「黒崎、ちょっと来い。まあ、あんまりいい話じゃねえけどな。」
呼び出された会議室で、俺は黙って三谷課長の前に座った。
「派遣契約は今月で終了。それと今やってるシステム開発も中止な。正直、あんなもんねえだろ。派遣に任せる仕事じゃねえしさ。」
俺は何も言わずに頷いた。言い返したところで無駄だって分かっていたからだ。
それから数週間後、取引先の中部物流から本社に強い抗議が入ったらしい。「黒崎さんとの開発はどうなってるんですか?」と。
俺の名前は黒崎慎吾。今は岩下テックの情報ソリューションに派遣エンジニアとして在籍している。派遣元はアークシステムズっていう、そこそこ知れたIT派遣会社だ。
元々は大手メーカーで働いていた。要件定義から設計、実装、保守まで、現場で汗を書き続けること10数年。
でも、ある時ふと思った。
「いつまでこんな生活を続けるんだろうな。」
会議、会議、調整、調整。本来やりたかった開発の時間がどんどん削られていく。気づけば、自分がコードを書くよりも社内政治に時間を費やしていた。
だから俺は会社をやめた。その後は数年フリーランス。今は派遣という形で働いている。
理由は単純だ。俺にはこの働き方が一番合っている。派遣なら余計な社内会議にも出なくていいし、部署の綱引きにも巻き込まれない。純粋に物を作ることに集中できる。それが今の俺にとっては一番の価値だ。
岩下テックに来たのは偶然じゃない。この会社がITの新規事業を立ち上げるという話を聞き、昔世話になった上司経由で社長の大谷さんに紹介された。直接面談した結果、「派遣でも何でもいいから、うちに来てくれないか」と言ってもらえたのが始まりだった。
俺が携わったのは10億円規模の業務システム開発。取引先は中部物流システムという、東海エリアの物流を支える中堅企業だ。
業務プロセスの洗い出しから始めて、現場のヒアリング、仕様の策定、システム設計、工程管理まで、その中心を俺が担っていた。現場と向き合いながら、物流業務そのものをシステムに落とし込む。地味だが重要な役割だった。
だが、この仕事の本質を理解している人間は、社内にほとんどいなかった。
特に直属の上司である三谷課長は、その典型だった。彼は元々工業部品の営業をやっていた人物らしい。社内再編のタイミングで、経験も知識もないままIT部門に移動してきたそうだ。
システムの開発工程や、設計に込めた意図を理解する気もない。
「数字が全て。早く動けばOK。」
そんな雑な感覚で全体を見ていた。
当然、俺がやっていることに興味はないし、何の理解もなかった。というより、俺がどんな経緯でここに来たのかすら、知らなかったんじゃないか。
「なあ、黒崎。お前、何で派遣でやってるんだ?」
ある日、三谷課長がそんなことを聞いてきた。
「派遣の方が自由なんで。自分のペースで仕事ができますから。」
「ふうん。まあいいけどよ。でも、お前みたいな歳で派遣ってのはなあ。正社員で社内にいれば、昇進だってできたんだろうに。」
「別に昇進したいとは思わないんで。」
「そうかよ。ま、お前の人生だからな。好きにしろ。」
その時はただの雑談だと思っていた。でも、後から考えれば、あれが伏線だったのかもしれない。
開発が始まって3ヶ月。俺は毎日のように現場に足を運び、フォークリフトのオペレーターから倉庫管理の責任者まで、あらゆる人に話を聞いた。
「今、ここでどういう風に動いてます?」
「ここがボトルネックなんですよね。この棚の配置が悪くて、ピッキングの動線がどうしても遠回りになるんですよ。」
「なるほど。ここをシステムでどう改善できるか、ちょっと考えてみます。」
現場の声を拾い上げ、それを要件に反映していく。そんな日々が続いた。
三谷課長は、そんな俺の仕事ぶりを見て、よくこう言った。
「黒崎、そのヒアリングっていつまで続ける気だ? さっさと画面を作れよ。」
