高級寿司店の個室で、レイカさんが私にマウントを取ってきた時、私はこの瞬間をずっと待っていた。
「それにしても、みすずちゃん、コンクール入賞できなくて残念でしたわね。これでピアノも懲りたでしょうし、やめればお金もかからずに済むから、結果的に良かったんじゃない?」
私は静かに微笑んで言った。
「あら、みすずはピアノコンクールの特別賞をいただきました。Cコンクールですけどね。」
その言葉を聞いたレイカさんは、目を見開いて早口でまくし立てた。
「何言ってるの?みすずちゃんが出たのはAコンクールでしょう?結果発表で名前は呼ばれなかったわよ。」
「ええ、当然です。みすずはAコンクールではなく、Cコンクールに出場したんですから。」
「そんなはずないわ!コンクールの特別賞なんて!」
レイカさんの顔色が一瞬で真っ青に変わり、口元が震え始めた。
私の名前はエミ。7年前に夫のカズヤと結婚し、2年後に娘のみすずが生まれた。今は5歳の年長さんだ。
2年前、娘が幼稚園に入園するタイミングで、この地区のデザイナーズマンションを購入した。この辺りの幼稚園は保育も教育も質が高いことで有名で、娘を通わせたいと思ったからだ。環境も良く、ご近所さんもママ友もいい人ばかりで、私はこの暮らしに大満足していた。
だが、ある人物の登場で状況は一変することになる。
半年前、マンション前の空き地に家が完成し、新しい住人が引っ越してきた。引っ越し作業を何気なく見ていた時、トラックの影から出てきた女性と目が合った。
「初めまして。こちらに引っ越してきた松田レイカと申します。私も5歳の息子がいるので、これからよろしくお願いしますわ。」
「こちらこそよろしくお願いします。私は田中エミです。こちらが娘のみすず、5歳です。」
その時は挨拶だけで別れたが、レイカさんの私を見る目がなんとなく気になっていた。
それから間もなく、近所のママ友からレイカさんの噂を聞いた。
「レイカさんは隣町では悪名高いボスママよ。ママ友を標的にしては意地悪をするらしいから気をつけて。」
そんなボスママがなぜ我が家の前に引っ越してきてしまったんだろう。何事も起きなければいいなと思った。
1週間後、娘のクラスにレイカさんの息子が転園してきた。私は忠告されていたので、レイカさんにはつかず離れず慎重に接していた。なぜレイカさんが私に目をつけたのか、確かな理由は今でも分からない。
レイカさんはママ友同士の交流として、月に1回お茶会を開くようになった。参加しないと嫌みを言われるので、私はできる限り参加していた。
レイカさんの自宅は大きな一軒家で、家具も高級なものばかりだった。
「この家具はね、イタリア製なのよ。世界でも数点しかない貴重なもの。このシャンデリアも特注メイドでとても価値があるわ。」
お茶会はレイカさんの自慢話ばかりで、ママ友たちもうんざりしていた。
そんなお茶会の日、レイカさんが皆の前で私に言った。
「エミさんちはデザイナーズマンションって言うけど、あんなの安アパートみたいなものじゃない?この間お家にお邪魔したら、家の中まで貧乏臭がプンプン漂っていたのよ。」
先日、レイカさんが美味しいケーキを頂いたからと押しかけてきて、私の家でお茶した時のことを言っているんだろう。私を貧乏だとけなして見下すその言葉に驚いたが、私は平静を保って言った。
「私は自分のマンションが気に入っていますし、華やかではありませんが住み心地だって良いんですよ。」
「エミさんって、そんな風に言わなくてもいいのに。質素なのはいいけど、地味すぎるのは子供の教育にも悪いのよ。」
私とレイカさんのやり取りを見ていたママ友たちは、何も言えずに黙って見ていた。
それから私はレイカさんの標的になったようで、会うたびに意地悪なことを言われた。
「エミさん、またそこのスーパーで買い物したの?安いのばっかり買ってちゃダメよ。子供にはいいものを食べさせなきゃ。」
