夢を諦めたその日の帰り道、俺は電車の中で初めて彼女を見た。
子供向けの舞台の脚本を書くのが俺の夢だった。大学を卒業してからもアルバイトをしながらその夢を追い続けてきたが、28歳の冬、所属していた劇団が解散した。オーナーが資金を持ち逃げし、最後の公演は虚しく終わった。子供たちの笑顔が胸に深く刻まれたまま、俺は新しい生活を始めることになった。
アパレルメーカーへの就職が決まった翌日、その帰りの電車の中で突然の揺れが起きた。前に立っていた女性が抱えていた絵本とお菓子を床に散らばらせた。俺は何も考えずに彼女の荷物を拾い集めるのを手伝った。
ふと目に留まったのは、彼女が持っていた絵本だった。それは俺が関わった舞台の原案になった童話だった。
「あの、それって……」
「娘と一緒に見に行った舞台の原作なんです。娘があまりにもはまってしまって、本まで買っちゃって」
「俺もその本持ってます。いいですよね」
落ちたものを拾いながら、そんな会話を交わした。自分の手がけた本を持っている人がいることに内心感動したが、名乗ることはしなかった。
「拾ってくださりありがとうございました」
彼女が顔を上げた瞬間、俺は初めてその顔を正面から見た。思わず息を飲むほど美しい女性だった。しかしそれ以上に目を引いたのは、その表情だった。目は少し腫れ、頬には涙の跡が残っていた。まるで何か深刻な出来事に打ちのめされたかのようだった。
「もしよければ座ってください。僕、次で降りますから」
体調が悪そうに見えた彼女を気遣ってのことだった。彼女は少し驚いたように顔を上げ、もう一度感謝の言葉を口にし、席に腰を下ろした。俺は彼女が気を使わないように静かに別の車両へ移動した。
その出来事は俺にとってはごく普通の小さな親切のつもりだった。
しかし翌日、俺は新しい職場で思いがけない再会を果たすことになる。
子供向けのアパレルを手掛ける小さなメーカーに就職した俺を、面接時に対応してくれた田中さんという物腰の柔らかい男性がオフィスへ案内してくれた。
「うちの社長は子供たちに対する愛情が深いから、時々それが過剰なくらいになってしまうこともあるんです。小さな会社ですから、その点は正直大変ですけど、そこがこの会社の魅力でもあるんですよ」
「ところで社長さんは今日はお見えになっているんですか?」
「ええ、朝一で会議があったようで、その後で佐藤さんに挨拶に来るとおっしゃっていました。ただ、まだいらしていないようですけどね」
しばらくすると、オフィスの入り口から明るく透き通った女性の声が響いた。
「おはようございます」
社員たちが一斉にその女性に挨拶を返す。その瞬間、俺は彼女に対してどこかで見たことがあるような既視感を覚えたが、すぐには思い出せなかった。
彼女がまっすぐ俺の方に歩み寄ってきた。
「面接の時は席を外していて失礼しました。佐藤さんですね。初めまして」
彼女が丁寧に頭を下げた。その瞬間、俺は驚きと共に彼女の顔を見直した。電車で席を譲った女性。それがまさに目の前の彼女、井上小春社長だったのだ。疲れ果てた姿とはまるで別人に見えたため最初は気づかなかったが、彼女が同一人物であることを確信した。
しかし彼女は俺に「初めまして」と言った。どうやらあの時のことは彼女の記憶に残っていないようだった。今さら「実はあの時の……」と話を持ち出すのもおかしな話だ。俺はそのまま黙っていることに決め、穏やかな微笑みで彼女の手を握り返した。
「今日はこれで失礼しますね」
小春社長は軽やかにヒールを鳴らしながらオフィスを後にした。
「小春社長、魅力的な方でしょう。あんなに美しい方だと最初はちょっと近寄りがたいと思うかもしれませんが、実際はとても優しくて気さくな方なんです。社員との距離も近くて、みんな自然と彼女を名前で呼ぶんですよ」
「確かに、社長を下の名前で呼ぶなんてちょっと珍しいですね」
