「2000万円分の商材、キャンセルね」——大手企業の部長からそう電話がかかってきた時、俺は静かに言ってやった。「その商材、昨日納品済みですよ」と。電話の向こうの部長は一瞬固まり、すぐに態度を変えてきた。実はその部長、俺の小さな酒屋を潰そうとしていたのだが、まさか俺が仕掛けた監視カメラと録音データがあるとは知らなかったようだ。しかも、その陰謀の裏には、俺が先日助けた見知らぬ女性との、まったく思…

「2000万円分の商材、キャンセルね」——大手企業の部長からそう電話がかかってきた時、俺は静かに言ってやった。「その商材、昨日納品済みですよ」と。電話の向こうの部長は一瞬固まり、すぐに態度を変えてきた。実はその部長、俺の小さな酒屋を潰そうとしていたのだが、まさか俺が仕掛けた監視カメラと録音データがあるとは知らなかったようだ。しかも、その陰謀の裏には、俺が先日助けた見知らぬ女性との、まったく思...

電話の向こうの声は、明らかに上から目線で、しかもどこか得意げだった。

「2000万円分の商材キャンセルって言ってるんだよ。お前の発注してた純米大吟醸『雪のほまれ』のことだ。確か2500本だったっけ?あれ全部キャンセルね」

「え、あの、どういうことですか?」

俺が言葉を失っていると、電話の向こうから鼻で笑うような声が聞こえた。

「オタクみたいな小さな酒屋じゃ、2000万もキャンセルされたら大変だろうけどね。うちみたいな大手が、そもそも君みたいな小さな会社を相手にするわけないだろ?」

「話が見えてこないんですが…」

「とにかくキャンセル。納品は明後日だったよな。間違っても納品するなよ」

そう言い放って電話を切ろうとした相手に、俺は静かに告げた。

「その商材、昨日納品済みですよ」

一瞬の沈黙の後、電話の向こうの大手企業の部長は、明らかに焦った声を出したのだった。

俺の名前は菅原祐也、38歳。妻と小学生の子供がいる。代々続く酒屋だった会社を引き継ぎ、今は「リカー菅原」という小さな酒の卸売り会社の社長をやっている。

先祖の代から町の酒屋として営業してきたが、父の代で業務用の卸売りにも事業を広げた。主に居酒屋や地元の飲食店に酒を卸していた。大学卒業後、迷わず家業に入り、父のそばで酒の知識や商売について学んできた。3年前に父が大病を患って引退し、俺が4代目社長に就任した。

就任後、俺は個人的に好きだった日本酒の仕入れに特に力を入れることにした。有名な蔵元はもちろん、小さなプレミアムな蔵元からも全国から取り寄せ、本当に美味しいものを厳選した。おかげで「リカー菅原」は日本酒の品揃えがいいと評判になり、今では高級寿司店や日本酒バーなどとも取引がある。ホームページも運営していて、全国から注文が来るようになっていた。

そんなある日のこと。日本酒の買い付けのため、俺は東北を訪れていた。日中は蔵を回って試飲させてもらい、夜は通販で「リカー菅原」を使ってくれている日本酒バーに顔を出すことにしていた。

夜の繁華街を歩いていると、ある光景が目に留まった。20歳くらいの若い女性2人を、男5人が取り囲んでいるのだ。ナンパをしているようだが、女性たちは困惑した表情を浮かべ、男たちはニヤニヤとしている。女性たちが男たちをすり抜けて去ろうとするが、男に腕を掴まれて逃げられない様子だった。

これは良くない状況だと思っていると、女性の片方が男に腕を掴まれ、怯えたような表情になった。俺はたまらず声をかけた。

「君たち、何やってるんだ。警察を呼ぶぞ」

実は俺はジムに通い、体を鍛えている。顔も怖いと言われる部類だ。警察を呼ぶとまで言われてまずいと思ったのか、男たちは雲の子を散らすように逃げていった。

残された女性2人は涙目で俺に頭を下げてお礼を言った。するとそこに、50代くらいの男性が駆け寄ってきた。

「夏菜!勝手にはぐれちゃいけないだろう。しかも幸希子さんまで連れて」

女性の片方を叱った彼は、俺を見て怪訝な顔をした。

「あなたは?」

そこで「夏菜」と呼ばれた女性が「パパ、この人は私たちを助けてくれたの」と事情を説明した。それを聞いて男性は深く頭を下げた。

「私の娘と友人を助けていただき、ありがとうございます。私はこういうものです」

男性が差し出した名刺には「四ツ葉商事 食料流通部長 木村正」と書かれていた。四ツ葉商事は俺も名前を知っている東京の大手企業だ。しかも部長ともなれば、社会的地位のある人に違いない。

