看護師の私には、妊婦であることを伝えた瞬間、彼の顔から笑顔が消えた。竜二は「結婚するつもりはなかったんだ」と切り出した。彼の父親は、とんでもない人間だった。
竜二の父は建設会社の二代目社長で、幼い頃からちやほやされて育った結果、自己中で傲慢な男にになった。竜二は幼い頃から、母が父に些細なことで責められ、影で泣いている姿を見てきた。父の前で家事を手伝おうものなら「男に手伝わせるとは何事か」と母が叱られた。竜二はこっそりとしか母を助けられなかった。
「母さんの実家は父の会社の下受けなんだ。逆らうと報復されるから、我慢しているんだ」竜二は、父を会認して追放する計画を立てていた。従業員たちと秘密裏に新会社を設立する準備を進めていたが、きっかけを待っていた。
私は「うちの実家を頼ったら?」と提案した。私の父も建設会社を経営している。噂で竜二の会社の状況を知っており、竜二を気に入っていた。
「カナのお腹には俺たちの子供がいるし、もうこれ以上待たせられない。結婚してくれ。しばらくは苦労するかもしれないが、絶対に幸せにする」
こうして、ようやくプロポーズを受けた。竜二が両親に結婚の報告をすると、義父が「お披めがら宴会をしたい」と言い出した。「カナだけ早く来させろ」と言われたが、竜二が「俺と一緒に行こう」と守ってくれた。
私は看護師として理不尽な目に会うことも多い。慣れているからやり過ごせるだろうと思っていたが、竜二の父は想像の斜め上を行く最低な男だった。
家に着くと、すでに宴会が始まっていた。10人近い男性たちが騒ぎ、空のビール瓶が転がっている。
「遅いぞ。早く来いと言っただろう」
初対面で怒鳴られた。「どうせ金目当ての知り合い女だろ」「どっちも年上だし、本当に竜二の子かどうか騙されているんじゃないか」と暴言の限りを尽くす。
竜二が声を荒げると、竜二の母が話題を変えた。「あなた、やめてください。カナさん、初めまして。息子のお嫁さんになってくれて嬉しいわ。この子はとっても優しい子なのよ」
義母は綺麗な顔立ちだが、年齢よりもやつれて見えた。家事を手伝おうとするが、どこかぎこちない。よく見ると服の隙間からいくつも青あざが見える。DVの証拠だ。
私は妊婦とはいえ健康だ。義母にこそ無理をさせないよう、私が代わりに頑張ろうと決めた。
しかし義父は「この子はもう孕んじまってるんだ」「結婚式の頃にはボテ腹だ。笑えない話だよな」と周りが引くレベルの暴言を吐き続けた。竜二が今にもぶち切れそうになるが、私は彼にだけ分かるように首を振った。
そのまま竜二は遠くへと連れて行かれ、私は義母の家事手伝いへと借り出された。
「おい、ビールだ。もっとじゃんじゃん持ってこい」
私は言われるまま台所と広間を往復する。持ってきたら、男たちの間に座りお酌を強要される。偶然を装ってお尻や胸を触ろうとしてくる者までいる。
「お前は引っ込んでろ。そんなしょぼくれたババアより若い女からお酌をしてもらいたいよな」
義父は私にやらせようとする。怪我をしている義母が休めるのはいいのだが、その言い方はない。しかし男たちは愛想笑いをするだけで、誰も義父を止めようとしない。
義父はますます調子に乗った。「今日は若い嫁御寮が来てるんだぞ。ただだからコキ使ってくれ。みんなもっと騒いでいいぞ。嫁御寮、ただ」
その言葉に私はカチンと来た。この宴会は私と竜二の結婚のお披めめし会ではなかったのか。義父は息子の結婚を祝う気も、私を嫁として歓迎する気もない。ただ自分が楽しく飲んで騒ぎたいだけ。自分の言いなりになる便利な人間が一人増えたくらいにしか思っていない。
