安田部長が、トイレの掃除をしている俺の姿を見下すように笑った。あの日、会社を辞めた時、これでようやく会うこともないと思ったのに、よりによってこんな場所で再会するなんて。
「随分と落ちぶれたなあ」
安田さんの口元には、あの頃と同じ嫌な笑みが浮かんでいた。俺があの会社にいた頃、毎日のように浴びせられていた言葉がまた始まるのかと思うと、胃のあたりが重くなった。
「今だけですよ。普段は普通の会社員です」
そう言い返すのが精一杯だった。すると安田さんは、さらに嫌な顔で笑った。
「もしかして仕事ができなさすぎてこんな雑用を任されてるってことか。じ目だなあ」
「いえ、そういうことではなくて……」
「恥ずかしがらなくていいぞ。どこに行っても無能は無能のままなんだっていうのが分かって俺は満足だ」
安田さんは俺のことを上から下まで見渡すと、満足そうにうなずいた。エリート大学を卒業して俺たちを見下していたあの頃と、何も変わっていない。学歴マウントを取って、昔の成功した企画の話ばかりして、少しでも気に入らないことがあれば、作った資料をやり直しと言って突き返してくる。俺だけでは到底さばききれない量の仕事を押し付けてきて、定時で帰っていく。そんな日々の繰り返しだった。
ある日、俺は自分の意思で転職を決めた。部署内の人たちはみんな俺のことを惜しんでくれたのに、安田さんだけは「お前みたいな無能がいなくなって嬉しいよ」と言い放った。それが最後の言葉だったのに、またこうして再会してしまった。
ここで働いているのは、たまたまこのビルの清掃スタッフが足りていなくて、会社のボランティア活動の一環で手伝っているからだ。そう説明しても、安田さんは信じようとしなかった。きっと信じたくないんだろう。自分が見下していた人間が、ちゃんとやっていることが気に入らないんだ。
「まあ、そうやって地道にやってるならそれでいいんじゃないか」
安田さんはそう言って、トイレを出ていこうとした。あの頃の傲慢さがまだ抜けていない。きっと今でも、自分の部下に同じことをしているんだろうな。
次の瞬間、俺のスマホが震えた。同僚から、取り引き先との重要書類の件で急ぎの連絡が来ていた。俺は掃除用具を壁に立てかけて、スマホの画面を確認した。書類の修正を明日の朝までに完了させる必要があるらしい。会社員としての俺の仕事だ。
ふと、安田さんが振り返る気配がした。まだトイレの中にいるのに、彼は入口のところで立ち止まって、何かを考え込むようにこちらを見ていた。
「おい」
安田さんの声は、あの頃の威圧感のあるものとは少し違っていた。
「お前、まさかとは思うが……今どこで働いてるんだ?」
俺が正直に会社の名前を言うべきか、それとも適当にごまかすべきか、一瞬迷った。この再会が、ただの偶然のすれ違いで終わるとは思えなかった。何かが動き始めている気配がして、俺は深く息を吸い込んだ。