「娘と娘の友人も連れて家族旅行で来ていたのですが、彼女たちがふらりと離れてしまって、必死で探していたんです。助けていただいて本当に良かった」

「そうだったんですか」

「このお礼は、頂いた名刺の連絡先に改めてさせていただきます」

「いいんですよ。ただの通りすがりですから。お嬢さんたち、気をつけてね」

こうして深く頭を下げる木村さんたちに背を向け、俺はその場を去ったのだった。

それから一ヶ月後のこと。俺が東北から本社に帰った5日後、会社の電話が鳴った。取次いだ社員が「四ツ葉商事からです」と言ったので、俺はてっきり数日前に女性たちを助けたお礼に木村部長がかけてきたのかと思った。

「お電話変わりました。リカー菅原代表の菅原です」

「私は四ツ葉商事の部長で、佐々木というものだが」

「え、佐々木さんですか?木村さんではなく?」

「木村の名前は出すな」

どうやら先日会った礼儀正しそうな男性とは別の部長らしい。四ツ葉商事の部長が一体何の用だろうか。

「それで、四ツ葉商事の部長さんが今日は一体どんなご用件で?」

「取引をしたいと思ってね」

「え?それはありがたいお話ですが…」

俺は、木村さんが先日のお礼にと取引を申し込むように担当部署の部長に頼んだのかと想像していた。

「とりあえず、しようじゃないの。いつにする?」

「え?近日ですと…この日が」

「じゃあ、その日に行くから」

こうして電話は切れた。どんな相談になるのか、詳しいことは何も聞かされなかったので、ひとまず俺は扱っている商品をまとめた資料を作り、その日を待ったのだった。

約束の日、現れたのは東北で知り合った木村さんではなく、でっぷり太って高圧的な顔をした男性だった。応接室に入り名刺を交換すると、確かにそこには「四ツ葉商事 飲料部門部長 佐々木」という肩書きがあった。

「今回は四ツ葉商事さんで扱う商材を、うちに発注していただけるということですか?」

俺が話を切り出すと、佐々木部長はニヤリと笑った。

「まあ、そういうことになるな。ホームページ見たけど、日本酒の仕入れ、随分頑張ってるようじゃないの?」

「はい。マイナーな蔵元とも信頼関係を築いて、売らせていただいてます」

「感謝してよ。本来ならこっちが直接買い付けに行くところを、あんたんとこ通そうって言うんだから」

「はあ…ありがとうございます」

随分上から目線な人だなとは思ったが、四ツ葉商事の部長ともなれば、こういった態度が普通なのかもしれない。先日の礼儀正しい木村さんが特別だっただけで。

「それで、今回はどのような商材をお求めでしょうか?こちらとしても量を確保できるかはまだ分かりませんので」

「そうだな」

俺が差し出した資料をパラパラとめくり、佐々木部長はある日本酒を指さした。

「ああ、これ。これでいいや」

「純米大吟醸『雪のほまれ』ですか?」

その酒はマイナーな蔵元から販売され、主に地元で消費されているが、味がいいことで日本酒マニアの間では名前を知られつつある商品だった。俺は蔵元と信頼関係を築き、特別に関東で売る許可を得ていたのだ。それにしても、随分適当に決めたように見えたが、目星をつけていたということなのだろうか。

「そう。とりあえずこれ、2500本用意してもらおうかな」

「2500本ですか?」

2500本と言うと、一回で2000万を超える取引になる。その量に俺は驚いた。

「すみません、蔵元とも話をしてみないと、2500本確保できるかどうか…」

「何言ってんの?こっちは四ツ葉商事だよ。完璧に納品しないと、大変なことになるよ。まあ、とりあえず今日はこれで帰るから、後で見積もりを送っといて」

こうして佐々木部長はろくに話も聞かずに帰って行ってしまった。俺はすぐさま「雪のほまれ」の蔵元に連絡し、頭を下げて頼み込んで2500本を確保することができた。見積もりと契約書を佐々木部長宛に送ると、間もなく「約束通り納品するように」との言葉と署名入りの契約書が返ってきた。こうして俺は「雪のほまれ」を2500本調達することになったのである。

