高級寿司屋で一人酒を楽しんでいた俺の前に、5年前に俺を人生のどん底に突き落とした元同僚が現れた。彼は泥酔して俺に言い放った。「お前は負け組だろ。俺は明日、業界最大手と10億の契約を結ぶ勝ち組だからな」。俺は何も言わず、ただ静かに名刺を差し出した。「え、営業部長…?」。彼は顔色を変えた。その契約、俺が白紙にしてやったんだよ。あの日、俺を罠にかけて会社から追い出した男が、まさか俺の担当案件で契約…

高級寿司屋で一人酒を楽しんでいた俺の前に、5年前に俺を人生のどん底に突き落とした元同僚が現れた。彼は泥酔して俺に言い放った。「お前は負け組だろ。俺は明日、業界最大手と10億の契約を結ぶ勝ち組だからな」。俺は何も言わず、ただ静かに名刺を差し出した。「え、営業部長…?」。彼は顔色を変えた。その契約、俺が白紙にしてやったんだよ。あの日、俺を罠にかけて会社から追い出した男が、まさか俺の担当案件で契約...

高級寿司屋のカウンターで俺は酒を味わっていた。目標達成のご褒美というわけではないが、景気付けに来たかった店だ。一等地にある超高級寿司店で、俺は店のおすすめを聞きながら寿司と酒を楽しんでいた。

「おい、もしかして菊口か?」

店に入ってきた客に名前を呼ばれ、俺はゆっくりと声の主の方を向いた。そこにいたのは、かつての同僚、安罪だった。俺の人生をめちゃくちゃにした、あの安罪が。

「何が『よう』だよ。お前、こんなところで何飲み食いしてるんだよ」

安罪は多少酔っているようで、声は大きく、俺には忘れられない本性をむき出しにして一方的に話しかけてくる。

「ばーか、お前のためにある言葉だな。ここ、とんでもなく高い店だぞ。お前は会社から転がり落ちた人間だろうが。それなのにこんなところに」

「ま、たまにはいいだろう」

「たまには? ああ、あれか。最後の晩餐ってやつか。社会から完全におさらばしようとして」

安罪は自分で言ったことに大笑いしていたが、その内容はぞっとするほど配慮のないものだった。ああ、そういうやつだったな。俺はそう思うと同時に、そんな人間を友人だと思っていた時期があったことを思い出した。

「ああ、そうそう。俺は今、社長なんだよ。コンサル会社の」

いつの間にか俺の隣に腰を下ろした安罪は、身を乗り出して嫌味な笑顔を振りまいた。

「お前がいなくなってからトントン拍子に出世してな。あの会社じゃ俺にふさわしい仕事がなくなってさ。色々資格も取ってたんで、独立でもするかってな」

「さすがだな、安罪」

「ま、当然だけどな。今なんて、そこら中から助け求められてすげえ忙しくて大変なんだよ。お前みたいな人間には分からない世界だろうけどさ」

安罪は上機嫌で自分の会社と自分の自慢を続けていた。コンサル業界では新顔の会社だが、優秀な人材を集めて評判は高い。自らの経営手腕への評価も高く、同業者から一目置かれる存在にもなった。安罪に教えを乞うようなコンサルタントもいるのだそうだ。

「そういうの、雲の上の人って言うのかな?」

「ああ、そうだな」

気分良さそうに話す安罪に、俺は気のない返事を続けた。安罪を恨む気持ちはあるが、不思議なもので、それがうまく表に出せない。その代わりなのか、安罪の喜びそうな言葉が口からすりと出ていた。

「ま、俺は勝ち組だからな。明日なんて、業界最大手のIT企業と契約するんだよ。額は10億だから、そこそこなんだけどな」

「へえ、そりゃすごいな」

「俺にはそんなの楽勝だけどな。勝ち組で、勝ち運にも恵まれてるからな」

「そうか。けど、その運ももう続かないかな」

安罪がIT企業と契約をすると言った時、俺は目が覚めた。まさか、という驚きもあったが、自分にとって最高のチャンスがやってきた。上の空でいられなくなった。

一方、安罪は水を刺されて不満な顔に変わる。

「はあ? 何言ってんだよ。俺の成功が妬ましいからって適当なこと言ってんじゃねえぞ」

「本当は明日伝える予定だったけどな。その契約は、もうここで白紙だ」

「あ? なんでお前がそんなこと?」

「狂ってないよ。ほら、これ」

俺は自分の名刺を安罪に握らせた。

「え、営業部長? って、おい、お前」

「そうなんだよ。俺は今、お前が明日契約しようと思ってる会社で営業部長してるんだよ」

安罪は俺を捨て駒だと見ていたが、それは当然、大間違いだった。少し前になるが、最終面接がうまくいったんだ。人間不信になり、食べていくだけの日々を過ごした数年。もうこのままでいいとすら投げやりになっていた時期に、俺は今の会社に拾ってもらった。

