この指輪はお預かりできません。白髪の天手は小さな指輪を白い布の上にそっと戻してそう言った。細い金の台に緑の石が一つ。母の形見だった。外は真冬の雨で、俺の学生服の袖は濡れて色が変わっていた。偽物でもいいんです。俺はガラスのケースに額がつきそうなほど深く頭を下げた。弟と妹に今日のご飯を買ってやりたいんです。天手は頷かなかった。もう一度その指輪を明かりにかざして、節の寄った指で内側をなぞっている。質見る者特有の手つきではなかった。売れてはいけないものを売ってしまった人の手つきだった。やがて書は俺に背を向け、奥へ入っていった。黒い電話の受話器を持ち上げる音がした。連の隙間から見えるその手が震えているのが雨の中でも分かった。見つかりました。はい。お嬢様のお子様です。何の話だか分からなかった。俺はただ母の形見を売れなかった。それだけが分かっていた。この一本の電話が俺たち三人の雪場を変えることになるとは、俺はまだ知らなかった。
俺の名前は柏木優馬。十四歳、中学二年生だ。二ヶ月前に母をなくして、今は九歳の弟と五歳の妹と三人で古いアパートに暮らしている。父はもういない。五年前に仕事中の事故で死んだ。つまり俺たち三人には、もう親と呼べる人が一人もいなかった。弟の名前は港。小学三年生だ。人前では喋らない子で、その代わり俺のことだけはよく見ている。妹はメイ。五歳で保育園の年中組にいる。まだ死ぬということがよくわかっていない。母が死んでから俺は一度も泣いていない。泣かないと決めたわけではない。ただこの二人の前で泣いてしまったら、そこで全部が終わる気がしていた。
十三歳の俺にできることなんて高が知れている。それでも朝は米を炊いたし、夜は湯を沸かして風呂に入れて、港の宿題を見た。母の指輪を持って質屋の戸を開けたのは、そういう毎日が二ヶ月続いていよいよどうにもならなくなった真冬の土曜の午後だった。
母の体がおかしいと分かったのは、去年の秋のことだった。夕飯を作っている途中で母が急に流しに手をついた。俺が声をかけると、母は笑って何でもないと言った。それから二週間ほどして、母は一人で病院へ行った。胃に癌があると教えられたのは夏の終わりだ。母は病名を言うのに随分長いこと言葉を探していた。
大したことないから。母はそう言って笑った。今になって思えば、あの時にはもう医者からはっきりしたことを言われていたのだと思う。入院してからの母は日に日に細くなっていった。それでも見舞に行く度、母が最初に聞くのはいつも同じことだった。ちゃんと食べてる?食べてるよ。ご飯だけはちゃんと食べようね。これは母の口癖だった。父が死んで生活が苦しくなってからも、母は毎晩必ず米を炊いた。おかずは卵ともやしと、たまに安い挽き肉。それでも茶碗だけは白い飯で山盛りにして俺たちの前に置いた。
腹が膨れていれば人はそんなに簡単には潰れない。母は本気でそう信じているようだった。父が死んだのは五年前だ。建具の職人で、木を削って襖や障子を作る仕事をしていた。現場で足場から落ちて、病院に運ばれた時にはもうダメだったと聞いた。四十一歳だった。その三ヶ月前にメイが生まれていた。だからメイは父の顔を知らない。港はまだ四歳で、父のことをぼんやりと覚えているかどうかというくらいだ。
葬式には親戚が何人か来た。父方の叔父の柏国と、その奥さんの加津子さんもいた。伯父は父の兄だ。母とは折り合いが悪かったらしく、父が死んでからはほとんど付き合いがなかった。焼場から戻った日の夜、伯父は俺たちのアパートに上がり込んで、しばらく無言でお茶を飲んでいた。それから加津子さんが口を開いた。優馬君、これからどうするつもりなの?俺たちバラバラになるの?港が小さな声で言った。伯父は湯飲みを置いて、ゆっくりと俺を見た。お前さんがしっかりしないと、と言った。それは母の告別式の夜だった。棺の前で妹のメイはずっと母の顔を見ていた。母は眠っているだけだと思っているようだった。
