「あなた、バツなんでしょ?お父さんがいないと、本当に子供がかわいそうね。」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。私だって、言われなくたって、子供に対して申し訳ないと思っている。息子が寂しくないように、必死に気を配って生活してきた。それなのに、どうして知り合ったばかりの他人に、こんなことを言われなきゃいけないのか。
「私がバツだということは、今関係ないですよね。」
そう言い返しても、相手は聞く耳を持たない。これ以上話しても無駄だと感じた、まさにその時だった。その場の空気が一変する人物が現れたのは。
世の中には、性格の不一致で夫婦の関係を続けられない人がいる。あるいは、事故などで最愛の伴侶を失ってしまう人もいる。私の場合は少し違う。夫が事業に失敗し、蒸発してしまったのだ。
私、高橋あや、30歳。シングルマザーだ。夫が消えた時、息子は生まれたばかりだった。私はこの子を一人で育てていくんだと決意し、今まで必死にやってきた。大変なことも多かったが、息子の悠は大きな怪我も病気もせず、すくすく育ち、もう5歳になった。
今日は幼稚園の保護者会の役員決めのため、幼稚園に来ている。予定よりかなり早く着きすぎてしまい、保護者室にはまだほとんど人がいなかった。席次表を確認して自分の席に向かうと、隣にはすでに誰かが座っていた。
「お隣、失礼します。」
声をかけて席に着くと、その女性はにっこりと微笑んだ。美人でメイクも髪型も服装も小綺麗で、まさに「いいとこの奥様」という雰囲気だった。それに引き換え、私は仕事帰りに自転車を必死に漕いできたから、髪もメイクもボロボロで、服も適当だ。少し恥ずかしくなる。
「もしかして、悠君のお母さんですか?」
「ああ、はい。そうです。」
「うちの子が悠君と仲良くしてるって言ってました。いつもありがとうございます。」
「あ、そうなんですね。うちの子、幼稚園でのことをあまり話してくれなくて。こちらこそありがとうございます。」
昔から人見知りで、相手との距離感を掴むのが苦手な私は、あまり気の利いた返事ができなかった。それでもニコニコと話しかけてくれる女性は、蒼井さんと言った。彼女はとても気さくで、ママ友もたくさんいるらしい。その後の役員決めで偶然同じ役員になり、「今後、色々調整することがあるから」と連絡先を交換した。話しているうちに、家が近所なことも分かった。今まで仕事ばかりでママ友を作る機会がなかった私にとって、彼女は初めてのママ友だった。
数日後、仕事帰りに彼女と近所のカフェで待ち合わせをした。今後の幼稚園での行事について話すためだ。今日も仕事帰り、自転車を必死に漕いで待ち合わせ場所へ向かう。カフェには先に彼女が到着していて、私に気づくと笑顔で手招きしてくれた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。」
彼女の向かいに座ると、彼女は私を見るなり、
「今日もすごい格好ですね。」
とクスクス笑った。仕事帰りなのですみません、と謝るしかない。普通、そんなことを思っても口に出さないだろう。若干むっとしたが、笑ってごまかした。
「え、お仕事されてるんですか?役員になるくらいだから、私と同じで専業主婦かと思ってました。旦那さんの稼ぎだけじゃ生活できないんですか?」
おいおい、いきなりぶしつけなことを聞いてくるじゃないか。だが隠しても仕方ないので、本当のことを話した。
「旦那とは離婚していまして、今はシングルなんです。」
それを聞いた彼女は、綺麗な顔を歪めて、にやりと笑った。その表情の変化は、見間違いかと思うほど一瞬のことだった。
「へえ、旦那さんがいないとか、超・大変そう。シングルの半数は貧困って聞いたことあるけど、あなたの家もそうなの?っていうか、悠君、可哀そう。ちゃんとお洋服とか買ってあげてます?うちの子のいらない服を、恵んであげましょうか?」
突然変貌した彼女に圧倒されて、何も言えないでいると、彼女は続けてペラペラと話し出した。
「私の旦那は、この辺じゃ有名な企業に務めてるの。私はあなたと違って、働く必要なんかないんだよね。っていうか、働きながら役員をする余裕があるなら、全部そっちでやってくんない?私、めちゃくちゃ忙しいんだよね。じゃあ、そういうことで。あとはお願いね。」