義母はあまりの失礼さに真っ青になり、竜二も怒りに震えている。私は竜二が「きっかけ待ち」だと言っていたことを思い出した。こんな暴君を放置しておけないし、何より頭に来た。私がきっかけを作ろう。私は小さく反撃に出ることにした。
「私は嫁御寮ですか?でもそれならただではありませんよ。お給料いただけるんですよね」
その瞬間、場が静まり返った。義父も男たちも、私のことを外見通り、義母のように黙って従うタイプだと思っていたのだろう。
「はあ。嫁の分際で何言ってるんだ」
「お父さんこそ、何をおっしゃっているんですか?私は嫁として紹介されると思ってきたんですけど。嫁御寮なら職業ですから、ただでコキ使うなんて労働基準法に違反しちゃいますよ」
「な、生意気な」
義父は口で勝てないと思ったのか、私に向かって手を振り上げて迫ってきた。義父が先に手を出せば、竜二が反撃しても正当防衛だ。女性の、しかも妊婦に手をあげた男なんて社会的にも大打撃になる。これは私の仕掛けた罠だ。
とっさにお腹を抱えてうずくまったが、いつまで経っても衝撃が来ない。目を開けると、義母が私に覆いかぶさり、義父から守ってくれていた。竜二も暴れる義父を取り押さえている。周りの男たちは何もせず、気まずそうに目を背けるだけだ。義父の怒りを買うのが怖いのか。飛んだ卑怯者たちだ。
竜二は周りの男たちに見切りをつけ「二人とも今のうちに逃げろ!」と叫んだ。義母は私の手を掴むと、そのまま逃げ出し、近くの交番へ向かった。事情を話し、警官を引き連れて戻ってくると、そこには竜二と義父しかいなかった。男たちは私たちが戻ってくる前に、そそくさと帰ってしまったらしい。
義父は警察に対しても暴言を吐き抵抗したため、現行犯逮捕された。私が義母の青あざのことを警察の前で話すと、長年のDVも発覚し、傷害罪も追加になった。
私の目論見通り、これがきっかけになり、竜二は義父の追放作戦を決行。私の父の会社から資金を援助してもらい、竜二は賛同してくれた大多数の従業員たちと共に新会社を無事に設立することができた。
下受けだった義母の実家も、竜二の新会社と取引を継続できることになり、義母はその契約が決まった瞬間、裁判所に離婚調停を申し立てた。義母は今、家を出てアパートで一人暮らしを始めている。何十年かぶりの自由な生活を楽しんでいるらしい。本当に良かった。
義父は一人で家に取り残されたが、家事なんて全くしてこなかった男だ。慰謝料で貯金を失い、家政婦を雇うこともできない。たくさんいた愛人も、金の切れ目が縁の切れ目と、あっという間にいなくなった。最終的には、傲慢な性格と犯罪歴と悪名が災いし、どこも雇ってくれない。義父は全てを失った。
「全部カナのおかげだな。カナがきっかけを作ってくれなければ、今の幸せな生活はなかった。ただ本当に危なかったんだから、カナも自分の身の安全を一番に考えてくれよ。俺もあの時カナを守ろうと必死だったけど、もし何かあったらと思うと、カナのご両親に申し訳が立たない」
竜二から沁み沁み感謝された。私は「はい、気をつけます」と返事をしたが、竜二なら必ず守ってくれると信じていたからこそ、きっかけを作ったのだ。初対面なのに私を守ってくれた優しい義母のためにも、生まれてくる我が子のためにも、外道を駆除しただけ。愛する人のため、あの時最善だと思える行動をしただけだ。
今は令和の時代。男女平等は当然だし、目まぐるしく変わっていく社会への適応能力は必須だ。自己中で古い考えに凝り固まった男なんか、私の敵ではない。脳みそをアップデートして出直してもらいたいものだ。