私は余計なお世話だと思いつつ、軽く受け流していた。しかしあまりに見下してくるので、一度だけ理由を聞いてみた。
「さあね。別に理由なんてないけど、なんとなく気に入らないのよね。貧乏人がヘラヘラしているのが。私はお金持ちだから、貧乏と真逆でイライラするのかしら。」
やはり特別な理由はなく、感覚的に私のことが気に入らないらしい。自分の家が裕福だからといって、他人を見下していいわけがない。
ある日、一人のママ友から耳打ちされた。
「レイカさん、あちこちでエミさんのことを聞きまくっているみたいよ。」
それを聞いた時、私はうんざりした。私はこの大好きな環境で平和に過ごしたいだけなのに。
先日もレイカさんは家の前で私を待ち構えると、人を馬鹿にするような笑みを浮かべて近づいてきた。
「あら、エミさん、聞いたわ。息子がみすずちゃんから聞いたらしいけど、外食にはほとんど行かないそうね。貧乏だと子供に美味しいものも食べさせられないのね。」
私たちが外食をしないのは、娘に家で手料理を食べさせたいからだ。必要な時は外食もしている。きっと娘はそのことを話したのだろうが、幼い子には「外食に行かない」ということだけがインプットされたようだ。
こんな風に言われて、私は悔しさを通り越して、いちいち反論するのが面倒臭くなった。レイカさんは私が黙り込んだことを認めたと勝手に判断し、「貧乏は本当に嫌だ」と笑いながら立ち去った。
レイカさんが私への攻撃にある程度満足すると、今度は他のママに矛先を変えた。仲のいいママ友たちが集まった時、みんなの口からレイカさんへの不満が続出した。
「あの金持ち自慢を聞くのはもう耐えられないわ。」
自分が社長の妻だということ。その会社も元々は自分の父親の会社で、夫が社長に収まっているから実質自分が社長だと自慢しているらしい。広い土地に一軒家を建てて暮らしているとか、ブランド物を買ったり高級店に食事に行ったりしていることをこれ見よがしに自慢するのだ。
また、自分と比較して相手を貶め、自分の優位性を確認して笑うんだから質が悪い。
「可哀想って不幸よね。そんな貧乏生活、私なら耐えられない」というのがレイカさんの決まり文句らしい。
こんな調子なので、レイカさんはママ友の間で「関わってはならない危険人物」というレッテルが貼られ、誰からも相手にされなくなった。それでもそれに気づいていないレイカさんは、呼ばれてもいないのに集まっているママ友の間に割って入り、好き放題言っているようだった。
娘の幼稚園は様々な体験をするカリキュラムが組まれている。その体験でピアノに触れた娘は、「ピアノを習いたい」と言い出した。
「ママ、ピアノの練習するから教えて。」
娘は熱心にピアノに取り組み、時間があれば私に教えてほしいとせがむほどだ。私も毎週ピアノ教室に付き添い、娘が見る見るうちにいろんな曲を弾けるようになるのを見るのが嬉しかった。
「みすずちゃん、上達が速いですね。とても素直だし、飲み込みも早くて教えるのも楽しいです。」
それからしばらくして、娘が私に聞いてきた。
「ママ、私ピアノのコンクールに出たい。いい?」
私は驚いたが、娘が目をキラキラさせて言ってきたことに嬉しくなった。
「もちろんよ。」
そしてコンクールの日までレッスン回数を増やして通い、自宅でも娘と一緒にピアノの練習をした。
ある日、久しぶりにレイカさんが近寄ってきた。
「みすずちゃんがコンクールに出るんですって。ピアノなんて夢中にならない方がいいわよ。レッスン代や衣装代とか、なんだかんだでお金がかかるんだから。」
どうやら娘がレイカさんの息子に話したことが、そのままレイカさんに伝わったようだ。
「ほっといてください。」
私はそう言って背を向けた。この時、私は笑い声が漏れそうでこらえるのが大変だった。
月日は流れ、コンクールが終了し、落ち着いた日常が戻ってきた。そう思ったが、卒園前にレイカさんが言い出した。
