ある日突然、契約先の営業マンがジーンズ姿で来社し、「変なジジイ」呼ばわりしてきた。そして一方的に契約を打ち切ると言い放った。さらにその後、別の会社から「工場ごと買い取らせてくれ」という不審な電話が入る。何か裏があると直感した私は、手帳にすべてを書き殴り、「このまま終わるつもりはない」と決意した。だが、次に私が取った行動が、思わぬ波紋を呼ぶことになるとは知らなかった。 CTA:…

ある日突然、契約先の営業マンがジーンズ姿で来社し、「変なジジイ」呼ばわりしてきた。そして一方的に契約を打ち切ると言い放った。さらにその後、別の会社から「工場ごと買い取らせてくれ」という不審な電話が入る。何か裏があると直感した私は、手帳にすべてを書き殴り、「このまま終わるつもりはない」と決意した。だが、次に私が取った行動が、思わぬ波紋を呼ぶことになるとは知らなかった。 CTA:...

「契約なんて、他社と結べばいいんですよ」

俺はそう言い放ち、大声で返事をした。若葉自動車との契約が切れても構わない、という意味を込めて。

だが、この上田という営業社員は何なんだ。ジーンズ姿で会社に来るわ、俺に向かって「変なジジイ」呼ばわりするわ。若葉自動車は一体、どういうつもりでこんな男を送り込んできたのか。

「契約解除は若葉自動車さんとしての決断ということですか?」

「はあ、これは俺の一存っていうか。営業は会社の顔っていうか、その辺、俺は信用されてるんで」

俺は徐々にイライラが募っていった。この上田という若造は、なぜ語尾に「っていうか」をつけるのか。しかも、なぜ語尾を上げて話すのか。完全に理解不能だった。

俺の名前は荒川安志、55歳。東京の郊外で小さいながらも工場を経営している、いわゆる社長だ。

年齢的にそろそろ定年だろうと考え、今、息子の仁に社長業を継がせるべく業務の引き継ぎを始めている。俺は妻の芳恵と2人暮らしだが、仁夫婦が隣に住んでいるため、夫婦2人きりで寂しいねと妻と話すことはない。

仁夫婦は新婚だが、嫁ができた女性で、俺や芳恵を家に呼んで頻繁に手料理を振る舞ってくれるほどだ。

「お父さん、孫の顔が見られるのはいつかしらね」

こんな風に妻は初孫の誕生を心待ちにしている状態で、俺も実はちょっと楽しみにしていたりするのだった。

俺が仁と机を並べ、2人で社長としての業務を行うようになってから、そろそろ半年になるだろうか。

「仁、お前、秘書でもつけてみるか」

今は2人でやっているからそれほど忙しいと感じないかもしれないが、1人でやるとなると話は別だ。社長特有のプレッシャーがのしかかってくるし、多忙でスケジュール管理が追いつかないこともある。事務部門からの書類仕事もこなさなければならないため、秘書がいるとやりやすいとアドバイスしてみた。実際、俺も慣れるまでは秘書を雇っていたことがある。

「じゃあ父さんが定年で引退したら、秘書やってよ」

「それじゃ俺が引退する意味がないだろう」

「でも本当に60歳で引退するつもりなの? 最近は定年を65歳に設定する企業もあるみたいだよ」

それはそうなのだが、どこかで区切らないと本当に60歳以降も仕事をしてしまいそうで怖い。そう話すと仁は笑った。

「そんなにきっちり線引きすることないんじゃない? だって父さんには定年なんて適用されないんだからさ」

仁の言う通り、俺のような会社役員には就業規則上の定年のルールは適用されない。つまり、何でも自分で決めていいのだ。そう言われると俺としても弱い。現場で作業をと言われれば体力低下を理由に断るところだが、秘書業務をやって欲しいと言われれば、できてしまいそうだからだ。

多分、秘書として雇われるなら社員でも役員でもなく、ただのパート扱いになるだろうが、老後の家庭のために働くのであれば魅力的なお誘いであるようにも感じる。

「お父さん、もうすぐ若葉自動車さんが来るよ」

「そういえば若葉の部長さん、今日から新人を担当に起こすって言ってなかった?」

仁に言われ、俺は手帳をめくる。確か先月の相談の時は部長本人が来ていたが、あれから電話で新担当を寄越すと言っていた記憶がある。

「お前はこういう手書きがしないんだな」

仁は車内会議でも打ち合わせの時も商談の時も、手にしているのはタブレットだけだ。本人曰く、見たい時に見たい情報だけが見られるのが魅力なのだそうだ。

一方で俺と来たら、何でも手帳に殴り書きしている。見たい時に見ようとしても、どこに何を書いているのか思い出せず、つい何度もめくりすぎてしまうのだった。

ドアのノックが響き、仁が応対に出る。

「お待ちしておりました。どうぞお上がりください」

俺は書類を整え、気持ちを引き締めてソファに座り直した。若葉自動車の新しい担当者が何者なのか、どんな人物なのか。まさか、この時はまだ思ってもみなかった。これから起こる出来事が、俺の人生を大きく変えることになるなんて。

