「安い外国人留学生使うから今日でやめてくれる?」
社長は俺を見下すような目で、唐突に首を宣告した。この人に何を言っても無駄だと思った。俺は素直に頷いた。
「わかりました。お世話になりました」
社長は満足そうに笑っている。俺がやめて困るのは、きっとあんたの方だ。俺は心の中でそう思ったが、口にはしなかった。
俺の名前は安井友明、36歳。とある建設関係の会社で20年働いてきた。母子家庭で育った俺は、母が女手一つで自分を育ててくれた姿をずっと見てきた。母は決して弱音を吐かなかったが、俺は早く母を楽にさせてやりたいと思い、中卒で働くことを決めた。
母は「せめて高校くらいは」と渋ったが、一度決めたことは曲げない。中卒で就職できる場所は限られていて、あちこち探し回った末に、やっと今の会社の前社長にアルバイトとして雇ってもらえた。
最初は現場に出て、親方の指導のもと毎日必死に汗を流した。若かった俺は体力もあり、飲み込みも早かった。親方や先輩たちの指導のおかげもあって、あっという間に仕事を覚えることができた。仕事が終われば、みんな優しく接してくれて、よく夜ご飯に連れ出して可愛がってくれた。
そんな生活が何年か続いた頃、前社長に呼び出された。何か大きなミスをしたのだろうかと不安になりながら会社へ向かうと、前社長は笑顔で俺を社長室へ案内してくれた。そこには毎日お世話になっている親方も来ていた。
「君がよく働いてくれているのは親方から聞いて知っている。いつもありがとう」
「いえ、雇ってくれた社長のおかげで働けています。俺はこの仕事が好きですから」
「何年も遅刻も欠勤もないのは君の努力の証だよ。どうだろう? 君を正社員で雇い直したいと思うのだが」
俺は驚いた。まさか中卒の自分を正社員にしてくれるなんて思ってもいなかった。
「でも、俺、中卒ですし…」
「学歴なんて関係ないよ。君が今まで努力してきたことへの正当な評価だ。親方からの推薦もあるしね。正社員になれば生活も安定して、親御さんも安心できるだろう。楽をさせてやれる」
俺は二人の言葉に涙が込み上げてきた。中卒だからと関係なく、俺の頑張りを評価してくれたことが嬉しかった。この会社に入ることができて、俺は幸せ者だと思った。俺はその提案を喜んで受け入れた。
正社員になった後、前社長から会社の事務や営業を任せたいと言われた。現場上がりの人間が多く、パソコンなどの機械に強い人間や営業に慣れた人間が少なかったらしい。若い俺なら早く覚えられるだろうということだった。親方は俺が現場から抜けるのを寂しがってくれたが、俺は正社員にしてくれた社長の期待に応えたいと思った。
それから俺は事務や営業を任され、必死に勉強した。最初の一年は覚えることに必死で、あっという間に過ぎていった。その後は業務にも慣れ、後輩もでき、次第に仕事の楽しさを見出せるようになった。
そして、入社から20年。去年、俺を雇ってくれた前社長は体調を崩し、今は息子が社長になっている。この新しい社長が何かと問題を起こすのが、今の俺の大きな悩みだった。前社長は学歴に左右されず人柄や努力を評価してくれたが、今の社長は全く違う。学歴ばかり優秀で仕事ができずやる気もない人間を役職につけたり、現場の人間は頭が悪いと見下したりする。そのせいでクレームが来たり、人が次々に辞めていった。だが、社長は気にする様子もない。むしろ古い人間がいなくなって安い賃金でアルバイトを雇った方がコスパがいいと思っているようだった。
大好きだった会社がどんどん悪くなっていくのを目の当たりにしながら、俺はどうしたものかと考えていた。体調が回復したら前社長は戻ってくると言っていたから、それまでなんとか会社を元の状態に戻さなければと思い、必死に耐えていた。前社長が戻ってきた時に今の現状を見たら、きっと悲しむだろう。そんなことにはなってほしくなかった。
だが、そんな思いも虚しく、事態は悪化していく。ある日、俺が出勤すると朝から社長室に来るようにと呼ばれた。嫌な予感はしたが、無視するわけにもいかない。渋々ノックをして中に入ると、社長は俺を見て人を見下したような嫌な笑みを浮かべながら話し始めた。
