雨の夜、震える中学生に「ここで寝ていけ」と声をかけた畳店の夫婦。その一言が一つの人生を救い、十五年後、今度はその子が店を守る番になる。八千万円の仕事を捨ててまで守りたかったものの物語。畳に込められた十五年間の見えない約束に、涙が止まらない。

雨の夜、震える中学生に「ここで寝ていけ」と声をかけた畳店の夫婦。その一言が一つの人生を救い、十五年後、今度はその子が店を守る番になる。八千万円の仕事を捨ててまで守りたかったものの物語。畳に込められた十五年間の見えない約束に、涙が止まらない。

雨の夜、中学二年の俺は震えながら商店街のアーケードの下に立っていた。親をなくしてから行く場所がなかった。そんな俺に畳店のおやじが声をかけた。「寒いだろう。ここで寝ていけ」。ただそれだけの言葉が、俺の人生を救った。

あれから十五年。俺はこの町で建設会社を経営している。今日は仕事の帰りに、この店の前を通りかかった。看板が外されている。老朽化で商店街の建物が取り壊されることになり、店を畳むと聞いたのは先月のことだった。

「親父さん、体はどうだ」。店の奥にいたおやじは、杖をつきながら俺を見上げて、いつものように鼻を鳴らした。「工事はいつ始まる」。俺が答えると、おやじは畳のへりを撫でながら言った。「そうか。なら、あと半年はここで店をやれる」。

おやじの名前は宮本高造。七十歳を過ぎてから、体のあちこちに不調が出始めていた。それでも畳を縫う手を止めたことはない。俺はその日、店の奥の和室に上がって畳の感触を確かめた。十五年前のあの夜、雨に濡れた体をこの畳が受け止めてくれた。あの日からずっと、この店は俺にとって帰る場所だった。

おやじの妻のよしえさんが茶を運んできた。「久しぶりね。仕事はどうなの」。俺は会社の話を少しした。新築のマンションの仕事が決まったこと。社員も増えてきたこと。よしえさんは嬉しそうに頷いて、「あんたが大きくなって…」と目を潤ませた。

その時、おやじが口を開いた。「新しい建物には、店は入らないのか」。俺は首を振った。「商店街ごと再開発になる。畳屋だけ残すわけにはいかない」。おやじは黙って畳を見ていた。「そうか」。それだけ言って、また茶を啜った。

数日後、俺は役員会で提案した。新築マンションの仕事を断って、商店街の再開発に携わりたいと。社員たちは驚いた。八千万円の仕事を捨てる理由がわからないと。俺は説明した。「あの店がなくなったら、この町のどこが俺の帰る場所になるんだ」。

最初は反対の声が多かった。社員の一人、岩瀬が言った。「社長の言いたいことはわかる。でも、会社を潰すわけにはいかない」。俺は食い下がった。「全部の仕事を断るとは言っていない。あの地域の再開発には、公共施設の工事も入っている。畳店が入る物件を確保できれば、採算が合わないこともない」。

その日の会議は揉めた。それでも、俺は譲らなかった。「この会社を作ったのは親父さんじゃない。でも、俺をここまで育てたのは間違いなくあの人だ。人の帰る場所を作るのが仕事だって、あの人に教えられた」。

結局、役員会は折れた。条件は、新築マンションの仕事は断るが、それ以外の事業で会社を維持すること。俺は役員報酬を半年間停止して、社員たちの給料を優先した。夏のボーナスも出せなかった。「すまない」と頭を下げた。社員たちは誰も文句を言わなかった。

その年の暮れ、俺はまた店に行った。おやじは相変わらず皮を縫っていた。「聞いたぞ。大きな仕事を断ったらしいな」。俺は頭を下げた。「店は残します。必ず」。おやじは針を置いて、「俺も畳を縫えなくなるまで、ここでやり続ける」と言った。

翌年の夏、おやじの様子がおかしいとよしえさんから電話があった。店に行くと、おやじは作業台の前で畳を縫おうとして、手が動かなくなっていた。医者に連れて行くと、脳の血管が詰まっていた。幸い命は助かったが、右手に麻痺が残った。