「お世話になっております。若葉自動車営業部の上田と申します」

入ってきたのは、粗末なジーンズ姿の若い男だった。髪はボサボサで、挨拶もどこかだるそうだ。俺は一瞬、目を疑った。

「若葉自動車は、こんな格好で来社するのが普通なのか?」

「あー、すいません。今日はちょっと現場見てきたんで。で、まあ、ご挨拶ってことで」

上田と名乗る男は、ソファにどっかりと座り、足を組んだ。その態度に、俺の眉間のシワが深くなる。

「で、今日は何の用だ」

「そうっすね。まあ、契約の件ですよ。いやー、こちらとしてもいろいろ考えまして。で、まあ、今回、ちょっと条件見直させてもらいたいなと思ってるんですよ」

「条件の見直し? 具体的にはどういうことだ」

「端的に言うと、今回の契約、継続難しいっすわ。うちの会社の方針も変わってきてるし、やっぱこう、効率重視っていうか」

俺は聞き返した。

「つまり、若葉自動車としては、うちとの契約を打ち切るということか?」

「そっすね。まあ、そういうことになりますかね。いやー、すいませんね。上もそう言ってるもんで、俺としては言われた通りにしか」

上田は手をひらひらと振りながら、まるで他人事のように言った。俺の頭の中で何かが切れる音がした。

「では、そちらの部長にもう一度話をさせてもらいたい。私が直接、電話で」

「いやー、それも難しいっすね。部長も俺に一任してるって言ってたし。そういうことなんで、まあ、ご理解くださいよ」

「ご理解も何も、この半年、我々は若葉自動車と取引を続けてきた。無断で担当を変え、一方的に契約を打ち切るとはどういう了見だ」

「あー、まあ、世の中そういうこともあるんで。ビジネスなんで、割り切ってもらわないと」

上田はニヤニヤしながら言った。その表情を見た瞬間、俺の中で何かが凍りついた。

「……わかった。契約を打ち切るというなら、それで構わない。ただし、お前さんの態度は営業としてどうなんだ。『変なジジイ』呼ばわりしたことも含めてな」

「あー、それは失礼しました。でもまあ、俺の本音なんで」

俺は静かに立ち上がった。

「……俺は荒川だ。この工場の社長だ。お前さんに言っておく。ビジネスは割り切りのものかもしれないが、人の心は割り切れない。今日のこの態度、忘れないでおくぞ」

「はあ、どうぞご自由に。それじゃ、失礼します」

上田は立ち上がり、そのままドアの方へ歩いていった。そして、ドアの前で振り返り、一言だけ残した。

「あ、そうだ。ひとつ忠告しときますわ。この辺の取引先、うちと手を切ったら、他の会社もビビって契約してくれないっすよ。まあ、ご自愛ください」

その言葉を残し、上田は去っていった。部屋には沈黙が残った。仁が口を開いた。

「……父さん、どうする?」

俺は深く息を吐いた。

「どうするもこうするもない。若葉自動車に依存していた自分たちが悪かった。だが、あんな男に屈するわけにはいかない。新しい取引先を探すぞ。……いや、待て」

俺は手帳を開き、ある名前を探した。商工会議所で知り合った、部品加工の会社。かつて「何かあったら頼ってくれ」と言ってくれた相手がいたはずだ。

「……明日、早速動くぞ」

俺は決意を固めた。だが、その夜、俺のスマホに一本の電話が入る。マネージャーを名乗る男からの電話だった。

「荒川社長ですか? 私、同盟金属の小林と申します。若葉自動車の上田という者から話を聞きまして。あなたの工場、うちで買い取らせてもらえませんか? 条件は、まあ、会社ごとということで」

俺は受話器を握る手に力を込めた。

「……何の話だ。うちは売り物じゃない」

「いやいや、若葉だけじゃなく、周辺の取引先もね、みんな同じ流れになってるんですよ。あなたの工場、存続させる気があるなら、うちの傘下に入るのが一番ですよ」

俺は電話を切った。机の上で手が震えているのがわかった。

「……これは、何か裏があるな」

俺はそう呟きながら、手帳に今日の出来事を書き殴った。上田の言葉、電話の男の言葉、すべてを。そして、最後に一行だけ書いた。

「俺は、このまま終わるつもりはない」

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