契約から2週間後、冒頭の場面に戻る。いきなり佐々木部長から「2000万円分の商材キャンセル」と電話がかかってきたのだ。

「とにかくキャンセル。納品は明後日だったよな。間違っても納品するなよ」

余裕綽々にそう言われ、俺はため息をついた。

「その商材、昨日納品済みですよ」

電話の向こうで佐々木部長が絶句しているのが分かった。

「はあ?納品日はまだのはずだろ。昨日納品したとはどういうことだ?」

そこで俺は説明してやることにした。俺は「雪のほまれ」を2500本確保できることになったが、それだけの量を置いておける倉庫の余裕はうちの会社にはなかった。そこで佐々木部長に「納品日よりは早くなるが、蔵元から直接四ツ葉商事の倉庫に納品できないか」と電話をかけたのだ。

しかし、佐々木部長はこの数日、休暇を取っておられた。

「確か沖縄に行ってらしたとか。楽しかったですか?」

「そ、そんなことはお前に関係ないだろう!それからどうしたんだ?」

佐々木部長に連絡がつかなかったので困り果てた俺は、名刺を頼りに木村部長に連絡した。木村部長は驚いた様子だったが、事情を説明するとすぐに倉庫を確保すると言ってくれた。俺は無事に四ツ葉商事の倉庫に「雪のほまれ」2500本を納品することができたのだ。

「はあ?木村が納品を受け入れたというのか?」

「ええ。木村部長はこの取引についてご存じなかったようで、困惑しておられる様子でしたが」

「なんてことだ…」

佐々木部長が電話の向こうで頭を抱えているのが伝わってくる。

「とにかく、うちとしては四ツ葉商事さんに商品の代金を払っていただければそれでいいですので。それでは失礼しますね」

俺はそのまま電話を切ったのだった。

それから数時間後、会社の電話が鳴った。相手は木村部長だった。

「お世話になっております。あの…大変申し訳ないのですが」

木村部長が言うには、佐々木部長が「雪のほまれ」の取引の件で支離滅裂なことを言っているという。事実確認をしたいので四ツ葉商事の本社まで出向いてくれないか、ということだった。俺はちょうど仕事も落ち着いていたので「これから向かいます」と返事をした。

2時間後、四ツ葉商事に到着すると、そのまま応接室に通された。中に入ってみると、そこには佐々木部長と東北で会った木村部長、そして60代後半くらいのメガネをかけた貫禄そうな男性がいる。その男性は立ち上がり、俺に頭を下げた。

「初めまして。四ツ葉商事の代表、中野健三と申します」

俺はまさか四ツ葉商事の社長が出てくるとは思わず、驚きながらも自己紹介した。

「今回お呼びしたのは、『雪のほまれ』2500本の納品の件でなのですが」

「はい。何かがされましたか?商品に問題でも?」

「いえ、ここにいる佐々木が、そのような契約は一切していないというのです」

「え?」

すると、それまで部屋の隅で縮こまっていた佐々木部長が声をあげた。

「そうです!私はそんな酒を発注してもいないし、そこにいる男とも会ったことはございません!」

「はあ…」

俺は思わず呆気に取られてしまう。しかし、木村部長も中野社長も困惑気味だったので、佐々木部長と取り交わした契約書を差し出した。

「おい、佐々木。ここには確かにお前の名前があるじゃないか。しかし、こんな報告は上がってきていないぞ」

「あの、だから私は何も知りません。誰かが私の名を語ったのでは?」

わけのわからない白ばっくれ方をする佐々木部長に、俺はため息をついた。そして持ってきたタブレットで動画を再生した。

「これは先日、弊社に佐々木部長がいらした時の監視カメラの映像です」

「え?」

そこには音声付きで、佐々木部長が「雪のほまれ」を指定しているところが映っている。

「監視カメラなんて仕掛けていたのか」

「私が自分の会社に監視カメラを設置していたとして、何か問題が?」

言葉に詰まった佐々木部長。さらに俺は音声ファイルを再生した。そこには「2000万円分の商材キャンセル」と言ってくる佐々木部長の電話の内容がそのまま録音されていたのだった。

「このように、納品キャンセルの電話が今日かかってきましたが、こちらとしてもよくわからなくて」

中野社長は佐々木部長を睨みつけた。

「おい、佐々木。確かにお前が発注しているじゃないか。これはどういうことだ?」

すると佐々木部長は真っ青になって語り出した。佐々木部長は、実は同期である木村部長のことをライバル視していた。部下からも上層部からも信頼の厚い木村部長を妬ましく思い、失脚させるチャンスはないかと狙っていたというのである。

