雪の吹きすさぶ真冬の夜遅く、人里離れた山あいの小さな藁屋根の小屋の扉が叩かれた。戸を開けた藁職人の徳造の目の前に立っていたのは、自分の体ほどもある弟を背負った、七つばかりの幼い兄だった。
「一晩だけ置いてくださいませ。弟が、死んでしまいます」
震える声でそう言ったその子は、寒さで唇を紫色に染めていた。背負われていた弟も、生きているかどうかもわからないほどぐったりとして、体はまるで火の玉のように熱く燃えていた。
徳造はかつて妻と幼い息子を疫病で失い、それ以来、心の扉を固く閉ざして一人で生きてきた男だった。しかし、瀕死の弟を背負ったこの幼い兄弟を、どうしても追い返すことができなかった。
「これはひどい。早く中へ入りなさい」
徳造は二人を部屋に招き入れ、熱に浮かされた弟を布団に寝かせ、粥を炊いてやった。兄の吉太郎は、自分の口に入れる前に、まず弟の口へ粥を含ませて冷まし、丁寧に飲ませた。その姿に、徳造の凍りついた心の奥底で何かが軋んだ。
「血のつながらぬ他人を拾ったところで、何の役にも立たぬ」
それは子供たちというより、自分への戒めだった。情けをかければ、失ったときに受ける痛みは深くなる。彼は誰よりもそれを知っていた。
翌朝、弟の吉次郎の熱はさらに上がっていた。出立を促す徳造に、吉太郎は縋りついた。
「おじ様、どうかお願いします。弟が治るまでだけでいいんです。何でもします。ご恩は必ずお返しします」
そう言うと、吉太郎は自分の背丈ほどもある斧を持ち上げ、雪の中で必死に薪を割り始めた。その小さな必死な背中を見て、徳造はため息をついた。
「もう良い。今日一日だけだぞ。弟の熱が下がり次第、すぐに旅立ってもらうからな」
吉太郎の目から涙がぽろりとこぼれた。
市場に出た徳造は、村の掲示板に貼られた書状を目の当たりにし、血の気が引いた。奉行所の米を横流しした罪人の子、二人を元締めが捜していると書いてあった。人相書きには、「兄はしっかり者、弟は体が弱い」とある。それは、まさに吉太郎と吉次郎の姿だった。
家に戻ると、吉太郎は凍った沢で弟の着物を洗っていて、冷たい水に手を浸しすぎたせいで、意識を失って倒れていた。徳造は急いで抱き上げ、体を温めてやった。問い詰めようと思っていた気持ちは、その哀れな姿を見てどこかへ消えてしまった。
その後、徳造は吉次郎の和服の袖の裏に、何か固いものが縫い込まれているのを見つけた。ほどいてみると、そこから手のひらほどの真鍮の印籠が現れた。それは、ただの罪人の子が持てるような品ではない。ご用を務める役人が使うものだった。
「もしや、この子らの父は盗人ではないのかもしれぬ」
徳造は深く暗い事情を感じ取り、二人を自分の養子として迎え入れることを決めた。
「今日からお前たちは、私の甥じゃ。誰かに聞かれたら、遠くに住む姉の子だと答えなさい」
吉太郎の目から、抑えていた涙が溢れ出した。徳造の胸は、長い間空っぽだったその場所が、小さな温もりで満たされていくのを感じた。
春が訪れ、三人は穏やかな日々を過ごした。吉太郎は藁の編み方を教わり、無邪気な笑顔を見せるようになった。しかし、その幸せな時間は長くは続かなかった。元締めの祝人米は、彼らがまだ生きていることを知り、手先を使ってその行方を探らせていた。そして、吉太郎が何気なく口ずさんだ歌が、死んだ倉役人・十像の歌だとすぐに特定された。
「あのガキどもを生かしておくわけにはいかぬ」
祝人米は、村の名主であり徳造の隣人でもある兵を金で買収した。病の子を持つ兵は、苦渋の末に密告の道を選んでしまった。
翌朝、取り方たちが小屋に押し寄せた。泣き叫ぶ吉次郎の袖を乱暴に引き裂いた祝人米は、それに縫い込まれていた印籠を見つけ出すと、邪悪な笑みを浮かべて自分の懐に収めた。
「おじ様、おじ様!」