そう言って彼女は書類の束を私に押し付け、さっさと帰ってしまった。
それから、彼女は私のことを完全に見下した認定したらしく、何かにつけちょっかいを出してくるようになった。仕事帰りの私を見つけては、
「あなたっていつもすごい格好よね。私はいつも綺麗でいないと恥ずかしいから大変なの。あなたみたいに身なりに気を使わなくていいのが羨ましいわ。」
としつこく絡んでくる。相手にするのも面倒くさいし適当に流して立ち去りたいのだが、彼女が自転車の進行方向に立ちふさがってくるので、それもできない。
「あなたって、あそこのアパートに住んでるんでしょ?木造アパートって、今時やばくない?燃えちゃいそう。っていうか、悠君をちゃんとお風呂に入れてあげてます?今日見かけたけど、なんか薄汚れてましたよ。貧乏で底辺だからって、子供のお風呂くらいちゃんと入れてあげないと。」
私の息子はとても活発で、外で駆け回って遊ぶので、いつも泥だらけなだけだ。私のことは何を言われてもいいが、息子のことにまで口を出されて腹が立った。
「息子には人並みの生活を送らせていますので、大きなお世話です。忙しいので、失礼します。」
こんなやつ、相手にしてられるか。彼女の脇をすり抜けて、さっさと自転車を漕いで家に帰る。彼女は後ろから何か言っていたようだが、全部聞こえないふりをした。
今日も保護者会がある。彼女と顔を合わせるのは憂鬱だが、仕方がない。なるべく無視しよう。早く着きすぎないよう、メイクも見すぼらしくない程度に整えてから、幼稚園へ向かった。開始時間ギリギリに着いたため、会議はすぐに始まった。自分の発表の番が近づき、準備してきた資料を用意する。全部、私が準備したのだから、当然私が発表するものだと思っていた。
しかし、発表の直前に彼女は私から資料を奪い取ると、立ち上がった。
「あやさんはお仕事で忙しいとのことで、代わりに私が全て準備させていただきました。不慣れなもので、もし間違いがありましたら、ご指摘いただけたら幸いです。」
そう言って、我が物顔で話し始めた。周りからは「一人で頑張ったの、結構大変だったんじゃない?」と彼女を心配する声が聞こえる。違います、と反論したかった。しかし、ママ友の多い彼女と違って、私には知り合いがほとんどいない。そんな状況で声を上げることはできなかった。
保護者会の会長は彼女の話を聞き終わると、
「素晴らしい。とても分かりやすかったです。ご苦労様でした。このお仕事をなさっていて忙しいのはよく分かりますし、初めての役員で戸惑うこともあるかもしれませんが、できる限り協力してあげてくださいね。」
と言った。会長は何も分かっていない。全部、私がやったのだ。あいつは何もしていないのに、人の仕事を横取りしただけだ。そう言いたかったが、私は「すみません」と謝ることしかできなかった。彼女はそんな私を隣でニヤニヤと見ていた。
保護者会の帰り道。嫌でも彼女と帰る方向は同じだ。私は彼女に問い詰めた。
「ねえ、全部自分がやったなんて嘘ついて、どういうつもりなの?あれは私が準備したものだよね。」
しかし彼女に悪びれる様子はない。
「うるさいな。いいじゃん、別に。っていうか、あやさんみたいに全然知り合いがいない人が発表しても、信頼されないでしょ。だから私がわざわざ代わりに発表してあげたの。感謝してよね。」
いつもは私の前に立ちふさがって帰らせようとしない彼女だが、今日は逆にさっさと先に帰ってしまった。
それからも彼女は、保護者会の資料作りなどを全部私に押し付け、それら全てを自分の手柄にし続けた。何度も手伝うようお願いしたが、馬の耳に念仏で、全く聞く耳を持たなかった。
そんなある日、別の集まりで幼稚園に行った私は、彼女が私から嫌がらせを受けていると周囲に言いふらしていることを知った。
「あの人って、仕事で忙しいって言って、役員の仕事を全部押し付けてくるんです。『一緒に頑張りましょう』って言っても、『専業主婦で暇なあなたが全部やりなさい』って言われちゃって。専業主婦だからってシングルマザーを舐めて、調子に乗るなとか、いつも言われてるんです。」
泣きそうな声で訴える彼女。その女優顔負けの演技に、周りのママさんたちは簡単に騙され、「よしよし」と慰めていた。