「君、中卒なんだって?」
「はあ、そうですけど…」
急に何を言い出すのかと思えば、学歴の話か。確かに今の社長に学歴の話をしたことはなかったが、そもそもそんなに会話をしたこともないし、聞かれたこともない。
「困るんだよね。学歴がない人がいると、周りの士気にも影響するしさ」
「はあ…」
「君も最近、仕事の受注量が減って会社の利益が落ちているのは知っているよね?」
「はい、もちろん」
全部あんたのせいだろう、と俺は心の中で思ったが、顔に出さないように気をつけた。社長が現場の人間をどんどん辞めさせてアルバイトばかりにしたせいで、仕事の質が見るからに落ちた。技術や知識が必要な仕事なのに、何も分からない人間しかいなくなった。そのことを不満に思った取引先やクライアントが離れていった結果だ。
「だから、不要な人件費にお金をかけている場合じゃないんだよね」
「で、俺にどうしろと?」
ニヤニヤしながら遠回しに言う社長に、俺は苛立ちを隠せずに聞いた。
「安い外国人留学生使うから、今日でやめてくれる?」
「え?」
俺は一瞬、社長が何を言っているのか分からなかった。
「そもそも中卒の君に、周りの人と同じ給料を払ってきたこと自体が間違いだと思うんだよね」
「俺は今まで任された仕事をちゃんとこなしてきました。休んだり遅刻したこともありません」
「中卒の君には、遅刻しないことくらいしか誇れることがないんだろうね」
「そんなことありません。それに、俺が辞めて外国人留学生を雇ったところで、俺が今までしてきた仕事ができるとは思えませんが」
「メールを打ったり、取引先に連絡したり、書類を作ったりなんて、パソコンがある程度使える人間なら誰にでもできるさ。中卒の君には難しい仕事だったのかもしれないけどね」
あまりにも見下す発言に、俺は怒りを通り越して呆れ、ため息が漏れた。この人に何を言っても無駄だ。前社長が戻ってくることだけを頼りに頑張ってきたが、もうここまでにするしかないらしい。
「わかりました。お世話になりました」
俺がそう答えた時、社長室のドアが大きな音を立てて開いた。
「社長、安井さんを辞めさせるって本当ですか?」
慌てた様子で飛び込んできたのは、この会社で受付をしている婚約者のリナだった。リナの父親はここよりも大きい建築会社の社長をしている。リナの父親と前社長は仲が良く、今後の勉強のためにリナはこの会社へ出向という形で仕事をしに来ていた。
「なんだ岸さん、急に入ってきて失礼だろう」
「すみません。でも、安井さんを首にするなんて間違っています!」
「そうか。君たち婚約しているんだったね」
俺とリナは1年ほど交際し、つい最近婚約した。会社のほとんどの人は交際している時から知っていたが、婚約した際に正式に全員に伝えていたから、もちろん社長も知っている。
「岸さんは、彼が中卒だと知っていたのかい?」
「もちろんです。でも、そんなこと関係ないじゃないですか!」
「父親の会社で働かせてもらえない無能な君からしたら、どうでもいいことなのかもしれないね。むしろお似合いだ」
「なんですって?」
社長のあまりの暴言に、俺もリナも驚きのあまり言葉を失った。リナは決して仕事ができないわけではない。リナの父親が社会経験を積ませるために前社長にお願いして、この会社に出向させているのだ。
「社長、あなたは自分が何を言っているのか分かっているんですか?」
「はあ、うるさいなあ。無能な君を置いておくのも無駄だし、岸君も辞めてくれて構わないよ。受付なんていくらでも代わりがいるんだからさ」
「リナ、君まで巻き込まれることはないよ。俺は辞めることに決めたから」
このままでは俺のせいでリナまで首になってしまう。そう思った俺は慌ててリナの肩に手を置き、静止した。
「いいのよ、安井さん。こんな社長がいる会社で働きたいなんて思えないわ。私も辞めます」
