支店のロビーで順番を待っていた時、まさか高校の同級生にこんな言葉を投げかけられるなんて思わなかった。地元の信用金庫でのんびり待つ俺の前に現れた男は、俺の会社名を見て鼻で笑った。「志村テック?潰れた通販会社かと思ったわ。お前みたいな底辺企業がここに用事あるの?」周囲の視線が一気に俺に集まった。でも彼は、自分の隣に立っている男が年商100億円の会社の社長だなんて、微塵も気づいていなかった。俺は何…

支店のロビーで順番を待っていた時、まさか高校の同級生にこんな言葉を投げかけられるなんて思わなかった。地元の信用金庫でのんびり待つ俺の前に現れた男は、俺の会社名を見て鼻で笑った。「志村テック?潰れた通販会社かと思ったわ。お前みたいな底辺企業がここに用事あるの?」周囲の視線が一気に俺に集まった。でも彼は、自分の隣に立っている男が年商100億円の会社の社長だなんて、微塵も気づいていなかった。俺は何...

地方の信用金庫のロビーで、俺は順番を待っていた。いつもなら大雪室に通されるはずなのに、今日は事前連絡のミスで一般窓口だ。地元の経済を支える身として、この金庫との付き合いは創業当初からのもの。預金も事業資金も全部ここに任せてきた。

気にせず待っていると、見覚えのある男が俺の前に立った。高校の同級生、滝口だ。彼は俺の持っている受付表をチラリと見て、鼻で笑った。

「志村テック?潰れた通販会社かと思ったわ。お前みたいな底辺企業が、ここに用事があんのか?」

その瞬間、周囲の空気が凍りついた。

俺の名前は志村啓介。地元の公立高校を卒業後、進学せずに就職の道を選んだ。職業訓練で機械設計と電気制御を徹底的に学び、父が経営する小さな町工場で腕を磨いた。だが、下請けの立場では設備投資もままならず、将来が見えなかった。

そんな中、展示会で出会ったスマートファクトリーの技術に衝撃を受けた。工場のIOT化、自動制御、センサーによるデータ収集。必死に独学し、夜中まで勉強して、安物のセンサーでプロトタイプを作り続けた。そして25歳で独立し、「志村テック」を創業。最初は狭い倉庫と補助金だけが頼りだった。初の納品で不具合が起きた時は胃に穴が空きそうだったが、現場に通い詰めて改良を重ね、少しずつ信用を築いた。

今ではIoTを活用したスマートインフラや遠隔監視技術で全国的に評価される中堅企業に成長し、年商は100億円を突破している。東京や大阪の大企業から資本提携の話も来たが、全て断った。地元の人間と一緒に、地元の未来を作りたい。それが俺の信念だ。この金庫との付き合いも、弱かった頃から変わらない。今や預金残高は20億円を超え、普段は大雪室に通されるが、俺は一般客と同じようにロビーで待つことをむしろ自然だと思っていた。

その俺を、滝口は見下した。

「志村かよ。高校以来だな。お前、まだ地元にくすぶってたのか。変わんねえな」

彼は私立大学を出て金融業界でキャリアを積み、本店に配属されたと自慢げに語る。そして、俺の会社名を受付のパソコンで検索し始めた。

「見ろよ。これ、やっぱり潰れかけの通販会社じゃねえか。廃業って記事もあるぞ。うわ、きつ」

検索結果に表示されたのは、俺の会社とは無関係の別の通販会社の情報だった。だが滝口はそれに気づかず、自分の思い込みに完全に満足していた。

「おい、こんなの王設なんて使わなくていいって。ロビーで十分だろ。時間の無駄だし、本店は忙しいんだよ。高卒の社長だろ?どうせ節税目的の自営業で、経費でプリウスでも買って経営者気取りしてんじゃねえの」

彼は楽しそうだった。地元の同級生が自分より下であるという構図が、彼にとって都合のいい現実だったのだろう。俺は何も言わず、静かに内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を滝口に差し出した。

