花嫁衣装のまま、私は零れた涙を拭いもせず、彼の背中が消えるのを見守るしかなかった。雪の中で倒れていたあの日、私が粥を煮て、命を繋いだ。なのに彼は、母を失った途端、「この縁談はなかったことに」と告げて、去って行ったのよ。自分の力で立つまでは私を迎える資格がない、だなんて。そんな言葉を残して。そして、あの男が私の前から消えてから、ちょうど百日が過ぎた夜。柳原家の門を、怨恨に燃えた男が訪れたのは。…

花嫁衣装のまま、私は零れた涙を拭いもせず、彼の背中が消えるのを見守るしかなかった。雪の中で倒れていたあの日、私が粥を煮て、命を繋いだ。なのに彼は、母を失った途端、「この縁談はなかったことに」と告げて、去って行ったのよ。自分の力で立つまでは私を迎える資格がない、だなんて。そんな言葉を残して。そして、あの男が私の前から消えてから、ちょうど百日が過ぎた夜。柳原家の門を、怨恨に燃えた男が訪れたのは。...

「この縁談はなかったことにいたしましょう」
花嫁衣装のまま立ち尽くす娘に、あの若者はそう言い放った。雪の中で倒れていた彼を拾い、命を救ったのは他ならぬその娘だった。家が没落したと聞いた途端に去っていったその男が、まさか百日後に全てを失うことになるとは、誰も知らなかった。どこで聞いてくださっているか、ぜひコメントで教えてください。チャンネル登録と高評価をいただければ、さらに深いお話でお答えいたします。それでは物語を始めましょう。

物語の舞台は、江戸時代のある藩の城下町。柳原家は代々この地に根付く家柄で、苗字帯刀を許され、周辺の田畑と年貢の取り纏めを任されていた。田村道之助は、父を早くに失った貧しい家に生まれた。母のお民と二人、細々と暮らしていた。道之助は読み書きと算盤を納め、いずれ藩の勘定方に取り立てられることを夢見ていた。

一方、金原兵衛という男がいた。もとは城下でも指折りの御用人であったが、藩への献金と算盤の才を買われ、苗字を許され、藩の蔵を預かり配分する役目を任されていた。この三つの家の巡り合わせから、物語は始まる。

大粒の夕立が音を立てて降りしきる夏の夜。柳原家の一人娘・咲は、声をあげながら庭を駆け抜けた。
「下に、人が倒れております!」
植え込みの下には、美しいが濡れに濡れた若い学者が一人、崩れるように倒れていた。何も食べていないのか、顔は紙のように白く、頬はこけていた。
「しっかりなさってください。目を開けて」
咲は下男たちを呼び、若者を離れへと運ばせた。そして自ら台所に立ち、粥を煮た。飢えた体に塩気の強いものを与えれば、かえって体を壊すと知っていたからである。

若者がようやく目を開けると、咲は粥を差し出した。
「ゆっくりお召し上がりください。急に食べてはお腹が驚きます」
「この御恩、どうお返しして良いかわかりません」
「いいえ、人が人を助けるのは当たり前のことでございます」

若者の名は田村道之助。母のお民と二人、貧しい暮らしを営む家の一人息子であった。母が米繕いの針仕事で貯めた銭で書物を買い、藩の勘定方が道之助の指図を受ける度に、泣く泣く水請けを得られぬまま日々を重ねていた。その日もよその家の使い走りをして帰る途中、力尽きて倒れたのであった。

お民の灯りは、いつも明方まで消えることがなかった。針が布を走る音だけが、かさかさと続いた。指先がひび割れても、指抜き一つで縫い続けた。そうして溜めた銭の一枚一枚が、息子の書物となり、糧となった。道之助が心苦しがると、お民はいつも同じことを言った。
「母は目を閉じれば、お前が取り立てられる夢を見るのだよ。その夢があれば、腹は一杯になるものだ」