家庭を持ちながら会社を率いている彼女は、ただの社長ではなく人としての温かみを感じさせる存在だった。もしも彼女が家庭を持っていなかったなら、俺はその魅力にすっかり引かれていたに違いない。だが現実には彼女には娘がいて、彼女の人生はすでに決まっている。俺はその思いをそっと胸の奥にしまい込んだ。
その週の金曜日、俺の歓迎会が開かれることになった。参加してくれた社員たち一人ひとりに軽く挨拶を済ませた後、ふと後ろから声をかけられた。
「佐藤さん、隣に座ってもいいかしら? 入社してからもう5日目ね。どう?」
声の主は小春社長だった。
「皆さんがとても丁寧に仕事を教えてくださって、本当に助かっています。先日企画会議を見学させていただいたんですが、子供たちのことを第一に考えている姿勢が伝わってきて感動しました」
「そう言ってもらえたなら嬉しいわ。うちの社員はみんな子供たちのために真剣に取り組んでいるの。それがこの会社の誇りでもあるのよ」
本当に楽しそうに会社のことを話す小春社長のことを、図々しくも可愛いとさえ思い始めていた。そして俺も徐々に小春社長に心を開き始めた。
「実は以前は子供向けの舞台の脚本を書いていたんです。またこうして子供たちのために仕事ができるのは、どこか自分の人生が続いているような気がして嬉しいです」
「履歴書を拝見して知っているわ。実は佐藤さんが関わっていた劇団の舞台を見に行ったことがあるのよ。すごく心に残ったのを覚えているわ」
彼女の方からその話題を持ち出してくれたのを機に、俺は意を決してあの時のことを尋ねることにした。
「実は俺も井上社長が舞台を見に来てくれていたことを知っているんです」
「え、本当に? どうしてそれを知っているの?」
「あの舞台が終わった後、俺と井上社長は電車の中でお会いしているんです。あの時席をお譲りしたことを覚えていらっしゃいませんか? 確か娘さんと一緒に見に来てくれたっておっしゃっていましたよね」
小春社長はしばらく瞬きを繰り返した後、少し恥ずかしそうに笑った。
「あはあ、あの時のことね。佐藤さんだったのね。あの時は本当に助かったわ。実はちょっと疲れていて」
「やっぱりそうだったんですね。そんな大したことはしてないですよ。でも、もし俺にできることがあれば何でもお手伝いします。社長業と家庭の両立なんて、きっと大変でしょうから」
「え、家庭?」
小春社長は不思議そうな表情を浮かべた。
「あの日は姉の子供と一緒に見に行ったのよ。だから娘って言ったのはその子のこと。実は私、独身なのよ。家庭と仕事を両立させるなんて、私にはまだ無理な話ね」
俺は驚きを隠せず困惑したように首をかしげた。確か電車の中で「娘」と言っていた気がしたのだが。
「てっきり結婚されていてお子さんがいるものだと……」
「そんな風に見えたかしら。でも正直に言うと、あの時は本当に疲れていたのよ。お母さんに見えたとしても仕方ないわね」
小春社長は冗談混じりにそう言って笑った。
「すみません。そういうつもりではなかったんですが」
「いいのよ、気にしないで。でも本当にあの時はありがとう。そんな親切な佐藤さんには……」
小春社長は言いながら、机の上にあった唐揚げを手に取り、俺の口元にそっと近づけてきた。
「ご褒美をあげるわ。さあ、あーん」
彼女の突然の行動に心臓が高鳴り、俺は言われるがままに口を開けた。彼女はにやりと微笑んで、その唐揚げを俺の口に優しく押し込んだ。
「え、子供扱いですか?」
俺と彼女の年齢差はそれほどでもないはずだが、彼女の手際の良さに妙に照れてしまった。
「佐藤さん、あの時のことは他の社員には内緒にしておいてね。社長が疲れてる姿なんて見せられたものじゃないから」
「もちろん言いふらしたりしませんよ」
「ありがとう。二人だけの秘密って……なんだかいいものね」
彼女は冗談めかしてそう言ったが、その言葉に俺の心臓はまたしてもどきりとした。「二人だけの秘密」という言葉が頭の中で何度も響いてしまう。
