで、何も問題はないでしょう。」
「優太さん、妻への嫌がらせは今すぐやめてください。やめないのであれば、こちらも然るべき対応を取りますよ。」
連太郎は一見すると冷静だが、纏っている空気に威圧感がある。下手な言い訳も反論も通じないと、全身で語っていた。一方の優太は、じりじりと後退し視線を泳がせている。連太郎とは真逆で、全く余裕のない態度だ。
「し、然るべき対応って何だよ。偉そうな口聞きやがって。何様のつもりだ。」
「まあ、会社ではそこそこ偉い立場にいますね。大手メーカーの営業部長をしていますので。これ、名刺です。それと、弁護士の友人もいますので、必要であればすぐに相談できますよ。」
驚いて目を見開いたかと思ったら、優太の顔はみるみる歪んでいった。彼の表情に浮かんでいるのは、嫉妬と悔しさだ。
「あなたはどちらにお勤めですか?名刺交換しましょうよ。」
「え、今は持ってない。」
「そうですか。残念です。」
今の優太がどういう立場にいるか分からないけれど、連太郎を見る目には敗北感も混じっていた。おそらく役職や社会的な立場は、連太郎に負けているのだろう。優太の強がりが崩れていくのが見えた。
「この会社って超有名じゃん。給料も比べ物にならないわね。なんでこんな有能物件とアン里さんが結婚できたのよ。」
カナが小さく呟く。私は地獄耳なので、彼女の小声もしっかり聞こえていた。カナの瞳がキラリと輝く。欲望の光だ。
「連太郎さんって言ったかしら。私、優太の再婚相手のカナって言います。」
「はあ。そうですか。」
突然名前が呼ばれ、連太郎が一瞬うろたえる。何が目的だと怪しむ目でカナを見ていた。
「同じ再婚相手っていう立場ですし、私たち仲良くなれると思うんです。よければ、2人きりでお話ししませんか?」
カナが連太郎に向かい一歩足を踏み出す。甘えた声を出し、体をくねくねと動かして色気をアピールしていた。あからさまな彼女の考えは、手に取るようにわかる。私から連太郎を奪う気だ。優太を横取りした時と同じように、何の悪気もなく他人の夫を自分のものにする。
しかし、2度と同じことはさせない。私は一歩前に出て、彼女と連太郎の間に体を滑り込ませた。
「カナさん、私の旦那に近寄らないでくれる?あなたって、人のものを奪うのがお上手でしょう。でも、残念。連太郎はあなたみたいな女性は好みじゃないの。」
カナが舌打ちをして私を睨みつける。背後にいる連太郎を振り返り、「なるほど」と納得した顔をしていた。
「連太郎さんは、あんたみたいな地味な女が好みってこと?そんなわけないでしょう。笑わせないで。芋を好きな男なんていないわよ。」
「人は見た目だけじゃないわ。連太郎さん、夫が迷惑をかけてごめんなさいね。私からしっかり注意しておきますから。これからは仲良くやりましょうよ。子供が同じ保育園に通う仲じゃないですか。」
カナは連太郎の腕に手を伸ばしながら、上目遣いで彼を見る。彼女にとっては色仕掛けのつもりなのだろう。しかし、旗から見るとかなり痛かった。年齢を重ねた体を強調するような派手な服装は、見ていてあまり気分のいいものではない。本人は気づいていないようだが、たるんだ下腹がはっきりと見えた。濃すぎるメイクは違和感しかない。首と顔の色が違いすぎて、浮いて見える。
連太郎は、自分に伸びてきた彼女の手を嫌そうな顔で避けた。
「すみません。気持ち悪いことをしないでくれますか?」
「え?」
カナの動きが一瞬止まる。しかし、すぐに取り繕おうと声のトーンを変えた。
「あ、あら、冗談がお上手ね。恥ずかしがらなくてもいいのよ。私、アンリさんより魅力的でしょ。優太だってそう言ってたわよ。あなたも本当はそう思ってるんじゃない?」
「思ってません。あの、それ以上近づかないでください。不快です。香水が臭くて、鼻が曲がりそうなので。公衆道徳ってご存知ですか?」