「要件が固まらないと、正しいシステムは作れませんから。ここが肝心なんです。」
「いちいち難しいこと言うなよ。とにかく形にしろよ。」
俺はため息を飲み込んだ。形だけ作って何になる? 現場が使えないものを納品したところで、結局は作り直しになるのがオチだ。
だが、それを言っても分かってもらえないことは、経験上よく分かっていた。
開発は順調に進んでいった。要件定義が固まり、設計に入り、実装に移った。俺の書いたコードはしっかり動き、テストでも大きな問題は出なかった。
あの時点では、この開発がここで中断されるなんて、微塵も思っていなかった。
契約終了まであと1ヶ月というところで、三谷課長は突然、俺を会議室に呼び出した。
「黒崎、ちょっと来い。まあ、あんまりいい話じゃねえけどな。」
その言葉を聞いた時、嫌な予感がした。
「派遣契約は今月で終了。それと今やってるシステム開発も中止な。」
「……中止? どうしてですか。このままいけば、来月にはリリースできたはずですよ。」
「上層部の決定だ。俺に聞くな。」
「でも、まだ納品もしてないし、作ったものはどうなるんですか?」
「知らねえよ。そんなことは。お前は派遣だろう。責任は俺たちにあるんだから、お前が口出すことじゃない。」
俺は何も言えなくなった。
「これで全部。お疲れさん。後は若いのに任せろ。」
そう言って、三谷課長は会議室を出ていった。
俺はしばらく椅子に座ったまま動けなかった。
数週間後、俺はアークシステムズの営業から連絡を受けた。
「黒崎さん、大変なことになりましたよ。」
「何だ?」
「岩下テックの中部物流システムの開発、中止になったっていうじゃないですか。」
「ああ。そうみたいだ。」
「いや、それだけじゃないんです。中部物流から本社に強い抗議が入ったらしいんですよ。」
「抗議?」
「『黒崎さんとの開発はどうなってるんですか? 現場は待ってるんですよ』って、凄い剣幕だったそうです。」
俺は思わず笑ってしまった。
「そうか。俺が辞めて、後任が何とかするんじゃないのか?」
「それが、誰も引き継ぎできない状態らしいんです。全部、黒崎さんが把握してましたから。」
確かに。俺は全ての要件、設計、コードを自分の頭の中に持っていた。引き継ぎ資料すら、まともに作ってなかった。
それがいいことなのか悪いことなのか、その時はまだ分からなかった。
だが、その抗議をきっかけに、岩下テックの社内で三谷課長に対する不信感が広がっていった。そして、ある日、大谷社長から直々に連絡が来た。
「黒崎くん。一度、話をさせてくれないか。」
俺は大谷社長と、ひさしぶりに会って話をした。
「申し訳なかった。君が作ったシステム、そして君自身のことは、他の人間には代え難いということが分かったんだ。三谷の判断は間違いだった。」
「……で、これからどうするんですか?」
「今度は、うちの正社員として、その開発を最後までやり遂げてほしい。給与も派遣の倍以上用意する。それでも駄目か?」
俺は少し考えた。
「……続きをやらせてくれるなら、それでいいです。」
こうして、俺は岩下テックの正社員となった。派遣先での契約打ち切りは、結果的に俺にとって転機となった。
その後、開発は再開され、中部物流のシステムは無事にリリースされた。現場からは「これで仕事が変わる」と感謝された。
あの時、何も言わずに頷いておいて、本当に良かったと思う。
三谷課長は、その後の人事異動で、再び営業部門へ戻っていった。
今でも時々、あの会議室で三谷課長の言葉を思い出す。「派遣に任せる仕事じゃねえ」と。
でも、そんなのは間違いだった。ものを作るのに、正社員も派遣も関係ない。大事なのは、どれだけ現場を知っているかだ。
俺は今も、自分のやり方でシステムを作り続けている。今度は、誰の目も気にせずに。