俺が彼女に心引かれるようになったのは、おそらくこの瞬間だったのだろう。彼女が独身であることを知った今、どんな未来だってあり得るかもしれないと淡い期待が胸に広がったからだ。
俺はその日から、少しでも小春社長の力になれるよう仕事に励むことを心に決めた。幸運なことに、俺が担当することになった企画チームは小春社長が最も関わる部署の一つであり、彼女との接点も増えた。
「佐藤さん、このデザインのサイズ展開について確認したいんだけど」
「それについてはすでに工場に問い合わせておきました。修正する場合、来週までに決定して欲しいとのことです」
「そう、ありがとう。本当に助かるわ。佐藤さんがチームに加わってから、リリースのスピードが上がった気がするわね」
「お役に立ててるなら良かったです」
彼女が俺を信頼し、頼ってくれるたびに、俺の心は少しずつ彼女への思いを深めていった。
「あ、もうこんな時間。みんな帰っちゃってるわね」
「俺も今から家でご飯を作るのは面倒だし。よかったら一緒にご飯でも行きませんか?」
「それ賛成。もうお腹ペコペコよ」
最近ではこうして、何かと理由をつけて一緒に食事に行くのが二人の小さな習慣になりつつあった。
「佐藤さん、本当に頼りにしてるわ。正直、社会人経験が浅いなんて信じられないくらいよ」
「バイトをいくつも掛け持ちしていたので、それなりに鍛えられましたよ。それに俺が今やっている仕事は、締め切りが命という点では脚本の仕事と似ている部分があるんです」
「なるほどね。佐藤さんって本当にすごいわね。仕事だけじゃなく、しっかり現場でも力を発揮してくれて。この会社にはあなたみたいな人材が必要だったのよ」
「いやいや、みんなのおかげですよ。もちろん小春社長のリーダーシップがあってこそです」
俺の話を聞きながら、笑顔で唐揚げをつまむ彼女の姿は何とも可愛らしく、彼女が本当に社長なのかと思うほどだった。
「ところで、さっき帰ってご飯を作るのが面倒って言ってたけど、佐藤さんって一人暮らし?」
「はい、一人暮らしです。実家は出なきゃいけなかったし、彼女もいないので」
「そうなのね。ちょっと意外だわ。佐藤さんってもっとモテそうなのに」
「全然モテませんよ。定職にもついていなかったし、貯金もほとんどないし」
「そうね。確かに経済面を重視する女性も多いかもしれないわ。でも佐藤さんは頼りがいがあるし、一緒にいて楽しいわ」
「じゃあ小春社長が俺の彼女になってくれませんか?」
ふと冗談のつもりで言ったはずだったが、言葉を口にした瞬間、緊張がじわじわと込み上げてきた。顔が熱くなり、ちらりと彼女の顔色を伺うと、小春社長は一瞬驚いたようだったが、すぐに表情が少しだけ赤くなった。
それを見て俺の胸は期待で高鳴った。
しかし、彼女の返事は予想とは違っていた。
「私ね、そういうのは無理だと思うの。仕事が私の全てみたいなところがあって、プライベートを充実させる余裕なんてないのよ。だから恋愛なんて考えたこともないし、私みたいな彼女じゃ、きっと嫌になると思うわ」
その時、俺は初めて彼女が自分との間に明確な境界線を引いたことを感じた。
「そんなことないです。俺、小春社長の力になれるなら、それだけで満足です」
「もう佐藤さんは十分すぎるほど仕事でサポートしてくれているわ。感謝してるのよ、本当に」
その一言が俺にとっては決定的なものだった。これ以上何かを言うべきかどうか迷ったが、彼女の態度を見て、それ以上踏み込むべきではないと悟った。俺は心の中で大きなため息をつき、彼女のことは一社員として支えていくしかないのだと自分に言い聞かせた。膨らみかけた恋心は、まだ小さな芽のまま、ゆっくりと心の奥にしまい込まれることになった。
それからしばらくして、ある日の夜。残業を終えて会社を出た時のことだった。
ふとビルの前のベンチに、小さな女の子が一人で座っているのが目に入った。見たところ年齢は小学生か幼稚園児くらい。時間はすでに夜の8時を過ぎており、辺りはすっかり暗くなっている。