再度真正面から否定される。女としての自分に自信があるカナにとって、連太郎の発言はプライドをずたずたにされるものだった。
「なんですって。あなたの格好の方が、保育園の送り迎えにいらっしゃる服装ではないですね。かなり悪目立ちしてますよ。周りの視線に気づいてらっしゃらないのですか?」
連太郎の言い方は丁寧だが、一切の容赦がない。カナの顔は怒りの感情で真っ赤に染まった。
「失礼な人ね。女を見る目がないわ。」
「まあ、アン里さんを選ぶくらいだしね。」
「あんたみたいな最低な男から、願い下げよう。品位もなければ品性もないんですね。そういう格好をしてても恥ずかしくない理由が分かりました。仕事でもプライベートでも、あなたのような女性とは絶対に関わりたくありません。同類だと思われたくないので。」
私は思わず口元に手を当てた。笑いをこらえるためだ。他人に向けるには鋭すぎる言葉の刃だが、言っていることは全部同意できる。聞いていて気持ちよくなる反論だ。彼のおかげで、胸の中のモヤモヤが一気に晴れた。カナは口をパクパクと動かしている。何か言い返そうとしているが、連太郎ほどうまい反論が思い浮かばないようだ。
連太郎のこういうところは、小学生の頃から変わっていない。言いすぎな部分はあるけれど、的確に相手の急所をつくのだ。あれは小学5年生の頃だった。私はクラスの学級委員長に意地悪をされて、泣いていた。誰もいない教室で涙を流している私を、偶然連太郎が見つけた。
「誰に泣かされたんだ。俺がやっつけてやる。」
連太郎の勢いに押されて素直に答えると、彼はガキ大将のところへすっ飛んでいく。私が駆けつけた頃には、すでにガキ大将を言い負かしていた。
「連太郎さんは、あなたにふさわしい再婚相手のようですね。お似合いですよ。」
「この覚えてなさいよ。あんたも名誉毀損で訴えてやるからね。」
「はあ、そうですか。勝てるといいですね。」
カナの叫びが耳に届いた瞬間、ふと違和感に気づく。誰かの視線を感じたのだ。背後を振り返り、驚きから目を見開いた。いつの間にか人だかりができていたのだ。10人くらいだろうか。子供を送りに来た母親たちが足を止め、私たちのやり取りを少し離れた場所で見ている。顔見知りの人も複数いた。みんな、何事かと心配そうな目をしている。
そこへ1人の女性が前に出てきた。同じクラスのママで、いつも明るく話しかけてくれる人だ。
「あの、すみません。少しいいですか?昨日、カナさんと連絡先を交換したんですけど、カナさんから変なメールが送られてきたんです。これって、さっきまでの話と何か関係ありますか?」
ポケットからスマホを取り出しながら、ママ友が言う。彼女の顔には困惑と、カナに対する不審感が浮かんでいた。他のママ友たちもざわめき始める。
「それ、私にも届いたわ。初めに話しかけられたから、明るくていい人なのかなって思ってたんだけど。」
「私のメール、ちょっと見せて。私に届いたのと同じような内容だわ。」
ママ友がスマホの画面を見せてくれた。そこに書かれている内容を読んで、眉を寄せる。
「『はずき君は本当の親から捨てられて、養護施設から引き取った子供だ』って。なんだと?」
メールには他にも信じられない文章が綴られていた。
「『私は男好きであなた以外の男性と関係を持っているんですって。信頼できる方ではないので、皆さんも気をつけてください』って書かれているわ。」
身に覚えがない話だ。再婚してから、連太郎以外の男性と関係を持ったことなど一度もない。私個人への誹謗中傷は100歩譲って許そう。しかし、はずきに関する話題は別だ。
「お前… 」
連太郎が低い声を発する。彼の目は鋭く、今にもカナに掴みかかりそうな雰囲気だ。握っている拳がわずかに震えている。怒りをこらえようと必死なのだろう。
