「あら、嫌だ。高安君、ここに来たの?」
その声で、同窓会の空気が一瞬で変わった。長い髪をなびかせた女性、大東弓が、かつてと同じように俺を指差して笑っている。中学時代、彼女の言葉一つで俺の学校生活は地獄になった。クラスの中心にいた彼女が「高安君の家はうちの父さんの会社がなかったら潰れるんでしょ。かわいそうだね」と言った日から、俺は変人扱いされ、ロッカーは板と釘で塞がれ、机にはゴミを詰められた。あの頃の記憶が鮮明に蘇る。
「高安君みたいな人って同窓会からは逃げると思ってた」
彼女は俺の髪や服装を値踏みするように見て、馬鹿にするような笑みを浮かべた。俺は昔と違って、もう何も言い返せない子供ではない。だが、わざわざ波風を立てる必要もない。そう思ってやり過ごそうとした。ところが、大東さんは止まらない。
「高安君、卒業式にもいなかったけど、あれからどうしたの?」
「まあ、自分のやりたいことをしてたよ」
「高校に行ったっていうのも聞いてないんだけど」
「ああ、縁がないまま終わったよ」
そう言うと、彼女は目を輝かせた。まるで獲物を見つけたかのように。
「やだ、ちょっとまさか中卒?信じられない。どうやって生きてきたわけ?私なんて大学まで出たし、周りだってほとんどそうよ」
彼女は立ち上がり、通りかかった同級生を捕まえて言いふらす。
「ちょっとみんなも聞いてよ。高安君、中学を出ただけなんだって。中卒のダメ人間。今時の感じだと底辺の人ってことよね」
周りの同級生たちが好奇の目を向ける。あの頃と同じだ。彼女が俺を貶めれば貶めるほど、周りはそれに乗っかる。だが、今回は違った。俺の友人の一人が眉をひそめて言った。
「大東さん、やめたらどうかな。言っていいことと悪いことがあるよね」
「何よ?同窓会よ。昔に戻って遊んでるんじゃないの?」
「昔もそうだったけど、今になってもこんなことをして楽しいんじゃないかな」
大東さんは友人を睨みつけ、さらにヒートアップする。
「それに高安君は何を言われても仕方ないと思うけど、中卒で底辺。糸前に出るなんて恥ずかしいだけの人じゃない?」
「大東さん、いい加減に…」
「うるさいわね。友人ごっこのつもり?」
俺は友人を制した。「ありがとう。もういいよ」と耳打ちし、彼女のペースに乗ることにした。どうせ同窓会は一時のことだ。嵐が過ぎるのを待とう。
「中卒底辺ってことは、結婚にも縁はないわよね」
彼女は得意げに左手の薬指を見せつける。そこには光る結婚指輪。
「私にはいわゆるエリートの主人がいるの。大手企業勤務で営業部長よ。大学時代のバイト先で知り合ったんだけど、名門私立大学の経済学部出身でね。以前は大手の自動車メーカーにいたんだけど、ライバル会社にスカウトされたのよ。優秀で。それでいきなり部長待遇。どう?学歴がある同世代の男性ってそういうものなのよ。高安君には分からないだろうけど」
彼女は自分の暮らしを自慢し続ける。ブランド物の指輪、海外ブランドの服、趣味はブランドバッグの収集。そして最後にこう言い放った。
「うちの主人は底辺のあなたには一生縁のない人よ」
俺は何も言わなかった。確かに世の中にはいろんな人がいる。だが、彼女の言葉に友人たちの顔が凍りつく。俺も反論しようかと思ったその時、救いの手が差し伸べられた。
「よく来てくれた!」
中学時代の担任が満面の笑みで近づいてきて、俺の背を軽く叩いた。彼に囲まれて、ようやく同窓会らしい雰囲気を楽しめた。だが、頭の中には大東さんの言葉がへばりついていた。底辺、中卒、ダメ人間。五十になっても尚、彼女は俺を馬鹿にする材料を探している。新しい記憶が一つ増えた。
同窓会も無事に終わり、参加者たちは帰路につく。俺は友人たちと飲み直す約束をして、ロビーで待つ友人の元へ向かった。すると、見覚えのある中年男性が立っている。大東さんの夫だろう。彼女が駆け寄っていく。
「迎えに来てくれたの?ありがとう」
「ああ、高安君、私の夫よ。さっき話したね、上場企業の営業部長の」
彼女は誇らしげに夫を紹介する。だが、夫の表情は強張っていた。目が合った瞬間、彼は視線を外す。何かおかしい。
「とにかくプライベートに時間を割くなんてありえないのよ。うちの主人は本当はこんなところに来れるはずもないぐらい忙しいの」
大東さんは夫を褒めちぎるが、夫は消え入りそうな声で言った。
「なあ、ゆみ、もうその辺でやめてくれないか?」
俺は静かに切り出した。
「営業部の平松さんですよね。けど、部長ではないはずですが」
場の空気が止まった。大東さんの眉が釣り上がり、夫は首を縮こまらせる。
「申し訳ありません。社長…これにはわけが」
「は?社長って何?」
「だから、高安社長だ。今僕が勤めている会社の」
大東さんはますます困惑する。
「ちょっと、なぜあなたが高安君と働いているのよ。何が社長なのよ」
「だから、僕の勤め先は高安社長の会社なんだ。IT系のベンチャー企業だ」
「嘘でしょ?上場、上場の営業でしょ?」
「それは…」
平松さんの告白は短く、重かった。彼は前の会社で大きな情報流出事故を起こし、解雇されていた。妻には『ライバル会社にスカウトされた』と嘘をつき、部長待遇だとも偽っていた。実際は我が社の営業部でリサーチ係として働く、ただの社員。
「君に本当のことを言えるわけがないんだ。だから僕は君が喜びそうな話に変えた。上場企業から部長待遇でスカウトされたというのも、そういうことなんだ」
大東さんは激怒した。ロビーにはいつの間にか同級生たちの輪ができていて、彼女を指さして笑っている者もいる。
「ふざけんじゃないわよ!あんたなんか今すぐいらないわよ!」
大東さんは大声で怒鳴りながら夫を突き飛ばし、そのままロビーから出ていった。場は気まずい雰囲気に包まれ、俺は平松さんに声をかけるしかなかった。
同窓会から四日後、俺は会社の応接室で平松さんと向き合っていた。彼は自虐的に話す。同窓会の夜、帰宅したら離婚届を突きつけられた。妻は友人の家に転がり込み、離婚届を出すつもりらしい。
「私が悪いとは言っても、妻にも原因はあったと思ってますが」
平松さんは続ける。妻は常に理想の夫を求めた。上場企業のエリート、高級マンション、ブランド品。当然、現実とのギャップに追い詰められ、彼は消費者金融に手を出し、帰宅しない日まで作っていた。
「恥ずかしい話ですが、生活費で足りない部分は消費者金融に駆け込んで借金を重ね、忙しさの演出のためにサウナやネットカフェに泊まって帰宅しない日まで作った」
しかし、今の彼の目は不思議と澄んでいた。これまでのプレッシャーから解放され、自分自身と仕事に向き合おうとしている。営業部長からも「何かが吹っ切れたように見える」と聞いている。
「私はこれまでやらないといけないことばかりで、お金も返さないといけない。仕事に集中するのももちろんですが、自分で自分の人生を生きるために」
彼はそう言って立ち上がった。俺はその背中を見送りながら思う。同窓会で貶められたあの日、まさか大東さんの人生が崩れることになるとは思わなかった。そして、俺が立ち上げた会社が、彼の再出発の場所になっているとは。人生とは、どこでどう転ぶか分からないものだ。