「ありがとう。助かるよ」
そう言って相変わらずニヤニヤしている社長をきっと睨みつけ、俺とリナは社長室を後にした。
「俺のせいでごめん」
「もう辞められてすっきりしてるんだから、本当に気にしないでよ」
リナは本当に気にしていないかのように、明るく笑っていた。とりあえず、今日中に仕事の引き継ぎを終わらせなければならなくなった俺は、リナと別れて大急ぎで引き継ぎ資料の作成に取りかかった。
なんとか資料の作成を終えた頃には定時を遥かに過ぎていて、俺はクタクタになりながら家路に着く。明日から就職活動をしなければならない。それに結婚式前なのに無職になってしまった。母にもリナの両親にも謝らなければならないと思い、俺は意気消沈していた。
その時、スマホにリナから着信が来た。
「あ、もしもし。ちょっと相談があるんだけど…」
電話でリナから受けた相談とも言える提案に、俺は驚いたが、喜んで受けることを決めた。
それから数日後、会社から電話がかかってきた。電話してきたのは片言の日本語を話す外国人だったから、きっと社長が新しく雇った留学生だろう。なかなか向こうの言いたいことが伝わらなかったが、社長が俺を呼んでいるらしいことは理解できた。俺は仕方なく会社へ足を運んだ。
中に入ると、俺に電話してきたであろう外国人が受付に座っており、俺が声をかけると無言で社長室の方を指さした。こんな態度で受付は大丈夫なのだろうか。少し心配になったが、もうこの会社の人間ではないのだから気にする必要もないかと思いながら社長室へ歩みを進めた。
ノックをして名乗ると、社長は怒りを荒げた声で俺を中に呼んだ。中に入ると、顔を真っ赤にした社長が挨拶もせずに怒鳴り散らしてきた。
「おい、これはどういうことなんだ?」
社長がバンと音を立てて叩きつけた書類に目を向けると、どうやら請求書らしい。
「どういうこととは?」
「なんで資材の金額が今までの倍になってるんだ? 取引先に確認しても、正規の値段だとの一点張りで話にならない!」
「そうですよ。これが正規の値段です」
「君が担当していた時は、この半額だったじゃないか!」
「ああ、それは実は、今取引をしている資材の会社や備品などの取引先、それに現場の誘導員の派遣会社などは、全て俺がこの20年間で契約を結んだ会社だったんです」
何度も誠実に交渉し、お互いの信頼関係を築いていき、俺が担当してくれるなら特別に、と料金を安くしてくれていたのだ。社長はそのことを一切知らなかったらしい。ちなみに前社長はちゃんと知っていて、その分評価も上げてくれたし、感謝も伝えてくれていた。
俺が説明すると、社長は顔を真っ赤にして怒り続ける。
「引き継ぎで、そのこともちゃんと説明しないとダメじゃないか!」
「資料に書いておきましたよ。ちゃんと自分で交渉するようにって」
「そんなこと、外国人留学生にできるわけないだろう! 君が取引先に交渉しておくべきじゃないか!」
「1日でそんなこと無理ですし、そもそも取引先の方の感情は俺にどうこうできることではないですから」
その後、取引があった会社の人から何度か連絡が来たが、誰もが口を揃えて文句を言っていた。俺が辞めた理由を尋ねられても、誰も分からない。新しく担当になった人間は会社に挨拶に来ることもなく、メールの定型文のみで、電話をすれば日本語もままならず話が噛み合わない。俺が解雇された理由を話すと、みんな俺の解雇が不当だと怒ってくれた。
そんな会社の杜撰さに取引先の会社は呆れ、取引を継続するなら正規料金、嫌なら契約終了と言ってきているそうだ。
「社長なのにちゃんと把握していなかった、あなたの責任じゃないですか」
「生意気なこと言うな! 中卒のくせに! 今すぐなんとかしろ!」
「無理ですよ。俺はもうこの会社の人間じゃないんです」
俺が告げると、社長は机から何かの書類を取り出し、俺に差し出した。無言で受け取り内容を確認すると、どうやら雇用契約書のようだった。
「お前を再雇用してやる。それなら文句ないだろう」