「息子がコンクールで3位に入賞したのよ。さすが私の自慢の息子。お祝いの食事会を高級寿司店でするから来てちょうだい。」
「もちろん、私のおごりよ。参加します」ではなく「来てちょうだい」という言い方はとても偉そうだ。自分がお金を出すから来いというのだ。当然、レイカさんと関わりたくないママ友たちは、いくら無料とはいえ参加に二の足を踏んだ。
私は仲のいいママ友2人に連絡を取り、参加を提案した。
「私、ちょっと面白い計画があるんだけど。」
不思議に思ったママ友たちだったが、私の計画を聞くと面白そうだと参加を約束してくれた。
食事会当日、満面の笑みで私と他のママ友2人を迎えるレイカさん。
「今日は息子のコンクール3位を祝って集まってくれてありがとう。楽しい会にしましょう。」
レイカさんの上から目線の話し方はスポンサー感丸出しで鼻につくが、私たちは微笑んで拍手した。
食事が運ばれてきて歓談している途中、レイカさんは余計なことを言い出した。
「高級寿司店の素晴らしいお寿司ですわよ。皆さんの稼ぎじゃ滅多に食べられないでしょうから、よく味わって食べてくださいな。」
こんな風に言われたら、せっかくの美味しい料理の味も落ちてしまう。
「それにしても、みすずちゃん、コンクール入賞できなくて残念でしたわね。これでピアノは懲りたでしょうし、やめればお金もかからずに済むから、結果的に良かったんじゃない?」
レイカさんが私に向かってマウントを取ってきた。
この瞬間を、私は待っていたのだ。
「あら、みすずはピアノコンクールの特別賞をいただきました。Cコンクールですけどね。」
その言葉を聞いたレイカさんは、目を見開いて早口で言った。
「何言ってるの?みすずちゃんが出たのはAコンクールでしょう?結果発表ではみすずちゃんの名前は呼ばれなかったわよ。」
「当然です。みすずはAコンクールではなく、Cコンクールに出場したんですから。」
「そんなはずないわ。コンクールの特別賞なんて。」
私は、娘がコンクールに出たいと言ってきた時に、娘に言い聞かせていたのだ。
「レイカさんの息子には、コンクールに出場することは言ってもいいけど、『Aコンクールに出る』と言うようにね。」
レイカさんは息子から娘がコンクールに出ると聞けば、必ず同じコンクールに出場させると予想したからだ。
レイカさんは息子をAコンクールに出場させ、その結果3位に入賞した。それは素直にすごいことだ。だがレイカさんが予想もしなかったのは、CコンクールがAコンクールよりも伝統があり、コンクールとしてのランクも高かったことだろう。
自分の息子が3位に入賞して私の娘が入賞しなかったと優越感に浸っていたレイカさんは、一気に奈落の底に突き落とされた。
般若のような顔になり、口に泡を吹いてまくし立てた。
「ド畜生が!ふざけるな!誰があんたの食事代を支払うもんか!貧乏人にこんな高級店の支払いなんてできるはずがないでしょう!」
話を聞いていた娘が、心配そうに私に言った。
「ママ、大丈夫?あの黒いカード持ってきた?」
「え?持ってきてるわよ。このカードのことね。」
私は財布からブラックカードを取り出して、娘に見せた。
レイカさんは私が持っているブラックカードを見て、口をパクパクさせた。
「ありえない。どうしてあんたがブラックカードを持ってるのよ。私だって持っていないのに。」
ブラックカードはゴールドやプラチナの上に位置するカードで、それを持っていることは高いステータスを持つことの証拠だ。それなりの年収がなければ手にすることはできない。レイカさんは「貧乏人」と思っていた相手がブラックカードを取り出したことに驚きすぎて、それ以上言葉が出てこないようだった。
その時、レイカさんの夫の声が聞こえた。私はその人がレイカさんの夫だと知っていたので、代表して挨拶をした。
「息子のお祝いだからと、レイカさんが私たちにご馳走してくださるとおっしゃって、ありがとうございます。」
