雪の降る日、母が遺してくれた一枚の紙片。そこにあった梅の花の印が、今この手の中で破られようとしている。私はそれを、誰にも渡さない。たとえ相手が、この家の誰であっても――。 #遺された約束 #家族の真実 #雪の裏庭

雪の降る日、母が遺してくれた一枚の紙片。そこにあった梅の花の印が、今この手の中で破られようとしている。私はそれを、誰にも渡さない。たとえ相手が、この家の誰であっても――。 #遺された約束 #家族の真実 #雪の裏庭

千代は雨の止まない裏庭で、震える手で古い紙片を広げた。そこには梅の花の印がかすかに残っていた。あの日、母が遺してくれた唯一の約束。私はそれをずっと信じてきた。だけど今、その印を破ったのは、他ならぬ父の家の者だった。

しのぶは千代の袖を掴んで言った。「あの方を信じて良いのだろうか」と。千代は静かに答えた。「許しも信じも、お嬢様がゆっくりお決めになることでございます。今日はあの本の言葉が、他の証と合うかを確かめましょう」。

屋敷では、そべえが総兵の印を掲げ、七入れの支度を進めていた。総兵は言った。「旦那様がお亡くなりになりました。この印がその証にございます」。だがそこへ、息を切らせて昨兵自身が庭に飛び込んできた。「この七入れを直ちに止めよ。私はそのような命を下した覚えはない」。

そべえは顔色一つ変えず、「旦那様は酒の席でお許しになりました。酔われてお忘れなのでございましょう」と返した。証を持たぬ者同士の水かけ論に終わるかと思われたその時、しのぶが懐から古い長面を取り出した。「その日は大雪でございました。父上は親類が雪道に阻まれて参陣を開けられませんでした。私も立ちませんでした」。

それだけでは幼い者の記憶違いに過ぎぬと総兵は言い張ったが、しい子の男が油みたかきつけを三枚差し出した。「その夜、総兵様が私に赤い結び目の袋を東の渡へ運べと命じられました。旦那様の姿はどこにも見えておりませぬ」。日付は一致していた。それでも総兵は知らぬと押し通した。しかし、次々と証が揃っていく。万島の記録、元かき役の原本、そしてお連が差し出した一枚の拍紙。彼女は言った。「これは私の印でございます。米に迫られ、神を読まずに押しました。自らの恥は隠しませぬ」。

一本の縄のように束ねられた小さな誇びが、総兵の言い逃れを縛りつけた。役所は七入れを止め、総兵の身柄と長面を封じた。彼は裏門から逃げようとしたが、父の手代たちが道を塞いだ。鳥肩方が埃りをかぶった面一冊を手に戻ると、表紙の裏には梅の花ごりんが押されていた。しのぶの持つ切れ端を合わせると、神目がぴたりとあった。

「母上の長面が戻った」。しのぶは千代の手を強く握った。千代は静かに言った。「まだ終わっておりません。これから、この長面が誰の取分をどれほど飲み込んでいたか、全て明らかにせねばなりません」。

長面が開かれると、しのぶだけでなく、多くの方向人の消された名が一枚ずつ姿を現した。年置いたし子は震える手で自分の名を指でなぞった。「よ去ったがもらえなかった手間ちんも記されていた。この者の名がまだ残っておりましたか」と涙を流した。しのぶはその手を包んだ。「おじいさんの分もきっと取り戻しましょう。この長面に消された名を、一人も残さず読み上げてくださいませ」。

手代たちは譲り城の原本と部の記録、書き付けを一枚ずつ付き合わせた。総兵は最後まで言い張った。「名主の命に従ったまでだ。穀物を動かしたのは借罪を返すためであった」。しかし手代は正面の一枚を示し、「この日、主は男事を得て三日目ゆえ、家中の年寄りと共に奥座敷におりました。同じ黒元に東の渡で自ら穀物を渡したと記された者が、同時に二人いたと申すのか」と問うた。総兵の唇が震えた。

判決は短く記された。死野に残された南の田畑は譲り城の通りに返す。東米が抜き取った穀物の代金は残る財産から取り立て、方向人たちの滞った手間ちんから返す。銀のキセルの疑いは法に照らし、別に処する。人々の間から長い息が漏れた。

しのぶは千代の手を握ったまま言った。「私の長面に入ったのか」。千代は答えた。「はい。ですがお嬢様のお名前は、長面が返してくれたのではございません。お嬢様が諦めなかったから守られたのでございます」。

しのぶは願い出た。「私が戻られる前に、しい子や仕事の働き手に滞った手間ちんからお分けくださいませ。あの方々が口を開かねば、この長面も日の目を見なかったでしょう」。そして、お徳という老女を見て言った。「おばあさん、あなたの旦那様の手間ちんで、先に冬支度をなさってはいかがでしょうか」。お徳の目に涙が滲んだ。「私は自分が温かい部屋で暮らせるだけで十分だ」。しのぶは笑った。「おばあさんが最初の焼き芋を半分に分けてくださったではありませんか。今度は私の番でございます」。

線が人々の手に渡っていった。年置いたし子は滞った手を受け取り、「これで冬の薬代が用意できる」と泣いた。手代はしのぶにも払いを差し出した。「取り戻した穀物と田畑を確かめた印に、名を書いてください」。しのぶは筆を取り、名を書いた。最初の一画は少し震えたが、最後の字は真っすぐだった。「かつての長面では私の名は消されました。この書面には、働いた人々の名も一緒に残してくださいませ」。

数日後、昨兵は一人で三道を歩いてきた。春の雪が肩に積もり、草履には泥がついていた。彼は別邸の門の外で立ったまま言った。「しのぶ、父が参った。会うてくれずとも良い。ここで待つ」。日が傾いても、風が吹いても、昨兵は立ち去らなかった。