救いの手を差し伸べてくれたのは大学時代の同期。その同期は俺の過去の人間性を考え、俺を再起させようと必死に動いてくれていた。同期は高校の先輩がIT企業を立ち上げたと知り、無理を承知でその先輩に俺を紹介してくれた。

そして、その先輩でありIT企業の社長は、ありがたいことに俺に興味を持ってくれた。会社を解雇された身である俺を、社長は真っさらな目で見て、本気で向き合い、どうして俺が解雇されたのか、社長はそれすらも俺から引き出している。

社長もできた人で、俺のことを分かった上で雇ってくれた。全てを知って、社長は俺を雇い入れ、立場を与えて仕事をさせてくれた。初めは裏方として会社生活のリハビリ。慣れたところで営業へ配置換えされ、俺はそこから間を取り戻して自由に泳ぎ回るようになった。いつの間にやら肩書きは立派になり、今は営業部長。営業に関する全ての指揮権と決定権を持たされ、責任は重大だ。

「俺はな、周りに助けてもらって仕事に戻ったんだ。それでこういう店に来るのは、趣味で息抜きだ」

「あ、ああ。そうなのか」

「ああ、分かってくれたところでもう一度言うけど、契約は白紙だからな」

俺の話を聞きながら、名刺を持った形のまま、安罪は引きつった顔で固まっていた。俺はそんな安罪に追い打ちをかけ、明日の契約はなくなったと念を押した。

「なあ、聞いてるか?」

「あ、ああ。なあ、あんな言い方しないでさ」

安罪の答えは小さく、明らかに声が震えていた。しかし、粘る根性は残っていたのか、俺に体を寄せると肩を組んできた。

「昔の話は終わりにしようぜ。水に流して、俺とお前、中いい友達じゃん。ほら、だからそれをまた業界が変わっても続けて」

「悪いけど、断る」

「そんなお前、感情に振り回されすぎだろ。仕事の話だろ? だったら市場は分けて考えないとダメだろう」

「市場? そんなのないよ。あのな、俺は最初から会社と営業部の判断として、安罪の会社との契約はなしと決めてるんだよ」

「はあ? どうして」

「お前の会社、調べさせてもらったんだよ。隅から隅まで」

安罪の会社との取引案件が持ち込まれたのは数ヶ月前。担当していたのは若手の営業部員だったが、俺は営業部長としていつも通りの調査を行っていた。相手が安罪の会社だからということではなく、営業ではいつもやっている通常の信用調査。

「安罪、お前の会社は人の出入りが激しいよな。数ヶ月単位で幹部も変わる。優秀な人材を招き入れても、どういうわけか喧嘩別れが続く」

安罪の会社は確かに急成長をしているが、内情はお粗末なものだった。派手な文句で人材を募集し迎え入れても、実際の待遇は良くない。何かと理由をつけて言い方契約違反を突きつける。賢い人たちはどんどん辞めていき、幹部からは安罪への批判の声も上がっている。会社の体裁や上場の予定など、安罪の会社への業界内での評価は、それはもう目も当てられないものだった。まともな会社なら安罪の会社を相手にはしない。それでも付き合おうとするのならば、その会社にも後ろ暗いことがあるのではないか。そんな噂も混じった話も含め、安罪の会社はコンサル業界で浮いた存在だ。

「それから、お前は前職を懲戒ではなく、依願退職にしてもらったらしいな」

「は? なんだそれ? なんでそんなこと」

「聞いたんだよ。仲の良かった人からな。お前、世話になった先輩も罠にはめてやめさせたんだってな」

俺は安罪の会社への信用調査の他に、個人的に安罪の過去を調べ上げていた。正直なところ、ここには俺の恨みという私情が入り込んでいた。しかし、結果としてそれをして良かったと思っている。

「お前さ、取引先と競合相手に金を握らせたらしいな」

俺が会社を解雇された後、安罪は若手ナンバーワンの営業マンになった。調子に乗るというよりも怖いものなしになって、社内で暗躍するようになったそうだ。ライバルになりそうな人間は策を講じて蹴落とし、上司に取り入り立場を築く。汚い手の手数も増やし、賄賂まで使うようになった。有力な取引先やコンペで競い合った会社の担当者に金を握らせて手柄を得る。度胸がどうかしているのだろうが、それよりも先に欲の深さが目についた。手に入れられるものは根こそぎ手に入れたい。安罪の行動からそんな執念を感じた。

