「明日までに薬草畑の証を持ってこい。さもなくば大監所に引き立てる。」
村一番の権力者・ゼニアマンは、庭先に立ったままそう言い放った。声は庭の隅々にまで響くほど大きく、周りを固める男たちも鋭い目つきでこちらを見下ろしていた。
私は青ざめた顔で、何も言い返せなかった。母はただ涙を拭うばかりで、病に伏せる父の咳だけが奥の間から聞こえてくる。この家にはもう、あの男に逆らう力など残っていないように思えた。
庭先に落ちた春の日差しさえ、その日は妙に白々しく感じられた。垣根の外では近所の者たちが息を潜めて成り行きを見守っている。誰一人として、この理不尽を止められる者はいなかった。
ゼニアマンの供の者たちが引き上げた後も、庭にはしばらく重い沈黙だけが残っていた。
ところが、それからわずか数日後のことだ。あれほど執着していた薬草畑の話を、ゼニアマンが自ら引っ込めた。代わりに、裏山の草一本もまともに生えぬ荒地を譲ってほしいと、自ら頭を下げてきたのだ。
屋敷でも、田畑でも、店の信用でも、望むだけ差し出そうと言う。理由を語る者は誰もいなかった。
あれほど欲しがっていた豊かな畑をあっさり手放してまで、何の価値もない土地を欲しがるのはなぜか。その答えを知る者は、まだこの村のどこにもいなかった。
村の年寄りたちは後にこの一件を語る時、決まってこう言い添えるという。
「人の欲は時に自らの目を曇らせ、手にした富をも失わせるものだ」
この物語はそんな無言者と、静かに己の道を貫いた一人の娘の顛末にございます。
この村では長らく、金と権勢さえあれば何でも思い通りになると信じられておりました。しかしこの一件は、その考えを大きく揺るがすことになるのでございます。それがどのようにして起きたのか、これより順を追ってお話いたしましょう。
山合の三草村に、代々薬草を扱う山根という家があった。末娘のおりんは幼い頃から父の後について山を歩き、薬草を摘みながら、土の湿り気や葉の色合いから良い薬草の育つ場所を見分ける目を養ってきた娘だった。
二十歳を過ぎた年に隣村の家へと嫁ぎ、朝は誰よりも早く起き、家の仕事にも実直に励んでいたので、舅姑からも厚く信頼を置かれていた。
ある年、蔵の米に虫がついたと騒ぎになった時も、おりんが落ち着いて囲いを変え風を通すよう指図しただけで事が収まったことがある。
舅は時折、「お前は口数こそ少ないが、物をよく見ている娘だ」と言って褒めておった。
裏山の中腹に広がる薬草畑は、父が若い頃から何年もかけて石を除け、土を耕して切り開いてきた土地だった。里では育てるのが難しい薬草も、この畑ではよく育ち、その売上が両親の暮らしと薬代のほとんどを支えていた。
ことに、あの畑でしか育たないという下熱の薬草は、村で高熱を出した子どもを幾人も救ってきたものだ。
おりんは幼い頃、隣家の子が熱に浮かされた時のことを覚えている。父がその根を煎じて飲ませると、一晩で熱が引いたのだ。あの畑があったからこそ助かった命がある。おりんはそう心に刻んでいた。
秋になると畑一面に薬草の花が咲き、父と二人、日が暮れるまで摘み続けたものだ。あの頃、汗を拭いながら父が言った言葉を、おりんは今も忘れない。
「この畑さえあれば、この家の者は誰も飢え死にせんよ」
その畑を、ゼニアマンは黙って奪おうとしている。おりんはその知らせを聞いた時、腸が煮え繰り返るような思いだった。だが、嫁いだ身の自分にできることなど何もない。そう思ってやり過ごそうとした。
しかし、数日後にゼニアマンが態度を変え、荒地を欲しがり始めたという噂を聞いた時、おりんの胸に疑問が湧いた。
何かがおかしい。あの男が理由もなく畑を手放すはずがない。
おりんは実家へ手紙を出したが、返事は来なかった。心配になったおりんは、夜明け前の暗いうちに家を抜け出し、実家へと向かった。三草村までの山道を急ぎ足で歩きながら、おりんは様々な想像を巡らせた。