「よく頑張ってるわね。彼女はきっと、専業主婦のあなたが羨ましいのよ。やっぱりシングルマザーっていうのは、ちょっとね。」
保護者会の役員のほとんどが、私が専業主婦の彼女に嫉妬していると信じてしまっているようだった。それから私は、役員の集まりの際にあからさまに避けられたり、影でひそひそ話をされるようになった。私がもっとうまく立ち回ることができれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。でも、仕事で忙しい中、好き好んで数回しかない保護者会での人間関係にまで気を回す余裕は、正直なかった。保護者会での付き合いなんて、どんなに気まずくてもその場だけなのだから、少しの間乗り切ればいい。1年だけのことだと割り切ってしまおうと思っていた。
そんな中、幼稚園でのイベントで、地域の夏祭りに炊き出しをすることになった。正直、彼女のことや保護者会での人間関係を考えると、幼稚園のイベントというのは憂鬱だ。でも、そんなことに息子は関係ない。夏祭りを楽しみにしている息子に、
「楽しみだね。ママ、美味しいご飯作るからね。」
と言って、気分を盛り上げる。イベントの前日から炊き出しで作るカレーの下準備をして、当日も早起きしてカレーを作った。張り切りすぎたようで、自分でも驚くくらい美味しくできた。「美味しいご飯作ってね」という息子のリクエストに答えて、市販のカレールーではなく、スパイスを使って作ったのだ。市販の甘口ほど甘くないが、子供でも食べられるようなカレーに仕上がった。スパイスを集めた段階からテンションが上がっていて、試作の段階から都度写真撮影をしながら作っていた。これは他のママさんたちから絶賛間違いなしだろう。それくらい自信があった。息子も「すごくいい匂いがする。これ、今日食べられるの?」と言って、楽しみにしてくれているようだ。
保護者会の役員は夏祭りの運営にも少し関わることになっており、ゆっくりする暇はなかった。せっかく朝早くから準備していたのに、作ったカレーの評価を聞くこともできていなかった。隣では彼女が要領よく、一生懸命働いているように見せかけていて、実際には何もしていなかった。特に力仕事などは全部私に押し付けて、自分は楽で目立つことばかり進んでやっていた。そのせいでまた、「あやさんが全部仕事を押し付けてきて大変」と彼女が言いふらしているのを聞いたが、もう気にしないことにした。
バタバタ働いて、やっとお昼。力労働ばかりしていた私も、それについていた息子も、お腹がペコペコだ。せっかくだから、自分が作ったカレーを、この空腹という最高の状態で食べようと、炊き出しをしているテントに向かった。
すると、そこには私が持ってきた鍋を勝手に開けて、周りの人によそってあげている蒼井さんがいた。
「みんな、もっといっぱい食べて。たくさん作ったから、おかわりしてね。」
悪い予感は的中した。彼女はいかにも「私が作ってきました」と言わんばかりに、私のカレーを他の家族に振る舞っていた。
「すごい、これ蒼井さんが作ったの?美味しい!やっぱり、きっと奥様は料理上手なんだね。」
私の作ったカレーを口々に褒めるママさんたち。自分の料理が絶賛されているので、これに関しては正直悪い気はしなかった。しかし、この状況に対しては怒りしか湧いてこない。
「え、そんなこと全然ないよ。普通にカレー作っただけだし、少し手抜きもしてるから。専業主婦だからさ、こういうことで頑張らなきゃと思ってね。」
そう、嬉しそうに謙遜する彼女。おいおい、随分勝手なことを言ってくれるじゃないか。こちとら全然手抜きなんてしてないんですけど。前日の夜から下準備して、何回も事前に試作して、大変な時間と手間をかけた大切なカレーなんだ。
たくさんのママさんに囲まれ、楽しそうにしている彼女を見て、私は決意した。いつもの人見知りの私が、もうどこにもいなかった。大切な息子のためにも、一生懸命作ったカレーは絶対に取り返さなくてはいけない。
「ねえ、蒼井さん。」
私はニコニコしている彼女に、できるだけ冷静に声をかけた。名前を呼ばれて振り向いた彼女は、私の姿を見ると一瞬「やばい」と言いたげな困惑の表情を浮かべたが、すぐに外面のいい笑顔に戻った。
「あら、あやさん、お疲れ様です。あなたもカレーどうですか?」