「そ、そのメールは、えっと、他のママ友が話してるのを聞いたのよ。」
「それは誰?名前は知らなくても、見た目は覚えてるわよね。特徴を教えてちょうだいよ。」
「私の保育園のママ友のことは全員知ってるわ。出鱈目な噂を話すような人はいない。下手な嘘はすぐバレるから、やめた方がいいわよ。」
ママ友たちから援護射撃が入る。予想外の方向からの攻撃に、カナはしどろもどろだ。
「カナさん、関係ない子供まで巻き込んだわね。絶対に許せない。はずきは間違いなく私と連太郎の子供よ。証拠はいくらでもあるわ。望むなら見せてあげるわよ。」
カナが一歩後ずさる。私の激しい怒りを感じたのだろう。できる限り騒ぎにならないよう終わらせるつもりだったが、気が変わった。この人たちは徹底的に潰す。甘く見たら、また同じような問題を繰り返すはずだ。
「浮気してるのは、あなたでしょ。理由は、優太とあなたがよく知っているはずよ。」
「あ、私が浮気してるわけないでしょ。」
「はっきりとした証拠があるけど、みんなの前で言ってもいいのかしら。困るのは、あなたたちよ。」
一瞬だけ保育園の方へ視線を向ける。ギャラリーは気づかなかったが、優太ははっとした表情になった。
「そ、そうだ。お前は浮気してる。アン里の言う通り、証拠もあるぞ。」
「ちょっと、あんたはどっちの味方なのよ。」
「これに関しては、アン里の味方だ。素直に認めたらどうだ?」
昨日と同じように夫婦喧嘩が勃発しそうだ。止めたのは、呆れた様子の連太郎だった。先ほどまでの彼は怒りが爆発しそうになっていたが、2人のくだらないやり取りを聞いて、正気に戻ったようだ。
「今回の誹謗中傷メールの件は、友人の弁護士に相談します。それと、優太さんもですよ。妻のメールには、あなたからの誹謗中傷メールがしっかり残っています。言い逃れできませんよ。」
ママ友のざわめきが大きくなる。
「別れた奥さんにそんなメールを送ったの?」
「アン里さんが一体何をしたのよ。彼女、いい人じゃない。」
「あんな人たちに目をつけられて、アン里さんがかわいそう。」
夫婦揃って非常識な人間だということが、みんなに伝わった。私はここにいるママ友たち全員と仲がいいわけではないけれど、顔を合わせれば挨拶をし、失礼のないように接してきた。そういった普段の行いが、思わぬ形で私を助けてくれたのだ。
「皆さんに送られてきたメールを、証拠として使わせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ。メールは消さないで残しておくわね。」
「他にも何かできることがあれば、協力するわ。」
カナと優太に、多数の非難の目が向けられる。追い詰められた2人は、額に大量の汗を浮かべていた。
「ちょ、ちょっと冗談でしょ。弁護士に相談するなんて、そんな大げさな?」
「大げさじゃありませんよ。あなたたち夫婦は、それだけのことをしたんです。脅しでもなんでもないから、今のうちに弁護士を探しておいた方がいいんじゃない?」
青白かったカナの顔が、徐々に赤くなっていく。そして、血走った目で私を睨みつけた。
「か、私より…


逆切れしたカナが、私に向かって手を伸ばす。その手を止めたのは、予想外の人物の言葉だった。
「俺はカナと離婚する。もう、こいつとはやっていけない。」
優太がカナをゆっくりと振り返る。カナは濃い化粧を施したまぶたをパチパチと何度も瞬かせていた。離婚宣言も予想外だが、続く優太の言葉は私の人生で最大級の衝撃だった。
「だから、俺と復縁してくれ。やり直そう。」
周囲が一瞬で静まり返る。私も連太郎も、ギャラリーの人たちも、全員が優太を見た。優太は真剣な表情をしている。その瞳は本気だと語っていた。