そもそも、ゼニアマンがなぜ薬草畑を欲しがったのか。畑の価値は薬草にある。薬草の価値は、その効能にある。父の畑でしか育たない下熱の薬草。それをゼニアマンが欲しがる理由となると、心当たりがないでもなかった。
数年前、ゼニアマンの一人息子が原因不明の熱病にかかったことがある。村の医者では手の施しようがなく、ゼニアマンはありとあらゆる薬を試したが、効き目がなかった。最後に頼ったのが、山根家の下熱の薬草だった。父は根を煎じてゼニアマンの息子に飲ませ、見事に熱を下らせた。
その時ゼニアマンは礼を言った。しかし、その目には感謝の色ではなく、別の光が宿っていたのをおりんは見逃していなかった。あの男は、あの薬草の力が自分のものにならない限り、決して満足しないだろう。おりんはそう感じていた。
だが、それにしても、荒地などと言う。あの裏山の荒地に、何か隠されているというのか。
実家に着いた時、母は泣きながら出迎えた。父は床に伏したまま、頬がこけていた。ゼニアマンは畑を取り上げた後も、父に何かしらの圧力をかけ続けている様子だった。
「あの畑を、もう一度取り戻せんものか」
父は弱々しい声で言った。しかし、もう手の打ちようがないように思えた。
その夜、おりんは一人で裏山へ向かった。月明かりの下、荒れ果てた薬草畑に立つと、土の匂いが風に乗って漂ってきた。もう随分と手入れをされていないせいか、畑は草茫々となっていた。
星明かりの下、しばらく畑を見渡していると、ある異変に気がついた。畑の南側の一角だけ、他の場所とは明らかに土の色が違う。黒々とした、肥沃な土。そこだけ妙に湿り気を帯びていて、うっすらと湯気が立っているのが見えた。
祖父から聞いたことがある。昔、この辺りで地熱が湧き出る場所があり、そこでしか育たない薬草があったと。もしかすると、ゼニアマンの狙いはこの場所なのかもしれない。
しかし、そうだとしても、なぜ畑を荒地と交換するのだ。何か裏がある。
おりんは更に調べることにした。翌日、ゼニアマンの屋敷の周りをこっそりと観察していると、不意に物音がした。物陰に隠れると、ゼニアマンの家来が一人、こそこそと裏口から出てきて、何やら紙包みを抱えていた。
その紙包みの中身を、おりんは偶然見てしまった。焔薬草――それは、高熱を起こさせる毒草だった。
ゼニアマンは、下熱の薬草を独占するために、まず村の病人を増やそうとしているのだ。人為的に熱病を流行らせ、その治療薬として山根の薬草を使い、やがて自らの支配下に置こうとしている。
愕然とした。
あの荒地は、一体何なのか。実は焔薬草の栽培に適している場所である可能性が高い。つまり、ゼニアマンは病人を増やし、その治療に必要な薬草を自ら栽培し、村全体を手中に収めようとしているのだ。
おりんの血が逆流した。このままでは、村人が犠牲になる。家族も、隣人も、何も知らない子どもたちまで。
しかし、証拠を掴まなければ、ゼニアマンを告発することはできない。紙包みだけでは決め手に欠ける。おりんは必死に考える。
母が縁側で薬草を乾かしていた時、おりんは尋ねた。
「焔薬草に効くものを、知りませんか」
母は一瞬手を止め、顔を上げた。
「なぜ、そんなことを」
「もしも、村にそれが流行った時のために」
母はしばらく沈黙した後、静かに言った。
「焔薬草に効くのは、あの畑の下熱の根だけ。それ以外には、何もない。だからこそ、あの畑は誰の手にも渡してはならないのよ」
おりんは夜、再び裏山の荒地へ向かった。月明かりの下、あちこちを足で探ると、数日前に掘り返したような痕跡を見つけた。土を掘り起こすと、そこには見たこともない球根がいくつか埋まっていた。灰色がかっていて、表面には奇妙な斑点がある。これが焔薬草の球根だ。
おりんはその球根を布に包み、持ち帰った。そして、翌朝、村の長の家へと向かった。話を聞けば、必ず事が動くはずだ。ゼニアマンがやっていることを、証拠を持って示せば――