よくもまあ、私が作ったものを私に勧められるものだ。彼女は私にしか見えない角度で、「分かってるわよね。多言は無用よ」と言っているような目で圧をかけてくる。でも、私は人見知りで人とのコミュニケーションが苦手なのだ。相手の表情から察することなんてできない。人見知りの私と、さっきまで思ったが、もう言い訳はしない。都合のいい時だけですぐに人見知りに戻るのはやめた。
「あれ?それ、うちのお鍋じゃない?なんで蒼井さんが勝手に蓋を開けて、みんなに振る舞っているんですか?」
私は周りに聞こえるように、わざと大きな声を出した。コミュニケーションが苦手だから、ちょうどいい音量なんて分からないのだ。私のあまりの音量に、周りのママさんたちが一斉にこちらに顔を向けた。蒼井さんは「静かにしろ」と言いたげな表情を浮かべている。でも、そんなの知らない。事実を言っているだけだ。
「やだ、何言ってるの?これはうちのお鍋よ。中のカレーだって、私が作ったのよ。ほら、たくさんあるから、あなたたちも食べて。悠君もどうぞ。」
彼女は立ち上がると、私の背中をポンポンと撫でてきた。その手には「これ以上余計なことは言うなよ」という強力な念力が込められているのが伝わってきた。でも、そんな念力はエスパーじゃない私には感じ取れないので、無視した。
「いやいや、それは絶対うちのお鍋ですよ。中身のカレーも、あなたが作ったって言うなら、何を入れて作ったか教えてくださいよ。」
「何を入れたって、普通にカレールーよ。あなたもそのカレー食べたでしょ?市販のカレールーじゃ出せない味してますよ。」
それを聞いた周りのママ友たちは、「確かに、こんな味のカレーは食べたことない」と私の言葉に頷いている。
「それは、ちょっと何入れたか忘れちゃったかな。」
「そのカレーに入っているスパイスは、これです。今から、同じカレーを作れと言われても作れますよ。何度も試作をして、分量は頭に入ってますから。」
そう言いながら、私はスマホを取り出して、試作の時に撮ったスパイスや調理過程の写真を見せた。
「これ、どういうこと?入れたものとか、作ってる途中の写真を、なんであやさんが持ってるの?」
スマホの写真を見たママさんたちが、次々に困惑の声をあげる。彼女は顔面蒼白で、
「違うの!何を入れたかは本当に、ただ忘れちゃっただけなの!私、盗んでなんかないわ!これは私が作ったの!」
と必死に言い訳をしている。周りのママさんたちは、私と彼女のどちらの言い分が正しいのか計りかねているようだった。私は奥の手を使うことにした。
「そのお鍋の取っ手の裏側に、白いマジックで息子の名前が書いてあるので、見てもらえます?」
「え、名前?」
と、すっとんきょうな声をあげた彼女。近くにいたママさんが鍋の取っ手の裏を覗き込んで、確認してくれた。
「悠君の名前が書いてありますね。」
ママさんの言葉に、その場は凍りついた。そりゃそうだろう。周りの信頼を得ていた彼女が、人のものを盗んで、顔で他人に振る舞っていたなんて。夏祭りの賑やかな空気の中、この一角だけ空気が冷たい。そして、ひそひそ話が上がり出す。
「蒼井さんがあやさんの作ったものを、勝手に取ったってことよね。」
「やだ、私結構食べちゃったわ。」
「彼女の行動って、今までもちょっと変に思うところがあったけど、もしかしてこういうことは初めてじゃないんじゃない?」
私はこの際だからと、今までの彼女の悪事も暴露してやろうと決めた。
「そうです。初めてじゃありません。今までの保護者会の会議で、彼女が自分が用意したと言っていたものも、全部私の作業を横取りしていたんですよ。」
「何よ!ただの夏祭りの出し物に、こんなスパイスとか作ったカレーなんか作っちゃって!顔の広い私が提供した方が、みんな食べてくれると思ったから、私がやったんでしょ!感謝しなさいよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ蒼井さん。ああ、とうとう化けの皮が剥がれちゃった。周りのママさんたちも驚いている。子供たちは、不穏な空気を察したママさんがとっくに別の場所に避難させてくれていた。気の利くママさんがいたものだ。
「私がそんなカレーを作ってこようと、あなたには関係ないですよね。」