俺は胸騒ぎを覚え、急いで女の子にかけ寄った。
「お嬢ちゃん、どうしたの? ここで一人で何してるの? もしかして迷子になっちゃったのかな?」
女の子は大きな目で俺を見上げ、小さく首を横に振った。
「まひろね、ママに会いに来たの」
「まひろちゃん。ママの名前わかる?」
「うん。井上小春」
彼女の言葉に、俺の心臓が一瞬止まりそうになった。それはまさに俺の上司である小春社長の名前だ。しかし彼女は確か独身だと言っていたはず。この子は一体……
「ママのお家に行ったけど、なかったから会社に来たの。お兄ちゃん、ママの会社の人?」
「うん、ママの会社の人だよ。でもね、ママはもう家に帰ってるかもしれないから、一緒にお家に行こうか」
まひろちゃんは少し不安げに俺を見上げたが、やがて小さく頷いた。俺は動揺を抑えつつ、彼女の小さな手を優しく握り、駅へ向かって歩き始めた。以前、小春社長が住んでいる辺りのことをなんとなく耳にしたことがあった。最寄り駅まで行って社長に会わなかったら、仕事の時間外だけど社長に直接電話をしてみようと思っていた。
そうして女の子と話しながら歩いているうちに、最寄り駅に到着した。改札を出ると、少し離れた場所に小春社長の姿が見えた。
「ママ!」
まひろちゃんは俺の手を離して駆け出し、小春社長の腕の中に飛び込んだ。彼女が俺に気づいた時、その表情は驚きと困惑が入り混じったものに変わった。
「え、佐藤さん、どうしてここに?」
「えっと、会社を出た時、まひろちゃんが一人でビルの前に座っていたんです。それでママの名前を聞いたら、小春社長の名前だったんです」
「そうだったのね。本当にありがとう、佐藤さん」
小春社長は感謝の言葉と共に、まひろちゃんをもう一度ギュッと抱きしめた。
「まひろ、パパから電話があったわ。どうして何も言わずに家を出たの?」
「パパと喧嘩しちゃったの。今日ね、学校に体操服を持っていくの忘れちゃったからパパに怒られたの。新しいママも、全然優しくしてくれないし」
「そうだったのね。でも黙って家を出たら、パパも心配するわよ。今度からはちゃんと話してから出てくるのよ」
小春社長は優しくまひろちゃんを諭したが、まひろちゃんは首を強く振った。
「やだ。今日はママと一緒にいたい」
「分かったわ。今日は一緒にいましょう。まずはお家に帰りましょうね。佐藤さん、家まで一緒に来てくれるかしら?」
俺は夜に予定もないし、彼女の頼みを断る理由もない。二人の後を追うかのように、俺も一緒に小春社長の家へと向かった。
家に着くと、小春社長はまひろちゃんを先に家の中に導き入れ、リビングで俺に再度感謝の言葉を伝えた。
「ありがとう、佐藤さん」
感謝の言葉は嬉しかった。だが俺の心の中には、未だに解消されない疑問が残っていた。小春社長は独身だと言っていたが、まひろちゃんは彼女をママと呼んでいる。家に帰る途中、そのことが頭から離れなかった。
小春社長がまひろちゃんを浴室に向かわせた後、リビングに戻ってきた彼女は少し疲れた表情を浮かべていたが、俺に向かって微笑みかけた。そして、ぽつりと話し始めた。
「佐藤さん、今日は色々見られちゃったわね。ごめんなさい。ずっと嘘をついてたの」
「どうして嘘を?」
彼女は一瞬視線をそらし、言葉を選ぶようにしてから話し始めた。
「四年前、私が病気を患っていたの。病気のせいで元夫と離婚することになった。まひろの親権は、元夫に渡すしかなかったの。もう病気は完治してるんだけどね。でも親権はそのまま。元夫は再婚して、新しい奥さんがいる。でもまひろは新しい家庭に馴染めなくて……」
彼女の声は次第に震えていき、俺は彼女の苦しみがどれだけ深いものかを感じ取った。そんなこと、全く知らなかった。
彼女は自嘲気味に笑いながら続けた。
「重い話よね。聞いてもどうしようもないことだわ。仕事のパートナーとしては、こんな話は迷惑だってわかってる。でも今日のことがあったから、もう隠せないと思ったの」