ついにしのぶは遠を少し開けた。「なぜあの日、一度も私の名を呼んでくださらなかったのですか」。昨兵は雪の上に膝をついた。「男事を得た喜びと家の体面に目がくらんだ。自分に火がないと知りながら、お連や親類の影に隠れていた。恥ずかしかったという言葉すら言い訳に過ぎぬ。守るべき娘を、私自身が見捨てたのだ」。

「私を連れて帰れば、それで全て終わるのですか」。 昨兵は首を振った。「いや。私が戻らずとも、お前の取分は守り、私の謝ちは償う。許してくれとは言わぬ」。しのぶはおくるみに包まれた亀之助を遠くから見つめた。「弟を憎んではおりません。ですが、大人がしたことをなかったことにはいたしません」。「それで良い。我らが行いで違いを示さねばならぬ」と昨兵は言った。

千代が温かい雨酒を運んできた。しのぶはその杯を、外の父の前に置いた。「家には戻りません。この別邸を直し、行場のない子供と年寄りが学び暮らす家にしたいのです。母上が残した田も、そのために使います」。昨兵は顔を上げた。「お前の望みのままにいたそう。最初の柱から、私自ら手を入れよう」。「言葉だけでは信じませぬ」としのぶは言った。「もう良い。一日ずつお見せしよう」と昨兵は答えた。

しのぶは表門を大きくは開けなかった。ただ、雨酒の杯が覚める前に飲むようにとだけ伝えた。その小さな温もりは、和の終わりではなく、始まりの最初の日だった。

幾年かが過ぎた。崩れていた別邸は、子供と身寄りのない老人が共に文字と仕事を学ぶ温存道となっていた。広くなった庭では機織りの音が響き、書斎からは筆を運ぶ音が続いた。人々はもはや千代のことを「千陽女中」とは呼ばなかった。

千代は働き手の手間ちんを、品書の根より先に長面へ乗せた。文字を知らぬ者はまず己の名から学んだ。しのぶは子供たちの手を取り、つの運びを教えていた。「曲がって書いても構いません。消さずに、その隣にまた書いてご覧なさい」と。子供が「死野先生も間違えたのですか」と問うと、しのぶは笑って答えた。「いく度も間違えましたとも。間違えた神も私が学んだ道ゆえ、捨てはしませんでした」。

しのぶは母が残した田畑から得た穀物を、温存道の食事と冬支度に用いた。神と炭を買って余れば、身寄りのない老人の屋根を直した。愛とは人を抑えつける力ではなく、再び立ち上がるための足場であるという教えを、彼女は暮らしの中で示していた。

台所では男が焼き芋を取り出し、「一人に一つずつ持っていきなさい」と言った。子供たちが集まると、彼は芋を半分に割り、二つずつ分けた。「おばあさん、一人に一つと言いながら、なぜ二つ渡すのですか」と問う子に、彼は答えた。「半分二つで一つだよ。一人で食べずに、隣のことを開けなさいという意味だ」。庭の笑い声が広がった。

亀之助は今では姉の後ろをちょこちょことついて回っていた。お連は息子を温存道に通わせ、人の取分を先に思いやることを学ばせていた。「この働きで過去の謝ちが消えるとは思っておりません。なすべきことを、今日いたします」とお連は言った。

昨兵は月ごとに家の長面を温存道の人々の前で開き、田畑で得た穀物と働き手の手間ちんを大けにした。初めは体面が損なわれると影口を叩いていた親類たちも、幾度も同じことが繰り返されるうちに口を閉ざした。しのぶはその日々を見ていたが、父に過去を忘れたとは言わなかった。

ある春の日、手代が温存道を訪れた。千代が守り続けてきた糸魔城と家の記録を改めて付き合わせ、役所の帳簿にも漏れなく記したという知らせを携えていた。「もう誰も千生の自由を揺るがすことはできません。望まれるなら、罪を蓄えて他の土地へ移られても構いません」と手代は言った。

しのぶは微縁で頷いたが、茶を注ぐ手がかすかに震えていた。「千代、どこへ行きたいか。海辺も良い、大きな市場も良いと聞く。路銀は私が用意しよう」としのぶは言った。千代が「私が去っても構わないのでございますか」と問うと、しのぶの目から涙がすっと落ちた。「構わねばならぬ。千代が私のために自由をまたるようなことがあってはならない」。

千代は糸魔城を畳み、しのぶの手に乗せた。「自由とは、愛する人を離れることを意味するのではございません。止まることを自らの胃で選べるということでございます。私はこの温存道に残りましょう。女中としてではなく、子供らを教える者として」。

「誠に、私の側を選んでくれたのか」。しのぶが問うと、千代は答えた。「初雪の降る日にも選びました。今日子の屋根の下でも、改めて選びます」。しのぶは千代を抱きしめた。「人は私に、母は一人だけだと言います。ですが私は二人だと思っております。私を生み行末を残してくれた母と、表門の外で私の手を握ってくれた母とがおります」。

千代の肩が震えた。「恐れ多くも、その名を私がどうしていただけましょうか」。しのぶは言った。「一番寒い日に、真っ先に握ってくれた手を、他の名で呼ぶことはできません。母上と呼ばせてください」。千代は答えの代わりに、しのぶの手の甲にそっと頬を寄せた。

その日、しのぶは幼い頃に門の隙間へ置いてきた折り鶴を取り出した。昨兵が拾ってしまっておいたが、開く資格はないと大切に保管してきたものだった。しのぶは古びた折り目に沿って折り直し、温存道の木先に吊した。「父上へ、この神は許しの証ではございません。忘れないという約束でございます」。昨兵は「忘れぬ」とだけ答えた。風がそよそよと吹く度、小さな翼がふるりと震えた。

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