「な、何を言ってるの?」
思うように声が出ない。ようやく絞り出したのは、短い問いかけだった。
「俺は本気だ。お前ともう一度夫婦になりたい。こいつの取り柄は見た目だけ。家事能力も性格も収入も、お前の方が上だ。そんなお前と再婚すれば、俺も幸せになれる。」
優太はなぜか胸を張っている。どうして自信満々な態度を取れるのだろう。5年間の結婚生活で、彼の性格は知っているはずだった。しかし、今私の目の前にいる優太は、言葉の通じない宇宙人に見える。
「あんた正気か?」
思わずといった様子で、連太郎が乱れた口調で問いかけた。彼の眉間には深いしわが刻まれている。彼は咳払いをして、丁寧な言葉に戻る。
「妻は、あなたの浮気が原因で離婚しました。もう、あなたとの関係は終わっているんですよ。しかも、今は俺との子供を妊娠中だ。身体に障るので、あまり驚くようなことを言わないでいただきたい。」
「アン里とは長い付き合いだ。話し合えば分かるさ。だろ、アン里。」
優太の身勝手な主張が耳に届いた瞬間、連太郎の額に青筋が浮いた。
「あなたはアン里と夫婦だった時、彼女を怒鳴りつけ、人間関係を制限した。挙句の果てに、浮気相手を自宅に連れ込み、離婚を迫りましたね。それだけのことをしておいて、今更復縁とは、どういう神経をしているんですか?」
彼と結婚する前、どういった経緯で離婚に至ったかは詳しく説明済みだ。当時の彼は優太に対して激怒し、もし偶然再会したら殴ってやるとまで言っていた。
「最低だ。捨てられて当然よ。なんでやり直せると思ったの?頭おかしいんじゃない?」
周りからのひそひそ声は、優太の耳にもしっかり届いているようだ。彼の頬が少しだけ赤くなる。
「優太、私がいるのに何言ってんのよ。」
呆然としていたカナが我に返り、優太の胸ぐらを勢いよく掴む。かなり興奮している様子だ。
「離せよ。お前とはもうおしまいだ。こんな女のどこがいいの?」
「私の方が魅力的だから浮気したんでしょ。」
「あの時の俺は、どうかしてたんだ。」
私たちをよそに、夫婦喧嘩が勃発する。低レベルなやり取りをしている2人は、まさにお似合い夫婦だ。
「優太さん、恥ずかしくないんですか?どれだけ彼女を傷つけたか、あなたが一番分かっているはずですよ。」
連太郎が少し大きな声で問いかける。優太はカナから視線を外し、気まずそうに私の方を見た。
「それは色々あったけど、俺だってあの時は仕事が大変で、大変だから彼女に当たったんだ。」
「私は大企業で部長を務めていて、仕事はそこそこ大変ですけれど、アン里に当たり散らしたことは一度もありませんよ。聞き苦しい言い訳は結構です。」
優太が言い返そうとするが、連太郎が放つ威圧感に、口をもごもごと動かすしかできない。情けない姿を見たギャラリーは、優太を立て続けに責めた。
「カナさんにぴったりの旦那さんね。非常識で自分勝手だわ。」
「他人への迷惑ってのを考えてないのね。」
「本気で復縁できると思ってるのかしら。」
容赦ない言葉が四方から降り注ぐ。優太の顔は見るみる歪んでいった。その様子を見ながら、深く息を吸った。私からも、彼に言わなければならないことがある。連太郎やギャラリーの人たちに任せっぱなしではいられない。とどめの言葉は、私自身の口で言わなければ。
「ねえ、優太。私の話を聞いてちょうだい。」
私の呼びかけに、優太がのろのろと顔をあげる。まっすぐ彼を見つめ、自分の本音を伝えた。
「連太郎と結婚して、私は本当に幸せよ。彼は私が仕事の話をしても、笑顔で聞いてくれる。私が落ち込んでいたら、隣にいてくれるの。とても素晴らしい人よ。全て、優太との結婚生活の中では叶わなかったことだわ。一方で、あなたとの5年間はどれだけ辛かったか。自分の家なのに、帰りたくなかった。今は違う。早く帰りたい。一緒に過ごしたいって思いながら、毎日仕事ができるのよ。」