道之助は離れで養生した。咲は朝夕、粥を運び入れた。重い粥が、かゆが飯になる頃には、道之助の顔にも少しずつ血色が戻ってきた。

ある日、屋敷に出入りする若い下男が庭で誤って巾着を落としていった。下男は真っ青になって騒ぎ立てたが、体力を取り戻して庭を歩いていた道之助が、石段の下でそれを見つけ、迷うことなく届けに来た。
「庭で拾いました。どなたかが落とされたもののようです」
縁側に立っていた柳原右衛門は、少し驚いた顔をした。落として困り果てていたのは、金原兵衛の巾着であったからだ。ためらいもなく届けに来たその若者の様子を、右衛門はしばらく見つめていた。

右衛門には、幼い孫のように可愛がっている娘がいた。その娘が、ある日、縁側で不思議なものを見た。祖母が薄い粥を自分の前に置き、自分は汁ばかりをすすっていたのである。
「おばあ様は、なぜ召し上がらないのですか?」
祖母は優しく微笑んだ。
「婆は、お前の食べる姿を見るだけで、もう十分に腹が満ちるのだよ」

その言葉を聞いた娘は、何も言わずに台所へ走った。そして、自分の粥の半分を、そっと祖母の碗に移した。祖母は何も言わず、ただ目を細めて、その粥をゆっくりと食べた。その時、娘の心に、道之助の姿が浮かんでいた。あの若者も、きっと誰かのために、自分を削って生きているのだろう。そう思うと、胸の奥が温かくなった。

やがて道之助の体がすっかり回復すると、右衛門は彼を屋敷に呼び寄せた。
「そなたの働きぶりは、この目で確かめておる。なかなかの才覚だ。我が家の手伝いをしてみぬか?」
道之助は深く頭を下げた。
「お言葉に甘えまして、お世話になりとうございます」

こうして道之助は柳原家に仕えることになった。算盤の腕はめざましく、日々の帳面はあっという間に整えられていく。右衛門は感心し、やがて道之助を正式に家の者として迎えたいと考えるようになった。そして、ある日の夕餉の席で、右衛門は切り出した。
「道之助よ。お前に、一つ頼みがある」
「はっ」
「娘の咲を、お前の妻に迎えてはくれぬか」
道之助は息を呑んだ。咲は、自分が倒れていた時に粥を煮てくれた娘。屋敷で働くようになってからも、いつも気遣ってくれる優しい娘だった。
「身分の違いがございます。私などが、そのような…」
右衛門は静かに首を振った。
「身分など、関係ない。お前の誠実さを見てきたからこそ、娘を任せたいと思うのだ」
道之助は、地面に頭を付けるようにして礼を言った。
「この命に代えても、咲様を大切にいたします」

こうして縁談は進み、道之助と咲の婚礼が執り行われることになった。咲は白い花嫁衣装に身を包み、その美しさは誰の目にも明らかであった。道之助も晴れやかな顔で、祝いの席に臨んでいた。

ところが、その翌日。道之助は右衛門の前に呼び出された。右衛門の顔は、いつもと違って暗かった。
「道之助よ。聞いたぞ。お前の母上が、この度、病で倒れたと」
道之助の顔色が変わる。
「な、何と…!病だと?」
「知らせが届いておる。すぐにでも見舞いに行くがよい」

道之助は急ぎ、母の元へと走った。しかし、家に着いて見せられたのは、冷たくなった母の姿だった。隣には、一通の手紙があった。道之助は震える手でそれを開いた。

「道之助へ。お前が幸せになることを、これほど嬉しく思ったことはない。母はもう、何の憂いもない。お前の花嫁姿を見られぬのは心残りだが、お前の幸せを思えば、それで十分じゃ。どうか、咲を大切に。母は、お前のことをずっと見守っておる」

道之助はその場に崩れ落ち、声を上げて泣いた。母は、自分の幸せを知らずして逝ってしまった。いや、知っていたからこそ、安心して逝けたのだろう。それでも、その胸は言葉にできないほどの痛みで満たされた。

葬儀を終え、道之助は柳原家に戻った。しかし、その顔には陰りがあった。咲は気遣わしげに声をかけた。
「道之助さま…。お母上のこと、お気を落とさないでください」
道之助は、辛そうに微笑んだ。
「ありがとうございます。ただ、少し時間をください」