俺は彼女の言葉に答えようとしたが、何も言えないまま彼女を見つめ続けた。その時、俺の脳裏に電車の中で涙を浮かべていた彼女の姿がフラッシュバックした。あの時の涙は、まひろちゃんとの別れを思ってのものだったのだろうか。
「もしかして、電車の時……」
「やっぱりあの時のことも気づいていたのね。まひろと離れるのはいつも辛いの。月に一度しか会えないし、仕事が忙しすぎて。あの日は特に午前中に大事な相談があって、まひろとの時間が限られていたの。でもそれでもまひろは私と一緒にいたいって言ってくれた。だから悲しくて、申し訳なくて、どうしようもなかったの」
俺は彼女の告白に深く胸を打たれた。そして言葉につまりながらも、勇気を振り絞って声を絞り出した。
「小春さん。そんなことないです。そんな小春さんも素敵というか……俺、小春さんのことが好きです。前みたいな冗談ではありません。どんな過去があっても、俺の気持ちは変わりません」
彼女は驚いたように俺を見つめ、その瞳が潤んでいくのが分かった。
「小春さんが忙しくてまひろちゃんと一緒にいる時間が作れないなら、俺が力になります。俺は小春さんの支えになりたい」
彼女はついに涙をこぼし、顔を伏せた。その肩が小さく震えているのを見て、俺は自然とその肩を抱きしめた。
「小春さんさえよければ、俺と付き合ってください。まひろちゃんが困っている時も、今日みたいに俺がいつでも助けます」
その瞬間、浴室から上がってきたまひろちゃんが現れた。彼女は俺と小春さんが寄り添う姿を見て、目を輝かせながら駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、ママの王子様なの?」
その無邪気な問いに、俺は一瞬言葉を失った。どう答えばいいのか分からずにいると、小春さんが優しく笑いながら言った。
「そうよ。今、王子様になってくれたの」
「え、それって?」
「はい。これからよろしくお願いします」
小春さんが静かに頷いたその瞬間、俺は胸が熱くなるのを感じた。
「まひろね、お兄ちゃんが劇で見た王子様みたいだと思ったの。優しい王子様。あのお姉ちゃんみたいだったんだもん」
「劇って……もしかしてあの時の、俺が書いたやつ?」
「ええ、まひろが見たのは、あなたが書いた舞台の王子様。あの時、あの脚本に込めた自身の思いが、きっとまひろにも伝わったのね」
俺たちは顔を見合わせ、そして一緒に笑い出した。それはこれから始まる幸せな未来への約束の笑いだった。
その後、小春さんと俺は正式に交際を始めた。隠すことがなくなった俺たちの関係は順調そのものだった。小春さんは時折り甘えてくるようになった。
「翔太君、疲れたからマッサージして。私もしてあげるから」
そんな彼女を見ると、俺の心は幸せで満たされた。彼女のために一生懸命仕事に励み、まひろちゃんと過ごせる時間を少しでも多く作るように努力した。そのうち、まひろちゃんと会う頻度は月に2回、そして週に1回と増えていった。
そして小春さんは元夫との話し合いの末、まひろちゃんの親権を取り戻すことができた。まひろちゃんが小学校2年生になるタイミングで、彼女は小春さんと一緒に暮らすことになった。
そのタイミングで、俺は一つの大きな決断を下した。
「小春さん、結婚してください。どんな時でも、あなたとまひろちゃんを支えていきたいんです」
このプロポーズに対して、彼女は涙を浮かべながら答えてくれた。
「はい。もちろんです」
こうして俺は小春さんとまひろちゃんと正式に家族になった。まひろちゃんは俺が手掛けた劇がよほど気に入ったのか、子供役が集まる劇団に入団し、俺もその劇団で休日に少し手伝うことになった。多忙ではあるが、家族と過ごす時間は何者にも変えがたい。
もちろん俺は小春さんの会社で社員としての仕事をしっかりとこなしながら、夫としても彼女を全力で支え続けている。
これが俺たちの物語の始まりであり、幸せな日々のスタートだ。