「うるさいわね!シングルマザーのくせに、こんなもの作ってきてイキってんのよ!底辺は底辺らしく、安いレトルトカレーを食べてればいいのよ!」
確かに私はシングルマザーだが、他人にそんなことを言われる筋合いはない。あまりの言い草に、つい私も頭に血が上ってしまった。言い返そうとした、その時だった。誰かに優しく肩を叩かれた。振り向くと、そこには私の父がいた。
「連絡しても、全然返事がないからどうしたのかと思っていたが、こんなところにいたのか。随分大きな声だったな。向こうの方まで聞こえていたぞ。」
「お父さん…。」
私は突然の父の登場に驚いたが、安心して気が緩み、少し涙ぐんでしまった。でも、父の登場に私以上に驚いたのは、彼女の旦那さんだった。それまで空気のように存在感を消していた彼女の旦那さんは、先ほどの私より大きな声で叫んだ。
「社長!お世話になっております!」
父も「ああ、君か。うちの孫と同じ幼稚園だったんだなあ」と驚いている。そう、私の父はここら辺ではそこそこ有名な企業の社長なのだ。でも、それは私と息子には関係ないことだ。父の会社を継ぐつもりもない私は、別の会社で働いている。
彼女は目を見開いて、「え、社長ですって?誰が?」と戸惑っている。
「俺の会社が、大変お世話になっている会社の社長だよ。お前、社長のご家族のものを盗んだのか。今すぐ謝罪しなさい!」
「私知らなかったのよ!私は悪くないわ!だって、あやさんが…」
言い争う彼女と旦那さんは、一言でぴたりと黙った。
「やめましょう。今日はせっかくの夏祭りなんですから、楽しくやりましょうよ。」
周りのママさんたちも、「そうね、そうしましょう。もうやめましょう」と言った雰囲気になる。その後、私たちはカレーを鍋ごと返してもらった。そして、「知らなかったとはいえ、蒼井さんのものだと思っていた。ごめんなさい」と、他のママさんたちからたくさんお詫びをされた。
そこからの夏祭りは、今まで避けられていたママさんたちからたくさん声をかけられるようになった。
「今までひどいことを言ってごめんなさい。蒼井さんのせいで、色々大変だったのね。よかったら、これからは保護者会の役員同士、仲良くしてね。」
私は精一杯の笑顔で、「はい、よろしくお願いします」と答えた。逆に周りは、彼女の扱いに困っている様子だった。触らぬ神に祟りなしと、明らかに距離を置いている。彼女は私を恨めしそうに睨みつけてきたが、そんなのは気づかないふりをした。
夏祭りが終わってしばらく経った頃、また保護者会が開かれたが、そこに彼女の姿はなかった。周りに聞くまでもなく、さっそくママさんたちが私の周りに集まってきて、話を始めた。
「蒼井さん、あの夏祭りの騒動がきっかけで、旦那さんと大喧嘩して実家に帰っちゃったんだって。なんか、蒼井さんは家のお金も使い込んで、浮気していたらしくて、離婚話も出てるみたいよ。その浮気相手も既婚者で、その奥さんからも慰謝料請求されてるんだってさ。そのせいで、外に出られなくなって、今は引きこもり状態らしいわよ。」
噂話が大好きなママさんたちは、こちらから聞かなくても、目をキラキラさせて教えてくれた。やたら彼女が「忙しい、忙しい」とアピールしていたのは、浮気相手に時間を使っていたからなのか。しかし、旦那さんが一生懸命稼いでくれたお金を、浮気に使うとはとことん呆れてしまう。
彼女の息子さんは、相変わらず元気に幼稚園に通っており、うちの息子とも変わらず仲良くしてくれている。母親とは似ても似つかない、とても優しく礼儀正しい子だ。どうやら息子さんは元々ほとんど家にいない祖母に育てられているらしい。あの母親にして、あの子が真っ直ぐ育つのも納得だ。母親がいなくなって寂しくないかと心配したが、その心配はないとのこと。
「彼女の旦那さん、たまにうちの会社に挨拶に来た時に見かけるんだけど、彼女と別居してからの方が生き生きしてるよ。家庭では言いたいことも言わせてもらえず、随分生き苦しい生活をしていたようだ。」
うちに遊びに来ていた私の父が、そう言っていた。だからあの場で旦那さんは空気のように存在感がなかったのか、と妙に納得してしまった。子供たちはみんな、何も心配せずにのびのびと育ってほしい。楽しそうにじゃれ合っている息子と父を見て、子供たちの幸せな未来を願わずにはいられなかった。



