義弟嫁がキッチンに現れたのは、私が娘のカレーを皿に盛り終えたちょうどその時だった。
「ちょっと、これ、もらってくわね。」
断りの一言もない。私が作ったばかりのカレーを、義弟嫁は当然のように自分の皿に盛っていった。呆気に取られていると、今度は冷たい視線を向けてきた。
「で、私たち夫婦の分のおかずはどこにあるの?」
「え…、そんなこと聞いてないですし、用意してないですけど。」
戸惑いながら答えると、義弟嫁は信じられないという顔をした。
「使えない嫁ね。招待したんだから、全部用意するのが当然でしょ。そんなこともわかんないの?」
「でも招待したのはお母さんですよね。私たちは来ることをさっき知ったばかりですし。」
私がそう言い返すと、義弟嫁はさらに言葉を鋭くした。
「ああ、こういう人はね、同居してるくせに気が利かないのよ。同居してるくせに。」
同居してるくせに――その言葉に、私は頭に血が上った。この2年間、私たち夫婦がどれだけのことをしてきたと思っているのか。食費も生活費も、お母さんの小遣いまでも、全部私たちが負担してきたのに。家賃を取らないと言われても、それでは申し訳ないと私たち家族が全てを支払ってきたのに。
私たちが義実家での同居を始めたのは、去年、お父さんが突然倒れてこの世を去ったことがきっかけだった。健康そのものだったお父さんは生命保険に入っておらず、保険金は一切出なかった。お母さんも仕事をしていたが、お父さんの死後、足を悪くして仕事を辞めざるを得なくなった。手術をして少しは良くなったものの、完全に回復するまでは時間がかかると言われた。
そこで、長男である夫が、足が治るまでの期間限定で同居しようと決めたのだ。学校も変えたくないし、実家からも近かったので、通うことも考えたが、介助が必要な日もあるかもしれないということで、同居を選んだ。
お父さんは借金こそなかったが、財産もほとんど残っていなかった。残ったのは私たちが今住んでいるこの家だけだが、ローンがあと数年残っている。葬儀費用もお母さん一人では払えず、私たち夫婦が全額負担した。夫婦で家を買うためにコツコツ貯めていたお金を、全て注ぎ込んだ。
もちろん、その話は義弟夫婦にもした。しかし義弟嫁は「そんなお金はない」と激怒し、義弟夫婦は一切負担しなかった。悪びれた様子もまるでなかった。
それでも夫は「自分が長男だから仕方ない」と言い聞かせて頑張ってきた。それが、今、義弟嫁に「同居してるくせに」と言われたのだ。
頭に来た私は、その場でお母さんに聞いた。
「ちょっとお母さん、私たちのこと『同居してるくせに』って言ってるんですけど。」
すると義弟嫁が、なぜか喧嘩腰で言ってきた。
「だってそうじゃない。生活費だって入れてないんでしょ。」
「は? 入れてないわけないでしょ。」
「平気でよく嘘つけるわね。光熱費も生活費も、お母さんが全部支払ってるって聞いたわよ。同居してるくせにお金も払わなくて困ってるって、お母さんがよく言ってるもの。夜ご飯も自分の分は自分で用意してるって。本当にひどい嫁ね。ねえ、お母さん。」
私はありもしないことを言われて、言葉を失った。お母さんを見ると、お母さんは苦笑いをしているだけだ。私は確信した。お母さんは義弟夫婦に、私たちから一切援助を受けていないと嘘をついている。
この家で、私たちは家賃を払っていない。それは事実だ。だが、その代わりに食費、光熱費、生活必需品、お母さんの小遣いに至るまで、全てを私たち夫婦が負担してきた。毎月、お母さんに生活費を渡すたび、お母さんは「ありがとう、ありがとう」と何度も言ってくれていた。なのに、今になってその事実をなかったことにしようとしているのか。
話し合いに来るはずだった夫は、あいにく仕事で不在だった。娘が「お腹すいた」と騒ぎ始めたので、ひとまず食事を始めることにした。義弟夫婦は、義母がとった高級寿司の出前を食べている。もちろん、その支払いをしたのは私たち夫婦の金だ。
義弟嫁は寿司を食べながらも、ずっとぐちぐちと言い続けた。
「同居してるくせに、毎日食べていいご身分ね。お母さんもそう思いませんか?」
お母さんは何も言わない。私も夫も、今日まで散々我慢してきた。それなのに、この仕打ちは何だ。私はついに、堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしなさいよ。私たち家族が一切援助してないですって? この寿司、誰が払ってると思ってるの? 旦那が頑張って働いたお金よ。今まで毎週末、あなたたちは旦那が働いたお金でご飯食べてたのよ? それを知らないで好き放題言うなら、今後はあなたたち夫婦でお母さんの面倒を見てちょうだい。」