「なんだよ」

彼は何の気なしに名刺を見て、固まった。そこにはこう記されていた。

株式会社志村テック
代表取締役 志村啓介

「志村……志村啓介?あの志村が……まさか」

彼の顔から血の気が引いていく。余裕ぶった態度はどこにもない。

「うちはIoTを活用した地域インフラとスマート工場の自社開発を行う企業です。検索されたあの会社とは全くの無関係ですよ」

「ま、待ってくれ。すまん。手違いだったんだよ。冗談のつもりだったんだ!」

「気にしていません。ただ、貴行との取引関係を今後どうするかは、少し見直す必要があるかもしれませんね」

その一言に、ロビーの空気がさらに凍りついた。そこへ若手の行員が慌てて駆け寄り、営業部の飯村を呼びに行く。間もなく現れた飯村は俺の姿を見て目を見開いた。

「志村社長……なぜロビーに?」

事情を聞いた飯村は深く頭を下げた。

「誠に申し訳ございません。本来であれば大雪室でお迎えすべきところを」

「いえ、こちらも名乗らずに待っていたので、連絡の行き違いだったのでしょう。責任は私にもありますよ」

そう返すと、飯村はますます背筋を伸ばし、すぐに大雪室を用意すると言った。ロビーに残された滝口は真っ赤な顔で言い訳を繰り返す。

「いや、さっきのは……昔のノリっていうかさ。悪気があったわけじゃなくて、冗談で……」

だが、もはや誰の耳にも届いていなかった。

その場を後にしようとした時、背後から必死な声が追いかけてきた。

「なあ、志村!いや、志村社長!さっきのは本当に冗談だったんだよ!悪気なんて全くなかったんだ!」

傲慢さは消え、焦りと恐怖が滲んでいた。俺は立ち止まらず、静かに一言だけ返した。

「あの頃のままだな」

「お願いだよ!首になったら困るんだ!家のローンもあるし、子供もいるし!本当に勘弁してくれ!」

「滝口、もうやめろ」

俺の声は低く静かだったが、彼の言い訳よりはるかに重く響いた。行員たちは無言で視線を伏せ、皆その場から距離を取っていた。誰も彼を助けない。

俺は飯村に案内され、大雪室へと向かった。そこには、普段滅多に現場に顔を出さない金庫の頭取、田所が待っていた。

「志村社長、ようこそお越しくださいました。この度は誠に申し訳ございませんでした。社員の不始末でご不快な思いをさせたこと、深くお詫び申し上げます」

「謝罪の言葉は必要ありません。私も名乗らずにロビーで待っていたのですから」

そう言うと、田所はさらに深く頭を下げた。

「それでも、こちらが不手際を起こしたことに変わりはございません」

「貴行との取引そのものは、私は見直すつもりはありません。長年の信頼もありますし、現場の方々の対応にはいつも助けられています。ただ——」

俺は一拍置いて、続けた。

「滝口さんのような社員がいる限り、会社の資産を預けることに対しては、不安を感じざるを得ません」

感情は込めていなかった。ただ事実として必要な指摘をしただけだ。

田所は短い沈黙の後、落ち着いた声で言った。

「当然です。信頼を損なうような職員を組織に置いておくわけにはいきません。滝口は本日付けで懲戒解雇といたします」

即断だった。部屋の外では、控室に通されていた滝口が呼び出され、廊下で叫ぶ声が漏れ聞こえてくる。

「そんな……たった一言で首かよ!ふざけんな!」

だが、大雪室の空気は全く揺らがなかった。俺は静かに席を立ち、無言でドアへと歩き、開けた。滝口の前に立つ。

「一言で失う信頼もある。自分の発言が相手にどう届くかを考えることだ」

滝口の口が開いたまま固まった。

「家族もいるんだ!住宅ローンもあるし、子供もまだ小さいんだよ!お願いだから、もう一度だけでいいから!」

「だからこそ、誰に対しても敬意を払うべきだった」

一切の嘲笑もない。ただ真っ直ぐに相手を見据えた言葉だった。滝口は一呼吸分黙った後、かれた声で吐き出した。

「俺がどこまで行ったか……もう覚えてないけどさ。そんな大したことだったか?」

それが、彼がどれほど軽い世界で生きてきたかを証明していた。

飯村が一歩前に出た。

「滝口、お前は『冗談』という言葉で他人を傷つけてきた。それを『悪気がない』で済ませてきた。だが今日は、相手が悪かったんだ」

「違う!俺は悪くない!志村が黙ってたから気づかなかっただけでしょ!」

声を荒げて振り返った先に、何人かの行員がいた。しかし、誰一人として彼の目を見ようとしなかった。その沈黙が、何よりも重い答えだった。

飯村は深く頭を下げた。

「志村社長、今回の件、私の監督責任も重く受け止めております。心よりお詫び申し上げます」

俺は静かに頷き、立ち上がった。

「私は仕事に戻ります」

その一言を最後に、俺は大雪室を後にした。ドアが静かに閉まった時、背中越しに、崩れ落ちるような唸り声が聞こえた。硬い床に膝をつき、彼は誰にも見られないように震えていた。彼が見下してきた「底辺」に、自分自身が最も近づいていた。

滝口はその日付で正式に懲戒解雇となった。形式上は本人の申し出による退職と処理されたが、業界内ではすぐに事情が知れ渡った。大口顧客にブレを働いた男—それだけで、地方の金融業界では致死的だった。他の信用金庫や地銀への転職も断られ、履歴書を出しても連絡は二度と来ない。彼が最も嫌っていた地元の零細企業にすら、履歴の段階で門前払いを食らうようになった。職を失い、世間の目から逃れるように町を彷徨う姿が、地元の喫茶店やハローワークで度々目撃されるようになった。ある日、地元紙に小さな記事が載った。「信金営業部係長が退職」。それだけが、滝口の最後の公的な存在証明だった。

一方、俺はと言うと、何事もなかったように自社の会議室に戻り、次の週には新しい設備導入の打ち合わせに動いていた。飯村からは正式な謝罪状と共に、今後の体制強化に関する報告書が届いた。俺は淡々と一言だけ書き添えて返した。

「信頼は、行動で示してもらえば十分です」

俺にとって、今回の一件は偶然の事故ではなかった。どんな相手であっても、どんな場面であっても、言葉と態度の責任は自分に帰ってくる。それを、滝口という男が身を持って証明しただけのことだ。俺は今日も社員たちと共に現場に立ち、新しい未来を組み立てている。言葉ではなく、手と信頼で築く未来のために。

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