数日後、道之助は右衛門の前に、悲しげな表情で頭を下げた。
「右衛門さま。申し訳ございません。この縁談ですが、なかったことにしていただきたく…」
右衛門は驚き、咲もその場に立ち尽くした。
「何を言うのだ!今さら、なぜ!」
道之助は地面を見つめたまま言った。
「私は…母一人を養うことしかできなかった男です。その私が、咲さまを幸せにできるとは思えません。母の死を機に、改めて自分の身の程を知りました」
咲は唇を噛んだ。
「道之助さま、私は…」
「咲さま。お願いです。お聞きください」
道之助の声は震えていた。
「私は、これから自分の力で立っていきます。自分で何かを成し遂げてからでなければ、あなたを迎える資格はない」

右衛門は沈黙した。やがて、ゆっくりと口を開いた。
「…分かった。お前の決意を、尊重しよう」
その言葉に、道之助は深く頭を下げた。しかし、咲はその場に立ったまま、一言も発することができなかった。道之助は、咲の顔を見ることもなく、屋敷を後にした。

花嫁衣装のまま、咲は縁側に座っていた。目の前には、道之助の姿はもうなかった。ただ、庭の風だけが吹いていた。あの夏の夕立の夜から、すべてが始まった。その始まりが、こうして終わろうとしている。咲は、宙を見つめたまま、静かに涙をこぼした。

それから、道之助は行方を晦ました。噂では、遠くの藩で商いを始めたとか、それともまた別の場所で算盤を振るっているとか、様々な話が流れたが、確かなことは誰も知らなかった。咲は柳原家に残り、静かに日々を過ごした。右衛門は何も言わず、娘を気遣い続けた。そして、百日の月日が流れた。

ある夜、柳原家の門を、一人の男が訪れた。痩せた体に、汚れた着物。しかし、その目は異様に澄んでいた。男は名乗った。
「金原兵衛と申します。柳原右衛門さまにお目通り願いたい」
右衛門は、その男を客間に通した。金原は、深々と頭を下げた。
「かつては藩の蔵を預かっておりましたが、この度、藩の御用金を失い、責任を取って暇をいただきました。つきましては、何卒、お力添えいただけますよう…」
右衛門は、その男の顔をしばらく見つめてから、口を開いた。
「金原殿。貴殿の申し出は、よく分かった。しかし、当家としても事情がありまして、すぐにはお応えできませぬ」

金原の顔に、一瞬の苛立ちが走った。
「左様でございますか。では、他を当たってみます」
そう言うと、金原は部屋を出て行った。しかし、その胸の内は、柳原家に対する怒りと憎しみで満ちていた。

呪う、呪う。どうして、この俺が、あの貧乏人が拾われて幸せになり、俺が落ちぶれなければならないのか。金原は歯を食いしばった。そして、彼はある企みを胸に、夜の闇の中へ消えていった。

その頃、咲は庭先で、婆様の小粥の話を思い出していた。あの時、道之助が教えてくれたこと。誰かのために自分を削ることで、人は強くなれるのだと。今、自分は何ができるだろう。何かをしなければ、あの人に、もう一度会うことはできないかもしれない。

しかし、それを実行に移す前に、事態は動き出した。金原兵衛の怨恨が、どこからか流れ始めた噂によって、火が付いたのである。噂は言った。柳原家は、田村道之助を使って帳簿を偽造している。殿様に隠れて、領地の米を横領している、と。

怒り狂った藩の役人たちが、柳原家の屋敷へ押し寄せた。帳簿は押収され、右衛門は尋問を受けることになった。咲は、縁側で震えるようにして、その様子を見つめていた。庭の風が、冷たく吹き抜けていく。

道之助は、果たしてこの窮地を救うことができるのか。そして、金原の策略は、どこまで見抜かれているのか。これは、江戸時代のある城下町で繰り広げられた、愛と裏切りの物語である。百の日の後に、すべての真実が明かされるとき、咲は自分の選んだ道が正しかったと、初めて知るのである。

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