社長の勝手な発言を無視して内容を読み進めたが、今までとは違う、ありえないくらいの低賃金で俺は目を疑った。
「社長、この賃金、間違いではないのですか?」
「中卒のお前を雇ってやるだけありがたいだろう。それでももらいすぎなくらいだ」
相変わらず学歴で見下してくる社長に呆れ、俺は雇用契約書をテーブルに置いた。
「すみませんが、お断りします」
「なんだと! せっかく雇ってやると言っているんだぞ! 中卒のお前なんか、他に就職先なんて見つかるわけがないんだからな!」
「いえ、もう次の職場は決まっていますし、そもそも、もうすぐ潰れてなくなる会社に雇われたいとは思いませんから」
「な、なんだと? 一体何のことだ?」
その時、ドアが開いた。
「この会社は売却が決まったんだよ」
「父さん…」
入ってきたのは、前社長だった。
実は、俺が首になった日にリナから電話で提案されたのは、リナの父親の会社で働かないかという内容だった。その話を受けた次の日、俺はリナと療養中の前社長の家へお見舞いに行き、首になったことや今の会社の現状を伝え、今までお世話になった感謝を伝えた。すると前社長は、息子のしたことに激怒した。どうやら息子は、前社長に何の許可も取らずに好き勝手に暴走していたらしい。まだ会社の代表は前社長のままで、自分が戻るまでの臨時として社長を任せただけだった。
このままでは会社が破綻してしまうと嘆く前社長に、リナが父親からある提案があると持ちかけた。それは、今の会社をリナの父親の会社で買収し、子会社化するというものだった。リナの父親の会社は業務拡大をしようとしていて、1から子会社を作るより実績も経験もある会社を買収した方が効率がいいし、何より前社長が築いてきた会社が潰れるのはもったいないと思ったようだ。前社長は喜んでリナの父親の提案を飲んだ。
そして、前社長は俺たちに息子の悪業を謝ってきた。だが、悪いのは前社長ではない。むしろ俺を雇って正社員にしてくれ、今まで働かせてくれていた前社長には感謝しかない。
「待ってくれよ! 俺は会社のためを思って…!」
「お前は自分勝手な考えで好き勝手に行動しただけで、会社のことなんて考えていないし、社員のことも考えていないだろう」
「そ、そんなこと…! そもそも中卒なんか雇っていた父さんが悪いんじゃないか!」
「そのお前が見下す中卒がいなくなって、会社が困ったことになって泣きついているくせに、まだ分からないのか」
社長に一括され、社長は冷や汗をかきながら縮こまった。
「お前は今日限りで首だ。新しい会社でも二度と雇うことはないから、さっさと荷物をまとめて出て行け」
「そ、そんな! 父さん、勘弁してくれよ!」
「金だけ払えば入れるような大学ではあるが、一応大卒なんだ。仕事くらい自分で見つけろ」
前社長にそう言われ、社長は判を押したように荷物を大急ぎでまとめると、社長室から飛び出していった。その様子に俺は笑いそうになったが、なんとかこらえていた。
「これで邪魔者はいなくなったな」
「はい」
「社長、これから忙しくなると思うが、安井君、一緒に頑張ってくれるかい?」
「もちろんです」
俺はこの会社が子会社になることが決まった時、リナにこのままこの会社で働きたいと申し出て、リナの父親に伝えてもらい、了承を得ていた。
こうして前社長が戻り、今の社長が勝手に雇った外国人留学生や高学歴社員で仕事ができない人間を次々に解雇し、新しいスタートを切ることとなった。それから前社長が戻ってきたことを聞きつけて、解雇されたり辞めさせられた社員たちも次々に戻ってきた。前社長の人望のなせる技だと、つくづく思った。
俺はと言うと、ゴタゴタしてしまっていたことや子会社になることが決まったことを、あらゆる取引先に出向いて説明し、なんとか今まで通り契約を継続してもらえることが決まって一安心していた。もちろん、料金は半額のままだ。
プライベートでは、リナとの結婚式に向けて準備を進めている。仕事もプライベートも忙しいが、充実した日々を取り戻したのだった。