だけど、そういう悪事を告発されたんだろう。それで会社にいられなくなった。自分でやめるから勘弁してくれと、どうにかこうにか解雇だけは逃れた。前職での安罪の最後は針のむしろにいるようなものだった。社内の一部から悪事を告発され、全てを失う。会社からの信用と人望、会社での居場所もなくした。

俺以上のフルスコアで解雇されてもおかしくなかったが、最後に悪運が残っていたのが悔しかった。上手く手名な付け、自分を擁護してくれた数人の上司のおかげで依願退職を認められたそうだ。それでも罰として退職金は支払われず、それでも解雇という社会的な傷はつかずに逃げ切っていた。

「けど、逃げ切りもお前の転落も、これで終わりかもな」

俺はつい、口を切っていた。勝手な言い分だが、安罪の終わりを告げていた。こればかりは、恨みを晴らしたとしか言えなかった。

「いいか? 明日の契約がもうないのは、こちら側の信用調査の結果で決まったことなんだ。それは分かってくれよ」

「冗談じゃねえ。クソが」

俺の通告に、安罪は怒り狂って立ち上がった。座っていた椅子を倒す勢いで俺に詰め寄ると、そのまま俺をひたすら罵った。

「クソが! お前は負け組、負け犬なんだよ! 調子に乗りやがって、何が営業部長だ? 何が信用調査だ。こそこそしやがって」

「こそこそだったら、お前も散々やっただろう」

「うるせえ! 仕返しできて気分いいか? お前が俺に勝とうなんて許されるわけがねえんだよ」

「おい、もうやめろよ。お店に迷惑だろ」

「黙れ、クソ野郎! いいか、お前なんてまた蹴落としてやるよ。今度こそ本物の負け犬にして、社会からおさらばさせてやるよ」

安罪は大声で怒鳴ると、俺の胸ぐらを掴もうとした。それを避け体を引くと、まだ何か叫びながら、今度は俺の鞄を掴んで放り投げた。

「クソ野郎、許さねえからな!」

俺の鞄を投げた安罪が叫ぶと同時に、寿司屋の大将が安罪の前に立ちはだかった。安罪が激高している間に、大将は素早くカウンターの内側から抜け出していたのだ。そして安罪を一喝した。

「おい、なんだよ」

「出て行け。出ていかないなら追い出す」

「おい!」

安罪は有言実行の寿司屋の大将に、店を追い出された。その後も店の外で安罪の怒鳴り声が聞こえたが、飛び出していった若い職人たちがどこかへ連れて行ったのか、聞こえなくなった。

それから大将は言葉なく俺を気遣ってくれた。寿司を握り直し、帰り際には「また来てください」と声をかけてもらった。とんでもない息抜きになってしまったが、うまい寿司の味は残っている。

それから、寿司屋での一件から1ヶ月と経たずに、安罪は消えた。あの手の会社らしく、どこまでも法でやりたい放題の経営が引き金だった。業績が悪くなった部分は確かにあったが、安罪にかけて新規事業への投資や企業買収にまで手を伸ばし、半ば詐欺のような案件にも首を突っ込み、警察から目をつけられたそうだ。ニュースで取り上げられなかっただけで、安罪の会社は小心照明のやばい会社だった。

だが、結果的にその数々の失敗で多額の負債を抱え、数ヶ月前からはほぼ自転車操業の状態で会社が成り立っていたらしい。倒産劇はお粗末なもので、オフィスは夜逃げ同然で引き払われたそうだ。社員の給料にも未払いがあり、車両者のリース契約をしていた会社へも一部代金を支払っていない。そんな状況で、安罪の行方は不明だ。オフィスがそうだったように、住んでいた郊外のタワマンからいつの間にか逃げ出していたという。噂では海外に逃亡しているとか、仲の良かった経営者に国内でかくまわれているとか、安罪の行方にまつわるそんな話が聞こえてくる。

俺としては、安罪を助けようという人がいるというのは信じられない。そんな人がいるとしたら、申し訳ないが安罪に騙されていると忠告したくなる。人から信用を得るというのは難しい。誰かに喜んでもらえる仕事で結果を出す。何が正解なのか分かりづらいからだ。ただ、苦い経験をした俺が言えることは一つ。自分と人に対して裏表なく正直に、人と喧嘩はしても言葉は尽くして理解し合う。それが大事なのだろう。

部下を抱える身になった今、俺はその精神を守ろうと誓っている。誰も不幸にしないように、そのために自分のやれることを精一杯やるだけだ。

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