リハビリは真面目にやった。それでも、右手が元通りになることはなかった。ある日、おやじは病室で自分の右手を見つめながら言った。「もう畳は縫えんかもしれんな」。俺は何も言えなかった。

退院してからのおやじは、少し無口になった。作業台の前にも立たなくなった。俺は島崎という若い社員を連れて店へ行った。材料を運び入れて、おやじの前に置いて言った。「親父さん、俺に縫い方を教えてください」。おやじは驚いた顔をした。「素人にできるか」。俺は言った。「できないから、教えてくださいと言っているんです」。

おやじはしばらく黙っていたが、やがて杖をついて作業台の前に座った。「針を引くな。押し込め」、と指示を出した。俺の手は震えて、糸の目が揃わない。三度も糸を切った。それでもおやじは怒らなかった。「押し込め。押し込め」。ただそれだけを繰り返した。

夕方までかかって、一枚の畳が縫い上がった。俺が畳を立てておやじの前に運ぶと、おやじは左手で表面をゆっくり撫でた。「ここが甘い」。それから「まあ、初めてにしてはいい」と言った。俺はその言葉で救われた。

よしえさんが拭きながら畳を見て口を抑えた。「大君、ありがとうね。会社の大きな仕事まで断って」。おやじが頭を下げようとした。俺はそれを止めて、その場に膝をついた。「あの日、ここで寝かせてもらわなかったら、今の俺はいません。あの日は親をなくしてから初めて、帰っていいと言ってもらえた日でした」。

よしえさんは声をあげて泣いた。おやじは天井を見て、それからいつものように鼻を鳴らした。「あの部屋の畳みな。毎年変えとったのは俺の趣味だ。深い意味はない」。俺は笑いながら、涙が止まらなかった。

それから三年が過ぎた。朝日町の再開発は保証のやり直しで半年ずれ込んだが、去年の秋にマンションが完成した。一階と二階には商業施設が入り、ドラッグストアやスーパー、飲食店が並ぶ。

ただ一階の南側の角だけが違う。そこに木の看板がかかっている。宮本畳店。古い店から移してきた看板で、文字の溝の汚れも落としていない。磨こうという話が出た時、おやじが「落とすな」と言って終わりになった。

店の中には、前の店から運んできた作業台がある。畳を縫う機械もそのまま使っている。おやじとよしえさんの住まいは同じ建物の三階だ。店の奥には六畳の和室がある。畳は部屋ができてから、俺と島崎で採寸して縫った。おやじは横の椅子から「押し込め」と言い続けていた。

ここは誰でも上がれる。靴を脱いで上がって、寝転がっていい。金は取らない。平日の昼間に行くと、買い物帰りのおばあさんが荷物を置いて休んでいる。子供を連れた母親が隅の敷き物を広げて遊んでいることもある。学校帰りの子供がランドセルを枕にして寝ていたこともあった。よしえさんはその子に何も聞かない。お茶を出して、また台所に戻る。昔、俺に何も聞かなかったのと同じだった。

先月、子供たちの畳作り教室の日に店へ顔を出した。土曜の午前中、和室に子供が八人座っていた。畳表の切れ端と小さな木の枠が配られて、手のひらくらいの畳を作るのだ。おやじは真ん中に座って、順番に手元を覗き込んでいた。「そこ引っ張りすぎだ。たるんでもいい。破れたら終わりだ」。女の子が聞いた。「たるんでもいいの?」。「たるんだのは直せる。破れたのは直せん」。

俺はその言葉を聞いて、はっとした。おやじは畳の話しかしていない。でも、俺には別のことを言われている気がした。たるんだのは直せる。破れたのは直せない。あの日、雨の中で震えていた俺を、おやじは見逃さなかった。直せる前に、破れる前に、手を差し伸べた。

帰り際、あの女の子が自分で作った小さな畳を両手で持って俺のところに見せに来た。へりが曲がって角も揃っていなかった。「これ下手くそ」。「そんなことないよ。おじいちゃんがまあまあだって言ったんだろ。それはなかなかの褒め言葉だぞ」。女の子は照れくさそうに笑って、教室の仲間のところへ戻っていった。