「あ、アン里、俺は… 」
優太が何か言おうとする。しかし、私は構わず続けた。
「あなたとの再婚は、地球が滅びるとしても絶対に100%ありえないわ。2度とやり直したいなんて言わないで。私は連太郎とはずきと、そしてお腹の子供と、幸せな人生を歩むんだから。」
はっきりと口に出して宣言する。次の瞬間。
「よく言ったわ。三坂さん、かっこいいわよ。」
ギャラリーから拍手が起こり、温かい言葉が次々と飛んでくる。私は驚きながら周囲を見渡し、それから小さく笑った。
優太とカナは、完全に言葉を失っている。反論もまともにできない様子だ。しばらくの沈黙の後、カナが踵を返す。優太はちらりと私を見てから、逃げるように背を向けた。2人の遠ざかっていく後ろ姿を眺めながら、静かに息を吐く。これで終わりだ。私たちの勝利と言っていいだろう。
連太郎が私の隣に並んだ。大きな彼の手が、私の肩にそっと触れる。
「さっきのアン里、最高に決まってたぞ。さすが俺の奥さんだ。」
「ありがとう。あなたが隣にいてくれたから、あの人たちに立ち向かえたのよ。おかげですっきりしたわ。」
「俺たち2人で掴んだ勝利だな。」
お互い顔を見合わせ、笑顔を浮かべた。
優太たちに打ち勝った翌日、2人の子供が辞めたとママ友たちが教えてくれた。
「今回の件、あの場にいなかったママ友たちにも広まったのよ。それに、園の先生の耳にも入ったわ。カナさんと優太さん、先生にだいぶ怒られたんですって。居づらくなったんでしょうね。」
話を聞き、ほっと胸を撫で下ろす。これで顔を合わせることもなくなり、安心してはずきを保育園に預けられる。転園の必要はなさそうだ。
ところが、事件は完全に終わっていなかった。1ヶ月後、優太からメールが届いた。かなりの長文だ。要点だけを説明すると、保育園での対立の後、子供のDNA検査を行ったらしい。そして、優太との親子関係が認められないという結果が出たそうだ。即座にカナを問い詰めると、あっさり浮気を認めたとのこと。カナは開き直って「あんたより若くてイケメンでいい男よ」と言ったらしい。優太はカナと激しい喧嘩の末、離婚を決意する。彼女は子供を連れて実家に戻ったが、両親は厳しい人だった。ちゃんと働いて生活費を入れなければ追い出すと宣言され、カナは毎日必死に働いているそうだ。
「ねえ、連太郎。優太からメールが届いたんだけど。あいつも懲りないなあ。」
「どれどれ。」
仕事から帰宅した連太郎に、スマホを見せる。彼は一通りのメールに目を通すと、呆れた様子でため息をついた。
「俺も女に裏切られた。ざまあみろ、って書いてあるけど、偉そうに言うんじゃないわよ。」
「元々仕事ができないタイプだったんじゃないか。ちょっとのミスで居場所がなくなるなんて、普通に考えてありえないよ。本人が気づいていないだけで、周りから嫌われてた可能性もあるね。」
優太からのメールの最後には、改めて復縁を考えて欲しいと書かれていた。
「お断りします。気持ち悪いわね。」
それだけ返信し、直後に優太の連絡先をブロックする。もし再び私の前に姿を表したら、容赦なく警察に通報するつもりだ。
事件から半年後、2人からの接触は今のところない。大きくなるお腹を抱えながら、私は毎日平和に過ごしている。
「ママ、赤ちゃんにはいつ会えるの?」
休日、リビングでのんびりしていると、はずきがそわそわしながら近づいてきた。その質問は何回目かしら?
「あと少しよ。それまで待っててね。」
「はずきもお兄ちゃんになるのか。楽しみだな。」
「うん。僕、ママと一緒に赤ちゃんのお世話をするんだ。」
連太郎とはずきが顔を見合わせ笑う。愛しい家族を見ながら、心の底から幸せだなと思った。