そんな時、木村のデスクを見たら「リカー菅原」の名刺と、ホームページを開きっぱなしにしたパソコンがあった。

佐々木部長は青い顔で続けた。

「その木村が、新しい仕入れ元としてリカー菅原に目をつけていると思ったんです。そこで、先手を打とうと」

「先手を打つってどういうことですか?」

木村部長が訪ねると、佐々木部長は悔しそうに唇を噛んだ。

「その木村が目をつけている仕入れ元が潰れたら、木村の失態になるかと思って…」

中野社長がハッと声をあげた。俺も同じように頭に疑問符が浮かぶ。

「リカー菅原に大量に仕入れさせて、納品させないようにキャンセルすれば、リカー菅原は在庫を抱えて倒産するかと思って。そうすれば木村は困ると思って…」

その狂った発想に、しばしの沈黙が続いた。こんな馬鹿げたことに自分の会社が利用されていたとは。俺は怒りよりも呆れが勝っていた。

「つまり、あなたは木村部長への嫌がらせのためだけに、キャンセルをしてうちを潰そうとしたんですね」

「でも、まさかよりによって木村が納品を受け入れてしまうなんて…こんなつもりじゃなかったんだ」

そこで木村部長が怒り出した。

「佐々木、お前ふざけるな!何の罪もないリカー菅原さんを巻き込んで、どういうつもりだ?」

「なんだよ。そういうお前のそういうところが嫌いなんだよ!」

「今はそういう話をしているんじゃない!お前は四ツ葉商事の名に泥を塗るようなことをしたんだ。それを分かっているのか?」

言い争いを始めようとした佐々木部長と木村部長。そこで中野社長が咳払いをした。

「まず、菅原さん。こんなことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません。菅原さんには何の罪もありませんし、商材はもちろんこちらで買い取らせていただきます」

「はい。それであれば安心です」

「佐々木」

社長が短く呼ぶと、佐々木部長は青ざめながらも背筋を伸ばした。

「お前が一方的に木村をライバル視していたことは、私も分かっている。しかし、今回やったことはあまりに悪質だ。社長…」

社長は大きなため息をつき、続けた。

「そもそもな、そこにいる菅原さんは、私の恩人でもあるんだよ」

「え?」

俺もその言葉に驚いた。俺と四ツ葉商事の社長は初対面のはずだ。

「私の孫は幸希子と言ってな。そこにいる木村の娘とは学校の同級生で、仲がいいんだ。先日、木村の家の家族旅行に幸希子も同行したんだが…」

俺はそこで、東北で助けた2人組のことを思い出した。片方は木村部長の娘で、もう片方の女性は中野社長の孫だったのか。

「そこで危ない目に会っていた木村の娘と幸希子を助けてくれたのが、菅原さんだ。私は木村から話を聞き、何かお礼をしようという話になった」

そこで木村さんが言う。

「リカー菅原から高級なお酒を、社長と私で個人的に買おうとホームページを見ていたんだ。お前は俺が目をつけた仕入れ元だと勘違いしたようだな」

すると中野社長が佐々木部長を睨みつけた。

「そんな、私たちにとって恩人である菅原さんを破滅させようとしていたとは。私はこの件について重く見ている。ただの減給では済まないぞ。処分は追って通達するから、もう下がれ」

「そんな…」

こうして佐々木部長は追い出され、俺は中野社長と木村部長に深く謝られてから、先日のお礼をされたのだった。

その後の話は、木村部長に聞いた。佐々木は、なんと正式に解雇になったらしい。元々社内でも評判のいい人物ではなかったため、彼が会社を去って部署のメンバーは喜んだという。佐々木は大手企業を首になったことで、奥さんと子供にも見放され、離婚。再就職しようとしたものの、年齢とあの性格のせいもあってなかなかうまくいかず、今は結局アルバイトで生活を立てているのだとか。

それを聞いても、俺は一切同情していない。自業自得というものだろう。

一方の俺は、平穏にリカー菅原を経営している。仕方なくという形で四ツ葉商事が引き取った「雪のほまれ」だが、流通させてみると評判がかなり良かったようで、なんと四ツ葉商事から正式に追加注文があった。今は担当者である木村部長とフェアな取引ができているおかげで、リカー菅原の売上も大幅にアップした。

佐々木に感謝はしたくないが、万事収まったことは本当に良かったと思う。俺はこれからも真面目に仕事を頑張っていくつもりだ。

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