教室は月に二回だ。口コミで思ったより人が来るようになった。畳のへりで小物を作る方はよしえさんが教えている。おやじの右手は完全には戻らなかった。だから見本を作る時は、島崎が手を動かして、おやじが横で口を出す。店の仕事も同じやり方だ。縫うのは休みの日の島崎と俺だ。数は多くないけど、それでも月に何枚かは新しい畳がこの作業台から出ていく。

引くんじゃない。押し込むんだ。

島崎は今年で二十五歳になった。専門学校の夜間には、予定より一年遅れて通い始めた。あの仕事を見送った年は学費どころじゃなかったからだ。学費は本人が半分、会社が半分出した。島崎はあの教室に休みの日も自分から来ている。理由を聞いたら、「じいさんに怒られに来てる」と笑っていた。

この春、島崎は初めて現場を一つ任された。市営住宅の畳の交換だ。引き渡しの日、島崎は住人の一人に礼を言われて、慌てて自分の方が頭を下げていた。その姿を見ながら、俺はあの言葉を思い出していた。人が帰ってくる場所を作る仕事だ。

この三年でうちの会社は少し変わった。新築の受けも続けているが、今一番動いているのは古い家の直しの方だ。一人暮らしのお年寄りの家で、手すりや段差の工事が増えた。金額は小さい。件数は多い。社員は十五人になった。あの年はきつかったが、潰れはしなかった。

去年、地元の新聞にうちの会社が小さく載った。見出しは「住み続けられる家を作る工務店」。記事を切り抜いて事務所に張ったのは島崎だ。商店街の人たちも何人か新しい建物に戻ってきた。大久保さんの乾物屋が一階の一番奥に入った。店先に鰹節の匂いが漂っているのは前と同じだ。

先月、俺は久しぶりに平日の昼に店へ行った。仕事の帰りで作業着のままだ。店に入ると、よしえさんが「あら」と言って奥の和室を指さした。先に上がってなさいよ。今、お茶入れるから。

俺は靴を脱いで和室に上がった。畳は新しかった。七月に変えたばかりだという。七月に畳を変える癖だけは、おやじはやめないらしい。俺は畳の上に座って目を閉じて、息を吸った。乾いていて、少し甘くて、懐かしい匂いがした。あの雨の夜と同じ匂いだった。

おやじが杖をついて入ってきた。座布団に座って、俺の顔を見た。「なんだ。仕事の途中か」。「はい。すぐそこの団地で畳の交換をやってます」。「なら、さっさと戻れ」。「お茶飲んだら戻ります」。

よしえさんが盆を持ってきて、番茶と切った羊羹が乗っていた。あの晩とちょうど同じだった。俺は茶を飲んで、それから財布を出した。中からあの藍色のお守り袋を取り出して、茶布台の上に置いた。よしえさんが「あら。まだ持っててくれたの?」と言った。「預かったものですから。返しに来なさいと言われたので、返しに来ました」。

よしえさんは袋を手に取って、指でしばらく撫でていた。それから俺の方へ押し戻した。「じゃあ、もう一回預けるわ。持っててもらわないと、来てくれなくなるもの」。

俺は袋を財布に戻した。それから言った。「親父さん。今度は俺が誰かの帰る場所を作ります」。

おやじは羊羹を口に入れた。食べ終わってから、口を開いた。「なら、もう一年前だ」。

それだけだった。

俺はその言葉を聞いて、湯飲みを置いて、畳の上に座り直した。そして深く頭を下げた。おやじは何も言わなかった。よしえさんは台所で洗い物をしていた。外から買い物客の話し声が聞こえていた。

あの日、俺に必要だったのは、大きな家でも豪華な布団でもなかった。ただ、雨に濡れた体を受け止めてくれる一枚の畳と、「ここで寝ていけ」と言ってくれる人のぬくもりだった。あの日から十五年かかって、俺はようやくそのぬくもりを守る側になれた。

今日もあの和室には誰かが上がっている。名前も知らない誰かが靴を脱いで畳の上で少しだけ休んでいる。それでいい。帰る場所というのは、そういうものだ。

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