そう言い放って、私は娘の手を引き、そのまま実家へ帰った。両親は私の話を聞くと、「ありえない」と大激怒し、「しばらくここに住めばいい」と部屋を用意してくれた。
夫には電話で一部始終を報告した。夫も電話越しに大激怒し、「そんな家、今すぐ出よう。仕事が終わったら荷物を全部運び出すから」と言ってくれた。空いた時間に、すぐに必要な荷物だけ持って、夫は私の実家へ来てくれた。
その夜、夫が義実家に残りの荷物を取りに行ったとき、義弟夫婦はもう帰ったあとだった。お母さんはいつもと変わらない様子で、夫に言った。
「美雪さんが勝手に勘違いしてるみたいなのよね。あなたたちにはたくさん援助してもらってるのにね。私から話しておくから、大丈夫よ。」
ヘラヘラとした様子に、夫は嫌な予感がした。
「いや、いいよ。俺が直接、弟と話をする。誤解があるならちゃんと解かないといけないし、今後のことにも関わるから。」
そう言うと、お母さんはたじたじになった。その様子を見て、夫もようやく全てを悟ったという。
「お前は、俺たちから援助されてることを弟たちに言ってなかったんだな。」
それだけ言って、夫は黙って席を立ち、荷造りを始めた。するとお母さんは突然泣き出した。
「ごめんなさい。つい強がっちゃっただけなの。お願い、一人にしないで。お願いよ。」
「強がる意味が分からない。俺は今までお前に何をしてきたと思ってるんだ? 援助だって、生活費だって、全部俺たちが払ってきたんだぞ。なのに、それをなかったことにして、弟嫁に俺たちの悪口を吹き込んでたのか?」
「ち、違うの。あなたは一流企業に勤めてるからいいでしょ。お金だって余るほどあるんじゃないの?」
「違う。俺は昔からお金に余裕なんてなかった。家を買うために貯めてた金だって、親父の葬式で全部消えたんだぞ。なのに、弟たちには援助されてないって嘘をついて、俺たちの悪者にしたのか。」
「だって…。あなたが笑うと、本当にお父さんにそっくりで…。その顔が見たくて、つい…。」
「親父の身代わりか。それで金をむしり取ろうってか。ふざけんな。俺には大切な妻と子供がいるんだ。もう我慢の限界だ。」
夫が怒鳴ると、お母さんはその場に泣き崩れてしまった。
「お前たち仲良くやってるけど、俺たちはもう知らない。好きなようにしたらいい。これからは弟たちにでも援助してもらえ。この家に残ってる荷物は、また日を改めて取りに来る。」
そう言い残して、夫は義実家を出た。両親は「報われないね」と労ってくれ、私たち夫婦も、実家に住まわせてもらうことにした。
その後、夫が義弟と話をつけた。義弟夫婦も、本当に何も知らされていなかったことが分かった。お母さんは義弟夫婦に「退職金をたくさんもらえた」と言っていたという。だが実際は、足を悪くして早期退職したため、退職金はほとんどもらえていないに等しかった。お父さんの葬儀費用についても、裏では「払わなくていい」と言われていたそうだ。
さらに、夫は驚愕の事実を知ることになる。実は義弟夫婦は、お母さんから金銭面で援助を受けていたのだ。つまり、私たちがお母さんを支えているのをいいことに、お母さんは義弟夫婦にお金を渡していた。私たちは、自分の家族を犠牲にしてまで、お母さんと義弟夫婦を養っていたのに、そのお金の一部は義弟夫婦に流れていたというのだ。
私たち夫婦は、もうお母さんに関わるのをやめようと決めた。義弟夫婦も、今回の件でお母さんに嫌悪感を抱き、しばらく距離を置くと言い出した。
しかしその後も、お母さんからの連絡はしつこく続いた。「一人は寂しい」「もうお父さんの元へ行きたい」と、心配してほしいアピールがすごい。義弟夫婦にも同じような連絡が来ていたそうだ。
しばらくして、残っていた荷物を夫が取りに行くと、お母さんは「お金がもうなくて」と夫にせびってきたという。
「長男にしか頼れないの。」
それを聞いて、夫の怒りは爆発した。
「こういう時だけ長男だからって言うのをやめてくれ。俺はずっと我慢してきたんだ。これ以上援助はできない。もし援助しなければ、年金でやりくりできるんだろ。どうしても足りないなら、この家を売って金を作れ。」
そう言い放ち、夫は義実家を出た。
私も夫の言い分は正しいと思う。長男だからという理由だけで、お母さんにここまで尽くしてきたのに、それを壊したのはお母さん自身なのだから。自業自得だ。
今は、私たち家族だけで生活できているのが本当に嬉しい。夫にも、今度は我慢せずに自分が好きなことにお金を使ってほしい。もちろん、使いすぎたら私は鬼嫁になるけど。
きっと、お母さんはまたいつか、お金のことで泣きついてくるだろう。でも、私たちはもう知らない。今まで散々援助してきたのだから、これからはスルーすることに決めている。