引きずられていく兄弟の叫び声に、徳造は必死に立ち上がろうとしたが、刀の峰で打たれ、崩れ落ちた。
「吉太郎! 吉次郎! 叔父が必ず迎えに行くぞ!」
その声は虚しく空に吸い込まれていった。
どれほど泣いただろうか。雨が弱まった頃、兵が濡れ鼠になって小屋を訪れ、土下座して泣き喚いた。
「所詮、あの子らは明日、遠国へ送られてしまう。最上はコラじゃ」
兵の言葉に、徳造の顔は真っ青になった。
「ならぬ。それだけはならぬ」
その時、囚われの牢で、吉太郎の脳裏に、父が最後に語った秘密の言葉が鮮明に蘇っていた。父は、印籠の底に隠された真の秘密と、歌の暗号を教えてくれていたのだ。七つの小さな胸に、最後の灯が燃え上がった。兵が牢を訪れた時、吉太郎はその秘密を打ち明けた。
「その歌の順に、印籠の底の紋様を押していくと、本当の帳簿が入った箱の鍵が出てくるのです」
兵はその歌を必死に覚え込み、夜の闇へと消えていった。それを聞いた徳造は、兵と共に最後の賭けに出ることを決意した。今この地に密かに滞在していると噂の巡検使に、直接訴え出るのだ。
夜が明け、巡検使の行列が村に到着した。徳造は行列の前に飛び出し、悲鳴のように訴えた。
「無実の罪で死んだ役人の子が、囚われております! 元締めの祝人米がご用の米を横流しし、その罪を着せて死に至らしめたのです!」
評定の場が設けられ、祝人米は偽の帳簿を携えて堂々と現れた。空気が不利な方へ傾いたその時、吉太郎が一歩前に進み出た。
「あの方のお持ちの帳簿は偽りです。本物の帳簿は、この印籠の底の鍵で開く箱の中にございます!」
吉太郎は、巡検使の許しを得ると、震える手で印籠を裏返し、父の教えてくれた歌を歌いながら紋様を押していった。月、星、花、鳥。最後の紋様を押し込んだ瞬間、印籠の底が二つに割れ、小さな鍵が転がり出た。
役人たちが走り寄り、旧役人の家の床下を掘り返すと、そこには本物の帳簿が眠っていた。横流しの日付と金額が細かく記されていた。
祝人米はその場に崩れ落ち、罪を認めた。厳しい沙汰が下り、祝人米は財産没収の上、死罪。腐敗した大官も改易された。兵は勇気ある証言が認められ、軽い罰で済んだ。
「過ぎたことじゃ。我らの吉太郎と吉次郎を救ったのは、お前のその勇気だったのだからな」
徳造の言葉に、兵は涙を止めることができなかった。そして、兄弟は徳造の懐へ飛び込んだ。
「よくやった。我らの自慢の息子だ」
徳造の両目は涙で溢れていた。
それから一年が過ぎ、また冬が巡ってきた。暖炉の上では焼き栗が香ばしい匂いを立て、小さくなった吉次郎が少し歪な藁沓を誇らしげに掲げた。八つになった吉太郎は、大人の足にちょうど合う丈夫な藁沓を、恥ずかしそうに差し出した。それは、徳造のために編んだものだった。
「片腕だが、この藁沓は一生大切に履かせてもらおう」
徳造はその藁沓を胸にきつく抱きしめた。昨年、血の涙を流しながら握りしめた、あの編みかけの小さな藁沓の一片が蘇った。あれほど小さかった子が、今ではこうして叔父のために藁沓を編むまでに育ったのだ。
雪の庭を、兄弟が笑いながら駆け回っている。徳造は縁側に腰かけ、その光景を眺めていた。
「血が繋がってこそ家族なのだと、ずっと思い込んでいたが…」
そう呟いた時、吉太郎と吉次郎が振り返り、明るく笑いかけた。
「おじ様、早くいらしてください。一緒に雪だるまを作りましょう」
徳造はにっこりと笑って立ち上がり、接岸へと歩み出した。三人で丸めた雪玉は、次第に大きく育っていった。血の一滴も分かち合わぬ三人だったが、互いの痛みを慈しみ合い、命がけで守り合い、そうして誰よりも固く、誰よりも温かい、誠の家族となったのである。
雪に覆われた小さな小屋も、世の中で最も温かな安らぎの場となった。その温かな物語は、いつまでも人から人へと語り継がれていったのであった。