母が死んでから、生活は一気に回らなくなった。家賃は母が残してくれたわずかな預金で払った。しかしそれは二ヶ月もしないうちに尽きた。電気代を払えず、二日間止まったこともある。港は何も言わなかったが、メイは暗くなると母の名前を呼んで泣いた。学校から帰るとまず港とメイの世話をする。米を研ぎ、昨日の残りで味噌汁を作る。洗濯も自分でした。母が使っていた洗濯機の回し方も最初は分からなかった。同じアパートの隣の婆さんが教えてくれた。放置された子どもがいるんだと市役所に言われたのは、その十日後のことだった。
市役所から連絡があって、児童相談所の人がアパートに来た。中年の女の人で、島田と名乗った。ちゃんと食べてる?と聞かれて、食べてます、と答えた。冷蔵庫を開けて確認されたが、中には卵が三つと半額の納豆しかなかった。島田はため息をついて、こういう場合は親戚に引き取ってもらうのが一番だと話した。父方の叔父の柏国がいるだろうと言われた。俺は伯父の顔を思い浮かべた。母の告別式の夜、焼場から戻った時、伯父は湯飲みを置いてこう言った。お前さんはまだ子どもだ。無理をするな。しかしその時伯父の目は笑っていなかった。加津子さんは何も言わなかった。島田は伯父に電話をして、後日落ち合うことになった。俺は港とメイを連れて、バスで伯父の家へ向かった。家は郊外の住宅地にあった。庭に車が一台停まっていて、玄関の引き戸を開けると古い木の匂いがした。上がり框に座って待っていると、加津子さんが茶を出してくれた。伯父は会社から帰ってくるまで一時間かかった。その間、加津子さんは港とメイにテレビを見せて、俺には少しだけ米をよそってくれた。俺は茶碗の底を見ながら、ここで暮らすことになるのかもしれないと考えていた。しかし伯父が帰ってきて、最初に口を開いたのは加津子さんだった。うちで三人は無理よ。加津子さんは台所から出てきて、割烹着の前で手を拭きながら言った。夫は黙って新聞を広げた。俺は座ったまま何も言えなかった。港は低い声で、行き場がないならどうすればいいの、と聞いた。加津子さんは答えなかった。伯父は新聞を畳んで、ようやく口を開いた。市の施設に預けるのが一番だ。それが現実的な答えだった。俺は膝の上で拳を握った。メイは小さく、お母さんは?と聞いた。俺はメイの頭を撫でて、もういないんだ、とだけ言った。その夜、俺たちは帰り道のバスの中で誰も話さなかった。
帰宅すると、アパートの玄関に封筒が一枚落ちていた。大家からの家賃催促の紙だった。二ヶ月分滞納と書いてある。明日までに払わなければ明け渡しということ。俺は封筒をテーブルに置いて、しばらくその紙を見つめていた。港は黙って自分のランドセルを開け、宿題を始めた。メイは座布団の上で母の使っていたタオルを抱えて眠っていた。翌朝、俺は母のタンスを開けた。母の着物や服はもうとっくに処分した。残っていたのは小さな桐の箱一つだけだった。開けると、中から母の指輪が出てきた。細い金の台に緑の石が一つ。母がいつも左手の薬指にはめていたものだ。母は元々資産家の娘だったらしい。しかし父と駆け落ち同然で家を出て、以来、実家とは絶縁状態だった。母は一度も指輪を売ろうとしなかった。これだけは、と母は言っていた。これだけは売らないで、と母は病床で何度も繰り返した。俺はその言葉を裏切ることを選んだ。食うために。それだけだ。