「皆に奢るってのは俺の気持ちだが、お前の金銭感覚はどうなってるんだ?浪費ばかりして、お金の価値が全く分かっていない。」
怒り出した夫に言い訳しようとするが、うまく言葉が出ずにレイカさんは後ずさっている。
入店を知らせるチャイムが鳴り、今度は2人の男性がこちらに向かってくる。1人は先に社長を譲って会長になっているレイカさんの父親だ。そして少し後ろにいたのが、私の夫のカズヤだった。
「どうしたのかな?盛り上がっている頃合いだろうと思って来たんだけど。」
私は後でみすずのお祝いをしようと思い、カズヤを呼んでいたのだ。
その時、カズヤに気づいたレイカさんの父親が驚きの声をあげた。
「カズヤさんじゃないですか。どうしてここに?」
実は、カズヤには以前からレイカさんの行動や態度について話をしていた。それでカズヤは、レイカさんの父親が自分の取引先であることに気づいたのだ。
「実は少し前からこの店に入って、様子を見ていたんですよ。」
カズヤはこの店での出来事や、レイカさんが取ってきた行動を彼女の父親に包み隠さず説明した。
父親は驚愕し、顔を真っ赤にして怒り出した。
「レイカ、お前は取引先の社長の奥様に、なんて失礼なことをしていたんだ。」
「え?取引先の社長って…エミさんの旦那さんが嘘でしょ?」
レイカさんの言葉に、父親はさらに顔を赤くして怒った。
「バカ野郎!カズヤさんの会社との取引で、うちの会社は成長できたんだ。お前は遊んでばかりで何も知らない。お前のせいで取引中止になれば、うちは終わりだ。」
父親にも夫にも叱られ、レイカさんは涙目で震えている。
カズヤは昔セミナーに参加していた頃、自身の父親の会社に入り様々な経験を積んでいた。その後、担当する仕事を次々と成功させたカズヤは、父親が定年を迎え引退すると同時に社長に就任したのだ。
最後にもう一つ、私はレイカさんをびっくりさせてあげようと思って言った。
「私は化粧品会社を経営しているの。私の収入については具体的には言わないけど、ブラックカードで大体察してもらえると思うわ。」
お肌に悩んでいる女性や自分に自信が持てないという女性のサポートや応援がしたいと思って、私は専門学校卒業後、化粧品会社を起業した。最初は周囲から無謀だと言われ反対されることの方が多かったが、手厚い援助と協力をしてくれたのはセミナーで一緒に学んだ人たちだ。彼らのおかげで私の事業は徐々に軌道に乗った。各分野で力を発揮していた人たちが私の夢やビジョンに共感し支援してくれて、会社は大きくなった。
私の会社では外見の美しさだけではなく内面の美しさも追求していること、女性が幸せに生きるための様々な発信をしていることが高く評価されている。
「あなたは外見や表面的なものに囚われすぎている。これから何を大切にすることが自分を幸せにできるのか、よく考えなさい。」
私が一喝すると、レイカさんは崩れ落ち、体を床に擦りつけるようにして謝った。
その後、レイカさんは他人を貶めたりしなくなった。夫からは離婚、父親からは絶縁すると宣言され、高飛車な態度はなくなった。自由にお金も使えなくなり、もしお金が要るなら働けと言われたが、傲慢な性格が災いしてか、なかなか就職先は見つからない。レイカさんは家に居づらく、私たち夫婦にも顔を合わせたくないのだろう。地区外れの木造アパートにひっそりと引きこもっているらしい。
この分だとレイカさんの月一のお茶会も開催されないので、私たちの生活に平和が戻りそうだ。
4月にみすずは小学1年生になり、私も新しいママ友ができて楽しく過ごせている。カズヤの仕事も順調で、私の会社も取引先が拡大して波に乗っている。
「ねえママ、私、いっぱい勉強して、ママみたいに立派になって、人を幸せにできるお仕事がしたいな。」
そんな風に言う娘のことが可愛くて仕方がない。人に優しくできて、自分自慢をせず謙虚な人が真の立派な人なんだということを、これからゆっくり娘に教えていきたいと思う。