質屋の名前は七夜。古い商店街の入り口にあった。店の前には藍色の暖簾がかかっていて、中は薄暗い。カウンターの向こうに白髪の男が一人座っていた。天手と名乗った。俺は桐の箱を開けて、指輪を布の上に置いた。天手は指輪を取り上げ、明かりにかざして、しばらく見ていた。それから値踏みをしようとしなかった。代わりに、こう言った。この指輪はお預かりできません。どうしてですか、と俺が聞くと、天手は答えなかった。しばらく沈黙してから、裏の部屋へ電話をかけに行った。見つかりました。はい。お嬢様のお子様です。俺は店の中で立ち尽くしていた。港とメイが待っている。今日の夕飯をどうするか考えなくてはならない。それなのに俺は三十分も質屋の連の前で立ち尽くしていた。出てきた天手は、申し訳なさそうに頭を下げて、電話の内容は教えないとだけ言った。他所様の家の話だ。お前さんにはまだ話せない。俺は指輪を受け取って、桐の箱にしまった。外は雨だった。真冬の雨は冷たく、傘をさしても靴の底から冷えが伝わる。俺はアパートまでの道を歩きながら、さっきの天手の言葉を反芻した。お嬢様、お子様。母にそんな言葉が似合うとは思えなかった。俺が知っている母は、毎朝五時に起きて米を炊き、夜の九時には針仕事をしながら眠そうな顔をしている女だった。資産家の娘という言葉は母自身が話したこともあったが、俺は半分作り話だと思っていた。
アパートに帰ると、港が玄関の前で立っていた。優馬、遅い。ご飯。まだ炊いてない。俺は謝って、米を炊いた。メイは部屋の中で、母のタオルを抱いたまま寝返りを打った。テーブルの上に催促状が置かれたままだ。明日明け渡しと書いてある。港は何も聞かず、ただ俺の顔を見た。それから小さく、あの指輪は?と聞いた。売れなかった。俺はそれだけ言って、流しに向かった。夜になって、港とメイを風呂に入れ、布団を敷いた。メイはすぐに眠った。港は目を開けたまま天井を見ている。港、寝ろ。兄ちゃん。お母さんの実家ってどこにあるの?俺は答えられなかった。母は一度も実家の住所を教えたことがなかった。ただ、財産を取られて、あの家を出た、とだけ言っていた。港はそれ以上聞かなかった。しかし、何かが動いている。俺にはそれが分かった。天手のあの電話は偶然ではない。何かの糸が、俺たち三人を絡め取ろうとしている。その糸の先に何があるのか、俺はまだ知らない。
次の日、朝になると催促状の封筒に加えて、見たことのない封書が玄関に落ちていた。差出人欄には、桐生院と書いてある。俺はその名字を読んで、しばらく固まっていた。母の旧姓は桐生院。母はたまに酒を飲んだ時だけ、桐生院家の話をした。古い家で、祖父は財閥の一族で、自分は反対されて父と駆け落ちした、と。封書を開けると、一葉の紙が入っていた。そこにはこう書いてあった。柏木優馬様、港様、メイ様。明日、こちらより使いの者を参らせます。ご面談の上、今後の養育についてお話しさせていただきたく存じます。桐生院家、家長代行。何もかもが急すぎる。昨日の質屋の電話、今日の手紙。母の死から二ヶ月、何の連絡もなかったのに、今さら現れた。これは偶然ではない。俺は手紙を畳んで、弟妹の顔を確認した。港とメイはまだ寝ている。俺は静かに台所に立ち、米を研ぎながら考えた。桐生院家が何を望んでいるのか、俺には見当もつかない。しかし、昨日の天手の電話の内容と合わせれば、答えは一つしかない。つまり、あの質屋の天手は、母の実家と通じていた。桐生院家は、母が亡くなった時から、俺たちの動きを監視していたのだ。だとすれば、明日来るという使いの者が、俺たちをどうするつもりなのか。俺は米を炊き、卵を焼いた。港とメイが起きて、黙って席についた。何も話さないまま、朝の光が窓から差し込んでくる。影が長く伸びていた。



